「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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ユーリ!ユーリ!ユーリ!

 

 真夜中の東京湾――その遥か上空にて。

 今、一輪の花が開こうとしていた。

 見慣れない異形の『それ』を目の当たりにして、八神はやては息を飲む。

 

(なんや、あれは……私らの甲冑に似とるけど)

 

 高純度の魔力が結晶化したものだろうか。

 

 ただ、観測値は天文学的な数値にまで達している。管理局の測定器には大きな誤差が生じていた。あれがどのような力で出来ているのか、はやてにもまだ判断できない。それを包囲する時空管理局の局員たちも、プレッシャーのせいか二の句を告げない。

 

 今回の事件の首謀者らしい少女が、包囲網の真中で悠々とおさげを波打たせた。

 イリス。先ほどまでキリエ=フローリアンのサポートに徹していたはずの人工知能が、肉体を有し、永遠結晶とともに上空にある。

 

「やっと会えたわね。ユーリ」

 

 ついに『花』が開いた。

 その中から、いたいけな風貌の少女が解放される。

 ブロンドの髪を背丈ほどに従えた、不思議な女の子だった。成り行きで包囲に加わるディアーチェが、その名を反芻する。

 

「ユーリ? ……どこかで」

 

 そんなディアーチェを一瞥しつつ、イリスは淡々と少女に言い聞かせた。

 

「あんた専用のウイルスコードを打ち込んである。すべてはあたしの思い通りに」

 

 突然、イリスの拳がユーリの頬を殴りつける。

 

「あうっ!」

 

 か弱い呻きが漏れた。

 

(あかん! 早く助けな――)

 

 反射的にはやては動きかけるも、イリスの剣幕にぎくりとする。

 

「抵抗は不可能。これは復讐よ」

 

 イリスはユーリの前髪を乱暴に掴みあげると、憎悪の表情を深めた。

 

「あたしはあんたからすべてを奪う。あんたがあたしにそうしたように」

 

「イ、イリス……うっ?」

 

 イリスの瞳を赤い文字列が流れていく。

 それに呼応してか、ユーリのつぶらな瞳にも同じものが流れる。ユーリはうなだれ、再び顔をあげた時には人間らしい表情を失っていた。

 

「か、確保!」

 

 包囲網の局員が俄かに行動を始める。

 

「近づいたらあかん! 下がって!」

 

「チッ! 愚か者どもめ」

 

 はやてとディアーチェが距離を取るのと入れ違いになった。

 

 クロノ支局長は、先ほどの戦闘で重傷を負い戦線を離脱していた。救護へ運ばれる間際まで指示を出し続けていたが、今この場で局員たちを押しとどめる者がいない。四方八方からターゲットに迫り、照準を重ねる。

 

 にもかかわらず、イリスは平然と吐き捨てた。

 

「まずは邪魔者の片付け。手伝ってもらうわ」

 

「――!」

 

 ユーリの小さな身体がどくんと跳ねる。

 一瞬、得体の知れない魔力がはやての五感を通り過ぎていった。

 

(今のは……?)

 

 異様に不快な感触だ。ディアーチェも同じものを感じたのか、表情を強張らせる。

 しかし局員たちの反応はそれだけではなかった。

 

「うぐっ? ウ、ウァア……!」

 

 今にも吐きそうな形相でもがき、全身を痙攣させる。

 と思いきや、彼らはどす黒い『枝』のようなもので体内から貫かれてしまった。まるでモズのはやにえのように、串刺しの恰好で次々と落下していく。

 

 イリスは酷薄に笑った。

 

「生命力を結晶化して奪い取るのが、この子の力のひとつ。近づくだけで皆殺しよ」

 

 その左手が指を集めるだけで、ユーリの四肢に枷が嵌まる。

 

「意志も力も自由にさせない。さあ……大切な命も、無関係な命も」

 

 イリスの声が殺意を含めた。

 

「すべてを殺して、誰もいなくなった世界で泣き叫びなさい」

 

 そこへ無事だった面子が駆けつける。

 

「止めるぞ!」

 

「はい!」

 

 剣の騎士シグナムとフェイト=テスタロッサの乱入だ。

 

「シグナム! 用心しいや!」

 

「承知のうえです!」

 

 シグナムであれば、はやてに制する理由はなかった。夜天の書の守護騎士を束ねるシグナムには、はやても絶大な信頼を寄せている。

 後続のフェイトも顔つきが変わっていた。相棒のバルディッシュを携え、シグナムとともに新たな『敵』に狙いをつける。

 

「これなら!」

 

 近づかなくても――と、フェイトが魔導砲を放った。

 

「はあああッ!」

 

 同じタイミングでシグナムもレヴァンティンに炎の矢を番え、狙い撃つ。

 はやての目にも完璧なコンビネーションだった。爆炎がユーリとイリスを包み込む。

 

(やったんか……?)

 

 その黒煙が千切れるように晴れた。

 特大の光弾が猛然と飛び出してくる。あまりにも速い。

 

「し、しま……っ」

 

 ミドルレンジで攻撃の直後にあったフェイトたちでは、対応が間に合わなかった。ところが、激突の寸前でベルカ式のシールドが割り込む。

 ディアーチェは腕組みのポーズのまま、ユーリの光弾を弾き返した。

 

「ふん」

 

 シグナムは呆気に取られる。

 

「お前が助けてくれるとは……」

 

「ほらね、シグナム。やっぱり悪い子じゃない」

 

 フェイトは微笑むと、改めてディアーチェの隣で構えた。はやてとシグナムもディアーチェを陣形の一角としつつ、イリスたちと対峙する。

 イリスが苛立ちを滲ませた。

 

「こんなものじゃないでしょ? あんたの力は。蹴散らしなさい」

 

 ユーリの瞼の裏にウイルスコードが走る。

 

「うあああっ!」

 

 苦悶するユーリの小さな身体に、黒い影の群れがまとわりついた。それが腕を、脚を、首を絞めあげ、命令を強制する。

 

『了解』

 

 またもユーリの表情が感情を失った。

 眼下の海が大きな渦を巻く。

 

「――ッ!」

 

 反射的にはやては〈天翼〉を展開した。

 背後のメタトロンから細長い光の端末が次々と分離し、重なり合って翼を形作る。

 その翼が、はやての身体を斜め上方へと押し上げた。

 

 荒れる波間から夥しい数の『枝』が伸びてくる。生命力をダイレクトに奪い取るらしいエナジードレインが、上空の広範囲を一挙に網に掛けた。

 残る局員も近づけず、包囲網は瓦解する。

 

「こいつに触れるなよ、羽虫ども!」

 

「そ、そうは言うても……!」

 

 ディアーチェは自前のシールドで遮断できる一方、フェイトやシグナムは回避に専念するほかなかった。これは単純な攻撃魔法ではない。

 

 はやての背後では〈光剣〉となったメタトロンの端末が散開し、落下する局員と枝の間に細い光線を差し込む。狙うのは人間ではなく枝の基部だけ。切断された枝は霧散したが、別の枝がすぐに伸びてきた。光線を太くすれば巻き込まれる局員まで貫いてしまう。

 

『解析できました、主はやて。これは……治癒魔法の術式を反転させたような構造です』

 

 その報告は、常時融合している初代リインフォースから、はやての意識へだけ届けられた。外に声は漏れていない。

 

「なんやてっ?」

 

 はやては耳を疑った。

 怪我を治すための魔法が、生命力を食い荒らそうとする。

 

「主はやて! この力は危険です!」

 

 シグナムが叫ぶ。

 

「その通りや! 王様、もっと大きいシールド張ってくれへん?」

 

 ただ、ディアーチェだけは防御で凌いでいた。

 

「私もお願い」

 

「貴様らの面倒まで見てられるかっ!」

 

 シグナムとフェイトもディアーチェの後方へ下がり、猛攻が止むのを待つ。

 その最中、イリスの背後を取る者がいた。

 

イリスはわざとらしく暢気な調子で、肩越しに振り向く。

 

「驚いたあ……そっか。フォーミュラスーツのおかげでユーリの影響を受けにくいのね」

 

 イリスに銃口を向けるのはキリエだった。

 信じられない。信じたくない。それでも現実を直視しなければならず、キリエは悲痛な葛藤を浮かべる。

 

