「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
激戦の最中、リンディはオールストン・シーをひた走っていた。
機動外殻の残骸が沖合で燻り、警報灯の赤が園内の通路を照らしている。避難誘導は続いていた。水族館の職員が抱える記録端末には、失われた設備と逃げ遅れた動物の数が刻々と増えていく。
リンディは走りながら報告を聞いた。シグナム班が機動外殻を沈め、ヴィータ班がシュテルを確保したという。その知らせに胸を撫で下ろす暇もなく、別の通信が割り込んできた。フェイトの追跡先、海中水族館で結界の保護が失われつつある。
「フェイト……」
娘はきっと、相手を傷つけるより先に話を聞こうとする。それを誇らしく思う気持ちと、そうしているあいだに取り返しのつかないことが起きるのではないかという恐怖は、母親となった今も、うまく折り合わなかった。
「今行くわ、フェイト……!」
調整を終えたフェイトのアームドデバイス、バルディッシュを握り締めて。
リンディが通り抜けた作業通路の一角では、職員たちが崩れた隔壁を手作業で押さえていた。魔法の補修材を届けに来た管理局員が、建物の配線図を見ながら首を振る。崩落を止めるために隔壁を封鎖すれば、反対側の水槽の循環が止まる。循環を維持すれば、今度は地下へ水が流れ込む。どちらも正解にはならない。
リンディは歩みを止めた。母親としては、一刻も早く娘のところへ行きたかった。しかし、目の前で困っている職員を見捨てて走れば、それもまたフェイトが悲しむだろう。
「ここ、迂回できる配管は?」
「あるにはありますが、制御盤が……」
「場所だけ教えて」
杖を掲げて短い補助術式を組む。壊れた操作系統を無理に起動するのではなく、必要な弁の位置を固定するだけの魔法だった。金属の弁が鈍い音を立て、漏水の勢いが弱まる。職員たちが安堵の声を漏らした。
「ありがとうございます!」
「応急処置よ。必ず専門の人に確認してもらって」
リンディは早口で伝え、再び走り出した。
その指には、バルディッシュの重みが残っていた。魔法の道具にしては不思議なほど静かな金色の核。娘の命令に応えて幾度となく戦場を渡ってきた相棒は、今は母親の手に収まっている。
昔、フェイトが熱を出したときのことを思い出す。本人は寝ていれば治ると言い張り、誰にも迷惑をかけまいとして毛布の奥に潜っていた。あの子の優しさには、いつも自分を後回しにしてしまう危うさがある。
だから今夜だけは、迎えに行こうと思った。
オールストン・シーの海中水族館で、フェイトは自分によく似た青髪の少女『レヴィ』と熾烈な攻防を繰り広げる。
海中水族館という名前を最初に聞いたとき、フェイトが思い浮かべたのは、硝子越しに海の生き物を眺める家族連れの姿だった。青い水の向こうに魚影が揺れ、幼い子どもが父親の袖を引き、名前のわからない生物について質問する。そういう場所を守るために建てられた建物が、今は兵器の通り道になっていた。
館内の照明は半分が落ちていた。非常電源に切り替わった通路では、誘導灯だけが緑色に光っている。ひびの走った観察窓の向こうを、巨大な魚の影が滑った。水槽の水位は目に見えて低くなり、天井の継ぎ目から細い水流が垂れていた。
フェイトはそれらを一瞥するたびに、自分がどこまで動いていいのかを計算し直した。空で戦うのとは違う。壁を破って逃がせば済むわけでも、相手を遠くへ吹き飛ばせば済むわけでもない。ここでは、ほんの一度だけ踏み込みの角度を誤ることさえ、何十年もかけて育てられた生物の命を奪う。
廊下の向こうから、警報とは異なる小さな音が響いた。水を打つ尾の音だった。展示区画の仕切りが壊れ、飼育槽から押し出された小魚が浅い水の中で跳ねている。
「……待ってて」
フェイトは一瞬だけ視線を逸らし、床へ降りた。掌に薄い魔力膜を作り、魚を傷つけないよう水ごと掬い上げる。その数秒のあいだに、自分そっくりの少女は楽しそうに天井近くを一周した。
「ねえねえ! こっちで遊ぼうよ!」
レヴィの声は明るかった。そこに意地の悪さはなかった。壊れた水槽も、あふれた海水も、驚いて逃げ惑う小さな命も、彼女の目には一つの賑やかな舞台装置にしか映っていないらしい。
