サンドバッグにひたすら拳が打ち込まれる。
空を切る拳の音。何発も少女の拳を喰らうサンドバッグの揺れる音。
トレーニング用の器具が並ぶ一室で一人、ひたすらにサンドバッグ打ちを続けているのは千國妃織。
長い髪は束ね、トレーニング用のウェアに身を包み、汗を流す。
サンドバッグとはただ殴っていればいいというものではない。パンチ力を鍛えるというのは当然の効果として、殴った反動でかかる負荷により体幹を鍛えることも出来る。
有酸素、無酸素の両方を兼ね揃えた運動のため効率よく持久力と心肺機能を向上させる。
そして打ち込みは全身の筋肉を使う運動。無駄なく、全身を鍛え上げる。
そして攻撃のリズムを作り出し、コンビネーションを練り上げる。
軽やかなステップと裏腹の重い打撃音。長いポニーテールが舞い踊り、華麗なターンで繰り出される裏拳。そして、トドメと言わんばかりに今度は逆に回転し放たれる回し蹴りがサンドバッグを大きく揺らした。
これで一区切りと蹴り上げた足を下ろし、妃織は息を整える。
そこへ、乾いた拍手の音。
ベンチプレス用のパワーラックに腰かけ、ノーアンサーが舞台を見終えた観客のように妃織へと拍手を送っていた。
「なかなかちゃんと鍛えているじゃない。まるで自分がいつかライダーになると知っていたみたい」
「いいえ、それは違うわ。ノーアンサー」
妃織は振り返り、ノーアンサーへと火照った顔を向ける。
ノーアンサーはタオルを投げ渡し、妃織はタオルを受け取り汗を拭きながら言葉を続けた。
「私はライダーバトルが無くとも、いずれは行動に移していた。けれど、あなたが来てくれたのよ、魔法使いさん」
微笑む妃織に、ノーアンサーは調子が狂う。
そういう言い回しは、自分の専売特許だと。なにより、自身のことを魔法使いなどと呼んで親しげに接するのは数あるライダーバトルの中でも彼女ぐらいのものだ。
ライダーとなった少女達からノーアンサーへと向けられる感情といえば、不信、欺瞞、憎悪、殺意。そんな物騒なものばかり。
もっとも、そんなものを向けられたところでノーアンサーにとっては痛くも痒くもない。だが、こう友好的になのは初めてなのでまだどういった態度で妃織に接するべきかノーアンサーは計りかねていた。
なので、話題を逸らすことにした。
「それで、仇と一緒に飲むお茶はどうだった?」
「伝統ある、文豪達が愛したお店よ。美味しくないわけがない。けど……」
「けど?」
妃織は唇を親指で撫で、目を細めながら続けた。
「少し、血の味がしたわ」
微笑。だが、先ほどノーアンサーへと向けたそれとは含むものが違う。
やはり美しいものではある。
何も知らぬ人が見れば、気高く、強さを表現したものだと思うだろう。
だが、そこに真に宿るのは狂気。
何としてもでもやり遂げるのだという、深紅の殺意。
ノーアンサーからすれば、一番慣れ親しんだといっても過言ではない人間の感情の発露。
それでこそ、千國妃織を人間たらしめる。
ようやくらしくなってきたと会話を続けようとノーアンサーが口を開いた瞬間、扉がノックされた。ノーアンサーはその場から姿を消し、観察を始める。
「妃織? いるのか?」
扉の向こうから響いたのは親しげな男の声。
「兄さん……!」
妃織は即座に髪を整え、再びタオルで汗を拭う。
「入っても大丈夫か?」
「ええ、どうぞ」
妃織は努めて平常を装い、返事をした。
そして扉が開かれ、きちっとスーツを着こなした青年を出迎える。
彼は千國翼。
千國グループの御曹司であり、現在はグループ会社のひとつを任されている。
前髪を右に流して額を出し、明るく清潔感のある好青年ぶりは誰に対しても好印象を与え、タレ目がちな優しい瞳が妃織の姿を映すとニコリと人の良い笑みを浮かべた。
「おかえりなさい兄さん。予定よりお早いお帰りですね」
