蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第11章 冬、揺れる思い 前編

 

 

翌朝。

 

いつもの月曜日。

 

俺は、午前五時半に目を覚ました。

 

昨日、あれだけ飲んだわりには、目覚めはすこぶるよかった。

 

「……よし」

 

俺は身支度を整え、朝練へ向かう。

 

外に出ると、空はまだ薄暗い。

 

冬が、もうそこまで来ている。

 

それでも――

 

なぜか、気持ちは清々しかった。

 

昨日、竜司とちゃんと話した。

 

ずっと心の中に引っかかっていたものを、ようやく言葉にできた。

 

それだけで、胸の奥が少し軽くなっていた。

 

 

 

グラウンドでは、朝練が始まっていた。

 

球児たちは、いつものように軽めのジョギングをしている。

 

 

 

朝の冷たい空気の中、白い息がふわりと浮かんでは消えていく。

 

そんな中、青が俺の横に並んできた。

 

「佐々木先生、今朝は調子良さそうですね」

 

「そうか?」

 

「はい。なんか、いつもよりスッキリしてます」

 

青は、俺の顔を覗き込むようにして笑った。

 

「昨日、何かいいことありました?」

 

「……まあな」

 

俺は少しだけ笑った。

 

「心配かけたな」

 

「いえ」

 

「昨日、アイツとさ」

 

俺は、グラウンドの先を見ながら続ける。

 

「ちゃんと向き合えたっていうか……」

 

少しだけ言葉を探す。

 

「今まで言えなかった想いを、やっと言えたっていうか」

 

青は、何も言わずに聞いている。

 

「俺さ」

 

少し息を吐く。

 

「今まで、アイツとのことは吹っ切れてるって、口では言ってたけど」

 

俺は、朝焼けが少しずつ明るくなっていく空を見る。

 

「これで、やっと……本当に吹っ切れたんだと思う」

 

青は、しばらく黙っていた。

 

そして、小さく頷く。

 

「……そうですか」

 

少しだけ笑って、

 

「よかったです」

 

そのときだった。

 

「こほん」

 

背後から、監督の咳払いが聞こえた。

 

「お前たち、仲がいいのはいいけど、指導もちゃんとな」

 

「あっ……すみません!」

 

「はい! すみません!」

 

俺と青は、慌てて頭を下げる。

 

青は、そのまま朝焼けのグラウンドへ駆け出していった。

 

そして、少し離れたところで振り返る。

 

「佐々木先生!」

 

「ん?」

 

青は、笑いながら声を張った。

 

「たまには、俺も飲みに連れてってください!」

 

「……え?」

 

思わぬ一言に、俺は少し驚いた。

 

青は、何でもないことのように笑っている。

 

「……ああ」

 

俺も笑った。

 

「近いうちに行こうぜ」

 

「はい!」

 

青は嬉しそうに返事をすると、朝焼けのグラウンドへ駆けていった。

 

俺も、その背中を追うように走り出す。

 

薄暗かった空が、少しずつ明るくなっていく。

 

冷たい冬の朝。

 

それでも――

 

俺の心は、驚くほど軽かった。

 

 

 

* * *

 

昼休み。

 

俺は、蒼司のいる美術準備室へ向かった。

 

「蒼司、お疲れ」

 

「お疲れ、カイト」

 

いつものように、蒼司が顔を上げる。

 

その顔を見た瞬間、なんだか久しぶりに蒼司に会えたような気がした。

 

「カイト、何かいいことあった?」

 

「え?」

 

思わず、蒼司を見る。

 

「……やっぱり、わかるか?」

 

「うん」

 

蒼司は、少し笑った。

 

「カイト、昔からわかりやすいよ」

 

「ああ……」

 

俺も、思わず笑う。

 

「昨日、竜司と会ってさ」

 

俺は、昨日のことを話し始めた。

 

昨日の練習に竜司が見学に来ていたこと。

 

そのあと、二人で食事に行ったこと。

 

そして――

 

「竜司に、蒼司と付き合ってること、話してきた」

 

「……そっか」

 

蒼司が、静かに俺を見る。

 

「ちゃんと言えたよ」

 

そう言うと、蒼司は小さく笑った。

 

「うん。ありがとう、カイト」

 

「竜司に言いたいことも、ちゃんと言えたしな」

 

