「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
学校と管理局。
その二つを両立させる生活にも、なのはとフェイトはすっかり慣れていた。
平日は学校へ通い、授業を受ける。
宿題もある。
試験もある。
友人との時間もある。
その一方で、管理局から要請があれば訓練や任務に参加し、休日の一部をそちらへ使うことも珍しくない。
事件直後のように常に誰かの監視下へ置かれているわけではなくなったものの、なのはの身体については今も定期検査が続いていた。
フェイトも可能な限り、それに付き添っている。
「なのは」
「ん?」
「そこ、違うよ」
フェイトが指した先を見て、なのははノートへ目を落とした。
管理局の施設にある休憩室。
二人が向かい合っている机の上には、任務資料ではなく学校の教科書とノートが広げられている。
今日の仕事はすでに終わっていた。
帰る前に少しだけ宿題を済ませておこうという話になり、それから一時間ほどが経っている。
「あ、本当だ」
なのはは消しゴムを手に取った。
「ここから計算間違えてる」
「だから、その後も全部ずれてる」
「うぅ……」
「最初からやり直した方が早いよ」
「フェイトちゃん、こういう時だけ容赦ないね」
「間違ってるのに、そのままにしても仕方ないから」
フェイトは真面目な顔で答えた。
なのはは苦笑しながら、間違えた部分を消していく。
昔と変わらないやり取りだった。
少なくとも、なのは自身はそう感じている。
学校へ戻った。
授業を受ける。
友達と話す。
管理局の仕事もする。
家へ帰れば家族がいる。
事件以前と完全に同じではない。
それでも、失ったものばかりではなかった。
「そういえば」
フェイトが教科書を閉じた。
「今日、クロノから連絡が来たよ」
「クロノ君から?」
「うん」
「何かあったの?」
「小尾一のこと」
その名前が出ても、なのはの表情は大きく変わらなかった。
一方、フェイトの顔は目に見えて険しくなる。
「また何かしたの?」
「今回はしてないみたい」
「今回はって言い方がもう嫌なんだけど」
フェイトは本気で嫌そうだった。
「職員に暗示をかけたり、収容施設を好き勝手したり……あの人、本当に反省してない」
「小尾君だからね」
「なのは」
「にゃはは……」
「笑うところじゃないよ」
「うん。ごめん」
なのはは消しゴムを置いた。
「それで、小尾君がどうかしたの?」
「私たちに会いたいって」
なのはが瞬きをする。
「小尾君が?」
「正確には、なのはとはやての経過を直接確認したいって」
「……ああ」
なのはは納得した。
「そういうことかぁ」
「そういうことかぁ、じゃないよ」
「だって、小尾君だし」
「だから!」
フェイトが机へ身を乗り出した。
「なのはは、どうしてそんなに普通に話せるの?」
「え?」
「小尾一のこと」
フェイトの声には、はっきりとした苛立ちが混じっていた。
なのはは少し考えた。
「普通にって?」
「あの人が何をしたか、忘れたわけじゃないよね?」
「忘れてないよ」
「なのはの身体に勝手にセフィラを入れた」
「うん」
「なのはを追い詰めた」
「うん」
「なのはを人間じゃない身体にした」
そこで、なのははすぐには返事をしなかった。
フェイトは続ける。
「はやてにも勝手に同じことをした」
声が少し強くなる。
「あの力のせいで、はやては暴走した」
「フェイトちゃん」
「人まで殺したんだよ」
なのはの表情から、笑みが消えた。
フェイトは拳を握っていた。
「はやてがやりたくてやったんじゃない。そんなの分かってる。でも、はやては今でも覚えてる」
自分の力で何が起きたのか。
誰が傷ついたのか。
何人が帰らなかったのか。
事件が終わったからといって、なかったことになるわけではない。
「それを始めたのは小尾一だよ」
フェイトは吐き捨てるように言った。
「クズ野郎」
「フェイトちゃん」
「カス」
「フェイトちゃん?」
「ゴミ」
「待って待って」
なのはが両手を上げた。
「ものすごく嫌いなのは分かったから」
「嫌いだよ」
即答だった。
「大嫌い」
フェイトは少しも迷わなかった。
「あいつがいなかったら、なのははあんなに苦しまなかった」
「うん」
「はやても、あんなことにならなかった」
「うん」
「なのはは、違うの?」
その問いに、なのははしばらく答えなかった。
窓の外へ視線を向ける。
管理局施設の向こうには、人工的な光が並んでいる。
「憎いかって聞かれたら……」
なのははゆっくりと言った。
「そんなに憎くないかな」
「どうして?」
フェイトには、本当に理解できないようだった。
「だって、なのは――」
「小尾君がしたことが正しいとは思ってないよ」
なのはは先に言った。
