「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
妹のキリエは跳び起きると、力任せにワイヤーを引き千切った。そして姉のアミティエに対し、怒りの表情で声を荒らげる。
「絶対に追いかけてこないでって、私、言ったよね?」
「私は『行ってはだめだ』と言いました」
「アミタまでこっち来たら、ママのことはどうするのよ? 何考えてるの!」
「家出した妹を連れて帰る。それだけです」
姉と妹の押し問答に、なのはもフェイトも言葉を失った。
駄々を捏ねるキリエを、アミティエが窘めているように見える。ただ、アミティエは腹の底から怒っているのを、なのはは感じ取った。
キリエは銃を構え、姉のアミティエに狙いを定める。
「言ったでしょ! パパもエルトリアも助けるんだって!」
「帰りましょう」
それでもアミティエは妹に有無を言わせず、淡々と忠告する。
キリエは激昂し、ついに引き金を引いた。
「この……バカアミタッ!」
弾丸がアミティエを直撃する。
妹が姉を本当に撃つとは、なのはも思わなかった。しかしアミティエの身を案じるほどの時間はなかった。
アミティエもキリエと同じ『フォーミュラ』で全身を武装。キリエの赤いスーツと違い、彼女のものは青色を基調としている。
アミティエの表情は気迫に満ちていた。
「もう撃たせませんよ。キリエ」
「……ちっ!」
フローリアン姉妹はともにブレードを手にして、真っ向から激突する。
さっきまでフェイトを翻弄していたはずのキリエが、アミティエの猛攻を振りきれなかった。バックジャンプで距離を稼ごうにも、アミティエはノータイムで追ってくる。
「なのは! 止めないと……」
「う、うん。でも」
なのはとフェイトに介入できる余地はなかった。
アミティエの怒涛の連撃は明らかにキリエを上まわっている。下手に加勢しても、彼女の邪魔にしかならないだろう。
「キリエさんの武器だけを止められたら……」
「あっちだよ、なのは!」
なのはたちが手をこまねく間も、アミティエの猛追は止まらない。
「聞き分けてください! キリエ!」
キリエも反撃に転じながら、悲痛な声で叫んだ。
「永遠結晶を持って帰らなかったら、パパが死んじゃうのよ!」
高速道路の上空で鍔迫り合いが拮抗する。
「悲しくて苦しいのは、私や母さんも一緒です!」
アミティエの声色に少しだけ涙が混じった。
(泣いてる……あのひと、泣いてるんだ)
妹の暴挙を止めるべく駆けつけた、姉のアミティエ。彼女の背負っているものの大きさが垣間見え、なのはは息を飲む。
「それに、あなたを連れ出したあの子を、私は信用できません!」
「この……っ!」
アミティエの連続攻撃に晒され、キリエが疲弊し始めた。
なのはとフェイトは目配せして、ふたり掛かりでキリエを押さえに掛かる。
「キリエさん! 落ち着いてください!」
「お姉さんのお話を」
そのせいか、キリエの怒りはピークに達した。
「――邪魔をしないで!」
フェイトの手を振り払い、キリエは再びアミティエと相対する。なのはは二人の脇へ空間を開き、そこからミカエルの先を届かせた。右手のブレードに触れた鍵が、その駆動を閉じる。キリエは動かなくなった武器を手放し、もう一方の剣を構え直すまで、攻撃を一拍途切れさせた。
その隙へ、アミティエの剣が入った。なのはは出口を閉じ、姉を巻き込まない角度へ作り直す。二人を一度に動けなくしてしまえば楽だった。しかし刃が噛み合うたび、身体も武器も位置を変える。一つを止めたせいで、もう一方の剣が妹の身体へ入ることだけは避けたかった。
