蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第4章 通じ合う想い

 

俺はいつも朝5時半には目を覚める。

 

ただ、今日は起きられなかった。

 

目を覚まして、枕元の時計を見る。

 

5時45分。

 

 

――やばい。

 

 

グラウンド集合時間は朝6時。

 

胸が一気にざわつく。

 

 

俺は布団を蹴飛ばすように起き上がり、

 

顔もろくに洗わず、急いで着替えた。

 

スパイクとグローブを掴み、家を飛び出す。

 

 

外はまだ薄暗く、空気がひんやりとしている。

 

息が白くなるほどではないが、寝起きの身体にはやけに冷たい。

 

全力でグラウンドへ向かった。

 

 

――間に合え。

 

 

息を切らしながら到着したのは、6時ちょうど。

 

グラウンドに入ると、すでに青が先に来ていて、黙々と準備をしていた。

 

 

朝六時。

 

簡単な朝礼を済ませ、練習が始まる。

 

 

今日も、球児たちはランニングから。

 

 

号令と同時に、グラウンドを駆け出していく球児たちの背中を横目に、俺は先に、黙々と準備をしていた青のところへ向かった。

 

「……佐伯」

 

声を落として呼ぶ。

 

「悪い。今日、寝坊した」

 

青は一瞬だけ手を止めて、こちらを見た。

 

「佐々木先生が寝坊、ですか。珍しいですね」

 

冗談めいた口調。

 

けれど、その目は、どこか探るようだった。

 

「やっぱり……最近、何かありました?」

 

「いや」

 

俺は首を振る。

 

「なんでもねえよ」

 

そう言ったつもりだった。

 

それ以上、踏み込まれるのを避けるように。

 

けれど、青は引かなかった。

 

「……佐々木先生」

 

静かに、名前を呼ばれる。

 

「なんかあったら……

 

俺でよければ、話、聞きますから」

 

俺は思わず、青を見る。

 

「俺、佐々木先生に、今まで……いっぱい助けてもらいました」

 

そう言って、青は少し照れたように視線を外す。

 

「だから……俺にできることがあったら。

 

何でも、言ってください」

 

胸の奥が、きゅっと締め付けられた。

 

守る側のはずだった。

 

導く側のはずだった。

 

 

なのに――

 

いつの間にか、こんなふうに、

 

背中を支えられる立場になっていた。

 

「……ありがとな」

 

俺はそれだけ言って、青の頭を、軽く叩いた。

 

 

* * *

 

昼休み。

 

チャイムが鳴ると、俺は体育準備室へ戻った。

 

青は、いつものように作ってきた弁当を机に広げていた。

 

「佐々木先生。今日は昼、買ってないんですか?」

 

「あっ……あぁ」

 

俺は、とっさに答える。

 

「忘れた。学食行くわ」

 

青は「そうですか」と小さくうなずいた。

 

「いってらっしゃい」

 

「おう」

 

俺は準備室を出た。

 

……気のせいか。

 

振り返った青が、少しだけ残念そうな顔をしているように見えた。

 

そのことが、なぜか胸に引っかかった。

 

 

* * *

 

 

俺は学食でささっと飯をかき込み、

 

そのまま美術準備室へ向かった。

 

「……青柳先生?」

 

おそるおそる、扉を開ける。

 

「カイト。いま、誰もいないよ」

 

中から聞こえた声に、ほっとする。

 

「そっか。蒼司、お疲れ」

 

「お疲れ」

 

キャンバスの前に立つ蒼司は、筆を持ったまま、振り返った。

 

「絵、描いてたのか?」

 

「そうだよ」

 

目を向けると、キャンバスいっぱいに、青と蒼の海。

 

深さの違う青が重なり合っていて、見ているだけで、胸の奥が静かになる。

 

その手前に、妙に丸くて、派手な色の物体が描かれていた。

 

「……かぼちゃみたいなやつ」

 

思わず言うと、蒼司が小さく笑った。

 

「かぼちゃ?」

 