俺がそう続けると、

 

「そっか」

 

蒼司は、少しだけ目を伏せた。

 

「兄貴と、ちゃんと話せたんだね」

 

「ああ」

 

「よかったね」

 

蒼司は、いつものように穏やかに笑っていた。

 

けれど――

 

ほんの一瞬だけ。

 

その表情が、曇ったような気がした。

 

「……あれ?」

 

俺は、蒼司を見る。

 

もっと喜んでくれると思っていた。

 

俺たちが付き合っていることを、竜司にちゃんと伝えられた。

 

そのことを話したんだから。

 

てっきり、もっと嬉しそうにしてくれると思っていた。

 

「……なんだろう」

 

ほんの小さな違和感。

 

でも、それが何なのかは分からなかった。

 

俺は、そのまま胸の奥にしまった。

 

 

 

「蒼司、今日午後の予定は?」

 

「うん。今日はもう授業ないから、片付けて帰るよ」

 

蒼司は、机の上に置いていた荷物を整理しながら答える。

 

「帰って、絵を描きたいからね」

 

「絵?」

 

「来週、個展あるから」

 

「え、すごいじゃん」

 

思わず声が弾む。

 

「どこで?」

 

「北参道のカフェの一角を借りてね」

 

蒼司は、少し照れたように笑った。

 

「前回の個展よりは、かなり規模は小さいよ」

 

「それでも、すごいじゃん」

 

俺は嬉しくなって言った。

 

「じゃあ、俺、行くよ」

 

「えっ?」

 

蒼司が顔を上げる。

 

「大丈夫なの?」

 

「ああ」

 

俺は笑った。

 

「期末試験だから、野球部の練習ないんだ」

 

「だから、行くよ」

 

「……ありがとう」

 

蒼司が、嬉しそうに笑った。

 

「嬉しいよ」

 

その笑顔を見て、さっき感じた違和感が、少しだけ薄れた気がした。

 

「あっ」

 

ふと思い出して、俺は言う。

 

「松ちゃん、連れてってもいい?」

 

「うん。いいよ」

 

蒼司は、いつもの穏やかな表情で頷いた。

 

 

 

少し間があってから、

 

 

 

「個展終わったらさ……」

 

蒼司が、ぽつりと言った。

 

「カイトのところ、泊まりに行っていい?」

 

「……え?」

 

思わず、蒼司を見る。

 

「もちろん」

 

俺は、すぐに答えた。

 

蒼司から「泊まりに行きたい」と言ってきたのは、初めてだった。

 

そのことが、なんだか嬉しかった。

 

「そっか……」

 

俺は、少し笑う。

 

「じゃあ、今度いつ泊まりに来る?」

 

「そうだね」

 

蒼司は少し考えてから、

 

「じゃあ、火曜日。泊まっていい?」

 

「もちろん」

 

俺は笑って答えた。

 

その瞬間、

 

さっきの蒼司の表情が曇ったことが、また頭をよぎった。

 

――気のせいかな。

 

俺は、そう思った。

 

蒼司は、一人の時間も必要なタイプだ。

 

恋人同士になっても、それは変わらない。

 

だからこそ――

 

こんなふうに、自分から泊まりに来たいと言ってくれたことが、少し嬉しかった。

 

「……俺、考えすぎか」

 

そう思って、俺は小さく笑った。

 

けれど。

 

胸の奥に残った、ほんのわずかな違和感だけは、なぜか消えなかった。

 

 

 

* * *

 

十二月。貴重な休日。

 

俺は松本を連れて、蒼司の個展に出かけていた。

 

今回の会場は、北参道にある小さなカフェ。

通りから一歩入った、落ち着いた雰囲気の店だ。

 

店内に入ると、

コーヒーの香りがふわりと鼻をくすぐる。

 

その一角に、

ささやかなギャラリースペースが設けられていた。

 

白い壁。

控えめな照明。

 

そこに、蒼司の絵が静かに並んでいる。

 

派手さはない。

けれど、目を離せなくなる青。

 

海の色。

空の色。

言葉にできない感情を、

そのまま閉じ込めたような色彩。

 

俺は、無意識のうちに足を止めていた。

 

「……やっぱ、すげぇな」

 

小さく漏らした俺の声に、

隣で松本が頷く。

 

