柊さん。
彼女を一言で表すとなると…………そうだね。そうだねぇ……。
――うん?誰だこの人。
クラスメイトの名前や顔は、ある程度把握しているつもりだ。
だが、この人物に関しては、全く記憶や情報の類が存在しないのだ。
「リリィル、何か情報は無いかな?」
『私も知りません』
「えぇ?」
じゃあ本当に誰だよ。リリィルも知らない人物……?
「まさか、祝福が影響しているのか……?」
例えば、自身の存在を周囲の記憶から消滅させるだとか、認識を操作するだとか、その類の祝福。今までの祝福を見るに、そんな力があっても不思議では無い。
「ねぇリリィル、本当にこの人はぼくのクラスメイトなんだよね?」
『はい、それは保証します』
「……ふん」
……まあ、ここで悩んでいても仕方がないかな。
◆
足を踏み入れた先は、何時も通りの異世界だ。
二足歩行の爬虫類が荷馬車を引き、巌のような巨漢が大剣を背負って闊歩し、活気ある物売りの声で通りが満たされている。
リリィルから共有された情報によると、今回の終末因子は魔王の討伐。
これ以上ないほどどの王道ファンタジー。
街に出て数分の捜索の末、あっさりと推定ヒイラギさんを発見した。
ぼく達から記憶が消えている件、彼女が何かしらを知っていると良いのだが……。
——だが、事態はぼくの予想を遥かに超えていた。
「へ? だ、だれ? め、女神?」
どうやら、今回の世界は何か酷く面倒なことが起きているらしい。
ぼくたちが彼女を忘れているだけではない。
彼女、いや、自らを『クイル』と名乗る少女もまた、自身がヒイラギであった記憶を完全に失っていたのだ。
「……一先ず、話せる場所を探そう」
◆
ぼくたちはヒイラギ、否――クイルが働いているという喫茶店に来ていた。
雰囲気の良いカフェテラスで、ぼくは彼女と視線を通わせる。
黒髪ロングのおどおどとした少女。
この異世界では黒髪はほとんど存在しないはずだ。
やはり、彼女が異世界人であるのは間違いない。
だが――。
「とりあえず仕切り直すよ。ぼくはリリィル、君をこの世界に連れてきた神……って言えばいいのかな」
最近、この自己紹介も板についてきた。
「神、様ですか……?」
「やっぱり覚えてない? ほら、クラスの皆で異世界に向かうぞーって……そこを指揮してた……」
「覚えてないです……ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいよ!?」
何だこの状況。
「じゃ、じゃあさ、ヒイラギって名前に覚えは無い?」
「知りません……」
「なら、たまに不思議な力を感じることはない? そういうのが君に宿ってるはずなんだけど……」
「ご、ごめんなさい~~~!!!!」
「謝らなくていいから!!」
何なんだこの状況。魔王どころでは無くなっている。
どこで、一体だれが、何を理由で、ぼくたちの記憶を消したんだ?