「イリス。わたしは……」

 

 はっきりと問いただしてやるつもりだった。

 しかしイリスを目の前にしたことで、心が挫けそうになる。声が言葉にならない。

 銃口が震える。

 

「わたしは」

 

「どうする? 撃ってみる?」

 

 対するイリスはまるでゲームのように言ってのけた。

 

「だけどもし撃ったら、死ぬより酷い目に遭わせる。あんたのパパとママとお姉ちゃんにも同じことをする。それでもいいの?」

 

 残酷な宣告がキリエを竦ませる。

 この瞬間まで自分は彼女を信じていた。『どこかの誰か』呼ばわりで捨てられたのも、何かの間違いだと思いたかった。

 しかし過酷な『現実』は繰り返される。

 

「あんたは結局、何も変わってない。私がいなきゃ何もできない」

 

 ほかの誰でもないイリスの言葉だからこそ、心の弱い部分を抉り出された。

 

「自分じゃ何も決断できない」

 

「ち、ちが……」

 

「弱くて、泣き虫で、冴えない子」

 

 どれもキリエ自身が思っていたことばかり。

 

「違う……違う、違う! わたしは」

 

「現実は絵本とは違うの」

 

 子どもの頃あんなに大好きだったおとぎ話までもが、キリエを否定する。

 

「ひとりじゃ何もできない女の子は、大人になってもそのままだし、どんな夢も叶う不思議な指輪なんて絵空事」

 

 憧れることさえ許されないのか――。

 だったら、病床の父を救えると信じたことも。

 故郷のエルトリアを死の縁から蘇らせたいと願ったことも。

 

「願いは叶わないし、悲しい物語は悲しいまま終わる」

 

 色褪せた故郷の痛々しい有様が、キリエの脳裏に広がっていく。

 

「だからあなたには引けないわ。そのトリガーを」

 

「う……あぁ」

 

 もとよりイリスを撃てるはずがなかった。最後の力を振り絞っての虚勢を、あっさりと見抜かれる。

 大粒の涙を流しながら、キリエは銃を降ろした。

 次の瞬間、別の誰かがイリスを撃つ。

 

「っ!」

 

 障壁で弾けたものの、イリスの頬に一筋の傷が入った。赤い血が流れる。

 

「あなたはそうやって、色んなことを諦めてきたんですね」

 

 アミティエは鋭い視線でイリスを見据え、さらに銃口を突きつけた。

 

「だとしたら可哀相です。あなたはとても」

 

「お、お姉ちゃん……」

 

 キリエの瞳が涙で揺れる。

 イリスが頬の傷を撫で、逆上した。

 

「正義の味方のご登場? しつっこいわね……ユーリ!」

 

 ユーリが向きを変えるや、アミティエとキリエに目掛けて大出力の魔導砲を放つ。

 その前へ、一枚の薄い桃色が滑り込んだ。

 光で作られた壁ではない。巨大な鍵の先端が虚空に差し込まれ、二人に命中するはずだった砲撃の行き先そのものが、別の場所へと開かれたのだ。

 

 砲撃はアミティエたちの目前で途切れ、はるか沖合の、誰もいない高空へ現れた。だがそこは安全な廃棄場所ではなかった。空間の出口から押し出された熱が、周囲の雲を一瞬で吹き散らす。

 

 なのはは鍵を返し、出口をさらに上方へ移した。

 暴れる光の尾が細く引き延ばされ、ようやく夜の彼方で弾けた。

 

「……!」

 

 キリエも、アミティエも、思わず見惚れた。

 ピンク色の輝きがきらきらと舞い散り、夜空を照らす。

 無骨な攻撃とは思えない幻想的な光景だ。子どもの頃に読んだ絵本でも、魔法使いがこんな奇跡を起こしていた気がする。

 

 初めてイリスが動揺した。

 

「この力、あの武装……高町なのは? そんな記録は……!」

 

 管理局の魔導師なら、砲撃には砲撃を。イリスが把握していたなのはの戦い方もそうだった。

 ところが目の前にあるのはバリアジャケットでも、デバイスでもない。淡い桃色の霊装。星雲の光を宿した濃紺の外套。白銀の脚甲と幾何学的な光輪。そして、右手に握られた巨大な鍵。

 

 そのどれもがイリスの把握していたデータと一致しなかった。

 鍵を少し下げながら、高町なのはが警告した。

 

「イリスさん、私たちと来てください」

 

 はやてとフェイト、シグナムもフォーメーションに加わる。

 

「ええタイミングやったよ。なのはちゃん」

 

「えへへ」

 

 はやてたちには今ひとつ事情が飲み込めておらず、ディアーチェも戸惑っていた。しかしなのはが砲撃の行き先を変えたことで、積極的な行動を触発されたらしい。

 

 フェイトが前に出て、説得を続ける。

 

「困ってることがあるなら、きっと力になりますから」

 

 一方のイリスは舌打ちした。

 

「ユーリ」

 

「あっ、あぁ……ああああっ?」

 

 ユーリの瞳を真っ赤なウイルスコードが駆けあがっていく。

 イリスの怒号が弾けた。

 

「困ってることも力になって欲しいこともないッ!」

 

 ユーリを中心に暴風が吹き荒れる。

 

「あたしは離脱する。危険度の高い順に排除して」

 

「待って! イリ――」

 

『命令受領。排除行動開始』

 

 聞き慣れない言語が一同の耳朶を打った。

 はやてがぎくりとする。

 

「ベルカ語?」

 

『機鎧起動』

 

 その間にもユーリは武装を切り替え、巨大なアームユニットを展開した。

 

「ユーリちゃん!」

 

『排除開始』

 

 なのはの声も届かず、オールレンジの砲撃を始める。

 

 フェイトとシグナムが障壁を展開しつつ、フォーメーションを広げた。なのはは砲撃の進路へ小さな空間の入口を幾重にも開き、一発ずつ通り道を変えていく。防御ではなく退避。相手に撃ち返せばユーリ自身を傷つけかねず、逃がす先を誤れば地上が焼ける。

 

 その隙にイリスは離脱するも、ユーリの弾幕に阻まれてしまい、追うに追えない。

 

「私らで囲むで! シグナム、手伝ってや!」

 

「了解です!」

 

 はやてとシグナムは右へ、フェイトは左へ。

 

「ディアーチェ、よね? あなたも」

 

「我に指図するでない!」

 

 ディアーチェはあくまで動かず、戦いを静観する。

 なのははさらに高度をあげ、ユーリの背後へ小さな通路を開いた。しかし出口が定まるより早く、ユーリは弾幕で周囲の空間を埋めていく。転移先の安全が確保できない。

 

 不用意に接近してはエナジードレインに巻き込まれるため、フェイトやシグナムはロングレンジからの射撃に徹するほかなかった。

 はやての〈光剣〉が先まわりし、ユーリの飛行を妨げる。細い端末を散開させ、その先から幾筋もの光線を放つ。ユーリは軌道を変えたが、そこにも別の端末が待っていた。

 

「捕まえて、なのはちゃん!」

 

「うん!」

 

 多少なりともターゲットの速度が落ちた。弾幕の先でまた弾幕をかわし、S字の軌道を取る。防御のたびに踏ん張りもする。

 その背中をなのはは一直線に猛追した。足元の空間を繋ぎ替え、距離を一歩ずつ奪う。ただし出口を開きすぎれば、背後の弾幕まで連れてきてしまう。

 

「すぐに助けるから、ちょっとだけごめん!」

 

 ユーリの左を取り、巨大な鍵を構える。

 その先端が空間を『閉じ』、機鎧の左腕と砲口との接続を断った。巨大な砲身が動作を止め、間髪を入れずシグナムの炎がそこを打つ。

 

 シグナムが牽制を中断した。

 

「効いたか……む?」

 

「まだだよ!」

 

 フェイトは止まらず、次の魔弾を呼び出す。

 ユーリの『機鎧』とやらは半壊していた。しかし六角形のパネルに覆われるや、瞬く間に元通りになる。

 復元された砲身が再び光る。

 

「うん……」

 

 強敵の健在ぶりになのはは固唾を飲んだ。

 そこに通信が入る。

 

