「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
一般サイド視点でお送りします
最初に消えたのは。
海鳴駅前広場に立てられた、巨大なクリスマスツリーの星だった。
爆発はなかった。
音も。
衝撃も。
空から降りてきた細い黒線が。
金色に輝いていた星を、斜めに横切った。
次の瞬間。
星の上半分が消えた。
切断されたのではない。
砕けた破片も。
焼け焦げた跡もない。
そこにあった部分だけが。
最初から作られていなかったかのように、なくなっていた。
「……演出?」
美咲が呟いた。
右手には、紙製のカップ。
左手には、直哉から渡された小さな紙袋。
中身は、駅前の雑貨店で買った安物のネックレスだった。
大学生のアルバイト代で買える範囲。
高級品ではない。
それでも。
今日のために、直哉が何日も店を回って選んだものだった。
「いや、そんな予定なかっただろ」
直哉は笑いながら、スマートフォンを取り出した。
「クリスマスツリーを半分消す演出って、縁起悪すぎないか?」
「最近のイベントって、そういう前衛的なのもあるじゃん」
「海鳴市を買い被りすぎだ」
二人の周囲では。
同じように足を止めた人々が、空へスマートフォンを向けていた。
恋人同士。
家族連れ。
買い物袋を抱えた学生。
仕事帰りの会社員。
誰も。
まだ逃げてはいなかった。
異常が起きたと理解するよりも先に。
珍しいものを撮影しようとしていた。
「撮れた?」
「暗くてよく分からない」
「貸して」
美咲が直哉の画面を覗き込む。
夜空。
途中から欠けた星。
その奥。
雲の隙間へ。
黒い何かが浮かんでいた。
一枚。
二枚。
十枚。
鳥には見えない。
飛行機でもない。
黒い羽根のような影が。
音もなく。
海鳴の夜空を滑っている。
「なに、あれ」
美咲が顔を上げた。
その直後。
駅前のホテルが消えた。
上層階の一角。
明かりのついていた部屋も。
窓も。
壁も。
中にあった家具も。
黒い線へ触れた場所だけが、まとめて失われた。
残された上階が。
一瞬だけ。
何もない空間へ浮かぶ。
それから。
重力を思い出したように崩れ落ちた。
轟音。
悲鳴。
粉塵。
駅前広場を埋めていた人々が。
同時に走り出した。
「逃げるぞ!」
直哉が美咲の手を掴んだ。
「どこへ!?」
「地下!」
「駅の中、人が――」
「外よりましだ!」
二人は。
駅へ向かう群衆の中へ飛び込んだ。
誰かの肩がぶつかる。
買い物袋が落ちる。
倒れた子供を、母親が抱き起こす。
警備員が何かを叫んでいる。
「走らないでください!」
その声は。
走れと叫ぶ無数の声へ呑まれた。
駅前の信号が消える。
街灯が明滅する。
道路へ黒い線が落ちた。
走っていた自動車の前半分が消える。
残された後部が回転し。
後続車へ激突した。
次々と車がぶつかる。
クラクション。
悲鳴。
割れる硝子。
ガソリンの臭い。
けれど。
黒い光が触れた場所だけは。
火さえ残っていなかった。
「直哉!」
「手を離すな!」
「離してない!」
繋いだ手だけが。
互いの位置を確かめる唯一のものだった。
スマートフォンが震える。
緊急速報。
美咲は走りながら画面を見る。
『海鳴市内で重大な事象が発生しています』
重大な事象。
それだけだった。
原因も。
避難場所も。
何から逃げればいいのかも書かれていない。
「役に立たない!」
直哉が叫ぶ。
駅入口まで。
あと二十メートル。
地下へ続く階段が見える。
警察官と駅員が。
押し寄せる人々を、必死に誘導していた。
「ゆっくり! 押さないで!」
「地下通路へ移動してください!」
「立ち止まらないで!」
上空。
黒い羽状物体が。
ゆっくりと向きを変えた。
一枚。
その先端が。
駅前広場へ向けられる。
美咲は。
それを見ていた。
見えていたのに。
何を意味するのか、理解できなかった。
「直哉、あれ――」
「見るな! 走れ!」
黒い光が灯る。
直哉が。
美咲の背中を強く押した。
「きゃっ――」
美咲の身体が。
前を走っていた男へぶつかる。
足がもつれ。
膝から地面へ倒れた。
直後。
黒い線が。
二人の間を通過した。
