戦いがあった。
多くの騎士達を犠牲にして。
数多の願いを踏み躙って。
私はその戦いを引き起こした存在の記憶を引き継いだ。
ノーアンサー。
世界を渡る船であった彼女のそれは記憶というよりは記録と言ったほうが正確であろう。
だが、この戦いは記憶と言っていいかもしれない。
特別なものであったのかもしれない。
それはこのグレイヴキーを見つけた時、ノーアンサーの残滓のようなものを感じ取ったから。
ノーアンサーの残香に不意にノスタルジーに似たものを覚え、興味が沸いた。
好奇心は猫を殺すというが、私は知りたかった。
再生する。
ノーアンサーの記憶の断片を。
騎士となった少女達の残光を。
case1
ある少女の記録。
秋の村雨の中、一輪の黒。
黒傘を左手に、白百合を右手に。
墓標に白百合を供え、黒の少女は霊園を後にした。
少女は美しい。
夜の清流のよう流れる髪に新雪を思わせる美白の肌。それを覆い隠すも漆黒のセーラー服。
目鼻立ちははっきりとし、瓜実顔。
大人びた雰囲気を纏う少女だが、その唇は淡い果実のようで少女から女へと至る過渡の神秘性を結び秘めるが、何よりも少女が異彩を放つはその目にあった。
切長の瞳に宿る黒は冬の澄んだ夜空のよう。
見る者を遠く彼方の星へと惹きつけ、吸い込んでしまいそうなほど。
誰もが少女を特別と言った。
誰もが少女を讃えた。
才色兼備、大和撫子の申し子と。
彼女は特別な少女であった。
人を殺したことはありますか?
YES/NO
NO
人を殺したいと思ったことはありますか?
YES/NO
YES
case2
ある少女の記録。
窓の外は雨であった。
肩にかかった栗色の髪を指に巻きつけ弄ぶ少女は退屈そうにしていた。
同室の学友は外出しており話相手もいない。
現代社会とは隔絶されたかのような、否、隔絶された伝統重んじる学風によって持ち込める娯楽は少なく、自学自習に走らせていたペンがすっかり手の中で踊り続ける玩具へと様相を変えていた。
活発そうな瞳の少女にとって、ここは監獄にも等しい場所。
幸い、友人が多いことで退屈はしておらず、過度な享楽に耽ることもなく受験勉強にも集中出来てはいるが。
座り続けて固まってきた身体を伸ばした少女は机の上に置かれた鏡に目がいった。
円顔気味なことが小学生の時分からのコンプレックスで、太っているように見えてしまう。周りはみんなそんなことない。愛嬌があって可愛らしいと言うが、気になるものは気になる。
彼女はそんな年頃の少女であった。
人を殺したことはありますか?
YES/NO
YES
人を殺したいと思ったことはありますか?