そう言って、スマホを取り出し、写真を見せてくる。

 

「これ。**直島**って島にある、有名なオブジェ」

 

画面には、海沿いに置かれた、黄色と黒の水玉のかぼちゃ。

 

「……マジでかぼちゃじゃん」

 

「でしょ。でも、これが有名なんだよ」

 

蒼司は少し楽しそうに説明を続けた。

 

「直島は、香川県にある小さな島でさ。

 

島全体が、現代アートの美術館みたいな場所なんだ」

 

「島、全部?」

 

「そう。港を降りた瞬間から、もう作品。

 

建物も、景色も、アートの一部みたいになってる」

 

「このかぼちゃは、直島の象徴みたいな存在なんだ」

 

「へえ……」

 

「海と人工物が一緒にあっても、

 

不思議と、ちゃんと馴染んでるんだよ」

 

 

蒼司は、もう一度キャンバスを見る。

 

 

「自然の中に、ぽつんとあるのに。

 

邪魔じゃなくて……

 

そこに“あるべきもの”みたいに見える」 

 

 

その言葉を聞いた瞬間、俺は、なぜか胸がざわついた。

 

 

「……それ、好きなんだな」

 

「うん。たぶん」

 

 

蒼司は、少し照れたように笑う。

 

蒼司は、さらに写真をスクロールして見せてくる。

 

 

「これは――**小豆島**だよ」

 

 

画面には、穏やかな海と山。

 

どこか時間がゆっくり流れているような景色。

 

「へぇ……いいな」

 

「で、これ」

 

次に出てきた写真は、海の中に、細い道が一本、伸びていた。

 

「……道?」

 

「これはエンジェルロードだよ」

 

「干潮のときだけ、海の中から砂の道が現れるんだ」

 

 

蒼司は、少し嬉しそうに説明する。

 

 

「一日に二回くらいかな。

 

潮が引いた短い時間だけ、

 

向こうの島まで歩いて渡れる」

 

「へえ……期間限定みたいな感じか」

 

「うん。それでね、恋人同士で手をつないで渡ると、願いが叶うって言われてる」

 

「……へぇ、いいな」

 

そう言いながらも、俺はもう一度、写真に目を落とす。

 

海に挟まれた、細くて心もとない一本道。

 

でも、確かに――綺麗だった。

 

「カイト、こういうの……好きだよね」

 

不意に言われて、俺は一瞬、言葉に詰まった。

 

「はっ……ま、まぁ」

 

 

視線を逸らす。

 

 

「嫌いじゃねぇけど」

 

自分でもわかるくらい、不自然な照れ隠しだった。

 

 

蒼司は何も言わず、

 

ただ小さく笑って、スマホを伏せる。

 

 

 

しばし、沈黙。

 

 

 

美術準備室に、時計の秒針の音だけが響く。

 

蒼司が、ゆっくりと口を開いた。

 

「……カイト」

 

名前を呼ばれて、自然と顔を上げる。

 

「一緒に、行く?」

 

 

一瞬、意味がわからなかった。

 

「えっ……」

 

間の抜けた声が出る。

 

蒼司は、こちらを見ていた。

 

逃げ場のない、まっすぐな目で。

 

「あ……あぁ」

 

胸の奥が、じんと熱くなる。

 

「行こうぜ」

 

自分でも驚くくらい、その言葉は、すっと出た。

 

 

蒼司は、少しだけ目を細めて、うなずく。

 

「うん」

 

そして、静かに。

 

「……約束」

 

その一言が、胸の奥に、確かに残った。

 

 

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 

「カイト、戻らないの?」

 

蒼司が、少し不思議そうに言う。

 

「あぁ。次、授業ねぇから」

 

それは事実だった。

 

でも――それだけじゃない。

 

俺はもう、この胸の奥で膨らみ続ける気持ちを、抑えることができなかった。

 

 

一歩、近づく。

 

 

蒼司は、逃げなかった。

 

その瞳を見た瞬間、もう抑えられなかった。

 