音はなかった。
熱も。
風もない。
美咲が振り返る。
「直哉?」
そこには。
誰もいなかった。
直哉がいたはずの場所。
その後ろにいた人々。
広場の石畳。
駅前の看板。
黒線が通過した一直線上だけが。
まとめて消えていた。
「……直哉?」
聞き間違えたのだと思った。
人混みに紛れた。
別の方向へ逃げた。
きっと。
そうに違いない。
「直哉!」
立ち上がろうとする。
けれど。
後ろから押し寄せた人々に押され。
再び地面へ手をついた。
「止まるな!」
警察官が美咲の腕を掴んだ。
「地下へ!」
「待って!」
「ここは危険だ!」
「彼がいるの!」
「今は地下へ行け!」
「そこにいたの! 今まで、そこに――」
警察官は答えなかった。
答えられなかった。
彼にも。
黒い線へ呑まれた人間がどうなったのか。
分かっていたから。
美咲は。
半ば引きずられるように、地下階段へ運ばれた。
その途中。
美咲は、もう一度だけ地上を振り返った。
駅前広場には。
さっきまでクリスマスを楽しんでいた人々の持ち物が、至るところへ散らばっていた。
潰れた紙コップ。
踏みつけられた買い物袋。
片方だけの靴。
落とされた携帯電話。
包装紙の破れたプレゼント。
持ち主のいなくなったベビーカー。
広場の中央では。
途中から消えたクリスマスツリーが、大きく傾いていた。
残っていた電飾が明滅する。
赤。
緑。
金。
華やかな光だけが。
人のいなくなった広場を照らしていた。
遠くで。
黒い砲線が再び落ちる。
駅前の建物が一棟。
中央部分だけを失った。
支えをなくした上階が崩れ。
大量の瓦礫が道路へ降り注ぐ。
逃げていた人々が悲鳴を上げた。
警察官が両腕を広げる。
「見るな! 地下へ行け!」
美咲は前を向かされた。
階段を下りる。
空が見えなくなる。
地下通路には。
逃げ込んだ人々が溢れていた。
泣く子供。
家族へ電話をかけ続ける者。
怪我人を壁際へ寝かせる者。
何が起きているのかと。
駅員を怒鳴りつける者。
携帯電話は繋がらない。
構内放送も。
同じ言葉を繰り返すだけだった。
『現在、海鳴市内で大規模な異常事態が発生しています』
『安全が確認されるまで、地下から出ないでください』
何が安全なのか。
どれだけ待てばいいのか。
誰も知らない。
地上から。
低い振動が伝わる。
一度。
二度。
天井から埃が落ちる。
照明が消え。
非常灯の赤い光だけが残った。
美咲は。
人々の間へ座り込んだ。
右手には。
直哉から渡された紙袋が、まだ握られている。
開けてもいない。
身につけてもいない。
安物のネックレス。
さっきまで。
これをいつ使うかで笑っていた。
「直哉……」
声が震える。
「返事してよ……」
当然。
返事はなかった。
地上では。
クリスマスの飾りで満たされていた海鳴の街へ。
黒い砲線が。
今も降り続いていた。
◇
十二月二十四日。
午後十一時過ぎ。
東京都福生市。
横田飛行場。
在日米軍司令部の作戦室では。
海鳴市で起きている異常を示す情報が、壁面の画面へ並べられていた。
どの映像も。
現場から離れた場所で撮影されたものだった。
海鳴市の外側に設置された、民間放送局の中継カメラ。
規制区域の外を旋回する、警察航空隊のヘリコプター。
高速道路を走る車両のドライブレコーダー。
遠方の高層建築物から、市街地上空を撮影した映像。
時刻は深夜。
空は暗い。
細かな雪が降っている。
街にはクリスマスの電飾が溢れ。
地上から上空へカメラを向けても。
映るのは。
闇。
雪。
街明かりの反射。
そして。
時折、空を横切る黒い光だけだった。
羽根の形など分からない。
空を飛ぶ人影も見えない。
何かが浮かんでいることすら。
映像だけでは断定できなかった。
確認できるのは。
黒い閃光が地上へ落ちた直後。
そこにあった街明かりが。
まとめて消えることだけ。
別の画面には。
民間航空管制レーダー。
米軍の防空監視情報。
気象衛星が捉えた雲の変化。
既知の人工衛星軌道。
宇宙監視網の観測記録。
どれも。
遠くから。
異なる方法で。
異常の輪郭だけを捉えている。
だが。
同じ答えを返してはいなかった。
「レーダー反射、断続的」