『なのはさん! イリスは私が追っています』

 

「アミタさん! 助かります」

 

『イリスを止めれば、その子も止まるはずです!』

 

 ユーリに釘付けのなのはたちにとって頼もしい救援だった。アミティエも前回の負傷から完治していないはず――だが、信じるしかない。

 ユーリがベルカ式の魔法陣をばらまいた。

 

『炎の矢』

 

 赤熱の光線がなのはたちに襲い掛かる。

 のみならず、熱線は地上のオールストン・シーにまで降り注いだ。

 

「シャマル!」

 

「はい!」

 

 すかさず地上班のシャマルが分厚いシールドを張る。

 間一髪、オールストン・シーへの直撃は免れた。

 時空管理局の虎の子である『結界』はまだ構築できていない。今はユーノやシャマルが自前でシールドを張り、かろうじて凌いでいる。

 

 フェイトが不安げに夜景を一望した。

 

「このままじゃオールストン・シーが……ううん、街のほうまで」

 

 クロノ支局長やリンディ次長まで負傷したため、現場で『結界』を指揮できるブレーンがいない。早くユーリを無力化しなくては。

 はやてはユーリの頭上に〈日輪〉を展開しかけて、やめた。数を絞っても、回転する王冠の光弾は周囲へ広がる。守るべきものがあまりに近かった。

 

『主はやて。これ以上の出力は、現地の防護障壁に干渉します』

 

 リインフォースの警告が思考の内側に響く。

 はやては歯を噛みしめた。目の前の相手にだけなら、もっと大きな力を向けられる。それが許されないから、端末の一本一本を動かしている。

 

 そんな中、ディアーチェは半ば呆然としていた。

 

「……」

 

 一度は時空管理局の手に落ちたらしいシュテルとレヴィが、ふらふらと戻ってくる。

 

「無事でしたか。ディアーチェ」

 

「貴様らか」

 

「うぅ、フェイトのやつ~。こっちがブチ転がされるなんて」

 

 ふたりもディアーチェとともに激戦を見守った。ユーリとなのはが通ったあとで、丸い爆発が連鎖する。

 シュテルもレヴィも圧倒された。

 

「凄まじい力ですね」

 

「でもさ、あの子…泣いてるよ」

 

 ウイルスコードで操られているユーリの頬を、一筋の涙が濡らす。

 

「あれは……誰だ? 我はあやつと……」

 

 ディアーチェは動けなかった。ユーリの姿が遠のき、爆炎に包まれる。

 

 さらなる猛攻をかいくぐりながら、なのははユーリを追った。扉を開くように距離を繋ぐたび、閉じるべき経路が増えていく。ユーリの砲火だけでなく、背後から追う味方の攻撃を別の場所へ運んでしまう危険もあった。

 

(このままじゃ……)

 

 できることはいくらでもある。だからといって、できることすべてを行っていいわけではない。

 鍵をほんの少し回すだけで、相手の存在の働きまで閉ざせるかもしれない。しかしそうしてしまった後に、ユーリを元へ戻せる保証などない。

 

 なのはは一度、握る手の力を緩めた。

 その時になって、フェイトはキリエの姿がないことに気付いた。

 

「キリエさん……?」

 

アミティエがイリスに追いつき、フォーミュラの拳銃をブレードに変化させる。

 

「イリス! あなたの目的は一体何です!」

 

 イリスの反応は早かった。

 

「それを聞いてどうするの?」

 

 即座にブレードで応戦し、アミティエと空中で何度も交差する。

 次の交差で、鍔迫りあいに持ち込める距離まで迫った。

 

「な……っ!」

 

 不意にイリスがブレードを拳銃に変え、アミティエの意表を突く。

 フォーミュラで防御は間に合ったものの、アミティエは弾き飛ばされてしまった。間合いを取りなおし、改めてイリスと対峙する。

 

「容赦がありませんね。ひとを撃つことに躊躇がないのですか? あなたは」

 

「ハッ。そういう甘いところは妹と同じなのね」

 

 イリスは淡々と語った。

 

「家族を裏切って、残された時間を無駄にした妹。滅びていくだけの故郷。何も果たせずに死んでいく父親」

 

 その視線が、今さらのようにやってきたキリエを嘲笑う。

 

「同じ病で夫のあとを追う母親」

 

「え……?」

 

 キリエの身体を衝撃が走った。

 胸の中にあるはずの心臓がなくなってしまったかのような虚無感。父親と同じ病気で母親が死ぬ――その言葉が真っ黒な絶望をもたらす。

 

「いい加減なことを!」

 

 アミティエが激昂するも、イリスは冗談めかすのをやめなかった。

 

「キリエは知らないんだっけ? 母親の病気のこと」

 

「……うそ」

 

 アミティエの銃口が光を弾く。

 

「あなたは一体何者ですか」

 

「あたしはイリスよ。あなたと同じ、死にかけた星で生まれた命」

 

 対するイリスも銃を構えながら、ついに激情を露にした。

 

「ずっとチャンスを待ってた。ユーリに復讐してやるチャンスを、ね!」

 

 イリスの姿が消え、一瞬にしてアミティエに肉薄する。

 

「――っ!」

 

 アミティエには対応どころか、声を上げる間さえなかった。疲労と負傷のせいで、咄嗟に動けなかったせいもある。

 

「お姉ちゃん!」

 

「あ……」

 

 アミティエが脇腹を弾丸に貫かれるのを、キリエは見た。

 一度は自分が撃ち抜いたのと同じ場所だ。

 

「お姉ちゃんッ!」

 

 そう絶叫しながら、力なく落ちていくアミティエを受け止める。

 その様子をイリスは悠々と見下ろした。

 

「誰にも邪魔はさせない」

 

 禁断の魔導書――『夜天の書』を開き、不敵に微笑む。

 

 ユーリとの激戦の最中、なのはは、はやてからの短い通信を受けた。

 

『なのはちゃん、もうちょいで道が開ける。合わせられる?』

 

「うん。ヴィータちゃんも来てくれたんだね」

 

 望みは薄かった。ユーリに接近できるのが自分ひとりでは、追い込めない。

 もとより『魔導』では、最初の一撃でしか有効打を与えられなかった。一度でも解析されてしまった魔法は使えず、攻撃の選択肢がどんどん減っていく。

 

 なのはの〈封解主〉だけは、その枠の外にあった。

 しかし『閉じる』という権能でユーリ自身の存在や意識へ無造作に触れれば、救出そのものが意味を失う。なのはは鍵先を機鎧に向け、そこから先は踏み込まないと決めた。

 

「ちょっとでいい。隙を作れれば」

 

「ったく……休んでろって言ったのに、出てきやがって」

 

「ヴィータちゃん!」

 

 鉄槌の騎士ヴィータがその『手段』を携え、合流する。

 

「ぼーっとしてんな。連携いくぞ!」

 

「うん!」

 

 戦闘のプロには説明するまでもなかった。ヴィータは先行しつつ、ランチャーを連射。なのははその射線の前に空間を開き、エネルギー弾をユーリの死角へ運ぶ。

 

 ユーリが防壁を対物理のものに切り替えた。

 

「合わせろ、お前ら!」

 

「はいっ!」

 

 その瞬間を狙い、後続のフェイトが金色の雷撃を撃ち込む。

 続けざまにシグナムもレヴァンティンで炎を放った。フェイトの雷撃とシグナムの業火がユーリを地面に押さえつけ、包み込む。

 

『うあああっ!』

 

 さらに、はやてがメタトロンの端末を一斉に展開した。

 細長い羽状の部品が外側へ広がり、〈光剣〉として幾つもの角度に分かれる。

 

「なのはちゃん!」

 

 なのはは宙に鍵を差し込んだ。

 無数の光線が放たれる。発射地点ははやての周囲。ところが着弾する光はユーリの斜め下、側面、背後から現れた。空間の入口と出口をずらし、なのはが経路を作り直したのだ。

 

 それでも出力は抑えてある。広範囲を薙ぎ払う〈日輪〉を使えば、まだ形成途上にある結界も、海上の救護隊も巻き込む。〈砲冠〉なら、なおさらだった。

 

