「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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すいません


天使には天使を

 

 

 ぱきん、と。

 

 小さな音がした。

 

 銃声ではない。

 

 爆発でもない。

 

 海鳴市を削り取る黒い砲撃に比べれば、聞き逃してしまいそうなほど頼りない音。

 

 小尾一の歯が。

 

 舌の上に隠していた透明な結晶を噛み砕いた音だった。

 

 それだけ。

 

 たった、それだけだった。

 

 しかし。

 

 その音を合図として。

 

 高町なのはの胸の奥で。

 

 今まで眠っていた何かが、目を覚ました。

 

「――っ!?」

 

 なのはの身体が硬直した。

 

 息が止まる。

 

 フェイトの背中へ回していた右手が離れ、自分の胸元を掴んだ。

 

 白いバリアジャケットへ、細い指が食い込む。

 

「なのは?」

 

 フェイトの声。

 

 すぐ近く。

 

 耳元から聞こえている。

 

 なのはは答えようとした。

 

 大丈夫だと。

 

 いつものように笑って。

 

 心配しなくてもいいと伝えようとした。

 

 けれど。

 

「あ……ぁ……っ」

 

 喉から漏れたのは。

 

 言葉にならない呼吸だけだった。

 

 痛い。

 

 胸が。

 

 違う。

 

 心臓ではない。

 

 肺でもない。

 

 もっと深い。

 

 肉体の奥。

 

 魔力を生み。

 

 魔力を蓄え。

 

 レイジングハートを通して、魔法へ変えてきた場所。

 

 リンカーコア。

 

 その中心へ。

 

 何かが流れ込んでくる。

 

「あ、あああっ……!」

 

 なのはの身体が震えた。

 

 両脚から力が抜け。

 

 フェイトの胸へ崩れ落ちる。

 

「なのは!?」

 

 フェイトが慌てて抱き留めた。

 

「どうしたの!? なのは、私を見て!」

 

 見えている。

 

 聞こえている。

 

 自分を抱き締めてくれている腕の温かさも分かる。

 

 それなのに。

 

 胸の奥から広がる異物が。

 

 ほかの全ての感覚を塗り潰していく。

 

 熱くはない。

 

 冷たくもない。

 

 硬くも。

 

 柔らかくもない。

 

 なのはの知っている感覚では。

 

 それが何なのか。

 

 正しく表すことができなかった。

 

 ただ。

 

 入ってくる。

 

 止まらない。

 

 押し返せない。

 

 魔力へ混ざっているのではない。

 

 なのはの中にあった魔力を押し退け。

 

 魔力を通すための経路へ。

 

 内側から染み込んでいく。

 

『Master! Unknown energy inflow detected.(マスター! 未知のエネルギー流入を確認)』

 

 レイジングハートの赤い宝石が激しく明滅した。

 

「レイジング……ハート……」

 

 なのはは胸元を押さえたまま。

 

 掠れた声を絞り出す。

 

「止めて……」

 

『Unable to stop.(停止できません)』

 

「お願い……止めて……!」

 

『Unable to identify the source.(流入源を特定できません)』

 

 流入口が見えない。

 

 接続先が分からない。

 

 ならば。

 

 どこを閉じればいいのかも分からない。

 

 その間にも。

 

 流れ込む量は増えていく。

 

「――ああああああああああああああっ!!」

 

 なのはの背中が反った。

 

「なのは!」

 

 フェイトが強く抱き締める。

 

 胸から始まった痛みが。

 

 全身へ広がっていた。

 

 肩。

 

 両腕。

 

 腹部。

 

 背中。

 

 両脚。

 

 魔力経路を辿るように。

 

 未知の力が身体の隅々へ入り込んでくる。

 

 通り道を使っているのではない。

 

 通り道そのものを。

 

 内側から別の何かへ変えている。

 

『なのはちゃんの魔力反応が急速に低下!』

 

 通信から、エイミィの声が飛び込んできた。

 

 直後。

 

 複数の警告音が重なる。

 

『……この異常値』

 

 エイミィの声が一瞬だけ止まった。

 

『はやてちゃんの時に出た反応と似てる。でも、同じ現象かどうかまでは分からない!』

 

「なのはに、何が起きてるの!?」

 

 フェイトが叫ぶ。

 

『分からない! 今の観測機器じゃ変化を追えないの!』

 

 未知。

 

 解析不能。

 

 観測できるのは。

 

 なのはが今まで持っていた魔力反応が。

 

 少しずつ失われているという結果だけだった。

 

『Sir! Multiple hostile targets approaching.(サー! 複数の敵性目標が接近)』

 

 バルディッシュの警告。

 

 フェイトが顔を上げる。

 

 漆黒の羽状端末が一枚。

 

 二人へ向かって飛来していた。

 

 その先端が向いているのは。

 

 フェイトではない。

 

 腕の中で苦しんでいる、なのはだった。

 

「させない!」

 

 フェイトは左腕でなのはを支えたまま。

 

 右手のバルディッシュを振るう。

 

『Haken Saber.(ハーケンセイバー)』

 

 金色の魔力刃が放たれた。

 

 直線。

 

 羽状端末の中央を貫き。

 

 漆黒の構造を二つに切り裂く。

 

 破壊された端末が。

 

 黒い粒子となって夜空へ消えた。

 

 それだけでは終わらない。

 

 周囲を飛び交っていた羽状端末が。

 

 次々と向きを変えた。

 

 一枚。

 

 二枚。

 

 十枚。

 

 さらに。

 

 何もなかった空間へ黒い亀裂が走る。

 

 その内側から。

 

 新たな羽状端末が滑り出してくる。

 

 なのはたちの頭上。

 

 足元。

 

 左右。

 

 出現は止まらない。

 

「増えてる……」

 

 フェイトが息を呑む。

 

 今まで海鳴市やアースラを攻撃していた端末とは。

 

 明らかに動きが違っていた。

 

 なのはを中心として集まり。

 

 包囲し。

 

 逃げ道を塞ごうとしている。

 

「フェイト!」

 

 紫色の光が。

 

 二人の正面へ割り込んだ。

 

 シグナムだった。

 

「飛竜一閃!」

 

 レヴァンティンの刀身が分離する。

 

 連結刃が一直線に伸び。

 

 正面から迫っていた羽状端末を貫いた。

 

 一枚。

 

 二枚。

 

 三枚。

 

 そのままシグナムが腕を横へ振る。

 

 伸びきった連結刃が弧を描き。

 

 別方向から接近していた端末群をまとめて切り裂いた。

 

「なのはを連れて下がれ!」

 

「でも――」

 

「早くしろ!」

 

 別方向から。

 

 赤い光が飛び込んでくる。

 

「アイゼン!」

 

『Schwalbefliegen.(飛燕)』

 

 ヴィータの周囲へ。

 

 赤熱した鉄球が現れた。

 