フェイトは魚を水の残った槽へ戻すと、再び杖を構えた。怒鳴って従う相手ではない。けれど説明しなければ、何も伝わらない。その両方を知っていて、それでも言葉を選ぶ。
かつてプレシアの命令を疑わずに動いていた頃の自分も、誰かから見ればこんなふうに見えたのだろうか。目的しか見えない。目的の外にある命の重みが、目に入らない。あの頃、なのはは何度も呼びかけてくれた。だから今度は、自分が言葉を届ける番だった。
「なかなかやるじゃん。フェイト、だっけ?」
真剣なフェイトに対し、レヴィは遊び感覚で暴れまわっていた。フェイトを狙ったわけでもない気まぐれな攻撃が、アクアリウムの水槽を叩き割る。
さしものフェイトも声を荒らげた。
「あーもうっ! ものを壊さない! ここは遊んじゃいけない場所です!」
「えー? なんでー?」
「なんでも! どうしても!」
しかしレヴィのほうは聞く耳を持たず、好き放題にはしゃぐ。
天井のガラスが砕け、海水を滝のように吐き出した。
裂けた天井の向こうには、夜の海が黒い天蓋のように広がっている。隔壁の閉鎖警報が鳴った。保守用の通路へ浸水が始まり、フェイトの視界の端を、小さな魚影が幾つも横切った。
武器を握る手に力が籠もる。しかしフェイトはそれを振るう代わりに、足元へ魔力を流し込んだ。破片が散乱する床の上を水が滑り、水圧に押された水槽の破断面へ防壁を押し当てる。ここで戦えば、相手に攻撃を当てるより先に、この場所そのものが壊れてしまう。
「またこんなに水槽が……」
攻撃どころじゃないフェイトを見て、レヴィは不思議そうに首を傾げる。
「壊したらダメなの?」
「だめなの! みんなが一生懸命作ったんだから」
こうして言葉を交わすうち、わかってきた。彼女、レヴィには人並みの罪悪感が欠落しているらしい。幼い子どもと同じだ。そのせいか、反論も子どもじみている。
「それ、ボクになんか関係ある?」
「それは……」
フェイトは咄嗟に答えられなかった。相手は子どもだからこそ、罪悪感を抜きにしてストレートに疑問をぶつけてくる。
レヴィはアームドデバイスを肩に掛け、溜息をついた。
「まあ狭い場所じゃ、やりづらいっちゃやりづらいし……場所、変えよっか」
そして周辺の地形をスキャンするや、弾むように駆けていく。
「いい場所見ーっけ! ついてきて」
「ちょ、ちょっと?」
彼女を追った先で、フェイトも夜空の下へ出た。
「ここ、ここ」
イルカショーのためのプールだ。
これだけの広さなら、高度次第でこちらも自由に戦える。
(本当に私と遊びたいだけなんだね、この子……)
その事実を知っても、フェイトには安堵できなかった。相手は悪意から壊しているのではない。壊れるものの意味を、まだ知らないのだ。
自分が幼かった頃にも、似たようなことがあった。母の命令を果たすためにジュエルシードを集め、その途中でどれだけの人を怖がらせたのかを、当時のフェイトは考えられなかった。誰かの願いがすべてに優先するのだと、そう教えられたまま走っていた。
だからこそ、レヴィをただの敵として扱いたくはなかった。
もとよりフェイトは場所の問題さえクリアできれば、彼女と相対するつもりでいた。
灰燼のトゥルケーゼと遭遇した際、シグナムはフェイトにレヴィの撃破を指示。あえてフェイトひとりに追わせたのも、瞬時にレヴィの性格を判断したからだろう。
『遊んでやれ、テスタロッサ』
フェイトがレヴィを引きつけているうちに、シグナム班でトゥルケーゼを沈める。この作戦は成功し、オールストン・シーを守ることができた。
あとはフェイトがレヴィを押さえるのみ。
真っ暗なプールを一瞥し、レヴィは物足りないとばかりに嘆息した。
「場所はいいけど、暗くてつまんないねー。よーし」
その手が青白い雷光を分散させる。
すると、瞬く間に一帯の照明が点灯を始めた。真夜中のプールが眩しいほどにライトアップされ、きらきらと光の波を揺らめかせる。
照明が端から順番に復旧したのではない。制御盤を介することなく、電流が必要な箇所へ必要なだけ配分され、球場めいた大きさのプール全体が同時に息を吹き返した。
