「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
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灰の大地から
EC4280――惑星エルトリア。
広大な宇宙にぽつんと浮かぶその星は、死に瀕していた。大地とともに大気も色褪せてしまい、命の息吹はまったく感じられない。
地表を覆うのは無限の砂と、瓦礫と。
かつて高度な文明を謳歌した星は、同時に極端な環境破壊によって蝕まれたという。やがてエルトリアは生命を育めない死の世界と化した。
ただ幸いなことに、エルトリアの文明レベルは宇宙へと届いていた。
ひとびとはエルトリアの宙域に『コロニー』を建造。人工の大地を作り、そこで歴史を紡いでいくことにした。
ひからびたエルトリアの大地から飛び立つ、無数の宇宙船。
彼らが母星を故郷としながらも、決別するまでに、そう時間は掛からなかった。それほどにエルトリアの『死蝕』は深刻だったのだろう。
しかしエルトリアの民も、母星の復活を諦めたわけではなかった。
いつかエルトリアを元の緑溢れる惑星に――そう願い、死の星に残った者もいる。
フローリアン家はそうした『先駆者』たちの研究所が残した、最後のメンバーだった。現在はグランツ=フローリアンが所長を務め、妻のエレノアが補佐をしている。
ふたりの娘、アミティエとキリエも両親の愛を受け、健やかに育った。
たとえコロニーの世論が母星を捨て、安定した宇宙開発へ向いていようとも。コロニーの同志から手厚い支援も届くうちは、諦めるわけにいかなかった。
ひび割れた大地を歩きながら、長女のアミティエは思う。
エルトリアの緑を必ず蘇らせてみせる、と――。
死せる惑星の過酷な環境でも生きられるように、アミティエの身体には人工的な手が加えられていた。身体能力の劇的な強化のみならず、血液とともにナノマシンを循環させることで、フォーミュラ(エルトリア製の武具)との連動を可能としている。
その力をもってアミティエがなすべきことは、おもに惑星エルトリアの調査だった。
アミティエのような強化人間でなければ、ベースを離れては一日と持たない。病魔に冒されるか、もしくは異常に進化した怪物に襲われるか。
人間も動物も住めないはずのエルトリアの環境に、適応してしまった『生物』がいる。それは言葉通りの怪物と化し、狂ったように暴れまわった。
当然、捕食するような獲物は少ない。エルトリアに残った、わずかな緑を食い荒らし、その排泄物で大地をさらに汚染する。
それでも過度の飢餓から来る暴食性は満たされず、ついには共食いを始める。彼らの存在はまさに惑星エルトリアが『死んでいる』現実を、アミティエに突きつけた。
ベースに近づく個体は、先手を打って倒すほかない。それもアミティエの仕事だ。
「この地区もだめですね……」
土壌開発したはずの南ブロックにて、アミティエは溜息を漏らした。砂除けのローブから頭を出し、すっかり荒れ果てた大地を見渡す。
「父さんが手を加えた時は、上手くいきそうでしたのに」
風のほかに音のない世界を見ていると、悔しさが込みあげてきた。
しかし悔しいと思えるうちは、まだいいのかもしれない。これが諦めに変わったら、フローリアン家はおそらく――。
そのような状況で絶望せずにいられるのは、自分が強化されたからだろうか。そんな卑下が冗談にならないほど、事態は深刻化している。
砂除けのローブがボロボロなのも、貧しいせいではなかった。
一家が暮らしていくには充分すぎるほどの物資が、コロニーから届く。しかしエルトリアの環境が過酷すぎて、ローブなどは少し使っただけで変色してしまった。
南ブロックの大地はとうに乾いて、亀裂が谷ほどに深まっている。
点在する大きな穴は、問題の怪物が掘り抜いた跡だろう。
「とにかく帰って、母さんに報告……ですね」
アミティエは踵を返し、研究所とは名ばかりの古びた一軒家へ『帰宅』した。
「お帰りなさい、アミタ」
「ただいまです」
母のエレノアがコップ一杯の水を持ってきてくれる。強化人間とはいえ、水分の補給や食事は欠かせなかった。
「喉が渇いたでしょう? どうぞ」
「ありがとうございます」
家族に対してもアミティエは『ですます』とつける。とはいえ、別に遠慮しているわけではない。『姉』として模範的な振る舞いを心掛けたのが、癖になっただけのこと。
もしくは単に、同じ口調で喋る母親の影響だろう。
水に口をつけ、ようやく一息。
「ふう……。純度の高い水は美味しいですね」
コップ一杯の純水でさえ、このエルトリアでは入手に苦労した。今やエルトリアに残っているのがフローリアン家だけだから、かろうじて足りているに過ぎない。
心配そうに母が娘に問いかける。
「それで……南ブロックの様子はどうでした?」
アミティエは無言でかぶりを振った。
「そう……」
このようなことは一度や二度ではない。アミティエがパトロールを始めた頃から、父の努力をもってしても、開発の失敗はよくあることだった。
けれども今は事情が違う。たったひとつの失敗を、重々しく感じる。
「キリエは?」
「地下のほうでストレージを閲覧してるみたいですよ。調べたいものがあるらしくて」
妹のキリエも思い詰めている様子だった。