ほんの一瞬、二人の間を丸ごと切り離すだけの空間を開こうとした。だが、刃と刃が触れ合ったままの距離では、開口の縁そのものが二人の身体を挟みかねない。なのはは思い直して、鍵の先を武器だけへ向ける。姉妹を傷つけず、剣も折らずに制する――そう決めたために、次の好機はもう消えていた。
「永遠結晶があれば、みんなを助けられるのに!」
閃光と閃光を結ぶような応酬だった。
なのはは鍵を握り直し、フェイトとともに二人の動きを追った。
アミティエの怒号が反響した。
「父さんと母さんが私たちにくれた、この力は! フォーミュラは! 星とひとびとを守るための力です! ひとに危害を加えてまで自分の目的を叶えるための力じゃない!」
負けじとキリエの声も木霊する。
「だから、迷惑掛けないように頑張ってるんでしょ!」
アミティエから間合いを取り、キリエは眼下の大型トレーラーに呼びかけた。
「みんな、手伝って!」
積み荷の機動外殻が次々と起きあがり、戦線に加わる。
「フェイトちゃん! 私たちで止めなくっちゃ」
「うん。でも、さっき私が魔法を撃ち込んだはずなのに……」
機動外殻にも魔法は通じないらしい。
なのはが鍵を向けたところで、先頭の機動外殻が被弾した。電磁ランチャーの一撃が装甲を貫通し、その熱量で機動外殻を爆散させる。
「初弾命中ぅ!」
電磁ランチャーで介入してくれたのは、鉄槌の騎士ヴィータだった。上空からなのはたちを見下ろし、得意満面に踏ん反り返る。
「おめえらふたりとも、じっとしてろよ。今助けてやっから」
「ヴィータちゃん!」
心強い救援が彼女だけのはずがない。
剣の騎士シグナムも戦場へ飛び込むとともに、機動外殻の一体を両断した。
「一閃!」
ヴィータの電磁ランチャーと同様、カレドヴルフ社製のブレードなら無効化されない。
「……とんだ試し斬りだ」
「シグナム!」
残った機動外殻は、フェイトのものよりも強力なバインドによって動きを封じられた。湖の騎士シャマルは魔力を器用に操り、そう簡単には無効化させない。
そこへ盾の騎士ザフィーラが突撃。高速道路の路面に一撃を叩き込んで、機動外殻の群れを放射状の亀裂に巻き込んだ。
「応援到着! ザフィーラとアルフも無事よ」
「不覚を取ったがな」
あっという間に逆転され、キリエは歯軋りする。
そんなキリエを、分離した光剣の端末が取り囲んだ。何本もの光線がその周囲を走り、前へ進もうとした具足の先で、小さな爆発を作る。キリエへ直接撃ち込んだものは、一発もない。
はやては斜め上から射線を揃え、外れた光が仲間へ向かわないようにしていた。出力を下げるだけでは足りない。動いたキリエの皮膚をかすめてもよい線と、妹へ近づこうとするアミティエの腕が入る線とは、次の瞬間にも入れ替わる。
光の間隔が狭まり、キリエは動きを止めた。
〈光剣〉の羽は、正面の牽制だけに使われていたわけではない。二枚は路面へ落ちる破片を払い、さらに二枚はシグナムたちの退路を見張っている。〈日輪〉へまとめれば一帯を光で埋められたが、それでは捕らえたい相手まで消しかねなかった。はやてが作ったのは、光線の檻というより、誰にも触れないよう間隔を測った綱渡りの道だった。
「く……!」
「もうやめよ。あなたも怪我せんうちに」
声は少女のもの。
守護騎士たちの主、八神はやても颯爽と現れる。
「守護騎士のみんなと合流してたら遅れてもうた。八神はやてと夜天の守護騎士、応援に駆けつけたよ!」
なのはとフェイトは笑みを弾ませた。
「はやてちゃん!」
「はやて!」
