蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第12章 冬、揺れる思い 後編

 

大晦日。

 

――冬合宿が終わり、

 

俺は久しぶりに実家へ帰ってきていた。

 

実家に着いてからというもの、

 

俺は文字どおり、ひたすらゴロゴロしていた。

 

「……今年も、冬合宿きつかったな……」

 

体が、まったく動かない。

 

布団に潜り込んだまま、天井を見つめていると――

 

「寝てるの?」

 

コンコン、とノックの音。

 

続けて、母親の声がした。

 

「海斗、いつまで寝てんの?」

 

俺は、渋々体を起こす。

 

「……んだよ……」

 

「私たち、これから温泉旅行行くからね」

 

「は?」

 

思わず、ドアを開ける。

 

「え?」

 

「だから」

 

母は当たり前のように言った。

 

「あんた、一人だから」

 

「え、そうなの?」

 

「そうよ」

 

靴を履きながら、さらっと続ける。

 

「だから、留守番よろしくね」

 

「はぁ?」

 

玄関に向かいながら、振り返って一言。

 

「先帰るんなら、ちゃんと戸締まりよろしくね」

 

それだけ言って、母と父はさっさと行ってしまった。

 

残された俺は、呆然と、開けっぱなしのドアの前に立ち尽くす。

 

「……マジかよ」

 

年の瀬。

 

静まり返った実家。

 

合宿明けの体と、

 

ぽっかり空いた時間だけが、そこにあった。

 

俺は部屋に戻り、さっきまで寝ていたベッドに、もう一度体を投げ出した。

 

「……しまった」

 

腹が、静かに鳴る。

 

「どうしよう……飯」

 

天井を見つめたまま、動く気になれない。

 

そのとき――

 

ピンポーン。

 

「……誰だよ」

 

重たい体を引きずるようにして、玄関へ向かう。

 

ドアを開けると――

 

そこに、蒼司が立っていた。

 

「蒼司。どうした?」

 

「どうしたって……」

 

蒼司は少し困ったように笑う。

 

「LINE、既読にならないから」

 

「ああ……わりぃ。寝てた」

 

「そっか」

 

それから、少し間を置いて。

 

「よかったら、うち来ない?」

 

「……え?」

 

「一人なんでしょ」

 

当たり前みたいに言う。

 

「親も、おいでよって言ってるし」

 

「……いいのか?」

 

「うん。どうせ、食べるもんないでしょ」

 

「……助かる」

 

その一言で、全部だった。

 

俺は蒼司と並んで、

 

——蒼司と竜司の実家へ向かう。

 

「お邪魔します」

 

「海斗くん、久しぶりね」

 

玄関まで出迎えてくれたのは、蒼司の母だった。

 

少し老けたようにも見える。

 

けれど、昔と変わらない優しい雰囲気は、そのままだった。

 

「どうぞ、上がって」

 

「お邪魔します」

 

靴を脱ぎ、家の中へ入る。

 

久しぶりのリビング。

 

子どもの頃は、よくここで遊んでいた。

 

少し古くなってはいるけれど、家具の配置も、部屋の雰囲気も、ほとんど変わっていない。

 

懐かしさに、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

そして――

 

そこには、ひときわ大柄な男がいた。

 

「よぉ」

 

「……ああ、竜司もいたんだな」

 

「なんだよ」

 

竜司は、少し笑いながら言う。

 

「俺の実家だろ。いて悪いかよ」

 

「いや……」

 

思わず苦笑する。

 

「そういう意味じゃねぇよ」

 

そのとき、ふと竜司の横に目をやる。

 

そこには、十四歳くらいの少年が立っていた。

 

背が高い。

 

そして、どこか竜司に似ている。

 

竜司が、その少年の肩に軽く手を置く。

 

「これ、俺の息子」

 

そう言って、少し誇らしそうに笑った。

 

「流星っていうんだ」

 

「ほら、挨拶して」

 

少年は俺のほうを見る。

 

「……はじめまして。流星です」

 

少し緊張したように、頭を下げる。

 

「中ニです」

 

「えっ……ああ」

 

俺も慌てて頭を下げる。

 

「佐々木海斗です。よろしく」

 

流星は、俺の顔をまじまじと見ている気がした。

 

……なんだ?

 

俺の顔に何かついてるのか?