『出力維持を。結界面に近づきすぎています』

 

 初代リインフォースの声が、はやてにだけ届く。

 端末の角度を一つずつ修正しながら、はやては〈光剣〉を絞った。

 

「通れ……ッ!」

 

 光が一箇所に集まり、ユーリの機鎧を撃ち抜く。

 ユーリの武装が弾け飛んだ。

 

『……はっ?』

 

 何重もの防壁もすべて剥がれ、剥き出しになる。

 だが、ユーリの本体は撃てない。

 なのはがさらに鍵を回し、壊れた機鎧とユーリをつないでいた経路だけを閉ざした。機鎧は小さく砕け、落下しながら光を失っていく。

 

 はやてが息を詰めた。追撃すれば今度こそ仕留められる。それをしないために、二人は目配せした。

 

「……これで、止まってくれたら」

 

 それでもユーリを無力化させることはできたはず。

 と思いきや、ユーリは新たな防壁によって守られていた。魔導書のページがユーリを球体のフィールドで覆っている。

 

 シグナムがレヴァンティンを下げた。

 

「あれは?」

 

「夜天の書のページや」

 

 はやても警戒しつつ、ゆっくりとユーリの傍へ。

 

 夜天の書との繋がりは、今も八神はやての内側に残っている。だが、その防壁が必ず自分に従うとは限らない。リインフォースも、これは今までの夜天の書の反応と違うと警告していた。フェイトやシグナムもあとに続き、傷だらけのユーリを見下ろす。

 

「……大丈夫なの?」

 

「命に別状はないだろう」

 

 なのはは戦闘で空間を開き続けた反動を鎮めるため、ゆっくりと高度を落とした。ヴィータが背後に回り、周囲の警戒を引き受ける。

 

「後先考えずに突っ込むからだろ? ほら、前はあたしが見てる」

 

「ありがとう、ヴィータちゃん」

 

 ディアーチェたちも降下してくる。

 

「おい、ユーリ!」

 

「ユーリ! 大丈夫か?」

 

 ディアーチェとはやてが呼ぶと、ユーリの頭が少しだけ動いた。つぶらな瞳でディアーチェの雄姿を見つけ、声を震わせる。

 

「まさか……ディアーチェ? シュテル、レヴィ……」

 

 はやてを見て、ユーリはさらに目を見張った。

 

「それにあなたは」

 

「八神はやて。夜天の書の主や」

 

 夜天の書。その言葉が傷だらけのユーリを揺さぶる。

 

「はやて、お願いがあります。ディアーチェたちをどうか……」

 

 初対面ではない口ぶりだった。はやてに対しても、ディアーチェらに対しても。

 

「それにあの子、イリス――うっ?」

 

「喋らないで」

 

 ところがユーリの哀願は遮られてしまった。

 いつの間にか背後へ迫ったらしいイリスが、夜天の書の防壁をすり抜け、ユーリの身体をブレードで串刺しに。

 

「嘘はもう聞きたくない」

 

 痛々しい有様がディアーチェを憤慨させる。

 

「貴様っ!」

 

「少し予定が狂った。立てなおさなきゃ」

 

 イリスはほくそ笑むと、はやてたちに夜天の書を見せつけた。

 

「し、しもうた……イリス!」

 

 はやては失敗に気付く。

 夜天の書が自ずとユーリを守ったのではない。イリスが夜天の書を使って、ユーリを回収に来たのだ。シグナムも声を荒らげる。

 

「待て!」

 

「便利な本よね。用済みになるまで使わせてもらうわ」

 

 イリスは夜天の書の力でユーリとともに転移。

 上空へ逃げ、また消えてしまった。今になって『結界』が広がるも、すぐにイリスたちの行方を追えるものではない。

 

 誰もいない夜空を見上げ、ディアーチェが叫ぶ。

 

「ユーリ? ユーリ!」

 

 はやてに託されるはずだった夜天の書のページは、紙片しか残らなかった。それを拾い取り、はやては唇を噛む。

 

「何が起こって……いや、何が始まったんや……?」

 

 長い夜が明けようとしていた。

 

翌朝、地球の近海(宇宙)に位置する時空管理局の本局にて。

 本部局長のレティ=ロウランは地上からの報告に耳を傾けていた。

 

「事件の首謀者は未だ逃走中、と……」

 

『僕の判断ミスです』

 

 映像の向こうでクロノは苦々しそうに歯噛みする。傍らのエイミィも沈痛な表情だ。

 

「あなた個人の失敗ではないでしょう。最善は尽くしたはずよ」

 

『はい……』

 

 昨夜は支局長のクロノのみならず、次長のリンディまで戦線を離脱してしまったのが痛かった。また、クロノが『永遠結晶のもとでイリスたちを待ち伏せする』という作戦を取ったがためにも、結界の構築が遅れている。

 

 それでもターゲットのロスト寸前に結界が間にあったのは、まさに九死に一生を得たというべき幸運だった。

クロノたちと応答しつつ、レティは関東一帯の地図を睨みつける。

 

「現時点で関東の広域をカバーできてるのは、こちらでも確認したわ。首謀者のイリスは必ず、このエリアのどこかに……」

 

『間違いありません』

 

 負傷中のクロノに代わり、エイミィが報告を続けた。

 

『関係者5名は確保しています。エルトリアから来たアミティエとキリエ、フローリアン姉妹と……正体不明の3人組も、事情聴取と情報収集には協力してくれるそうです』

 

「現場の拠点は?」

 

『東京湾に指揮船を配置しました。主要メンバーはもうそちらに』

 

「でしょうね。この案件、おそらく長丁場になるわ」

 

 じきに地上の街も騒がしくなる頃合いだ。時間とともに不安が大きくなる。

 

「イリスとユーリ……ユーリはあのダメージだし、すぐに動くことはないでしょうけど。できれば動き出す前に抑えたいところね。そちらは引き続き捜索を」

 

『了解し――な、何するんだ? エイミィ』

 

 受理の応答だけでもと口を開きかけたクロノを、エイミィが押しのけた。

 

『本部長。クロノ=ハラオウン支局長はご覧の通り負傷しています。休息が不可欠と判断しますが、どうでしょうか』

 

 レティはエイミィとだけ目配せして、やにさがる。

 

「そうね。ベッドに縛りつけてでも安静にさせなさい。回復するまで、クロノ支局長には一切の業務を禁止します」

 

『本部長っ?』

 

 クロノは怪我どころではなく真っ青に。エイミィはわざわざクロノの目の前でレティ本部局長に伺いを立てることで、クロノに釘を刺したわけだ。

 

『聞いての通りよ? クロノくん。きみが休まないと、みんなも休めないんだから』

 

『くっ……』

 

 また、それはレティの采配にも一致した。

 

「疲労が溜まっていては万全とは言えないし、致命的なミスに繋がることもあるわ。特に主戦力となるメンバーには、しっかり休息を取らせてちょうだい」

 

 クロノの疲弊は、この一件だけで始まったものではない。小尾一の取調べに、収容所から届く始末書。職員に暗示を掛けたという報告の処理まで、休む間もなかった。そこへ昨夜からの事件が重なっている。

 

 すでにクロノは昨日の朝から丸一日も事件を追っている。なのはやフェイトにしても一夜のうちに二度も死闘を演じ、限界のはずだった。

 

『それじゃあ、クロノくんを無理やりにでも休憩させますので』

 

「任せるわ」

 

 レティはふうと一息つく。

 オペレーターが怪訝そうに進言した。

 

「本部長、ターゲットはふたりだけです。魔導士たちの力を借りずとも、われわれ管理局が持ちうる現存の戦力で、充分に対処できると思うのですが……」

 

「相手が並みの次元犯罪者なら、ね」

 

 レティの操作でスクリーンに昨夜の激戦が映し出される。

 

「でも今回の案件は夜天……『闇の書』が関わってるのよ。慎重に過ぎることはないわ」

 

 その一言でオペレーターも意識を改めたらしい。二度に及んだ『闇の書事件』では局員の誰もが辛酸を舐めている。

 

「申し訳ありません。次の作戦に向け、油断なく準備を進めます」

 

「ええ、お願い」

 

 この案件のために時空管理局は総力を結集しつつあった。

 