「心配掛けたみたいで、ごめんな。でも大丈夫、これで勢揃いや」
はやての純白の霊装と光のヴェールが、夜風に揺れていた。〈絶滅天使〉メタトロンの羽状端末が周囲を巡り、リインフォースは変わらず主の内側で、その射線と仲間の位置を支えている。
「おとなしくお縄についてもらうよ」
シャマルが押さえ込むうちに、シグナムたちが機動外殻を次々と処理していく。
「はやての前だからって張りきりすぎんなよ? シグナム」
「フ。お前こそ」
守護騎士たちの参戦によって、大局は決した。魔法を無効化されようと、カレドヴルフ社製の物理兵器なら影響を受けずに、攻勢を維持できる。
おかげで、なのはもフェイトも極限の緊張感から解放された。
「恩に着ろよー、なのは」
「うん! ありがとう」
「フェイト~!」
「アルフもよく無事で……怪我はない?」
ヴィータやアルフと再会を喜びつつ、上空のフローリアン姉妹を見守る。
アミティエがキリエの傍へ寄った。
「さあ、キリエ。みなさんにちゃんと謝って、うちに帰りましょう。……まあ素直に返してくれるかどうかは、難しいところですが……」
すでにキリエはこれだけの騒ぎを起こしている。八神はやてやザフィーラたちを襲撃した際、市街地に被害も出した。
温厚なリンディやクロノとて、無罪放免とは行かないだろう。
しかしキリエにとって、もはや逃げ場はない。手駒の機動外殻はことごとく破壊されてしまったうえ、この状況は多勢に無勢。協力者の『イリス』はどうやら結界の外にいるようで、キリエ=フローリアンは孤立無援にある。
「母さんのところへ帰りましょう。一緒に」
慰めるようにアミティエが諭した。
キリエは俯き、わなわなと声を震わせる。
「まだ終わりじゃない……イリスがくれた、最後の奥の手……!」
「え?」
次に顔を上げた時、彼女の瞳は深紅に染まっていた。
「システム『オルタ』! バーストドライブ!」
フォーミュラスーツの赤色を溶かしたような淡い光が、キリエの全身を包む。
「キリエ? あなた……」
アミティエは慄然とした。その驚愕の表情からなのはは直感する。
(アミティエさんも知らない力?)
キリエの具足が噴射し、身体ごと光の射線へ飛び込んだ。避けるのではなく、焼かれるはずの場所を踏み越える。はやては反射的に、その脚へ届く一条を消した。残る端末が狙いを変えた時には、赤い影が包囲を抜け、すぐ傍のアミティエへ迫っている。
(撃てる。けど、ここで当てたら――)
狙いをつけた光剣の先で、姉妹の身体が重なった。二人を貫く力をさらに絞ろうとした一瞬に、キリエの膝が姉へ入る。
出力を上げれば届く。逃げる方向へ羽を散らせば、さらに広く塞げる。だがキリエがアミティエの胸元へ踏み込むたび、光が届く先には姉の身体があった。はやての頭上で端末が回り、狙いを捨て、また別の狙いをつける。今まで撃たなかったものを、ここで撃てるはずがなかった。
速い。
速すぎて、彼女の動きのすべてが残像を伴う。
間近にいるアミティエには、彼女が三人にも四人にも見えているのかもしれない。みぞおちに膝蹴りをもろに受け、叩き落されるまで、たった数秒のこと。
「あううっ?」
「ア、アミティエさん!」
瞬きひとつの間にキリエの姿は消えてしまった。代わって、赤い閃光が結界の夜空を縦横無尽に飛びまわる。
「こ、このスピードは……!」
「速すぎる!」
シャマルがしきりに首を振り、瞳を転がした。ザフィーラも本物の閃光じみたキリエの速さを捉えきれず、うろたえる。
右か、左か、上か、下か。
散々かく乱したうえで、キリエは真正面からシャマルへ急接近する。