 グラーフアイゼンが振るわれる。

 

 撃ち出された鉄球は直線状に飛び。

 

 フェイトたちの右側へ回り込もうとしていた端末へ次々と命中した。

 

 一枚。

 

 二枚。

 

 三枚。

 

 黒い羽根が砕けていく。

 

「こいつら、さっきより増えてねえか!?」

 

「増えている」

 

 ザフィーラが。

 

 二人の下へ回り込んだ。

 

 足元へ青い魔法陣が展開される。

 

「鋼の軛!」

 

 地上から。

 

 巨大な青い柱が伸びた。

 

 上下から。

 

 端末群を挟み込む。

 

 完全には止まらない。

 

 羽状端末は。

 

 青い拘束へ触れた部分を削りながら。

 

 少しずつ。

 

 なのはへ近づいてくる。

 

 それでも。

 

 数秒を稼ぐには十分だった。

 

「今のうちに!」

 

 シャマルがクラールヴィントを掲げる。

 

 フェイトとなのはの周囲へ。

 

 緑色の防御結界が広がった。

 

「なのはちゃんの状態が分からないわ! 急に身体を動かさないで!」

 

「でも、ここにいたら狙われる!」

 

「分かってる!」

 

 誰も。

 

 正しい答えを持っていない。

 

 なのはを動かすべきなのか。

 

 その場で守るべきなのか。

 

 アースラへ転送するべきなのか。

 

 そもそも。

 

 転送できる状態なのかさえ分からない。

 

 その迷いを。

 

 はやては待たなかった。

 

「来るぞ!」

 

 リインフォースが叫んだ。

 

 黒い少女が。

 

 動いていた。

 

 これまで。

 

 はやて自身は。

 

 ほとんど同じ場所へ浮かんでいた。

 

 羽状端末が敵を攻撃し。

 

 接近した相手を排除し。

 

 市街地と軌道上のアースラへ砲撃を行っていた。

 

 はやては。

 

 その中心にいるだけだった。

 

 しかし。

 

 今は違う。

 

 青い瞳が。

 

 苦しむなのはへ向けられている。

 

 はやての右手が。

 

 ゆっくりと持ち上がった。

 

 それだけで。

 

 周囲を飛び交っていた端末の一部が。

 

 動きを変えた。

 

 近づいた相手へ反応するだけの端末とは違う。

 

 一枚一枚が。

 

 はやての指先へ引かれるように。

 

 正確に配置されていく。

 

 十枚。

 

 二十枚。

 

 さらに。

 

 黒い羽根が。

 

 はやての正面へ集まる。

 

 重なる。

 

 噛み合う。

 

 隙間を埋める。

 

 数十枚の羽状端末が。

 

 一枚の巨大な盾を形成した。

 

 直後。

 

 シグナムとヴィータが同時に飛び込んだ。

 

「紫電一閃!」

 

「ラケーテン――ハンマーッ!!」

 

 紫色の斬撃。

 

 赤い鉄槌。

 

 二つの攻撃が。

 

 漆黒の盾へ激突した。

 

 轟音。

 

 衝撃が夜空を揺らす。

 

 だが。

 

 盾は壊れない。

 

 羽状端末同士が。

 

 衝撃に合わせて僅かに位置をずらす。

 

 一か所へ加えられた力を。

 

 隣の端末へ。

 

 さらに隣へ。

 

 盾全体へ分散させていた。

 

「硬え……!」

 

 ヴィータが歯を食いしばる。

 

 次の瞬間。

 

 盾の表面が開いた。

 

 端末同士の間へ。

 

 無数の細い隙間が生まれる。

 

 その奥に。

 

 黒い光が灯った。

 

「離れろ!」

 

 リインフォースの警告。

 

 盾として組み合わされていた端末が。

 

 正面へ向けて一斉に砲撃を放つ。

 

 一本ではない。

 

 数十本。

 

 全て直線。

 

 隙間から放たれた黒い光線が。

 

 至近距離からシグナムとヴィータへ殺到する。

 

「くっ!」

 

 シグナムが身体を捻る。

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを盾にして後退した。

 

 避け切れない。

 

 そう判断した瞬間。

 

 二人の前へ青い障壁が展開された。

 

「ぬううううっ!!」

 

 ザフィーラが。

 

 両腕を突き出していた。

 

 黒い光線が障壁へ突き刺さる。

 

 触れた部分から。

 

 青い光が削り取られていく。

 

「長くは保たん!」

 

「術式を重ねる!」

 

 リインフォースがザフィーラの隣へ降りる。

 

 幾重ものベルカ式魔法陣が展開された。

 

 一枚。

 

 二枚。

 

 三枚。

 

 黒い光へ触れた障壁が失われる端から。

 

 新たな術式を重ねていく。

 

「シャマル!」

 

「分かってる!」

 

 緑色の障壁が加わった。

 

 三人分の防御が。

 

 はやての砲撃を僅かに押し留める。

 

 その間に。

 

 シグナムとヴィータが射線から離れた。

 

 すると。

 

 はやては右手を横へ動かした。

 

 砲撃が止まる。

 

 盾を形成していた端末が。

 

 一斉に分離した。

 

 シグナムの背後。

 

 ヴィータの頭上。

 

 ザフィーラの左右。

 

 シャマルとリインフォースを囲むように。

 

 一枚一枚が。

 

 独立した浮遊砲台として配置されていく。

 

「囲まれた!」

 

 ヴィータが叫ぶ。

 

 羽状端末の先端へ。

 

 黒い光が集まった。

 

 全てが一斉に撃つわけではない。

 

 一枚目が放つ。

 

 シグナムが避ける。

 

 その移動先へ二枚目。

 

 二枚目をレヴァンティンで切り払えば。

 

 死角から三枚目。

 

 ヴィータが援護へ向かえば。

 

 その進行方向へ四枚目。

 

 直線しか放てない。

 

 だから。

 

 先に。

 

 直線が通る場所へ端末を配置する。

 

 回避できる方向を限定し。

 

 残された場所へ。

 

 次の光線を叩き込む。

 

「動きを読まれている!」

 

 シグナムが光線を避けながら叫んだ。

 

「違う!」

 

 リインフォースが。

 

 端末の配置を見回す。

 

「読んでいるのではない! 回避できる場所を、端末の配置で限定している!」

 

 どこへ逃げても。

 

 次の端末が待っている。

 

 速さで追っているのではない。

 

 先に空間を塞いでいる。

 

 はやて本人が。

 

 数十枚の端末を。

 

 同時に。

 

 一つの武器として操作していた。

 

「みんなを……」

 

 フェイトの腕の中で。

 

 なのはが震える声を漏らした。

 

「助け……ないと……」

 

「動いちゃ駄目!」

 

 フェイトが身体を支える。

 

「今は自分のことだけ考えて!」

 

「でも……」

 

 なのはの足元で。

 