YES/NO
NO
降り続いた雨は夜明けには止み、秋の色に染まり行く木々の葉を濡らしていた。
地球温暖化の影響が叫ばれて久しい夏の長期化に存在感を失いつつあった秋がようやく顔を出し、心地良い涼しさに古風な黒いセーラー服を着用した少女は深く息を吸って沁みる大気を身体に取り込んだ。
「はあ……すっかり秋って感じ〜!」
空の色を見つめ、少女は来る秋の到来に胸を弾ませた。
思わず駆け出したくなる気持ちにもなるが、ぐっと堪える。校門前に立っている教師にそんなところを見られたら小言をもらってしまう。
別に今更何を言われようが関係はなく、どこ吹く風ではあるのだが、余計な時間を取られたくはないので模範的な生徒であることに努める。
わざわざ反抗心を燃やして問題児扱いされるのも困るのだ。
そんな少女の背に声をかける三人の女子学生。
「おはようアクリア〜」
「おはようございますアクリアさん」
「おはようアクリア。音楽流して」
「だから人を電化製品みたいに呼ばないでよ〜!」
栗色の髪の少女は振り向き、友人達にそう抗議する。恒例のやりとりである。
少女の名は阿久莉愛。
その語感から友人達は莉愛のことをフルネームで呼ぶ癖があった。
「ねー音楽ー」
「流しません」
朝に弱いのか小柄な女子、岩上由佳は開き切っていない瞳で莉愛を見上げて制服の袖をぐいぐいと引っ張っていた。
「今日のトップニュースは?」
「スマホで調べればいいじゃーん」
夏に日焼けした肌が薄くなってきたスポーティな少女、倉本澪の質問に莉愛はツンとそう返答した。
「アクリアさん。今日のお天気はどうでしょう?」
「うーん。晴れ!」
「見りゃ分かるでしょーが!」
「ずるいぞー。音楽流せー。エセ・ラフムがいいー」
お淑やかな少女、松来桃香の質問には気前良く答え、他二人から顰蹙を買う。
これもまた莉愛の日常の風景。
いつも通り楽しく学友と共に短い登校。すぐに学校に到着してしまう。
まだ校門前に生徒の数は少ない。登校のピークには早い時間だが、生徒指導を請け負う工藤教諭はいつも通り立っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
鋭い目つきにフレームレスの眼鏡をかけることで更に鋭利さを増している工藤教諭だが、真面目に挨拶をすればそれでいい。
そんな工藤教諭のことをゲームのNPCのようだと、莉愛は密かに思っていた。
そうして、校門をくぐってすぐのことである。
前の道路に停められた黒塗りの高級車。運転席から燕尾服の壮年の男性が降りて、後部座席のドアを開く。
「ありがとう」
開かれたドアから現れるは、黒の少女。
すらりと背が高く、その立ち姿は鶴か、百合か。
黒の少女は執事へと礼を言うと、執事は「いってらっしゃいませ」と頭を下げた。それにもまた返事をした少女は工藤教諭へと挨拶をし、校門をくぐる。
その様子を登校中の他の生徒達も釘付けとなって眺めていた。
少女には誰もが目を奪われるほどのオーラがあった。
「ああ! 今日も妃織様はお美しいですわ〜!」
少し離れた位置からその少女を見つめる女子生徒の感嘆の声。
背丈と同じぐらい髪を伸ばしているのではないかと錯覚するような長髪は太陽の光を浴びて紫光る黒。
切れ長の大人びた瞳に宿る黒は名人がすった墨のようで黒いのに闇ではなく光を連想させる。
そんな黒を際立たせる白い肌に、莉愛は幼い頃に旅行した北海道の雪原を思い出す。
美少女ではなく、美人と表現したくなる彼女の姿に莉愛は同じ制服を着ているはずなのに、何故こうも違うのだろうと思わざるを得ない。
何せ、制服まで黒いのだ。彼女のためにデザインされたのではないかと馬鹿馬鹿しい噂が立つほどに。
黒の少女の名は妃織。
彼女の名を知らない者はこの学園にはいない。
「麗城寺女学院始まって以来の才女にして淑女! この腐り切った現代社会に咲いた至高の華!」
また、先程の女子と同じグループの女子が讃える。
あそこの二人は千國妃織のファン筆頭と呼ばれていた。妃織の一挙手一投足に感動し称賛している。
千國妃織を慕う者は多いが、その中でも存在感を放つ二人組。
「今日もお綺麗ですね、妃織様は」
桃香もにこやかにそう口にする。
そう、千國妃織は美しい。