管理局の魔導士であっても、電気系統を理解せずに同じ真似ができるわけではない。レヴィは、壊すときと同じ気軽さで、ここにあるものを生かすこともできるのだった。
「できた! どお、いいでしょ? キレイで楽しいー」
おどけるレヴィと対照的に、フェイトは怖気を感じてしまった。
電撃の魔法で照明を点けることは、決して簡単ではない。電力をジャストで調整し、また供給を安定させるためにも、相応の技術が要求される。
にもかかわらずレヴィは今、指を鳴らすくらいの感覚でそれをやってのけた。
「レヴィ……あなた、どこの子?」
レヴィはアームドデバイスを両手で掲げ、暢気に伸びをする。
「どこの子って……ボクは王様の家臣で、シュテルンのマブダチ」
キリエやイリスの名前は出てこなかった。
「王様がね? キミらをなるべく足止めして、できることならやっつけてこいってゆーから、ボクとシュテルンは頑張るの」
王様やシュテルンというのは、ヴィータ班が辛くも撃退し、はやてが交戦中の相手のことに違いない。
「王様っていうのは、キリエさんの関係者?」
「王様は王様だよ」
フェイトの怜悧な頭脳がひとつの推測を弾き出す。
(この子はキリエさん……ううん、イリスの指示で動いてるわけじゃないんだ)
そもそもレヴィたちは今回の襲撃にて突如、姿を現した。イリスが夜天の書を介して、何者かにフェイトたちの似姿を与えたのだろう。
そのレヴィが、イリスやキリエより『王様』を上に据えている。
つまり彼女らは呼び出されただけで、イリスたちに与する義理はないはず。
「ずっと眠ってて退屈だったからさあ。いい遊び相手が見つかって、ボクは結構ゴキゲンなんだ。遊んであげるから、掛かってこい!」
やる気満々のレヴィに対し、フェイトは一旦武器を降ろした。
「レヴィ……遊ぶのは、あとじゃだめ?」
「なんだよ。しつこいぞ」
彼女は今回の事情を知らない。そう確信し、説得を試みる。
「今、キリエさんを中心に大変な事件が起きてて、たくさんのひとが困ることになるかもしれない。私はそれを止めたい。だから、あとにして欲しいの」
「だめだってば。ボクはキミをやっつけろって命令されてるんだしー」
しかし相手に言葉は届いても、同意は得られない。
「だけど……」
「大体ひとが困るって言ったってぇ、ボクの知らないひとだし――ねっ!」
痺れを切らせたのか、レヴィはいきなり襲い掛かってきた。プールの水面をすれすれで滑空し、一対の翼のような水しぶきをあげる。
レヴィの動きには、管理局の訓練課程で教わるような予備動作がなかった。重心の置き方も、次に踏み込む足も、笑いながら思いつくたびに変わる。魔力量の大小なら測れた。速度もおおよそは読める。しかし、相手が何をしたいのかという一点だけが、いつまでも定まらない。
フェイトは正面から追わず、壁際へ回った。背後には厚い補強材が走る区画がある。レヴィの雷撃をそこへ誘えば、少なくとも展示窓の被害は抑えられる。自分が傷つく危険まで勘定に入れたうえでの選択だった。
「逃げてばっかじゃつまんないよ!」
「逃げてるんじゃない。場所を選んでるの!」
「同じじゃん!」
レヴィが笑った瞬間、フェイトはその杖の先を見た。帯電した空気に細い光が走る。前方へ放たれた弾丸より先に、壁の金具が青白く点滅した。狙いはフェイト自身ではない。電気の通りやすい金属部品を経由し、側面から回り込ませるつもりなのだ。
咄嗟に足を引く。雷はそこにいたはずの身体を掠め、背後の扉へ伝った。非常灯が瞬く間に消え、暗闇が広がる。
(今のは危なかった……)
ただ速いだけではない。レヴィは無邪気であるがゆえに、戦術としての合理性を意識せず、結果として厄介な攻撃を選ぶことがある。相手の意表を突くつもりさえなく意表を突いてくる。こういう相手は、定石を積み重ねた予測ほど裏切られやすい。
フェイトは廊下を横切り、崩れた案内板を飛び越えた。古い傷を思い出す余裕はない。それでも、かつて母親に褒められたい一心で飛んでいた自分の姿が、レヴィの笑顔に重なって離れなかった。
「くっ!」
かろうじてフェイトは奇襲をいなし、間合いを取りなおした。
(まさか初手で突っ込んでくるなんて……!)