 

「中ニか」

 

俺は改めて流星を見る。

 

「やっぱり竜司の子だな。背高いし……なんか、昔の竜司を見てるみたいだよ」

 

流星は、もう一度軽くお辞儀をすると、

 

「……じゃあ」

 

それだけ言って、リビングの奥へ入っていった。

 

その背中を見送りながら、

 

「やっぱり竜司によく似てるな」

 

「だろ?」

 

竜司が笑う。

 

「ああ。成長期でな」

 

少し照れたように頭をかく。

 

「久しぶりに会って、俺もビックリしたよ」

 

「……そうか」

 

俺は流星が消えていった方向を、もう一度見る。

 

竜司の息子。

 

当たり前のことなのに、なんだか不思議な感じがした。

 

俺が竜司と付き合っていた頃には、まだいなかった存在。

 

それが今、こうして目の前にいる。

 

俺は少し迷ってから、おそるおそる竜司に聞いた。

 

「なぁ……」

 

「ん?」

 

「もしかして、奥さんも今日……」

 

「ああ」

 

竜司は、あっさり答える。

 

「嫁は来てない」

 

「……そうなのか?」

 

「あいつ、俺の実家にはあまり来たがらないんだ」

 

少しだけ苦笑して続ける。

 

「両親と不仲ってわけじゃないんだけどな」

 

「……そっか」

 

俺は、できるだけ平静を装って答えた。

 

けれど――

 

胸の奥では、少しだけほっとしていた。

 

その瞬間。

 

「安心したか?」

 

竜司が、ニヤリと笑う。

 

「はっ……」

 

俺は思わず言葉に詰まる。

 

「別に、そんなことないし」

 

「ははっ」

 

竜司が笑う。

 

「冗談だよ」

 

そう言って、俺の肩を軽く叩く。

 

「まあ、今日はゆっくりしていけよ」

 

「ああ……」

 

俺は苦笑しながら、もう一度リビングを見渡した。

 

懐かしい家。

 

昔と変わらない場所。

 

けれど――

 

そこにいる人たちは、あの頃とは少しずつ変わっている。

 

そのことが、なんだか不思議だった。

 

 

 

キッチンに入ると、

 

そこには大量の大皿料理が並んでいた。

 

「……すごい量だな」

 

思わず声が出る。

 

「海斗くん、いらっしゃい」

 

声のほうを見ると、蒼司の父もキッチンに立っていた。

 

「あっ、お父さん。お久しぶりです」

 

俺は頭を下げる。

 

「今日は、すみません。お邪魔しちゃって」

 

「いいって、いいって」

 

蒼司の父は、笑いながら手を振った。

 

「海斗くんは子どもの頃から、竜司の兄弟みたいなもんだったし」

 

「それに、今年は甲子園出場おめでとう」

 

「コーチ、頑張ってるみたいだね」

 

「あ……ありがとうございます」

 

そう言われると、少し照れくさい。

 

そのとき、母親がさらに料理を運んできた。

 

「今日は男の子が四人もいるからね」

 

楽しそうに笑う。

 

「張り切って作っちゃった」

 

「いっぱい食べてね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

やがて、6人で食卓を囲んだ。

 

料理は本当に大量だった。

 

話題は自然と、流星の学校のこと。

 

竜司のプロ野球時代の話。

 

そして、俺の野球部でのコーチとしての話。

 

そんな話をしながら、食卓には穏やかな時間が流れていた。

 

俺と竜司、そして流星は、次々と料理に箸を伸ばしていく。

 

一方で、蒼司はいつものように控えめで、静かに食べていた。

 

しばらくして――

 

流星が、何か思い切ったような表情で口を開いた。

 

「……俺、親父の高校のときの試合、見たい」

 

「高校の試合?」

 

母親が顔を上げる。

 

「そうね。いっぱいあるわよ」

 

すると竜司が、すぐに口を挟んだ。

 

「じゃあ、高三の県大会決勝のやつ見ようぜ」

 

そして、俺を見る。

 

「エースカイトが、完封したやつな」

 

「えっ……」

 

思わず箸が止まる。

 

「あの試合か……」

 

なんとなく恥ずかしくなって、視線を逸らす。

 

「……なんか、恥ずいな」

 

「いいじゃん」

 