「シャマルさん!」
なのはが鍵を向けたが、出口を開く前にシャマルとザフィーラの姿が重なった。キリエへ回り込ませる先端の向きを、慌てて変える。フェイトも踏み出したものの、二人を巻き添えにしない位置へ着くより早く、赤い影が間へ入った。
キリエのドロップキックがシャマルもろともザフィーラを直撃。
「きゃああ!」
「ぬ――ぐおおっ?」
ふたりは直線に近い放物線を描いて、ビルの壁面へ叩きつけられる。
「こんにゃろっ!」
なおも夜空を乱舞するキリエに目掛け、ヴィータが電磁ランチャーを連発した。稲妻のような弾が広範囲に網を掛ける。
それをキリエは速度を落とさずにかいくぐった。物理法則さえ超越しているのか、軌道が『L』や『Z』を描くほどの急カーブまでやってのける。
しかし守護騎士たちも素人ではなかった。
「そっちへ追い込むぞ、シグナム!」
「ああ!」
ヴィータが電磁ランチャーで追い込みを掛け、キリエの移動方向を限定する。
そこをシグナムが電磁ブレードで、一発必中。
かに見えたが、キリエの凄まじい斬撃に電磁ブレードが耐えられなかった。一撃のもとに粉砕され、シグナムは丸腰になる。
「まさか……!」
「こ、こいつ! 当たれってんだ!」
がむしゃらにヴィータは雷弾を乱射するも、掠りさえしなかった。
キリエのブレードがマシンガンに変化、シグナムとヴィータに弾幕を浴びせる。
「シグナム! ヴィータ!」
フェイトの叫びは、おそらくふたりに届かなかった。
シグナム、ヴィータはともに高速道路を大きく逸れ、海面へ落下する。
残るはなのは、フェイト、はやて、それからアルフだけ。
「アルフはシャマルたちを助けに行って! 早く!」
「わ、わかった!」
はやてが〈天翼〉の形へ端末を束ねる。加速し、キリエの行く先を塞いでから再び分離させ、赤い影の背後へ光剣を向けた。だが光線を下へ通せば、そこで動くなのはとフェイトも射線に入る。
ならば上へ追い出せばよい、と羽の一枚がキリエの足元へ回った。その先には車道がある。撃てば跳ねた路面の破片が、守護騎士たちのいる側へ散るだろう。はやてはその羽も戻した。四方を囲むだけの端末は揃っているのに、包囲の最後の一辺だけが埋められない。
『主、射撃可能な角度は――』
(わかっとる。せやけど、そこを撃ったらフェイトちゃんが……!)
リインフォースの助けがあっても、誰を傷つけてもよいかという判断まで代わってもらえるわけではない。
「なのはちゃん、右へ! そこ、撃たれへん!」
なのはは鍵を返して砲弾の通る場所を上空へ繋ぎ、フェイトとともに、書を持つはやての前へ出た。力の大きさではこちらが上回っている。けれど仲間も敵も傷つけずに止めるため、互いの行く先を確かめる時間が要った。
「はやてちゃんの、あの魔道書……」
キリエの目的は八神はやての持つ、夜天の書。
(絶対に守――)
そう思った時には、紅い閃光が真正面からなのはに迫っていた。
「フォーミュラドライブ! アクセラレイター!」
そこへ間一髪、青い閃光が割り込む。
奥の手の投入によって高揚しているキリエは、苛立ちを隠さなかった。
「邪魔しないで、アミタ!」
キリエの凶刃を食い止めたのは、姉のアミティエだ。超高速を可能とするフォーミュラの切り札、『アクセラレイター』の力を解放している。
「システムオルタ? あなたのスーツにそんな機能はなかったはず……出力制御がメチャメチャです! みなさんに怪我でもさせたら」
いつもの『お説教』がキリエの神経を逆撫でした。
「その本さえあればいいの!」