「現地のリンディ次長より連絡です」

 

「繋いで」

 

 地上にて結界を担当中のリンディ=ハラオウンがきびきびと報告する。

 

『レティ、こちら東京上空。結界魔導士の布陣、完了したわ。指示通り関東全域をカバーできるように展開してる。大丈夫よ、ユーノくんも出てくれてるし』

 

 ひとまず結界の目処は立った。

 

『地上の防護措置は任せて。現地への被害は絶対に出さないわ』

 

「頼りにしてるわ、リンディ。けど」

 

 レティは気合充分のリンディにも釘を刺しておく。

 

「さっきクロノ支局長にも話したの。ただちに交替用の人員を送るわ。あなたも昨晩から働きっ放しなんだから、休息を取りなさい。怪我だってしたんでしょう?」

 

『それを言われちゃ……ね。わかったわ』

 

 あとはイリスを見つけて逮捕するだけ――それで終わるはずがない。あの機動要塞じみた火力を誇る『ユーリ』とも、再び相まみえるだろう。

 通信を切ると、レティは自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「じれったいけど、今が我慢のし時ね」

 

 大事件の二日目が幕を開ける。

 

 朝一に目覚めるや否や、アリサとすずかは時空管理局の指揮船へ急いだ。

 ふたりとも民間人だが、今のところは結界越しに人員の出入りも多い。リンディの厚意もあり、アルフが護衛につく形で許可を取ってある。

 

「フェイトたちは多分、こっちのほうに……」

 

 ちょうど医務室らしい部屋から『はやて』が出てきた。検査着を着ており、すずかはまさかと顔色を変える。

 

「はやてちゃん! 怪我しちゃったの?」

 

「……む?」

 

「心配したのよ? んもう」

 

 幸いにして、はやての四肢に怪我の類は見られなかった。アリサもほっとする。

 

「なのはとフェイトは? 一緒じゃないの?」

 

「待て。貴様ら、誰と勘違いしてる」

 

 はやてと同じ恰好で、『なのは』と『フェイト』も現れた。

 

「どうしました? ディアーチェ」

 

「ひょっとして、フェイトの友達ってやつぅ?」

 

 アリサとすずかは目をばちくりさせる。

 

「あ……あれ?」

 

「はやてちゃんじゃ……ないの?」

 

「我が名はディアーチェ。あのような小ガラスと同じにするでない」

 

「エエエエ~~~っ?」

 

 ちょっとした騒ぎになった。

 

船内の談話室にて、ディアーチェたちは妙な歓待を受ける。

 

「バッチリ似合うのを見繕ってあげるわ」

 

「これとかどう? ショートヘアだし、こうアクティブな感じで……」

 

 アリサとすずかは和気藹々と洋服を選んでは、シュテルやレヴィの胸元に重ねた。

 まだ検査着のシュテルはきょとんとする。

 

「そんな布が必要でしょうか……防御面にメリットを感じません」

 

「布じゃなくて服よ。お洋服っ」

 

 レヴィのほうは早々とパンツ一枚の恰好にされてしまった。

 

「そーいやあいつ、キリエも言ってたっけ? 『裸だと恥ずかしい』って」

 

「レヴィちゃんは髪が長いから、ヘアアレンジも面白そうね。うふふ」

 

 すずかは袖口をきちんと整え、窓からの光を避けるように一歩ずれた。けれどもアリサもすずかも、すぐにコーディネイトに夢中になって聞く耳を持たない。少女たちの護衛を務めるアルフも、微笑ましそうに見守るばかり。

 

「どうしますか? ディアーチェ」

 

「王様ぁー」

 

 ディアーチェはやれやれと肩を竦めた。

 

「付きあってやれ。こやつらに他意はあるまい」

 

 アリサが手招きで急き立てる。

 

「何ひとりだけ気取ってんのよ? あなたもいらっしゃい」

 

「……は?」

 

 夜天の書より出でし『王』も素っ裸にされた。

 

「きっ貴様! 勝手に触るな!」

 

「んー、背丈もはやてちゃんと同じくらい?」

 

 ディアーチェたちが着せ替え人形にされているところへ、映像付きの通信が入る。

 

『すずかちゃん! アリサちゃんも朝の早ぅから、ごめんな』

 

「はやて!」

 

「はやてちゃん!」

 

 アリサとすずかはコーディネイトを中断し、ビジョンの前へ。

 向こうのはやては寝巻にスリッパの恰好だ。

 

『さっき起きたとこなんよ。そしたら、ふたりが来てるぅ聞いて』

 

「なのはとフェイトは?」

 

『ふたりは本局のほうや。私はシグナムたちとこっちで休むことになって……』

 

 昨夜はあれほど激戦続きだったにもかかわらず、はやての顔色はよい。

 

「ちゃんと眠れたの?」

 

『うん。気ぃ張ってて眠れんかなー思たけど、ぐっすりや』

 

 すずかはほっと胸を撫でおろした。

 

『アルフが見てくれてたんやね。ありがと』

 

「おう。手が空いてたからさ」

 

 はやてに昨晩のような危なっかしさは感じられない。言動にも余裕がある。

 

『それにしても楽しそうやなあ。もう王様たちと仲良くなったん?』

 

「たわけ。仲良くなどなってないぞ」

 

『はやてとそっくりじゃない? この子。びっくりしたんだから』

 

 慣れない洋服に四苦八苦しつつ、ディアーチェは少女たちの談笑を見守った。

 シュテルとレヴィも興味津々に覗き込む。

 

「彼女は夜天の書の……ディアーチェが戦ったのですか?」

 

「うむ。大したやつではなかったが」

 

「あれもフェイトの友達なんだっけ? ふぅん」

 

『そやっ!』

 

 と、急にはやてが声をあげる。

 

『休もうにも目が冴えてもうてるし、歓迎会でもしよ思てな。すずかちゃん、アリサちゃん、ちょっと手伝ってくれへん?』

 

「あっ! いいかも」

 

「しょうがないわね。まだ時間もあるから、手伝ってあげる」

 

 アリサとすずかはハイタッチを交わすと、アルフも連れて出ていった。

 

「またね。えぇと……レヴィ?」

 

「シュテルちゃんとディアーチェちゃんも」

 

「おかしな呼び方をするな」

 

 談話室はディアーチェたち3人だけになる。

 

「さて……」

 

 着替えを済ませて、ディアーチェはソファーにゆったりと腰を降ろした。八神はやてと同じ顔立ち・同じ年頃にしては、大人びた風格をまとっている。

 

「シュテル。これからのことについて何か考えはあるか?」

 

 シュテルは『気をつけ』の姿勢で答えた。

 

「イリスが私たちをあの本の中から呼び出したのは確かです」

 

 あの本とは『夜天の書』のこと。

 

「それはユーリと呼ばれたあの子を探すためであり、われわれとユーリを戦わせるためでもあった。私たちとユーリの間に浅からぬ関係があるのは確かです」

 

 レヴィが別のソファーにお尻で飛び込む。

 

「だね。あの子が鍵なんだ」

 

 実のところディアーチェらは自分たちの素性さえ知らなかった。

 

 ずっと夜天の書に封印されていたらしい。それをイリスが呼び寄せ、今の姿を与えた。高町なのは・フェイト=テスタロッサ・八神はやての外見や、夜天の書に残された記録が参考にされたのだろう。しかし現在の三人の能力まで同じというわけではない。

 

 シュテルが高町なのはに、レヴィがフェイト=テスタロッサに、ディアーチェが八神はやてに瓜二つなのも、オリジナルの影響によるものだろう。

 レヴィがソファーの上でひっくり返る。

 

「でもボクはボクだよ。フェイトの偽物なんかじゃない」

 

「その通りだ」

 

 何もプライドのために同意したわけではなかった。

 ディアーチェはこの身体に違和感を覚える。

 

(どこぞの小ガラスの偽物ではない。我は我だ。なら……我は誰だ?)

