顔にレイコから渡された塗り薬──薬草とアオキノコとハチミツから出来ているらしい──を塗った紅蓮は、池の前に置かれたテーブルを囲っていた。そこには羊皮紙を思わせる筆写用素材が置いてあり、紅蓮は炭化させた細枝をペン代わりにして地図を書き込んでいた。なお、紅蓮の対面にはレイコが座っていて、インナー姿ではなく、ワイルズの初期装備でお馴染みのホープ装備一式だった。随分とかっこいい出で立ちだな、と紅蓮は密かに思っていた。
「俺が来たのはここ、断崖に囲まれた密林だ」紅蓮は描いた密林をペンで指す。「そこから断崖を登って河川に沿って進んできた。湖を見つけられたのは、途中にあったバスタードの木──でかい木に登ったおかげだ」
「へえ、随分と広い範囲を探索してるのね」レイコが感心するように言った。「こっちの沼地についても、教えてちょうだい」
「沼地かあ。正直に言えば、あんまり探索できてない。高さ二十メートルほど落ち込んだ大地にあって、いつも深い霧に包まれてる。沼地に点在する盆地には暗い森が広がっていて、その中にはカンタロス、ランゴスタ、イーオスなんかが生息してる。他にもいるかも知れないけど、詳しくは知らない」
「なるほどね……」
顎に手を添えて考え事をしたレイコは、次に自身の情報を開示した。
「私が知ってるのは、この湖の東側──地図で言うところの右側ね。北北西から南南東──面倒くさい! 北から南に向かって長く伸びた湖だけれど、周囲は色んな山々に囲まれているわ。石灰岩とか岩塩とかが豊富にあって、洞窟だって沢山ある。ここら一帯の森にはアプトノスの他に、ケルビが生息してるわね。油断してるとランポスやドスランポスに出くわすから、注意が必要よ」
「ドスランポスだったら、ここに来る前に見たな。かなりの大所帯だった」
レイコが片眉を上げて「なんですって?」と言った。
「その群れは、ここら一帯の支配者に違いないわ。私は目をつけられないように普段から気を付けてるのよ。でも、湖から離れるなんてこと、今までなかったのに……」
「狩りの遠征でもしてるんじゃないか? 道中にアプトノスもいたことだし」
「そう思いたいところね」
やけに考え込む様子のレイコが気になった紅蓮は、「考えてることを話してみろ」と言った。
「……東側の森はドスランポスが支配者として君臨してる。私は西側をまだ探索できてないから分からないけれど、湖の支配者は知ってるわ」
「それは?」
「ガノトトス。それも特大金冠サイズの個体よ! 一度だけ見たことがあるわ。水辺にいたアプトノス──もちろん成体よ?──の胴体に一瞬で噛み付いて、物凄い水飛沫を上げながら水中に引きずり込んでいったの。私は白昼夢でも見たのかと思ったけれど、砂浜に残る痛々しい跡が、これが現実なんだと教えてくれたわ」
当時を鮮明に思いだしたのか、レイコが深く息を吐いた。
「はっきり言って勝ち目はないし、湖に近づくのはおすすめしないわね。湖のヌシたるガノトトスに丸呑みにされたくなければ、尚更ね」
「マジかよ……」
ガノトトスと水中戦!なんて馬鹿げたことは断じてできないし、やってしまったら間違いなく食われる。紅蓮は恐ろしげな想像をして身震いした。
「話が逸れたわね」テーブルに載っていたコップを傾けて、レイコが喉を潤した。「私が気に掛けているのは、環境が変わってしまったんじゃないか、ということよ。ドスランポスたちがただ単に遠征に行っただけならいいけれど、新たな支配者が台頭してきた結果として縄張りを変えたなら、私たちはそれに順応しなければならない。せっかく手に入れた安息の地を追われるのは、勘弁して欲しいわ」
「なるほどなあ」
生態系の頂点ならば好き勝手にできるだろうが、こちらは間違っても頂点ではない霊長類だ。この世界は竜が支配しているのだから、生態系の下位に位置する生物は軒並み理不尽な脅威に晒され続ける。それに抗い、生態系の一部として君臨しようとするのが人間でありハンターなわけだが、現状では支配者に成り代わることは不可能に近かった。
何はともあれ、レイコと協力関係を結べたので──殴り合いはしたが──ここに第二キャンプを設営することにした。そのためにもバスタードを呼び寄せなければならない。紅蓮はレイコに、暇ならついてくるか?と聞いてみた。