キリエは自棄になって、アミティエとの鍔迫り合いに、がむしゃらに力を込める。
「少しの間貸して欲しいだけなの! だから、そこをどいてってば!」
しかし姉は冷静だった。あえて力を弱めることで、キリエのバランスを手前へ崩したところで、アクセラレイター。瞬時にキリエの背後を取り、羽交い絞めにする。
「帰りましょう。父さんと母さんが待ってます」
父さん、母さん――その言葉がさらにキリエを過熱させた。
「お姉ちゃんはいつもそうやって『いい子』なんだよね」
昔からそうだった。
アミティエはふっくらと上手にパンが焼けて、母に褒められて。父にも研究の手伝いをするたび、手際のよさを褒められて。
なのに妹の自分は、無様に潰れたパンや、ひっくり返ったバケツばかり。
悔しかった。絶対に勝てない、背比べの相手がいることが。優等生の姉がいる限り、何をやっても、よりによって両親の前で悪目立ちすることが。
この屈辱を、姉に理解できるはずがなかった。
「わかんないでしょ? わたしがどんな思いで、どんな覚悟でここにいるか」
キリエは自嘲の笑みさえ浮かべて、肩越しに姉をねめつける。
「パパの夢もママの幸せも全部、私が守ってあげるの」
だから、今回だけは譲れなかった。姉に譲りたくなかった。アミティエには絶対にできない方法で、父を救い、エルトリアに緑を蘇らせる。
そのためなら。
「キリエ、私は……」
アミティエの同情めいた声は、かえってキリエを逆上させた。
「お姉ちゃんにはわかんない! 嫌いよ、お姉ちゃんなんて――だいっきらい!」
力いっぱいに喚きながら、キリエはブレードを短銃に変え、それを自分の脇腹に押し当てる。そして歯を食い縛り、引き金を――引く。
貫通した。
銃弾がキリエの身体ごと、背後で羽交い絞めの姿勢にあったアミティエを貫く。
なのはも、フェイトも、はやても、突然の凶行にただ驚愕した。
「ア、アミタさん!」
「キリエさん、どうして……」
アミティエは力なく崩れ落ちる。フォーミュラも生命維持のモードに切り替わった。
その一発のおかげで、頭の中で何かが外れた気がする。
(今なら高町なのはとフェイト=テスタロッサのデータも……!)
脇腹の痛みを堪えつつ、キリエは拳を握り締めた。自分の身体が持つうちに、システムオルタのエネルギーが切れないうちに。
まずは、立ち竦むなのはの横っ面に、強烈なストレートをめり込ませる。
「あぅっ!」
衝撃でなのはの足が滑った。頬から首へ輪郭を保ち損ねた光が散る。しかし骨を砕かれた人間のように倒れることはなく、ほどけた部分はすぐに元の形へ集まっていった。キリエの手甲には接触の記録が残るものの、高町なのはの魔力資質の解析は完了しない。採取された未知の情報だけが、照合できないまま保存された。
なのはの手元では、ミカエルの鍵がまだ輝いていた。キリエの身体の動きも、手甲の機能も、閉じてしまうことはできる。いっそ足元に大きな口を開き、誰もいない場所へ落としてしまえば追いかける必要さえなくなる。
けれど、今のキリエは負傷していた。出口へ投げ出された時に何が起こるかも、追い詰められた彼女が次に何をするかも、なのはにはわからない。伸ばしかけた鍵の先を引き戻した一瞬に、キリエはなのはの間合いから離れていた。
我に返ったように、フェイトが真っ青になって駆け出した。
「なのは!」
「あかん、フェイトちゃん!」
その前にキリエが立ちはだかり、再び渾身のストレートを放つ。
パパのため――そう自分に言い聞かせながら。