このエルトリアでの生活は、もう長くはない。その理由を口にするのが辛かった。
「……父さんの様子はどうでしたか?」
母のエレノアは苦笑とも微笑とも区別のつかない、疲れた笑みを浮かべる。
「コロニーから送っていただいた新薬を投与して、三日……。一時的に数値もよくなったのですけど……」
「劇的な効果は見込めない……ですか」
カーテンの向こうでは、父のグランツが無数の機械に囲まれ、眠っていた。どれも生命の維持に欠かせないもので、傍に寄るスペースも限られる。
しかし傍に寄ったところで、父の死相を直視させられるだけ。母のエレノアもそう思って、このカーテンをつけたのだとしたら――。
「土壌汚染の対策も植物の品種改良も、父さんがいてこそ。やはり私たちだけでは……」
「そうね」
研究者の母でさえ、父を抜きにしてはエルトリアの復興などままならなかった。ましてやエミティアは生存と戦闘に特化した人間。高度な研究を進められるはずがない。
エレノアが重い口を開く。
「実は昨日の定時連絡で、コロニーへの移住をお願いしたの。みなさんも、グランツの治療にはそのほうがいいだろうって……住居も用意してくれるとのお話ですし」
「そんな……っ」
と言いかけ、エミティアは唇を噛んだ。
母の判断は正しい。父を欠いた今、エルトリアの復興は頓挫したのだから。
そのうえ父は長らく意識を取り戻せずにいる。顔も身体も痩せ衰え、余命幾許もないことは、誰の目にも明らかだった。
病気の原因は『死蝕』だ。惑星エルトリアを蝕む病魔が、父を苦しめている。
一刻も早くコロニーへ移り、治療に専念しなくてはならない。
たとえエルトリアの復興を諦めることになっても。
「私は……母さんの言う通りにします」
せめて正しい判断をした母に味方をしてやること。それだけが、今のアミティエにできる小さな親孝行だった。
母がアミティエと額を重ね、掠れがちな声で詫びる。
「ごめんなさい……アミティエ。ごめんなさい」
いつものように『アミタ』と呼んでくれなかったことが、悲しかった。きっと母は娘の自分にまで負い目を感じている。
このままエルトリアに留まれば、いずれ母も『死蝕』に冒される。
そうさせないためにも、夢を諦める――決断の時は刻々と迫っていた。
不意に警報が鳴り響く。
「アラートっ? アミタ、これは……」
「わかっています」
狼狽する母と対照的に、アミティエは落ち着いていた。
先ほど調査してきた南のE01ブロックには、怪物の移動した跡が残っている。探知機を設置してみれば、案の定の反応だ。
妹のキリエが飛び込んでくる。
「この警報音……何があったの? お姉ちゃん!」
すでにアミティエは戦闘モードに入っていた。
「南のE01ブロックでサンドワームが出現しました。ここから30キロの地点です。今から対処に行ってきますね」
戦いに行くのだから、無意識のうちに言葉遣いも物々しくなる。
しかし妹の手前、アミティエは笑みを綻ばせた。
「待って! 私も一緒に……」
「キリエは調べ物の最中なんでしょう? お姉ちゃんは大丈夫です」
精一杯の笑顔で、妹を安心させる。
「危ないですから、キリエは母さんと一緒にここで待っていてください」
「……わかった」
アミティエは家から出るや、灰色の空へ飛び去った。
残されたのは母と、妹のキリエ。
キリエは歯軋りして、姉の消えた方向を鋭く睨みつけた。
「アミタは私を……子ども扱いするんだ……」
キリエ=フローリアンの頭の中には、たったひとつの言葉があった。
「諦めない」
今ではそれが、己の覚悟を確かめるための合言葉となっている。
「私は絶対に諦めない」
「この星も諦めない」
「パパだって諦めない」
「お行儀よく諦めてなんかやらない」
「諦めてたまるもんですかっ。……そのためだったら、なんだって……!」
最近は時間の許す限り、地下の資料室でひたすらデータを洗っていた。ひとりの人間には大きすぎて重すぎる、孤高の使命感がキリエを突き動かす。
ふと思い出すのは、昔のことだった。
キリエはフローリアン家の次女として生まれ、姉のアミティエとともに育っている。
母のエレノアは気立てよし、器量よしの、理想的な母親。
三つ年上の姉アミティエは、そんな母の面影を色濃く受け継いでいた。さらさらのストレートヘアには、妹のキリエも幾度となく憧れている。
そのキリエはというと、父親似だった。くせっ毛の遺伝は間違いない。
父のグランツは見た目こそ、うだつの上がらない研究者だが、その頭脳と実績からコロニーでの評価も高かった。彼でなければ、支援などとっくに打ち切られている。
そんな父の活躍を子どもなりに誇らしく思いながら、幼少時代のキリエは言ってしまったことがあった。
「お姉ちゃんみたいにママに似て生まれたかった……」
すると、母と姉は『キリエのくせっ毛こそアレンジの甲斐がある』と熱弁を始め、父は申し訳なさそうに苦笑したものだ。
その頃から、キリエは姉のアミティエに対し、一種の『苛立ち』を覚え始めたのかもしれない。優しい姉、何でもこなす姉――いつも自分を妹扱いする姉に。
「パパに謝らなくっちゃ……」
そうは思ったものの、自分の発言がどれだけ父親を責めたか、わからないほど幼くもない。しかし家に帰っては、いよいよ逃げ場がなかった。
