蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第16章 焚き火を見ていた

 

三月春休み。

 

練習も仕事も詰め込まれていない、

 

久しぶりの完全な休日だった。

 

 

俺は、その日を逃したくなくて、蒼司をキャンプに誘った。

 

正直に言えば、キャンプなんて、蒼司が好むわけがない。

 

案の定、最初の反応は渋かった。

 

 

「……キャンプ?」

 

 

一瞬、眉が寄る。

 

その表情だけで、

 

ああ、やっぱりな、と思う。

 

蒼司はキャンプをしたことがない。

 

というより、アウトドア全般が苦手だ。

 

 

虫。

 

地面で寝ること。

 

夜の寒さ。

 

知らない音。

 

全部、得意じゃない。

 

「無理にテントで寝なくていいしさ」

 

俺は、先回りして言った。

 

「車の横にテント立てるだけ。

 

蒼司は、車で寝ればいい」

 

 

蒼司は少し黙った。

 

 

「……それ、キャンプって言うのかな」

 

「言う。初心者でも耐えられるやつ」

 

 

しばらく考えるように、視線を落とす。

 

断られても仕方ないと思っていた。

 

でも――

 

「……一泊だけなら」

 

ぽつりと、そう言った。

 

 

俺は思わず、笑ってしまう。

 

「ほんとに無理だったら、途中で帰ろう」

 

「それなら……」

 

完全に乗り気ではない。

 

でも、拒絶でもない。

 

 

それで十分だった。

 

 

蒼司を乗せて、車は走り出す。

 

助手席の掃除は、

 

やはりどこか不安そうな顔をしていた。

 

 

窓の外を流れる景色を見ながら、

 

落ち着かない様子で、

 

時々シートに背中を預け直している。

 

 

やがて車は、千葉県野田市にある

 

清水公園のオートキャンプ場に到着した。

 

 

予約していた区画に車を停める。

 

「……え、ここなの?」

 

蒼司は、思わずそう口にして、少し驚いたような顔をした。

 

「そうだよ」

 

「いや、キャンプって言うからさ。

 

 もっと山の中とか、川のそばとか、

 

 そういうのを想像してた」

 

「はは。そういうのもあるけどさ」

 

俺は周りを見渡しながら言う。

 

「最近は、公園の一角をキャンプ場にして使うの、結構流行ってるんだぜ。初心者でも来やすいし」

 

 

蒼司は、改めて周囲を見る。

 

きちんと区画されたサイト。

 

舗装された通路。

 

すぐ近くに見える管理棟。

 

「泊まらなくても、バーベキューだけして帰る家族とかも多いしさ」

 

そう付け加えると、

 

掃除は少しだけ、肩の力を抜いたようだった。

 

「……思ってたより、普通だな」

 

その一言に、俺は内心、ほっとする。

 

 

俺は車から荷物を下ろしながら、

 

何気ないふりをして言った。

 

 

「本当はさ、佐伯と岡谷も来たがってたんだけどな」

 

 

蒼司が、ちらっとこっちを見る。

 

 

「でも、今日は蒼司が初めてだろ」

 

 

クーラーボックスを地面に置きながら、続ける。

 

「だから、お試しってことで。

 

いきなり山とかは、さすがにきついし」

 

少し間を置いてから、俺は正直に付け足した。

 

「……それに、俺も最初は、蒼司と二人っきりで来たかったしさ」

 

 

蒼司は何も言わなかった。

 

ただ、少しだけ視線を逸らして、

 

春の空気を吸い込むように息をつく。

 

 

その沈黙が、拒否じゃないことだけは、分かった。

 

俺はテントの設営を、手慣れた手つきで始めた。

 

 

ポールを組み、地面に広げ、ペグを打つ。

 

その様子を、蒼司が少し離れたところから見ている。

 

「……カイト、手伝おうか」

 

声をかけられて、俺は手を止めずに笑った。

 

「いいって、いいって」

 

ポールを差し込みながら言う。

 

「俺、いつも一人でやってるからさ」

 