 

 自分のてのひらにもまるで見覚えがなかった。八神はやての姿がかりそめのものであるなら、当然なのだが。

 ただ、ひとつだけ確信できることがあった。

 

「大いなる力……」

 

 ディアーチェは右の拳に力を込める。

 

「我らが欲しいのは『力』だ。無限にして無敵の王になる力を、この手に」

 

 渇望だった。強い欲求が胸の奥から湧きあがってくる。

 シュテルは冷静に状況を見据えた。

 

「大いなる力を求めるという私たちの目的もありますが、まずはイリスの意図を知ることです。そして、私たちのこと」

 

 寝転んだばかりのレヴィがまた起きあがる。

 

「ふたりのことはよく憶えてるんだけどなー。名前も性格も、一緒にいたことも」

 

 ディアーチェの脳裏にもその光景が蘇ってきた。

 朗読調だったシュテルの声が、俄かに感情を含める。

 

「大きな木の下、緑の草原。そこで私たち3人は確かに一緒にいました」

 

「我も憶えておる」

 

「ずっと昔、あなたにとても優しくしてもらった思い出があるんです」

 

「ご飯をもらったりとか!」

 

 レヴィの声も弾んだ。幸せな一時だったに違いない。

 しばらくの間、3人はおぼろげな思い出に耽った。

 大きな木の下で、緑の草原に囲まれて――。

 

 シュテルがディアーチェの前で跪く。

 

「私とレヴィは生涯の忠義をあなたに誓った。あなたを守り、あなたの願いを叶えるために、私たちは働きます」

 

 レヴィも隣に並んで、相棒のシュテルに抱きついた。

 

「その通り! で、シュテルンはボクの友達ね」

 

「ええ。親友です」

 

 ディアーチェは顎に手を添え、考え込む。

 

(こやつらと一緒にいたことだけは、我もはっきりと憶えておる。ふたりとも我が守ってやらねばならぬ存在だ)

 

 その記憶の先で、誰かが笑った。

 髪の長い、少し頼りなさげな少女。ユーリだ。

 ディアーチェの瞳が揺れる。

 

(そうだ……我らがいた場所に、ユーリもいたのだ)

 

 記憶の断片が輝いた。

 

 遥か上空、本局の医務室にて。

 

「ありがとうございました」

 

「お大事に」

 

 なのはは医務室の扉を閉じた。診察は人間の身体を前提とする項目を途中でいくつも打ち切ることになり、医療担当者の表情は終始困惑していた。

 

 以前なら足首を傷めた無茶な機動も、今の肉体にはそのまま当てはまらない。血も骨も、すでに物質化したテレズマによって構成されている。ところが傷つきにくいことと、戦いに迷わないこととは別だった。

 

 昨夜はイリスを止められず、ユーリを救えず。たとえ肉体に傷一つ残らなくとも、己の判断が正しかったとは思えなかった。

 

(また助けられなかったんだ……)

 

 そんななのはをアミティエが呼び止めた。

 

「なのはさん!」

 

「アミタさん。もう動いて大丈夫なんですか?」

 

 昨夜は銃弾で重傷を負ったはずのアミティエが、ガッツポーズでおどける。

 

「はい! 頑丈ですので」

 

 けれども声のトーンはすぐに落ちた。

 

「……イリスを止められず、申し訳ないです」

 

「いえ。そんな」

 

「それに、昨夜の戦闘……」

 

 アミティエの双眸が申し訳なさそうになのはを見た。砲撃をまともに受けるよりも、ずっと簡単に相手の攻撃を退けられる力。あの戦いで、なのはが何度もその力を使いかけては抑えていたことを、彼女も見ていたのだろう。

 

 なのはは強がろうとするも、空笑いになってしまった。

 

「ちょっと、怖くなっちゃって……でも大丈夫です」

 

「ですが――」

 

「なのは! アミタさんも」

 

 そのタイミングでフェイトが駆け寄ってくる。なのはの具合を心配して、医務室のほうまで様子を見に来てくれたらしい。

 

「検査は大丈夫だった?」

 

「うん、全然」

 

「びっくりしたんだよ? 医療班の人が、なのはの身体をどう診ればいいかわからないって……」

 

 言葉の途中でフェイトはアミティエの視線に気付き、口ごもった。

 

「ごめんなさい。アミタさんをどうこう言うつもりじゃなかったんですけど」

 

「いいえ。フェイトさんが心配されるのも当然です」

 

 アミティエは深々と頭を下げる。

 なのはがあれだけ無茶をしたのは、アミティエとキリエを助けるためでもあった。彼女にも責任を感じる理由があるのだろう。

 

(私がワガママ言ったせいで……)

 

 なのはとて、そのことはわかっているつもりだった。

 しかし結果的に目的は達成できず、ユーリを連れ去られてしまった。フェイトたちがいなければ、もっとひどい結果になっていたかもしれない。

 

 フェイトがアミティエを見上げた。

 

「ところでアミタさん。これは個人的な質問なんですが」

 

「はい」

 

「ほかのメンバーの武器もフォーミュラで改良することはできませんか?」

 

 意外な質問になのはは目を丸くする。

 

「フェイトちゃん?」

 

「私が使うわけじゃないけど。戦力の増強になると思って」

 

 なのはには思いつかないアイデアだった。

 自分ひとりで出張ることはない。仲間を信頼し、託すこともできたのでは――。

 アミティエは残念そうにかぶりを振る。

 

「ご協力したいんですが、フォーミュラの運用には、血液に乗せて体内を巡らせるナノマシンが必要なんです」

 

「武器だけを強化、とは行かないんですね」

 

「はい。それに、私が持ち出せた残りのナノマシンは本当にあと少し……誰にでもすぐ適合するわけでもありません」

 

 体内の組織までテレズマへ置き換わったなのはは、そもそもその前提から外れていた。だからこそエルトリアの武装を渡されたわけでも、昨夜ナノマシンを使ったわけでもない。

 

「でもみなさんの装備改修は、私もお手伝いします。きっと力になりますから」

 

 それでもエルトリアの技術提供は大きかった。昨夜キリエが用いた『システムオルタ』を解析し、次に備えるためにも、アミティエの助力は欠かせない。

 

「時空管理局のみなさんがご存知ない技術、とは思いませんでしたが……」

 

「あくまで時空間の治安維持が目的ですので」

 

「なるほど」

 

 のみならず、エルトリアは時空管理局に対して常に消極的だった。ミッドチルダなどは本星も健在の中、母星を環境破壊の末に滅ぼしてしまったことで体裁が悪いのだろう。

 

 なのははぽつりと呟く。

 

「時空管理局の技術力でエルトリアを救うことって、できないのかな」

 

「それは……」

 

 アミティエは困惑する一方、フェイトは視線を落とした。

 

「難しいとおもうよ。時空管理局は各時空に不可侵のスタンスだし、仮に協力できたとしても、生命を蘇らせるなんて真似は……」

 

 人為的に造られた生命――だからこそ、フェイトの言葉は重い。

 そもそも時空管理局とエルトリアの間に技術提供などのコネクションはなかった。

 

「私たちがアミタさんのフォーミュラを調べさせてもらってるのも、あくまでイリスさんに対抗するためなんです。でもアミタさんのほうも問題があったりするんじゃ?」

 

「今は事件の解決が最優先と判断してのことですので。……ただ、せめてエルトリアの母さんに連絡ができれば」

 

「遠すぎて、すぐには繋がらないんですね」

 

 アミティエの表情が沈む。

 改めてフェイトが声を明るくした。

 

「あっ、そうそう。キリエさん、さっき目を覚まされたそうです」

 

「そうですか……よかった」

 

 アミティエは両手で胸を撫でおろす。 

 事件の当初は首謀者として追われていたのが彼女の妹、キリエ=フローリアン。

 アミティエはキリエを止めるべく、遥か彼方のエルトリアから地球へやってきた。ところが事件は二転三転し、キリエは今、時空管理局に保護されている。

 

「会いに行きませんか?」

 

「え? ですが……」

 

 なのはが提案すると、アミティエは少し迷った。

 フェイトも言葉を重ねる。

 

「お話しないことには、何も始まらないと思います」

 

「……わかりました。行きましょう」

 

 なのはたちはアミティエの歩調に合わせ、キリエのもとへ。

 

ディアーチェたちが休む談話室へ、はやてが入ってきた。

 

「お邪魔するでー」

 

「お疲れ様。昨夜は大変だったわね」

 