魔導士同士の戦いは遠・中距離からの牽制で始まるパターンが多い。相手の射程や威力を把握しないうちに近づくのは、自殺行為だからだ。
ところがレヴィはセオリーなどお構いなしに、矢継ぎ早に特攻してくる。
「ほらほら! フェイトがボクと遊んでくんないとっ!」
破天荒な動きに基本の戦術で立ちまわっても、翻弄されるだけ――そう判断し、フェイトからも積極的に打って出た。戦うと決めたからには、迷いは捨てる。
「そーらあっ!」
レヴィの雷光弾が降り注いだ。
雷光は水面へ触れるたび、青白い枝を四方へ張り巡らせた。プールサイドの照明が明滅し、観客席の手摺から火花が跳ぶ。フェイトはその一つを弾き、弾かれた魔弾が上空へ逃れる軌道を確かめてから次を捌いた。
この場所には客はいない。それでも、砕け散ったガラスの向こうには今なお避難を続ける人々がいる。レヴィが彼らに気づかないまま力を振るうなら、こちらが気づいていなければならない。
その弾幕の薄いところを見極め、フェイトはあえて突撃。それを読んでいたらしいレヴィが、頭上からアームドデバイスを振り降ろしてくる。
「もらった!」
「まだだよ、レヴィ!」
しかしフェイトは動じず、宙返りで軌道を変えた。身体を寸止めにすることで、レヴィの空振りを誘いつつ、垂直に一回転分のまわし蹴りを放つ。
「おわっ?」
その攻撃さえ、おそらくレヴィは直感で読みきった。アームドデバイスを軸にして水平に旋回し、鋭い蹴りをお返し。
互いの靴底が擦れた瞬間、二人の姿は水面すれすれまで落ちた。フェイトは膝を畳み、跳ね返された力を利用して横へ滑る。反対にレヴィは、重力など知らないとでもいうように上体を起こした。そのまま空中で足を蹴り上げ、宙返りの勢いを加えた二撃目を放つ。
フェイトは腕で受けた。防御魔法が薄い光を散らし、痺れるような衝撃が肩まで抜けていく。
「やるじゃん!」
レヴィは嬉しそうだった。自分が相手を追い詰めたことよりも、相手が逃げずに応じてくれたことが嬉しいらしい。
フェイトは床へ片足をつき、すぐに身を離した。追撃はしない。ここで杖を振れば、レヴィを押し返すことはできる。ただその先には、ひび割れた大型水槽があった。
「なんで止めるの?」
「その後ろに水槽があるから」
「なら、壊さないように撃てばいいじゃん」
「……そう簡単にはいかないよ」
「えー。フェイトって、難しいことばっか考えるんだね」
簡単でないことを、簡単だと言えない。フェイトは小さく息を吐いた。レヴィの屈託のない発言を責めたいのではなく、自分がそれをわかるように説明できないのが悔しかった。
レヴィにとって、目の前にいる相手以外は背景に過ぎない。それは彼女が生まれたばかりで、まだ世界に触れた時間が短いからかもしれない。だが、生まれたばかりであることが、他人を傷つけていい理由にもならない。
あの子が何かを学べるとしたら、その最初の一歩を教えるのは、今ここにいる自分なのかもしれなかった。
フェイトは前へ踏み出した。今度は逃げるためではなく、レヴィの目を正面から見て話すために。
「そうはさせない!」
「こっちの台詞だってば!」
ふたりして間合いを離しながら、同じ数の魔弾をばらまく。
相殺が生じた。フェイトはマントを盾代わりにして、爆風を凌ぐ。
フェイトと実力が伯仲しているとわかり、レヴィは愉快そうに歯を光らせた。
「やっるぅ! フェイトを相手に選んで正解だったね、こりゃ」
一方で、フェイトの胸には後悔が去来する。
「レヴィ、さっきの話。知らないひとのことは関係ないって、言ったよね?」
「んー? そうだっけ?」
上空を舞うレヴィを追いながら、フェイトは続けた。
「今は知らないひとでも、いつかレヴィと出会うかもしれない。大切なひとになったりするかもしれないよ?」
「ほお……その発想はなかった」
出まかせを言っているのではない。フェイト自身、これを経験している。
プレシア=テスタロッサ事件では高町なのはと衝突し、幾度となく死闘を繰り広げた。あの時は彼女が無二の親友になるなど、夢にも思わずに。
レヴィは腕組みのポーズでうんうんと頷く。
「大切なひとが困るのは、困るねえ」
初めて説得が通じた。フェイトは間合いを保ちつつ、一気にまくし立てる。
「そう。ひとに迷惑をかけたり、ものを壊したりするのは悪いことなの。たとえそれが命令されたことでも――」
「んんっ? ちょい、ちょい待ち、フェイト」
そのつもりが、レヴィは俄かに機嫌を悪くした。
変化は表情より先に、魔力の流れに現れた。
それまで弾むように散っていた雷が、杖の周りへ渦を巻き始める。空気が痺れ、濡れた床に散った水滴が細かく跳ねた。レヴィは唇を尖らせ、子どものように頬を膨らませる。怒っているというより、ひどく理不尽なことを言われたと信じている顔だった。