ペグを一本、地面に打ち込む。

 

「まだ時間もあるし、

 

その辺、ちょっと散歩してきなよ」

 

蒼司は一瞬、迷うように俺を見る。

 

「じゃあ、カイトが作業してるところ、見ていていい?」

 

「え?いいけど……」

 

それから、蒼司は俺が作業しているところを、静かに眺めていた。

 

 

そして、設営が終わり、車の横に、

 

ぴったりと張り付くように立てられたテント。

 

動線も無駄がなく、

 

まるで最初からそこにあるみたいだった。

 

 

蒼司は、今日一日でいちばん大きな声を出す。

 

「え、なにこれ……すごい。かっこいい」

 

テントの周りをぐるりと見回しながら、目を輝かせる。

 

「これ、なんか海外の動画でよく見るやつだ」

 

「はは」

 

「どうだ。見直したか?」

 

「うん。すごいよ」

 

素直にそう言ってから、少し照れたように付け足す。

 

「伊達にソロキャンプしてないんだね。

 

ベテランソロキャンパーって言うだけある」

 

「はは。まあな」

 

蒼司は少し興奮した様子で、周囲に視線を巡らせる。

 

「なんか、意外だった。

 

キャンプって、もっと野生的なものかと思ってたからさ」

 

少し離れた場所では、それぞれのサイトで静かに過ごす人たちの姿がある。

 

「結構、一人で来てる人多いんだね。

 

 ……女性の一人っぽい人もいたけど、

 

 大丈夫なのかな」

 

「大丈夫だよ」

 

俺は、管理棟の方を軽く顎で示す。

 

「ここ、管理施設もちゃんとしてるし。

 

ソロキャンパーも最近流行っててさ」

 

「ただな」

 

少しだけ声を落として言う。

 

「お互い、干渉しちゃダメなんだ」

 

「それぞれ一人の時間を、静かに楽しむ。

 

それがソロキャンプの流儀だな」

 

蒼司は、少し考えるようにしてから、頷いた。

 

「……なるほど」

 

その一言には、この場所を、ちゃんと受け入れ始めた響きがあった。

 

時間は、春の陽射しがいちばんやわらかい

 

昼下がりだった。

 

「よし、昼飯にするか」

 

俺はそう言って、車からガスコンロを取り出す。

 

 

フライパンを火にかけ、オリーブオイルを少したらす。

 

じゅっと、小さな音がして、

 

その音だけで、もう腹が減ってくる。

 

 

ピザ生地を温め、その上にピザソースを塗る。

 

 

チーズ。

 

サラミ。

 

 

順番に並べて、フライパンにふたをする。

 

 

少し待って、ふたを開けると、

 

チーズがちょうどよく溶けていた。

 

最後にルッコラを乗せる

 

「できた」

 

簡単だけど、ちゃんとピザだ。

 

あとは、途中で買ってきたケーキも出す。

 

 

蒼司は、少し驚いた顔で俺を見ている。

 

「……すごいな。カイトが料理してる」

 

「キャンプ飯は得意なんだよ」

 

「へぇ……」

 

半信半疑のまま、蒼司が一口かじる。

 

「……うまい」

 

短いけど、はっきりした一言。

 

それで十分だった。

 

 

俺は、少し得意げに話す。

 

「昼飯はさ、キャンプのときは絶対ピザって決めてんだよ」

 

「今日はシンプルだけどな」

 

フライパンを軽く振りながら続ける。

 

「他の日だったら、マルゲリータとか」

 

「てりやきチキンピザとか、プルコギピザだろ」

 

「あと……」

 

 

一瞬、言いかけてやめる。

 

蒼司が、呆れたように言う。

 

「カイ、ほんとピザ好きだね」

 

「まぁ……まぁな」

 

否定しきれず、少しだけ照れた声になる。

 

 

食後のコーヒーを飲み終えて、

 

俺たちは一息ついた。

 

時間は、たぶん三時を少し過ぎた頃だ。

 

 

チェアを出して、テントの影に並んで腰を下ろす。

 