◆
ひとまず、ここに至るまでの概要を彼女に端的に説明した。
彼女が本当はヒイラギという名のぼくのクラスメイトであること。この世界を救うためにここに送られたこと。
対する彼女からは、自分がなぜ『クイル』と名乗るようになったのか、その道筋が語られた。
「数ヶ月前の事でした……。店長に拾われたんです。あ、店長というのはこの喫茶店のマスターで……。え、と……その時から、私は自分の名前も、どこから来たのかも何も分からなくて……」
その店長から授けられた名前がクイル。
だから彼女は便宜上、その名前を名乗ってここで働きながら暮らしていたらしい。
「これは……」
――記憶喪失の異世界人。
いつもの祝福でクリアするという前提が、今回は完全に崩れ去っている。
祝福が彼女には存在せず、しかも彼女自身は記憶を失っており、あろうことかぼく自身も彼女を忘れている。
もしかしたら、ぼくは初めてピンチに立たされているのかもしれない。
「わ、私」
ヒイラギさん――クイルは、手のひらをぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で言葉を続けた。
「記憶喪失になる前の私が約束したことなら、できるかぎり頑張ろうと思っています……!」
「それって——」
「私なんかにできるかはわかりませんが……魔王を、その……討伐、すればいいんですよね……?」
おどおどと震えながらも、まっすぐにぼくを見つめてくる。
そこには、かつての自分が背負ったであろう責任を全うしようとする、健気な覚悟が宿っていた。
正直な所、悩んでいた。
祝福が無い状況で、戦場に出しても良いのか、あるいは先に記憶を取り戻すべきなんじゃないのか。
……流石に分が悪い。
せめて、祝福か全員の記憶を取り戻してから——
『良いのではないでしょうか、同志?』
「なに?」
『旅の途中で記憶を取り戻すかもしれませんし、祝福を一度でも持った人間は身体能力が著しく向上します。なので、彼女を魔王討伐に向かわせても問題は無いのかもと』
何を言っているんだ、リリィル。
ぼくにそんな馬鹿げた博打をするつもりは一切ない。
『ですが、記憶を戻す行為自体が、終末因子を加速させる要因になるかもしれませんし……』
……なぬ。
…………ようするに、リリィルはヒイラギさんがあえて記憶を失ったと言いたいんだね?自身の記憶を消去しないと行けない状況になり、彼女は能動的に記憶喪失になったと。
……でも、それはそうかもしれないという話に過ぎないだろう?
何が理由で自身の記憶を全員から消したかは知らないが、そんなことを普通の人間がするだろうか?
うん、やっぱり、誰が記憶を消したかわからない以上、リリィルには悪いけど記憶は取り戻す方向で……。
『わからないんですか同志!!』
「がっ——」
途端、脳内に鳴り響くリリィルの大声。頭痛い。
『同志、さっきの私の推測をただの可能性だと思っていませんか? それは違いますよ! 管理局に住む私達の記憶を消そうなんて、そんなのは不可能です!』
……じゃあ、誰が消したって言うんだよ。
『彼女自身ですよ、同志! 祝福なら可能です! 彼女が自らの祝福、世界全体から自分に関する記録と記憶を消去したとしか考えられません!』
……なるほど。
言い方は横暴だが、リリィルの理屈にも一理ある。これなら……彼女自身が記憶を削除したことになる、のか?
ならそれを暴くのは、敗因になりうる?
『なります』
「……はぁ」
ぼくはゆっくりと上体を起こし、クイルを見つめた。
案の定、目の前の少女が怪訝そうに小首を傾げていた。
「リリィルちゃん……?」
「ううん、ごめん。何でもない、大丈夫だよ」
ぼくは小さく息を吐き、誤魔化すように微笑んでみせる。
「まずは、魔王を倒しに行こう」
違和感と疑惑、その類がぼくの中に駆け巡っているが……。
それを暴くのは、また今度でも良いだろう。
◆
さて、あれから一月の時間が流れた。
街から離れて数時間の森の中で、彼女は杖を一本握りしめ魔獣と相対していた。
対峙しているのは牙獣と呼ばれる魔獣。
通常の狼の倍はある体躯に、その名の通り巨大な牙を生やした化物だ。
「む、無理です! 不可能です! 勝てません助けてください……! な、なんでも! なんでもしますからぁぁぁ!」
牙獣の威嚇に腰を引かせながら、彼女は涙目で助けを求めていた。
情けない。
ぼくは遠くから彼女に聞こえるように大声で叫ぶ。
「無理じゃないよ! 君は選ばれた勇者なんだ! ほら、その秘められたパワーでサクッとそいつを倒して!」