その評価は揺るぎなく、否定する者が現れればあの二人組を始めとした人々が怒りに燃えるだろう。
「帝大、推薦だってよ。合格確実だろうなー法学部だってよ。」
「えっ! マジ!?」
この国の最高学府に既に進学が決まっているのかと莉愛は絶句した。
なにより、自分も目指している学校、それに学部であることに驚きを隠せない。
「そういえば莉愛さんは妃織様のことを千國さんとお呼びしますよね?」
「たしかに、言われてみれば」
「なんでー?」
「な、なんでって」
その時、莉愛の脳裏には暗闇で火花が散るようなイメージで記憶が再生された。
誰にも言えない、記憶を。
古い映画を見るように、白と黒で再生された記憶の中で唯一鮮明に、べったりと色づく赤い色。
ぬめりと生温かいあの感触。
忘れろ、忘れろ、忘れろ。
「いや、ほら? 友達でもないのに名前で呼ぶのが躊躇われるっていうかさー。ねぇ?」
「なるほど。たしかに、そういう風に思う方がいても不思議ではありませんね」
「でも、そんなん気にするタイプだっけ莉愛?」
「うむー」
たしかに阿久莉愛という少女はフレンドリーで誰ともすぐに打ち解けることが出来る。
そんな莉愛が唯一、あえて遠い存在としているのが千國妃織であった。
「や、いいじゃん別にー。あ、それより知ってる? 七人ミサキ!」
露骨かもしれないが、莉愛は話題を変えるために適当に口走った。
「何それ」
「四国地方に伝わる七人組の幽霊達ですね。七人ミサキを見てしまった人は呪われて高熱を出して死んでしまうんです。そうして七人ミサキの一人が成仏して、呪い殺された人が新たな七人ミサキに加えられるという怪談です」
桃香はすらすらと七人ミサキの説明をする。
隠し切れない瞳の輝きから、桃香はこういった怪談が好きなのだろうということが伝わってきた。
「詳しいな」
「え!? そうなの!?」
「いや知らないんかい」
せっかくの説明だったが、莉愛の知っていた七人ミサキとは違ったようだった。
すると桃香は次の七人ミサキについても話し始める。
「では渋谷七人ミサキの方でしょうか。30年前に流行したものですが渋谷の坂で七人の女子高生が不審死を遂げたという都市伝説です。女子高生達は援助交際をしていて、妊娠した子供を中絶したそうです。死んだ子供達の怨念が母親である女子高生達の命を奪ったという……」
「やたら詳しいな」
「そんな怖い話だったの!?」
「また違うんかい」
またも莉愛の知っていた七人ミサキとは違い、流石の桃香も首を傾げる。七人ミサキといえば、この二つの話のどちらかだろうと。
「じゃあアクリア、七人ミサキについて教えて」
「だから家電じゃないってば。……私が聞いた話は、なんでも願いを叶えてくれるってやつなんだけどな」
「桃香の話と全然違うじゃん。見た人を殺すようなお化けがなんで願いを叶えてくれるのさ」
たしかにと莉愛は頷いた。
恐らく元ネタと思われる二つの七人ミサキの話とも共通点のようなものが見当たらない。
何をもってして七人ミサキなのか、てんで分からなかった。
「いろんな話がごっちゃになって、間違えて覚えたんじゃない?」
「莉愛は友達多いし、いろんな話毎日聞いてるでしょーし」
「でも、興味深いですね。最近の都市伝説に願いを叶えるなんて物があった覚えもないですし」
「うーんそうだったかなぁ」
莉愛は自身の記憶違いを疑ったが、どうにもそんなことはない気がする。たしかに願いを叶えるというような内容であったはずと記憶を辿るも、上手く思い出せない。
思い出せないということは、大した内容ではないのだろう。
莉愛はそう判断して、七人ミサキのことを思考の隅に追いやった。
「そういえば、来週は莉愛の誕生日でしょ。お祝いしないと」
「え! じゃあケーキ! カラオケ!」
「現金だなー」
「それでは受験勉強の息抜きにもなりますし、ハメを外しましょう!」
年頃の少女らしい会話を重ね、莉愛達は教室へと向かう。
受験を控えた少女達は受験勉強に明け暮れる。
一日のほとんどを勉強に費やすような時期の少女達は、定期的に行われる模試でその価値を測られては一喜一憂。
人生という長い時間の中で見れば、ほんの1%にも満たない時間だが、当人達からすれば永遠に終わらないのではないかという学びの地獄のような時期を阿久莉愛は生きていた。
人生という、長い時間?