 桃色の魔法陣が明滅した。

 

 一部が欠ける。

 

 レイジングハートが修復を試みる。

 

 魔力を送り込む。

 

 けれど。

 

 補ったはずの魔法文字が。

 

 すぐに光を失った。

 

『Flight spell output decreasing.(飛行魔法の出力が低下しています)』

 

「レイジング……ハート……?」

 

『Magical pathway disruption detected.(魔力経路の異常を確認)』

 

 胸の奥へ流れ込む未知の力が。

 

 なのはの魔力経路を。

 

 さらに深く変えていく。

 

 飛行魔法だけではない。

 

 防御。

 

 射撃。

 

 身体強化。

 

 レイジングハートとの接続。

 

 今まで当たり前に使えていた機能が。

 

 一つずつ。

 

 なのはから離れていく。

 

 その時。

 

 はやてが。

 

 なのはたちへ顔を向けた。

 

 端末へ任せていたのではない。

 

 青い瞳が。

 

 明確に。

 

 なのはを捉えている。

 

「はやて……ちゃん……」

 

 呼びかけに。

 

 はやては答えなかった。

 

 右手を。

 

 なのはへ向ける。

 

 守護騎士たちを攻撃している端末とは別に。

 

 新たな羽状端末が。

 

 はやての背後へ現れた。

 

 十枚。

 

 二十枚。

 

 三十枚。

 

 出現は止まらない。

 

 上下へ分かれ。

 

 左右へ広がり。

 

 フェイトとなのはを包囲していく。

 

「まだ出すのかよ!」

 

 ヴィータが端末を追おうとする。

 

 その進路へ。

 

 黒い光線が放たれた。

 

「くそっ!」

 

 ヴィータが急停止する。

 

 はやてが直接操作する端末群が。

 

 守護騎士たちを押し留める。

 

 その間に。

 

 新しく現れた端末が。

 

 なのはへ迫る。

 

 自動的に動く端末が。

 

 なのはを狙う。

 

 はやてが直接操る端末が。

 

 助けようとする者たちを排除する。

 

「フェイト!」

 

 シグナムが叫んだ。

 

「そこを離れろ!」

 

「分かってる!」

 

 フェイトは。

 

 なのはを抱き締めたまま飛ぶ。

 

 右へ。

 

 直後。

 

 移動先へ黒い光線が走った。

 

 急停止。

 

 上へ逃れる。

 

 頭上へ配置されていた端末が。

 

 先端を下げる。

 

「バルディッシュ!」

 

『Haken Saber.(ハーケンセイバー)』

 

 金色の刃が。

 

 端末を一枚切り裂く。

 

 空いた場所へ飛び込む。

 

 だが。

 

 その先に。

 

 はやてがいた。

 

 いつ移動したのか。

 

 黒い少女が。

 

 二人の正面へ浮かんでいる。

 

 頭上の漆黒の円環が回転する。

 

 深い青のヴェールが揺れる。

 

 表情はない。

 

 怒りも。

 

 悲しみも。

 

 迷いも見えない。

 

 はやてが左手を持ち上げた。

 

 周囲の羽状端末が。

 

 二つの群れへ分かれる。

 

 一方は。

 

 はやての正面で重なり。

 

 巨大な盾を作る。

 

 もう一方は。

 

 フェイトとなのはの周囲へ散開し。

 

 逃げ道を塞ぐ砲台となる。

 

 防御と攻撃。

 

 同時。

 

「どいて、はやて!」

 

 フェイトがバルディッシュを振り抜く。

 

 金色の魔力刃が盾へ激突した。

 

 羽状端末が僅かに揺れる。

 

 それだけだった。

 

「お願いだから……どいて!」

 

 もう一撃。

 

 盾は崩れない。

 

 その間に。

 

 周囲の端末へ黒い光が集まる。

 

「フェイトちゃん……」

 

 腕の中から。

 

 声が聞こえた。

 

「なのは?」

 

「手が……」

 

 なのはの腕が。

 

 フェイトの背中から滑り落ちる。

 

 力が入らない。

 

 それだけではない。

 

 足元の桃色の魔法陣が。

 

 一度。

 

 大きく明滅した。

 

『Flight spell failure.(飛行魔法の維持に失敗)』

 

 円環が欠ける。

 

 魔法文字が消える。

 

 浮力が失われる。

 

 フェイトの腕へ。

 

 なのはの全体重が掛かった。

 

「なのは!」

 

 抱き直そうとする。

 

 その瞬間。

 

 はやてが右手を握った。

 

 周囲の端末が。

 

 一斉に発射した。

 

 上から。

 

 下から。

 

 右から。

 

 左から。

 

 異なる方向から放たれた黒い光線が。

 

 二人の間へ迫る。

 

 抱いたままでは避けられない。

 

 障壁では防げない。

 

 このままなら。

 

 なのはも。

 

 自分の腕も。

 

 まとめて消される。

 

 フェイトは。

 

 なのはの身体を横へ押し出した。

 

 同時に。

 

 自分も反対側へ飛ぶ。

 

 二人の間を。

 

 黒い光線が通過した。

 

 ほんの一瞬。

 

 フェイトの指先が。

 

 なのはから離れた。

 

 飛行魔法は。

 

 もうない。

 

 なのはの身体が。

 

 重力に従って落下を始めた。

 

「なのはああああああああああっ!!」

 

 フェイトが追う。

 

 金色の光を引きながら。

 

 ほとんど垂直に降下した。

 

 手を伸ばす。

 

 十メートル。

 

 八メートル。

 

 五メートル。

 

 届く。

 

 あと少しで。

 

 指先が触れる。

 

 そのはずだった。

 

 フェイトの進行方向へ。

 

 黒い光線が走った。

 

「っ!」

 

 急停止。

 

 目の前を通過した黒い線が。

 

 地上まで真っ直ぐ伸びる。

 

 森が消えた。

 

 木々が倒れたのではない。

 

 焼けたのでもない。

 

 光線が通った一直線上だけが。

 

 地面ごと失われていた。

 

『Three more incoming.(さらに三射、接近)』

 

 バルディッシュの警告。

 

 右。

 

 左。

 

 背後。

 

 三方向へ散開していた羽状端末が。

 

 フェイトへ先端を向けている。

 

「邪魔を……!」

 

 右から一射。

 

 身体を捻って避ける。

 

 左から二射目。

 

 バルディッシュを振り抜き。

 

 発射した端末そのものを切り裂く。

 

 背後から三射目。

 

 フェイトは下方へ逃れた。

 

 その僅かな時間にも。

 

 なのはは落ち続けている。

 

「待って!」

 

 声をかけても。

 

 落下は止まらない。

 

「なのは!」

 

 呼びかけても。

 

 飛行魔法は戻らない。

 

 なのはの視界では。

 

 夜空と。

 

 崩れた街と。

 

 黒い羽根と。

 