ええぇぇぇーーーッ!?という叫び声が返ってきたが、無視。
いや、そもそもぼくは彼女を今すぐ助けられる距離にいないのだから、こればかりは仕方がない。
女神の代理人とはいっても、直接的な戦闘力はゼロ。
安全圏である50メートルほど離れた大木の陰から、その様子を傍観していた。
『情けない』
「……あのさぁ、ぼくに戦闘力は無いんだから仕方ないだろう?」
『情けない』
「……」
ポップコーンでも準備をしておけばよかったかもしれない。
そうだ。ぼくがこういう、いかにも異世界っぽいイベントを見るのは、実はこれが初めてなのだ。
こうしてファンタジーの魔物とエンカウントして、魔法の杖を構えて戦う光景は、ぼくにとって完全な未知。
魔獣討伐なんて実物を見たことがなかったし、魔王なんて存在も、話でしか聞いたことが無い。
「ひ、ひぎぃっ!? こっち来ないでぇ!」
牙獣が鋭い爪を地面に突きたて、凄まじい速度でクイルへと肉薄する。
あ、これはマズい、と思った瞬間——。
閃光。
視界が白に染まり、世界に色が戻ってきた時には――牙獣はその巨躯を鮮血に染めて地面に転がっていた。
その傍らには、杖を握ったままプルプルと生まれたての小鹿のように震えるクイル。
……なるほど。やっぱり彼女は、とんでもなく強いらしい。
◆
「ごめんなさい。やっぱり私には、魔王討伐なんて無理です……!」
「あれぇ!?」
拒絶を告げられたのは、その日の晩のことだった。
牙獣から得られた初めての報酬。
それでちょっといいレストランに入り、美味い飯を食っていた最中のことだ。
「だ、だってリリィルちゃん何もしないし……あんなの、私一人じゃいつか死んじゃいますよぉ……」
何もしないし、の部分は否定しないが——
「なら、仲間を作ろうよ。こういうのって、パーティーを組んで進めるのがお約束だって聞いた気がするし」
「仲間……? 私に、ですか?」
仲間、という単語が出た瞬間だった。
彼女の肩が目に見えて震え始め、まるでその言葉そのものに、何か根深い恐怖を抱いているかのようだった。
「わ、たしにできるでしょうか。私のような、人間に」
「——」
「わたしは……今まで、一人も友達がいなくて。何をやっても、何もうまくいかなくて……」
頷くことはできなかった。
まだ一月そこらの付き合いで、彼女が本当はどんな人間なのかをぼくはまだ知らないからだ。
「……せっかく世界を救おうとしていた、記憶を失う前の私に、なんだか申し訳なくて……」
ぽろぽろと、彼女の瞳から涙が溢れ、テーブルへと零れ落ちていく。
ぼくは、その涙を静かに見つめながら――
「そう……だね、保証はできないし、こんな事しか言えないけど、やってみるしかないんじゃないかな?」
「うまくいきませんよ……私は友達を作れたことは一度も……」
「じゃあ大丈夫」
ぼくは一つの間を開けて。
「何事にも初めてはあるから」
涙を浮かべたクイルが、拍子抜けしたように丸い目を瞬かせる。
「あとさ、君が前の自分に申し訳なくなるのは勝手だけど、怒ってもいいんじゃない?」
「怒る?」
「こんな妙な世界に記憶も無しに放り込まれて、普通は怒ってもいいと思う」
だから、と付け加え。
「好きなようにやればいいよ」
「……神様……私にできるでしょうか」
「さぁね。でも何事にも初めてはあるから、ね?」
◆
翌日の事だった。
彼女は早速、ギルドで旅の仲間を募集し始めた。
肉体に染みついた祝福の影響か、彼女はいつの間にか高位の魔術を扱えるようになっている。その実力さえ示せば、案外、良いメンバーが集まるかもしれない。
とはいえ……ここから先は彼女次第といった所だが。
『同志はもう協力しないのですか?』
「ぼくは………………」
——まだ、この世界には問題がある。
「うん、協力はしない。ああ……もちろん、助けを求められたら手伝うけど、ぼくは管理局でやりたいことがあるんだ」
『やりたいこと? ……同志の考えが読めません……』
最近、彼女に脳内の秘密を悟られないように思考を遮断する方法を編み出した。
一歩上達だ。
「まあ、別に隠す意味も無いから言うけどさ。彼女の素性を調べ上げたいんだよ。結局彼女は誰で、なぜぼく達から記憶が消えたのか」
今回の世界は、そこを解明する必要があると思うんだ。
そのためにも、いちど管理局に戻る必要があるんだけど……。
『なら、私がクイルさんを見ていても良いでしょうか?』
「は? な、え? ……いや、それはありがたいんだけど……どうやって?」
リリィルは異世界に直接介入できない――だからぼくがこうしてぼくがいるんじゃなかったのか?
