蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第13章 未来のエース

 

元旦、朝七時。

 

俺は、実家の自室で静かに目を覚ました。

 

しばらく布団の中でぼんやり天井を見つめる。

 

昨日の疲れは、まだ少し残っていた。

 

けれど――

 

今日は、野球部の練習もない。

 

久しぶりに、何も予定のない朝だった。

 

俺はゆっくり布団から出ると、リビングへ降りていった。

 

「……」

 

誰もいない。

 

昨日まで両親がいたはずの家が、妙に広く感じる。

 

いつもならテーブルの上には、正月らしく簡単な料理が置かれているはずだった。

 

けれど、今日はそれを囲む人はいなかった。

 

俺は椅子に腰を下ろす。

 

「……なんか、寂しいな」

 

思わず、口からこぼれた。

 

正月を実家で一人で過ごすなんて、初めてだった。

 

今までは、当たり前のように家族がいて。

 

朝になれば、誰かの声がして。

 

正月らしいテレビがついていて。

 

そんな光景が、ずっと続くものだと思っていた。

 

でも――

 

いつか遠い未来。

 

これが、普通になるのかもしれない。

 

両親も年を取って。この家に帰ってきても、誰もいない。

 

そして、自分自身も――

 

一人で正月を迎えることが、当たり前になる。

 

そんな未来が、ほんの一瞬、頭をよぎった。

 

「……」

 

胸の奥が、ざわつく。

 

「ダメだ、ダメだ」

 

俺は小さく首を振った。

 

「朝から何考えてんだよ……」

 

気を紛らわせるように、ポケットからスマホを取り出す。

 

画面を見ると――

 

「あけましておめでとう!」

 

「今年もよろしく!」

 

松本をはじめ、友人たちから新年のメッセージがいくつも届いていた。

 

その文字を見ていると、

 

さっきまでの寂しさが、少しだけ和らいでいく。

 

「……みんな、ちゃんと起きてんだな」

 

思わず笑う。

 

俺は一件ずつメッセージを開き、

 

「あけおめ。今年もよろしく」

 

と返信していく。

 

一通。

 

また一通。

 

そうして、ひととおり返信を終える。

 

スマホをテーブルに置いて、

 

ふと、思った。

 

「……そうだ」

 

頭に浮かんだのは――

 

蒼司だった。

 

昨日、

 

「明日、一緒に初詣、行こうか」

 

そう約束した。

 

「……蒼司の家、行こう」

 

そう決めると、

 

俺はすぐに立ち上がった。

 

誰もいない実家を後にする。

 

玄関の鍵を閉め、冷たい元旦の朝の空気を吸い込む。

 

昨日とは少し違う。今日は、なぜか足取りが軽かった。

 

午前九時。

 

俺は、蒼司の実家に着いた。

 

玄関の前に立ち、インターホンを押そうとした、そのとき――

 

ガチャ。

 

先にドアが開いた。

 

「おう、カイト」

 

出迎えたのは、竜司だった。

 

「入れよ」

 

「ああ」

 

俺は、そのまま玄関をくぐる。

 

「お邪魔します」

 

「そんな堅苦しいこと言うなよ」

 

竜司は笑った。

 

その自然なやり取りに、

 

俺はふと、子ども時代を思い出した。

 

こうして竜司の家に来て、

 

何も考えずに玄関を上がって。

 

竜司に「入れよ」と言われて。

 

そんなことが、当たり前だった頃。

 

あの頃と同じような流れなのに――

 

もう、あの頃とは違う。

 

それでも。

 

なぜか少しだけ、

 

懐かしかった。

 

そんなことを考えながら、リビングへ入る。

 

そこには、まだ誰もいなかった。

 

竜司と、二人きり。

 

「……」

 

少しだけ気まずい。

 

俺は、とりあえず挨拶をする。

 

「竜司、あけましておめでとう」

 

「ああ」

 

竜司も、いつものように笑って答えた。

 

「あけましておめでとう。今年もよろしく」

 

「……今年もよろしく」

 

それから、しばらく無言になった。

 

テレビから流れる正月番組の音だけが、

 

静かなリビングに響いている。

 

何とか話題を作ろうと、俺は口を開いた。

 

「竜司、早いな」

 

「ああ」

 

竜司は、当たり前のように答える。

 

「早起きはもう習慣になってるし」

 

少し笑って、

 

「さっきまで走り込みしてたしな」

 

「そっか」

 

「カイトは?」

 

「俺は……さっき起きた」

 

「はは。だと思った」

 

「正月は特別に休みなんだよ」

 

少しだけ空気が和らぐ。

 

「蒼司は?」

 

俺が聞くと、

 

「まだ寝てるんじゃね?」

 

「そっか」

 

また、沈黙。

 

竜司がテレビを見ながら、少し口元を緩めた。

 

「……なんか、二人っきりだな」

 

「……そうだな」

 

俺は苦笑する。

 

竜司が立ち上がる。

 

「まあ、こっち座れよ」

 

「ん」

 

俺たちはソファに腰を下ろす。

 

竜司がお茶を淹れて、俺の前に置いた。

 

「ほら」

 