「へぇ、俺絵のことはよくわからないけど、なんか引き込まれるな……」

 

そう言われて、胸の奥が少しだけ、くすぐったくなる。

 

――俺の知らない時間。

――それでも、確かに繋がっている時間。

 

この絵たちは、

 

そんなことを静かに語っているように見えた。

 

松本が、ぽつりと言った。

 

「すげえな……蒼司君の絵。結構、人も集まってるし」

 

俺は、返事の代わりに、そっとスマホの画面を見せる。

 

「これ。蒼司のインスタ。

 

フォロワー、もう五万人超えてる」

 

「五万?」

 

松本が目を丸くする。

 

「すげえな……。

 

いつの間に、そんな人気になってたんだ?」

 

「さあな。気づいたら、って感じだ」

 

そう答えながら、

 

胸の奥で、少しだけ誇らしさが膨らむ。

 

松本は、スマホの画面を見たまま、驚いたような顔をしていた。

 

「インスタのフォロワー、五万人って……」

 

改めて画面を見直す。

 

「もう趣味の範疇じゃなくね?」

 

「……だよな」

 

「もうほとんど、プロの画家じゃん」

 

「ああ」

 

俺も、少し笑いながら答えた。

 

「俺もビックリしてる」

 

蒼司の周りには、いつの間にか人が集まっていた。

 

絵について質問する人。

 

蒼司の話を聞く人。

 

そして――

 

前回の個展のときにも来ていた、見覚えのある女性が何人かいる。

 

きっと、蒼司の絵を気に入ってくれている常連のファンなんだろう。

 

松本が、声をひそめる。

 

「なんかさ……若い女性のファン、多いよな」

 

「……そうだな」

 

「蒼司くん、背も高いし、顔もいいし」

 

松本は、蒼司の方をちらりと見る。

 

「それに、なんかミステリアスな感じするもんな」

 

「……」

 

俺は、何も答えなかった。

 

女性たちに囲まれている蒼司を、ただ見つめていた。

 

その瞬間――

 

ふと、竜司のことを思い出した。

 

高校を卒業して、プロの世界へ入った竜司。

 

遠くへ行ってしまったように感じた、あの頃。

 

テレビの中で活躍する竜司。

 

周りには、俺の知らない人たちがたくさんいて。

 

少しずつ、少しずつ――

 

俺の手の届かない存在になっていった。

 

胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 

「……」

 

蒼司も、これからそうなるんだろうか。

 

今はまだ、俺の隣にいる。

 

一緒に飯を食って。

 

同じ時間を過ごして。

 

泊まりに来てくれる。

 

でも――

 

蒼司の世界は、少しずつ広がっている。

 

絵を見に来てくれる人が増えて。

 

フォロワーも増えて。

 

蒼司を知る人が、どんどん増えていく。

 

俺の知らない世界へ――

 

蒼司も、少しずつ進んでいくのかもしれない。

 

「……おい、海斗」

 

松本の声が聞こえた。

 

「海斗、聞いてるか?」

 

「……え?」

 

俺は、我に返った。

 

松本が、心配そうに俺を見ている。

 

「海斗、大丈夫か?」

 

「……」

 

「顔色、悪いぞ」

 

「そうか?」

 

自分の頬に手を当てる。

 

少し、冷たかった。

 

「……ちょっと休もう」

 

松本が頷く。

 

「……そうする」

 

俺はもう一度、蒼司を見る。

 

蒼司は、女性たちに囲まれながら、穏やかに話をしていた。

 

その横顔は、いつもと変わらない。

 

なのに――

 

なぜか、少しだけ遠くに見えた。

 

 

 

俺と松本は、カフェの一角にある席に腰を下ろした。

 

運ばれてきたコーヒーを一口飲む。

 

温かさが、冷えていた体にゆっくり染み込んでいく。

 

「海斗、大丈夫か?」

 

松本が、心配そうに声をかけてくる。

 

「落ち着いたか?」

 

「ああ。大丈夫だよ」

 

俺は笑って答えた。

 

「ちょっと疲れただけだよ」

 

「そうか?」

 

松本は、まだ心配そうな顔をしている。

 

「お前、またなんか無理してないか?」

 

「……」

 

「昔から溜め込みやすいんだからな」

 

