金曜日の朝。まだ人もまばらな早めの登校。
教室のドアを開けると、自席に先客が居た。
澪だ。机に頬を乗せて退屈そうにしている。
青葉の存在に気がつくと、弾かれたように顔を上げた。
「青葉ちゃ〜ん! おはよう〜! 席温めておいたよ〜」
「おはよ。見て。チューイング・ガムゴリラの下敷き買っちゃった」
「ガムゴリパイセン渋い〜」
青葉の文房具は一つ、また一つと「ロリポップ・ハニー・ベア」キャラ物へと侵食されつつあった。
推しが出来るのは楽しかった。勉強も捗る。
だが、ここ数日、騒がしい存在が一人減っていた。
遠藤だ。
月曜から木曜まで、遠藤は一度も青葉のクラスに現れなかった。
澪もすずもやっと来なくなったと、せいせいすると大喜びだ。
青葉は青葉で、同性愛者は同性しか好きにならないと言ったから、効いたのだろうと勝手に納得していた。
澪が温めてくれた席に座ると、同じクラスの男子生徒がひょいと目の前に立った。
「おはよ。小林、これ」
ノートの切れ端を青葉の机に置くとすぐに居なくなった。
デジャヴを感じる。
青葉が眉をひそめて紙を開くと、そこには見覚えのある尖った字体。
【小林 青葉さま
2年C組の遠藤 修一です。
お話したいことがあります。
放課後、合宿施設の中に来てくれませんか。
待ってま〜す。】
以前貰った手紙と全く同じ内容だった。
本当に『おもしれー男』だ。
横から覗き込んだ澪が、紙を見た瞬間に固まった。
「こ、これはラブレターか!? しかも、しゅーいちろーからのラブレター⋯⋯!!」
「声が大きい。ラブレターじゃないから、これ」
「……えっ……えっ!? な、なんで!? なんで青葉ちゃんに!? ヤダヤダヤダぁ!!」
澪はくしゃりと顔を歪ませて泣きそうな顔になる。以前まではこんな弱い姿を見せることは無かった。遠藤の前でもかかってこいと言わんばかりの態度だった。
「落ち着いて」
「絶対行かないで!! 絶対だよ!!」
澪は青葉の腕にしがみつき、ぶんぶんと首を振る。
「行かなくてもいいけど、行かないなら行かないって伝えないとダメでしょ」
「やだ! 会ってほしくない!」
違和感を感じる。ものすごい執着だ。
青葉が困っていると、すずがやってきた。
「おはよー。朝から盛り上がってんね」
「おはよ。実は……」
青葉が手紙をすずに見せる。すずはうわぁと小さく声を零すなり眉をひそめる。引いているのだろう。
「じゃあ、あんたもついていけば? あんたが青葉のこと見てれば安心なんじゃない」
そう言って、すずは澪の頭に手を置いた。
「名案だ! ついていくぞぉ!!」
澪はビシッと手を上げた。即答だった。
下敷きのチューイング・ガムゴリラが険しい顔で青葉を見上げていた。
放課後。
校舎裏の合宿施設は、夕方の光に照らされて静まり返っていた。青葉と澪が近づくと、扉の前に遠藤が立っていた。遠藤は澪を見た瞬間、顔を曇らせる。
「……なんで一緒にいるんだ?」
「青葉ちゃんを守るためだよ!!」
「俺から? なんで?」
遠藤は澪の首根っこを掴むと、花壇の横に無理矢理に座らせる。
「ペットはここで待ってろ」
「ペットじゃない!!」
「にゃお〜ん」
遠藤は舌を出して戯ける。むぅっと澪は肩を怒らせた。
遠藤は青葉の背を押し、施設の中に入ると、追いかけてきた澪を一瞥し、すぐに扉を閉めて鍵をかけた。
「ちょ、ちょっと!? 開けて!! 青葉ちゃん!!」
ドアの向こうで澪が叩く音が響く。
流石に可哀想だ。
「……ちょっとひどくない?」
「だって、俺あいつには手紙書いてないもん」