それは平均の話。
現代の10代の少年少女であれば、まあ多かれ少なかれそうなのでしょう。
けれど、そう。
もう一度言うわ。
それは平均の話。
平均なんてものは、多用されるわりには信用ならない数字なのだから。
だから例えば、ざっと七人程度。
そう、七人。
七人がちょーっと、若くして死んだぐらいでは、平均は崩れないもの。
なんせこの年代の人間はこの国だけで300万近くいるのだから。
「七人ミサキを殺せば、貴女の願いは必ず叶うわ!」
今宵もまた人間を惑わす。
もう幾度も繰り返した、この問答に少しばかり飽きるぐらいには。
毎回、手を変え品を変えとあれこれアレンジして遊んできたけれど、こればかりはアレンジのしようがない。
王道ということにして、自分に言い聞かせる。
重要なのは謳い文句ではなく、闘いと内容。
その点、今回のゲームはライダーに選んだ少女達にある繋がりを持たせた。きっとこの殺し合いを盛り上げるだろう、一見何の繋がりもなさそうな少女達を繋ぐもの。
それは……まあ明かすのはもう少し引っ張ってもいいでしょう?
最近は伏線、伏線と色々と五月蝿いものだから。
閑話休題。
とにかく、繋がりを持たせるためには起点が必要。
そのために、まず一人。
そう、一人目こそが重要。
さあ、あなたの願いを叶える機会を与えてあげましょう。
————だというのに、この娘は。
「いいえ、ノーアンサー」
「……?」
「私の願いはもう、叶いました」
黒の瞳が微笑む。
私にそんな視線を送ってきた人間は、初めてだった。
照明もつけぬまま自室のベッドに寝転び、スマートフォンを傾ける。
「アキラの法廷日記〜⭐︎ 今日は〜一事不再理について解説するよ⭐︎」
好きな配信者の動画を見る。
私と同い年ながらに法に着目し、若い世代に分かりやすく法について解説する少女、アキラ。
ストロベリーブロンドのキラキラとした髪が羨ましい。
3年ほど前に投稿された動画だけれど、もう数え切れないほどに再生している。
「みんなは一事不再理って知ってるかな〜⭐︎ 一事不再理っていうのは、裁判で判決が確定した人を同じ事件で起訴することが出来なくなることを言うんだ〜⭐︎ 有罪でも無罪でも一緒⭐︎ 日本国憲法39条⭐︎ 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。って書かれてるんだ⭐︎」
そう、一度確定したら誰もその罪を問えなくなる。
たとえ真犯人であったとしても無罪となれば、後に決定的な証拠が出てきてもその事件については無罪となる。
そう。
だから、私は無罪なのだ。
本当は、有罪であるというのに。
私はかつて、人を殺した。
この手で、ナイフで、殺してしまった。
殺すつもりなんてなかった。本当になかった。
あれは事故だったんだ。
あんなことになるなんて。とにかく、結果として私は人の命を奪った。
だが、その代償を支払うことにはならなかったのだ。
気がつくと、動画の再生は終わっていてスマートフォンを持っていた両手をベッドに沈める。
息を吐いて、眠るわけではないけど目を閉じる。目が疲れたのだ。
このまま寝てしまいたいけれど、受験生という身がそれを許さない。今の成績では志望校に入るのは若干厳しい。頭を切り替え、勉強に励もうと思った瞬間、秋風に頬を撫でられた。
