「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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家族のために

 

 荒野の上空。

 

 地面から十数メートルほどの高さで。

 

 白と赤が、向かい合っていた。

 

「話を、聞かせて」

 

 高町なのはは、レイジングハートを構えたまま言った。

 

 その先にいるヴィータは、巨大な鉄槌を肩へ担ぎ、露骨に顔をしかめる。

 

「話すことなんかねえよ」

 

「でも、わたしにはあるの」

 

「知るか」

 

 短い言葉。

 

 それだけで会話を打ち切るように、ヴィータはグラーフアイゼンを握り直した。

 

 周囲では、まだ戦闘が続いている。

 

 時空管理局の武装隊が包囲を狭め、その中心でザフィーラが攻撃を受け止めていた。

 

 青い障壁へ、魔力弾が次々と突き刺さる。

 

 爆煙が上がる。

 

 けれど、ザフィーラは退かない。

 

 その前へ、金色の光が降りた。

 

「そこを退いて」

 

 フェイト・テスタロッサ。

 

 新たな姿を得たバルディッシュを構え、ザフィーラと対峙する。

 

「断る」

 

 低い声。

 

 ザフィーラの足元で、青い魔法陣が広がった。

 

 足止め。

 

 ただ、それだけのための戦い。

 

 管理局に勝つ必要はない。

 

 目の前の少女たちを倒す必要もない。

 

 遠く離れた蒐集地点で、シャマルが目的を果たすまで。

 

 時間さえ稼げればいい。

 

「ヴィータちゃん」

 

「だから、その呼び方やめろ!」

 

 ヴィータが空を蹴るように加速する。

 

 一瞬で、二人の間合いが消えた。

 

 振り下ろされる鉄槌。

 

 なのはは逃げなかった。

 

『Protection Powered』

 

 桃色の障壁が展開される。

 

 直後。

 

 グラーフアイゼンが叩きつけられた。

 

 爆音。

 

 衝撃が空気を揺らし、その余波だけで地上へ長い亀裂が走る。

 

 以前なら。

 

 この一撃だけで、なのはの防御は砕かれていた。

 

 だが。

 

「なに……?」

 

 鉄槌は止まっていた。

 

 震える障壁の向こうで、なのはが歯を食いしばっている。

 

 腕が痺れる。

 

 身体の奥まで衝撃が突き抜ける。

 

 傷はまだ、完全には癒えていない。

 

 それでも。

 

 今度は止めた。

 

「今度は、離さないよ」

 

「あ?」

 

 なのはの周囲に、桃色の光球が浮かぶ。

 

 近い。

 

 ヴィータが退くよりも早く、光球が一斉に動いた。

 

「アクセルシューター!」

 

「ちっ!」

 

 ヴィータが鉄槌を振るう。

 

 一発目を砕く。

 

 二発目を弾く。

 

 三発目を身を捻って避ける。

 

 だが。

 

 光球は、そのまま通り過ぎなかった。

 

 背後で弧を描き。

 

 再び、ヴィータへ向かって加速する。

 

「後ろだ、ヴィータ!」

 

 ザフィーラの声。

 

 ヴィータが振り返る。

 

 間に合わない。

 

 桃色の閃光が炸裂した。

 

「ぐっ……!」

 

 小さな身体が爆風に弾かれる。

 

 空中で姿勢を立て直し、ヴィータは荒い息を吐いた。

 

 なのはは追撃しない。

 

 レイジングハートを向けたまま、もう一度呼びかける。

 

「どうして、こんなことをするの?」

 

「……うるせえ」

 

「何か理由があるんだよね?」

 

「黙れ」

 

「だったら教えて。わたしたち、きっと――」

 

「お前に何が分かる!」

 

 ヴィータが怒鳴った。

 

 なのはの言葉が止まる。

 

「何も知らねえくせに、勝手なこと言ってんじゃねえ!」

 

 鉄槌を握る手が震えていた。

 

 怒りだけではない。

 

 焦り。

 

 恐怖。

 

 それを押し殺すために、怒鳴っている。

 

 なのはには、そう見えた。

 

「時間がねえんだよ……」

 

 零れた言葉。

 

 本人も口にしたことに気づいたのか、ヴィータは唇を噛む。

 