ベースから出ることさえしなければ、安全だろう。キリエはひとりになりたい時、家からそう遠くない教会に隠れて、こっそりと休む。
当時はまだ父も元気で、ベースの一帯にはそれなりに緑があった。近くの川で水遊びをした経験もある。
それでも『街』の住民はひとり減り、またひとり減り……キリエの物心がつく頃には、惑星エルトリアにはフローリアン家しか残っていなかった。
この教会は、街があった頃の名残らしい。
宇宙まで進出しようと、ひとびとは原始的な信仰に立ち戻ることがある。むしろ水も空気もない宇宙空間でこそ、神が求められるのだろう。
しかし幼いキリエは教会が何かも知らず、単なる空き家のように思っていた。
天井の一部は穴が開き、教会の中からでも灰色の空が窺える。昔は虹色だったらしいステンドグラスも、毒性の風雨に晒されたせいで、薄汚れてしまっていた。
それでもエルトリアでは数少ない、少女が『綺麗』と思える場所。
いつものように石碑にもたれ、ちょこんと座り込む。
「少しだけ……」
ここで休んだら、家に帰り、父に謝ろう――。
そう思いながら、ふと天井の穴を見上げた瞬間だった。背後で何かが光を放つ。
「きゃっ?」
石碑にシンメトリーの模様が浮かびあがった。キリエが驚く間にも、輝きはさらに強くなり、魔法陣を展開する。
その魔法陣から分かたれるように、ひとりの少女が形になった。
歳は十四、五くらいだろうか。服は着ておらず、白い裸体が光を弾く。
彼女はまるで泳ぐように宙を舞った。キリエは相手が裸であることにも戸惑い、おたおたする。そんなキリエの頬に、白い手が触れた。
柔らかい。母や姉のものと似ている。
「あ、あの……」
こちらから勇気を出して、話しかけると、裸の少女は人差し指を唇に添えた。
内緒話がしたい――わけでもないらしい。今度は口を開け、その中を指でかきまわすような仕草を見せる。
「ひょっとして……お喋り、できないの?」
二回分の頷きが返ってきた。さらに彼女はキリエの鞄を指差す。
鞄の中には救援用の信号銃が入っていた。ひとりで出歩く時は必ず携帯するもので、緊急時には色々と役に立つ、と教わっている。
「こ……これが欲しいの?」
彼女はまた頷いた。
信号銃を手放しても、家は目と鼻の先にある。少し貸すだけなら大丈夫だろう。
それにキリエ自身、彼女に興味があった。最後の街がなくなったせいで、このエルトリアには友達らしい友達もいない。
(もしかしたら、友達になってくれるかも……)
そんな期待もあって、キリエは信号銃を差し出した。
彼女が両手を前に張り、三面鏡のような魔法陣を浮かびあがらせる。信号銃は魔法陣によってスキャンされると、ごとんと落ちた。
「あ」
不意に声がする。
「あー、ああ~っ。……うんっ、こんなもんか」
裸の少女は陽気な笑顔でウインクを決めた。
「ありがとう、お嬢さん。おかげで喋れるようになったわ」
キリエのほうは呆気に取られるばかり。
まるでおとぎ話のワンシーンを見ているかのようだった。
彼女が信号銃で何をしたのかは、わからない。ただ、何かしら未知の力が働いて、キリエの前に出てきたらしいことはわかる。
「……もしかして、妖精さん?」
「まあ、そんなところかな」
本当におとぎ話の通りだ――と、キリエは無邪気な笑みを弾ませた。
「そ、それじゃあ魔法を使ったり、お空を飛んだりできるのっ?」
「んー、まあね。……見たいんだ? 魔法」
裸の少女は愉快そうにもったいぶる。
「うんっ!」
キリエの小さな胸はますます高揚感で膨らんだ。
彼女への興味と、自身への期待と。
「じゃあ、そうねえ……いらない機械とか、お家に余ってないかなー?」
「……きかい?」
「持ってきてくれたら、色々見せてあげちゃうんだけど。例えば服を作ったりね」
どうやら彼女は困っているらしい。そして、自分は彼女を助けることができる。家では子ども扱いされてばかりいる、自分の力で。
幸いにして、機械の類なら山ほどあった。そこらじゅうに残骸が転がっている。
「すぐ持ってくる!」
「あ……ちょっと待って」
一旦家へ戻ろうとした矢先、彼女に呼び止められた。
「私の名前はイリスよ。お嬢さんのお名前は?」
「……キリエ! キリエ=フローリアン!」
初めての自己紹介。
友達ができた。それが、とても嬉しかった。
それからというもの、キリエは毎日のように教会へ通った。
イリスには不思議な力があるから、ではない。家族以外の人間とろくに触れ合ったことのないキリエにとって、イリスは初めての『友達』だったのだから。
イリスのことは当初、家族には内緒にしていたが、幼いキリエに隠し通すことはできなかった。しかし母も姉も、楽しそうなキリエに水を差す真似はしたくなかったらしい。おかげでキリエは誰に咎められることもなく、友達のイリスに会いに行ける。
「ママが言ってたの。イリスは『じんこーちのー』なの?」
「有り体に言えば、そうね」
イリスはかつての人工知能を搭載した石版型の端末、とのことだった。少女の姿は質量を伴ったホログラムに過ぎず、本体はてのひらサイズの石版だという。
その石版は少しひびが入っているものの、機能に支障はなかった。
今日もキリエは教会の石碑にもたれ、イリスと何気ないお喋りを楽しむ。
「ほんとに機械から何でも作れちゃうのね、イリスは」
「ふふん。すごいでしょ?」