 フェイトの金色の光が。

 

 何度も入れ替わっていた。

 

 飛ばなければ。

 

 そう思った。

 

 飛べる。

 

 今まで何度も。

 

 空を飛んできた。

 

 魔力を流し。

 

 足元へ魔法陣を展開し。

 

 身体へ掛かる重力を制御する。

 

 それだけでいい。

 

 なのはは胸の奥へ意識を向けた。

 

 魔力を引き出そうとする。

 

 だが。

 

 何も返ってこなかった。

 

「レイジング……ハート……」

 

『Master.(マスター)』

 

「飛ばせて……」

 

『Unable to execute.(実行できません)』

 

「お願い……!」

 

『Flight spell unavailable.(飛行魔法を使用できません)』

 

 使えない。

 

 魔力が足りないからではない。

 

 飛行魔法を組み上げるための経路そのものが。

 

 なのはの中から失われている。

 

 地面が近づく。

 

 砲撃で削られた大地。

 

 砕けた岩。

 

 抉れた土。

 

 このまま落ちれば。

 

 どうなるか。

 

 九歳のなのはにも分かった。

 

「プロ……テクション……!」

 

『Protection.(防御障壁)』

 

 桃色の光が広がった。

 

 なのはの背中側へ。

 

 薄い障壁が展開される。

 

 ただし。

 

 円にならない。

 

 半分以上が欠けていた。

 

 欠損した魔法文字が不規則に点滅し。

 

 障壁全体が。

 

 今にも消えそうに揺らいでいる。

 

『Output unstable.(出力が安定しません)』

 

 それでも。

 

 レイジングハートは。

 

 障壁を維持しようとした。

 

 残っている経路だけを使い。

 

 残っている魔力だけを集め。

 

 主を守るために。

 

 直後。

 

 なのはの身体が。

 

 地面へ激突した。

 

 轟音。

 

 大地が陥没する。

 

 砕けた土砂が。

 

 円形に噴き上がった。

 

 桃色の障壁は。

 

 最初の衝撃だけを受け止めた。

 

 表面へ。

 

 無数の亀裂が走る。

 

 砕ける。

 

 消える。

 

 残った衝撃が。

 

 全て。

 

 なのはの身体へ叩き込まれた。

 

 右脚が砕けた。

 

 左脚も。

 

 骨盤。

 

 背骨。

 

 肋骨。

 

 肩。

 

 腕。

 

 小さな身体を形作る骨という骨が。

 

 落下の衝撃へ耐えられず破壊された。

 

 折れた肋骨が肺へ突き刺さる。

 

 内臓が潰れる。

 

 血管が裂ける。

 

 頭部が地面へ打ちつけられ。

 

 視界が白く弾けた。

 

 一瞬。

 

 何も感じなかった。

 

 痛みを認識するより先に。

 

 脳が意識を切り離そうとした。

 

 このまま。

 

 眠ってしまえばいい。

 

 そうすれば。

 

 もう。

 

 痛くない。

 

 だが。

 

 胸の奥へ流れ込む何かが。

 

 それを許さなかった。

 

 止まりかけた心臓を動かす。

 

 潰れた肺へ。

 

 無理やり空気を送り込む。

 

 途切れかけた神経を繋ぎ。

 

 消えようとする意識を。

 

 壊れた肉体へ縫いつける。

 

 傷を治しているのではない。

 

 折れた骨は。

 

 折れたまま。

 

 潰れた内臓も。

 

 潰れたまま。

 

 ただ。

 

 死なせない。

 

 壊れた状態のまま。

 

 生命活動だけを維持する。

 

 痛覚は残っている。

 

 意識も残っている。

 

 ならば。

 

 壊れた身体が生み出す全ての苦痛を。

 

 なのはは受け続けることになる。

 

「――――――ッ!!」

 

 声が出ない。

 

 肺が動かない。

 

 喉から漏れたのは。

 

 空気の抜ける微かな音だけだった。

 

 身体が痙攣する。

 

 折れた骨が動く。

 

 砕けた肋骨が。

 

 潰れた肺へ、さらに深く突き刺さる。

 

 痛みが。

 

 新しい痛みを作る。

 

 それでも。

 

 意識を失えない。

 

 やがて。

 

 潰れた肺へ。

 

 無理やり空気が押し込まれた。

 

「ああああああああああああああああああああっ!!」

 

 絶叫。

 

 なのはの背中が反り返る。

 

 砕けた背骨が動き。

 

 全身へ新たな激痛が走った。

 

「なのは!」

 

 金色の光が。

 

 地上へ降りた。

 

 フェイトだった。

 

 着地と同時に振り返る。

 

 追ってきていた羽状端末が三枚。

 

 先端へ黒い光を集めている。

 

「バルディッシュ!」

 

『Scythe Form.(サイズフォーム)』

 

 金色の魔力刃が。

 

 大鎌の形へ伸びた。

 

 横薙ぎ。

 

 一枚目。

 

 二枚目。

 

 まとめて切断。

 

 三枚目が砲撃を放つ。

 

 フェイトは地面を蹴り。

 

 なのはの前へ飛び込んだ。

 

『Defenser.(防御)』

 

 金色の障壁が展開される。

 

 黒い光線が。

 

 正面から突き刺さった。

 

「くっ……!」

 

 障壁が削れる。

 

 黒い光へ触れた部分から。

 

 金色の魔力が消えていく。

 

 それでも。

 

 フェイトは動かなかった。

 

 背後には。

 

 地面へ横たわるなのはがいる。

 

「絶対に……通さない!」

 

 消される以上の速度で。

 

 障壁へ魔力を送り込む。

 

 金色の光が激しく明滅する。

 

 その横から。

 

 紫色の連結刃が飛来した。

 

 砲撃を続けていた端末を切断する。

 

「フェイト!」

 

 シグナムだった。

 

 さらに後方では。

 

 ヴィータとザフィーラが。

 

 新たに集まってくる端末群を押し留めている。

 

「こっちは任せろ!」

 

 ヴィータがグラーフアイゼンを振り抜く。

 

『Schwalbefliegen.(飛燕)』

 

 赤熱した鉄球が。

 

 一直線に飛ぶ。

 

 一枚目の端末を砕き。

 

 その背後にいた二枚目へ激突。

 

 さらに弾かれた鉄球が。

 

 三枚目を巻き込んだ。

 

「まだ来るぞ!」

 

 ザフィーラの足元へ。

 

 青い魔法陣が広がる。

 

「鋼の軛!」

 

 地上から伸びた青い柱が。

 

 四方から迫る端末群をまとめて挟み込む。

 

 しかし。

 

 端末は止まらない。

 

 青い拘束を削りながら。

 

 少しずつ。

 

 なのはへ近づいてくる。

 

「シャマル!」

 

 リインフォースが叫んだ。

 

「なのはのもとへ!」

 

「分かりました!」

 