「時間?」

 

「なんでもねえ!」

 

 グラーフアイゼンの装填口が開く。

 

『Explosion』

 

 薬莢が撃発され、鉄槌が赤い光をまとう。

 

 なのはも、レイジングハートを構え直した。

 

『Load cartridge』

 

 二つの魔力が膨れ上がる。

 

 その頃。

 

 フェイトとザフィーラの戦いも、激しさを増していた。

 

 金色の斬撃が、青い障壁を削る。

 

 ザフィーラの拳が、フェイトの防御を大きく揺らす。

 

 周囲から、管理局の拘束魔法が伸びる。

 

 ザフィーラは身を翻し、それらを避けながらフェイトへ迫った。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス」

 

 足元から、青い杭が突き上がる。

 

 フェイトは上空へ逃れる。

 

 その先へ、ザフィーラが跳んだ。

 

「速い――!」

 

 振り抜かれる腕。

 

 フェイトはバルディッシュで受け止める。

 

 金属音。

 

 衝撃に押され、二人の身体が逆方向へ離れた。

 

「どうして逃げないの?」

 

 フェイトが尋ねる。

 

 ザフィーラは答えない。

 

 逃げる必要がないからだ。

 

 まだ。

 

 今はまだ。

 

 その時。

 

 荒野の空を、紫色の閃光が切り裂いた。

 

 管理局の武装隊がどよめく。

 

 光は包囲の外側から一直線に飛来し、フェイトとザフィーラの間へ降り立った。

 

 別方向から蒐集地点へ向かおうとしていた管理局員を足止めしていた、剣の騎士。

 

 シグナム。

 

「遅くなった」

 

「シグナム」

 

 ザフィーラが短く応じる。

 

 フェイトは、バルディッシュを握る手へ力を込めた。

 

 以前。

 

 自分を破った相手。

 

 その姿を見ても、今度は怯まない。

 

「また会ったね」

 

「ああ」

 

 シグナムがレヴァンティンを抜く。

 

「その得物。先刻とは違うようだな」

 

「うん」

 

「ならば、いずれ改めて相手をしよう」

 

 いずれ。

 

 今ではない。

 

 その言葉に、フェイトが眉を寄せた。

 

 シグナムたちは、誰も積極的に攻めようとしていない。

 

 ただ、この場へ留まり。

 

 何かを待っている。

 

 フェイトがそれに気づいた瞬間。

 

 守護騎士たちの間に、念話が届いた。

 

『シグナム』

 

 シャマルの声。

 

『蒐集、完了しました』

 

 シグナムの目が細くなる。

 

『分かった。帰還する』

 

 短い返答。

 

 それだけで十分だった。

 

「ヴィータ!」

 

 呼ばれたヴィータが、なのはへ振り下ろしかけていた鉄槌を止める。

 

「終わったのか!?」

 

「ああ。退くぞ」

 

「でも、こいつは――」

 

「目的は果たした」

 

 シグナムの一言に、ヴィータが歯を食いしばる。

 

 目の前には、なのはがいる。

 

 今度こそ負けないと立ち向かってきた少女。

 

 放っておけば、必ずまた追ってくる。

 

 それでも。

 

 今、優先すべきものは一つしかない。

 

 

 

 ヴィータは、吐き捨てるように言った。

 

「待って!」

 

「待たねえよ!」

 

 シグナムが剣を掲げる。

 

 ザフィーラが三人の前へ出て、追撃を阻むように障壁を展開する。

 

 同時に。

 

 管理局が周囲へ展開していた転移阻害術式が、激しく明滅した。

 

「転移反応!」

 

「術式へ外部から干渉されています!」

 

 武装隊員の声が飛ぶ。

 

 遠隔地にいるシャマルが、阻害結界へ強引に割り込み。

 

 帰還経路を接続したのだ。

 

 足元に、緑色の魔法陣が浮かび上がる。

 

 旅の鏡。

 

「ヴィータちゃん!」

 

 なのはが手を伸ばす。

 

 ヴィータは振り返らなかった。

 

 四人の姿が光に包まれる。

 

 次の瞬間。

 

 守護騎士たちは、荒野から消えていた。

 

 あとに残ったのは。

 