フェイトはその理由を探した。今の言葉のどこが傷つけたのだろう。誰かを大切にするという話に、間違ったところがあっただろうか。
答えは、すぐには出なかった。
大切な相手のために戦うことと、その相手が望むなら誰を傷つけてもよいことを、レヴィはまだ別々に考えられない。王を守りたいという願いは本物だ。その純粋さを否定されたように感じたのだろう。
フェイトはプレシアの名前を胸の内で呼んだ。
あのとき、誰かが母親のことを悪く言えば、きっと自分も怒った。母親の命令が間違っていると指摘されても、耳を塞いで戦おうとした。相手の言葉を聞くことが、自分の願いまで否定することに思えたから。
同じことを繰り返したくない。
「違うんだよ、レヴィ」
声が届く前に、雷の圧力が増した。濡れた床が一斉に光り、空中の機械が細かな火花を散らした。
レヴィはもう笑っていなかった。
フェイトはようやく、自分が今まさに失いかけているものの名前を知った。戦いの勝ち負けではない。言葉が届くかもしれないという、小さな可能性だった。
「それってさあ、ボクの王様が悪いひとだって言ってるの?」
フェイトは息を呑んだ。
何かを守ろうとする気持ちまで、否定したかったわけではない。むしろ、それが分かると思ったから話し掛けたのだ。けれどレヴィには、他人のための言葉が自分の大切な王への侮辱として届いてしまった。二人の間にあった、会話が続いているという小さな安心が、音もなく砕けていく。
「いや、ちが……」
「王様はさ、ボクをいい子だって言ってくれた。ご飯もおやつもくれたし、うんと優しくしてくれた。一緒に眠ってくれた」
感謝と信頼の言葉が、むしろ純粋な怒りを滲ませる。
「ボクが世界中でたったひとり、このひとについていくって決めたひとだ。その王様を悪いひとだとか言うやつは……ボクがこの手で、ブチ転がすっ!」
レヴィの周囲で稲妻が散った。フェイトに似た顔立ちに憤怒を浮かべ、アームドデバイスに力を込める。
「レヴィ、待って! 違うの……そうじゃない!」
「違わないっ! 王様をディスるやつは、悪いやつだ! ボクはそれくらいシンプルでいいって、シュテルンが言ってくれたもんね」
次の瞬間、レヴィが加速した。うろたえるフェイトの背後にまわり、雷光弾を放つ。
説得に意識が向いていたせいで、対応が遅れた。フェイトは振り向きざまに障壁を張るも、姿勢の制御まで間に合わず、その反動で弾き飛ばされる。
手持ちの武器が愛用のバルディッシュではないために、勘も鈍った。防御の一回ごとにコンマ単位でズレが生じ、どんどん追いきれなくなる。
そのせいで説得の言葉も、劣勢ゆえの言い訳みたいになってしまった。
「レヴィ! 私は」
「うっさい!」
神経を逆撫でされたかのように、レヴィは激昂。プールの上空で魔力を高め、得意の雷光を荒々しくスパークさせる。
レヴィのアームドデバイスが二股の大剣となった。
それが伸び、さらに伸び、十メートルもの長さに達する。
(砲撃用のフォーム……じゃない! あれで私を斬るつもり?)
レヴィの剣を仰ぎ、フェイトは慄然とした。
二本の刃は、その狭間に稲妻のエネルギーを充填、限界ぎりぎりまで膨張させる。少しでも調整を誤れば、自爆は必至だ。
それをレヴィは躊躇いなしにオーバーヒートさせた。
「いいから黙って、やっつけられろォ!」
今すぐ動けば、回避はできる。
しかしあれが直撃しようものなら、オールストン・シーは――。
(守るしかない!)
そこまでレヴィは計算していないだろう。激情のまま眼下のフェイトに狙いをつけ、巨大な剣を、両手の支点だけで強引に振りかぶる。
まさに落雷だった。
広がった光は剣の形を保っていても、実際には剣の長さをはるかに超える威力を持っていた。水面に落ちれば蒸気が一気に膨らみ、上階のガラスまで押し破る。いったんこの高さで解き放たれたものを、後から追って止める術はない。
フェイトは身を引く代わりに、その進路へ立った。防げると確信したからではなかった。ほかに立つ人がいないからだ。
「双破極光斬! どっせ~い!」
怒涛の雷撃が夜空を切り裂き、プールのど真中に命中。
ひっくり返るように水柱が溢れ、蒸発する。
「ふー、すっきりした」
レヴィはアームドデバイスを元のサイズに戻すと、しれっと肩を竦めた。水蒸気が濃霧となって垂れ込める中、かくれんぼくらいのノリでフェイトを探す。
「フェイト、どこー? 死んじゃったー?」
フェイトはプールサイドに打ちあげられ、横たわっていた。スペアのアームドデバイスは手を離れ、数メートル先で転がっている。