イリスはジャンクを材料にして、さまざまな道具を生成することができた。機械類に限らず、布切れから立派な洋服を瞬時に拵えることも、造作にない。
それがキリエには本物の『魔法』に思え、イリスのため、喜んで材料をかき集めた。
キリエと一緒に花の図鑑を眺めながら、イリスが尋ねる。
「お姉さん……の、アミティエは? キリエとは遊んでくれないのかしら」
キリエは視線を落とし、躊躇いがちに呟いた。
「パパと一緒に新型のフォーミュラの起動実験で、忙しいから……」
遊んでいられる妹のキリエと違い、姉のアミティエには仕事がある。最近は戦闘訓練も本格化し、妹の面倒はあとまわしにされつつあった。
イリスが瞳を瞬かせる。顔立ちは大人びている割に、表情の変化はあどけない。
「フォーミュラ?」
「んーとね、武器を出したり、変えたり……イリスの魔法とちょっと似てるかも?」
キリエは立ちあがると、身体を大の字に伸びきらせた。
見た目には歳相応の少女だが、この身体も姉のアミティエと同じ強化が施されている。大型のジャンクもひとりで楽々と運べたわけだ。
「私にもお姉ちゃんと同じ力があるんだよ。ちゃんと戦えるんだから」
小さな胸を張ると、イリスがからかうような笑みを含める。
「フーン。本当にぃ?」
「ほ、ほんとだもん! まだ訓練が始まってないだけで……」
身体を強化されたのは、死の星と化したエルトリアで生き抜くため。虎の子のフォーミュラにしても、異常進化した怪物を撃退するために欠かせなかった。
キリエにはその力がある。
だが、アミティエはキリエを戦力に数えようとしなかった。まだ幼い妹に危険な真似はさせたくないのだろう。母も姉に賛同し、キリエの戦闘訓練を先延ばしにしている。
それが悔しかった。
「私だって……お姉ちゃんみたいに戦えるのに」
せっかく『力』はあるのに。家族を守ることができるのに。
自分はいつまで守られる側なのか――『妹』という言葉を呪いさえする。
それに、こうしてひとりで本ばかり読むようになったのも、家族が忙しいからだった。父と母は研究に明け暮れ、姉は訓練の次は調査と、せわしなく働いている。そんな中で
キリエができるのは、迷惑を掛けないように、ひとりでいること。
(訓練が始まったら、私も一緒にいられるのに……)
一般の家庭でも、最年少の子どもが置いてきぼりにされることは、よくある。しかし無人の荒野が広がるエルトリアにおいて、キリエの孤独は耐え難いものとなった。
だからこそ、こうしてイリスのもとに足しげく通っている。
「大丈夫よ、キリエ。もう少し大きくなったら、キリエのフォーミュラもちゃんと作ってもらえるわ。それまで、私が遊んであげるから」
「イリス……!」
キリエにとって、彼女の言葉は何よりの励みだった。
自分には友達がいる。理解者がいる。そう思うと、背中に安心感があった。
それから何年もの月日が流れ――キリエの訓練も始まった。
その頃にはグランツの努力の甲斐あって、ついに一部の緑化が実現。農場が完成し、キリエとアミティエが生まれて初めて『動物』に触れる場面もあった。
あたり一面のお花畑も、夢ではない。
「ね? パパはすごいでしょ!」
キリエは胸を躍らせながら、何度もイリスにそう語る。
そんな希望が見え始めた矢先の出来事だった。
キリエたちの父が倒れたのは。
惑星エルトリアを蝕む『死蝕』――。
それを食い止め、再び緑を取り戻すため、グランツ=フローリアンはあえてエルトリアに残り、研究を続けていた。
当然、調査や実験の際は『死蝕』の領域へ近づくことになる。
身体の免疫が強化されているアミティエやキリエならまだしも、普通の人間である父がそう長く耐えられるはずがなかった。
症状は重度の内臓疾患。病院のないエルトリアでは、治療もままならない。
母のエレノアはグランツの看病や研究の引き継ぎで、徐々に憔悴していった。肉体的な疲労は無論のこと、精神的にも追い詰められたのだろう。
そのうえ、順調に思えた土壌の改良も、あと一歩のところで失敗。今になって遺伝子からなる異常が発生し、夢のような農場は呆気なく枯れ果ててしまった。
一時は研究員の増員、新しい施設の建設という話も浮上していただけに、アミティエたちの落胆は大きい。
コロニーからは今、再三に渡って『研究の中止』が催促されていた。もはや定時連絡を待たず、昨日の今日でまた通信が届く。
『引き上げの件、委細了解したよ。エレノア君、無念だろうが……私もむざむざとグランツ君を犠牲にはできん。君も今にどうなるかわからないし、娘さんたちもいるんだ。どうか自分を責めないでくれ』
「……はい。ありがとうございます」
『アミティエ君。すまないが、あと少しの間だけ頼んだぞ』
「了解です」
コロニーとの通信が終わっても、エレノアは顔を上げられずにいた。
エルトリアの復興は中止――有無を言わせない現実が、沈黙を重くする。
そもそもフローリアン家が研究に従事する以前から、エルトリアの再生計画は暗礁に乗りあげていた。
数十年前、父と母がまだ幼かった頃は、立派な研究所があったという。
だが資金と時間を無尽蔵に消費することから、コロニーの世論はだんだんと惑星の再生計画に否定的・消極的になっていった。
やっとのことで死の星から逃れ、コロニーで安全な生活を手に入れたのだから。エルトリアの再生は諦め、宇宙開発に尽力すべきだという風潮が高まる。