 シャマルやアルフも一緒で、焼き菓子が盛りだくさんのワゴンを押してくる。

 

「色々あって疲れたろ。お茶とお菓子で休憩してな」

 

 レヴィの前髪がぴこんと立った。

 

「お菓子っ?」

 

「食料が来ましたね」

 

 シュテルもまんざらではない様子で、クッキーやドーナツの山を覗き込む。

 瞳を爛々と輝かせながら、レヴィはごくりと生唾を飲みくだした。

 

「ど、どうしよう……」

 

「……」

 

 シュテルの双眸もお菓子に釘付けだ。

 食べたい。しかし安易に施しを受けては、王の面目を潰すことにならないか。

 そんな部下を見かねて、ディアーチェは嘆息する。

 

「はあ……ふたりとも食べてよい」

 

「わ~いっ!」

 

「ありがとうございます」

 

 はやてたちはてきぱきとお茶の支度を始めた。

 

「八神はやて、さっきのふたりはどうした」

 

「一緒にお菓子焼いてくれてたんやけど、いつ作戦が始まるか知れんから、引きあげたんよ。ディアーチェたちによろしくって」

 

 奥ゆかしいシャマルが紅茶を注ぐだけで、優雅なお茶会の雰囲気になる。

 

「この茶葉はアリサちゃんのお母さんからいただいたものなの」

 

「リラックス効果があるそうですね」

 

「興味あるんやったら、シュテルも教えてもろたらええよ」

 

 はやてやアルフも席についた。

 

「じきにヴィータやシグナムも来る思うから」

 

 ディアーチェは悠々と紅茶を呷る。

 

「歓迎される謂れはないが、まあよい。付きあってやる」

 

「もふもっ。むっ、んぐ」

 

「食べながら喋るな」

 

「――熱ぅ!」

 

「落ち着け」

 

 レヴィが紅茶の熱さで涙目になる場面もあったが、和やかなお茶会となった。

 頃合いを見て、はやてはあるものを取り出す。

 

「で……これなんやけど」

 

 証拠品のように密封されているのは、夜天の書の切れ端だった。

 

「ユーリが渡そうとした紙片か」

 

「破損してるけど、中のデータはまだ生きてる。管理局はお手上げやったんやけど、王様たちやったら復旧できるんとちゃうかなって」

 

「ふむ」

 

 それを受け取り、ディアーチェが矯めつ眇めつする。

 

「夜天の書があれば復旧は容易かろうが」

 

「イリスに持ってかれたからなあ」

 

「まあ、やるだけやってみるか。レヴィ、お前に任せる」

 

 次のクッキーを頬張るところだったレヴィが、きょとんとした。

 

「へ? ボク?」

 

 シュテルがレヴィの肩に触れて言い聞かせる。

 

「我らの王があなたを信頼し、活躍の場をお与えになったのです。レヴィ、偉大なる王の忠臣として何をなすべきか、わかりますね?」

 

「そりゃあ、もちろん!」

 

 レヴィはすっかりその気になり、鼻息まで噴かせた。

 

(ちょろいんやなあ)

 

 はやては苦笑いで流す。

 レヴィが破損データの復元に取り掛かるうち、守護騎士の面々も揃った。

 シグナム、ヴィータ。ザフィーラも狼の姿で列に加わる。

 

「みんなもよう眠れたか?」

 

「はい。装備のほうも問題ありません」

 

「今度こそ夜天の書を取り返してやらあ。な? シャマル」

 

 シャマルはヴィータに相槌を打つも、昨夜ほど熱くはならなかった。

 

「ええ。だけど、もう夜天の書さえ取り戻せばいいって話じゃないわ。イリスのこと、ユーリちゃんのこと……すべてを知ってからでなくっちゃ」

 

 ザフィーラも狼の顔で頷く。

 

「われわれはキリエ=フローリアンこそが首謀者だと思っていた。だが、本当はイリスが裏で糸を引いていた。このまま『敵』を見極めずに戦っても、同士討ちにしかならん」

 

「お前たち相手にひとまず剣を納めたのも、そういうことだ」

 

 シグナムはあくまではやてを庇える立ち位置で、腕組みを深めた。

 この場にいる全員が真相を知らなくてはならない。その気持ちはディアーチェも同じのようで、紅茶を置いた。鋭い視線ではやてを射竦める。

 

「貴様らと慣れあう気はないが、聞いておきたいことがある。貴様の所有物だったというあの本……夜天の書について教えろ」

 

「うん」

 

 はやては守護騎士たちに目配せしつつ、語り始めた。

 

「今はもう滅んだ旧世界、ベルカって国で生まれた魔導書。ベルカが滅びてからも、色んな世界で色んな主のもとを渡っていって、私のところに来てくれた」

 

 夜天の書とは、時空を超えて旅する魔導書。

 行く先々で主を替えながら、魔法を無限に収集していく。

 

「たくさんのページの中に、数えきれないほどの魔法や知識が詰まってて……あと、主の力になってくれる守護騎士もついてくれる」

 

「私たち4人が守護騎士な」

 

 ヴィータが小さな身体でふんぞり返った。

 紙片を復元中のレヴィが瞳を転がす。

 

「……きし?」

 

「ええ」

 

 シャマルも守護騎士の一員として立ちあがった。

 はやてが少しだけ声を落とす。

 

「それと、もうひとり。私にとって大切な家族がおるんよ。私がつけた名前はリインフォース。夜天の書の意志でもある子や」

 

「……そこにいるのか?」

 

 ディアーチェが眉を寄せた。

 はやては自分の胸元へ指先を当てる。

 

「うん。今もずっと一緒におる。けど、みんなからは見えへんし、直接お話しも出来へんのよ」

 

『主はやて。説明はそれで十分です』

 

 リインフォースの落ち着いた声が、はやての内側に届いた。

 はやては小さく頷いた。夜天の書に収められた魔法を、自分の魔力で使うことはもう出来ない。それでも本の主であり、リインフォースとともにあることは変わらなかった。

 

「ふむ」

 

 今回の事件は『夜天の書』から始まった。

 そしてユーリは夜天の書のページを持っていた。

 シュテルがレヴィの手元を見詰める。

 

「それが復元できれば、ユーリの正体がわかるかもしれません。同時に私たちのことも」

 

「よぉーし! 頑張ろっと」

 

「その意気だ」

 

 謎を解く鍵はあった。あとは鍵穴へ差し込むだけ。

 

 医務室でひとり、キリエ=フローリアンは消沈していた。

 

「……………」

 

 なぜこんなことになってしまったのか。

 どうして自分はこうも取り返しのつかないことをしてしまったのか。

 病床の父と、滅びゆくエルトリアを救うため――その使命感を胸に、キリエは次元を跳躍した。イリスの支援を頼りに孤軍奮闘した。

 

 姉のアミティエに対する往年の苛立ちもあったのかもしれない。

 アミティエを撃ち、年下の女の子から夜天の書を強奪した。

 父と星を救うために。

 

 なるべく誰にも迷惑を掛けずに、と苦し紛れの言い訳を繰り返しながら。

 その結果がこのざまだ。

 

『星を救うとか、あなたのパパを助けるとか、そんなことには使えないの』

 

『そうでも言わなきゃ、あなたに手伝わせることができなかったから』

 

 相棒のイリスに裏切られて、捨てられて。

 今は時空管理局によって、容疑者ではなく『被害者』として保護されている。

 

「……っ!」

 

 シーツを掴む手に力が入った。

 しかし引きちぎったところで、何の憂さ晴らしにもならない。医務室の真っ白な明るさが、かえって己の罪深さをありありと浮かびあがらせる。

 

 そこへ来客があった。

 

「お邪魔しまーす」

 

「お加減いかがですか?」

 

 高町なのはとフェイト=テスタロッサの声がキリエを怯えさせる。

 顔などあげられるはずがなかった。システムオルタの勢いに任せて殴ってしまった、ふたりの少女。夜天の書を守ろうとした者たちの姿も脳裏をよぎる。

 

 はやてがどれほど夜天の書を大切にしていたか。キリエは今になって、その重みを思い知らされた。

 それでも謝らなくては――と、必死の呼吸で声を吐き出す。

 