「あ。まだ生きてる」
レヴィは一瞬、安堵の色を浮かべるも、かぶりを振って自分に言い聞かせた。
「……いやいやっ! 王様のため、シュテルンのため、とどめをね」
彼女のアームドデバイスがエネルギーを刃に変える。
その間もフェイトは動かない。
「そんじゃあ、ばいばい。フェイト」
遊び終わった相手に凶刃が振りおろされる。
フェイトは霞む視界の中で、かすかに声を聞いた。今まで何度も、誰かの命令を果たすために傷ついてきた。その時に最も怖かったのは痛みではない。役に立てなくなった自分は、もう必要とされないのではないかということだった。
今は違う。目を閉じる直前、彼女が思い浮かべたのは、心配そうに自分を呼ぶ声だった。
と思いきや、レヴィはバインドの魔法で拘束されてしまった。
「ん? え……何これ?」
レヴィの力でも簡単には引き千切れず、完全に動きを封じられる。
意識を取り戻した時、フェイトは見覚えのある人物に抱きかかえられていた。
「よかった。無事ね」
「リンディさん……ど、どうして……」
間一髪でリンディが助けてくれたらしい。しかしレヴィにバインドを仕掛けるだけで精一杯だったのか、フェイトの代わりに背中を刺されている。
それは、本当に瞬きほどの出来事だった。
剣先が背後から迫り、フェイトが気配に振り向く。その瞬間にはもう、身体を移しても間に合わない距離まで刃が来ていた。何か柔らかなものが彼女の肩を押し、見慣れた薄緑色の魔力光が視界を遮った。次いで耳に届いたのは、硬い物と硬い物がぶつかる音ではなく、衣服と皮膚を裂く濁った音だった。
「……母さん?」
最初は、目の前にリンディがいるという事実を理解できなかった。どうしてここに。なぜ自分より前に出たのか。なぜ今、彼女の肩越しに赤いものが飛んだのか。
問いがいくつも生まれ、そのどれより早く恐怖が喉を塞いだ。
以前のフェイトにとって、母親とは追いかけても追いつけない存在だった。遠くにいて、呼んでも振り向かず、振り向いても求めた言葉をくれない。それでも追いかけるしかなかった。愛してほしいと願う以外に、自分の価値を確かめる方法を知らなかったから。
ところが今、母親は自分の手前に立っていた。
待ってもいないのに迎えに来て、呼んでもいないのに盾となり、傷ついてなお娘の安否を先に確かめようとしている。
「フェイト。怪我はない?」
そんな質問が、今ここで口から出てくることが信じられなかった。
リンディの声は少し掠れていた。痛みを堪えている。声の震えを隠そうとしている。それでも、娘が返事をするまで目を離さない。
「どうして……」
「どうしてって、あなたが危なかったからよ」
当たり前のことを、当たり前として言う。それはフェイトが長いあいだ知らずにいた家族の仕組みだった。
にもかかわらず、リンディは穏やかに微笑んだ。
「ちょっと失敗しちゃったわね」
「どうしてこんな無茶を!」
リンディのバリアジャケットに血が滲んでいた。魔法で塞いだはずの傷口から、動くたびに赤いものが覗く。フェイトが何か言おうとするたび、リンディは「大丈夫」と繰り返した。かつて自分がなのはたちへ向けていた言葉だった。
それが受け取る側にとって、こんなにも頼りなく、こんなにも大切な響きを持つとは知らなかった。
フェイトはリンディを責めたいのか、謝りたいのかわからず、混乱する。
身を挺して誰かを庇う――それならできる自信はあった。しかし『誰かに庇われる』など、考えたこともない。リンディの怪我をまるで自分のせいのように感じる。
リンディは健気な笑みを絶やさなかった。
「大切なひとが危ない目に遭ってるのを、帰ってこなくなっちゃうのを……黙って見てるなんて、嫌だもの」
彼女もまた過去の事件で最愛の夫を亡くしている。
だから、理不尽な形で失うことの辛さを、悔しさを知っている。
「なのに置いていかれて……あなたもひとりぼっちで、心細かったでしょう?」
フェイトは首を横に振った。
「違うよ。私……ひとりじゃなかったよ」
しきりに声を震わせながら、ずっと自信の持てなかった気持ちを吐露する。
プレシア母さんに生み出してもらって、
アルフと一緒にリニスに育ててもらって……。
アリシアお姉ちゃんも、ちゃんと私の中にいる。
今だって、こんなに優しい家族と、たくさんの友達に囲まれてる。
ほらね、母さん。
私は一度もひとりぼっちになったことはないんだ――。
自分にはいつもたくさんの『愛』が向けられていた。
プレシア=テスタロッサがフェイトを作り出したのも、娘に愛があってのこと。お目付け役のリニスは最期までフェイトを案じ、アルフは今も傍にいる。
小学校に通うようになって、友達も増えた。なのは、アリサ、すずか。