そんな情勢の中、現地の研究所で事故が起こった。
当時の研究員はほぼ全員が死亡――ただ、父と母はたまたま研修で研究所を離れていたため、難を逃れたらしい。それ以降、研究所は閉鎖されている。
しかし皮肉にも研究員の数が激減したことで、予算の目処が立ち、再生計画は規模を縮小しながらも継続が決定。計画に否定的だった世論も、この事故を『悲劇』と嘆き、やがて忘れていった。
それでも粘り強く研究を続けてこられたのは、父の才能によるところが大きい。
実際、コロニーの上層部もグランツ=フローリアンを高く評価していた。
再生計画の中止については、毎年のように議題に上がるものの、グランツ博士を信頼する形で最低限の予算が組みなおされる。
しかし計画の大黒柱である父が倒れてしまっては、そうもいかない。
また、数年前まで『最後の街』に住んでいたひとびとが、フローリアン家を案じ、上層部に計画の見直しを掛けあってくれたという。
アミティエたちにコロニーへ来るように勧める手紙も、一枚や二枚ではなかった。妹のキリエには見せられない。
父の命を繋ぎ留めている機器の稼動音を聞きながら、母と今後を相談する。
「どうしたの? アミタ。ぼーっとして」
「いえ……すみません。移住の準備について、でしたね」
上の空ではいけないと、アミティエは気持ちを切り替えた。
「実験のデータや土壌のサンプル……ここでの成果は全部持っていかないといけません。あのひと……お父さんのためにも」
「私も手伝います。あとは……父さんの移送も準備しないと……」
父親を『大きな荷物』のように扱うことに、抵抗はある。しかし予断を許さない状況が続く中、決断を迷ってはいられなかった。
母のエレノアが声を落とす。
「キリエにも……そろそろ話さなくてはいけませんね。でも、教会のお友達と頑張ってるみたいですから、聞き入れてくれるかどうか……」
教会の友達とは人工知能『イリス』のこと。
疲れきった母に、これ以上の心労を掛けたくはなかった。
「折を見て、私から話します」
アミティエはそう答え、ぎこちない笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。あの子なら……きっと、わかってくれますから」
妹のキリエも今の状況は理解しているだろう。それこそ、嫌というほどに。
(今夜にでも、ちゃんと話そう。キリエと)
姉のアミティエは腹を括る。
ただ、『イリス』のことは気掛かりだった。
エルトリアを発つ際は、彼女を放っておくわけにもいかない。アミティエにとっては面識がある程度の相手でも、キリエにとっては大切な友人なのだから。
(教会の石碑から離れても平気なら、いいんですけど……)
できることなら、自分も彼女と親しくなりたい。
しかしイリスはアミティエを警戒しているようで、はぐらかされるか、避けられるのがパターンだった。
それでもまだ自分はイリスを見かけるだけ、ましだ。
両親は一度とさえ彼女の姿を見たことがない。キリエの話に聞くだけだから、『教会のお友達』という言いまわしになる。
イリスと仲がよいのはキリエだけ。
(あの子と遊ぶようになってから、キリエも随分と変わりましたね)
キリエの姉として、イリスに少し嫉妬してしまった。
昔のキリエはお花と本が大好きな女の子だったのに。イリスと出会ってから、どんどん垢抜けてしまい、いわゆる『女子力』においてはとっくに姉を凌駕している。
洋服の着こなしは姉より上手になり、美容について母にレクチャーする場面も。昔はコンプレックスだったらしい父親譲りのくせっ毛も、巧みなヘアアレンジで化けた。
「家族のほかに誰もいないからって、アミタは頓着がなさすぎるのよ。これくらいは女の嗜みとして、当然なの。ほら、こっち来て」
「ご、ごめんなさい……」
妹に説教されたのも、初めてのこと。この頃から妹は、アミティエを『お姉ちゃん』ではなく『アミタ』と呼ぶことが多くなった。
研究にも携わるようになり、よく父と楽しそうに語らっているのを見かける。
アミティエは少し寂しく思いながらも、そんな妹を見守ってきたつもりだ。キリエの成長を促してくれたイリスには、本当に感謝している。
しかし父が倒れたことで、家族の団欒も減ってしまった。
特にこの数日は、ほとんど姿を見ていない。夕飯の席でやっと一緒になっても、素っ気ない態度で一蹴される。
「キリエ、今日はどこに行ってたんですか?」
「別に……どこでもないから」
おそらく妹は勘付いていた。惑星エルトリアの再生計画は中止、フローリアン家はコロニーへの移住が決まったことを。
本当はアミティエが話すべきことだった。
しかし移住の準備で手が離せなかったのに加え――彼女が自分で気持ちに整理をつけてくれればと、心のどこかに浅はかな期待があったのかしれない。
そして一週間が過ぎた。
これ以上は移住の件を誤魔化していられない。キリエにすべてを打ち明け、今後のことも相談しなくては。
ふと母の懸念したものが脳裏をよぎった。
『アミタもキリエも、コロニーで暮らすには戦闘能力が高すぎるんです。コロニーに行っても、しばらくは窮屈な思いをさせるかもしれません』
安全なコロニーには『死蝕』の影響がなければ、異常進化した怪物もいない。常に危険と隣りあわせだった毎日は、近いうちに『安全』なものとなる。