蒼司が何か言う前に、俺はそっと、その唇にキスをした。

 

一瞬だけ、時間が止まったみたいだった。

 

蒼司は驚いたように目を見開いたあと、

 

何も言わず、そのまま受け入れた。

 

離れたとき、俺の心臓は、うるさいくらいに鳴っていた。

 

 

「……好きだ」

 

声が、少し震える。

 

「返事はすぐしなくていいって、言ったけどさ」

 

一度、息を吸う。

 

「……ダメだ」

 

もう、逃げられなかった。

 

「俺、蒼司のことが好きだ」

 

真っ直ぐ、伝える。

 

「この気持ちは……ずっと変わらない」

 

蒼司は、何も言わない。

 

ただ、黙って、俺の言葉を受け止めている。

 

「だから……」

 

 

喉が鳴る。

 

 

「俺と、付き合ってほしい」

 

 

沈黙が落ちる。

 

 

長く感じたその時間のあと、蒼司が、ゆっくりと口を開いた。

 

「……うん」

 

小さく、でもはっきり。

 

「付き合う」

 

その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどけた。

 

俺は蒼司を、強く抱きしめる。

 

「やっと……やっとだ」

 

声が、かすれる。

 

「もう、離さないからな」

 

蒼司は、俺の背中にそっと手を回して、

 

「……うん」

 

それだけ答えた。

 

 

短い言葉。

 

でも、それで全部、伝わった。

 

 

 * * *

 

俺は体育準備室に戻った。

 

中では、青が机に向かって、黙々と事務作業をしていた。

 

「あっ、佐々木先生」

 

顔を上げた青が、一瞬、きょとんとしたような表情になる。

 

「あれ……どうしたんですか?」

 

俺の顔を、まじまじと見る。

 

「なんか……顔色、良くなりましたね」

 

「えっ……そうか?」

 

無意識に頬に触れる。

 

青は、少し口角を上げて言った。

 

「はい。それに……なんか、ニヤついてますよ」

 

「えっ……」

 

慌てて表情を引き締める。

 

「ま、まぁな。ちょっと……いいことがあってさ」

 

それ以上は、言わなかった。

 

言えなかった。

 

「よっし」

 

俺は、無理やり明るい声を出す。

 

「六限の用意、ちょっくら行ってくるわ」

 

そう言って、準備室を出ようとすると、

 

青が、ふっと息を吐くのが、背中越しに伝わった。

 

振り返ると、そこには――少し肩の力が抜けた、安堵したような青の顔があった。

 

俺は何も言わず、軽く手を上げて、準備室を後にした。

 

胸の奥は、驚くほど、静かだった。

 

 

 * * *

 

19時、野球部の練習は終わった。

 

蒼司は、もう帰ったあとだった。

 

俺は手早く片付けを済ませる。

 

「佐伯、お疲れ」

 

「はい、お疲れさまです」

 

短いやり取りを終えて、部屋に戻る。

 

簡単に食事を済ませ、ふと鏡を見た。

 

――俺、そんなにニヤけてたか?

 

 

思わず頬が緩む。

 

ヤバ。

 

 

スマホを手に取り、蒼司にLINEを送る。

 

『お疲れ。明日、昼一緒に食べよ』

 

……高校生か、俺は。

 

しばらくして、返事が来た。

 

『わかった』

 

それだけ。

 

いかにも蒼司らしい。

 

その画面を眺めてから、はっと思い出す。

 

――そうだ、竜司のLINE。返事、してなかった。

 

どうする。

 

俺は、なんて返事をすればいいのか考える。

 

 

……わからない。

 

 

『竜司、俺は――』

 

ここで、指が止まる。

 

この先、なんて書けばいい。

 

 

迷っているうちに、間違えてそのまま送信してしまった。

 

すぐに、既読がつく。

 

……早いな。

 

たまたまスマホを見てただけか?

 

俺は、このとき。

 

竜司が何を考えていたのか――

 

知る由もなかった。

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