「熱源なし」
「推進反応なし」
「通信波、確認できず」
「光学追跡数、三百十二。現在も増加中」
「三百十二機、ではないのか」
司令部の当直責任者が尋ねる。
「機体と呼べるなら、です」
情報士官が画面を拡大した。
警察航空隊が。
海鳴市の外側から撮影した映像。
倍率を上げるほど。
映像は粗くなった。
雪とノイズの向こう。
何か細長い影が。
空中で動いている。
それ以上は分からない。
「これが目標か」
「推定です」
「形状は」
「不明」
「数は」
「映像解析では、三百を超えています」
「人間が見て数えられるのか」
「無理です。動きと背景の欠落を機械的に拾っています」
「誤検出の可能性は」
「あります」
「三百十二という数字自体が間違っている可能性も」
「あります」
「確かなことは何だ」
情報士官は別の映像を表示した。
海鳴の夜景。
黒い光が落ちる。
その直後。
一区画分の明かりが消える。
「何かが、街を攻撃しています」
「日本側の評価は」
「航空自衛隊も識別中です」
「要撃機は」
「百里で発進準備に入っています。ただし、目標数も飛行経路も確定していません」
「つまり」
当直責任者は画面を見る。
「全員が見ているが、誰も正体を知らない」
「正確には」
日本側との連絡を担当する士官が答えた。
「全員が別々の機器で、別々に分からない状態です」
作戦室の空気が。
一瞬だけ止まる。
「良いニュースだな」
当直責任者が言った。
「我々だけが無能なわけではない」
誰も笑わなかった。
「上昇目標群に変化」
宇宙監視担当が報告する。
別の画面。
海鳴から上昇している複数の反応。
レーダーでは。
現れては消え。
消えては現れる。
だが。
複数の観測情報を重ねれば。
何かの群れが。
ほぼ垂直に高度を上げていることだけは分かった。
「低軌道へ向かっています」
「軌道上の目標は」
「確認できません」
「未登録物体ではないのか」
「物体そのものは捉えていません」
担当者が表示を切り替える。
地球周回軌道。
既知の人工衛星。
宇宙ごみ。
観測中の物体。
そのどれとも重ならない位置へ。
海鳴から上昇する複数の群れの予測軌道が。
集まっていた。
「群れが、同じ座標を目指しています」
「そこには何がある」
「登録上は、何も」
「なら、なぜ向かっている」
「分かりません」
担当者は僅かに間を置いた。
「何かがいるのに、我々には見えていない可能性があります」
「大きさは」
「存在そのものを直接観測していません。推定できません」
「またそれか」
「今夜の合言葉になりそうです」
当直責任者は航空担当へ振り返った。
「現場を目視できる機体は」
「厚木のF/A-18F二機が、相模湾上空で夜間訓練中です」
航空担当が即答する。
「岩国では、海兵隊のF/A-18D二機が発進準備可能。別の一機が四国南方で夜間訓練中です」
「武装は」
「厚木の二機は訓練装備。岩国の二機には実弾を搭載させます。空中の一機は機関砲弾を搭載していますが、ミサイルは訓練弾です」
「厚木の二機を先行させろ。岩国の三機は追随」
在日米軍の日本側連絡官が口を挟む。
「日本政府から、米軍機の投入要請は来ていません」
「海鳴では街が攻撃されている」
「日本の領空内です。無通告で戦闘機を向かわせれば、重大な外交問題になります」
「横田も攻撃圏内へ入る可能性がある」
「現時点では、米軍施設へ向かっている証拠はありません」
「正体不明の物体が、関東上空で市街地を消している」
当直責任者は画面を指した。
「証拠が届くまで待つつもりはない」
「任務は」
「目視確認と映像取得」
「交戦規定は」
「自衛のみ。現場にいる人型目標には手を出すな。日本側の航空機も攻撃禁止だ」
「日本政府への通報は」
「今から送れ」
「発進前に、ですか」
「厚木の二機は、既に空にいる」
連絡官が眉を寄せた。
「つまり、転進させるのと同時に通報する」
「同時、というのは便利な言葉ですね」
「政治家が発明した言葉だ。我々も使わせてもらう」
当直責任者が命じた。
「作戦室の無線呼出符号は、ウォッチタワー」
「了解」
「厚木へ任務変更を通達。岩国へ緊急発進を要請しろ」
◇