直射日光は避けられて、

 

風だけが、ゆっくり通り抜けていく。

 

 

蒼司は何気ない仕草で、スマホを取り出した。

 

「蒼司、スマホは禁止な」

 

「え?」

 

「キャンプのときは、スマホは一切見ない」

 

 

少し冗談めかして言うと、蒼司は眉を上げる。

 

「それが、俺の流儀だよ」

 

蒼司は、画面を見たまま少し考える。

 

 

俺は続けた。

 

「こんなところまで来てさ、

 

スマホなんかに縛られるの、嫌だろ?」

 

しばらくして、蒼司は小さく息をついて、スマホを伏せた。

 

「……確かに」

 

そして、空を見上げる。

 

「そうだね」

 

その言葉を聞いて、

 

俺は何も言わず、コーヒーを一口飲んだ。

 

 

静かで、なにも起きていない。

 

でも、それが今は、ちょうどよかった。

 

「カイトはさ」

 

蒼司が、チェアに深く腰掛けたまま聞いてくる。

 

「一人でキャンプに行くとき、何してるの?」

 

俺は、少しも迷わず答えた。

 

「何もしない」

 

「……何も?」

 

「うん。何もせずに、ぼーっと過ごす」

 

コーヒーを一口飲んでから、続ける。

 

「暗くなったら、焚き火してさ。

 

その火を、ただぼーっと眺めてるだけ」

 

 

パチパチと音を立てて燃える火を、

 

頭の中で思い浮かべる。

 

「あとは、テントにこもって寝たり、

 

気が向いたら少し散歩したり」

 

 

肩をすくめて言う。

 

「とにかく、何もしないんだ」

 

蒼司は、少し意外そうな顔をして、

 

それから静かに頷いた。

 

「……贅沢だな」

 

その言葉に、俺は小さく笑った。

 

「俺さ」

 

少し間を置いて、俺は言った。

 

「今日は晴れてるけど、実は、雨の日のキャンプのほうが好きなんだ」

 

「え?」

 

蒼司が意外そうに顔を向ける。

 

「雨だと、何もできないだろ」

 

「だから、いいんだよ」

 

俺は、空を見上げるでもなく、

 

ゆっくりと言葉を選んだ。

 

「テントの中でさ、雨の音を聞きながら、ただ静かに過ごす」

 

「雨の日って、外も静かになるんだ」

 

少しだけ、声を落とす。

 

「人の声もしない。

 

聞こえてくるのは、雨の音と、風の音だけ」

 

 

蒼司は、しばらく黙っていた。

 

「そうか」

 

それだけ答えて、俺たちはまた黙る。

 

 

風が通り、木々がかすかに揺れる。

 

なにも起きない時間が、

 

ゆっくりと、深くなっていった。

 

 

* * *

 

 

日が、少し傾きかけてきていた。

 

「あ……やば」

 

気づくと、うとうとしかけていた。

 

「……つい、うとうとしてたな」

 

背伸びをして立ち上がる。

 

「よし。晩飯にするか」

 

俺はクーラーボックスを開けて、

 

中から食材を取り出す。

 

「カイト、何作るの?」

 

「まあ、見てなって」

 

取り出したのは、ずしりと重い、大きな肉の塊だった。

 

「うわ……なにそれ。すご」

 

「キャンプといったら、やっぱ肉だろ」

 

俺は少し大きめのコンロを出して、

 

火をつける。

 

肉に塩と胡椒を振り、手で軽くなじませる。

 

 

そして、じっくりと焼き始めた。

 

じゅう——

 

バチバチ。

 

脂が落ちる音と、香ばしい匂いが一気に広がる。

 

「……やば」

 

蒼司が、思わずそう呟く。

 

焼き色がついたところで、

 

肉を取り上げ、ナイフで切り分ける。

 

 

木のまな板の上に並べ、仕上げに香草を散らす。

 

 

付け合わせにフライドポテト。

 

持ってきたバゲットを切り分けて、

 

ガーリックバターを塗る。

 

「はい、完成」

 