「ああ。トントン拍子で話が決まって、おかげで早く帰ってこれたよ。はい、博多土産だ」
手にしていた紙袋を妃織に渡すため妃織に近付こうとする翼であったが、妃織は一歩下がって逆に距離を取った。
「どうした?」
「今は、その、汗をかいているので……」
目を逸らし、妃織がそう言うも翼にはいまいち伝わらなかった。先程まで激しい運動をしていただけではない頰の紅潮もあるのだが、気付かれない。
いずれにせよ翼からすれば特に気にするようなことでもないのだが、妃織にとっては重大な問題である。
「もう、ダメよあなた」
第三者の声が入り込む。
得意気で、どこか悪戯っぽい笑みで翼に釘を刺したのは彼の妻であった。
「夏希」
千國夏希。
現在はフリーのアナウンサーをしている、元キー局の人気女子アナ。
肩にかかった髪をそっと撫でながらトレーニングルームに入り、翼に詰め寄る。
「汗をかいてる女の子に無遠慮に近付くのはNG。ね? 妃織ちゃん」
「ええ、お義姉様の言うとおりです」
「別に気にならないぞ?」
やれやれと夏希は呆れた顔を妃織に向けて、妃織は深く頷くとため息を吐いた。
「兄さんがこれでよく結婚出来たなと思います」
「そこまで言われないといけないのか……?」
「本当そうねぇ。あ、忘れるところだった。お義父さんが呼んでたわよ」
「親父が? 分かったすぐ行くよ。それじゃあ妃織またな。トレーニング続けていて偉いぞ!」
笑顔でサムズアップし、翼は夏希と共に部屋を出た。
二人が去り、再びノーアンサーが姿を現すも、何やら笑いを堪え切れないといった様子でいた。
「なにか」
「ふふっ……いえ、本当にあなたっておかしいわねぇ。復讐の鬼かと思えば生娘みたいに振る舞うんだもの! まったくインモラルねぇ。あ、血は繋がってなかったのよね。ならギリギリOK? 彼と結ばれるようにって願いを変える?」
「私はただ兄さんを慕っているだけです」
「ふぅん……誤魔化すのね。せっかく可愛かったのに」
ノーアンサーの揶揄いに妃織は反応することなく、翼から手渡された土産の紙袋をそっとテーブルの上に起き、傍らに置いていたスポーツドリンクを手にして喉を潤す。
時計に目を向ける。
まもなく、8時。ノーアンサーも当然、時刻のことは把握している。
「アップは充分ね。気合を入れて臨んでくれて嬉しいわ」
「……花も届いた頃でしょう。あとは、為すだけ」
真っ直ぐと見据えられた瞳の先に彼女が見るものは、自らが絶対にやり遂げると決意した果ての光景。
それさえ果たせば、それ以外なにもいらない。
妃織はこの戦いに、全身全霊をかけていた。
「……忘れないように言っておくわ。私は別にあなたの味方というわけではないのよ、妃織。あなたを哀れんで魔法を授けた魔法使いなんかじゃない」
「分かっているわ、ノーアンサー。あなたが満足出来る舞台をお見せする。そういう契約でしょう?」
「分かっていればいいわ。それじゃあ、開演よ」
世界が、歪む。
子供が粘土をこねくり回すかのように。
世界が、変わる。
復讐姫による舞台の幕が開く。
廃墟の街に降り立つ。前回同様、静けさが不気味で今のところ私以外の人の気配はない。
「また、殺し合うの……?」
昨晩、布衣くるみに殺意を向けられたことを思い出す。彼女は本気であった。本気で、私のことを殺そうとしていた。
もし、千國妃織……仮面ライダー罰姫がいなかったら、確実に私は殺されていた。
でもどうして、千國妃織は私を助けたのだろう。彼女は言っていた。「人を殺してはいけない」と。刑法でそう定められていると。
たったそれだけの理由と取るのは簡単だ。けれど、この戦いに臨むにはノーアンサーへの誓いが必要だ。
七人ミサキを殺します。
千國妃織も誓いを立てたのだろう。
けれど、人を殺すことはいけないと言って私を助けた。
矛盾している。
殺し合いに参加したのに、殺すのはいけないことだなんて。私だって当然そう思っている。人を殺すのはいけないことだ。