「勝手に私の身体へ何か入れたことも、人を実験に使ってたことも、はやてちゃんにしたことも。駄目だと思う」
「だったら」
「でもね」
なのはは自分の手を見る。
見た目は、昔とそれほど変わらない。
少しずつ成長している。
ただ、その速度はフェイトより遅い。
身体の内側にあるものも、もう昔とは違う。
「最後に、はやてちゃんを助けられたのは、この力があったからなんだよ」
フェイトが黙る。
「私だけの力じゃないよ」
ヴィータがいた。
シグナムがいた。
シャマルがいた。
ザフィーラがいた。
リインフォースがいた。
フェイトもいた。
誰か一人でも欠けていれば、同じ結末にはならなかったかもしれない。
それでも。
「あの時、はやてちゃんのところまで行けた」
なのはは静かに続ける。
「閉じていたところを開けて、みんなを連れていけた」
自分に与えられた力。
自分が望んで手に入れたものではない。
その代償が今も身体に残っていることも分かっている。
「だから、小尾君に対しては……」
なのはは少しだけ困ったように笑った。
「ありがとう、って気持ちもあるんだ」
「……ありがとう?」
「うん」
「なのはをあんな目に遭わせた人に?」
「はやてちゃんを助けるための力をくれたから」
フェイトは信じられないという顔をした。
「それで全部許せるの?」
「許すとは言ってないよ」
なのはの声は穏やかだった。
「ありがとうって思うことと、小尾君がやったことを全部許すことは別だから」
「…………」
「私、あの時のことをなかったことにしたいとは思ってない」
苦しかった。
怖かった。
自分の身体が自分の知っているものではなくなった時は、今でも思い出すことがある。
この先どうなるのかも分からない。
みんなと同じ速度で大人になれるのか。
同じように年を取れるのか。
それすら分からない。
「でも、この身体になったから助けられた人もいる」
なのははフェイトを見る。
「だったら、そこまで嫌いになれないかな」
「私は無理」
「うん」
「絶対無理」
「うん」
「クズだよ」
「それはもう聞いたよ」
「カス」
「それも」
「ゴミ」
「三回目!」
なのはがとうとう笑った。
フェイトは不満そうに頬を膨らませる。
「なのはが甘すぎるんだよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「でもフェイトちゃん、小尾君に会ったら本当に言いそうだね」
「言うよ」
フェイトは即答した。
「本人の前で?」
「言う」
「クズ野郎って?」
「言う」
「カスも?」
「言う」
「ゴミも?」
「それも言う」
「にゃはは……」
「笑わないで」
「ごめんごめん」
なのはは笑いながら、もう一度ノートへ視線を戻した。
しばらくして、フェイトも教科書を開き直す。
だが、数分も経たないうちにフェイトが口を開いた。
「なのは」
「ん?」
「もし本当に面会することになっても、一人で行っちゃ駄目だからね」
「まだ会えるって決まってないよ?」
「もしもの話」
「うん」
「絶対、私も行く」
「分かったよ」
「はやても一緒なら、なおさら」
「うん」
フェイトはそこで一度言葉を止めた。
「それと」
「まだあるの?」
「あいつがなのはに触ろうとしたら止めるから」
「検査したがりそうだもんね」
「止める」
「うん」
「絶対に」
「分かったってば」
なのはは苦笑した。
「でも、ちょっとだけ会ってみたいかも」
フェイトの目が細くなる。
「なのは」
「だって、何年も会ってないし」
「…………」
「それに、小尾君が今の私を見たら、何て言うのかなって」
「どうせ『面白い』とか言うよ」
「言いそう」
「それで触ろうとする」
「それもありそう」
「やっぱり会わなくていい」
「フェイトちゃん」
「駄目」
さっきまで小尾を罵倒していた時より、よほど真剣な顔だった。
なのははそんなフェイトを見て、少しだけ笑った。
それから、途中だった問題へ視線を戻す。
「とりあえず宿題終わらせよっか」
「……うん」
「これ終わったら帰ろう」
「うん」
フェイトも再びノートへ向かった。
小尾一に対する二人の気持ちは、まるで違う。
なのはは、彼の行為を正しいとは思わない。
それでも、あの力があったからはやてを助けられたという結果を否定するつもりもなかった。
フェイトは違う。
なのはを苦しめたこと。
はやてを追い詰めたこと。
はやての手に、人を殺したという記憶まで残したこと。
そのすべてを、小尾のしたこととして忘れる気はなかった。
だから。
「フェイトちゃん」
「何?」
「もし会うことになっても、いきなり殴っちゃ駄目だよ?」
「…………」
「フェイトちゃん?」
「善処する」
「そこは約束して!?」
休憩室に、なのはの声が響いた。