「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
八神はやてが顔を上げた。
車椅子に座る少女の姿は、なのはたちが病院で見ていた頃と何も変わらない。黒い霊装も、頭上を回転していた異様な円環もなく、ただ少し長く伸びた髪が頬にかかり、その奥から赤く腫れた目がこちらを見つめていた。
けれど、そこに浮かんだ表情は再会を喜ぶものではなかった。
「……なんで」
はやての唇が震えた。
最初に一歩を踏み出していたヴィータの足が止まる。
「なんで、来たん……?」
声には怒りよりも怯えが強く混じっていた。
ヴィータたちの姿を一人ずつ確認するたび、はやての顔から血の気が失われていく。最後にリインフォースを見つけた瞬間には、まるで見てはいけないものを見てしまったように目を見開き、車椅子を後ろへ動かそうと両手を車輪へ伸ばした。
「来んといて」
「はやて……?」
「来んといてや!」
突然上がった声に、ヴィータが肩を震わせる。
はやては必死に車輪を回した。しかし、どれだけ動かしても車椅子は一向に後ろへ進まない。この場所が現実の法則に従っていないためなのか、それとも、はやて自身が本当は逃げたくないからなのか、それは誰にも分からなかった。
「帰って……みんな、帰ってや……」
はやてが顔を伏せる。
辺り一面に咲いていた黒い彼岸花が、その言葉へ同調するように大きく揺れた。
風など吹いていない。それなのに黒い花々は一斉に花弁を震わせ、なのはたちと車椅子の間を遮るように茎を伸ばしていく。
リインフォースは、その光景を知っていた。
以前は白かった。
はやてがまだ、この世界の向こう側へ手を伸ばすことを諦めていなかった時、この場所には見渡す限りの白い彼岸花が咲いていた。それが自分との別れを受け入れられなくなった瞬間、根元から黒へ置き換えられ、最後には一輪の白さえ残らなかった。
今は、その時と同じだった。
「主はやて」
「呼ばんといて……」
リインフォースの声を拒むように、はやては両耳を塞いだ。
「その名前で呼ばれたら……また信じてまうやろ……」
掠れた声だった。
リインフォースの表情が僅かに歪む。
「信じたら、また好きになってまう。大事やって思ってまう」
はやては俯いたまま、膝の上で両手を握り締めた。
「そしたら、またおらんようになるやん……」
ヴィータが息を呑んだ。
はやての中では、あの日の出来事が終わっていない。
父も母もいなくなった。
ようやく家族になれたシグナムたちも、自分の前から一度消えた。
そして、最後まで残ってくれると思ったリインフォースまで、自分を助けるためという理由で離れようとした。
はやてにとって、それらは別々の出来事ではなかった。
一度手に入れたものは、いつか必ず失う。
大切に思えば思うほど、いなくなった時に苦しくなる。
だから。
「もう嫌やねん……」
はやての声が震えた。
「もう、誰かがおらんようになるんを見るんは嫌や」
黒い彼岸花が足元から広がり、なのはたちの靴へ絡みつくように咲き始める。
「お父さんも、お母さんもおらんようになった。シグナムたちも消えた。リインフォースも、うちから離れようとした」
「はやて、それは――」
「分かってる!」
ヴィータの言葉を遮り、はやては顔を上げた。
涙が頬を流れていた。
「みんな、うちのためやったんやろ!? 分かってるよ! 分かってるから嫌なんや!」
誰かに憎まれて捨てられたのなら、まだ諦められたのかもしれない。
けれど、そうではない。
皆、はやてを大切に思っていた。
大切だからこそ、自分を守るために消えようとした。
その事実が、はやてにとっては何よりも恐ろしかった。
「好きやからいなくなるんやったら……そんなもん、もういらん」
「はやて……」
「みんなが別々やから、離れるんやろ?」
はやての声から、少しずつ幼い少女の響きが失われていく。
「時間が経つから、死ぬんやろ。別々に生きとるから、誰かがおらんようになった時に悲しくなるんやろ」
黒い彼岸花の向こう側に、巨大な影が浮かんだ。
それは木にも見えた。
無数の枝を持つ、巨大な樹。
ただし、その枝は上へ伸びていない。
天地を逆さまにしたように、黒い幹が下へ向かって枝分かれし、その先端からこの世界全体へ黒いものを流し込み続けている。