少し、肌寒い。窓なんて開けていないのにと目を開ける。
すると、私の顔を覗き込む銀髪の少女の顔があった。
「ひっ……誰!? どこから入ってきたの!?」
私は猫になったかのような俊敏さで身体を起こして、少女から距離を取ろうとした。
しかし、ベッドの上はまな板の上のように狭く、背中を壁に打ちつける。異様な状況に背中の痛みよりも、この謎の少女を警戒しろと少女に釘付けとなる。
扇情的な紫のナイトドレスに身を包み、透き通るような白い肌に銀髪。
まるで、人形のよう。
シチュエーションさえ整っていれば、素直に綺麗だと思えたのに。
「驚かせてしまってごめんなさい。私は、ノーアンサー」
「ノー、アンサー?」
およそ人の名前とは思えない。よりこの少女への不審感が高まる。
「が、学校の人でもないよね。警察、警察呼ぶから」
「警察って、阿久宗次郎さんのことかしら?」
身体が硬直する。
「なんで、パパの名前……。パパの知り合い、なわけ、ないよね」
「ええ。ただ知っているというだけ。阿久宗次郎。45歳、東京都板橋区出身。帝都大学法学部卒業後警察庁に入庁。現在は主席監察官。エリートね。お爺様は国会議員なのでしょう?」
すらすらと澱みなくパパのことを口にした少女に恐れを隠せなかった。
この少女が何者か、ではなく。
パパのことをどうにかしようとしているかもしれない、でもなく。
ただ、私のことを知っているのではないかということが堪らなく怖かった。
「許されたい。そう思っているのでしょう?」
「っ!?」
ああ、知られている。
この三年間、学園内に私の殺人を知る人間は現れなかった。
知られたら居場所がなくなってしまう恐怖とずっと戦ってきたというのに、こんな時期になってから……!
「安心して言いふらしたりしないわ」
「何なの、あなた」
「あなたの願い、叶えて差し上げるわ!」
息が漏れる。
願いを、叶えてくれる。
私の願い。ひどく、ひどく、乾いてしまったかのよう。縋りたい、その言葉に。
「ね、願いって……」
「文字通り、あなたが胸に秘めている、どんな願いも叶えることが出来るわ」
どんな願いも……。
あの噂話を思い出す。七人ミサキ。
「もしかして……七人ミサキ……」
「あら、知っていたの? それなら話が早いわ。あなたには七人ミサキを殺してほしいの」
「殺す————」
吐き気を催す。頭の奥で血管が切れて、脳が血で満たされていくような気色の悪い熱がじわりと広がっていく。だというのに身体の末端からは血の気が引いたように冷たく、震えることしか出来ない。
殺す、だなんて。
「だ……だめ、だよ……殺す、だなんて……。だめ、だめ……」
「……今夜はいい月ね」
「え?」
「こんな月の日こそ、願うのに相応しい。あの月に向かって唱えるのよ。
『戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います。
戦います、戦います、私は願いのために戦います。
戦います、戦います、生き残りたいから戦います。
勝って、嬲って、潰して、犯して————そして七人ミサキを、殺します』たった七人殺すだけ。そうすれば、あなたは願いを叶えることが出来る」
たった七人?
その言い方は完全に私の神経を逆撫でるものだ。
既に人を殺したことがあるあなたなら七人殺すのも同じでしょ?