「……やばい。めちゃくちゃうまそう」

 

「冷める前に、食おうぜ」

 

一口、かじる。

 

「……うま!」

 

「だろ」

 

「これ、ソースつけてもいい?」

 

「いいよ」

 

 

もう一口、今度はそのまま。

 

「……ソースなくても、うまいね」

 

その言葉に、俺は少しだけ、満足そうに笑った。

 

 

そして、俺はもう一品、手を伸ばした。

 

クーラーボックスを開けて、

 

別の食材を取り出す。

 

鍋をコンロにかけて、火をつける。

 

やることは、ほとんど温めるだけだ。

 

赤いスープが、ゆっくりと揺れ始める。

 

 

蒼司は、不思議そうにそれを覗き込む。

 

「……それ、何?」

 

「トッポギだよ。韓国料理」

 

木べらで軽く混ぜながら言う。

 

「夜、ちょっと冷えるだろ。

 

これ食べたら、体あったまるぜ」

 

蒼司は一瞬、表情を曇らせる。

 

「……辛いやつ?」

 

「大丈夫だよ」

 

すぐに続ける。

 

「これ、あんまり辛くないやつだから」

 

少し間があって、

 

蒼司はほっとしたように息をついた。

 

「……よかった」

 

鍋から立ち上る湯気が、夜の空気に溶けていく。

 

 

その湯気を見ながら、

 

蒼司はチェアに深く腰を下ろした。

 

蒼司は、少し恐る恐る箸を伸ばす。

 

 

一口。

 

「……え?」

 

思わず、目を見開いた。

 

「なにこれ。……おいしい」

 

もう一口、確かめるように食べる。

 

「初めて食べた。これ……」

 

箸を止めて、考える。

 

「なんだろう、この……もちもちした感じ」

 

「だろ?」

 

俺は少し笑う。

 

「意外と、いけるだろ」

 

「うん」

 

素直に頷く。

 

「見た目、めちゃくちゃ辛そうなのに、全然、きつくない」

 

湯気の立つ鍋を見つめながら、ぽつりと言った。

 

「……なんか、ほっとするね」

 

その一言で、

 

この一品を作った意味は、全部報われた気がした。

 

蒼司が、満足そうな顔でぽつりとつぶやく。

 

「……外で食べるご飯って、おいしいね」

 

「だろ?」

 

俺は、少し得意げに返す。

 

「意外と、いけるだろ」

 

「うん」

 

それから少し間を置いて、蒼司が続けた。

 

「それにさ……カイトが、ちゃんとこういう料理を作れるっていうのも、びっくりした」

 

「え?」

 

「もっと、バーベキューとか、カレーとか、

 

そういうのを想像してたから」

 

「まあ、初心者は考えがちだよな」

 

笑いながら言う。

 

「俺もさ、いろんなキャンプやってる人の動画見て、ちょっとずつ勉強したんだ」

 

蒼司は、素直に頷いた。

 

「うん……すごくいいよ。なんか、すごく楽しい」

 

その言葉を聞いた頃には、日もすっかり傾いていた。

 

 

俺は焚き火に火を入れる。

 

暗闇の中で、ゆらゆらと揺れる炎。

 

パチパチと、小さな音を立てて燃える火は、

 

ただ見ているだけで、心を落ち着かせてくれる。

 

 

辺りは、ゆっくりと夜に沈んでいく。

 

周りには、ほかにもキャンプをしている人たちがいる。

 

けれど、誰も騒がない。

 

それぞれが、それぞれの時間を、

 

静かに過ごしていた。

 

この空気の中なら、

 

蒼司も、無理をせずにいられる。

 

 

俺は焚き火を見つめながら、そう思った。

 

焚き火を見つめながら、蒼司がぽつりと言った。

 

「……焚き火って、いいな」

 

炎が、ゆらゆらと揺れる。

 

「ずっと見てても、飽きない。

 

なんか……心が安らぐね」

 

「ああ」

 

俺も火から目を離さずに答える。

 

「俺もさ、この時間が一番好きなんだ」

 