山口県。
岩国飛行場。
警報が鳴る。
整備員たちが走る。
照明に照らされた駐機場で。
二機のF/A-18Dが。
発進準備へ入っていた。
兵装員がミサイルを確認する。
機関砲弾。
燃料。
通信暗号。
IFF。
通常の夜間訓練ではない。
実際に市街地を攻撃している。
正体不明の飛行物体を確認するための出撃だった。
ヘルメットを抱えた海兵隊大尉、マーカス・ヘイルは。
梯子を上りながら、後席へ乗り込む兵装システム士官へ言った。
「未確認飛行物体の目視確認」
「子供の頃に夢見ていた任務です」
後席のダニエル・リース大尉が答える。
「円盤じゃないらしいぞ」
「黒い羽根だそうです」
「羽根と確認できたのか」
「いいえ」
「なら、ただの黒い何かだ」
「夢がありませんね」
「軍隊は夢より識別番号を好む」
二人は前後の座席へ身体を沈めた。
整備員がハーネスを確認する。
『ナイト・ワン。任務は関東上空の未確認目標を光学識別』
「了解」
『交戦規定は自衛のみ。人型目標への発砲は禁止』
「日本側との調整は」
『継続中だ』
「つまり、許可はない?」
『質問を変えろ』
「帰ってきた時に怒られるのは誰だ?」
『将官だ』
「なら問題ない」
キャノピーが閉じた。
外から聞こえていた音が消える。
代わりに。
エンジンの振動が。
座席を通して身体へ伝わった。
二機のF/A-18Dが誘導路へ出る。
滑走路。
灯火。
夜空。
二機は続けて離陸した。
◇
岩国を発進した二機は。
瀬戸内海を離れた後。
四国南方へ抜けた。
そこで。
夜間訓練から転用された三機目のF/A-18Dと合流する。
さらに東へ。
伊豆半島の沖合で。
厚木から転進してきた二機のF/A-18Fが加わった。
一時的に組まれた。
五機の混成編隊。
指揮を執るのは。
実弾を搭載し、最も長く任務内容を把握しているヘイルだった。
『ダイヤモンド・ツー。ナイト・フライトへ合流する』
「歓迎する」
ヘイルは答えた。
「今夜の相手は、羽根だそうだ」
『鳥か?』
「鳥なら、国防総省が管轄を農務省へ押しつけてくれる」
『残念だ。農務省の方が予算を持っていそうなのに』
後席のリースが口を挟む。
『資料では、翼もエンジンもありません』
「翼のない羽根か」
『ファンネルかもしれません』
「その単語を軍用回線で使うな」
『黒い小型浮遊兵器が、複数で独立機動しています』
「まだ現物を見ていないだろう」
『映像作品では、よくある構成です』
「報告書には書くな」
『記録映像を見てから判断します』
関東へ近づくにつれ。
データリンクへ流れ込む情報が増えていった。
海鳴上空。
多数の未確認飛行物体。
市街地へ降り注ぐ、正体不明の光線。
接触した道路や建物の消失。
軌道上の何もない座標へ向かう上昇群。
どの情報にも。
確定という文字はついていなかった。
海鳴まで。
残り約十キロ。
五・四海里。
その時。
ヘイルのレーダー画面へ。
複数の反応が同時に現れた。
「前方に複数トラック」
低い高度から。
高速で上昇している。
「数、二十――いや、増えている。四十以上」
『こちらでも捕捉』
F/A-18Fから応答が返る。
『識別信号なし。熱源なし。正面から来る』
「ナイト・フライト、間隔を開けろ。衝突を避ける」
五機が左右と上下へ散開する。
直後。
雲の下から。
黒い一群が飛び出した。
鳥ではない。
航空機でもない。
巨大な黒い羽根に似た物体が。
群れとなって上昇してくる。
一枚。
十枚。
数十枚。
エンジン音も。
噴射炎もない。
それなのに。
戦闘機と正面から擦れ違う速度で。
真上へ向かっていた。
「全機、接触に備えろ!」
黒い羽根の群れが。
編隊の間を突き抜けた。
一枚が。
F/A-18Dの機首から十数メートルの位置を通過する。
別の一枚が。
F/A-18Fの主翼の下を掠めた。
衝撃波はない。
乱気流すら起こらない。
ただ。
黒い影だけが。
下から上へ。
音もなく駆け抜けていった。
『今のを見たか?』
「残念ながら」
『レーダー反応が消えた』
「上を見ろ」
黒い羽根は。
こちらを攻撃する様子もなく。
一直線に星空へ向かっている。
『高度六万フィートを通過』