 シャマルが。

 

 端末群の間を抜け。

 

 地上へ降りる。

 

 その後方で。

 

 リインフォースが。

 

 幾重ものベルカ式魔法陣を展開した。

 

 接近する羽状端末の前へ。

 

 封印術式を重ねていく。

 

 敵を倒すためではない。

 

 フェイトとシャマルが。

 

 なのはのそばへ留まる時間を作るために。

 

「なのはちゃん……」

 

 シャマルが膝をつく。

 

 手を伸ばして。

 

 触れる直前で止まった。

 

 右脚は。

 

 途中から不自然に曲がっている。

 

 左腕も。

 

 胸は呼吸するたびに。

 

 あり得ない形で沈み込んでいた。

 

 抱き起こすことはできない。

 

 どこを動かしても。

 

 砕けた骨が。

 

 さらに内臓を傷つける。

 

「治療を……」

 

 クラールヴィントが光る。

 

『Heilung.(治癒)』

 

 緑色の光が。

 

 なのはの全身へ降り注いだ。

 

 裂けた血管。

 

 砕けた骨。

 

 潰れた臓器。

 

 治癒術式が。

 

 損傷箇所へ入り込もうとする。

 

 しかし。

 

 定着しない。

 

 なのはの内側へ触れた緑色の魔力が。

 

 見えない何かに押し返された。

 

「入らない……」

 

 シャマルの顔から。

 

 血の気が引いた。

 

「治癒魔法が、なのはちゃんの中へ入っていかない!」

 

「そんな……」

 

 フェイトが。

 

 なのはのそばへ膝をつく。

 

「どうすればいいの?」

 

「分からないわ」

 

「シャマル!」

 

「分からないの!」

 

 シャマルも叫んだ。

 

「どこが壊れているのかは分かる! 何を治せばいいのかも分かる! でも、魔法そのものが届かないの!」

 

 なのはの身体が再び痙攣した。

 

「あ……ぁ……!」

 

「なのは!」

 

 フェイトが手を伸ばす。

 

 けれど。

 

 どこへ触れていいのか分からない。

 

 手を握ろうにも。

 

 指の骨まで砕けているかもしれない。

 

 だから。

 

 フェイトは。

 

 なのはの頬へ触れた。

 

 それだけしかできなかった。

 

「ごめん……」

 

 フェイトの目から涙が落ちる。

 

「そばにいるって言ったのに」

 

 涙が。

 

 なのはの頬へ触れた。

 

「何が起きても、そばにいるって……」

 

 なのはの瞳が僅かに動いた。

 

 青い目が。

 

 すぐそばにいるフェイトを捉える。

 

 唇が動く。

 

「フェイ……ト……ちゃん……」

 

「ここにいるよ」

 

 フェイトは答えた。

 

「ずっといる」

 

 何もできない。

 

 治せない。

 

 痛みを止めることもできない。

 

 それでも。

 

 ここから逃げることだけはしない。

 

「だから……」

 

 フェイトは。

 

 震える声で続けた。

 

「だから、もう少しだけ頑張って」

 

 頑張れ。

 

 それ以外に。

 

 掛けられる言葉がなかった。

 

『Master……(マスター……)』

 

 レイジングハートの声が響いた。

 

 白い杖の表面を走っていた桃色の光が。

 

 一つずつ消えている。

 

 飛行制御。

 

 防御術式。

 

 射撃管制。

 

 カートリッジシステム。

 

 なのはとレイジングハートを繋いでいた機能が。

 

 次々と停止していく。

 

『Connection is being lost.(接続が失われています)』

 

「レイジング……ハート……?」

 

『Master.(マスター)』

 

「行か……ないで……」

 

『I am here.(ここにいます)』

 

 赤い宝石が光る。

 

『I am――』

 

 雑音。

 

 音声が途切れた。

 

『――here.(ここにいます)』

 

 白い長柄が光へ変わった。

 

 先端の金属機構が閉じる。

 

 レイジングハート・エクセリオンが。

 

 強制的に待機形態へ戻っていく。

 

 赤い宝石が。

 

 なのはの指から零れた。

 

 地面へ落ちる。

 

 乾いた。

 

 小さな音。

 

「レイジング……ハート……?」

 

 返事はなかった。

 

 宝石の光は消えていない。

 

 壊れてもいない。

 

 ただ。

 

 なのはへ声を届けるための道が。

 

 完全に失われていた。

 

 次に。

 

 白いバリアジャケットが消え始めた。

 

 右手の指先。

 

 袖。

 

 肩。

 

 胸元。

 

 スカート。

 

 両脚を覆う白い布地。

 

 輪郭から。

 

 細かな光の粒へ変わっていく。

 

 破壊されたのではない。

 

 解除したのでもない。

 

 維持できない。

 

 魔法を使用する器官そのものが。

 

 別の機能へ変わりつつある。

 

 ならば。

 

 魔力で編まれた衣服だけが。

 

 残ることはできない。

 

 白い光が消え。

 

 変身する前に着ていた衣服が戻る。

 

 それでも。

 

 胸の奥へ流れ込むものは止まらない。

 

 むしろ。

 

 増えていた。

 

     ◇

 

 その時。

 

 はやての動きが止まった。

 

 青い瞳が。

 

 地上へ向けられている。

 

 そこには。

 

 砕けた身体を地面へ横たえるなのはと。

 

 そのそばへ膝をつくフェイトがいた。

 

 はやては。

 

 何も言わなかった。

 

 表情も。

 

 ほとんど変わらない。

 

 ただ。

 

 僅かに。

 

 青い瞳が見開かれた。

 

 ほんの僅か。

 

 口元に浮かんでいた微笑みが消える。

 

「我が主……?」

 

 リインフォースが呟いた。

 

 何を見たのか。

 

 何を感じ取ったのか。

 

 誰にも分からない。

 

 本能だったのか。

 

 直感だったのか。

 

 あるいは。

 

 自分と同じ領域へ近づこうとしている何かを。

 

 理屈より先に理解したのか。

 

 はやての右手が。

 

 強く握られた。

 

 直後。

 

 夜空を埋めていた羽状端末が。

 

 一斉に動きを変えた。

 

「何だ……?」

 

 シグナムが足を止める。

 

 守護騎士たちを包囲していた端末が。

 

 離れていく。

 

 海鳴市を攻撃していた端末も。

 

 遠方へ散っていた端末も。

 

 新たに現れた端末も。

 

 全てが。

 

 はやての頭上へ集まり始めた。

 

 一枚。

 

 十枚。

 

 五十枚。

 

 百枚。

 

 さらに。

 

 空間へ黒い亀裂が走る。

 

 その内側から。

 

 追加の羽状端末が次々と現れる。

 

「増えている……」

 

 リインフォースの顔が強張った。

 

 羽状端末は。

 

 はやての頭上へ集まり。

 