そう言われているのと同じ。
「あなたは償いの機会を奪われた。だから償いたいと思っている。そうでしょう?」
「それ、は……」
「七人ミサキを殺せば、どんな願いも叶えられる」
「罪を償うために、今度は七人も殺せっていうの……?」
「一人と七人は天秤が釣り合わない?」
「当たり前でしょ……! 七人ミサキなんてオバケだとしても!」
そもそも、天秤という喩えがおかしい。
一人も、七人も、私というひとつの秤に重ねるものだ。
「想像以上に倫理的で道徳的ね。ごめんなさい。あなたのこと誤解していたかも。でも……私の出来る範囲で願いは叶えられる。それだけは忘れないで」
瞬きひとつの間に、目の前からノーアンサーと名乗る少女は消えていた。夢幻のように。
ドッと疲れのようなものが押し寄せ、壁に背中を預けて深く息を吸う。
「はは、受験勉強疲れかな……」
目を閉じて、夢とは思えない夢から完全に抜け出そうと天井を見上げる。
開け放たれた窓が冷たい風を招きこむ。
いい加減、窓を閉めよう。
ベッドから離れ、窓辺に立つ。
まるで絵画のように夜空に浮かぶ満月が、窓という額縁に飾られているかのよう。
ふと、思い出したことがある。
月の魔力の話。
ファンタジーではなく、リアルの話。つまりは、つまらない話だ。
満月の日は交通事故が増えるのだという。月に目を奪われ、注意力が散漫となり事故が起きると、堅物な父が言うのだ。珍しく冗談を言ったのかもしれないし、やはり真面目なので本当のことを言っただけなのかもしれない。
だからこれもきっと、月の魔力に魅入られたから。
「————戦います、戦います、私は七人ミサキと戦います」
夢にしては、やけに鮮明な記憶。
覚えている、一言一句。
「戦います、戦います、私は願いのために戦います。戦います、戦います、生き残りたいから戦います」
願いを叶えるだなんて、馬鹿馬鹿しい。
人を殺すなんて、赦されない。
誰かを殺してまで叶えたい願いなんて。
願いなんて。
「勝って、嬲って、潰して、犯して————そして七人ミサキを、殺します」
償いたい。
罪を、償いたい。
「え……?」
落ちたのか、浮いたのか。
足場がなくなったような感覚。そして、光に包まれる。
「っ……な、に……?」
足がつく。
立っているという事実に安心と同時にさっきの浮遊感への戸惑いに足がもつれる。
その時、はじめて外界を見た。
「どこ、ここ……」
少なくとも、寮の部屋ではなかった。
壁、天井、床。一面コンクリートと思われる素材で造られている。状態は悪く、ひび割れ、蔦に侵されている。手入れなどされてはいないし、そもそも手をかける人間もいないのだろう。
「なんで、こんな……ここはどこ!? 誰かいませんか!」
だというのに、叫んでいる。
こんな非常事態に、声を荒げない方がおかしい。
遠く消えていく私の声の他に音はない。はずだった。
靴音。石畳を歩く、固い足音。
他にも人がいる。それだけで私は助かったと思ってしまうほどだった。
「よかった……」
安堵の息を漏らす頃、靴音を鳴らすものが現れる。
「え……」
影が、歩いてる。
それを見て真っ先にそう思った。
手足も、胴体も、頭も、黒い。
その黒い人型は俯きがちに立っていた。小柄な少女の影のようなそれは、顔を上げて私を見つめる。それが顔を上げてようやく気付いたが、頭には口元だけが露出した黒い仮面を被っているようだ。だから、あれは人だ。人なんだ。
正体不明の化け物ではない。もし仮に化け物だったとしても、人に似た口をしているからコミュニケーションは取れるかもしれない。
そんな楽観的な考えは、この異常な事態の中で取ってはいけないことを私は知らなかった。
初めて、黒い人型と目が合ったと思った。
あれはただ黒いだけではない。よく見ると、赤く吊り上がった大きな瞳が騎士の兜、あるいは鉄檻の闇の中に潜んでいる。
感情を覆い隠す仮面のせいで、それが私を見つめて何を思っているのか分からない。けれど、唯一露出した口元。固く結ばれていた淡い唇が息をつくように小さく開く。ようやく、人間らしいところが垣間見えると思った矢先。ぐにゃりと、その口は笑みを浮かべた。
「え……?」
「あんた、やっぱりそうだよね……殺す」
殺す。
命を奪う。
女の声で、あれはそう言った。奪われる命は、私だ。
殺し、殺されるということがどういうことかはこの身に刻まれている。私は、脱兎の如く逃げ出した。
あれは、普通じゃない。
あの場にそのままいたら死んでいたと直感が叫んでいる。
黒い奴は棒立ちでいる。あんな人の形をした化け物だ。想像もつかない殺し方をしてくるに違いない。
どうする。どうすれば助かる?