「ああ、ありがと」

 

湯気の立つ湯呑みを手に取る。

 

少しだけ、お茶を飲んだ。

 

すると――

 

「なあ、カイト」

 

竜司が、テレビから目を離さずに言った。

 

「この前さ、高校んときの監督に会ってな」

 

「これからのこと、相談に乗ってもらったんだ」

 

「へえ」

 

「そしたらさ……」

 

竜司は少し間を置いてから続けた。

 

「そしたら、川口のシニアチームの監督やらないかって勧められてさ」

 

「……え?」

 

思わず竜司を見る。

 

「川口のシニアって、結構強いところだろ?」

 

「ああ。全国大会にも出てるしな」

 

竜司は少し照れたように笑う。

 

「でもさ、監督っていきなりなれるもんじゃないだろ」

 

「……」

 

「俺、プロで野球やってきたけど、

 

指導者としてはまだまだ素人だからさ、悩んだけど」

 

そう言って、少し考えるように続ける。

 

「でも、これから必死で勉強して、やってみようかなって思ってる」

 

俺は竜司の横顔を見る。

 

少し前まで、進むべき道に迷い、

 

思い悩んでいた竜司。

 

けれど今は――

 

進むべき道を見つけ、

 

希望に満ちた顔をしていた。

 

そんな竜司を見ていると、俺も自然と嬉しくなった。

 

そして――

 

これからも、竜司を応援したい。

 

そう思った。

 

「大丈夫だよ」

 

「……え?」

 

竜司が驚いたように俺を見る。

 

「竜司さ」

 

俺は少し笑って続けた。

 

「天才って言われてたけど……」

 

「実際は、すごい努力して、勉強して、ここまでやってきたんだろ」

 

「……」

 

竜司は黙って俺を見る。

 

「だからさ」

 

俺は、まっすぐ竜司を見る。

 

「これからも、きっと大丈夫だよ」

 

「俺、これからも応援してるから」

 

「……カイト」

 

竜司は、少し照れたように笑った。

 

「……ありがとな」

 

竜司は少し間を置いてから、

 

「あとな」

 

「ん?」

 

「野球の解説も、声かかってて」

 

「えっ、マジで?」

 

「ああ」

 

俺は思わず笑う。

 

「それも良かったじゃん」

 

「はは……嬉しい」

 

その言葉を聞いて、

 

竜司がふと俺を見る。

 

「……え?」

 

「カイトさ」

 

少しだけ真剣な声になる。

 

「自分のことみたいに、喜んでくれるよな」

 

「あ……」

 

言葉に詰まる。

 

「だって……」

 

少し照れながら続ける。

 

「これでも、心配してたから」

 

「……ありがとな」

 

竜司は静かに笑った。

 

「まあ、そういうことだからさ……、これからも、

 

野球のことでお前と関わることも、増えると思う」

 

一瞬、間を置いて、

 

「よろしくな、カイト」

 

「ああ」

 

そう答えた声は、

 

思っていたより、ずっと穏やかだった。

 

しばらくすると――

 

階段から足音が聞こえてきた。

 

流星が、リビングへ降りてくる。

 

その姿を見た瞬間、

 

流星は俺の顔を見て、少し嬉しそうに言った。

 

「佐々木さん、あけましておめでとうございます」

 

「おめでとうございます流星くん」

 

俺も笑って返す。

 

そして、ふと思い出した。

 

「あ、そうだ。ちょっと待って」

 

「?」

 

俺は持ってきたものを取り出す。

 

「はい、流星くん。これ」

 

差し出したのは、お年玉袋だった。

 

「お年玉」

 

「……え?」

 

流星が驚いたように目を見開く。

 

横にいた竜司も、驚いた表情を浮かべた。

 

「おい、カイト」

 

「ん?」

 

「そんな気、使わなくてもいいって」

 

俺は笑って首を振る。

 

「いいんだよ」

 

「たいしたもんじゃねぇし」

 

流星は、少し戸惑いながらお年玉袋を受け取った。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

「あと、それとこれも良かったら……」

 

俺は鞄の中から、一つの硬球を取り出した。

 

「これ、昨日実家の部屋を片付けてたら出てきたんだけど」

 

流星が、ボールを見る。

 

「これさ、俺が高校のとき、自主練で使ってたボールなんだ」

 

俺は流星に差し出した。

 

「良かったら、あげるよ」

 

「……え?」

 

流星は驚いたように俺を見る。

 

そして、恐る恐るボールを受け取った。

 

「……ありがとうございます、海斗さん」

 

嬉しそうに、ボールを見つめている。

 

すると竜司が口を挟んだ。

 

「カイト、そのボール……大事なやつじゃね?