それはこの身にはっきりと刻まれている。
殺人という罪、禁忌を犯したからこそ、ではあるかもしれない。
殺したくて殺したわけではない。言い訳を並べるのは容易い。
人間との殺し合いだなんて思わなかった。正当化しようとすることは容易い。巻き込まれたのだと言い張るのは、容易い。
それでも、きっと、たった六人を殺すだけでどんな願いも叶うというのなら、人は人を殺めてしまうのかもしれない。
たとえば、私が犯した罪を消してほしい。なかったことにしたい。
そう、願ったとして。
一人の命を奪った罪を無くすために、六人の命を犠牲にする。
天秤が、つり合うわけがない。
人を殺したことをなかったことにするために人を殺す。それは本末転倒というものだ。
「じゃあ、どうして私は……」
「あ! 第一村人はっっっけ〜〜〜ん⭐︎」
「ほえ!?」
ダダダダダという漫画的な効果音が似合いそうに走り寄る少女が一人。ブレザーを着崩した少女はビデオカメラを構え、私のことを捉えている。
この声、そして赤みがかった金色のふわりとした髪。まさか、今夜の相手は……。
「てか視聴者さんじゃ〜ん⭐︎ アキラで〜す⭐︎ 法律遵守してる〜?」
「こ、こんばんは……」
「こんばんはwww 殺し合う相手に夜の挨拶とかw」
っ……。やっぱり、アキラさんもこの戦いで叶えたい願いがあるんだ。
身構え、マリードールを握り締める。
「ちょ〜勘違いしないでよ。戦いたいわけじゃないってば」
「え?」
アキラはそう言うと崩落した白い塔を構成していたであろう破片に腰掛け、私に笑顔を向けた。
「ちょ〜〜〜っと、アキラとお話シない?」
お話。
つまりは会話だ。けれど、こんな状況下でそんなことを提案されるとは思ってもみず、素っ頓狂な返事をしてしまう。
「お話って……」
「コミュニケーションコミュニケーション⭐︎ 殺し合いはここでならいつでも出来るけどさァ、人とお話することはいつでもは出来ないジャン? 次会う時までにどっちか死んじゃう可能性だってあるわけデスし」
それは、たしかに。あまり考えたくないことだけれど、いつ死んでしまうか分からない環境に私達は身を置いている。だからといって大人しく言われるがままに殺し合いを行うのは理性的とは言えない。話をしてみて、もしかしたらこの状況をなんとかする方法だって見つかるかもしれない。
そうでなくとも、殺し合いより話し合いの方がよっぽど生産的だ。
私も崩れた外壁の欠片に腰掛け、アキラと向き合った。
それにしても……可愛いなぁ。千國妃織が美人系なら、アキラは可愛い系。
顔は小さいし、目は大きいし、まつ毛長いし。メイクも、実際に見たらケバい感じなのかなとか動画見ながら想像してたけど全然そんなことはない。髪も綺麗に染めて、いろいろちゃんと手間かけてるんだなぁ。
「ちょっw 見過ぎでしょw」
「あ、ご、ごめんなさい……。動画で見るよりも可愛くて……」
「ありがとw てかそうそう聞きたかったんだけどー。なんでアタシの動画見てんの? 普通、見なくない?」
自覚あったんだ……と内心で呟いた。
そう、動画配信者アキラの動画は見た目から想像されるようなメイク動画だったりコスメの紹介動画だったり、可愛いダンスを踊ったりするようなものではない。
法律の解説だったり、話題の事件、公判についてだったりと言い回しこそギャルっぽいけど、とても女子高生が話すような内容ではない。
むしろ、どうしてそんな動画を? と尋ねたくなる。
「アタシさ、親がマスコミ関係だから記事とか資料とか色々と家にあってさ、小さい頃からそういうの読んじゃって気が付いたらこんな感じになってたんだよね〜w」
いや、とても法律なんて知らね〜〜〜とか言ってそうな見た目です。とは言えなかった。
そんなことより、私がアキラの動画を見るようになった理由。