しばらく、パチパチという音だけが続く。

 

「俺さ」

 

少し間を置いて、続けた。

 

「普段、学校でめっちゃ喋るからさ。

 

一日中、ずーっと喋ってる」

 

自分でも、苦笑いが出る。

 

「喋るのは嫌いじゃないし、

 

みんなとワイワイするのも好きだよ」

 

「でもさ……」

 

焚き火に、薪を一本足す。

 

「たまに、こうして急に、

 

一人になりたいって思う時が来るんだ」

 

「静かに過ごしたい、ってさ」

 

蒼司は、少しだけ頷いてから言った。

 

「……うん。わかるよ」

 

炎を見つめたまま、続ける。

 

「こういう時間、必要だもんね」

 

その言葉が、

 

焚き火の熱みたいに、静かに胸に残った。

 

「俺さ」

 

ふと、口を開く。

 

「蒼司と、こういう時間過ごすの好きだな」

 

「……そう?」

 

蒼司が、ちらっと俺を見る。

 

「ああ。なんだか落ち着くよ」

 

「……そっか」

 

蒼司はそれだけ言って、

 

また焚き火に視線を戻した。

 

俺も火を見つめる。

 

少し迷ってから、何気ないふりをして口を開いた。

 

「あのさ」

 

「うん」

 

「この前、竜司と会って話したんだけど」

 

蒼司の視線が、ほんの一瞬だけ俺に向く。

 

「うん」

 

「実家、リフォームして住むって」

 

「……そうみたいだね」

 

「知ってたか?」

 

「うん」

 

蒼司は淡々と答える。

 

「この前、実家に帰ったら、親からそんな話聞いたよ」

 

「そうなんだ」

 

俺は少しだけ頷いた。

 

「兄貴、ずいぶん張り切ってるみたい」

 

「……親孝行したいって」

 

「うん」

 

俺は薪を一本、火の中に入れた。

 

炎が一瞬、大きく揺れる。

 

「なんかさ、竜司らしいよな」

 

「……そうだね」

 

蒼司の返事は短かった。

 

俺は横目で蒼司を見る。

 

特に表情は変わっていない。

 

でも、さっきまでより少しだけ、声が硬い気がした。

 

「あと……」

 

俺は、少し言葉を選んだ。

 

「蒼司の部屋、広いの用意するって言ってた」

 

「うん」

 

「それも知ってる?」

 

「知ってる」

 

即答だった。

 

「俺の部屋なんか、いいのに」

 

ぶっきらぼうな言い方。

 

「……」

 

俺は、返事をせずに蒼司を見る。

 

蒼司は焚き火から目を離さない。

 

「兄貴、突っ走るから」

 

「まあ……確かにな」

 

思わず苦笑する。

 

「昔からそういうところあるよな」

 

「うん」

 

「でも、いいことだと思うよ」

 

そう言うと、蒼司は少しだけ眉を寄せた。

 

「……別に、悪いとは言ってないよ」

 

「ああ」

 

「ただ……」

 

蒼司はそこで言葉を切った。

 

炎の向こうを見つめながら、

 

少しだけ間を置く。

 

「兄貴が、勝手に決めてるだけだから」

 

「……なるほど」

 

俺は、それ以上踏み込まなかった。

 

蒼司の横顔を見る。

 

怒っているわけじゃない。

 

嫌っているわけでもない。

 

ただ、兄のことになると、

 

どこか距離を置くような言い方になる。

 

「蒼司はさ」

 

少し迷ってから、聞く。

 

「竜司が実家に戻ってくるの、どう思ってる?」

 

蒼司は、すぐには答えなかった。

 

パチッ。

 

薪が弾ける。

 

その音を聞きながら、しばらく黙っている。

 

やがて、

 

「……別に」

 

短い答えが返ってきた。

 

「そっか」

 

「うん」

 

それ以上は言わない。

 

俺も、無理に聞かなかった。

 

ただ、蒼司が焚き火を見つめる横顔を見ながら、少しだけ思った。

 