竜司は楽しそうに笑った。

 

「俺のホームランもあるし」

 

「お前、そればっかりだな」

 

「だって打ったんだから、いいだろ」

 

食事を終えると、リビングに移動した。

 

そして、昔の試合のビデオを再生する。

 

少し古びた映像。

 

画面の中には、まだ高校生だった俺たちがいた。

 

ユニフォーム姿の竜司。

 

そして――

 

マウンドに立つ、昔の俺。

 

流星は、食い入るように画面を見つめていた。

 

やがて試合が進み、

 

俺が打者を打ち取る。

 

画面の中の俺は、今よりずっと若い。

 

けれど、マウンドでは必死に平静を装っていた。

 

「……佐々木さん、カッコいいな」

 

流星が、ぽつりと言った。

 

「え?」

 

思わず振り返る。

 

すると竜司が、すかさず口を挟む。

 

「え、俺だって活躍してるだろ」

 

「ソロホームラン打ってるし」

 

流星は画面から目を離さない。

 

「親父の打つところは何回も見たし」

 

「でも……」

 

少しだけ間を置いて、

 

「やっぱりエースの佐々木さん、落ち着いてるしカッコいい」

 

「……」

 

俺は何も言えず、視線を逸らした。

 

内心、恥ずかしくて仕方がない。

 

昔の自分を、こんなふうに褒められるなんて思ってもいなかった。

 

「流星くん、野球は?」

 

俺が聞くと、

 

流星は少しだけ表情を曇らせた。

 

「小学生のときは、野球クラブに入ってて」

 

「今は?」

 

「中学の野球部……途中まで入ってた」

 

「途中まで?」

 

俺が聞き返すと、

 

竜司が少し言いにくそうに口を開いた。

 

「流星の成績が落ちてな」

 

「嫁が、部活辞めろってなったんだ」

 

「……そうなんだ」

 

俺は流星を見る。

 

流星は、少し俯いていた。

 

しばらくして、ぽつりと口を開く。

 

「でも……今も時間見つけて自主練してる」

 

「そうなのか?」

 

流星は、画面に映る昔の俺を見つめたまま答えた。

 

「うん」

 

そして、少し寂しそうに続ける。

 

「親父の実家に来ないと……こういう野球のビデオ、見られないし」

 

「……」

 

俺は流星を見る。

 

流星は、画面から目を離さなかった。

 

「家には、こういうの見ないのか?」

 

「うん」

 

小さく首を振る。

 

「だから、ここに来たときしか見られない」

 

「……そっか」

 

その言葉が、妙に胸に残った。

 

画面の中では、昔の俺がマウンドに立っている。

 

流星は、その姿をじっと見つめている。

 

やがて、流星が小さく息を吐いた。

 

「俺、本当は……」

 

一瞬、言葉を止める。

 

そして、

 

「ピッチャーやりたいんだ」

 

と呟いた。

 

 

 

やがて試合は、九回裏。

 

最後のバッターが打席に入る。

 

画面の中の俺は、ゆっくりとセットポジションについた。

 

一球目。

 

ストライク。

 

二球目。

 

ファウル。

 

そして――

 

三球目。

 

俺は腕を振り抜いた。

 

ボールは、鋭くキャッチャーミットに収まる。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

最後のバッターを、三振で打ち取った。

 

次の瞬間――

 

「試合終了――!」

 

アナウンサーの声が、興奮気味に響く。

 

「春日部実業、二年連続甲子園出場です!」

 

歓声が、一気に球場を包み込む。

 

画面の中では、マウンドにいた俺のもとへ、仲間たちが一斉に駆け寄ってくる。

 

「やったー!」

 

「甲子園だ!」

 

みんなが笑顔で、次々と指を一本立てる。

 

――ナンバーワン。

 

俺も、その輪の中で笑っていた。

 

そして――

 

その人混みの中から、竜司が俺に飛びついてくる。

 

「カイト!」

 

「竜司!」

 

俺たちは、思いっきり抱き合っていた。

 

画面の中の二人は、

 

周りの歓声も気にせず、

 

ただ、甲子園出場の喜びを分かち合っている。

 

「……」

 

俺は、思わず目を逸らした。

 

今見ると、ちょっと気まずい。

 

隣にいる蒼司も、黙って画面を見ている。

 