それは、アキラが私の事件を取り上げたからだ。
「みんなは正当防衛って知ってるゥ? まあ有名だから知ってるよね〜。今日は正当防衛と過剰防衛について話していくからレッツ法〜!」
もう、何度も見た。
「一時不再理っていうのわァ〜」
数えられないほど。
「この事件では、少女Aちゃんはあまり接点のなかった女子からナイフで襲われちゃって〜もみ合いのうちに刺さっちゃったんだって〜⭐︎ こういう場合は〜自らの命を守るための行動の末と判断されて、少女Aちゃんは無罪! 正当防衛成立⭐︎ ま、当然だよね〜。それにしても少女Aちゃん可哀想。だって、殺すつもりなんてなかったのに、加害者のせいで人を殺すことになっちゃったんだよ〜⭐︎」
この動画を見たのは、自らを慰めるためか。
いや、違う。私は罪を犯した。あれは正当防衛なんかじゃない。けど、世間ではそうなってしまった。
それを確認したくて、自らの罪を罪だと思うために、アキラの動画を見ている。
「視聴者さ〜ん?」
「あ、いや、その……警察官に、なりたくて、私。だから、色々勉強になるなって……」
ある意味で、嘘は言ってはいない。
警察官を目指しているのは、本当のことだし。
嘘ではない。だが、本当でもない。自らの身に起きたことを、ありのまま話すほど彼女のことを私はまだ信頼してはいな……。
「かっ……」
途端、身動きひとつ取れなくなる。
まるで私が腰掛けたこの石材と一体化してしまったかのよう。
「あ、アキラに嘘ついたんだ〜。ひっど〜い⭐︎」
なんで、どうして、ただ話していただけなのに。
アキラは、私をこうして、殺すつもり、だった?
「殺しはしないよ〜? 私はただ〜なんで嘘ついたのかな〜って気になっちゃっただけなの」
「なに、を……」
頑張って声を絞り出す。するとアキラは驚いたような顔をした。
「へぇ、喋れるってことは真っ赤な嘘ってほどではなさそう⭐︎ いや〜嘘が上手いね君ィ。嘘には真実を混ぜ込むのが一番良いんだよ〜」
ニタリと笑い、アキラはぴょんと跳ねるように立ち上がると私へと近付いて、ぴくりとも動かない私の身体をあちこち突き始める。
「アキラに嘘はダメダメ⭐︎ せっかく話せるんだから〜本当のことを教えてね⭐︎ でないと〜」
アキラが手にしたのは、ボールペンだった。
やめて。
そんなものを、眼に突きつけるなんて。
「目が見えなくなる程度でひとまず許してあげるけど〜。これからも戦いはあるんだし〜、目が見えないと困っちゃうよね〜?」
「や、やめっ……!」
「やめてほしかったら〜本当のことを言おうね〜?」
「言うっ、言うから……!」
言わなければ、目を潰される。命すらも危うい。
死にたくない。言いたくない。
二つを天秤にかけ、私は彼女に真実を語ることにした。
「いい子だね〜⭐︎ それじゃ、そのままお話をどう……」
アキラがボールペンをマイクのようにして私に向けた瞬間、これまで聴いたこともないような生き物の鳴き声らしきものが耳をつんざいた。
そして、それはアキラの背後に飛び降りた。
異形。
その一言に尽きる。
古い映画で見た地球外の生物のように濡れた黒い表皮。顔は歪な、白い蝗のような仮面。口元は私達が変身する仮面ライダーのように露出しているようで、怒りに牙を剥く悍ましい怪人の姿。
私が戦慄するのに、充分過ぎるほどの存在だった。
「ダムド……」
「え……なんですか、あれっ……」
アキラに詰め寄り、訊ねようとして……自由に動けるようになっていることに気が付いた。
「ダムドっていうみたいなんだけど〜。まあ、バケモンでさ〜悪いけど視聴者さん、自分の身は自分で守ってネ!」
「えっ、ちょっと!」
アキラはマリードールを手にし、制服の上にベルトが巻かれる。
マリードールを装填し、不気味な音声が鳴り響く。
「変身⭐︎」
《Convey》
《 さあ聞きなさい 何故?