フェイトも倒れ、手甲がデータの解析、保存の完了を告げる。なのははその身体を受け止め、安全な路面へ下ろした。キリエが自分へ近づけるようになる前に、残りの目的を果たさなくてはならなかった。
はやてはアミティエの傍に膝をついていた。落下を防壁で受け止めた身体を、傷口へ圧力を掛けないよう路面へ下ろし、右手で傷を押さえる。光剣の端末はキリエを追っていたが、今、彼女の背後にはフェイトとなのはがいる。人の身体を治す術を、今のはやてが夜天の書から取り出して使うことはできない。シャマルを呼ぶ間、何より先に失血を食い止めなくてはならなかった。
キリエは容赦なしに接近、小さな身体にボディーブローを打ち込む。はやてはわずかに傾いただけで、傷へ当てた手を離さなかった。
「もうやめよ。お姉さんも、あなたも、治療せなあかん」
システムオルタがタイムリミットを迎えるとともに、右の脇腹に激痛が生じる。
「ぐうっ!」
痛みと出血に苦悶しつつ、キリエははやての左腕へしがみついた。光剣の端末が至近の背中へ向き、はやてはその発射を止める。今撃てば、キリエを穿った光が、下に横たわる姉にも届く。膝が折れた身体を、はやては振り払わずに支えた。
『キリエ、今よ』
イリスの声とともに、停止した牽引車の荷台からワイヤーが走った。車両の駆動とは別の、積み荷を引き上げる機構だった。キリエが書へ巻きつけた線を、それが横へ引く。はやてはアミティエの傷を押さえながら、倒れかけたキリエの身体も受け止めていた。
はやては端末を横へ回し、書もキリエの腕も貫かない角度から、細い光線でワイヤーを断った。引かれていた力が抜け、書はわずかに浮いた。その一瞬を、キリエは両手で拾い上げる。はやての腕から身を離し、夜天の書を胸へ抱き込んだ。
もう一本、〈光剣〉を回せば取り返せたかもしれない。だが、キリエはすでに血を流し、足元ではアミティエが倒れている。はやてが広げた防壁も、二人の身体を支えるために使われていた。夜天の書を守るために、その傍の命を切り捨てる――そんな選択だけはできなかった。
「あ――k返還x――返して」
はやての声が乱れた。内側にいるリインフォースは失われていない。しかし書との繋がりに生じた異常への対処で、言語補正が一拍遅れる。いつもの少女の声へ戻ってから、はやてはもう一度キリエへ呼びかけた。
「それは、うちの家族のものなんよ。大切なものなんや」
大切な宝物。かけがえのないもの。
同じものはキリエにもあった。
(パパ、ママ……お姉ちゃん……)
なのに自分は今、彼女たちを傷つけてまで、その宝物を奪おうとしている。
だが、ここで情に絆され、退くわけにはいかなかった。アミティエにはすでに二回もトリガーを引いたのだから。
夜天の書を抱え、キリエはふらふらとよろめきながら後退した。イリスの誘導は耳の奥に届いている。防音壁の下の連絡路へ降りれば、まだ使えるバイクが残っているという。
もう彼女たちに用はない。放っておいても、時空管理局が救援を寄越すはず。
しかしそれで終わりにしてくれない者がいた。
「待って……」
ミカエルを手に、高町なのはが近づいてくる。
(どうして来るの? 来ないでよ!)
心の中でキリエは癇癪を起こした。
もう終わりにしたいのに。これで終わりにできるのに。食いさがってこられたら、また手を下さなくてはならなくなる。
「待ってください、キリエさん。その傷のまま動いたら……」
なのに、なのはは足を止めずに近づいてきた。
キリエは無言のまま、顔も見せずに彼女の足元を撃つ。そのラインを踏み越えたら、次は身体を狙うという警告のつもりで。
(もう諦めてってば!)