――たぶん、蒼司なりに色々あるんだろうな。

 

家族のこと。

 

兄貴のこと。

 

そして、俺のことも。

 

でも今は、

 

それを無理に言葉にさせる必要はない。

 

俺はもう一度、

 

焚き火に薪を一本くべた。

 

炎が大きく揺れる。

 

その明かりが、

 

蒼司の横顔を柔らかく照らしていた。

 

 

俺たちはそれ以上、何も言わなかった。

 

言葉がなくても、

 

この時間が、ちゃんと共有できている気がした。

 

「そろそろ、寝る準備するか」

 

俺はそう言って、

 

車のシートを倒し、フルフラットにする。

 

段差のところにマットレスを敷き、

 

その上に毛布。

 

最後に、掛け布団を広げた。

 

フロントガラスとサイドガラスには、

 

目隠し用のシートを貼る。

 

外からの光を遮って、

 

中だけが、ふわっと落ち着いた空間になる。

 

 

仕上げに、LEDの小さな電球をいくつか並べる。

 

「……よし、完成」

 

「すごい……」

 

蒼司が、素直に声を上げる。

 

「普通に、ベッドだ」

 

恐る恐る中に入り、

 

一度腰を下ろしてから、横になる。

 

「……なんか、秘密基地みたいだな」

 

小さく笑って言う。

 

「楽しい」

 

外を気にするように、

 

一度だけ周囲を見回してから続けた。

 

「外から見えないし……これなら、安心して寝られそう」

 

「それなら、よかった」

 

俺はそう言って、テントのほうを指さす。

 

「俺は、テントで寝るから」

 

蒼司は、少しだけ間を置いて頷いた。

 

「……わかった」

 

LEDの灯りが、やさしく車内を照らしている。

 

夜は、もうすっかり静かだった。

 

「……おやすみ」

 

「うん。おやすみ」

 

短い言葉を交わして、俺は焚き火の前に戻る。

 

火ばさみで薪を崩し、水をかけて、

 

最後の赤い光が消えるのを見届ける。

 

 

蒼司は、ゆっくりと横になった。

 

車内の小さな明かりだけが、

 

ぼんやりと天井を照らしている。

 

外では、風が木々を揺らしていた。

 

さっきまで聞こえていた焚き火の音も、

 

もうすっかり消えている。

 

静寂に包まれる。

 

蒼司は目を閉じた。

 

今日一日のことを、ぼんやりと思い返す。

 

カイトと二人で過ごした時間。

 

焚き火を見ながら交わした会話。

 

そして――兄のこと。

 

「……親孝行か……」

 

眠りに落ちる直前、

 

蒼司の口から、ぽつりと言葉がこぼれた。

 

「……カイトのためだったり……」

 

そこで、言葉が途切れる。

 

自分でも、なぜそんなことを考えたのか分からない。

 

ただ、竜司が実家に戻ると言ったこと。

 

両親のためだと言っていたこと。

 

そして、自分の部屋まで用意すると言っていること。

 

それらを頭の中で繋げていくと――

 

どうしても、カイトの存在が頭に浮かんだ。

 

「…………」

 

小さく呟いて、

 

蒼司は目を閉じる。

 

それ以上は考えないことにした。

 

 

やがて、静かな寝息だけが車内に響き始める。

 

静けさに包まれて、何も考えず、目を閉じる。

 

遠くで、風が木を揺らす音だけがする。

 

 

——静かに、夜は、更けてゆく。

 

 

* * *

 

朝、

 

やさしい光と、鳥の鳴き声が重なって聞こえた。

 

蒼司は、ゆっくりと目を覚ます。

 

正直、ちゃんと寝られるかどうか、少し不安だった。

 

でも気がつけば、深く、途切れず眠っていた。

 

――車中泊、悪くないな。

 

そんなことを思いながら、体を起こす。

 

車から外に出ると、海斗はすでに起きていた。

 

「おはよう。よく寝られたか?」

 

「うん。よく寝られた」

 

伸びをしながら、少し笑う。

 