真実を告げるから 何故? 》
グリーンのアンダースーツの上、青い装甲が装着される。
機械的な、というよりもあまり詳しくはないがミリタリー的な要素を匂わせる重厚で堅牢な姿に迫力を覚えた。
「仮面ライダー告姫! さぁ! 撃ちまくるゼ⭐︎」
アキラ……仮面ライダー告姫の右手に光が集まり、形成されたのは銃。片手で扱えるぐらいの大きさだけれど、拳銃という言葉で片付けていいのだろうか、あれは。
「やあっ!」
銃を召喚すると同時に間髪入れず連射する告姫。
ダムドという怪人に弾丸が命中し火花が散ると、ダムドは塵となって消滅。
「倒した……?」
なんて呆気ない、幕切れ。
そう思ったのも束の間。
告姫が振り向いて私へと銃口を向け、引鉄を引いた。
放たれる弾丸は私目掛けて飛び、咄嗟に目を瞑る。
死ぬ!
そう思ったが、痛みも何もない。
恐る恐る目を開くも、弾はどこにも当たっておらず、周囲を見渡し振り向くと、消滅しつつあるダムドの亡骸が私の背後に存在した。
「自分の身は自分で守ってって言ったよ〜」
助けて、くれた?
というかこのダムドとかいうのは一体だけではない……?
それに気付くと同時に、廃墟の街角からわらわらとダムドが現れる。ゾンビ映画のようだ。
それはともかく、こんなの大量に出てくるなんてまずい!
「変身!」
《Sin》
《 罪を犯した 私が?
罰を受ける 私が? 》
人と戦うのは嫌だけど、あんな襲ってくる怪物には罪悪感も何もない。殺されてたまるか、あんな奴等に。こんなところで。
……けれど、どうしよう。私も告姫のように武器を使えば楽に戦えるだろう。
私の武器は、ナイフ。
ナイフを使うのは、ナイフを使うのは……。
「ちょっと、視聴者さん!」
ダムドの腕が迫ってきた。
ナイフは嫌だ。でも、私は……。
これをやるのは、久しぶりだ。五、六年ぶりくらいだろうか。上手く出来るだろうか。しかし、自然と頭はクリアで身体も軽い。出来る気がする。確信のない確信。
それでもダムドの腕を掴むと、これまでにないほど軽々と相手を背負い投げることが出来た。
変身してるおかげだろう。
地面に叩きつけられたダムドは霧散。
「倒せた……」
「おー⭐︎ 意外とパワー派?」
こいつら、案外脆い?
背負い投げだけで倒せるなら、数は多いかもだけど案外なんとかなるかも……!