「そうね……ついて行ってもいいわ。それなりに有用な素材があるならね?」
「そりゃあるぜ! ワイルドマンゴーやソープビーンズ、道中にはペピポパンプキンだって自生してた」紅蓮は思い出したように付け足した。「あ、名前はオレが勝手に付けてるからな!」
「私の知らない植物なのは確実だし、ちょっとだけ楽しみね」
早速遠出の準備をし始めたレイコがログハウスに消えていったので、紅蓮は用意されていたコップを傾けて、美味しい果実水を飲んだ。リンゴを思わせる甘さと酸味が素晴らしくて、紅蓮は一瞬で飲み干した。
時は流れて翌日。レイコを連れ立った紅蓮は見慣れた密林に戻ってきた。穏やかながらも綺麗なターコイズブルーの海が海岸沿いいっぱいに広がっていて、こじんまりとした離れ小島からは焚き火の煙が上がっている。紅蓮は後ろへ振り向いて、レイコに話し掛けた。
「あそこがバスタードの拠点だ。なかなかイイところだろ?」
「ええ、そうね。食料には困らなそうだし、外敵も少なそう。暮らす分には最適じゃない。もしもの際はこっちに避難しようかしら?」
「いいんじゃないか? 拠点なんていくらあったっていいし」
道中は当然ながらレイコと二人きりなので、紅蓮は世間話などをして戻ってきた結果、それなりに仲良くなった。初対面の時はとんでもねえ女と思っていたが、今では多少ズレてる女程度の認識になっていて、紅蓮は内心ほっとしていた。
橋を渡って離れ小島の海岸を進んでいくと、掘っ立て小屋が見えてきた。その手前では焚き火が焚かれていて、バスタードが石焼き用テーブルでキレアジの炒めものを調理していた。紅蓮が「おーい! 戻ってきたぞー!」と声を掛ければ、バスタードが顔を上げたのち、満面の笑みを浮かべた。
「おやおやおや! これはこれは紅蓮さん! 次はどんな偉業を成し遂げたかと思えば、まさかハンターを連れてくるだなんて! やはり、紅蓮さんは導きの青い星に最も近い女性かも知れません!」
「すごい買い被ってるじゃん⁉」
慣れた手つきで石焼き用テーブルを移動させて、調理を中断したバスタードがこちらへやってきた。紅蓮はバスタードとレイコ──両者と
レイコは艶やかな黒髪を指先で遊んでは、そわそわとしていた。紅蓮はぎょっとして、やけにメス臭を漂わせるレイコを凝視した。
「はじめまして! 僕はバスタードです。きっと貴女も僕と同じ境遇なのでしょう。なんとも不可思議で不条理な世界に連れてこられたものですが、こうして貴女と出会えたことに感謝をしていますよ! よろしければ、貴女のお名前を伺ってもよろしいですか?」
「……私はレイコよ。確かに、私は大変な目に遭ってきたわ。でも、それも今日で終わりかしらね。だって、バスタード君に出会えたんですもの。私、今まで心寂しかったの……よかったら、仲良くしてね?」
「もちろんですとも! さあさあ、昼時が近いですから、一緒に昼食をとりましょう!」
「フフ、バスタード君って優しいのね!」
アハハ!ウフフ! なんとも平和的なやり取りだが、紅蓮は空いた口が塞がらなかった。あのレイコが、初対面にも関わらず乳にビンタをカマして殴り掛かってきたあのレイコが、メスの顔をしているのだ! 紅蓮は「あのババア、オレと態度変わりすぎだろ……⁉」と毒づかざるを得なかった。
それはさておき、仲良く昼食を食べ終えた紅蓮は、バスタードに湖のことを話した。レイコからの猛プッシュもあって、湖に向かうことが早々に決まり、明日の朝から移動することになった。そのため、昼からは湖に持っていく道具や食料、素材を厳選することにしたのだ。
掘っ立て小屋の脇には、簡易的な倉庫──屋根があるだけの空間──があって、そこには様々な物品が並べられていた。
ヤオザミの小殻や背負っていた貝殻、イーオスの素材、キレアジの鱗、投げ槍、スリング、ボーラ、ロープ。他にも、籠に入れられたワイルドマンゴーやソープビーンズ、ココナッツ、アオキノコ、薬草などがあって、雑然としていた。
紅蓮は持っていくためにはリュックが必要だと思った。そのことを口に出せば、バスタードが掘っ立て小屋に向かう。不思議に思った紅蓮が待っていると、なんとバスタードが背負い籠を二つ持ってきたのだ!