F/A-18Fが報告する。
『まだ加速中』
「ウォッチタワー、ナイト・ワン。上昇目標群を目視」
『送れ』
「黒色。羽根状。推進装置なし。音響、排気、熱源を確認できず」
『進路は』
「予測どおり、軌道上の収束座標へ向かっている」
『追跡を継続できるか』
「厚木の一機に任せる。残りは海鳴へ入る」
一機のF/A-18Fが機首を上げた。
『ダイヤモンド・ツー、上昇群を追跡する』
「深追いするな」
『了解。あれが鳥なら、渡り先は宇宙だ』
「新種として登録しておけ」
残る四機は。
再び進路を揃えた。
数十秒後。
海鳴の街が見えた。
雪に霞む。
クリスマスの夜景。
その中を。
黒い光が走っていた。
地上へ落ち。
道路を。
建物を。
街そのものを。
触れた場所から消していく。
「目標地域を視認」
ヘイルは機首下の光学装置を向けた。
裸眼では。
黒い閃光と。
消えていく街明かりしか分からない。
だが。
軍用の光学装置が。
雪と暗闇の向こうを拡大する。
映像の中に。
細長い輪郭が浮かんだ。
一枚。
二枚。
十枚。
海鳴上空には。
先ほど擦れ違ったものと同じ羽状物体が。
何百枚も浮かんでいた。
一枚一枚が別々に動き。
地上へ黒い光を放つ。
別の一群は。
空中に浮かぶ小さな人影を攻撃していた。
羽状物体が砕かれる。
その直後。
何もない空間へ黒い亀裂が走り。
新しい個体が滑り出してくる。
「ウォッチタワー、ナイト・ワン」
『送れ』
「海鳴上空に多数の羽状目標。上昇群とは別個体だ」
『映像は』
「送信中」
倍率を上げる。
ここまで接近して。
初めて。
黒い羽根の間を飛ぶものが。
人間の姿をしていると分かった。
「……人間?」
白い服の少女。
金色の髪をなびかせる少女。
炎をまとった剣を振るう女。
巨大な鉄槌を持つ、小柄な影。
青い障壁を展開する大柄な男。
翼はない。
ローターも。
噴射装置もない。
それでも。
彼らは空中へ留まり。
黒い羽根の攻撃を避けながら。
光弾や剣や鉄槌で。
羽状物体を破壊していた。
『ナイト・ワン』
後席のリースが。
ひどく真面目な声で言った。
『あれは魔法少女です』
「その言葉を軍用回線で使うな」
『飛行能力。杖。誘導光弾。未成年女性』
リースは淡々と列挙した。
『分類条件を完全に満たしています』
「誰が作った分類だ」
『日本に三年住めば分かります』
「黙って記録しろ」
『了解。魔法少女を記録します』
ヘイルは聞かなかったことにした。
光学装置を。
戦場の中心へ向ける。
そこに。
黒い少女がいた。
年齢は。
十歳前後にしか見えない。
黒と深い青の衣。
頭上で回転する複数の円環。
周囲へ広がる。
無数の黒い羽根。
教会の壁画に描かれた天使を。
そのまま夜の色へ沈めたような姿だった。
「中央に人型目標」
ヘイルの声から。
冗談が消えた。
「少女。頭上に複数の円環。周囲に黒い羽状構造を展開。形状は、宗教画に描かれる天使に酷似している」
『攻撃主体と判断できるか』
ウォッチタワーから問いが返る。
画面の中。
少女は腕を上げていない。
声も発していない。
だが。
その周囲の羽状物体が。
一斉に向きを変え。
地上へ砲撃を放った。
「羽状目標との関連性は高い」
『中央人型目標を暫定識別』
一拍。
『識別名、デビル。デビルとする』
「了解。デビル」
後席から。
小さな声が聞こえる。
『どう見ても悪魔より天使ですが』
「黒いからだろう」
『命名した人間の神学知識が心配です』
「苦情は生きて帰ってから送れ」
ヘイルは光学装置の倍率を。
さらに上げた。
黒い少女。
デビル。
その顔が。
はっきりと映る。
怒ってはいない。
憎んでもいない。
泣き出しそうな。
悲しげな表情だった。
「悪魔には見えないな」
『見た目で脅威判定を変えないでください』
「子供だ」
『それでも、街を攻撃しています』
次の瞬間。
少女の青い瞳が動いた。
正面から。
ヘイルの機体へ向けられる。
電子光学装置を見たのではない。
カメラの向こう。
機体の中にいるヘイル自身を。
直接見つけたような視線だった。
「……こちらを見た」
『距離があります』
「見ている」
黒い少女が。
僅かに首を傾げる。
その瞬間。
