俺は帰りの道中、大宮で蒼司と合流した。
マンションの前で、蒼司は待っていた。
「お待たせ」
「うん」
蒼司は、俺の顔を見るなり少し笑った。
「なんだか久しぶりだね」
「そうだな」
たった数日会っていないだけなのに、不思議とそう感じた。
最近は俺も忙しく、ゆっくり蒼司と過ごす時間が減っている。
俺たちはそのまま、いつものファミレスへ向かった。
店に入る。
いつもの席。
いつものメニュー。
いつものように向かい合わせに座る。
「何にする?」
「カイトは?」
「俺はいつものやつ」
「じゃあ俺も」
店員を呼び、注文を済ませる。
俺は、この時間が好きだった。
特別なことをするわけじゃない。
ただ、蒼司と向かい合って座っている。
それだけで、なんとなく落ち着く。
「……」
ふと、蒼司が俺の顔をじっと見ていることに気づいた。
「どうした?何か顔についてるか?」
「カイト」
「ん?」
「大丈夫?」
「え?」
「顔色、あまり良くないよ」
「そうか?」
「うん」
蒼司は少し心配そうに俺を見る。
「やっぱり疲れてるんじゃない?」
「まあな」
俺は苦笑した。
「確かに今は忙しくてさ。覚えないといけないことも多いし」
「監督の仕事?」
「そう」
「そんなに大変なんだ」
「思ってた以上にな」
俺はテーブルに肘をついた。
「でも」
俺は顔を上げた。
「俺が決めたことだから」
蒼司が静かに頷く。
「そっか」
「うん」
「でも、無理しないでね」
「ああ」
その一言が、なんとなく嬉しかった。
やっぱり蒼司は、こういうところが優しい。
しばらくして料理が運ばれてくる。
俺たちはいつものように食事を始めた。
「そういえば」
蒼司が顔を上げる。
「カイト、実家帰ったの?」
「ああ」
「久しぶり?」
「うん。正月以来かな」
「そうなんだ」
「それでさ」
俺は箸を置いた。
「監督になる話、してきた」
「……そっか」
蒼司の表情が少しだけ柔らかくなる。
「喜んでた?」
「まあな」
「よかったね」
「ああ」
俺も笑った。
「それと……」
「?」
「偶然、竜司に会った」
「えっ」
蒼司が驚いた顔をする。
「偶然?」
「うん」
俺は何気なく答えた。
「……そう」
蒼司は淡々と答えた。
そして――
「じゃあ、聞いた?」
「……ああ」
「……」
蒼司の箸が止まった。
「驚いたよ」
「え?」
「離婚したって」
「……え?」
今度は蒼司が目を見開いた。
「え?」
俺も思わず聞き返す。
「離婚って……何?」
「え?」
俺は固まった。
「違うのか?」
「うん」
蒼司は困惑した顔をしている。
「実家の建て替えの話のつもりだった」
「……」
「俺、兄貴が離婚したなんて聞いてない」
その瞬間。
俺は、しまった、と思った。
「あ……」
口が止まる。
竜司は、蒼司にはまだ話していなかった。
俺は、知らなくてもいいことを先に知ってしまったのだ。
「……そっか」
それしか言えなかった。
蒼司も黙っている。
テーブルの上に、気まずい空気が流れた。
俺は何か言わなければと思った。
「なぁ、蒼司」
「うん?」
「……」
言葉が出てこない。
すると、蒼司が先に口を開いた。
「大丈夫だよ」
「え?」
「カイトから聞いたって、言わないから」
「……」
蒼司は少し笑った。
「兄貴から聞いたら、驚くフリしないとね」
「……」
俺は、その言葉に少し違和感を覚えた。
蒼司は笑っている。
けれど、その笑顔がどこかぎこちない。
「……蒼司?」
「なに?」
「いや……」
俺はそれ以上、聞けなかった。
蒼司も、それ以上は何も言わなかった。
いつものファミレス。
いつもの席。
いつもなら、二人で他愛もない話をしている時間。
なのに――
今だけは、妙に空気が重かった。
俺は、冷めかけたコーヒーに視線を落とした。
その時だった。
「あっ!」
聞き覚えのある声がした。
「……?」
俺と蒼司が同時に顔を上げる。
振り返ると――
そこには、青と蒼太が立っていた。
「佐々木先生と青柳先生、お疲れさまです」
青が、いつもの調子で挨拶する。
「あ……佐伯に岡谷」
俺は思わず声を上げた。
「こんにちはー。すごい偶然ですね」
蒼太も、いつもの屈託のない笑顔を見せる。
さっきまで店内に漂っていた、なんとも言えない空気。
それが、二人が現れたことで一気に消えていく。
正直、俺は少しほっとしていた。
このまま蒼司と二人きりだったら、何を話せばいいのか分からなかったからだ。
すると、蒼太が突然、俺のほうを見た。
「あっ、佐々木コーチ!」
「ん?」
「聞きました!」
蒼太は嬉しそうに笑った。
「監督就任、おめでとうございます!」
俺は少し照れながら笑った。