『ふふん、実は管理局にはまだ開示していない隠しツールがあるのです』
そんなことができたのか……。
「まあ、いいさ。そこも今度また別に聞くとして……ぼくは管理局に帰るから」
『では、こちらは任せてください』
願ってもない話だ。
ぼくが彼女の素性を調べ上げている最中、やはりクイルのことは心配だった。
だが、そこにリリィルの監視があるなら話は別だろう。
◆
そして、管理局に帰還した。
「一先ず……そうだね」
彼女の素性を調べ上げるためにぼくは、小説のように推理したり、残された口紅から証拠を割り出す――なんて真似はしない。ぼくは物語の探偵ではなく、ただの人間なので、普通に情報集めから始めた。
調査は拍子抜けするほど簡単だった。データベースの閲覧に、職員からの聴取。ありえないほど大量の情報が、次々と手に入った。
そして、気付く。
「やっぱり、嘘を吐いてる奴がいたのか……」
そもそも、仕組んだ側は隠すつもりすら無かったのかもしれない。
ぼくにわざと暴かせようとしたのか……いや、そもそも暴かれようがどうでもよかったのか。
「まあ、いい。これである程度は把握した。ただ……」
……肝心の最期の情報だけは得られなかった。
――彼女は、一体何者でどこから来たのか。
「……まあ、それもある程度は把握してるけど……認めたくはないな」
一つだけ、ぼくの脳裏に過る可能性はある。
もしその仮説が合っているのなら……すべてにおいて辻褄が合ってしまうのだ。
「最初からこうしておけば……いや、今だからこそ、かな」
ぼくは仮説の真偽を確かめるべく、二日ほど徹夜でさらなる情報収集に徹した。
◆
二日の徹夜の末、ぼくは再び異世界へと帰還した。
ちなみに、ぼくが管理局に戻っている間、ぼくはぼく自身本来の肉体で管理局を闊歩していた。
まあ、何が言いたいかと言うと――ぼくがこの異世界に戻るということは、リリィルの肉体に強制的に意識を引き戻される、ということだ。
端的に言おう。
帰還した瞬間、リリィルはクイルと、さらには見知らぬ女冒険者と共に風呂に入っている最中だったらしく……以後省略。
その惨事から一日が経った後、さらに驚くべき事実が発覚した。
「え? ぼくが消えてからもう二年が経った? しかも魔王城寸前? なぜに?」
『時間が縺れたんです』
「時間がもつれ……縺れる?」
『そういうものだと思ってください。』
ぼくがさらなる疑問を口にしようとした瞬間、脳内の女神がしたり顔で解説を付け加えてきた。
『扉の性質ですよ、同志。あの扉は『世界を救えるタイミング』の、その場所に転移する構造なのです。ようするに、今回同志が二年の月日を空けてこの世界へ戻ってきたのは、扉がこここそがベストなタイミングだと判断したからでしょう』
いや、そういう大事な仕様はもっと前に言えよ――と喉元まで出かかったが、そこに気づかなかったぼくも悪いかもしれないと思い直す。
確かに、今までの世界でも妙にタイミングが良すぎたり、どれだけ時間が経っていても手遅れ感がなかったり、あるいは時系列が妙にぐちゃぐちゃだと感じる瞬間があった。
なるほど、まあ、そういう事だったのだろう。
閑話休題。
二年の月日が経ったクイルは、ガラリと変わっていた。
目つきが、態度が、醸し出す自信が、そのすべてが、かつての涙を流していた少女のそれではない。
どうやら、この二年は彼女にとってそれほど大きなものだったらしい。
だからこそ、いまさら真実を告げるのは怖かった。記憶を失う前のヒイラギさんが最初に打った手によって、今回の世界はすでに勝利が確定しているようなものだ。そこにわざわざぼくが水を差して、現状をグチャグチャにするリスクを冒すわけには……。