海鳴上空に散開していた羽状物体が。
一斉に動きを止めた。
一枚。
十枚。
数十枚。
先端が。
四機の米軍機へ向けられる。
「ウォッチタワー、ナイト・ワン」
ヘイルは即座に送信する。
「複数の羽状目標が当方へ照準。明白な敵対意思を確認。敵性認定を要請」
『ナイト・フライト、回避を開始せよ』
黒い光が放たれた。
「全機、ブレイク!」
ヘイルは機体を右へ倒し。
操縦桿を引いた。
F/A-18Dが急旋回する。
直前までいた空間を。
黒い光線が貫いた。
『ウォッチタワー、羽状目標が発砲!』
『敵対行為を確認』
管制の声が変わる。
『ナイト・フライト。現在攻撃中の羽状目標を敵性と認定。自衛射撃を許可する』
『デビルへの攻撃は禁止』
『地表を背負う目標へは撃つな。地上被害を最小限にせよ』
「ナイト・ワン、了解」
『ダイヤモンド・ワン、了解』
別の光線が正面から迫る。
ヘイルは機首を落とした。
黒い線がキャノピーの上を通過する。
「リース、ミサイルは」
『赤外線反応なし。シーカーが捕捉しません』
「レーダー誘導は」
『トラックが安定しない。ロックが切れます』
「機関砲へ切り替えろ」
『ガン選択』
F/A-18Dが旋回する。
一枚の羽状物体が。
その後方から追ってくる。
翼面を傾けることもなく。
速度を落とすこともなく。
直角に近い角度で進路を変えた。
「物理法則を無視しているぞ」
『違反切符を切りますか』
「撃つ」
ヘイルは機首を上げた。
照準環の中へ。
黒い羽根が入る。
地上は映っていない。
背景は空。
「ガンズ、ガンズ、ガンズ!」
機首下から。
二十ミリ機関砲弾が放たれた。
曳光弾が夜空へ線を引く。
一発。
二発。
数発が羽状物体へ命中した。
硬質な表面が砕け。
黒い粒子となって散る。
「一機撃破!」
『一枚です』
「今はどちらでもいい!」
直後。
破壊された場所のすぐ横へ。
黒い亀裂が開いた。
新しい羽状物体が。
音もなく滑り出してくる。
『補充されました』
「見えている」
『撃墜数の集計方法を変更しますか』
「生きて帰ってから考えろ!」
F/A-18Fが急旋回する。
その後方を。
三本の黒い光線が追った。
機体が降下する。
だが。
降下先にも。
新たな羽状物体が待っていた。
『ダイヤモンド・ワン、挟まれた!』
「上へ逃げろ!」
『上にもいる!』
別のF/A-18Dから警告が重なる。
『全方位に目標! 包囲されている!』
「チャフとフレアを撒け!」
『散布!』
銀色の金属片と。
赤い火球が夜空へ広がる。
羽状物体は。
どちらにも反応しなかった。
『効果なし』
「知っていた」
『手順です』
黒い光線が交差する。
一機のF/A-18Fが。
機体を捻って隙間を抜けた。
その直後。
別の羽状物体が。
旋回先へ先回りする。
『こいつら、後ろを取る必要がない!』
「全方向が正面なのか!」
『ファンネルです』
「それを言うな!」
『適切な表現です!』
F/A-18Dが機関砲を撃つ。
一枚を砕く。
二枚目を損傷させる。
だが。
黒い亀裂が開き。
失われた数を埋めるように。
新しい羽状物体が現れる。
倒している。
それでも。
数が減らない。
「ウォッチタワー、ナイト・ワン!」
『送れ!』
「羽状目標は破壊可能! ただし、破壊地点付近から新しい個体が出現する!」
『映像を確認中!』
「攻撃を続けても消耗させられない!」
『離脱せよ!』
「経路を示せ!」
『全方向に敵性反応! 離脱経路を算出できない!』
「素晴らしい管制だ!」
『苦情は帰投後に受け付ける!』
「帰投させる気があるなら、道を作れ!」
ヘイルは機体を捻る。
高い荷重が身体へかかる。
視界の端が暗くなる。
それでも。
黒い光線は。
旋回の内側へ入り込み。
少しずつ距離を詰めていた。
『ナイト・ツー、背後に三!』
「見えている!」
『下から二!』
「それも見えている!」
『前方にも――』
「全部見えている!」
逃げ道がない。
計器ではなく。
肉眼で。
それが分かった。
ヘイルの正面。
五枚の羽状物体が。
扇状に広がった。
先端へ黒い光が集まる。
右へ避ければ。
別の三枚が待っている。
左にも。
下にも。