「まだ実感ないけどな」
「すごいですよね!」
「まあ、就任はもうちょっと先だけどな」
「あっ、そうか。でも、いつか佐々木コーチが監督になるって、僕は思ってましたよー」
「本当か?」
「はい!」
蒼太は迷いなく頷いた。
「ありがとな」
なんだか少し照れくさかった。
すると青が時計を見る。
「あ、じゃあ俺たちはそろそろ……」
青は軽く頭を下げた。
「じゃあ、また明日、学校で。失礼します」
そう言って、その場を離れようとする。
すると――
「えっ?」
蒼太が驚いた顔をした。
「もう帰るの?」
「もうって……」
青が苦笑する。
「蒼太、俺たちはこれから帰るんだよ」
「でも、せっかくだし」
蒼太は俺たちを見る。
「少し話しませんか?」
「おい、蒼太」
青が困ったような顔をする。
「急に何言ってるんだよ」
「だって、こんな偶然なかなかないじゃん」
「……まあ、それはそうだけど」
俺は二人を見ながら笑った。
「まあ、少しなら」
そして、隣にいる蒼司を見る。
「蒼司、どうする?」
蒼司は一瞬だけ俺を見た。
そして、柔らかな笑顔を浮かべた。
「ええ。良かったら、ご一緒しましょう」
「ありがとうございます!」
蒼太が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ここ座っていいですか?」
「どうぞ」
「やった!」
青が呆れたように笑う。
「蒼太、お前なぁ」
「じゃあ、青さんも座って」
「はいはい」
青は苦笑しながら椅子を引いた。
俺はその様子を見ながら、ふっと息を吐いた。
さっきまでの重たい空気が、すっかり消えていた。
それからは、俺の監督就任の話を中心に、話題は尽きなかった。
蒼太は楽しそうに笑いながら言う。
「佐々木監督の初試合、見に行きますね!」
「岡谷、別に次の夏大会も普通に見に来てもいいんだぜ」
「あっ、もちろんです!」
蒼太は即答した。
「青さんがコーチ頑張ってるところ、見に行きますから」
「おい。俺はおまけかよ」
「えへへ」
「えへへじゃないだろ」
青が苦笑する。
そんな冗談を、俺たちは普通に言い合っていた。
なんだか楽しい。
さっきまで蒼司と二人でいたときの、あの微妙な空気もいつの間にか消えていた。
「じゃあ、佐々木コーチは、当分休む暇ないですね」
蒼太が言う。
「まあな」
「大変ですね」
「でも、やることは嫌いじゃないから」
「佐々木先生」
青が口を挟んだ。
「俺も最大限サポートしますから」
「ありがとな」
「いえ」
青は笑った。
「それに、佐々木先生が監督になったら、俺も忙しくなりそうですし」
「頼りにしてるよ」
そんな話をしているうちに、ふと俺の口から言葉がこぼれた。
「……もし、夏に休暇が取れたら、旅行には行くかな」
「旅行ですか?」
青が聞き返した。
「うん」
「いいですね。息抜きは必要ですよ」
蒼太が興味津々に身を乗り出す。
「どこに行くんですか?」
「四国だな」
「四国?」
「ああ。高松とか、直島とか」
俺は蒼司を見る。
「アートで有名らしいんだ」
蒼太が目を輝かせた。
「へぇー、いいなぁ!」
「行ったことないのか?」
「僕、四国って行ったことないです」
そして蒼太は蒼司を見る。
「青柳さんが前いたところですよね?」
「はい」
蒼司は穏やかに答えた。
「いいところですよ」
「へぇ……」
蒼太が少し考えてから言った。
「アートかぁ……」
そして、蒼司を見る。
「僕、青柳さんのインスタ見ましたよ」
「え?」
「すごいいい絵ですよね」
「ああ……ありがとうございます」
蒼太が、少し照れたように笑う。
すると、青も続けた。
「アートとか、最初は正直よく分からなかったんですけど」
「はい」
「青柳さんの影響で、俺たち最近、休みの日に美術館とか行くようになったんですよ」
「そうなんですか?」
蒼司の顔が、ぱっと明るくなった。
「それは、美術に携わる者からしたら、すごく嬉しいです」
「最初は眠くなりましたけど」
「蒼太、正直すぎるぞ」
青が苦笑する。
「でも、最近ちょっと分かるようになってきたんですよ」
「本当ですか?」
「はい、たぶん。」
「はは。ゆっくりで大丈夫ですよ」
蒼司が心から嬉しそうに笑う。
その顔を見ていると、俺まで嬉しくなった。
すると蒼太が青に言った。
「青さん、じゃあ僕たちも、いつか四国行ってみたいね」
「そうだな」
青は少し考える。
「ちょっと遠いし、俺もまだ行ったことないけど……」
そして笑った。
「いいかもな」
すると――
「じゃあ」
蒼司が、何気ない口調で言った。
「よかったら、一緒に行きます?」
「……え?」
俺は思わず蒼司を見る。
今、何て言った?