「お願いします……。私は、私の正体を知りたいんです」
けれど、クイルは縋るような眼差しでぼくを頼み込んできた。
それほどまでに、彼女はこの二年、自分という不透明な存在に苦悩してきたのだろう。
なら、教えるべきなのかもしれない。
「……わかった。言うよ」
観念して、ぼくは頷いた。
ちなみに、彼女に対して「ぼくとリリィルが肉体を共有している別の存在」というのは、昨日の事件の最中に、必死になって説明していた。
あのクソ女神め。余計な説明をさせやがって。
「——」
ぼくは、コホンと息をして——
「まず最初に、ぼく達から君の記憶が消えた——あれが最初の間違いだった」
そう、最初の前提からしてミスだった。
リリィルが言った「自らの祝福で世界から記憶を消した」という仮説は間違い。
クイルが微かに震えた声で、突拍子もないことを口にした。
「じゃあ……私って、やっぱり人間じゃないんですか?」
「へ? 人間じゃない?」
「こ、この二年の間に、私ってなんなんだろうってずっと考えてて……そしたらウルドちゃんが『お前はきっと人間じゃないよ、管理局で造られた対魔王用の秘密兵器なんだ!』って……!」
全然違う。
誰だよウルド。そんな無駄に億劫になるようなデタラメを吹き込んだ奴。
ぼくが視線を横に逸らすと、そこにはヘラヘラと笑っている女冒険者の姿があった。
お前かウルド。
「そこは安心していい。いや、安心するのはまだ早いけど、君は少なくとも人間だ」
「そ、そうなんですか……?」
「うん、そこは確定でいいよ」
彼女は間違いなく、ぼくたちと同じただの人間だ。
「そもそもね、ぼくが君の事を知らないのは、誰かに記憶を消されたからじゃなくて、ごく普通の当たり前のことだったんだよ。ぼくは元の世界で、君と出会ったこともなければ、二度も出会うべき場所でも出会えなかった。……まあ厳密に言えば、二度目は裏でそういう手回しがされていたんだろうね」
「やっぱり人間じゃなかったんですか!?」
「違うって!」
はぁ、とため息を一つ。
「それで……」
そこまで言って、喉から先、声が出なくなった。
これ以上先の答えは、この二年間でせっかく前を向けるようになった今の彼女を、再び壊してしまう可能性のある言葉だ。
だが、彼女が真実を知りたいというのなら、教えるしかないのだろう。
それが、どんな結末になっても。
「君は………………君は——」
ぼくは意を決して、言葉を綴った。
「——不登校児だったんだよ」
ぼくが君を知らないのは当然だった。
だって、学校に来ていないんだから。クラスの名簿に名前だけがあって、教室には一度も姿を現さなかった人物を、ぼくがどうして覚えられようか。
クイルは不思議そうな顔をしていた。
それもそうだ、記憶を失っている彼女には「ふとうこう」は響かないのだろう。
だからぼくは、彼女にその言葉の意味を端的に説明した。
すると、彼女の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。
「わたし、が?」
「ああ。ぼくは一度、別の異世界に行ってきてね。そこで活動中だったクラスメイトの一人に接触して聞いてきたんだ。そしたら、やっぱりそうだった。……そして、その話を聞いて、ぼく自身もようやく思い出したことがあったんだよ」
ぼくの脳裏に蘇った、数少ない証拠。
「……ぼくも一学期の序盤も序盤に、噂で聞いたことがあったんだ。中学の時も、高校に上がってからも、ずっと一人で、誰とも喋らずに弁当を食っている人間がいるってね。それが、いつの間にか学校に来なくなったんだと」