トレーニングウェアのまま廃墟の街を歩いていると、何故か有名ハンバーガーチェーンの店員がいた。ノーアンサーが作り上げたこの世界にチェーン店があるとは思えない。
思わずフッと笑いが漏れ出たが、こちらもトレーニングウェアというラフな格好だ。向こうもランニング中の人が向こうからやって来たと思っているかもしれない。
ああ、おかしい。
向こうは私に気付いてから足を止めている。立ち止まって考え込んでいるようだ。
そして私が遠目でも顔がなんとなく分かるまで接近を許してしまっている。
隙だらけ。
それとも何か策があるのか。
いや、何かあるはずもない。私の事前の調査では、彼女はそういうことをするタイプではない。
「そうでしょう、多摩坂葵」
このバトルの参加者は全て把握している。
私が選定したメンバーであるから、それは当然のこと。ただ今回彼女と出会えたのは幸運であった。バトルの運営自体はノーアンサーの領域であるから出会う相手はランダム。ノーアンサーに気遣わせてしまっただろうか。いいえ、彼女はそういうことはしない。
彼女はこと戦いを楽しむ立場。私もまた、彼女の玩具のひとつに過ぎない。ただ私が違うのは、遊び方を自ら提案してきた玩具であるということだろう。
「あ、あの……!」
いよいよ、彼女と接触した。
ハンバーガーチェーンの制服に背中に少しかかる程度の黒髪をポニーテールにしており、つり目がちではあるがどこか自信なさげに視線はあちこち動いている。
多摩坂葵。16歳。
性格は慎重、穏やか。自ら進んで殺し合いをするタイプではないが、彼女はこの戦いに懸ける願いがある。だからこそ、私は彼女を選んだ。
「こんな格好でごめんなさい。私は千國妃織です」
「えっ……! あっ、私こそこんな格好で申し訳ありません! あの、バイト中だったもので……。ええっと、多摩坂葵です……。よろしくお願いしま、す……?」
あわあわと私のペースに乗せられている。可愛らしい子。
まったく、まったくもってこんな戦いに向かないタイプだろうに。
「少し、お話しませんか?」
「お、お話……ですか?」
「ええ、そうです。戦いよりも平和的でよろしいとは思いませんか?」
「あっ、はい……! そうかもしれませんね……!」
こうも容易くコントロール出来ると逆に頭が痛くなるというか、色々と不安になってしまう。
「でもライダーだから戦わなくちゃいけなくて……。戦わないといけない人とお話なんて……」
……変に思考させるのは良くないか。このまま押し切ろう。
「外でお話するのもなんですし、そこのお宅にでも入りましょうか」
「えっ、あの、待ってください……!」
押しに弱いようなのでこのまま私がペースを握る。
廃墟の中にちょうどよく廃れた椅子と丸テーブルが置かれていたので腰掛ける。
「さあ、どうぞお座りになって」
「し、失礼します……」
おずおずと多摩坂葵は席につく。
そして少し躊躇った後に、彼女の方から会話を切り出してきた。
「あの……戦わなくていいんでしょうか……?」
「戦いたいのですか?」
「いえ! そういうわけじゃ、ないんです……。でも、戦わないと願いが……」
「あなたの願いはなんですか?」
彼女の目を見つめ、問いかける。
人の命を奪ってまで叶えたい願いとはどれほど尊いものか、ぜひ聞かせてもらいたい。
「えっ……わ、私の願い、ですか……?」
「ええ。叶えたい願いがあるから、戦っているのですよね?」
「それは、そうですけど……私の願い、なんて……」
願いに対して後ろ向き。自信がない。
私は彼女の願いが何か、見当はついている。恥ずかしいだとか人に言えないと思うのも仕方ないのかもしれない。
ただ、私の想定通りの願いであれば……計画通りに彼女を堕とせる。
「大丈夫ですよ。他の誰かに話すことはしません」
「い、いや、そういう問題では……」
やはり躊躇いがちではある。
しかし、多摩坂葵は何かを決心したかのように頭を下げた。
「あの! 千國さんってお金持ちなんですよね! ほとんど初対面で申し訳ないんですけどお金を貸してはいただけませんか!」
ああ、やっぱり。私の中で蛇が鎌首をもたげたようだった。
想像以上に、利用出来てしまいそうだ。
「いいですよ」
「そうですよねダメですよね……って、ええっ!?」