 幾重にも重なっていく。

 

 内側の一枚を。

 

 外側の二枚が支える。

 

 その周囲を。

 

 さらに多くの羽根が覆う。

 

 円環。

 

 その外側へ。

 

 さらに大きな円環。

 

 無数の羽状端末が。

 

 巨大な王冠を組み上げていく。

 

 これまでの砲撃構造とは違う。

 

 大きさが違う。

 

 使われている端末の数が違う。

 

 何より。

 

 その中心へ集まり始めたものが。

 

 違っていた。

 

 黒い光。

 

 最初は。

 

 小さな点だった。

 

 それが膨らむ。

 

 拳ほどの大きさへ。

 

 人間の頭ほどへ。

 

 さらに。

 

 はやての身体を覆い隠すほどの球体へ。

 

 光であるはずなのに。

 

 周囲を暗くしていく。

 

 近くの星が歪む。

 

 夜空が。

 

 黒い球体へ引き寄せられるように曲がっていた。

 

 太陽。

 

 黒い太陽。

 

 その周囲を。

 

 王冠状に組み合わされた羽状端末が取り囲んでいる。

 

 砲冠。

 

 アーティリフ。

 

 羽状端末を王冠形へ結合し。

 

 その先端を対象へ向ける。

 

 各先端から。

 

 超出力の光線を一斉に放ち。

 

 それら全てを中心の一点へ収束。

 

 従来を大きく上回る威力を持つ一本の砲撃として。

 

 対象へ叩きつける。

 

 跡形もなく。

 

 消し去るために。

 

     ◇

 

「空間湾曲を確認!」

 

 アースラの艦橋で。

 

 エイミィが叫んだ。

 

 大型画面の数値が。

 

 急激に跳ね上がる。

 

「湾曲係数、上昇! まだ上がる! 周辺座標が引っ張られてる!」

 

「エネルギー反応は!?」

 

 クロノが問う。

 

「計測中! でも……」

 

 エイミィの指が止まった。

 

 画面には。

 

 数値ではなく。

 

 測定不能を示す警告だけが並んでいる。

 

「嘘……」

 

 声が震えた。

 

「そんなのって……」

 

「エイミィ!」

 

「エネルギー反応、計測上限を超過! 今までの砲撃とは比較にならない!」

 

 黒い太陽の周囲で。

 

 空間の歪みが拡大していく。

 

 背景の星が。

 

 引き延ばされ。

 

 折れ曲がり。

 

 本来存在しない位置へ重なって見えた。

 

「推定威力を出せ!」

 

「無理だよ!」

 

 エイミィが叫び返す。

 

「基準にできるデータがない! でも、あれが地上へ直撃したら――」

 

 言葉が止まる。

 

 画面の中。

 

 砲冠の向きが変わった。

 

 ゆっくりと。

 

 地上へ。

 

 巨大な砲口が向けられる。

 

 その先にいるのは。

 

 なのはと。

 

 フェイト。

 

 そして。

 

 治療を試みていたシャマル。

 

「通信を全開!」

 

 リンディが叫んだ。

 

「現地の全員へ退避命令!」

 

 エイミィが通信回線を開く。

 

『全員、今すぐそこから離れて!!』

 

 叫びが。

 

 海鳴の夜空へ響いた。

 

『空間湾曲を確認! その砲撃は今までのものとは違う! 防御できない! 今すぐ逃げて!!』

 

「シャマル!」

 

 リインフォースが叫ぶ。

 

 直後。

 

 なのはたちのそばへ残っていた羽状端末が。

 

 黒い光線を放った。

 

「っ!」

 

 シャマルは咄嗟に障壁を展開した。

 

 緑色の光へ。

 

 黒い線が突き刺さる。

 

 防ぐためではない。

 

 射線から逃れるため。

 

 シャマルは障壁を斜めに傾け。

 

 衝撃に自分の身体を乗せた。

 

 横へ押し出される。

 

「なのはちゃん!」

 

 手を伸ばす。

 

 届かない。

 

 追撃の端末が。

 

 シャマルとの間へ黒い線を並べる。

 

 直線状の砲撃が。

 

 戻るための道を塞いだ。

 

 リインフォースが飛び込み。

 

 吹き飛ばされたシャマルを受け止める。

 

「フェイト!」

 

 シグナムが叫んだ。

 

「なのはを置いて離れろ!」

 

 フェイトは。

 

 答えなかった。

 

「フェイト!」

 

「できないよ」

 

 小さな声だった。

 

 それでも。

 

 はっきりと聞こえた。

 

「そんなこと……できない」

 

 逃げれば。

 

 フェイトだけなら助かるかもしれない。

 

 なのはを置いていけば。

 

 砲撃の範囲から離脱できるかもしれない。

 

 けれど。

 

 それでは。

 

 何のために。

 

 そばにいると約束したのか分からない。

 

「フェイトちゃん……」

 

 なのはの声が漏れた。

 

「大丈夫」

 

 フェイトは答える。

 

 なのはの前へ移動する。

 

 地面へ膝をつき。

 

 両腕を広げる。

 

 九歳の少女一人の身体で。

 

 空を覆う黒い太陽から。

 

 なのはを隠すように。

 

「私がいるから」

 

 防げない。

 

 分かっている。

 

 バルディッシュの障壁でも。

 

 守護騎士たちの防御でも。

 

 リインフォースの封印術式でも。

 

 あれを止めることはできない。

 

 それでも。

 

 フェイトは動かなかった。

 

「フェイト! 退け!」

 

 シグナムが飛び出す。

 

 その進路へ。

 

 残されていた羽状端末が回り込む。

 

 黒い光線。

 

「くっ!」

 

 シグナムが。

 

 レヴァンティンで切り払う。

 

「邪魔すんなああああっ!!」

 

 ヴィータが鉄槌を振り上げる。

 

 砲冠へ向かおうとする。

 

 だが。

 

 黒い王冠の外側を覆う羽状端末が。

 

 一枚の巨大な盾を形成した。

 

「ラケーテン――ハンマーッ!!」

 

 赤い鉄槌が激突する。

 

 盾が揺れる。

 

 崩れない。

 

「道を開けろ!」

 

 ザフィーラの鋼の軛が伸びる。

 

 羽状端末の隙間へ食い込み。

 

 左右へ広げようとする。

 

 シャマルが。

 

 緑色の拘束術式を重ねる。

 

 リインフォースが。

 

 幾重もの封印魔法を叩き込む。

 

 シグナムが斬る。

 

 ヴィータが殴る。

 

 ザフィーラが押さえる。

 

 シャマルが縛る。

 

 リインフォースが術式を重ねる。

 

 全員が。

 

 全力で。

 

 なのはとフェイトへ向かおうとする。

 

 しかし。

 

 間に合わない。

 

 黒い太陽が。

 

 大きく脈動した。

 

「来るぞ!!」

 