蒼司は、俺の視線に気づくと、少しだけ笑った。
「四国」
「……」
蒼太の顔が、ぱっと明るくなる。
「本当ですかぁ?」
「はい」
「じゃあ、行きたいです!」
「おい、蒼太」
青が慌てたように口を挟む。
「何言ってんだよ」
「だって」
蒼太は楽しそうに言う。
「青柳さん、土地勘あるし」
「まあ……」
「迷子にならないし」
「それはどういう意味だ?」
「それに、グループ旅行みたいで楽しそう!」
青は困ったように蒼司を見る。
「青柳先生、お気遣いありがとうございます」
「いえ」
「でも、せっかくの旅行ですし……」
遠慮する青に、蒼司は穏やかに答えた。
「大丈夫ですよ」
「……」
「俺、お二人と一緒だと楽しいですし」
俺は思わず蒼司を見る。
「……蒼司」
「ん?」
「本当にいいのかよ」
「何が?」
「旅行、一緒にだなんて」
蒼司は少しだけ考えた。
そして、優しく笑った。
「うん」
「……」
「いいよ」
蒼太が嬉しそうに手を叩く。
「何だか修学旅行みたいですね!」
「修学旅行?」
「僕、秋大会で修学旅行行けなかったから」
「そうだったな」
俺は笑った。
「じゃあ、その代わりだな」
「はい!」
蒼太は嬉しそうだった。
その笑顔を見ていると、俺も自然と笑ってしまう。
そんな話をしているうちに――
時間はあっという間に過ぎていった。
気がつけば、外はもうすっかり暗くなっている。
「そろそろ出ようか」
「そうですね」
俺たちは席を立った。
会計を済ませ、店を出る。
駐車場へ向かう。
「駐車券……」
青がポケットから券を取り出す。
「じゃあ、俺たちはこれで失礼します」
「はい」
蒼太も頭を下げる。
「今日はありがとうございました!」
「こちらこそ」
蒼司が笑う。
「青柳さん、あとでLINEしますね」
「はい。お願いします」
青と蒼太が歩き出す。
俺も手を上げた。
「じゃあ、またな」
「はい!」
二人の姿が見えなくなる。
そして――
俺と蒼司だけになった。
「……」
さっきまで四人で話していたのが嘘みたいに、静かになった。
俺は蒼司を見る。
「蒼司」
「ん?」
「本当に良かったのか?」
「何が?」
「旅行」
「……」
「一緒に行くだなんて」
蒼司は少し黙った。
俺は続けた。
「なんだか……いつものお前らしくないっていうか」
蒼司は、ふっと力が抜けたように笑った。
「……何か」
「うん?」
「気がついたら、勝手に喋ってた」
「え?」
「自分でも、よく分からない」
「……」
「でも」
蒼司は俺を見る。
「たまには、こういうのもいいんじゃない?」
「うーむ……」
俺は腕を組んだ。
蒼司がこんなふうに、自分から他人を誘うなんて珍しい。
しかも、旅行ならなおさらだ。
「カイトも」
「ん?」
「大人数のほうが楽しいでしょ」
「え?何言って……」
俺が言いかけると、蒼司は微笑んだ。
「じゃあ、もう遅いし帰ろうか」
「あ……ああ」
「カイト」
「ん?」
「明日からも頑張って」
「ああ」
蒼司と別れ、俺は宿舎へ戻った。
部屋に入る。
荷物を置き、ベッドに腰を下ろす。
「……」
今日は、いろんな偶然があった。
実家に帰った。
竜司に会った。
竜司から離婚したことを聞いた。
蒼司に、うっかりそのことを話してしまった。
そこへ青と蒼太が偶然現れて――
最後には、四国旅行まで決まった。
「……なんか」
俺は天井を見上げた。
「最近の蒼司……」
今日の蒼司の顔を思い出す。
「なんか、変だよ」
理由は分からない。
ただ、胸の奥に小さな違和感だけが残っていた。
俺は、そのもやもやした気持ちを抱えたまま――
そのまま眠りについた。