時空管理局に所属し、はやてたち八神家の面々や、ユーノ、エイミィ、あまり兄らしくないクロノと一緒に、充実の日々を過ごしている。
すれ違うことはあった。
母プレシアと、一度はなのはとも。
それでも自分はたくさんの優しい『愛』に囲まれている。
そのことを今、目の前の母親に教えられた。
本当の親子ではない、それ以前に自分は普通の子どもですらない。そのせいで臆病になり、寂しさを断ち切れずにいるフェイトを、抱き締めてくれる存在がいる――と。
育ての親代わりのリニスも、そうだった。
『大丈夫。フェイト、あなたは優しくて強い子ですから』
(私の胸は空っぽなんかじゃない……そうだよね、リニス? 母さん、アリシアも……)
この胸には愛がある。
大切なひとを思い、受け入れるための、無限の気持ちがある。
フェイトはバリアジャケットのマントを外し、リンディの背中に被せた。
「あの子を止めてくるね。行ってきます、母さん」
「フェイト……」
やっと、このひとを『母さん』と呼べた気がする。
このひとの愛の深さに触れた気がする。
「これを使って。バルディッシュよ」
「ありがとう」
虎の子のバルディッシュもフェイトの手に戻ってきた。
レヴィはバインドの拘束から逃れ、ぶんぶんと腕を振りまわす。
「おっし! 取れた~」
リンディを傷つけられたからといって、レヴィに怒りはなかった。自分でも不思議なくらいに心が落ち着いている。
「ごめんね、お待たせ」
「別に待ってないし……ってぇ、そもそもなんだよ? 卑怯者。仲間の助けを借りるなんてズルっこいぞ」
「レヴィもロボット使ってたし、おあいこ」
レヴィはリンディに視線を向け、つぶらな瞳を瞬かせた。
「あれ、フェイトのお母さん?」
「うん。私のお母さん」
誰かに母親を紹介するのは初めてで、戦闘中なのにこそばゆい。
「子どものケンカに親を呼ぶとは、ますます卑怯な。ボクが成敗してやる」
子どもであることを自覚しているらしいレヴィの素っ頓狂な言動も、フェイトを楽しませてくれた。おかげで、自然と優しい笑みが零れる。
「さっきも言ったよね? レヴィ。今は知らないひとでも、いつか大切なひとになったりするかもしれないって。二年前まで、私はあのひとの顔も名前も知らなかった」
「……ん? どっかの誰かさん、だったってこと?」
「うん。でも出会って、家族になった。今ではとても大切なひと」
誰かを大切だと思える――そのことが嬉しかった。
自分はひとりではない。もうひとりだとは思わない。そしてこれからは、別の誰かを囲む『みんなのひとり』でありたかった。
「レヴィとお話するの、楽しいな。あとのふたりは、王様と……シュテルン?」
「あー、それはボクだけが呼んでいいあだ名。シュテルンはシュテル」
気まぐれなレヴィはへそを曲げる。
「シュテル、だね。みんなで一緒にお話ししたいな」
「無理だね。なぜならここで、ボクがキミをブチ転がすからだっ」
「そうならないように頑張るよ」
フェイトがバルディッシュを構えると、金色の電流が走った。
「力を貸して、バルディッシュ。全力で行く」
『Yes, Sir !』
レヴィを倒すのではなく、愛するために。
水の半分ほどが蒸発したプールの上で、再びふたりの魔導士が激突する。
レヴィの雷光弾を、フェイトは一閃のもとに引き裂いた。バルディッシュが大鎌となって、アクロバティックなフェイトの動きに円形の斬撃を織り交ぜる。
「わわっ、速くなった? マントを外したくらいで?」
「もっと速くなるよ。バルディッシュ!」
『sonic form !』
フェイトのバリアジャケットがフォームを変えた。黒い水着に金具を嵌め込んだようなデザインとなり、うら若い身体の線を露にする。
さらにフェイトはバルディッシュを二本のブレードに分け、両手に携えた。
「キリエさんの武器を参考に、ね」
レヴィの眼前を一条の光芒が横切る。
「へっ?」
群青色の夜空を、金色の流星が変幻自在に飛びまわった。
前の閃光が消えないうちに、次の閃光が現れ、みるみる数を増やしていく。
「ウソぉ? ど、どんだけ速いんだよ、お前!」
視界のすべてを光の網に掛けられながら、レヴィはたじろいだ。
フェイトの瞬間的なスピードは、アミティエのアクセラレイターにも匹敵する。それほどの力を、フェイトは苦もなく発揮していた。
(そっか……そうだったんだ)
以前のなのはは、自分と同じ魔導士だった。高出力の砲撃を操り、何度倒れても立ち上がる友達だった。今はもう違う。小尾が施した術式によって人間の魔導から遠ざかり、〈封解主〉という、人が使う魔法では測れない力を手にしている。