 崩れた地面と。

 

 リンカーコアを蒐集され、荒野へ横たわる巨大な魔法生物。

 

 そして。

 

 彼女たちを逃がした管理局員だけだった。

 

「また……届かなかった」

 

 なのはが、伸ばしていた手を握る。

 

 戦いでは、以前より動けた。

 

 ヴィータの攻撃を防げた。

 

 こちらの魔法も当てられた。

 

 けれど。

 

 聞きたかったことは、何一つ聞けなかった。

 

「なのは」

 

 フェイトが、そばへ降りる。

 

「あの子、時間がないって言ってた」

 

「うん」

 

 ヴィータの顔が浮かぶ。

 

 怒っていた。

 

 焦っていた。

 

 そして。

 

 怯えていた。

 

「何を急いでるんだろう」

 

 荒野の空に。

 

 答えはなかった。

 

     ◇

 

 数日後。

 

 月村すずかは、休み時間になるとすぐに携帯電話を開いた。

 

 昨夜送ったメールに、返事はなかった。

 

 朝にも、もう一度送った。

 

 それにも返事はない。

 

 少し前から、はやての体調が悪くなっていることは知っていた。

 

 図書館で会った時。

 

 以前よりも顔色が白かった。

 

 何度か本を取り落とし、指先も僅かに震えていた。

 

 それでも、はやては。

 

 少し疲れているだけだと笑っていた。

 

「すずか?」

 

 声をかけられ、顔を上げる。

 

 アリサが、すずかの手元を覗き込んでいた。

 

「さっきから何度も携帯を見てるけど、何かあったの?」

 

「はやてちゃんから返事がなくて」

 

「あの、図書館で知り合った子?」

 

「うん」

 

 すずかから何度も話を聞いているため。

 

 なのはたちも、はやての名前と身体が弱いことは知っていた。

 

 アリサは少し考えたあと、眉を寄せる。

 

「体調が悪いって言ってた子よね」

 

「そうなの。昨日から連絡がつかなくて……」

 

 言葉を交わしている間に、携帯電話が震えた。

 

 着信。

 

 表示された名前は、シャマル。

 

 すずかはすぐに通話ボタンを押した。

 

「もしもし?」

 

『すずかちゃん? 今、大丈夫ですか?』

 

 聞こえてきた声は、普段よりも沈んでいた。

 

「はい。はやてちゃんに何かあったんですか?」

 

 僅かな沈黙。

 

『はやてちゃん、入院することになったんです』

 

「え……」

 

『昨日、急に体調が悪くなって。しばらく病院で検査をすることになりました』

 

 すずかは携帯電話を握り締める。

 

 やっぱり。

 

 悪くなっていた。

 

 分かっていたのに。

 

 はやてが笑うから。

 

 大丈夫だと言うから。

 

 その言葉に甘えてしまった。

 

『本人は元気にしています。すずかちゃんにも心配をかけたくないって』

 

「お見舞いに行ってもいいですか?」

 

『もちろん。きっと喜びます』

 

「今日、学校が終わったら行きます」

 

 通話を終える。

 

 すずかの周りには、いつの間にか、なのはとフェイトも集まっていた。

 

 アリサが尋ねる。

 

「どうだったの?」

 

「はやてちゃん、入院したんだって」

 

 三人の表情が変わった。

 

「昨日、急に悪くなったみたい」

 

「お見舞いに行けるの?」

 

 なのはが聞く。

 

「うん。今日、行ってもいいって」

 

「じゃあ、わたしも行く」

 

「私も行きたい」

 

 フェイトが、少し遠慮がちに続ける。

 

「会ったことはないけど……病院で一人なのは、寂しいと思うから」

 

「もちろん、あたしも行くわよ」

 

 アリサは当然のように言った。

 

「四人で行って大丈夫か、先に聞いておきなさいよ」

 

「うん」

 

 すずかは頷いた。

 

 はやての入院。

 

 その言葉が、胸の奥へ重く沈んでいく。

 

 同時に。

 

 別のものが頭をよぎった。

 

 はやての中に埋め込まれているもの。

 

 小尾一が、セフィラと呼んでいたもの。

 

 はやての病気と関係があるのか。

 