青葉は額を押さえた。
「すぐ戻るからそこで待ってて」
ドアの向こうの澪にそう伝えると、澪はしゅんと眉を下げてその場でしゃがみこんだ。
遠藤は靴を脱ぎ中に入ると深呼吸をして、青葉の方を向いた。
「あのさ……今まで、青葉ちゃんの気持ち無視してたこと謝りたくて」
意外な言葉から始まり、青葉は目を丸くした。
二回目の遠藤の手紙はラブレターではなく謝罪のための手紙だったのだ。
「俺らまだ子供だしさ。『性自認』だっけ? あやふやっていうか。だから正直、青葉ちゃんとあの子のことも『ファッション同性愛』だと思ってた」
「は?」
「『レズごっこ』っていうか……なんか、そういうノリだと思ってた」
開いた口が塞がらない。
この男、本気で言っているのだろうか。
しかし、確かにそういうノリの子はいる。
親友同士でカップルだなどと冗談で言ったり、ベタベタくっついている女の子同士は確かにいる。
「最低だね」
一応青葉が冷たく言い放つと、遠藤は苦笑した。
「やっぱり? ……でさ。女にいくってことは、男知らないだけだろって思ってた。俺が教えてやれば、きっと男に夢中になるって」
「いや、ビックリするよ。ほんと最低だよ」
重ねて最低だと言われ、遠藤は誤魔化すように頭の後ろをガリガリと掻きむしった。
「ほんとに悪かった。無神経だった。青葉ちゃんを傷つけてた」
最低だが、素直に謝る姿に青葉は内心見直していた。格好悪いが、自分の格好悪さを見せられる男なのだ。
「あとさ、この間、自習室で青葉ちゃんに言われたこと、ずっと考えてた。『好きな子できるまで恋愛するな』ってやつ」
「……ああ」
「フラれるとさ。お前はダメだった。必要のない人間だったってレッテル貼られた気持ちになるんだよ。遊びだったんだから気にするなって言われても気にするの。そういうもんなの」
青葉は誰とも交際経験が無い。
自習室では気にするなと言ってしまったが、やはりそれは想像でしかなかった。実際にフラれたときは遊びだったとしても傷つくものなのだなと、青葉は他人事でその話を聞いていた。
「でも、青葉ちゃんの言う通りだなと思ったのが、確かに、遊びの恋愛で無駄に傷つくこと無いなって」
「そうだよ」
すると、急に「でもさぁ〜」と言いながら遠藤はしゃがみこんだ。
「本気で好きな人にフラれたら、どんだけ辛いんだろうって考えたら、すげービビんねー? 俺、恋愛できっかなー?」
遠藤は本気で軽い男から脱却しようとしているのだ。その覚悟を感じ、青葉は少しだけ笑うと遠藤に手を差し伸べた。
「その時は慰めてあげるよ」
遠藤は驚いたように目を見開き、そしてふっと笑った。青葉の手を掴むと立ち上がる。
前と変わらない乾燥した温かい大きな掌。
前とは変わった遠藤への印象。
「助かるわー。もうつきまとったりしない。本当に悪かった。話したかったのはそれだけ。時間取ってくれてありがとう」
「いいよ」
遠藤は足元に置いていた鞄を背負うと、施設の玄関で靴を履く。
「……あ、明日暇? 俺と遊ぼ」
「さっきつきまとわないって言ったじゃん!」
「友達としてだって。別に二人きりじゃなくていいし……」
青葉が呆れながら、同じく靴を履き、顔を上げると扉にしがみつく澪の姿があった。しかも、目は泣き腫らし、鼻水を垂らしている。
「青葉ち゛ゃん……!」
遠藤がやや怯えつつ、ソッと鍵を開けると澪は勢い良く扉を開け、遠藤を睨みつけた。
「やめて!! 青葉ちゃんに近寄らないで!!
青葉ちゃんを……私から取らないで!!」
夕暮れの光の中で、澪の声だけが響いた。