 

本当にいいのか?」

 

「いいんだよ」

 

俺は流星を見る。

 

「頑張れ、未来のエース」

 

流星は一瞬、驚いたような顔をした。

 

そして――

 

「……はい!ありがとうございます」

 

大事そうにボールを握りしめていた。

 

 

 

すると――

 

階段から足音が聞こえてきた。

 

「あっ、蒼司。おはよう」

 

俺が声をかけると、

 

蒼司は少し眠そうな顔でリビングに入ってきた。

 

「おはよう……」

 

「ごめん、寝坊した」

 

「そっか。疲れてる?」

 

「大丈夫だよ」

 

蒼司はそう言って、小さく笑った。

 

「初詣、行こうか」

 

「ああ」

 

すると、

 

流星が少し遠慮がちに口を開いた。

 

「あの……」

 

「俺も、一緒に行っていいですか?」

 

俺は流星を見る。

 

「もちろん」

 

せっかくだ。

 

「いいぜ。一緒に行こうか」

 

すると竜司が笑った。

 

「それなら、四人で行こうぜ」

 

「四人?」

 

蒼司が少し驚いたように言う。

 

「いいじゃん」

 

竜司が笑う。

 

「正月くらい、みんなで行こうぜ」

 

「……そうだな」

 

蒼司も頷いた。

 

そして――

 

俺たちは四人で初詣へ向かった。

 

神社に着くと、

 

境内は人でごった返していた。

 

「あー、やっぱ混んでんな」

 

竜司が苦笑する。

 

「元旦だしね」

 

蒼司が答える。

 

人の波に押されながら、俺たちはゆっくりと境内を進んでいく。

 

その途中、

 

流星が俺の隣に並んだ。

 

「海斗さん」

 

「ん?」

 

「さっきのボールなんですけど……」

 

「ああ」

 

「高校のときって、どんな練習してたんですか?」

 

「んー?」

 

俺は少し考えてから答える。

 

「俺はな、結構朝早くから自主練してたんだよ」

 

「どんな練習ですか?」

 

「壁当てとか、素振りとか……」

 

流星は興味津々に聞いてくる。

 

「それって、毎日ですか?」

 

「まあな。できるだけ毎日やってた」

 

「すごい……」

 

流星は目を輝かせている。

 

気がつけば、

 

流星はすっかり俺の横にくっついて歩いていた。

 

野球の話をするたびに、

 

嬉しそうに質問してくる。

 

「海斗さん、今度俺にも教えてください」

 

「もちろん。時間があったらな」

 

「本当ですか?」

 

「ああ」

 

嬉しそうに笑う流星を見て、

 

俺も自然と笑っていた。

 

すっかり懐いてくれたんだな。

 

そう思うと、なんだか嬉しかった。

 

ふと前を見る。

 

少し先を歩く蒼司と竜司。

 

二人の背中が見える。

 

その二人を眺めながら、

 

俺は不思議と穏やかな気持ちになっていた。

 

一人だった朝とは違う。

 

今日は――

 

ちゃんと、誰かと一緒にいる。

 

そんなことが、少しだけ嬉しかった。

 

 

境内に入り、俺たちは列に並んだ。

 

順番が来ると、俺は静かに手を合わせる。

 

まずは――

 

自分のこと。

 

それから、家族のこと。

 

そして――

 

蒼司のこと。

 

竜司のこと。

 

「……」

 

目を閉じたまま、ふと思う。

 

「……なんか、多いな」

 

自分でも少し可笑しくなった。

 

結局、自分のことだけじゃなくて、

 

大切な人たちのことまで願っていた。

 

お参りを終え、俺たちは境内を後にしようとした。

 

すると竜司が声をかけてくる。

 

「じゃあ、俺と流星はもう行くわ」

 

「そうなんだ」

 

「ああ。今日は嫁の実家に行くから」

 

竜司が笑う。

 

「カイト、またな」

 

「ああ。またな」

 

すると流星が俺のほうを向いた。

 

「海斗さん、今日はありがとうございました」

 

「こちらこそ」

 

「じゃあ、失礼します!」

 

元気よく頭を下げる。

 

「おう。気をつけてな」

 

流星は嬉しそうに笑った。

 

竜司は、今度は蒼司を見る。

 

「邪魔したな」

 

「……」

 

そして、少し笑って、

 

「あとは二人でゆっくりな」

 

「じゃあな」

 

「……ああ。兄貴も元気で」

 

蒼司は、どこかそっけなく答えた。

 

「おう」

 

竜司はそれ以上何も言わず、

 

流星と一緒に人混みの中へ消えていった。

 

俺は二人の背中を見送る。

 

「……」

 

なんとなく、さっきの蒼司の言い方が気になった。

 

けれど――

 

蒼司がこちらを見る。

 

「やっと二人きりになれたか」

 

「そうだね」

 

俺は少し笑った。

 

「正月って、なんか疲れるよ」

 

「それな」

 

蒼司も笑う。

 

人混みの中で、

 

ようやく二人きりになった。

 

すると、

 

「なんか安心したら、お腹すいたわ」

 

蒼司が言った。

 

「なんか食べようぜ」

 

「そうだね」

 

俺は頷く。

 

「カイト」

 

「ん?」

 

蒼司が俺を呼ぶ。

 

「……」

 

一瞬、蒼司が何か言おうとする。

 

けれど――

 

「ううん。何でもない」

 

「……そっか」

 

俺は首を傾げながら、

 

蒼司と並んで歩き出した。

 

元旦の冷たい空気の中、

 

人の波を抜けながら、

 

俺たちはゆっくりと歩いていった。

 

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