俺と蒼司は、蒼司のマンションの近くにあるファミレスに入った。
「この店、久しぶりだな」
自然と、そんな言葉が出る。
「大学のとき、蒼司のアパートの近くにあったよな」
「そうだね。あの頃、よく来てた」
蒼司は少しだけ笑って続けた。
「四国には、この店なかったからさ。
なんか……懐かしい」
席に着き、注文を済ませる。
二人で立ち上がって、ドリンクバーへ向かう。
「……ちょっと、種類変わったな」
「前は、こんなに無かった気がする」
ほんの、どうでもいい会話。
でも、不思議と、胸の奥がじんわり温かくなる。
過去の続きみたいで、それでいて、少しだけ違う。
俺たちは並んでドリンクを注ぎながら、
同じ時間を、また共有し始めていた。
料理が運ばれてきて、二人とも黙って箸を動かし始める。
最初は、ただ食べる音だけがあった。
でも、
ふとしたきっかけで、会話は少しずつほどけていく。
「……蒼司、自炊は?」
唐揚げを一つ口に運びながら、俺が聞く。
「全然」
蒼司は苦笑して、肩をすくめた。
「とりあえず、何か食べられたらそれでいいって感じ」
「カイトは?」
「俺も全然だな」
スープを一口すすって、続ける。
「帰ってから作るの、正直めんどくさいし」
「だよね」
二人して、小さく笑う。
それだけで、空気が少し軽くなった。
「……そういえばさ」
箸を止めて、俺は聞いた。
「蒼司、職員宿舎とか入らないのか?」
「うん」
蒼司は少し考えてから、静かに言う。
「俺、臨時教師だし。
毎日授業があるわけでもないから」
「しばらくは、今のままでいいかなって」
「絵、描く時間もあるし」
その言葉と一緒に、蒼司の表情が、ふっと明るくなる。
「あ、そうだ」
少し照れたように、でもどこか嬉しそうに続けた。
「……十月に、個展開くんだ」
「えっ」
思わず声が出た。
「個展?」
「そんな大げさなもんじゃないよ」
蒼司はすぐに首を振る。
「ほんと、小さなやつ。
神楽坂の小ギャラリーを借りてさ」
「たまに、やってるんだ。
他にも、カフェの小スペース貸してもらったり」
さらっと言うけど、
それがどれだけ積み重ねてきたものか、俺には分かる。
「……それでも、すげぇよ」
正直な気持ちだった。
「俺、見に行きたい」
蒼司が、少し驚いた顔をする。
「十月だろ」
頭の中で、予定を思い浮かべる。
「一日だけ練習オフの日があるからさ。
その日なら、なんとかなると思う」
一拍置いて、蒼司は小さく笑った。
「……ありがとう」
そして、ほんの少し間を置いてから、言った。
「……カイトに、来てほしい」
その一言が、胸の奥に、静かに落ちてきた。
「ああ」
短く答えながら、俺はもう一度、箸を持った。
料理は、さっきより少しだけ、うまく感じた。
* * *
店を出て、
俺はそのまま蒼司のマンションまで車を走らせた。
横に座る蒼司が、ぽつりと言った。
「カイト、今日はありがとう。
おごってもらって」
「いいって、いいって」
照れたように、俺は肩をすくめる。
「そんな大したもんじゃないし」
少し間を置いて、続けた。
「今度さ……」
少し言い淀んでから、俺は続けた。
「……もっとちゃんとした店、行こうぜ」
蒼司は一瞬きょとんとしたあと、ゆっくり笑った。
「……うん。いいよ」
蒼司は何も言わない。
否定もしない。
その沈黙が、不思議と俺の心を軽くしてくれた。
「……もう二十二時だな」
マンションの前で車を止める。
「悪かったな。遅くまで付き合わせて」
「ううん。大丈夫」
蒼司はドアを開け、外に出る。
「じゃあ……また明日」
そう言って、振り返りかけた、そのとき。
「……カイト」
呼び止められて、俺は顔を上げる。
蒼司は視線を落としたまま、意を決したように言った。
「この前の告白だけど……急で、ごめん」
「……急に現れてさ。あんなこと言って」
「……いや」
俺は首を振る。
「……そんなこと、ない」
「返事は、すぐにしなくていいから」
一瞬、言葉に詰まってから、蒼司は続ける。
「……いいんだ」
「じゃあ……おやすみ」
「……おやすみ」
ドアが閉まる音が、夜に静かに溶けていく。
俺は、それ以上、何も返せなかった。
* * *
家路についた。
時計を見ると、もう二十三時を回っている。
(――やばいな。明日も朝練、早く寝ないと)
そう思いながら、俺は重い腰を上げる。
シャワーを浴びて、部屋の灯りを落として、
ベッドに腰を下ろす。
頭の中に浮かぶのは、蒼司の声だった。
――俺は、蒼司からの告白に、
もう答えを出している。
ずっと、待っていた。
もう帰らないと、どこかで思い込もうとしていた蒼司が、こうして、また目の前に現れた。
それだけで、十分だった。
でも――蒼司の、
「返事は、すぐにしなくてもいい」
その言葉に、なぜか、俺は強く反応してしまった。
待ってもいい、猶予をもらったはずなのに。
……違う。
俺は、待ちたくなかった。
蒼司に、ちゃんと気持ちを伝える。
早く時間を作って、ちゃんと伝える。
「……さて、そろそろ寝るか」
と呟いた、そのとき。
――ピロリン。
静かな部屋に、不意にLINEの通知音が鳴った。
こんな時間に。
誰だよ、と画面を見る。
……竜司だった。
竜司とは、細々とだけど、LINEのやりとりは続いていた。
ただ、ここ最近は、それも止まっていた。
――なんだろう。
今日はもう寝よう。見るのは、明日にしよう。
一瞬、そう思った。
でも、どうしても気になってしまって。
俺は、そのメッセージをタップした。
『俺、今シーズンで引退する』
それだけだった。
余計な言葉も、説明も、なかった。
竜司は、ここ数年、成績が振るわなかった。
怪我をしていたわけじゃない。
でも、確実に、体力の衰えはあった。
このままいけば、二軍落ち。
その前に、自分で終わらせることを選んだのだろう。
……竜司らしい。
俺は、しばらく、スマホを握ったまま動けなかった。
俺は、ベッドに横になった。
天井を見つめながら、そっと、思う。
帰ってきた、蒼司。
プロを引退する、竜司。
ここ数年は、ただ穏やかに、過ぎていた。
それなのに。
――何なんだよ、急に。
胸の奥が、ざわつく。
もう、時計は、零時を回っていた。