「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
収容生活が長くなってから、クロノが小尾一のもとを訪れるのも珍しいことではなくなっていた。
尋問とは少し違う。
収容状況の確認。
新しい問題を起こしていないかの確認。
そして何より、高町なのはと八神はやてについて、小尾の見解に変化がないかを確かめるための定例面会だった。
小尾からすれば、聞かれる内容の大半はすでに予想できる。
面会室へ入ってきたクロノを見るなり、小尾は読んでいた本へ栞を挟んだ。
「今日は何? 暗示の話なら、最近は何もしてないよ」
「今日はそっちじゃない」
クロノは向かいへ座り、持ってきた端末を机へ置いた。
「なのはとはやてのことだ」
小尾の視線がすぐに端末へ向いた。
「経過?」
「ああ」
「それなら見たい」
クロノが資料を開く。
海鳴市での事件から、すでに数年が経過している。
当時、小学生だったなのはとはやても、年齢だけなら中学生になっていた。
「なのはは地球へ戻った。今は以前と同じように向こうの学校へ通っている」
「ちゃんと戻れたんだ」
「少なくとも日常生活はな」
クロノは画面を切り替えた。
「はやてはミッドチルダに残っている。こちらで生活しながら、定期的な検査を受けている」
「八神さんはミッドか」
小尾は画面に表示された数値を眺めた。
クロノが次の資料を出す。
なのは。
はやて。
フェイト。
三人の数年間にわたる身体変化だった。
「二人とも成長そのものは止まっていない」
クロノが説明すると、小尾はすぐに数値の意味を理解した。
「でも遅いんだ」
「フェイトと比べれば、はっきり分かる」
事件当時はほとんど同年代だった。
現在も極端な差が出ているわけではない。
しかし数年分を並べれば、フェイトの方が明らかに早く身体的な成長を続けている。
なのはとはやても変化している。
身長は伸びた。
顔立ちも少しずつ変わった。
だが、その速度が遅い。
「なるほどねえ」
小尾は身体を少し前へ倒した。
「面白いな」
「その言い方はやめろ」
「経過として面白いって意味だよ」
小尾はなのはとはやての記録を交互に見る。
「完全に止まる可能性も考えてた。でも実際には動いてる。しかも普通の人間より遅い」
「理由に心当たりは?」
「分からない」
小尾はあっさり答えた。
「人間だった頃と同じ仕組みだけで成長してるわけじゃないから、何が基準になってるかまでは僕にも分からないよ」
「二人の間でも僅かに差がある」
「そこも直接見たいな」
小尾が何気なく呟いたところで、クロノの目が細くなった。
「以前から言っているな」
「うん」
「なのはとはやてに会いたいと」
「会いたいよ」
「理由は?」
小尾はクロノの質問が理解できないような顔をした。
「経過観察だけど?」
迷いすらなかった。
クロノが予想していた通りの答えだった。
「二人とも、あれから何年も経ってるんだよ。外見だけじゃなくて、内部がどう変化してるのかも見たい。できれば直接調べたい」
「許可しない」
「まだ頼んでないじゃん」
「今、直接調べたいと言っただろう」
「見るだけでもいいよ」
「それも駄目だ」
「けちだなあ」
小尾が背もたれへ戻る。
クロノは表示を閉じた。
「それで、本題だ」
その言葉を聞いた途端、小尾の顔が露骨に嫌そうなものへ変わった。
「……また?」
「まだ何も言ってない」
「高町さんと八神さんを人間に戻す方法でしょ?」
「そうだ」
「またそれ?」
小尾は大きく息を吐いた。
「もう何百回も聞かれてる気がするんだけど」
「実際にはそこまで聞いていない」
「気分の話」
「答えに変化は?」
「ない」
小尾は即答した。
「元に戻す方法なんかないよ」
クロノは黙って小尾を見る。
その視線に気づいた小尾が、さらに続けた。
「だから、高町さんも八神さんも何かに変身してるわけじゃない。人間の身体へ天使の力を上乗せしてるんでもない」
「身体そのものが変質している」
「そう。そこまで分かってるなら、何で毎回聞くの?」
「君が何か思いついている可能性があるからだ」
「ないよ」
小尾は机に頬杖をついた。
「人間だった頃の身体が、今の二人の中に残ってるわけじゃない。元になるものがないんだから、『解除すれば戻る』なんて話にはならない」
クロノも、この説明自体は何度も聞いていた。
「テレズマの流入を止める方法については?」
「それも無理」
小尾の返答は変わらない。
「人間が扱える力じゃないから」
「君は接続を作った」
「僕が作ったのは入口だよ」
小尾は指先で机を叩いた。