反転した接続。
はやて自身はその意味を知らない。
それでも、その黒い樹と少女の感情は完全に連動していた。
「せやったら、全部一緒にしたらええ」
はやては涙を流しながら微笑んだ。
「誰も別々やなくなったら、もう失わへん」
「……」
「時間も止めたらええ。世界も終わらせたらええ。みんな一緒になったら、誰も誰かを置いていかれへん」
なのはは、何も言わずにはやてを見ていた。
悪いことをしようとしている顔ではなかった。
本当に、それしか方法がないと思っている。
だから余計に悲しかった。
「これで、ええんや」
はやてが自分へ言い聞かせるように呟く。
「そうしたら……うち、もう一人にならんで済むから」
「勝手に決めんなよ」
ヴィータの声だった。
はやての肩が震える。
ヴィータは拳を握ったまま、黒い花を踏み分けて前へ進んだ。
「来んといてって言うたやろ……」
「嫌だね」
「ヴィータ……」
「アタシは、はやての言うことなら何でも聞くって決めてたけどさ」
ヴィータは途中で一度俯いた。
何を言えばいいのか分からなかった。
戦う方がずっと簡単だった。
敵がいれば殴ればいい。
はやてを傷つけるものがいるなら、自分が前に立てばいい。
けれど、今泣いているはやてを傷つけたのは、誰でもない自分たちだった。
「これだけは聞けねえよ」
ヴィータは顔を上げた。
「アタシは、はやてと一つになんかなりたくねえ」
「……ほら」
はやての顔に、絶望が浮かんだ。
「やっぱり――」
「最後まで聞け!」
ヴィータの怒鳴り声が、静かな世界へ響き渡った。
はやてが目を見開く。
「アタシは、はやてと一緒にいたいんだよ!」
ヴィータの声が震えていた。
「一緒に飯食って、テレビ見て、くだらねえことで笑って、たまに喧嘩して……また四人で、はやてのベッドに潜り込んで怒られたいんだよ!」
「……」
「一つになっちまったら、そんなことできねえだろ!」
涙がヴィータの頬を流れた。
拭おうともしなかった。
「アタシははやてが好きだ。家族だからじゃねえ。主だからでもねえ。はやてだから好きなんだよ」
はやての唇が僅かに開いた。
「だから勝手に終わらせんな」
ヴィータは、そこで初めて少しだけ笑った。
「はやてが死ぬまで、アタシは絶対に離れねえから」
その瞬間だった。
はやての車椅子のすぐ横。
黒い彼岸花しか存在しなかった場所に、小さな白い花が一輪だけ咲いた。
「……え?」
はやてが目を向ける。
白い彼岸花は、周囲の黒に呑み込まれることなく、静かに花弁を開いていた。
「なんで……」
はやての声に怯えが混じる。
その動揺を感じ取ったように、逆さまの黒い樹が大きく脈打った。
白い花の周囲から黒が伸び、再び覆い隠そうとする。
「無理や……」
はやてが首を横へ振った。
「そんなん言うても……いつかいなくなる」
「ならば、何度でも誓いましょう」
今度はシグナムが前へ出た。
ヴィータの隣まで歩くと、レヴァンティンを持っていない右手を胸へ当て、その場で片膝をつく。
「主はやて」
「やめてや……」
「我々は一度、あなたを残して消えました」
シグナムは否定しなかった。
「事情があったから仕方なかったとも申しません。我々がいなくなったという事実によって、あなたが傷ついたことに変わりはありませんから」
はやてが俯く。
「ですが、我々は戻ってきました」
シグナムの声は静かだった。
「そして今度こそ、あなたの傍にいることを誓います」
「……いつまで?」
問いはあまりにも幼かった。
シグナムは迷わなかった。
「あなたの命が尽きる、その時まで」
白い彼岸花がもう一輪咲いた。
さらに、その隣へもう一輪。
黒い花畑の中へ、小さな白い島が生まれていく。
「我々はあなたを守るためだけの騎士ではありません」
シグナムがゆっくりと顔を上げた。
「我々は、あなたの家族です」
はやての目から、新しい涙が溢れた。
「家族は……また、おらんようになるやん……」
「だから、今度はちゃんと言ってください」
シャマルがシグナムの隣へ歩み出た。
「行かないで、って」
「……」
「一人にしないで、って」
シャマルは泣きながら笑った。
「私たち、はやてちゃんが我慢するのに慣れすぎてたのかもしれません」
いつも笑っていた。
痛くても。
寂しくても。
守護騎士が傷ついて帰れば、自分よりそちらを心配した。