なのはが変わっても、失わなかったものがある。それは、どんな力を持つかではなく、何のためにその力を使うかを自分で選び続ける心だ。
フェイトにとって、その答えは今も同じだった。
想いの強さが魔法となる――心が奇跡を起こす。
飛翔するフェイトを追って、ブロンドの髪が優雅に靡いた。
甲高い金属音がレヴィを掠める。
「ひゃあっ?」
一気呵成に連撃が始まった。レヴィは慌てて防壁を張るものの、まるで荒波に浚われたボールのように翻弄される。
右、左、下、前、上、後ろ。あらゆる方向から奇襲が入った。
レヴィは反撃もままならず、逆さまになって目をまわす。
「ちょっ、ストップ! 待って待って、待って!」
さらに、その両手両足にバインドの魔法が合わさった。フェイトの連撃はダメージではなく、これを狙ってのもの。
「また縛るやつ? これ嫌いぃ!」
もがくレヴィの真正面へフェイトが降りてきた。
「行くよ。レヴィ」
「い、行くって……エエッ?」
二本のブレードが一本の、極端な大きさの剣となる。
先ほどのレヴィの剣と同じ長さで、全長は優に十メートルを超えた。
「受けてみて。私とバルディッシュの全力全開」
それを力いっぱいに振りあげ、ありったけの魔力を込める。
そして。
「はあああぁああああーッ!」
大気が震撼した。
身動きできないレヴィに目掛け、巨大なザンバーが前のめりに突っ込む。
「う~~そ~~~っ!」
今までにない手応えだった。
『you did it!』
「ふふっ、ありがとう。バルディッシュ」
清々しい気持ちでフェイトは夏の夜風を満喫する。
目的のための手段として力を行使したのではなかった。高揚する心に呼応して、自然と力が沸きあがってきたかのような、新しい感覚。
(これが……私の魔法なんだ)
この力を完璧にコントロールできれば、キリエのシステムオルタに後れを取ることもないだろう。ふとシグナムの言葉を思い出す。
『その手の武器が肌に合わないのなら、魔法のみで突き詰める方法を模索すればいい。だがな、テスタロッサ。必要なのは、相手を制する技術と力だ』
『敵を弑するも、制するも、すべては使用する者の技量と性根次第。相手を傷つけるのが怖いからと言っていては、逆に助けるチャンスを失うことになるぞ』
従来の魔法であれ、物理兵器であれ、戦いは自分の心で決めるもの。それを信念として胸に抱き、フェイトは相棒のバルディッシュに誓った。
「やっぱり私はこれからも魔法一本で頑張るよ。よろしくね、バルディッシュ」
『me too』
それからプールサイドへ降り、失神中のレヴィを回収する。
「きゅう……」
その頃にはリンディも背中の傷に処置を終えていた。
「お疲れ様。さっきアルフを呼んだから、すぐに来てくれるはずよ。その子は?」
「気絶してるだけ。母さんのほうこそ怪我はどう?」
「もう平気よ。でも一応、あとでユーノ君かシャマルさんに診てもらうから」
ここは静かなものだが、東京湾では今なお戦闘が続いているはず。
「みんなを助けないと」
「ええ。私もサポートにまわるわ」
フェイトはリンディからマントを受け取り、バリアジャケットのフォームを戻した。
「はやてさんはまだまだ経験が浅いし、なのはさんは何かと無茶をするから……ふたりのこと、お願いね。フェイト」
「うん。じゃあ、また行ってきます。母さん」
レヴィをリンディに預け、戦場の夜空へ飛び立つ。
最後にもう一度、水族館を見渡した。床に散った破片を避け、救護班が走っていく。水がなくなりかけた展示槽には応急の循環装置が取り付けられ、さっきまで息苦しそうに泳いでいた魚が、少しずつ深い場所へ戻っていた。
館内を守りきれたわけではない。壊れた場所も、傷ついた生き物もいる。けれど、守りたいものを一つずつ確かめて、守れたものも確かにあった。
フェイトはそれを見届けてから、夜の空気へ身を投じた。海風が湿った髪を払い、背中のマントが大きく張る。遠方にはまだ赤い警戒光が点り、東京湾の中心で幾筋もの魔力反応が交錯していた。
終わってはいない。むしろ、これからが本番になるのだろう。だから、戻らなければならない。
フェイトは母親の手の温かさを、短い時間だけ思い出した。あれは守られてよかったという安堵だけではなかった。自分も誰かを守りたいと思う気持ちを、もう一度思い出させてくれた温かさだった。
飛び去る直前、フェイトは一度だけ背後を見た。
リンディは眠っているレヴィのそばに膝をつき、傷の具合を確かめていた。さっきまで自分たちを殺そうとしていた少女にも、母は同じ顔を向ける。
それを見て、フェイトはようやく微笑むことができた。レヴィが目覚めたら、次は話の続きをしよう。そう思えること自体が、以前の自分には考えられない贅沢だった。