おそらく、それこそが「柊」という少女の正体だったのだろう。
「君が初めて会ったとき、あれほど仲間や友人という言葉に恐怖し、萎縮していたのは、それが原因なんじゃないかな」
「じゃあ……私は最初から一人で……」
「あぁ」
「でも、だったらなんで……私の記憶は無いんですか……?」
すがるようなクイルの声が虚しく響く。
「……それも、一応は大体把握してる。管理局で調べたら、君の祝福が何だったのかがようやくわかったんだ。『精神操作』――君はその力を使って、自分自身の記憶を能動的に抹消したんだよ。たぶん……ね」
「なんで……そんなこと」
「その祝福のせいで、ぼくは一時期リリィルの推理に引きずられて勘違いしていたよ。君の精神操作が管理局にまで影響を及ぼして、記憶が消えたんだってね」
まあ、蓋を開けてみれば、その正体は不登校。
そもそも出会ったことが無いというのがオチだった。
――そして、最大の問題。
彼女はなぜ、自らの祝福を使ってまで、自分の記憶をすべて消し去ったのか?
当初、ぼくはそこだけがどうしても引っかかっていた。
だが、クラスメイトの一人にこの件を相談したとき、そいつは酷く納得したようにこう言った。
『嫌だったんじゃないかな。何もかもうまくいかなかった、それまでの自分が』
拒絶に怯え、孤独に震え、学校にも行けなくなっていた「柊」という自分を、彼女は異世界に来てまで引きずりたくなかったのだろう。
まっさらな別人になって、一からやり直したかった。ただ、それだけのこと。
「……記憶の復元は管理局でできるらしい。それをするかは君の自由だけどね」
悲しい選択だったかもしれないけれど、記憶を消して『クイル』になったおかげで、今の彼女には仲間がいる。過去の彼女が犯した現実逃避は――それはやはり、一つの正解だったのだろう。
これが、今回の結末で、救いの無い結果だった。
だって、当然だろ?
この世界は夢だ。夢が終わったら、覚めなきゃいけない。
現実の彼女には友人はいないし、それでいて高位魔術を扱える才能だってない。待っているのは、非情な現実だけだ。
これじゃあ何も解決にもなっていない。
これでは、クイルが異世界救助をボイコットするのも時間の問題だろう。
と、そこまで考え、思いもよらない言葉が飛んできた。
「記憶を戻します」
「なに?」
「この世界を救ったら……私は、記憶を戻します」
「――」
その言葉に、ぼくの中で困惑が荒れ狂う。
「な? え? 戻す? 記憶を?」
「はい、戻します。この二年間、すごく楽しかったんです。きっと元の私――柊さんも、喜ぶと思います。だって、あんなに怖がっていたのに、友達ができたから。たぶん、もう記憶を消そうなんて考えないと思います」
――彼女はゆっくりと立ち上がる。
ぼくをその凛とした双眸で見据えて、穏やかに微笑んでみせた。
「私……この世界で、少しだけ変われたと思うんです。記憶を取り戻して現実に戻ったとき、また元通りになっちゃうのかもしれませんし、もしかしたら、そこにいるのは、今の私でも、昔のヒイラギさんでもないかもしれません」
ですが、と彼女は涙の乾いた顔で、迷いのない笑みを浮かべる。
「私は、もう後ろを向くのが怖いから……だから、前を向きます」
「——」
「いい夢を、見させてもらえましたから……。リリィルちゃんありがとう」
――それが、今回の結末で。
あるいは、元の世界に待つ未来への、彼女なりの宣戦布告だった。
◆
彼女は向かった。