「コロニーへ移ったら……私も、もうエルトリアの復興を望まなくなるのでしょうか」
それが怖かった。
死の星とはいえ、この地で家族とともに過ごした日々。大切な思い出を、いつか自ら否定してしまうのでは――と、アミティエは自問する。
母は弱々しく笑った。
「お父さんの病気が治ったら、また戻ってきましょう。ね? アミタ」
「はい……」
その可能性は限りなく低い。
ゼロに近いのではなく、ゼロだ。
それ以前に、半年も昏睡を続けている父が、目覚めてくれるだろうか。『死蝕』による重篤から復帰できた話など、聞いたことがない。
たとえコロニーで最先端の治療を受けたとしても。
もちろん、そんなことは母にもわかっているはず。それでも『お父さんの病気が治ったら』という最後の願望を、口にせずにいられなかったのだろう。
「続きは明日にしましょうか。アミタも休んでくださいね」
「母さんこそ」
アミティエは精一杯の笑みを作って、席を立つ。
今日の無念はフローリアン家のものだけではなかった。
いつからか、研究員たちの間で合言葉のようになったフレーズがある。
『このエルトリアを、いつか花と緑でいっぱいにするのが夢なの』
誰の決意なのか、今となってはわからない。ただ、大勢の先駆者たちがフローリアン家と同じくエルトリアの復興に情熱を、人生を懸けたらしいことはわかった。
過去から現在に至るまで、連綿と願いは受け継がれている。
『いつか花と緑でいっぱいにするのが夢なの』
なのに、自分たちはそれを『未来』へ繋ぐことができなかった。
おそらく現地の研究員はフローリアン家で最後だろう。エルトリアは死の星として未来永劫、みすぼらしい有様で宇宙を彷徨うことになる。
悔しかった。
滅茶苦茶に泣き喚いてやりたい。
しかし憔悴しきった母や、妹のことを思うと、できるはずもなかった。
自分がしっかりしなければ。自分は長女であり、姉なのだから。
地下の研究室では、妹のキリエが一心不乱にデータを漁っていた。本来の研究所が事故で閉鎖されてしまったため、父は自宅の一部を研究用に改築している。
なるべく平静を装いながら、アミティエはキリエの背中に声を掛けた。
「また調べものですか? ここのところずっとですね」
キリエは驚いた様子もなく即答。
「私なりに調べてるの。一刻も早く私たちの故郷を救う方法」
振り向くこともせず、膨大なデータに視線を走らせる。
「この一週間、ママとお姉ちゃんが私に秘密の内緒話をしてる間も、ずっと」
アミティエは苦笑するしかなかった。
(顔を見せてもらえないのも当然でしょうか……)
キリエの機嫌が悪いらしいことは、背中越しの雰囲気でわかる。
移住の件を打ち明けるためには、この圧力を和らげなくてはならない。
「気を悪くしないでくださいね。私と母さんはとても大事な相談をしていて……」
「子どもだもんね、私は ママもお姉ちゃんもいつもそうだったから」
しかしキリエに姉妹の関係を引き合いに出されると、アミティエは言葉に窮した。
「そんなことは……」
子どもだから、妹だからという理由で彼女を遠ざけたのは、一度や二度ではない。ベースの付近に怪物が出現しても、大抵はアミティエがひとりで出撃している。
キリエがアミティエの指示に従わなくなったのは、父が倒れてからだ。この半年、度々キリエは独断で出撃しては、驚異的な戦果を上げていた。
無論、それは追い詰められたことの反動に過ぎない。じっとしていられない――その気持ちに共感したからこそ、あえてアミティエは何も言わなかった。
「でも聞いて」
キリエが静かに口を開く。
「私、見つけたの。パパの病気も、この星の病気も、全部まとめて治せる方法」
何を言っているのか、アミティエには理解できなかった。
危篤の父を、ましてや惑星エルトリアを救う方法など、万に一つもありはしない。研究者の端くれとして、アミティエもそれは重々に承知している。
にもかかわらず、キリエは続けた。
「こことは違う次元、違う世界……救う鍵はそこにあった。見つけたの」
でたらめにしか聞こえない。そんなでたらめにも、妹は縋ろうとしている。
今日こそキリエの現実逃避にブレーキを掛けなくては――そう思い、エミティアは妹に言い聞かせるように打ち明けた。
「私と母さんのふたりで、今後について色々話しあったんです。一旦、エルトリアを離れて……父さんにはゆっくり静養してもらうのがいいだろうって」
さっきの母と同じ方便を使うしかないのが辛い。
「もちろん父さんが治ったら、きっとここへ帰ってきますよ」
本当はアミティエとて、母の言葉を鵜呑みにしたわけではなかった。それでも素直に頷かなければ、また母が疲弊してしまう。だから理解はできずとも、納得はした。
同じことをキリエもわかってくれるはず。そう信じて、声が震えないように努力する。
「だからキリエ、そんな無茶なことしてまで、結果を求めなくていいんです」
端末を叩いていたキリエの手が止まった。
「……本当に?」
「本当です」
溜息をついたのは一瞬のこと。
キリエは鬼気迫る表情で振り返り、姉のアミティエを睨みつける。
「私、知ってるの。パパの病気のこと。治療しても、持って半年……一年後の生存率は1パーセントもないって」
その通りだった。
「だ、だからその可能性を少しでも増やすために、この星を離れて……」