「はやてちゃんが大丈夫って言うから、大丈夫だと思ってしまったんです」
その言葉を聞きながら、なのはは少しだけ目を伏せた。
自分にも覚えがあった。
「だから今度は、ちゃんと言ってください。寂しかったら寂しいって。怖かったら怖いって」
シャマルは車椅子の前へしゃがんだ。
「私、まだはやてちゃんに作ってあげたいご飯がいっぱいあります。もっと一緒にお買い物にも行きたいし、新しい服だって選びたいんです」
「シャマル……」
「だから、もう終わりにしないでください」
白い花が広がった。
シャマルの足元から、ヴィータとシグナムの周囲までを繋ぐように白い彼岸花が増えていく。
ザフィーラも前へ出た。
多くを語る男ではない。
それでも、はやては彼が自分へ向ける目を知っていた。
「主」
ザフィーラは、ただ静かに言った。
「あなたが我らを家族と呼んでくださる限り、私はその帰る場所を守り続けます」
短い言葉だった。
けれど、はやてには十分だった。
さらに白が増えた。
それでも、黒は消えない。
白くなった場所を押し戻そうとするように、花畑の向こう側で黒い波が立ち上がっている。
はやては両手で顔を覆った。
「怖い……」
初めて。
その言葉を口にした。
「また信じるんが怖い……」
声が震える。
「今はいてくれても、明日おらんようになるかもしれへん。来年かもしれん。十年後かもしれん。いつか誰かが死んだら……また、うちだけ残るかもしれん」
「主はやて」
最後まで後ろに残っていたリインフォースが歩き出した。
はやてが顔を上げる。
その瞬間だけ、白へ変わり始めていた花が再び大きく黒く揺れた。
「来んといて……」
反応は誰よりも激しかった。
「リインフォースは、来んといて……!」
リインフォースの足が止まる。
「また、いなくなるんやろ……?」
「……」
「うちを助けるためとか言って、また勝手に消えるんやろ!?」
叫びと同時に黒い花が吹き上がった。
白くなっていた場所へ花弁が降り注ぎ、せっかく戻り始めた白を再び染めようとする。
リインフォースは何も言い返さなかった。
あの時。
自分は確かに、はやてから離れることを選んだ。
間違っていたとは思っていない。
あれ以外に主を助ける方法が見つからなかった。
それでも。
はやてが何を望んでいるのかを知りながら、置いていこうとしたことも事実だった。
「はい」
リインフォースは静かに答えた。
「私は、あなたから離れようとしました」
はやてが唇を噛む。
「あなたを救うためには、それしかないと思っていたからです」
「ほら……」
「ですが」
リインフォースが、その場で膝をついた。
主へ跪く騎士としてではない。
車椅子に座る一人の少女と、同じ高さで目を合わせるためだった。
「私は、あなたがそれを望んでいないことも知っていました」
はやての瞳が揺れる。
「あなたは私に、家族になってほしいと言ってくださった」
「……」
「朝も、昼も、夜も、何度でも私の名前を呼ぶと」
はやての顔が崩れた。
あの日の言葉を。
覚えている。
「それなのに私は、あなたの願いより、私が正しいと思う選択を優先しました」
リインフォースは頭を下げた。
「申し訳ありません、主はやて」
「謝らんといて……」
「今度は、あなたに決めていただきます」
リインフォースが顔を上げる。
「私はここにいます」
「……」
「シグナムも、ヴィータも、シャマルも、ザフィーラもいます」
その後ろには、なのはとフェイトもいる。
「もう一度、私に命じてください」
リインフォースは微笑んだ。
「傍にいろ、と」
はやては声を出せなかった。
口を開いても、嗚咽しか漏れない。
「……おって」
ようやく出た声は、小さかった。
「はい」
「もう、いかんといて……」
「はい」
「勝手にいなくならんといて……」
「はい」
リインフォースの返事は、今度は一度も途切れなかった。
「ずっと……うちのそばにおって……」
「あなたがそれを望んでくださる限り、私は決して離れません」
白い彼岸花が爆発するように咲いた。
リインフォースとはやての間から広がった白は、それまで少しずつ増えていたものとは比較にならない速さで黒い花畑へ食い込み、車椅子の周囲を一気に白へ変えていく。
黒い樹が揺れた。
世界全体が震える。
そして。