私一人では到底、答えを得られそうにない自問自答を繰り返す。そう、私一人では。
「あら、思ったよりずっと早かったわね」
角を曲がった先、夢に出てきた少女ノーアンサーが優雅にティーカップを傾けていた。
「あんたのせいなんでしょ!? 全部こんなことになってるのも!」
ノーアンサーに詰め寄り、掴み掛かる。けれど私の手は空を切り、ノーアンサーは私の背後に立っていた。
「私のせい? 選んだのは貴女でしょうに」
「選んだ? 何を。化け物に殺されそうになることを!?」
振り返り、今度こそノーアンサーの細い肩を掴んだ。
「七人ミサキを殺せば、願いが叶う」
七人ミサキ。
その言葉がひとつの真実を物語っていた。
「あれが、七人ミサキなの? あんな化け物どうやって殺せっていうの!?」
「あら、やる気になった? それなら」
ノーアンサーが目を細める。そして、彼女は私の胸を指で弾く。
一瞬の光に目を背け、再びノーアンサーを直視する。すると、彼女の手中には機械的なプレート。その中央に嵌め込まれた少女を象った小さな船首像のようなものが鎖で縛り付けられている。
プレートの方はともかく、この船首像に似たものは、この少女は、どこか私に似ているようで、不気味だ。
私が磔になっているかのように見えてくる。
「それを使って、あなたも変身するのよ。仮面ライダーに」
「仮面、ライダー……?」
「自由と平和のために戦う戦士のことよ」
「なにそれ、ヒーロー? ヒーローになって化け物退治しろっていうの」
「あれは化け物じゃない。あれも仮面ライダーよ」
意味が分からない。
何故そんなヒーローみたいな存在が殺し合いをしなければいけないのか。というか仮面ライダーという名称は? 七人ミサキはどこに行った?
「余計なことを考えていると、死ぬわよ」
「っ……」
黒い奴、黒い仮面ライダーが私を見つけて亡霊のように迫る。殺すのは簡単だというのか、走ることはない。まるで、狩りを楽しんでいるかのようだ。
……ふざけんな。
「どうすればいいの、これ……っ!?」
プレートを手に取ると、プレートと少女の像が分かたれる。少女を縛り付けていた鎖は、少女の像を首飾りにしろとでも言いたげな形に変化していた。
「ドライバーを巻きなさい」
巻きなさい?
こんな板をどうやって巻けというのか。とにかくあれこれ試してみる。ドライバーという単語と巻くという動作はどう考えてもセットではない。普通はそんな風に言わない。巻くのはベルトとか、そういうものだ。焦りながらドライバーを身体のあちこちに当ててみる。ベルトを連想したので下腹部に当ててみる。するとどういう原理かプレートはベルトとなって自動で巻かれた。
「……!」
黒い仮面ライダーが私の動きに気付いた。
それもそうだろう。自分がしたように、変身しようとしているのだから。その前に殺そうとするはず。だから、急ぐ。
「今度はこっち!?」
「そう。マリードールをバックルに装填するの。そして、あなたは変身するのよ」
変身。
たったそれだけの一言に、重みを感じた。
重圧?
責任?
分からない。
ただ、変わるということが、怖かった。
この少女のように、鎖に縛り付けられてしまいそうな、妄想に似た予感。ただ、それよりも死ぬ方が怖かった。
「変身……」
ぽつりと呟いて、フィギュアヘッドを。ノーアンサーはマリードールと言ったか。マリードールを、バックルの上から嵌め込んだ。
《 Sin 》
《 罪を犯した 私が?