 それとも、ないのか。

 

 すずかには分からない。

 

 分からないからこそ。

 

 不安だけが残った。

 

     ◇

 

 放課後。

 

 四人は海鳴大学病院を訪れた。

 

 病室の扉をノックすると、少し間を置いて返事があった。

 

「どうぞー」

 

 いつもの、柔らかな関西弁。

 

 ただし。

 

 声は、以前よりも弱かった。

 

「失礼します」

 

 すずかが扉を開く。

 

 窓際のベッドに、八神はやてはいた。

 

 病衣を着て、身体を起こしている。

 

 右腕には点滴。

 

 顔色は白い。

 

 それでも、四人の姿を見つけると。

 

 嬉しそうに笑った。

 

「ほんまに、みんなで来てくれたん?」

 

「急に入院したって聞いたから」

 

 すずかがベッドのそばへ寄る。

 

「びっくりしたよ」

 

「ごめんなあ。心配かけてもうたな」

 

「謝ることじゃないでしょ」

 

 アリサが口を挟む。

 

「それより、ちゃんと休んでるの?」

 

「病院ですることもないし、ずっと休んどるよ」

 

「だったらいいけど」

 

「アリサちゃん、相変わらず厳しいなあ」

 

「病人だからって甘やかさないわよ」

 

 はやてが小さく笑う。

 

 その笑いは、途中で咳へ変わった。

 

「はやてちゃん」

 

 すずかが慌てて背中へ手を添える。

 

「大丈夫?」

 

「うん。ちょっと喉に引っかかっただけや」

 

 そう言って。

 

 はやては、口元を押さえようと右手を持ち上げる。

 

 けれど。

 

 肘が僅かに動いただけで。

 

 右腕は力を失い、布団の上へ落ちた。

 

 代わりに左手で口元を覆う。

 

「ほんまに、大丈夫やから」

 

 はやては笑った。

 

 すずかは。

 

 その不自然な動きを見逃さなかった。

 

 けれど。

 

 何も言えなかった。

 

「これ、お見舞いのお花」

 

 なのはが花を差し出す。

 

「ありがとう。きれいやなあ」

 

「果物も買ってきたよ」

 

 フェイトが袋を掲げた。

 

「食べられそうな時にって」

 

「なんや、いっぱいもろうてしもうたな」

 

「早く元気になって返せばいいのよ」

 

 アリサが言う。

 

「もうすぐクリスマスなんだから」

 

「そうやなあ」

 

 はやては窓の外を見る。

 

 病院の中庭にも、小さな飾りつけがされている。

 

 まだ昼間だというのに、電飾の一部が試しに点灯していた。

 

「クリスマスまでには、帰りたいな」

 

「帰れるよ」

 

 なのはが答える。

 

 迷いのない声だった。

 

「きっと帰れる」

 

 はやては、少し驚いたようになのはを見る。

 

 それから。

 

 目を細めた。

 

「ありがとう、なのはちゃん」

 

 ほんの少しだけ。

 

 病室の空気が明るくなる。

 

「シャマルさんたちは?」

 

 すずかが尋ねた。

 

「家のことしに戻っとるよ。ずっと誰かがおると、みんな休めへんからな」

 

「夜は?」

 

「交代で残るって聞かへんのよ」

 

 困ったように話しながら。

 

 はやては、とても嬉しそうだった。

 

「ほんま、心配性ばっかりや」

 

「はやてちゃんが心配だからだよ」

 

「うん。分かっとる」

 

 その顔を見て。

 

 すずかは、胸の奥が痛くなった。

 

 血のつながりはなくても。

 

 はやてにとって、あの人たちはかけがえのない家族なのだ。

 

 そのはやての身体に。

 

 小尾は、勝手にセフィラを埋め込んだ。

 

 もし。

 

 今の病状が、それと関係していたら。

 

 すずかは、考えるのをやめた。

 

 まだ、何も分からない。

 

 決めつけてはいけない。

 

 けれど。

 

 小尾へ確認しなければならない。

 

 今度こそ。

 

 誤魔化されずに。

 

     ◇

 

 見舞いを終えたあと。

 

 すずかは一人で、児童養護施設へ向かった。

 

 施設へ入る。

 