未来が待つ魔王城へ、いつか別れる仲間と共に。
『夢が、覚めてしまいますね』
「だね。でも、これでよかったんだよ」
遠ざかっていく彼女たちの背中を、ぼくはリリィルの視界を借りて見つめ続ける。
「……彼女は、変れると思うかい? リリィル」
『変われるはずです』
そう、なんだろうね。変われるんだろうね。
当初、彼女は記憶を消してクイルになっても、なお友人に対しては酷い恐怖心を覚えていた。根底にある記憶は簡単に崩れないという証拠は、すでに出ているんだ。
「だけど……それは可能性の話」
あくまで彼女はクイルだ。ヒイラギさんではない。ヒイラギさんとクイルが合わさった後、どうなるかは全くの不明。
だけど、期待するしかないんだろう。
「そうだ、後は全部彼女次第だ。だから、期待しよう」
この世界で得たものは、現実に戻っても決して失わないはずだ。
仲間も、乗り越えてきた数々の困難も、そのすべてを経験した彼女なら、信じる価値はある。
たとえ現実という名の目覚めが待っていたとしても。
「夢は終わらないから」
◆
管理局の一室で。
「リリィル――君に質問だ」
『なんでしょう?』
ぼくは脳内へ問いかける。
「なんで君は、ヒイラギさんの事情を隠していたんだい? ぼくに彼女の記憶が無いのでは当然として、君に記憶が無いのはおかいしだろう」
今回の一件、最初からリリィルに誘導されていた場面が多すぎる。
まるで、こうなることをすべて予見していたようで——
『ふふふっ……あははっ——』
「リリィル……?」
いつもと違う、底の知れない不気味な笑い声。
悪寒が走る。今までのリリィルとは別の存在のようにさえ感じる。
ぼくが身構えたその瞬間、彼女は笑いが堪えきれないといった様子で言葉を綴った。
『同志! いきなりシリアスな雰囲気で来るからビックリしちゃったじゃないですかぁ!?』
「えぇ!?」
『私がヒイラギさんの事実を隠していたのは、クラス転生のあの日、当のヒイラギさん本人から「私のことはクラスの誰にも内緒にしてください」って泣きつかれながら頼まれたからですよ! そこに大層な他意なんてありません!』
お、お前さぁ……。
雰囲気を間違えるなよ、雰囲気をさぁぁ!!
てっきり何か巨大な陰謀の一端にでも触れてしまったのかと思って、ぼくも心底ビックリしちゃったじゃないか。
『ご、ごめんなさい。ですが、本当に悪意は無かったんです。あの日、ヒイラギさんだけが一人でおどおどとしていて……つい同情して秘密を隠す隠蔽工作に協力してあげちゃったんです』
「……まあ、いいけどさ」
なるほど。そういうことだったわけだ。
確かに、いきなりクラスごと異世界転生に巻き込まれて、しかも自分だけが不登校児となれば、その精神的プレッシャーは計り知れない。
恥ずかしさや恐怖から、神に「クラスメイトには存在を伏せてほしい」と助けを求めるのも合点が行く。
大体は理解した。
なるほどね。
……だけど、さ。
ねぇ、リリィル。
「君、やっぱりまだ嘘を吐いてるね?」
『またですか同志? 私は何も――』
ぼくは一拍を置いて、鏡に映る自分を見据えた。
二日間の徹夜で集めた膨大な情報。
それらのピースを繋ぎ合わせたとき、絶対に見過ごせない矛盾が、一つだけ浮かび上がってしまったんだ。
「ぼくたちは校外学習のバスの事故で、クラスごと全員死んだ――君は最初にそう言ったはずだ」
『――』
「じゃあ、なんで『学校に行っていない不登校の彼女』が、そのバスに乗っているんだろうね?」
沈黙。
ようやく掴んだ彼女の尻尾を前に、ぼくの心は少しだけ、浮ついていた。