その言葉に、俺は少し笑った。

 

松本は、本当に俺のことをよく分かっている。

 

こうやって何も聞かずに、気づいてくれる。

 

そんな親友がいてくれることが、素直に嬉しかった。

 

そのとき――

 

「カイト」

 

聞き慣れた声がした。

 

顔を上げると、蒼司が立っていた。

 

「ここにいたんだ」

 

「ああ」

 

蒼司は、少し笑った。

 

「来てくれてありがとう」

 

「蒼司、今回もすごい人気だな。おめでとう」

 

俺も笑って答える。

 

「こんな小さい個展なのに、本当にありがたいよ」

 

蒼司は、少し照れたように笑った。

 

「あっ」

 

そして、松本に気づく。

 

「松本さん、お久しぶりです」

 

「蒼司くん、久しぶり。元気そうだな」

 

「はい」

 

蒼司は、嬉しそうに頷いた。

 

「松本さんも、今日は来てくれてありがとうございます」

 

「ああ。蒼司くんの絵、すごいいいよ」

 

松本が笑う。

 

「海斗が好きになるの、分かるよ」

 

「……松ちゃん」

 

俺が少し照れながら言うと、松本は笑った。

 

「じゃあ、俺ちょっとトイレ行ってくるわ」

 

そう言いながら立ち上がる。

 

その瞬間、松本が俺にだけ分かるように、ほんの一瞬目配せをした。

 

――気を遣ってくれたんだろう。

 

松ちゃんらしい。

 

松本がその場を離れる。

 

蒼司と二人きりになった。

 

「蒼司、お客さんの相手、大丈夫か?」

 

「うん。大丈夫だよ」

 

蒼司は、俺を見る。

 

「せっかくカイトが来てくれたんだし」

 

「そうか」

 

「カイト、疲れてる?」

 

「大丈夫だよ」

 

そう答えながら、俺は周囲を見た。

 

蒼司の後ろの方には、まだ何人もの女性がいる。

 

そして――

 

ふと、こちらに向けられる視線が気になった。

 

どんな関係なんだろう。

 

あの人、前にも見た気がする。

 

友だち?それともファンなのかな。

 

そんな声が聞こえてくるような気がした。

 

別に、何か言われたわけじゃない。

 

それなのに、妙に落ち着かなかった。

 

俺は、咄嗟に口を開いた。

 

「蒼司さ」

 

「ん?」

 

「俺、少し休んだら先に帰るわ」

 

「……え?」

 

蒼司の顔が、少し曇った。

 

「そうなの?」

 

「ああ」

 

俺は、蒼司の顔をまともに見られなかった。

 

「ごめんな」

 

「試験終わったら冬合宿あるからさ、その準備もしないといけないし……」

 

「そうなんだ」

 

蒼司は、静かに答えた。

 

その声には、ほんの少しだけ寂しさが混じっていた。

 

俺は、その顔を直視できなかった。

 

「あと、ごめんな」

 

もう一度、言う。

 

「冬合宿、一週間あるから……クリスマスも無理なんだ」

 

「大丈夫だよ」

 

蒼司は、そう答えた。

 

 

少しだけ間を置いてから、

 

「その代わり、正月はゆっくりできるよね」

 

「ああ」

 

俺は頷いた。

 

「そうだな」

 

その瞬間――

 

「青柳さん、すみません。ちょっといいですか?」

 

カフェのスタッフが、蒼司に声をかけた。

 

「あっ、ごめん、カイト」

 

蒼司が振り返る。

 

「呼ばれた」

 

「ああ」

 

俺は笑ってみせた。

 

「うん。頑張れよ」

 

「ありがとう」

 

蒼司は小さく頷き、スタッフのもとへ向かっていった。

 

俺は、その背中を見送った。

 

さっきまでなら、蒼司の姿を見ているだけで嬉しかったはずなのに。

 

今は、なぜか少しだけ遠く感じる。

 

――なんでだ?