「それで増える可能性はどれくらい?」
父は死ぬ。その現実から目を逸らしていたのは、実は自分ではないのか。
キリエは躊躇いもせず、残酷な事実をまくし立てていく。
「私たちはパパのために何ができるの?」
「それは……」
「みんなが見捨てたこの星を、昔みたいにキレイに戻すんだって、ずっと……ずっと苦労してきたパパがさ? 辛い思いしてても、あたしたちにはいつも笑っててくれた、パパがさあ! 何も報われないまま終わるなんて絶対にイヤだ!」
目の前で今喚いているのは、キリエではなかった。
アミティエだ。アミティエの本心だ。
アミティエが心の底でずっと思っていて、しかし口に出せなかったこと。我慢してきたこと。それをキリエの口から聞かされ、胸が張り裂けそうになる。
「キリエ……父さんに死んで欲しくないのは、私だって一緒です。だけど……」
だけど、この悲しい結末を受け入れなくてはならない。
キリエは怒気を鎮めると、懐かしそうに語った。
「お姉ちゃん、昔よく絵本を読んでくれたよね? お菓子のお城とか……夢がいっぱいだった。お祈りすれば何でも願いが叶う不思議な指輪……本当にあったらどんなお願いをするか、ふたりでずっと話してたっけ」
「ええ」
それは幼い頃のキリエが大好きだった、素敵なおとぎ話。
アミティエも妹に読み聞かせるのが大好きだった。あの頃は、家族と一緒の平和な日々がいつまでも続くものだと、思っていた。
キリエは視線を落とし、唇を噛む。
「だけど私たちの世界には、お菓子のお城も、願いが叶う不思議な指輪もない。悲しんでる女の子を助けてくれる魔法使いもいない」
「キリ――」
慰めの言葉を求め、一瞬の逡巡があった。
そのせいで対応できなかった。
唐突に『銃』を向けられ、アミティエは慄然とする。
「キ、キリエ? あなた……」
「必ず帰ってくる。だから邪魔しないで。追いかけてこないで、絶対に」
地下室に銃声が響いた。
今は少しすれ違っていたとしても、キリエなら話せばわかってくれるはず――。
それが浅はかな甘えであったことを、アミティエは痛感していた。
『追いかけてこないで、絶対に』
妹の沈痛な表情が何度もフラッシュバックする。
キリエの銃は殺傷力のないモードだったものの、アミティエの動きを一時的に封じるには充分だった。その隙にキリエはアミティエを捕縛。鋼製のワイヤーで両腕ごと胴を、下半身に至っては太腿・膝・くるぶしを念入りに縛っている。
しかもフォーミュラの使用を妨害するチャフまで撒かれていた。
あまりに手際がよすぎる。いくら身体機能を強化されているとはいえ、訓練もなしにできる芸当ではなかった。
「くぅ……コレをどうにかしないことは……」
アミティエにしても、要人を捕縛するような技術は修得していない。せいぜい基礎を学んだくらいで、あとは怪物との戦闘訓練を優先している。
必要がないのだから、妹に手ほどきもしていない。
ところがキリエは今しがた鮮やかな手並みでアミティエを無力化した。
(まさか……イリスに教わったのでしょうか?)
その心当たりにぞっとする。
だとしたら、キリエの凶行もイリスによって手引きされている可能性が出てきた。
キリエと遊んでくれていた『教会のお友達』が――。
(教会へ急がないと……!)
貴重な時間は刻一刻と過ぎていく。
アミティエを地下室に閉じ込めてから、キリエは父の病室を訪れた。
大好きな父はカーテンの向こうで無数の機材に囲まれ、昏睡している。その傍には静かに父を見守る母のシルエットもあった。
母がキリエの来訪に気付く。
「キリエ? お父さんのお見舞いですか?」
「……うん」
反射的に見舞いと答えるも、キリエはカーテンを開けることができなかった。
愛する父のため、この星のため。目的はそうであっても、姉を撃ち、母を置いて飛び出そうというのだから。罪悪感が込みあげ、母と対面するのが怖い。
「ちょっと出掛けてくるから。パパとママにいってきます、言おうと思って……」
普段のように話したつもりでも、声が震えた。
それこそさっきの姉と同じような調子で、母をはぐらかす。
「出掛けるってどこに?」
「すぐに帰ってくるわ。きっと素敵なプレゼントを持って」
間違ったことをしているわけではないのに。
胸を張って『私に任せて!』と言いたかったのに。
「あと……お姉ちゃんも2、3日留守にするけど、心配しないでって」
「アミタが? キリエ、待――」
「ごめんね、パパ、ママ。いってきます」
キリエは逃げるようにあとずさり、父の病室をあとにした。
(そうよ……パパさえ助かれば、ママだって……お姉ちゃんだって)
決意が鈍らないうちに教会へ急ぐ。
廃教会では、イリスが石碑のシステムを調整していた。
「……うん。これで行けるわ」
「イリス、お待たせ。準備はどう?」
ホログラムであっても存在感のある彼女が、振り向き、神妙な面持ちを浮かべる。
「できてるけど……キリエは本当にいいの? 危険な旅なのよ」
せめてイリス相手には強がりたかった。
キリエはガッツポーズでウインクを決める。
「平気。イリスも一緒に来てくれるんだし 怖いことなんてなーんにも」
今回の行動に至ったきっかけは、イリスの成果だった。エルトリアの復興のため、人工知能の彼女が協力を申し出てくれたのは、出会いから一年ほど経った日のこと。