 職員へ軽く挨拶をして。

 

 そのまま、いつもの地下へ下りる。

 

 扉も。

 

 階段も。

 

 地下から漂ってくる薬品の臭いも。

 

 すでに見慣れている。

 

 初めてここへ来た時ほど、足は重くならない。

 

 何が置かれているかも知っている。

 

 棚に並ぶ瓶。

 

 保存液の中に沈む、人の形をしたもの。

 

 床に引かれた溝。

 

 部屋の奥に置かれた作業台。

 

 小尾が、どれだけ異常なことをしているのか。

 

 もう。

 

 知らないふりはできない。

 

「小尾くん」

 

 返事はない。

 

 すずかは地下室へ入り、いつもの場所へ鞄を置いた。

 

 電気ケトルへ水を入れる。

 

 小尾は、作業中に声をかけても返事をしないことが多い。

 

 だから。

 

 いつものように甘すぎるコーヒーを作って。

 

 そのあとで、はやてのことを話すつもりだった。

 

 スイッチへ手を伸ばす。

 

 そこで。

 

 すずかは止まった。

 

 作業台に。

 

 子供が寝かされていた。

 

 一瞬。

 

 保存されているものの一つだと思った。

 

 違う。

 

 胸が、僅かに上下している。

 

 指先に取りつけられた器具から、弱い光が点滅していた。

 

 生きている。

 

 まだ。

 

「……その子」

 

 声が掠れた。

 

 作業台の隣に、小尾一が立っている。

 

 いつものように。

 

 記録用紙を見ていた。

 

「生きてるの?」

 

「今はね」

 

 顔も上げずに答える。

 

 すずかは作業台へ近づく。

 

 眠っているように見えたが、顔色は悪い。

 

 呼吸も浅い。

 

 胸元には、小さな手術痕が残っていた。

 

 その周囲へ、いくつもの測定器が取りつけられている。

 

「何をしてるの?」

 

「実験」

 

「何の?」

 

 ようやく、小尾が顔を上げた。

 

 その手には。

 

 小さな結晶があった。

 

 指先ほどの大きさ。

 

 透明な外殻の中に、淡い色の液体が封じ込められている。

 

「セフィラの遠隔破砕」

 

「遠隔……?」

 

「離れた場所から、流入口を壊せるかどうか」

 

 すずかは、作業台の子供を見る。

 

 その体内にも。

 

 はやてと同じものが、埋め込まれている。

 

「その子で、試すの?」

 

「そのための検体だよ」

 

「でも、この子――」

 

「魔力核も魔術回路もない。だから、余計な条件を考えなくていい」

 

 小尾は結晶を照明へ透かした。

 

 内部の液体が、ゆっくりと揺れる。

 

「これを砕けば、埋め込んだセフィラの一部も同時に壊れる」

 

「壊したら、どうなるの?」

 

「流入口が全開になる」

 

 簡単な答えだった。

 

 すずかは、その意味を理解するまでに少し時間がかかった。

 

 そして。

 

 理解した瞬間、顔色を変えた。

 

「待って」

 

 小尾の指に力が入る。

 

「まだ――」

 

 ぱきり。

 

 乾いた音。

 

 結晶が、小尾の指の間で砕けた。

 

 内部の液体が手袋を濡らす。

 

 同時に。

 

 作業台の子供の身体が、大きく跳ねた。

 

「――っ!」

 

 目が開く。

 

 口が開く。

 

 けれど。

 

 声は出ない。

 

 胸元から、白い光が漏れ出した。

 

 観測機器の数字が、一斉に跳ね上がる。

 

 小尾は子供を見なかった。

 

 モニターだけを見ている。

 

「届いた」

 

 小さく呟く。

 

「遠隔破砕を確認。接続部、強制開放」

 

 子供の身体が痙攣する。

 

 皮膚の下を、白いものが走る。

 

 血管でも。

 

 神経でもない。

 

 もっと異質な何かが、行き場を求めて全身へ広がっていく。

 

「小尾くん、止めて!」

 

「無理」

 

「どうして!」

 

「もう壊したから」

 

 腕が膨らむ。

 

 骨が軋む。

 

 小さな指が、不自然な方向へ曲がった。

 