 リインフォースが叫ぶ。

 

     ◇

 

 その間にも。

 

 なのはの内側では。

 

 変化が続いていた。

 

 巨大な器が。

 

 少しずつ満たされていく。

 

 普通の人間なら。

 

 もっと早く終わっていた。

 

 受け止め切れず。

 

 器の方が破裂していた。

 

 しかし。

 

 高町なのはのリンカーコアは巨大だった。

 

 単独でSランクへ届く。

 

 九歳の少女が持つには。

 

 あまりにも大きな器。

 

 だから。

 

 時間が掛かった。

 

 流れ込むものが。

 

 その全てを満たすまで。

 

 壊れた身体を生かしたまま。

 

 痛みだけを与え続けた。

 

 九割。

 

 さらに。

 

 最後まで残っていた魔力が。

 

 胸の奥から押し流される。

 

 魔力を生成する器官としての機能が。

 

 完全に失われる。

 

 その瞬間。

 

 それまで荒れ狂っていた流れが。

 

 突然。

 

 安定した。

 

 流れ込む力が弱まったのではない。

 

 むしろ。

 

 量は増えている。

 

 ただ。

 

 中途半端に狭かった流入口が。

 

 ようやく。

 

 流れ込む力へ耐えられる形になった。

 

 リンカーコアを満たした力が。

 

 なのはの肉体へ溢れ出す。

 

 最初に。

 

 折れた右脚が光へ変わった。

 

 皮膚。

 

 筋肉。

 

 血管。

 

 砕けた骨。

 

 一度。

 

 全てが形を失う。

 

 消滅ではない。

 

 崩壊でもない。

 

 別の材料へ置き換えられている。

 

 白い光が収束する。

 

 折れる前の。

 

 高町なのはの右脚へ。

 

 最初から作り直される。

 

 左脚。

 

 骨盤。

 

 背骨。

 

 潰れた胸部。

 

 両腕。

 

 壊れた部分が。

 

 次々と白い光へ変わっていく。

 

 骨を繋ぐのではない。

 

 裂けた臓器を塞ぐのでもない。

 

 壊れた人間の肉体を。

 

 高町なのはという形に従って。

 

 別の材料で。

 

 再構築している。

 

 骨。

 

 血液。

 

 神経。

 

 臓器。

 

 皮膚。

 

 身体を構成する全てが。

 

 少しずつ。

 

 人間ではないものへ置き換わっていく。

 

 なのはの絶叫が止まった。

 

 反り返っていた身体から。

 

 力が抜ける。

 

 痛みが。

 

 消えた。

 

     ◇

 

 砲冠を構成する。

 

 全ての羽状端末の先端へ。

 

 黒い光が灯った。

 

 そして。

 

 一斉に。

 

 中心へ向けて放たれる。

 

 何百本もの光線が。

 

 黒い太陽へ飲み込まれ。

 

 収束し。

 

 一つになる。

 

 空間が。

 

 限界まで捻じ曲がった。

 

 次の瞬間。

 

 黒い光柱が発射された。

 

 音はなかった。

 

 発射の衝撃もない。

 

 ただ。

 

 はやてと。

 

 なのはたちの間に存在していた夜空が。

 

 黒く塗り潰された。

 

「フェイトおおおおおおおおっ!!」

 

 誰かの声。

 

 フェイトには。

 

 誰の声なのか分からなかった。

 

 聞く余裕もなかった。

 

 迫ってくる。

 

 逃げられない。

 

 防げない。

 

 触れれば。

 

 なのはも。

 

 フェイトも。

 

 地面も。

 

 その下にあるものも。

 

 何も残らない。

 

 だから。

 

 フェイトは振り返った。

 

 最後に。

 

 なのはの顔を見た。

 

「ごめんね」

 

 笑おうとした。

 

 上手く笑えたかは分からない。

 

「守れなくて――」

 

 黒い光柱が。

 

 二人へ届く。

 

 その。

 

 寸前。

 

 かちり、と。

 

 小さな音がした。

 

 鍵が。

 

 錠前の中で回ったような音。

 

 フェイトの目の前で。

 

 空間が開いた。

 

 割れたのではない。

 

 砕けたのでもない。

 

 空間そのものへ。

 

 縦長の境界が走り。

 

 そこだけが。

 

 扉のように左右へ開いていく。

 

 内側に見えたのは。

 

 海だった。

 

 夜の海。

 

 水平線。

 

 海面へ映る月の光。

 

 海鳴市から。

 

 遥か遠く離れた海。

 

 黒い光柱が。

 

 開いた空間へ飛び込んだ。

 

 そのまま。

 

 消えた。

 

「え……?」

 

 何が起きたのか。

 

 フェイトには理解できなかった。

 

 黒い光柱は。

 

 二人へ触れる直前に消失した。

 

 防がれたのではない。

 

 相殺されたのでもない。

 

 砲撃の進行方向に。

 

 別の場所へ通じる出口が開いただけ。

 

 全ての破壊が。

 

 その向こう側へ送り込まれた。

 

 直後。

 

 遥か彼方。

 

 地平線の向こう側で。

 

 黒い海が。

 

 白く染まった。

 

 夜が。

 

 昼へ変わる。

 

 水平線の一点から。

 

 眩い光が溢れ出す。

 

 海面が持ち上がる。

 

 巨大な水柱が。

 

 天へ向かって伸びていく。

 

 遅れて。

 

 なのはの声が聞こえた。

 

「――qありがとうf――、フェイトちゃん」

 

 フェイトの身体が止まった。

 

 声は。

 

 なのはのものだった。

 

 高く。

 

 幼く。

 

 何度も聞いた。

 

 高町なのはの声。

 

 けれど。

 

 言葉の一部へ。

 

 この世界に存在しない異音が混ざっている。

 

 機械の雑音ではない。

 

 獣の声でもない。

 

 人間の発声器官では。

 

 本来出力できないはずの言葉。

 

「なのは……?」

 

「もう、――v大丈夫f――だよ」

 

 弱々しい声ではない。

 

 苦痛に震えてもいない。

 

 いつもの。

 

 高町なのはの声だった。

 

 フェイトが。

 

 ゆっくりと振り返ろうとする。

 

 その前に。

 

 なのはが告げた。

 

「――k衝撃に備えてx――」

 

「え?」

 

 水平線の光が。

 

 さらに大きく膨れ上がった。

 

 次の瞬間。

 

 世界が殴りつけられた。

 

 轟音。

 

 遅れて届いた衝撃波が。

 

 海鳴の街全体を呑み込む。

 

「きゃああああああっ!!」

 

 フェイトの身体が浮いた。

 

 地面へ踏ん張ることさえできない。

 

 横から。

 

 巨大な手で殴り飛ばされたような衝撃。

 

 土砂が舞い上がる。

 

 残っていた木々が根元から倒れる。

 

 砕けた建物の破片が。

 