『星の外まで調べたら、有益な情報が見つかるかもね』
キリエはこれを信じ、人工知能のイリスを、手の届く限りのシステムすべてと繋げた。これは当時の父も快く許可してくれている。
おかげでイリスは膨大な情報領域と桁外れの処理速度を手に入れた。そして、その力で情報を集めた結果、ひとつの可能性が浮上した。
永遠結晶。
遠い宇宙の彼方に存在する、その結晶があれば、星を救える――と。
イリスが自分の石板を指差した。
「それ持ってって。向こうでの私の本体」
「うん」
イリスの本体でもある青い石板を、キリエはしっかりと抱き込む。
「向こうは空気も違うから、適合調整もしっかりね」
「ここより過酷ってことはないんでしょ? 私なら平気よ」
「それもそっか」
イリスが一緒にいてくれる。それが何よりも心強かった。
「じゃあ行こう。この星と、キリエのパパを助ける旅」
「うん!」
キリエとイリスを導くかのように、礼拝堂の石碑が眩い光を放つ。
イリスと初めて会った時のことを、キリエは思い出した。あの日も石碑が輝いて、イリスという奇跡をもたらしてくれたのだから、今回もきっと――。
次元の跳躍が始まる。
目的地への到着は、墜落する勢いだった。その衝撃で爆発が生じる。
「な、なかなかハードね……次元跳躍って」
できたばかりのクレーターの真中で、キリエはぼさぼさの頭を掻いた。身体が強化されていなかったら骨の一本や二本、折れていたところだ。
「キリエ、大丈夫? 呼吸は苦しくない?」
「うん、大丈夫。髪はこんなになっちゃったけどね」
父親譲りのくせっ毛は油断がならない。ヘアメイクを怠ると、あっという間に幼少期のぼさぼさ頭に戻ってしまう。
(パパ……待ってて。絶対に助けてあげるから)
次元跳躍の衝撃で服も破れていた。
ホログラムだけに無傷のイリスが、周囲を見渡す。
「服をなんとかしないとね」
思い出したようにキリエも状況を確認した。やけに澄んだ夜空を仰ぎ、驚く。
(本当にエルトリアじゃないんだわ……)
エルトリアの空は汚れ、夜は星の瞬きひとつ見ることができなかった。しかしキリエが今見ている『それ』は、群青色のグラデーションが美しい。
夜空に燦然と輝くのは、月という衛星だろう。
視線を降ろせば、ネオンの街並みを一望できる。これも俄かには信じられなかった。
「……街の明かりが、あんなに……」
「平和な世界なのね。ここは」
あの光の数だけ、ひとがいる。家族とともに日々を暮らしている。
しかしキリエに憧れもなければ、妬みもなかった。
どんなに空が綺麗でも、どんなに街が賑やかでも、キリエの『孤独』は変わらない。膨大なネオンを前にして、立ち竦むように佇む。
「このあたりはひとがいなくて助かったわ。キリエ、そこのシートみたいなのを」
「あ、うん」
キリエたちがいるのは廃車場だった。傍らのスクラップには、風で飛ばされてきたらしいボロが掛かっている。
それを材料に、イリスが手頃な服を生成してくれた。生地自体も再構成され、清潔感のあるブレザーがキリエの背丈にぴったりとフィットする。
「はい、完成。この国のガールズスタイルね」
「ふぅん……悪くないかも」
ファッションには小うるさいキリエも納得の出来。
それからイリスは真剣な表情でキリエに迫った。鼻と鼻がぶつかりそうなほどに。
「キリエ、もう一度確認。私たちがこれからすることは、この世界のひとたちにとって少し迷惑なこと……だけど、なるべく迷惑をかけずに、できるだけ急いで」
キリエは力を込めて頷く。
「パパとエルトリアを助ける鍵を手に入れる。高密度の生命エネルギー結晶体」
「「永遠結晶」」
無尽蔵に生命エネルギーを生み出すという永遠結晶。その力があれば、父を救えるに違いない。惑星エルトリアも救えるかもしれない。
そうキリエは信じていた。大親友のイリスが教えてくれたのだから。
イリスの指がそっとキリエの唇に触れる。
「ただし気をつけて。この世界は平和だけど、世界を守ってるヒーローがいる。次元世界のことを知ってて、戦う力を持ってる……避けては通れないし こっちから接触しなきゃいけない子もいる」
「……うん」
キリエの顔つきも引き締まった。
時空管理局と、それに所属する魔導士。
いずれ彼らはキリエたちの次元跳躍を知り、追ってくるだろう。捕まったが最後、キリエたちは時空犯罪者として処断される可能性もあった。
イリスが宙にビジョンを立ちあげる。
「接触しなくちゃならない魔導士は、この子たちよ」
「こんなに小さい子が……?」
ビジョンの中で笑っているのは、三人の少女。内緒話のトーンで語りつつ、イリスはその中央にいるボブカットの女の子を指す。
夜天の書の主、八神はやて。
「永遠結晶の鍵は、この子が持ってる『闇の書』の中にある。こっちは私が行くわ。貸してもらえるよう説得してみる」
5つか6つは年下の相手に、必要なら無理強いもする――キリエは固唾を飲んだ。
「話を聞いてもらえなかったら?」
「その時はその時よ。キリエはこっちのふたりね」
八神はやてとともに、ふたりの少女がピックアップされる。
高町なのは。フェイト=テスタロッサ。
「永遠結晶を見つけ出すために、この子たちのデータも欲しいの。協力してくれるに越したことはないけど……」
「わかってる。パパのためだもん」
覚悟を決め、キリエは初めて見る月を睨みあげた。