黒い樹の向こう側に、もう一つの巨大な影が現れた。
白い樹。
反転した黒い構造とは正反対に、太い幹から枝を上へ広げ、遥か彼方へ向かって伸びている。
二つは別々のものではなかった。
同じ根から分かれた、表と裏。
はやての内側に存在する接続が、黒い側へ固定されきれず、再び白い側へ触れ始めていた。
◇
精神世界の外側。
静止したはやての身体の奥でも、同じ変化が起きていた。
反転した接続核――クリファから、クリフォト側へ伸びていた流入口が大きく揺らぐ。
それまで一方向に流れ込み続けていた黒い力が不安定になり、一瞬だけ流量を落とした。
代わりに。
閉じられていたもう一方。
本来のセフィラが接続していた側へ、細い経路が開く。
セフィロト。
そこから流れ込んだ白い力が、黒い流れと正面からぶつかった。
八神はやてが何を選ぶのか。
それだけで、接続先そのものが揺れ始めていた。
〈救世魔王〉サタンを形作っていた黒い構造の奥で、まだ姿を現していない〈絶滅天使〉メタトロンの存在情報が、微かに白い光を放ち始める。
◇
「でも……」
はやての声が、再び黒い花を揺らした。
「それでも、いつかは終わるやん……」
白くなった花畑の端から、黒が少しだけ戻る。
「みんな、ずっと同じではおられへん。いつか死ぬし、いつか離れるかもしれへん」
「うん」
フェイトが答えた。
否定されると思っていたはやてが、驚いたように彼女を見る。
「そうだと思う」
「フェイトちゃん……?」
「私は、絶対に誰もいなくならないって言えない」
フェイトはゆっくりとはやてへ近づいた。
「私も、大切な人を失ったから」
はやては何も言わなかった。
フェイトがどこまで自分と同じなのかは知らない。
けれど、その言葉が慰めのためだけのものではないことは分かった。
「すごく悲しかった。もっとこうすればよかったって思ったこともあるし、今でも考えることがある」
「それやったら……」
「でも」
フェイトは首を横へ振った。
「だから、なのはと友達にならなければよかったなんて思わない」
なのはがフェイトを見る。
「はやてと会わなければよかったとも思わない」
「……なんで?」
「楽しかったから」
あまりにも普通の答えだった。
「大切だからだよ」
フェイトははやての前まで来ると、少しだけ身体を屈めた。
「いつか終わるかもしれないからって、最初から全部なくしてしまったら、今一緒にいられる時間までなくなっちゃう」
白い花が、フェイトの足元にも咲き始める。
「私はそれが嫌だな」
「でも、なくなったら悲しいやろ……」
「うん。悲しいよ」
フェイトは笑った。
「でも、楽しかったこともなくならないと思う」
はやての瞳から涙が零れた。
黒い彼岸花がまた白へ変わる。
今では世界の半分近くが、かつての色を取り戻していた。
「はやてちゃん」
最後に、なのはが前へ出た。
はやては涙を拭わず、なのはを見る。
なのはは何を言えばいいのか、ずっと考えていた。
リインフォースのように難しいことは言えない。
フェイトのように、同じ経験をしているわけでもない。
だから、自分が本当に思っていることだけを言うことにした。
「私、まだはやてちゃんと全然遊び足りないよ」
「……え?」
「だって、まだ一緒にしたいこといっぱいあるもん」
なのはは指を折ろうとして、今の自分の身体のことを思い出したように一度手を見る。それでも構わず、昔と同じような調子で話を続けた。
「みんなでお買い物にも行きたいし、翠屋でケーキも食べたい。暖かくなったらどこか遊びに行きたいし、はやてちゃんが元気になったら、もっといろんなところに一緒に行けるよ」
はやては呆然となのはを見ていた。
「フェイトちゃんも、アリサちゃんも、すずかちゃんも一緒に」
「……」
「シグナムさんたちとも、いっぱい楽しいことできると思う」
なのはは、そこで少しだけ眉を下げた。
「だからさ」
声が柔らかくなる。
「もう、そんな悲しいこと言わないでよ」
はやての顔が歪んだ。
「私も、フェイトちゃんも、みんな、はやてちゃんと一緒にいたいんだよ」
「……でも」
「うん」
「いつか、終わるんやで……?」
なのはは少し考えた。
そして。
「でも、まだ終わってないよ」
はやてが息を止めた。
「今、みんなここにいるよ」
なのはは周囲を見る。
ヴィータがいる。