 弾丸のように飛び交った。

 

『Defenser.(防御)』

 

 バルディッシュが障壁を展開する。

 

 金色の光が。

 

 フェイトを包む。

 

 それでも。

 

 身体が後ろへ持っていかれる。

 

「なのは!」

 

 フェイトは叫んだ。

 

 見えない。

 

 土煙。

 

 白い光。

 

 吹き荒れる風。

 

 その全てが。

 

 視界を塞いでいる。

 

 守護騎士たちも。

 

 空中へ障壁を展開していた。

 

 シグナムがレヴァンティンを地面へ突き立てる。

 

 ヴィータがグラーフアイゼンへしがみつく。

 

 ザフィーラが四人の正面へ青い障壁を張る。

 

 リインフォースとシャマルが。

 

 その後方から術式を重ねる。

 

 はやての周囲でも。

 

 残された羽状端末が重なり。

 

 巨大な盾を作っていた。

 

 それでも。

 

 盾ごと。

 

 黒い少女の身体が後方へ押し流される。

 

 やがて。

 

 衝撃が弱まった。

 

 空へ巻き上げられていた土砂が。

 

 少しずつ落ちていく。

 

 白く染まっていた夜が。

 

 元の暗さを取り戻す。

 

 フェイトは。

 

 ゆっくりと顔を上げた。

 

 そこに。

 

 一人の少女が立っていた。

 

 地面へ叩きつけられ。

 

 全身の骨を砕かれ。

 

 息をすることさえできなかったはずの少女。

 

 高町なのはが。

 

 二本の足で。

 

 立っていた。

 

 顔は変わらない。

 

 幼い身体も。

 

 青い瞳も。

 

 高町なのはのまま。

 

 髪も。

 

 変わっていなかった。

 

 いつもと同じ。

 

 赤みを帯びた茶色の髪。

 

 左右で結ばれたツインテール。

 

 白いリボン。

 

 何度も見てきた。

 

 高町なのはの髪型。

 

 変わったのは。

 

 身に纏うものだった。

 

 身体を包むのは。

 

 淡い桃色の霊装。

 

 首元まで覆う立ち襟。

 

 前面には。

 

 濃い色の飾り紐と留め具が並び。

 

 裾には。

 

 白い花の模様が浮かんでいる。

 

 チャイナドレスを思わせる形。

 

 ただし。

 

 人間が布を縫い合わせて作った衣服ではない。

 

 なのはの肉体を再構築したものと。

 

 同じ光。

 

 同じ力が。

 

 霊装という用途を与えられ。

 

 衣服の形を取っている。

 

 肩からは。

 

 濃紺の外套が広がっていた。

 

 外側は。

 

 深い夜の色。

 

 内側には。

 

 無数の星が輝いている。

 

 星座を結ぶ光。

 

 遠い星雲。

 

 夜空の一部を切り取り。

 

 布の内側へ閉じ込めたような外套が。

 

 風もないのに。

 

 ゆっくりと揺れていた。

 

 両脚を覆うのは。

 

 白銀の脚甲。

 

 膝から。

 

 脛。

 

 足首までを包む。

 

 騎士の甲冑を思わせる硬質な装甲。

 

 その先には。

 

 濃い紫色の靴。

 

 両手にも。

 

 同じ色の手袋が形成されている。

 

 そして。

 

 なのはの右手には。

 

 巨大な鍵が握られていた。

 

 なのはの身長を。

 

 大きく超える長い柄。

 

 下端には。

 

 何枚もの歯を持つ。

 

 巨大な鍵の構造。

 

 上端には。

 

 円形の機構。

 

 桃色の結晶が並ぶ円環の中央で。

 

 金色と赤色の星が。

 

 静かに回転していた。

 

 その場にいる誰一人。

 

 その名称を知らない。

 

 何のための武装なのかも。

 

 何ができるのかも知らない。

 

 けれど。

 

 その巨大な鍵には。

 

 確かに名があった。

 

 〈封解主〉。

 

 ミカエル。

 

 あらゆるものを開き。

 

 あらゆるものを閉じる。

 

 世界そのものへ。

 

 鍵を差し込むための権能。

 

 それだけではない。

 

 なのはの頭上に。

 

 大型の光輪が浮かんでいた。

 

 一枚の単純な輪ではない。

 

 幾重もの金色の線。

 

 菱形。

 

 三角形。

 

 細長い六角形。

 

 複数の幾何学模様が。

 

 互いに重なり。

 

 一つの巨大な円環を形成している。

 

 輪郭の周囲には。

 

 小さな星の光が瞬き。

 

 幾何学線は。

 

 異なる方向へ僅かにずれながら。

 

 静かに回転していた。

 

 魔法陣ではない。

 

 デバイスでもない。

 

 何のために存在するのか。

 

 管理局の誰にも説明できない。

 

 それでも。

 

 見た者の脳裏には。

 

 同じ言葉が浮かんだ。

 

 天使の輪。

 

 高町なのはは。

 

 変わらない髪を夜風へ揺らし。

 

 頭上へ金色の光輪を戴き。

 

 右手に巨大な鍵を握っている。

 

 その足元には。

 

 待機形態へ戻ったレイジングハートが。

 

 赤い光を灯したまま転がっていた。

 

 フェイトが。

 

 震える声で名前を呼ぶ。

 

「なのは……?」

 

 なのはが振り返る。

 

 青い瞳。

 

 その奥に。

 

 星形の結晶が浮かんでいる。

 

 声も。

 

 表情も。

 

 高町なのはのものだった。

 

 なのはは。

 

 巨大な鍵を右手へ携えたまま。

 

 左手を。

 

 フェイトへ差し出した。

 

「待たせて、――vごめんねf――」

 

 フェイトは答えられなかった。

 

 ただ。

 

 差し出された手を見つめる。

 

 細い指。

 

 いつもと同じ手。

 

 けれど。

 

 その手を作っているものは。

 

 もう人間の血肉ではない。

 

 フェイトが。

 

 恐る恐る手を重ねる。

 

 温かかった。

 

 なのはは。

 

 いつものように笑った。

 

「約束、――q守ってくれたんだねf――」

 

 上空。

 

 はやてが。

 

 なのはを見ていた。

 

 青い瞳が。

 

 今までよりも大きく見開かれている。

 

 黒い円環。

 

 金色の光輪。

 

 漆黒の少女。

 

 桃色の少女。

 

 夜空へ浮かぶ羽状端末が。

 

 一斉に。

 

 なのはへ先端を向けた。

 

 それでも。

 

 なのはは動かなかった。

 

 フェイトの手を握ったまま。

 

 巨大な鍵を持ち上げる。

 

 黒い天使と向かい合う。

 

 海鳴の夜へ。

 

 八神はやてに続く。

 

 もう一体の天使が。

 

 顕現した。

 

 

[#改ページ]

```

 

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