回避できる空間が残っていなかった。
「ウォッチタワー」
ヘイルは。
妙に落ち着いた声で言った。
「報告書には、農務省のせいだと書いておけ」
『却下する』
黒い光が。
放たれる。
その直前。
下方から。
十数個の桃色の光球が飛び込んできた。
一つ目が。
正面の羽状物体を撃ち抜く。
二つ目。
三つ目。
連続して端末を砕き。
残る二枚を。
衝撃で外側へ弾き飛ばす。
黒い射線が。
ヘイルの機体の左右へ逸れた。
「なに――」
桃色の光球は止まらない。
F/A-18Fを包囲していた端末へ命中し。
別のF/A-18Dの進路を塞いでいた端末を砕く。
四機の周囲へ。
一瞬だけ。
空白が生まれた。
「全機、そこを抜けろ!」
編隊が加速する。
開いた隙間へ飛び込み。
羽状物体の包囲から抜け出す。
ヘイルは旋回しながら。
桃色の光球が飛んできた方向を見た。
白い服。
茶色の髪。
赤い宝石のついた杖。
先ほど確認した少女が。
片手をこちらへ伸ばしたまま。
空中に浮かんでいた。
どう見ても。
十歳前後。
どう見ても。
少女だった。
『ナイト・ワン』
後席のリースが言った。
『やはり魔法少女です』
「……認める」
『録音しました』
「消せ」
『歴史的資料です。無理です』
「ウォッチタワー、ナイト・ワン」
『送れ』
「状況更新」
ヘイルは一度。
深く息を吸った。
「我々は、十歳前後の少女に救援された」
回線の向こうが。
一瞬、沈黙する。
『再送せよ』
「断る。一度で十分だ」
『少女の装備を報告しろ』
「白い衣服。赤い宝石のついた杖。単独飛行能力あり。桃色の誘導弾を使用」
『ナイト・ワン。現在、映像伝送が不鮮明だ』
「リース」
『該当部分を切り出します』
後席で。
リースが記録映像を指定する。
『データバースト送信』
数秒。
横田の作戦室へ。
少女が光弾を放ち。
米軍機を包囲していた羽状物体を破壊する映像が届く。
ウォッチタワーから。
返答が消えた。
「受信したか」
『受信した』
声が。
僅かに硬くなっている。
『映像上の人物は、未成年女性に見える』
「こちらも同じ意見だ」
『飛行装置は』
「確認できない」
『武器は杖か』
「恐らく」
再び。
短い沈黙。
『それは――』
「言うな」
『魔法少女か?』
「管制まで言うな!」
後席で。
リースが笑った。
『今夜の公式分類になりました』
「日本はいつから、子供へ防空任務を任せているんだ」
『少なくとも、我々より仕事ができています』
「否定できないのが腹立たしい」
ヘイルは後方を確認した。
桃色の光弾を放った少女は。
既にこちらから視線を外していた。
デビルとの戦いへ戻っている。
その周囲では。
金色の髪の少女。
剣や鉄槌を持った人影。
青い障壁を展開する大柄な男が。
再び羽状物体を破壊していた。
子供たちが。
街を守るために戦っている。
その上空を。
最新鋭の戦闘機が逃げている。
「ナイト・フライト、距離を取る」
ヘイルは命じた。
「追撃してくる羽状目標だけを迎撃。地表方向への射撃は禁止」
『デビルへの攻撃は』
「禁止命令は継続中だ」
『少女たちを援護するか?』
「こちらが射線へ入れば、足手まといになる」
ヘイルは答えた。
「まず、生き残って記録を持ち帰る」
『海兵隊らしくないですね』
「海兵隊は勇敢だ」
機体は海鳴から距離を取りながら。
なおもセンサーを街へ向け続ける。
「自殺願望があるわけじゃない」
黒い天使。
空を飛ぶ少女たち。
街へ降り注ぐ黒い光。
宇宙へ向かって上昇する羽状物体の群れ。
その全てが。
民間の不鮮明な映像とは比較にならない。
高解像度の記録として。
横田へ。
日本政府へ。
送信されていった。
◇
東京都千代田区。
首相官邸地下。
危機管理センターへ。
在日米軍からの第一報が届いた時。
厚木上空にいた米軍機は。
既に海鳴へ向かっていた。
岩国を発進した増援も。
既に四国南方へ達している。
「これは通報ではなく、事後報告じゃないか」
防衛庁の担当者が吐き捨てた。
「米側は、任務変更と同時に通報したと主張しています」
「航空機を転進させてから、送信ボタンを押したんだろう」
「恐らく」
「直ちに抗議を――」
「後にしてください」