俺は何となく居心地が悪くなって、頭をかいた。

 

「……若かったな、俺たち」

 

すると――

 

「……いいなぁ」

 

流星が、ぽつりと呟いた。

 

「え?」

 

俺は、思わず流星を見る。

 

流星は、画面に映る俺たちを見つめたままだった。

 

その目には、羨ましさとも憧れともつかない、

 

少し寂しそうな色が浮かんでいた。

 

「……何が?」

 

俺が聞くと、

 

流星は少しだけ考えてから答えた。

 

「こういうの」

 

画面では、まだチームメイトたちが喜び合っている。

 

「みんなで、一つのことに向かって……」

 

小さく息を吐く。

 

「最後に、みんなで喜ぶのって……いいなぁって」

 

「……」

 

俺は、何も言えなかった。

 

流星の横顔を見ながら、

 

さっきの、

 

『俺、本当はピッチャーやりたいんだ』

 

という言葉が、胸の中にもう一度浮かんだ。

 

 

夜も遅くなり、俺は自分の実家に帰ることにした。

 

「じゃあ、ご馳走さまでした」

 

玄関で靴を履いていると、蒼司が見送りに出てくる。

 

「泊まっていけばいいのに」

 

「いや、さすがにそれは遠慮しとくよ」

 

そう言うと、

 

蒼司は少し残念そうな顔をした。

 

「……そっか」

 

その表情を見て、俺は少しだけ笑う。

 

「明日さ」

 

「ん?」

 

「一緒に初詣、行こうか」

 

蒼司の表情が、少しだけ明るくなる。

 

「いいよ。行こう」

 

「じゃあ、明日朝また来るわ」

 

「うん」

 

玄関を出ようとすると、

 

「じゃあね」

 

「また明日」

 

俺は手を軽く上げて、

 

蒼司の家を後にした。

 

「じゃあ、また明日」  

 

そう言って歩き出した、そのとき――

 

「……カイト」

 

後ろから声がした。

 

振り返ると、蒼司が玄関の前に立っていた。

 

「どうした?」

 

「家まで送るよ」

 

「え?」

 

俺は思わず笑う。

 

「すぐそこじゃん」

 

「……いいから」

 

なんだか蒼司らしくない。

 

そのことが、妙に可笑しくて、俺はまた笑ってしまう。

 

二人で歩き出す。

 

実家までは、本当にすぐそこだった。

 

しばらく無言で歩いてから、

 

俺はぽつりと言った。

 

「今日、あまり話せなかったな」

 

「うん……そうだね」

 

蒼司も少し考えてから答える。

 

「野球の話だと、俺わからないしね」

 

「でも、カイトすごいよ」

 

「何が?」

 

「流星くん」

 

蒼司は、少し笑った。

 

「もうカイトに懐いてた」

 

「そうか?」

 

「うん」

 

 

 

少し間を置いて、

 

 

 

「俺とは全然だから」

 

「はは」

 

思わず笑ってしまう。

 

「野球の話で共通点があるからだろ」

 

「それだけじゃないよ」

 

蒼司は、静かに首を振った。

 

「試合のビデオ見てたとき……」

 

「流星くん、カイトのこと、目を輝かせて見てたよ」

 

「……」

 

俺は少し考える。

 

「うーん……」

 

なんだか照れくさい。

 

「そう言われると、なんか恥ずかしいな」

 

「ふふ」

 

蒼司が小さく笑う。

 

そうこうしているうちに、

 

「あっ」

 

俺は足を止めた。

 

「もう着いた」

 

「ほんとだ」

 

蒼司が少し笑う。

 

「じゃあ、また明日」

 

「ああ。また明日」

 

蒼司は家のほうへ向かおうとした。

 

そのとき――

 

「蒼司、ちょっと」

 

「ん?」

 

振り返った蒼司に、俺は一歩近づく。

 

そして――

 

そっと、唇を重ねた。

 

ほんの一瞬。

 

離れると、

 

蒼司が少し驚いた顔をする。

 

「……外だよ。誰か見てたら……」

 

「大丈夫だって」

 

俺は笑う。

 

「じゃあな」

 

そう言って、今度こそ自分の家の玄関に向かう。

 

後ろから、

 

「……うん」

 

蒼司の小さな声が聞こえた。

 

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