 

自分でも、よく分からなかった。

 

俺は残ったコーヒーを一口飲んだ。

 

もう、すっかり冷めていた。

 

 

 

俺は松本と一緒に、カフェを後にした。

 

北参道の街には、冬の風が吹いていた。

 

さっきまで暖かな店内にいたせいか、外の空気が余計に冷たく感じる。

 

俺はコートの襟を少しだけ立てた。

 

しばらく歩いたところで、松本が口を開いた。

 

「海斗」

 

「ん?」

 

「……もう帰ってよかったのか?」

 

「え?」

 

「個展、まだ終わってないだろ」

 

「ああ」

 

俺は、少し考えてから答えた。

 

「蒼司の邪魔しちゃ悪いからな」

 

「……そうか」

 

松本は、それ以上何も言わなかった。

 

ただ、少し曇った表情で俺を見ている。

 

「なんだよ?」

 

「いや……」

 

松本は、少し迷うようにしてから言った。

 

「海斗さ」

 

「ん?」

 

「今のお前の表情……俺、見覚えあるぞ」

 

「……え?」

 

松本は、まっすぐ俺を見る。

 

「竜司と付き合ってた頃のお前に、ちょっと似てる」

 

その言葉に、俺は足を止めかけた。

 

「……そうかな?」

 

「うん」

 

「でも、あの時とは状況が違うよ」

 

俺は、苦笑する。

 

「蒼司とはうまくいってるし」

 

松本は何も言わなかった。

 

ただ、俺の横を歩き続けている。

 

その沈黙が少し気になった。

 

「……そういえばさ」

 

俺は話題を変えるように言った。

 

「この前竜司と会ったよ……」

 

「ちゃんと、蒼司と付き合ってるって言ったよ」

 

「そうか」

 

松本が頷く。

 

「それで、竜司は?」

 

「ちょっと驚いてたけど」

 

俺は、少し笑った。

 

「蒼司のこと、よろしくなって」

 

「……そうか」

 

「……まあ、驚いただろうな」

 

俺は歩きながら続けた。

 

「竜司、かなり不安定でさ」

 

「それに、俺も酔ってたのもあって……

 

つい、言っちゃったんだよ」

 

「何を?」

 

「……あの時、もっと会いたかったとか」

 

一瞬、言葉を探す。

 

「寂しかったとか……」

 

「……でも、言えなかったって」

 

松本は黙って聞いていた。

 

「……そっか」

 

少ししてから、松本が聞く。

 

「それで、スッキリしたか?」

 

「ああ」

 

俺は頷いた。

 

「まあな」

 

そして、少しだけ笑う。

 

「後悔はしてないよ」

 

「……そうか」

 

 

 

また、少し沈黙が流れる。

 

「で、竜司とは連絡とってんのか?」

 

「ああ」

 

俺は何気なく答えた。

 

「LINEも電話もちょくちょくあるよ」

 

「……そっか」

 

松本は、それだけ言った。

 

「心に溜め込んでたのが、吐き出せたんだな……」

 

「ああ」

 

俺も頷く。

 

「うん。そうだな。もう、それ以上のことはないけどな」

 

そう言って、俺は前を向いた。

 

松本は、何も言わなかった。

 

しばらく、二人の間に沈黙が続く。

 

やがて松本が、ぽつりと言った。

 

「……お前さ」

 

「ん?」

 

「蒼司くんを大事にしろよ」

 

「え?」

 

俺は、思わず松本を見る。

 

「当たり前じゃん」

 

「……そうだよな」

 

松本は、少しだけ笑った。

 

「俺は、蒼司のこと好きだからさ」

 

その言葉に、俺は自分でも少し照れながら笑った。

 

「だから、大丈夫だよ」

 

「……そうだな」

 

松本は、それ以上何も言わなかった。

 

俺も、深く考えなかった。

 

蒼司のことが好きだ。

 

それだけは、間違いない。

 

だから――

 

きっと、大丈夫だ。

 

そう思っていた。

 

北参道の街を、冷たい風が吹き抜けていく。

 

木々の葉が、かすかに揺れる。

 

冬が、静かに近づいていた。

 

俺はコートのポケットに手を入れ、松本と並んで歩き続けた。

 

その背中を、松本は黙って見つめていた。

 

何か言いたそうに。

 

けれど、結局、何も言わなかった。

 

――俺は、まだ気づいていなかった。

 

自分の中に生まれた、ほんの小さな違和感に。

 

そしてその違和感が、

 

これから二人の間に、静かに広がっていくことにも。

 

冬の風だけが、

 

二人の間を冷たく吹き抜けていった。

 

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