 口元から血が流れる。

 

 その間も。

 

 小尾は数字を追い続けている。

 

「流入量、上昇。遮断反応なし。距離による減衰も確認できない」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」

 

 すずかが作業台へ駆け寄る。

 

 触れようとした腕を、小尾が片手で止めた。

 

「触らない方がいい」

 

「この子、苦しんでる!」

 

「もう助からないよ」

 

 あまりにも。

 

 当たり前のような声だった。

 

 直後。

 

 子供の腹部が、内側から裂けた。

 

 血と白い光が、作業台の上へ溢れる。

 

 すずかの身体が硬直する。

 

 息が止まった。

 

 胃の中のものが、喉元までせり上がる。

 

 口元を押さえる。

 

 目を逸らしたい。

 

 逃げ出したい。

 

 それでも。

 

 逸らしてはいけないと思った。

 

 ここで目を逸らせば。

 

 この子の死まで。

 

 小尾の記録用紙に書かれた数字だけになってしまう。

 

 地下で見たものは、これまでにもあった。

 

 保存液の中に沈む検体。

 

 もう動かないもの。

 

 人間だった形だけを残したもの。

 

 けれど。

 

 目の前で。

 

 生きていた子供が壊れていくところを見るのは、初めてだった。

 

 痙攣が弱くなる。

 

 開いた目から、光が失われる。

 

 最後に。

 

 胸が一度だけ、大きく動いて。

 

 止まった。

 

 機械音が、一本の長い警告音へ変わる。

 

 小尾は記録用紙へ数字を書き込んだ。

 

「成功」

 

 その言葉で。

 

 すずかの中の何かが切れた。

 

「その子、死んだんだよ」

 

「うん」

 

「うん、じゃないよ!」

 

 声が地下室へ響く。

 

 すずかは小尾の胸元を掴んだ。

 

 そのまま壁へ叩きつけたい。

 

 殴りたい。

 

 今すぐ。

 

 この子へしたことを後悔させたい。

 

 けれど。

 

 作業台の脇に並ぶ結晶が、目に入った。

 

 透明な外殻。

 

 内部を満たす液体。

 

 それぞれの下には、小さな番号札が置かれている。

 

 名前は書かれていない。

 

 そのうち二つだけが。

 

 他のものとは別の金属箱へ収められていた。

 

 なのは。

 

 はやて。

 

 どちらか。

 

 あるいは。

 

 二人とも。

 

 すずかの指から力が抜けた。

 

 迂闊に動けば。

 

 誰かが、目の前の子供と同じように壊されるかもしれない。

 

 小尾は、乱れた襟元を直した。

 

「分かってたの?」

 

「何が?」

 

「こうなるって!」

 

「結果は分かっていたよ」

 

 小尾は、作業台の子供へ一度だけ目を向けた。

 

「人間がこの流入量に耐えられないことなら、何度も確認している」

 

 すずかの喉が詰まる。

 

 何度も。

 

 その言葉の意味を。

 

 地下室に並ぶものが証明していた。

 

「今回は、この子が死ぬかどうかを見る実験じゃない」

 

 小尾は淡々と続ける。

 

「遠くからでも、流入口を破壊できるか。それを確認しただけ」

 

「そのために……」

 

「必要な実験だった」

 

 すずかが怒る理由を。

 

 小尾は分かっている。

 

 子供が苦しんでいたことも。

 

 怖かったことも。

 

 自分が、その命を奪ったことも。

 

 すべて理解したうえで。

 

 実験を止める理由にはならないと考えている。

 

 そんな顔だった。

 

 小尾は砕けた結晶の破片を、金属製の容器へ落とした。

 

「何に使うの?」

 

 すずかは尋ねた。

 

「まだ決めてないよ」

 

「決めてない?」

 

「今は、使う必要がないから」

 

 小尾は、何でもないことのように答える。

 

「だったら、どうして作ったの?」

 

「保険」

 

「何の?」

 

 小尾は少し考えた。

 

 適切な言葉を選ぶように。

 

 それから。

 

 笑った。

 

「想定外に対する保険」

 

「想定外って……何?」

 

「分からないよ」

 

「分からないもののために作ったの?」

 