「湖に向かうことを考慮して、事前に作っておきました! 二つありますので、必要最低限は持ち運べることでしょう!」
「お前、天才!」
バスタードのおかげで苦労もなく、荷物はまとめ終えた。その後は自由時間となったので、紅蓮はレイコにスリングの使い方を教えたり、小川に行ってソープビーンズの真価を披露したりと充実した時間を送った。やがて日が落ちたので、豪勢な夜食を堪能して、眠りについた。
時の流れは早いもので、紅蓮は広大な湖の前で大きく伸びをしていた。既に昼時を過ぎていて、おおよそ三時頃だ。この湖に至るまでの道中にはこれといって問題もなく、河川で涼みながら来たので、疲れは溜まっていたが心は晴れやかだった。それはバスタードとレイコも同様なようで、二人共が笑顔を浮かべていた。
「おお! これが湖! なんて広いんだ! 僕の心だってここまで広くはありません! 信じられない!」
「いい景色ね、改めてそう思うわ」
休息もそこそにして、紅蓮はレイコの先導の
鬱蒼と茂る木々の中にある、地下水の湧き出る池──レイコ池のほとりにレイコハウスはある。長旅の果てに辿り着いた紅蓮は少し休息を挟んだのち、バスタードと共に簡易的なキャンプを作った。明日はレイコ主導でログハウスを作る予定であり、そのための道具である斧は、レイコとバスタードが持っている大型の剥ぎ取り用ナイフが代わりとなる。なお、ログハウスと言っても細めの丸太を積み重ねて作る小屋である。残念ながら詳しい建築知識を持つ者はいないので、素人なりに作り上げるしかなかった。
森の中に潜む紅蓮はスリングを緩やかに回し始めて、狙いを定めていた。そして回転が最高潮に達した瞬間、強かに大地を踏みしめて小石を投擲する。
ヒュン!と鋭い風切り音が鳴ると同時に、悲鳴が聞こえてきた。紅蓮は側にいたレイコに目配せをして、仕留めた獲物に近寄った。
斑模様の浮かぶ緑がかった毛皮をした、シカを思わせる小型の草食獣。立派な角が生えていて、耳がピンと上を向いているので、紅蓮はこれはオスだろうと思った。
「よし、ケルビを仕留めたぞ!」
「やるじゃない」
ケルビと呼ばれるモンスターを倒した紅蓮は血抜きをして、レイコハウスに持ち帰った。
夜の帳が下りてきて、森が段々と暗闇に包まれていく。紅蓮はレイコハウスの前に焚かれた焚き火を、バスタードとレイコと一緒に囲んでいた。
携帯焚き火台に付属していた金属製の網を上手いこと使って、ケルビの肉を焼く。その他にも、森で採れた野草やキノコを焼いていた。
「また忙しくなるな」紅蓮は言った。「でも、少しずつだけど進歩してる。いずれ、探索に本腰を入れられるようになればいいんだけど」
「大丈夫ですよ! 僕らは我らの団にも引けを取らないほど結束が強いですから! いつの日か、元の世界へ帰れますとも!」
「会って数日じゃないのよ。でも、そうね。私もいつまでもこの世界に留まりたいわけじゃないし、せめて人里でも見つけて悠々自適に暮らしたいわ」
随分と楽観的な性格のバスタードも、元の世界へ帰りたいと思っていたようだ。あえて理由は聞かないが、おそらくモンハンをやりたいからだろうなと紅蓮は思っていた。
レイコは元の世界への未練があまりないようだが、だからといってサバイバル生活を続けたいわけではないらしかった。それもそうだろう。現代日本人からすれば、この世界はあまりにも不便極まりなく、誰かの助けなしでは生きられない。レイコが言った通り、せめて人里でも見つけられれば、一段と過ごしやすくなるはずだ。そうなれば、将来の不安も払拭されるに違いない。
「今後の目標を考えよう」紅蓮は二人に目配せをする。「とりあえず生活の質を上げるのはいいとして、どこを探索するかだ。レイコは何かあるか?」
「そうね……やっぱり、湖の西側かしら。あちらは深い森──緑の森だったかしら?──に繋がっているし、こことはまた違った環境だと思うのよ。ドスランポスとは全く別の支配者がいるかも知れないし、新たな支配者が居座っている可能性もなくはない。まずはそこを探索するべきだと思うわ」
「なるほど」
涼やかな夜風に吹かれる紅蓮は、レイコ池の天上に浮かぶ満点の星空を見上げて、物思いに耽った。
──レイコの言っていることは筋が通っているし、採用しない手はないだろう。周辺にどんなモンスターが生息してるかの調査は急務に他ならないし。
紅蓮はバスタードに意見を聞いてみれば、「反対しない手はありません!」と同意をしてくれた。
「よし、なら拠点を作り次第、湖の西側を探索しよう。その時のメンバーは、また今度決めることにする」
「ええ、それでよろしいかと思います!」
「紅蓮が取り仕切ってるのが気に食わないけれど、まあいいわよ」
相変わらず口が減らないレイコだが、自分の意見が採用されたからなのか毒は感じなかった。紅蓮は少し焦げてしまったケルビ肉やホワイトレバーを食べて腹を満たすと、二人に声を掛けてから簡易キャンプに向かった。焚き火に照らされた二人の影が踊る。紅蓮はその様子をぼんやりと眺めながら、穏やかな眠りについた。
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