蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第3章 戻らない日常

 

 

俺と蒼司は、蒼司のマンションの近くにあるファミレスに入った。

 

「この店、久しぶりだな」

 

自然と、そんな言葉が出る。

 

「大学のとき、蒼司のアパートの近くにあったよな」

 

「そうだね。あの頃、よく来てた」

 

蒼司は少しだけ笑って続けた。

 

「四国には、この店なかったからさ。

 

なんか……懐かしい」

 

席に着き、注文を済ませる。

 

 

二人で立ち上がって、ドリンクバーへ向かう。

 

「……ちょっと、種類変わったな」

 

「前は、こんなに無かった気がする」

 

ほんの、どうでもいい会話。

 

でも、不思議と、胸の奥がじんわり温かくなる。

 

過去の続きみたいで、それでいて、少しだけ違う。

 

俺たちは並んでドリンクを注ぎながら、

 

同じ時間を、また共有し始めていた。

 

料理が運ばれてきて、二人とも黙って箸を動かし始める。

 

最初は、ただ食べる音だけがあった。

 

 

でも、

 

ふとしたきっかけで、会話は少しずつほどけていく。

 

「……蒼司、自炊は?」

 

唐揚げを一つ口に運びながら、俺が聞く。

 

「全然」

 

蒼司は苦笑して、肩をすくめた。

 

「とりあえず、何か食べられたらそれでいいって感じ」

 

「カイトは?」

 

「俺も全然だな」

 

スープを一口すすって、続ける。

 

「帰ってから作るの、正直めんどくさいし」

 

「だよね」

 

二人して、小さく笑う。

 

それだけで、空気が少し軽くなった。

 

「……そういえばさ」

 

箸を止めて、俺は聞いた。

 

「蒼司、職員宿舎とか入らないのか?」

 

「うん」

 

蒼司は少し考えてから、静かに言う。

 

「俺、臨時教師だし。

 

毎日授業があるわけでもないから」

 

「しばらくは、今のままでいいかなって」

 

「絵、描く時間もあるし」

 

その言葉と一緒に、蒼司の表情が、ふっと明るくなる。

 

「あ、そうだ」

 

少し照れたように、でもどこか嬉しそうに続けた。

 

「……十月に、個展開くんだ」

 

「えっ」

 

思わず声が出た。

 

「個展?」

 

「そんな大げさなもんじゃないよ」

 

蒼司はすぐに首を振る。

 

「ほんと、小さなやつ。

 

神楽坂の小ギャラリーを借りてさ」

 

「たまに、やってるんだ。

 

 他にも、カフェの小スペース貸してもらったり」

 

さらっと言うけど、

 

それがどれだけ積み重ねてきたものか、俺には分かる。

 

「……それでも、すげぇよ」

 

正直な気持ちだった。

 

「俺、見に行きたい」

 

蒼司が、少し驚いた顔をする。

 

「十月だろ」

 

頭の中で、予定を思い浮かべる。

 

「一日だけ練習オフの日があるからさ。

 

その日なら、なんとかなると思う」

 

一拍置いて、蒼司は小さく笑った。

 

「……ありがとう」

 

そして、ほんの少し間を置いてから、言った。

 

「……カイトに、来てほしい」

 

その一言が、胸の奥に、静かに落ちてきた。

 

「ああ」

 

短く答えながら、俺はもう一度、箸を持った。

 

料理は、さっきより少しだけ、うまく感じた。

 

 

* * *

 

店を出て、

 

俺はそのまま蒼司のマンションまで車を走らせた。

 

横に座る蒼司が、ぽつりと言った。

 

「カイト、今日はありがとう。

 

おごってもらって」

 

「いいって、いいって」

 

照れたように、俺は肩をすくめる。

 

「そんな大したもんじゃないし」

 

 

少し間を置いて、続けた。

 

「今度さ……」

 

少し言い淀んでから、俺は続けた。

 

「……もっとちゃんとした店、行こうぜ」

 

 

蒼司は一瞬きょとんとしたあと、ゆっくり笑った。

 

 

「……うん。いいよ」

 

 

蒼司は何も言わない。

 

否定もしない。

 

その沈黙が、不思議と俺の心を軽くしてくれた。

 

「……もう二十二時だな」

 

マンションの前で車を止める。

 

「悪かったな。遅くまで付き合わせて」

 

「ううん。大丈夫」

 

蒼司はドアを開け、外に出る。

 

「じゃあ……また明日」

 

そう言って、振り返りかけた、そのとき。

 

「……カイト」

 

呼び止められて、俺は顔を上げる。

 

蒼司は視線を落としたまま、意を決したように言った。

 

「この前の告白だけど……急で、ごめん」

 

「……急に現れてさ。あんなこと言って」

 

「……いや」

 

俺は首を振る。

 

「……そんなこと、ない」

 

「返事は、すぐにしなくていいから」

 

一瞬、言葉に詰まってから、蒼司は続ける。

 

「……いいんだ」

 

「じゃあ……おやすみ」

 

「……おやすみ」

 

ドアが閉まる音が、夜に静かに溶けていく。

 

 

俺は、それ以上、何も返せなかった。

 

 

* * *

 

家路についた。

 

時計を見ると、もう二十三時を回っている。

 

 

(――やばいな。明日も朝練、早く寝ないと)

 

 

そう思いながら、俺は重い腰を上げる。

 

シャワーを浴びて、部屋の灯りを落として、

 

ベッドに腰を下ろす。

 

 

頭の中に浮かぶのは、蒼司の声だった。

 

 

――俺は、蒼司からの告白に、

 

もう答えを出している。

 

 

ずっと、待っていた。

 

 

もう帰らないと、どこかで思い込もうとしていた蒼司が、こうして、また目の前に現れた。

 

 

それだけで、十分だった。

 

でも――蒼司の、

 

「返事は、すぐにしなくてもいい」

 

その言葉に、なぜか、俺は強く反応してしまった。

 

待ってもいい、猶予をもらったはずなのに。

 

 

……違う。

 

 

俺は、待ちたくなかった。

 

蒼司に、ちゃんと気持ちを伝える。

 

早く時間を作って、ちゃんと伝える。

 

 

「……さて、そろそろ寝るか」

 

 

と呟いた、そのとき。

 

 

――ピロリン。

 

 

静かな部屋に、不意にLINEの通知音が鳴った。

 

こんな時間に。

 

誰だよ、と画面を見る。

 

 

……竜司だった。

 

 

竜司とは、細々とだけど、LINEのやりとりは続いていた。

 

ただ、ここ最近は、それも止まっていた。

 

 

――なんだろう。

 

 

今日はもう寝よう。見るのは、明日にしよう。

 

 

一瞬、そう思った。

 

でも、どうしても気になってしまって。

 

俺は、そのメッセージをタップした。

 

 

『俺、今シーズンで引退する』

 

 

それだけだった。

 

余計な言葉も、説明も、なかった。

 

 

竜司は、ここ数年、成績が振るわなかった。

 

怪我をしていたわけじゃない。

 

でも、確実に、体力の衰えはあった。

 

このままいけば、二軍落ち。

 

その前に、自分で終わらせることを選んだのだろう。

 

 

……竜司らしい。

 

 

俺は、しばらく、スマホを握ったまま動けなかった。

 

俺は、ベッドに横になった。

 

天井を見つめながら、そっと、思う。

 

 

帰ってきた、蒼司。

 

プロを引退する、竜司。

 

 

ここ数年は、ただ穏やかに、過ぎていた。

 

それなのに。

 

――何なんだよ、急に。

 

 

胸の奥が、ざわつく。

 

 

もう、時計は、零時を回っていた。

 

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