シグナムがいる。
シャマルがいる。
ザフィーラがいる。
リインフォースも。
フェイトもいる。
誰も消えていない。
「これから楽しいことがいっぱいあるかもしれないのに、はやてちゃんが怖いからって先に全部終わらせちゃうのは、私は嫌だよ」
なのはが手を伸ばした。
「失くすのが怖いなら、一緒に怖がろうよ」
はやての目から、大粒の涙が零れた。
「寂しくなったら、一人で我慢しないで言ってよ」
伸ばされた手を、はやては見つめている。
「私たち、ちゃんと聞くから」
黒い彼岸花が白へ変わっていく。
今度は少しずつではなかった。
地平線の向こうまで続いていた黒い花畑を、白い波が一気に走り抜ける。
逆さまに伸びていた黒い樹が大きく揺れ、その枝先から黒い光が次々と剥がれ落ちていく。一方で白い樹は枝を広げ、今まで黒い側だけへ繋がっていた根へ、自分の光を送り込んでいた。
それでも。
一輪だけ。
はやての車椅子のすぐそばに、黒い彼岸花が残った。
「怖い……」
はやてが呟く。
「うん」
なのはは手を引っ込めなかった。
「また一人になるんが……ほんまに怖い……」
「うん」
「また、みんながおらんようになったらって考えたら……怖くて仕方ない……」
ヴィータが横から手を伸ばした。
「だったら離すなよ」
シグナムも。
「何度でも、お傍にいるとお答えします」
シャマルも。
「一人で考えないでください」
ザフィーラも静かに頷く。
リインフォースは、何も言わずにはやてを見ていた。
フェイトも手を伸ばす。
「帰ろう、はやて」
六人の手。
はやては、それを順番に見た。
「……うち」
声が震える。
「まだ……みんなと一緒におってええんかな」
「当たり前だろ!」
ヴィータが即座に叫んだ。
なのはは笑った。
「うん」
「迷惑やない……?」
「迷惑だったら、こんなところまで来ないよ」
フェイトも微笑んだ。
はやての手が、ゆっくりと上がる。
最初に触れたのは、なのはの手だった。
その上からフェイトが重ねる。
ヴィータが我慢できずに車椅子ごとはやてへ抱きつき、シャマルも涙を流しながらその背中へ腕を回した。
「うわっ、ヴィータちゃん!」
「うるせえ! もう離さねえ!」
「痛い……」
「我慢しろ!」
泣きながら笑う声が、初めてこの世界へ響いた。
シグナムはその様子を見ながら目元を僅かに緩め、ザフィーラも静かにはやての肩へ手を置く。
最後にリインフォースが近づいた。
はやてが泣き腫らした顔を上げる。
「リインフォース」
「はい」
「そばにおってな」
「はい」
今度こそ。
迷いのない返事だった。
最後に残っていた黒い彼岸花が、静かに白へ変わった。
◇
反転していた流入口が閉じ始めた。
完全に断ち切られるのではない。
上下を裏返すように、接続の向きそのものが戻っていく。
クリフォト側へ固定されていたクリファが、一度大きく脈動した。
黒い力の流入量が急激に低下する。
代わりに、本来のセフィロト側へ伸びる経路が太くなり、そこから白いテレズマが一気に流れ込んだ。
黒と白が、はやての内部で衝突する。
だが。
今度は均衡しなかった。
はやて自身が、白い側へ手を伸ばしている。
黒い流れが押し戻される。
反霊結晶として固定されていた構造が裏返り、元のセフィラへ戻っていく。
〈救世魔王〉サタンを構築していた存在情報が崩れ始めた。
そして、その奥から。
本来の接続によって形作られる別の権能が姿を現す。
〈絶滅天使〉メタトロン。
それは人間へ戻ることを意味しない。
天使となった八神はやてが。
もう一度。
八神はやて自身の心で、力を使う側へ戻るということだった。
◇
白い彼岸花が、世界の果てまで咲いていた。
以前とは違う。
誰かがはやてへ押しつけた白ではない。
はやて自身が選び直した色だった。
「みんな……」
はやては周囲を見回した。
何度確認しても。
全員いる。
だから。
今度は泣きながらではなく、少しだけ笑って言った。
「帰りたい」
ヴィータの腕に力が入る。
「うち、みんなと一緒に帰りたい」
なのはが頷いた。
「うん」
フェイトも、その隣で笑った。
「一緒に帰ろう」
白い彼岸花が大きく揺れた。
花弁が舞い上がる。
今度は黒い空を覆い隠すためではない。
帰る道を作るように。
純白の花弁が、八神はやてと、その家族たちを優しく包み込んでいった。