蒼の向こうでそれでも君を待つ   作:ハマジロウ

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第8章 それぞれの一歩

第7章 それぞれの一歩 後編

 

 

 

十一月。

 

大宮駅前のカフェ。

 

 

 

昼と夕方の間、

 

店内は少しだけ落ち着いていた。

 

 

 

俺は窓際の席で、コーヒーを前に待っていた。

 

「海斗、お待たせ」

 

顔を上げると、松本が立っていた。

 

「あ、松っちゃん。久しぶり」

 

「久しぶりだな。……元気そうだな」

 

 

 

一瞬、言葉を選ぶ間。

 

「……そうでもないか」

 

俺は苦笑した。

 

「分かる?」

 

「分かるよ」

 

松本は向かいの席に座り、

 

コーヒーを一口飲む。

 

「どうした。また、何か悩みか?」

 

「うーん……」

 

少し、間を置く。

 

 

 

それから、俺は竜司のことを話した。

 

 

 

引退のこと。

 

実家近くで再開したこと。

 

竜司の家族のこと。

 

 

 

言葉にするたび、

 

胸の奥に溜まっていたものが、

 

少しずつ形になっていく。

 

 

 

松本は、途中で遮らず、

 

ただ、黙って聞いていた。

 

 

 

「……そっか」

 

 

 

話し終えると、ぽつりと、そう言った。

 

 

 

「竜司のやつ、そんなことになってたのか」

 

「うん」

 

「まあさ」

 

松本は、カップを置く。

 

「プロ野球選手だからって、

 

 全部うまくいくわけじゃねえよな」

 

「……」

 

「野球は一流でも、人生は別、ってやつだ」

 

 

 

その言葉に、俺は何も返せなかった。

 

 

 

「正直さ」

 

松本は、少し困ったように笑う。

 

「家族も、順調だと思ってたんだよ」

 

「……俺も」

 

 

 

小さく、そう答えた。

 

 

 

窓の外では、人の流れが絶えず続いている。

 

「でさ」

 

松本が、少しだけ声を落とす。

 

「竜司と会うことについて、

 

 蒼司くんには、何か話したのか?」

 

「……うん」

 

俺は、カップの縁を指でなぞりながら答えた。

 

「今日会うから話してみるよ」

 

「そうか」

 

 

 

一瞬、間が空く。

 

 

松本は、少し黙って考えたあと、ゆっくり口を開いた。

 

「俺もさ……竜司に会うのは、賛成だな」

 

「え?」

 

意外な返答に、思わず顔を上げた。

 

「お前、もう大丈夫だろ」

 

松本は、俺の目を見て言う。

 

「もうさ、お前は蒼司くんと付き合ってる」

 

「あ……」

 

「それにさ」

 

少し間を置いてから、続ける。

 

「竜司にも、

 

 ちゃんと話した方がいいんじゃねえの」

 

「蒼司くんと、付き合ってるってこと」

 

 

 

俺は、一瞬ぽかんとして――

 

すぐに、思い出したように頷いた。

 

 

 

「あ……そうだな」

 

自分でも驚くほど、その言葉はすんなり出た。

 

「お前もさ」

 

松本は、コーヒーを一口飲んでから言う。

 

「竜司と、

 

 ちゃんと向き合える時が来たんじゃねえの」

 

「……そうだな」

 

胸の奥が、少しざわつく。

 

「なんか……緊張してきた」

 

「おい」

 

松本が苦笑する。

 

「大丈夫か?」

 

「……たぶん」

 

俺は、そう答えながら、深く息を吸った。

 

逃げるつもりは、もうなかった。

 

 

 

 

 

その日の夜。

 

蒼司が、俺の部屋にやってきた。

 

「おじゃまします」

 

「ああ、いらっしゃい」

 

蒼司は、部屋の中を見渡す。

 

「あっ」

 

そして、少し驚いたように目を丸くした。

 

「今日は部屋、綺麗だね」

 

そう言って、クスッと笑う。

 

「……うるさいな」

 

俺は、少し照れながら答える。

 

「まあ……頑張って掃除したからな」

 

「ふふっ」

 

「あと今日は、

 

 ちゃんと飯も買ってきてあるから」

 

「うん。ありがとう」

 

蒼司は、嬉しそうに笑った。

 

それだけの、何気ないやり取り。

 

でも、こういう時間が、俺は好きだった。

 

「そうだ」

 