それでもなのはは前に出て、ラインを越えた。
次の弾は、なのはの胸へ当たった。淡い桃色の霊装が弾を受け、散った光はすぐに元へ戻る。なのはが止まったのは一歩だけで、またこちらへ近づいてきた。
わざわざ振り返って目で見ずとも、外すような距離ではなかった。
振り向かなかったのは、彼女に会わせる顔がなかったから。己の行動の愚かしさを痛感させられると、わかっているから――だ。
「来ないでよ……!」
キリエは銃口を横へ逸らし、亀裂の入った道路の縁を撃った。アミティエの下で足場が沈む。その瞬間、なのはは鍵を回して、崩れる路面と無傷の車線の上とを繋いだ。はやてが下へ回り、防壁で傾いた鋼材を支える。光剣の端末は逃げるキリエへ向いたままだったが、その身体を貫く射撃だけは、最後まで放てなかった。
なのはが開いた出口は、負傷者と救護に当たる者を移すための幅しかなかった。道路ごと繋いでしまえば早い。それでも、崩れた鋼材まで一緒に通せば、救おうとした相手を押し潰してしまう。なのはは出口の縁を何度も狭め、アミティエの身体が通る場所だけを確かめた。
はやても〈光剣〉を数枚だけ下へ残し、揺れる鋼材の上に防壁を重ねる。夜天の書を抱えて逃げる赤い背中は見えていた。撃つための羽も、追うための翼も、まだある。けれど二人が目を離せば、ここで失われる命があった。
キリエはその間に防音壁の陰へ飛び降りた。下の連絡路で身体を打ち、書を抱いたままバイクへしがみつく。イリスが外側から結界の綻びを開き、行く先へ短い出口を示した。
バイクが沈黙を破り、走り去っていく。
なのはが道路の縁へ出た時、赤い尾灯はすでに一般道の車列の向こうへ消えていた。見えている場所は繋げても、どの車の陰へ逃げたかもわからない相手の位置を、思うだけで見つけられるわけではない。なのはは鍵を握り直し、クロノへ追跡を依頼した。力で倒されたのではなく、救わなければならない人を残して、彼女を逃がしてしまったのだ。
なのはたちのもとへ戻ってきたアルフは、血相を変えた。
「フェイト! なのは、はやて!」
フェイトは路上で苦しそうに息をし、はやては血に濡れた手でアミティエの傷を押さえていた。なのはは傍に膝をつき、意識の有無を確かめている。
「東京支局へ、こちらアルフ! クロノ! 早く救援を!」
『もう手配した! 君は応急処置を頼む!』
同じ場所でアミティエも倒れていた。
キリエと同じ血まみれの致命傷を、はやてが押さえている。
まだろくに字が読めない妹のため、絵本を読んであげるのが好きだった。
お菓子のお城。何でも願いが叶う不思議な指輪。
そして女の子を助けてくれる、素敵な『魔法使い』のお話。
「お姉ちゃん、お菓子のお城ってどこにあるの?」
「さあ……どこでしょう。でもきっと、どこかでキリエを待ってますよ」
「わたし、行く! お姉ちゃんと、パパと、ママと一緒に!」
妹は自分でページを捲り、無邪気に微笑む。
「魔法使いが連れてってくれるのよ。お姉ちゃん、知らないの?」
「それは知りませんでした。どんなひとでしょうね」
そこで目が覚めた。
アミティエは白い部屋の中、ベッドの上で仰向けに横たわっている。
「私は……」
「気がつきましたか? あ、まだ動かないでください」
身体には何重にも包帯が巻かれていた。四肢は周囲の機材とコードで繋がり、心拍数やらを送信している。
心地よい夢から醒めたことを、アミティエは察した。
(そうか、私はキリエに撃たれて……)
妹を止めることはできなかったらしい。
幼い頃の夢ではない、キリエの辛そうな表情が脳裏に蘇る。
『わかんないでしょ? わたしがどんな思いで、どんな覚悟でここにいるか』
大切な妹にあんな顔をさせてしまった――。
アミティエは呆然と虚空を見詰める。
きゅるる、とお腹が鳴った。
救護隊によって、なのはたちはひとまずオールストン・シーへ運ばれた。
ホテルの一室に沈痛な雰囲気が立ち込める。八神家の面々は押し黙り、クロノからの報告に耳を傾けていた。