「カイトは、やっぱり早起きだね」

 

「まだ早いしさ。少し散歩するか」

 

二人で歩き出す。

 

朝靄に包まれた清水公園は、

 

まだ人の気配がほとんどない。

 

昨夜の賑わいが嘘みたいに、静かで、澄んでいる。

 

 

踏みしめる足音だけが、ゆっくりと響く。

 

この広い公園を、

 

今は二人だけで使っているような――

 

そんな錯覚さえ覚える。

 

ひとりじめしているみたいだ。

 

 

蒼司は、胸の奥でそう思った。

 

 

こんな時間があること自体が、少し贅沢だ。

 

それが、今はとても心地よかった。

 

「さてと……朝メシ、作るか」

 

俺はクーラーボックスを開けて、

 

残っていた最後の食材を取り出す。

 

コンロに火をつけ、鍋を置く。

 

湯が温まったところで、

 

大きめの餃子を、いくつか静かに落とした。

 

「カイト、それは?」

 

蒼司が覗き込んでくる。

 

「朝は、餃子スープだ」

 

そう言いながら、韓国の袋麺を取り出す。

 

 

麺と付属のスープを鍋に入れて、

 

軽くかき混ぜる。

 

ぐつぐつと、湯気が立ち上る。

 

「……できた」

 

蒼司が、まず一口。

 

「……おいしい」

 

少し驚いたように言う。

 

「朝から、温かいもの食べるのって、いいね」

 

「だろ」

 

俺は短く返す。

 

朝の澄んだ空気の中で、湯気の立つ鍋を囲む。

 

それだけで、

 

このキャンプがうまくいったって思えた。

 

食後にコーヒーを飲んで、

 

一息ついたところで、俺は言った。

 

「さて……帰るか」

 

「え? もう?」

 

蒼司が、少し驚いたように顔を上げる。

 

「ああ。朝メシ食ったら、すぐ帰る」

 

コーヒーカップを置いて、続けた。

 

「これが、俺の流儀だ」

 

蒼司は少し考えてから、頷く。

 

「……なるほど」

 

「じゃあ、片付けるか」

 

俺は立ち上がって、手早く撤収を始める。

 

テントを畳み、道具をまとめ、

 

車に積み込んでいく。

 

不思議なもので、設営したときより、ずっと早い。

 

「……あっという間だね」

 

蒼司がそう呟く。

 

「だろ」

 

全部積み終えて、俺はドアを閉めた。

 

「さ、帰ろうぜ」

 

蒼司は、最後に一度だけ公園を振り返ってから、

 

小さく笑って言った。

 

「……うん」

 

エンジンがかかり、

 

車は、静かな清水公園を後にした。

 

それでも、あの夜と朝の感覚は、

 

ちゃんと胸の中に残っていた。

 

 

車の中で、二人はまだ余韻に浸っていた。

 

「……カイト」

 

蒼司が、少し照れたように言う。

 

「すごい、楽しかったよ」

 

「そうか。それなら、よかった」

 

少し間を置いて、俺は聞いた。

 

「……また、行きたい?」

 

「うん」

 

即答だった。

 

「カイトとだったら、どこでもいい」

 

「よしっ」

 

思わず声が弾む。

 

すると蒼司が、少しだけ付け足すように言った。

 

「あ、でも……次も俺は、車中泊がいいかな」

 

「虫の心配、いらないし」

 

「了解」

 

「カイトの料理、楽しみだよ」

 

「マジか。それ、めちゃくちゃ嬉しい」

 

 

車は、蒼司のマンションの前で止まる。

 

まだ昼前の時間だった。

 

「じゃあ、明日、学校でな」

 

「うん。じゃあね」

 

ドアを閉める前に、蒼司が振り返る。

 

「……ありがとう」

 

「ああ」

 

軽く手を上げて、俺は車を走らせた。

 

 

今日は、清々しい別れだった。

 

不思議と、名残惜しさはなかった。

 

 

また、すぐに会える。そう思える関係になっていたから。

 

——それだけで、十分だった。

 

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