内閣危機管理監が遮った。
大型画面には。
海鳴市の外側から送られてくる映像が並んでいる。
どれも不鮮明だった。
夜。
雪。
クリスマスの電飾。
黒い光。
突然消える街明かり。
それ以上のことは。
民間の映像からは分からない。
「死傷者数は」
「把握できません」
「避難所は」
「地上施設の安全性を保証できません。地下駐車場、地下街、鉄道施設への誘導を始めています」
「原因は」
「不明」
「攻撃主体は」
「不明」
「使用兵器は」
「不明」
短い沈黙。
「米軍の最初の報告と同じだな」
誰かが言った。
「仲良くなれそうで何よりです」
別の誰かが答えた。
冗談へ笑う者はいない。
「航空自衛隊は」
「百里から要撃機が発進しています。ただし、米軍機と現場の飛翔人物を含め、識別対象が多すぎます」
「飛翔人物?」
「米軍から、そう報告されています」
「人間が飛んでいるというのか」
「映像が届くまで、こちらでも判断できません」
「米軍機との空域調整を急がせろ」
「了解」
「新しい映像が届きます」
画面が切り替わった。
映像の精度が。
それまでとは明らかに違った。
F/A-18DとF/A-18Fが。
海鳴上空へ接近して記録した映像。
黒い羽状物体。
機関砲弾を受け。
空中で砕ける。
その直後。
黒い亀裂から出現する。
新たな個体。
黒い光線に追い立てられる米軍機。
そして。
桃色の光弾。
米軍機を包囲していた羽状物体が。
次々と破壊される。
「今の攻撃は、米軍機からではないのか」
「違います」
「では、誰が」
映像が巻き戻される。
白い服をまとい。
杖を持った少女。
空中に浮かび。
片手を米軍機へ向けている。
「……子供?」
「四機が別角度から記録しています」
「合成映像では」
「異なる機体の記録が一致しています」
「飛行装置は」
「確認できません」
「ワイヤーは」
「ありません」
「小型航空機では」
「人間です」
「そんなことは見れば分かる!」
声を荒らげた担当者が。
自分の言葉に気づいて黙り込む。
人間。
そうとしか見えない。
だが。
人間だと認めれば。
次に説明しなければならないものが多すぎた。
「戦場の中心を拡大します」
画面が切り替わる。
黒い衣をまとった少女。
頭上の円環。
周囲の羽状物体。
人間の少女にしか見えない。
その幼い存在を中心として。
街が攻撃されている。
「米軍の暫定識別は」
「デビルです」
「デビル?」
「識別名です」
「悪魔と断定したのか」
「断定ではありません。通信上の呼称です」
「随分と直接的だな」
画面の中。
黒い少女が顔を上げた。
青い瞳が。
まるで。
撮影している戦闘機の向こう側まで見通すように。
正面を向く。
危機管理センターにいた全員が。
一瞬。
自分たちを見られたような錯覚を覚えた。
「国民への警報を出します」
内閣危機管理監が言った。
「関係自治体へ直ちに通知。海鳴市全域で避難誘導を開始」
「事象の種別はどうします」
「未確認飛翔体による攻撃」
「武力攻撃事態と認定するのですか」
「認定作業は並行して進める」
「攻撃主体が国家かどうかも分かりません」
「だからといって、住民を待たせる理由にはならない」
「避難情報の伝達手段は」
「テレビとラジオへ緊急放送を要請。自治体の防災行政無線。警察と消防の車両も使わせてください」
「原因不明のまま公表すれば、混乱します」
「街はもう混乱している」
「政府が、何も把握していないと認めることになります」
内閣危機管理監は画面を見た。
黒い砲線が。
海鳴の街へ降り続けている。
上空では。
黒い羽根の群れが。
大気圏外へ向かっている。
「把握していないものを、把握しているとは言えない」
そう答え。
警報文案へ視線を落とした。
攻撃主体。
使用兵器。
目的。
飛翔原理。
どの欄にも。
記入できる言葉がない。
「既存の分類に当てはまりません」
担当者が言った。
「なら」
内閣危機管理監は即答した。
「空欄のまま出してください」
「空欄で?」
「嘘を書くよりはましです」
その夜。
日本政府は初めて。
空に浮かぶ一人の少女を。
航空機でも。
自然災害でもなく。
国家の危機として処理した。