罰を受ける 私が? 》
歪な機械の声が告げる。
光に包まれた私の首から下を白いインナーが覆い、さらにその上には黒い装甲を纏う。甲冑や鎧というよりも、身体に張りついているかのようだ。
顔を隠す鉄仮面は口元だけを露出させ、なるほど。あの黒い仮面ライダーと本当に同じらしいと理解する。
鋼で出来ているだろうに重量や違和感といったものを特に感じない。身体を動かすのに制限はないようだ。
ふと、地面に散らばるガラス片に目が行く。そこに映る私の姿。身体はおおよその見た目が分かったが、はじめて仮面を直視する。アシンメトリーな角が生えていた。天を指すように伸びた右の角は悪魔の角のように捻れ狂って天を刺す悪趣味な仮面。
「あぁ、名付けましょう! 今ココに誕生せしは、仮面ライダー、罪姫! 貴女は必ずや七人ミサキを討ち倒し、この戦いを終わらせる存在となるでしょう!」
舞台にでも立っているかのように、ノーアンサーは高らかに謳った。
ザイキ、罪姫。
嫌な、名前だ。
「死ねぇ!!!」
黒い仮面ライダーが迫る。
右手でベルトの側面を叩き、飛びかかり殴りつけてくる。すると左手に光が集まり、左手が龍の頭のような異形の手となった。仮面の下で目を見開く。
あれは、武器なのだろうか。
何にせよ、相手は殺意を持って攻撃を仕掛けてきている。死にたくない。死ぬわけにはいかない。
バックステップで回避すると、予想以上の出力に驚かされる。ここまで距離を取るつもりはなかったのだけれど、相手との距離が離れた。とにかく、まずは冷静に……。
などと言っていたら、龍の口に黒い炎が滾っているのが目に入った。
そして、黒い仮面ライダーは龍の頭をこちらへと突き出して黒い火の玉を放つ。
「きゃっ!? そんなのあり!? こっちも何か武器がないと……」
でも、武器なんてどこにある?
黒い仮面ライダーはあの龍頭をどこから取り出すでもなく出現させた。そういえば、その前にベルトのサイドを叩いていた。それがスイッチのようなものなのだろう。
すかさず、私も同じようにベルトの側面に触れる。
「武器、武器……」
強そうな武器が出てくるように祈る。
そして、あの黒い仮面ライダーの時と同じように光が集まっていく。
右手の中に形成されていくそれは————銀色の刃を輝かせる、ナイフ。
「なん、で……うっ……」
込み上げてくる吐気に抗う。
どこかに捨て去りたいナイフだが、身体が強張って手が開かない。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
フラッシュバック。
刃が、肉を貫く感触。暗いアスファルトの上に流れる赤々とした血。深呼吸をしようとして、呼吸の仕方を忘れた。
溺れている。
過去という泥沼に。
「なに……? まあいっか、殺そう。死んで地獄で謝ってよ。謝り続けてよ。私はいっっっしょう許さないけど」
《 Shadow Execution Finish 》
地面にへたり込んで息を浅くし悶えている罪姫へと、黒い仮面ライダー……陰姫がトドメを刺そうとベルトを操作する。
左手の龍頭が黒いオーラを纏い、左手から離れる。黒いオーラを軀とし、黒龍が顕現。目の前の獲物を喰らい尽くすと牙を剥く。
罪姫はそのことに気付く余裕すらなく、陰姫は勝利を確信した。
もう一人の騎士が現れるまでは。
《 Punishment Execution Finish 》
鳴り響く、必殺の音声。
「な、なに!?」
それは、天から現れた。
影の龍の首を斬り落とし、霧散する黒いオーラの中にその騎士は佇んでいた。
「え……?」
何かが起こっていた。
もしかしたら、私は死んでいたかもしれない。
けれど。
風が吹き、顔を上げる。
立っている。黒い仮面ライダーとは別の、仮面ライダーが。
仮面の下から伸びる長髪が風に揺れる様は黒いマントがたなびいているかのようだった。
仮面ライダーが私の方を向いた。
白い、騎士。
けれど、その姿は……今の私の鏡写しのよう。仮面の左側には捻れた角。黒い瞳。白いアーマー、黒いインナー。
そして、私のものと
「お前、は……なに……?」
黒い仮面ライダーの問いかけに、白い仮面ライダーは淡々と名乗った。
「————仮面ライダー