「向こう側にあるものを僕が作ったわけじゃないし、支配してるわけでもない。テレズマは人間が体内で作る魔力とは違う。高次元側にある力を、こっちへ引っ張ってるだけ」
「入口を閉じることもできない?」
「今の状態まで行った二人には無理だと思う」
「なぜ?」
「接続して力を借りてる段階じゃないから」
小尾は少し考えてから言葉を続ける。
「今の高町さんと八神さんは、その力で存在そのものが成立してる。だから人間側から魔力みたいに遮断しようって考えるのが、そもそも違う」
クロノはそれを端末へ記録した。
「寿命については?」
「知らない」
「推測でもいい」
「何年って聞かれても本当に分からないよ」
「では、何を基準に考える?」
小尾は少し黙った。
これについては、クロノから何度も聞かれた質問ではなかった。
「……対応してる天使の概念かな」
「概念?」
クロノが聞き返す。
小尾は頷いた。
「高町さんと八神さんって、ただ大量のテレズマを詰め込まれてるだけじゃないんだよ。それぞれ接続した先が違って、その先にある天使の性質と結びついてる」
「それが存在維持にも関係している?」
「僕はそう考えてる」
今度ははっきりと、推測だと分かる言い方だった。
「だったら、その二人に対応している天使の概念がなくならない限り、かなり長く存在し続けるんじゃないかな」
「かなり長くとは?」
「さあ」
「百年か?」
「年数は分からないって」
小尾は困ったように笑った。
「僕の予想だと、人類が滅ぶくらいまでは生きても不思議じゃない」
クロノの手が止まった。
「……人類が滅ぶまで?」
「推測だよ」
「それでも、そこまで長いのか」
「天使って概念そのものが残ってるならね」
小尾にとっては、それほど大げさな発言をしたつもりもないらしい。
一方でクロノは黙り込んだ。
数年ですでにフェイトとの成長速度に差が生まれ始めている。
この差が十年、二十年、五十年と積み重なったらどうなる。
なのはとはやてだけが、人間とは違う時間を生き始める可能性がある。
クロノが考え込んでいると、小尾が机を指で軽く叩いた。
「それで終わり?」
「いや」
クロノはそう答えると、今度は端末ではなく、足元に置いていた鞄へ手を伸ばした。
「今日はもう一つある」
「何?」
出てきたのは紙だった。
一枚や二枚ではない。
かなりの厚さがある束を、クロノは机の上へ置いた。
小尾はそれを見る。
数秒。
「……あれ?」
見覚えがあった。
クロノが束の最初の数枚を広げる。
紙面には手書きの図。
生命の樹。
十のセフィラ。
それらを結ぶ経路。
天使名。
対応する象徴。
金属。
さらに、その横には無数の書き込みが残されていた。
「これについて聞きたい」
クロノが一枚を持ち上げる。
小尾はその紙とクロノの顔を交互に見た。
「あっ」
「何だ」
「クロノがパクってたんだ」
「押収だ!」
即座に訂正された。
「僕の部屋からなくなってたんだよ、それ」
「当然だろう。君の研究資料はすべて証拠品として押収されている」
「返してよ」
「返せるわけがない」
「けち」
「これを書いたのは君だな?」
「そうだけど」
小尾は紙束へ手を伸ばそうとしたが、クロノがすぐに自分の側へ引き寄せた。
「見るくらいいいじゃん」
「自分で書いたものだろう」
「細かいところ忘れてるんだよ」
「忘れるようなものなのか?」
「暇だったから考えてただけだし」
クロノは紙束へ視線を落とした。
そこに書かれている内容は、これまで管理局が押収してきた小尾の研究資料とは少し毛色が違っていた。
なのはとはやてへの処置を行う以前から存在していた研究ではない。
紙の日付から考えても、二人の天使化を確認した後にまとめ始めたものだった。
「これを考えたのは、あの事件の後か?」
「うん」
「なぜ?」
「高町さんと八神さんを見てて思いついた」
小尾は何でもないことのように答えた。
「二人とも、それぞれ特定の天使に対応する形で成立したでしょ?」
「ああ」
「なら逆もできるんじゃないかなって」
クロノの眉が動いた。
「逆?」
「天使があるから、それに対応したセフィラがあるんじゃなくて」
小尾は机の上の生命の樹を指した。
「先に天使を定義する」
クロノは黙っている。
「名前を決める。役割を決める。象徴を決める。どういう性質の力を持つのかを決める」
「架空の天使を作る?」
「正解。すごいね。まぁ、概念としてね」
小尾が楽しそうに続ける。
「それが天使として成立するだけの類似性と象徴を組み立てられれば、その天使が守護するセフィラも逆算して作れるんじゃないかって思った」