『アミタと呼ばれる女性は、先ほど本局の救急病棟に搬送した。今は検査と、できる限りの治療をしてる。意識が戻ったら、すぐにでも話を聞かせてもらわないと……』
敗北の事実を読みあげなくてはならないクロノの声も重い。
銀狼の姿で包帯を巻いているザフィーラが呟いた。
「アルフのおかげで一命を取り留めたか。その……アミティエ、だったか」
『ああ。アルフと、フェイトにも感謝だな』
キリエがシステムオルタで猛威を振るった際、フェイトはアルフに、表向きは救助の名目で逃走を指示している。
その甲斐あってアルフは難を逃れ、まずはシャマルに応急処置。そしてシャマルが癒しの力でアミティエに可能な限りの治療を施し、救護隊へ引き渡した。
「アミティエさんも、まさか妹さんが自分ごと撃つとは思わなかったでしょうね」
シャマルの言葉にヴィータも相槌を打つ。
「あの覚悟はゾッとしたぜ。私たちはシステムオルタに負けたんじゃねえ。あいつの執念に負けちまったんだ……」
「同感だ。たったひとりで、あの状況を覆したのだからな」
誉れ高い守護騎士のシグナムさえ、キリエには脅威を感じたらしい。
「せっかくの試作品も台無しになってしまったか……」
『気にしないでくれ。実戦データは一応取れたし、壊されたのが君たちのアームドデバイスじゃなくてよかった』
「おう。次はグラーフアイゼンで度肝抜いてやらぁ」
ただ、今回の敗戦では得られるものもあった。
キリエの戦技やイリスの機動外殻については現在、本局の技術部が総力を挙げ、解析に乗り出している。フェイトたちのアームドデバイスも、バリアジャケットの破損分を修復するとともに、さらなる調整が図られていた。
クロノの口から謝罪めいた言葉が漏れる。
『しかし装備の修復と調整が済めば、なのはたちを再び戦わせることになる……』
シャマルやヴィータは口を噤んだ。
誰しも少女たちを戦わせたいわけではない。だが、なのはもフェイトも自らの意志で立ちあがってしまうだろう。同じく、そこで休んでいるはやても。
『はやて、リインの状態はどうだ』
「ここにおるよ。意識も繋がりも、大丈夫。ただ、言葉にするときに、ちょっと遅れるねん」
はやては胸へ手を当て、内側の家族の応答を確かめた。書との繋がりに生じた異常へ対処している分、リインフォースの処理にはまだ負担が残っている。
「無理はさせへん。うちも、ちゃんと休むから」
クロノとの通信はすべて聞いていた。守護騎士たちの気持ちもわかっているつもりだ。
画面の向こうでは、クロノが一瞬だけ目元を押さえた。事件の指揮で疲れているのだと、はやては思った。実際にはそれだけではない。支局の捜査を続ける傍ら、小尾一の収容先から届く暗示疑惑の報告にも目を通し続けている。今夜の騒ぎをまとめ終える頃、また新しい取調べ記録が届いていることだろう。
それでも夜天の書の主として、唇を噛む。
「とんだ失態や。申し訳ない」
『想定外の相手だ、謝ることじゃない。それに今回の責任は、指揮した僕にある』
「ううん。クロノ君だけのせいにはできへんよ」
市街地での強襲。フェイトや守護騎士たちの魔法が通用しない相手。
はやてたちは奮闘したものの、結果として高速道路は数ヶ所が破損、民間に怪我人も出ている。地上の報道はこの事件で持ちきりだった。
キリエとイリスに翻弄されてしまった苦々しい記憶が、はやてを責める。
(夜天の書を悪用させるわけにはいかへん。うちと、リインと、みんなのためにも……)
しかしまだ終わっていない。夜天の書の主としての矜持が、はやてを奮い立たせた。
「取り返すよ。失態のツケも、私の宝物も」
シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラも真剣な面持ちで頷く。
「無論です」
「次はバッチリ準備して、こてんぱんにしてやろうぜ」
「とにかく今は身体を休めるのが先決よ。みんな」
「ああ。じきに作戦が決まるはずだ」
八神家の結束は固い。
『リフレイン』