見た目にはクール系だろうに、なかなかオーバーなリアクションをする。つい遊んでしまいたくなってしまう。
けれどそんな心は抑えて、計画通りに事を進める。
「大丈夫ですよ」
「いえ、そんな! でも……」
「おいくらですか?」
「あう、いやっ! からかってます……?」
「揶揄うだなんて、私は本気です。それがあなたの願いであれば、私が叶えることであなたは誰かを殺さないで済むのですから」
「っ……!」
殺人を犯すことに、罪悪感を抱かない者はいない……そう、信じたい。多摩坂葵のような良識あるタイプであれば、このやり方が効くだろう。
「私はこの戦いで犠牲も、殺人を犯してしまう人も出したくないのです。もし、私でどうにか出来るのであれば……。多摩坂葵さん、どうか私にあなたを助けさせてはいただけませんか」
私は、聖人ではない。
聖人であれば、このような戦いに参加などしていない。ましてや黒幕に「復讐劇」を見せてやるなどとは言わない。
私は、罪を犯す。
妹の命を奪った者達を、地獄に堕とす。
そのためなら、なんだってしてみせる。
「私、は……」
彼女はもう堕とせる。
そう思った時だった。
扉を蹴破り、黒いヒトガタの異形が廃墟の中に入り込んできた。
「あれは……!」
「ダムド……」
ノーアンサーから存在は知らされていたが、初めて見た。
この怪人達も私にとって障害。こいつらは私の味方などではない。純粋な邪魔者である。
ただの人間のままでは大きな脅威である。
しかし、私達には力がある。
「話はこれらを退けてからにしましょうか」
「は、はい……!」
二人同時にマリードールを手に取り、ベルトが腰に装着される。
「変身……!」
《Fate》
《 運命に導かれたのは 何故?
運命を歪めたのは 何故? 》
多摩坂葵の身体が黒衣に包まれていく。
赤い仮面の額に揺らめく炎が鋼となり、大きな一本の角を形作る。
そして、漆黒のロングコートを羽織っているかのような仮面ライダーとなった。
「変身」
《Punishment》
《 罰を与える 必ず!
罪を滅ぼす 必ず! 》
赤黒い血が私の足下から噴き上がり、全身を飲み込む。黒いアンダースーツを纏った上から、周囲に浮かび上がる白い鋼の欠片が身体中に纏わりついて仮面と装甲を形成していく。
私の長い髪を仮面の下から垂れ下ろし、髪をひと撫でしてからダムドへと立ち向かっていく。
「仮面ライダー縁姫……! いきます……!」
「ふふ……仮面ライダー罰姫、名乗らせてもらいましょう」
せっかくテーブルと椅子のある丁度いい場所ではあったけれど仕方ない。部屋に次々と入ってきたダムドを蹴り飛ばし、壁を突き破って外へと出る。
狭いこの場所に留まってはいけない。
ナイフを呼び出し、迫り来るダムドを切り裂いていく。耐久性はあまりなく、ダムドは次々と霧散していくが数が多い。
一体ずつ相手をしていてはキリがないか。
「千國さん、こちらに!」
縁姫に呼ばれ、私は彼女の元へと飛び退く。
「何か策が」
「数の多い敵なら私の力が適しています!」
《 Fate Execution Finish 》
縁姫の赤い仮面が発光すると、黒衣が広がりさながら蝶のよう。
しかし、あまり美しいとは思えなかった。コートの内側には無数の瞳が描かれており、そこから一斉にレーザーが放たれ……ダムドの群れを貫いていく。
連鎖するように爆発が起き、私達は爆炎を見つめるのであった。
一方、同じ頃。
罪姫と告姫もまた無数のダムドを相手に苦戦していた。
罪姫は子供の頃に習った柔道を活かしてダムドに対抗していたが数の多さに窮地に陥りつつあった。
「弱いけど、数が……!」
「視聴者さんにいいとこ見せちゃおっかな〜。ファンサファンサ❤️」
《 Convey Execution Finish 》
告姫の全身の砲門が開く。
そして、一斉射。銃弾、砲弾、ミサイル、レーザー。あらゆる射撃武装が火を吹いてダムドを一掃。
「うわっ、うわぁぁぁ!!!」
罪姫は建物の影に隠れてやり過ごすも、あまりに強い爆風に吹き飛ばされてしまいそうになる。
そうして告姫が全てを吹き飛ばした後、黒く煤けた廃墟の街角に罪姫は立ち尽くした。
「こんな、こんなこと出来る人と……」
戦わなくちゃ、いけないの。