クロノは紙へ視線を落とした。
図の意味が少しずつ見えてくる。
「存在しない天使を定義し、その天使が存在するという前提から、存在しないセフィラを組み上げる?」
「そう」
「そんなことが可能なのか?」
「知らない」
小尾は即答した。
クロノが顔を上げる。
「知らない?」
「まだ理論だよ」
「実験していないのか?」
「ここにいるんだから、できるわけないじゃん」
それはそうだった。
「でも面白いと思わない?」
小尾は紙の上に描かれた生命の樹を見る。
「本物の天使へ直接接続すると、力が大きすぎる」
なのはとはやてが、その結果だった。
成功した。
少なくとも、小尾が長年求めていた意味では成功している。
だが出力が大きすぎた。
人間が使える力としては、あまりにも扱いづらい。
「なら最初から、必要な役割しか持たない天使を作ればいい」
クロノの表情が変わった。
「待て」
「何?」
「君は今、天使を作ると言ったのか?」
「本物を作るって意味じゃないよ」
小尾は手を振った。
「概念上の話」
「それでも十分問題だ」
「何で?」
「君が言うと、数年後には実物が出てきそうだからだ」
「失礼だなあ」
クロノは紙束をめくる。
その中には、途中で放棄された案も大量にあった。
名称だけが書かれたもの。
象徴の対応で行き詰まったもの。
生命の樹の構造へ無理に組み込もうとして破綻したもの。
何十枚もの試行錯誤が残されている。
「……随分考えたようだな」
「時間はいっぱいあったからね」
小尾は収容室の壁へ目を向けるような仕草をした。
「本読んで、ご飯食べて、寝るだけだよ。そりゃ考えるでしょ」
「普通は考えない」
「そう?」
「少なくとも、暇だから新しい魔術理論を考える収容者は珍しい」
「楽しいよ」
「そういう問題じゃない」
クロノはさらに数枚をめくった。
「この金属の一覧は?」
「生命の樹へ割り振るための候補」
「なぜ金属なんだ?」
「身近で性質がはっきりしてるから。象徴として使いやすいし、十個に分類する材料にもできる」
「この二十二本は?」
「径」
「そこを操作することで?」
「作ったセフィラ同士の関係を調整する」
小尾が答えるたびに、クロノの顔が少しずつ険しくなっていく。
小尾はそれを見て笑った。
「そんな怖い顔しなくても、まだ一回も成功してないよ」
「一回も試していないんだろう」
「あ、そうだった」
「余計に安心できない」
クロノは紙束を揃えた。
「つまり、なのはとはやてを観察した結果、君は――」
「天使に合わせて人間を変えるだけじゃなくて」
小尾が続きを引き取った。
「人間が使いたい力に合わせて、天使の方を定義できないかなって」
クロノは黙った。
以前の小尾は、人間を天使へ近づけた。
高町なのは。
八神はやて。
二人の存在は、その研究が一つの結論へ到達してしまった証明でもある。
そして小尾は、その結論を見て研究を終わらせなかった。
次の疑問を作った。
天使へ人間を合わせるのではなく。
人間側が必要とする形へ、天使という概念を切り分ける。
「……これに名前はあるのか?」
クロノが尋ねる。
「まだないよ」
「ここにはいくつか候補が書いてある」
「どれも気に入らなかった」
「そうか」
クロノは紙束を鞄へ戻そうとした。
小尾がそれを目で追う。
「持って帰るの?」
「元々、管理局が押収している資料だ」
「やっぱりパクってるじゃん」
「押収だと言っている!」
「コピーくらいちょうだいよ」
「駄目だ」
「自分で書いたのに」
「だから駄目なんだ!」
小尾は不満そうに本へ手を伸ばした。
「じゃあ、また一から考えるか」
クロノの手が止まった。
「待て」
「何?」
「なぜそうなる」
「だって紙ないし」
「考えるな」
「暇なんだよ」
「本を読め!」
「読みながら考えられるよ」
クロノはしばらく小尾を見つめた。
そしてようやく理解した。
収容する。
研究設備を取り上げる。
資料を没収する。
外部との接触を制限する。
それらは、小尾が実験を行うことを防ぐことはできる。
だが。
考えることまでは止められない。
高町なのはと八神はやてという結果を一度見てしまった少年には、次の疑問を作るだけの材料がすでに頭の中に揃っている。
「……紙と筆記具の使用も見直すべきか」
クロノが呟いた。
「人権侵害だよ」
「君が暇つぶしで新しい魔術理論を作るからだ!」
小尾は少し考えた。
「じゃあ高町さんと八神さんに会わせてよ」
「なぜその結論になる!」
「経過観察できれば暇潰せるし」
「絶対に会わせない!」
面会室に、クロノの声が響いた。
小尾は椅子に座ったまま、楽しそうに笑っていた。