「分かっていることにしか備えないなら、それは予測じゃないだろ」

 

 すずかは答えられない。

 

 小尾の視線が、並べられた結晶へ向く。

 

「起動しないかもしれない」

 

「……」

 

「予想していないものが邪魔をするかもしれない」

 

 誰が。

 

 何が。

 

 どんな形で。

 

 小尾自身にも分からない。

 

 だから。

 

 対象の感情も。

 

 意思も。

 

 状況も無視して。

 

 こちらから強制的に始められる手段を用意した。

 

「最悪の事態は、いつも想定していない形で来るからね」

 

 その言葉を聞いて。

 

 すずかの頭に、はやての顔が浮かんだ。

 

 病院のベッドで。

 

 クリスマスまでには帰りたいと笑っていた。

 

 あの身体の中にも。

 

 セフィラがある。

 

「それを……はやてちゃんに使うの?」

 

 小尾は答えなかった。

 

 ただ。

 

 僅かに首を傾げる。

 

「そういえば、今日は何の用?」

 

 まるで。

 

 今までの会話を忘れたような問いだった。

 

 すずかは作業台の子供を見た。

 

 血に濡れ。

 

 もう動かない。

 

 その隣に立つ小尾を見る。

 

「はやてちゃんが、入院した」

 

「そう」

 

 反応は、それだけだった。

 

「前より病気が悪くなってる」

 

「セフィラに起動反応はない」

 

 小尾は、作業台の上に置かれた別の記録用紙へ目を向けた。

 

「内部の魔力核には、以前から継続している異常がある。でも、急激な変化は観測できていない。病状は?」

 

「分からないよ。検査をするって聞いただけだから」

 

「手足の感覚は?」

 

 すずかの脳裏に。

 

 持ち上がらなかった、はやての右腕が浮かぶ。

 

「右腕が……動かしづらそうだった」

 

「他には?」

 

「顔色が悪くて、咳もしてた。前より弱ってる」

 

「そう」

 

 小尾は記録用紙へ書き込む。

 

 はやての苦しみを。

 

 ただの観測結果として。

 

「心配じゃないの?」

 

「何を?」

 

「はやてちゃんが、死ぬかもしれないんだよ」

 

「今すぐ?」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 小尾は、少しだけ目を細めた。

 

「じゃあ、どういう問題?」

 

「友達なんだよ」

 

「君のね」

 

 軽い言葉。

 

 以前にも聞いた言葉だった。

 

 すずかの友達。

 

 小尾の友達ではない。

 

 彼にとって。

 

 はやてはセフィラを埋め込んだ対象の一人でしかない。

 

「……なのはちゃんのことしか、見てないの?」

 

「今は、高町さんが主計画だからね」

 

「はやてちゃんにも、同じものを入れたのに?」

 

「だから観測はしているよ」

 

「観測じゃなくて!」

 

 声が震えた。

 

「助けようとは思わないの?」

 

 小尾は答えなかった。

 

 代わりに。

 

 作業台の脇へ並ぶ結晶の一つを、指先で転がした。

 

「イレギュラーは、常に予測しておかないといけない」

 

「それ、答えになってないよ」

 

「そう?」

 

 結晶の中で。

 

 小さな液体が揺れる。

 

「僕は、必要になった時に動けるようにしている」

 

 助けるためとは言わなかった。

 

 誰を救うとも。

 

 何を守るとも。

 

 ただ。

 

 必要になった時に動く。

 

 何のために。

 

 どんな形で。

 

 それを決めるのは。

 

 小尾一だけだった。

 

 すずかは、もう一度作業台を見た。

 

 つい先ほどまで生きていた子供。

 

 その隣には。

 

 同じことを、遠く離れた誰かへ引き起こすための結晶が並んでいる。

 

 すずかの頭に。

 

 病室で笑うはやての姿が浮かぶ。

 

 あの身体の中にも。

 

 同じものがある。

 

 そして。

 

 小尾一は。

 

 もう。

 

 セフィラが目覚める瞬間を待つだけではない。

 

 対象が力を望まなくても。

 

 感情が条件を満たさなくても。

 

 望んだ結果が訪れなければ。

 

 対象の意思を無視して。

 

 自分の手で、始められるようになったのだ。

 

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