蒼司が、持ってきた袋から何かを取り出す。

 

「これ。この間の個展の絵、持ってきたよ」

 

「ああ。あのカボチャのやつな」

 

「うん」

 

俺は、受け取った絵を眺める。

 

「ありがとう」

 

しばらく、じっと見つめる。

 

「やっぱ、この絵好きだな」

 

蒼司は、少し照れたように笑った。

 

「うん。俺も気に入ってたから」

 

それから、俺の顔を見る。

 

「カイトが欲しいって言ってくれて、

 

 嬉しかった」

 

「……そうか」

 

俺は、もう一度絵を見る。

 

部屋の中には、穏やかな空気が流れていた。

 

この時間が、ずっと続けばいい。

 

そんなことを、ふと思った。

 

 

 

けれど。

 

 

 

今日は、それだけでは終われない。

 

俺は、絵をそっとテーブルに置いた。

 

そして、少しだけ深呼吸をした。

 

「……蒼司」

 

「ん?」

 

「ちょっと、話したいことがある」

 

蒼司の表情が、

 

少しだけ変わる。

 

「……うん」

 

俺は、一度だけ目を伏せた。

 

それから、ゆっくり顔を上げる。

 

「今度、竜司に会ったら……」

 

言葉が、少しだけ詰まる。

 

「蒼司と付き合ってること、

 

 ちゃんと話そうと思ってる」

 

蒼司は、何も言わなかった。

 

ただ、俺の顔をじっと見ている。

 

しばらくして、小さく息を吐いた。

 

「……うん」

 

穏やかな声だった。

 

「いいよ」

 

「……大丈夫かな」

 

蒼司が、少しだけ心配そうに俺を見る。

 

「カイト、無理してない?」

 

「ああ……」

 

正直に答える。

 

「何とか、大丈夫。

 

 まあ……多分だけど」

 

「そっか」

 

蒼司は、それ以上、何も言わなかった。

 

しばらく考えるように、黙っていた。

 

 

 

そして、少し迷いながら口を開く。

 

「だったらさ……」

 

「ん?」

 

「俺から兄貴に言ってもいいけど……」

 

「いいや」

 

俺は、すぐに首を振った。

 

「それはいい。大丈夫」

 

少しだけ、

 

声を強める。

 

「これはさ……」

 

一度、言葉を切る。

 

「俺自身が、

 

 竜司と向き合うために、

 

 必要なことなんだ」

 

蒼司は、しばらく俺を見つめていた。

 

そして、

 

小さく頷く。

 

「……うん」

 

短く、でも、はっきりと。

 

「分かった」

 

蒼司が、柔らかく笑う。

 

「カイト、頑張って」

 

「ありがとう」

 

俺は、そう答えた。

 

怖くないわけじゃない。

 

でも――

 

逃げる理由も、もう、なかった。

 

 

 

夜も遅くなり、

 

時計の針は、22時が過ぎようとしていた。

 

「蒼司、今日は泊まっていくよな?」

 

「そうだね。そうするよ」

 

蒼司は、小さく笑った。

 

「先にシャワー浴びるね」

 

「おう」

 

蒼司が、部屋を出ていく。

 

しばらくすると、シャワーの音が聞こえてきた。

 

俺はベッドに腰を下ろし、その音をぼんやり聞いていた。

 

 

 

やがて、蒼司が戻ってくる。

 

「お待たせ」

 

「おう」

 

二人でベッドに入り、並んで横になる。

 

部屋の明かりを落とすと、

 

静かな夜が戻ってきた。

 

「俺、明日朝練だから、先に出るからな」

 

「わかった。じゃあ、いつものように

 

 昼休みに鍵渡すね」

 

「ああ」

 

 

 

少しの沈黙。

 

 

 

俺は、天井を見つめながら、ふと思った。

 

「なあ、蒼司」

 

「ん?」

 

「ベッド、買い替えるか?」

 

蒼司が、こちらを見る。

 

「やっぱ男二人じゃ、

 

 セミダブルはきついよな」

 

蒼司は、少し考えてから笑った。

 

「じゃあ、今度買いに行く?」

 

「おう」

 

それだけの会話なのに、なんだか嬉しかった。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「ああ。おやすみ、カイト」

 

俺は、蒼司の方を向いた。

 

そして、優しくキスをした。

 

短いキス。

 

それだけで、胸の奥が温かくなる。

 

「おやすみ」

 

「うん」

 

二人は、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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