「ごめんなさい!」

 

 その一言を皮切りに感情が溢れた。

 

「本当にごめんなさい。全部私のせい……この星のみんなに、ひ、酷い迷惑を掛けて……どんなふうに償ったらいいか」

 

 後悔では済まされない。

 ずっしりと重たい罪悪感が、キリエの弱った心を踏みにじる。

 

「お姉ちゃんの言うこと、ちゃんと聞いてればよかった……なのに私、お姉ちゃんには反抗してばかりで……」

 

「今回の件は私にも大いに非があります」

 

 姉の声がキリエの耳朶を打った。

 キリエは顔をあげ、今さらアミティエも同席していたことに気付く。

 

「お姉ちゃん……」

 

 アミティエの表情もありありと悔恨の苦しみを物語っていた。母のエレノアに似て端正な顔立ちは、澄ましている時ほど感情の起伏が激しい。

 

「私ももっとちゃんと伝えるべきでした。私の責任でもありますよ。妹のあなたを不安にさせたくないからと、たくさんのことを黙ってました」

 

 なのはとフェイトがあとずさり、アミティエに道を空ける。

 

「あなたからすれば、私は『聞き分けのよい大人』に見えるかもしれません。だけどね、キリエ。私だって子どもなんです。だって」

 

 アミティエはキリエの肩に触れると、その耳元へ唇を近づけた。

 

「父さんのことも、母さんのことも、故郷のことだって」

 

 キリエの乾ききっていた瞳で涙が膨らむ。

 

   「私はまだ何も諦めてなんかいないんですよ」

 

 嗚咽があがった。アミティエにしがみついて、キリエはただ泣きじゃくる。

 

   「父さんがもう一度元気になること。

 

    家族の夢……エルトリアをもう一度蘇らせること。

    いつか父さんが眠る日には、あの星の、あの家の温かいベッドの上で、

    幸せな気持ちで眠ってもらうんです。

 

    子どもの頃からの夢通りに、私たちが育てた花をたくさん飾って」

 

 アミティエの言葉にも少し涙が混じった。初めて姉の本当の気持ちに触れた気がする。

 キリエは父親を救おうと、がむしゃらに治療の手段を求めた。

 しかし姉は覚悟を決めていた。

 

 志半ばで倒れてしまった父は、いずれ最期を迎える。

 その時まで、ただ悲嘆に暮れるのか。己の憤懣を吐き散らかすのか。

 どちらでもない。アミティエは父の死を乗り越えてでも、エルトリアの再生をまっすぐに見据えている。

 

 その先にあるものがキリエの脳裏にも浮かびあがった。

 緑溢れるエルトリアの丘の上に、小さな墓碑がひとつ。フローリアンの姉妹は父の墓前に花を添えて、生まれ変わった世界を一望する――。

 

「失敗は取り戻せばいい。自分を責めすぎても、できることが減っていくだけです」

 

「うん……」

 

「私たちにできることが、まだあります」

 

「うん! うん!」

 

 いつしかキリエは聞き分けのよい妹になっていた。

 まだ終わっていない。自分にはやるべきことが残っている。

 

「この地球に起きる被害を食い止めて、ユーリを止めて」

 

「イリスに……イリスに、ちゃんと話を聞く!」

 

「その通りです」

 

 アミティエの手がキリエの涙をそっと拭った。

 

「空を見上げれば、背筋も伸びます。ほら……しゃんとして」

 

「うんっ!」

 

 なのはとフェイトはアミティエの後ろで目配せしつつ、安堵の笑みを綻ばせる。

 そこへリンディ次長が入ってきた。

 

「キリエさん、具合は……あら? なのはさんと、フェイトさんも」

 

「私に『さん』はいらないよ。母さん」

 

「ふふっ、そうだったわね」

 

 キリエはベッドの上で居住まいを正す。

 

「ええと……」

 

「ずっと医務室じゃ息が詰まるでしょう? 私と一緒なら出歩いても大丈夫だから、娘たちと一緒にお茶でも……と思ったのだけど。どうかしら」

 

「それ、いいですね」

 

 傍らのなのはが無邪気に喜んだ。

 キリエはアミティエと首を傾げながらも、誘いを受ける。

 

「じ、じゃあ……お言葉に甘えて」

 

「私とフェイトでちょっと準備してくるわ。なのはさん、悪いけど、おふたりをラウンジに案内してくれる?」

 

「わかりました。行きましょう! アミタさん、キリエさん」

 

 保護観察の立場にもかかわらず、おかしなことになってきた。

 

 アミティエはまだ治療した脇腹を庇っていた。なのはは彼女の歩みに合わせ、ゆっくりとラウンジへ向かう。

 

「すみません。アミタさん、まだ痛むんじゃ……」

 

「気にしないでください。頑丈なのだけが取り柄ですから」

 

(昨夜の戦いで……こんなに小さい女の子が)

 

 キリエは、なのはの横顔を見た。あれだけの力を持ちながら、自分にもイリスにも手を差し伸べようとしていた。

 

(なのはちゃんばかり戦わせられない。私も……)

 

 そうは思うものの、今のキリエに戦線に加わる資格はなかった。

 アミティエの話によると、先ほどのリンディ=ハラオウンがフローリアン姉妹のために色々と便宜を図ってくれたらしい。そうでなければ、時空管理局のラウンジで暢気にお茶など飲めるはずがない。

 

 ラウンジにはほかの局員もちらほらいた。キリエやアミティエを見つけても、微笑ひとつで流してしまう。

 

「もっと警戒されるかと思ってたけど……」

 

「私も昨日は驚きましたよ。異次元の誰が乗り込んでも、プレッシャーを感じなくて済むように、教育されてるそうです」

 

 手頃なテーブルに着くや否や、なのはが通信を立ちあげた。

 

「ちょっとお友達に連絡していいですか?」

 

「どうぞ」

 

 目の前で回線が開き、なのはと同い年くらいの少女たちが映し出される。

 

「アリサちゃん! すずかちゃんも、遅くなってごめんね」

 

『なのは! よかった……大丈夫だった?』

 

『ずっと心配してたの』

 

 アリサもすずかもあどけない笑みを咲かせた。

 

『朝一でなのはたちに会いに行って、びっくりしたのよ? こっちは』

 

『私たち、ディアーチェちゃんをはやてちゃんと間違えて……』

 

「ええっ? そんなことになってたの?」

 

 なのはも楽しそうに声を弾ませる。

 

『はやても思ったより元気そうだったし、ひとまず安心ね』

 

『ところでフェイトちゃんは?』

 

「一緒にいるよ。……あ、今ちょうど」

 

 フェイトとリンディも一式のティーセットとともに合流した。

 

「もしもし?」

 

『フェイトちゃん! よかったぁ』

 

 小学5年生の面々が和気藹々と盛りあがる。 

 

『無理だけはしないでね』

 

「大丈夫! すぐに片付けるから。自由研究の続きもしなきゃだし」

 

「宿題だってみんなで頑張って、七月中に終わらせないと」

 

『うん。そしたら八月は思いっきり遊べるもんね』

 

『みんなで一緒に、ね』

 

 姉のアミティエが微笑ましく見守る一方、キリエは己の浅はかさを痛感した。

 

(そうよ……この地球にだって、たくさんのひとが生きてるんだ……)

 

 なるべく迷惑を掛けずに、などという方便を繰り返していた自分が情けない。あれだけの機動外殻を投入しておきながら、自分は何を見ていたのか。

 昼間の公園でジュースを拾った時も。

 

 リンディとフェイトのような『親子』を幾度となく目の当たりにしたはずなのに。

 

「フェイト。そろそろ」

 

「あ、うん」

 

 通信を終え、一同は同じテーブルを囲んだ。

 リンディが落ち着いた所作で人数分の紅茶を注いでいく。

 

「この茶葉はね、さっきの女の子……アリサさんのお母さんからいただいたの」

 

「紅茶……ですか」

 

「こっちは茶菓子です。遠慮なくどうぞ」

 

 娘のフェイトもてきぱきと支度を調えてくれた。

 

「母さん、こっちは私が淹れるね」

 

「じゃあ、はい。お願いするわ」

 

 母親と娘――当たり前の日常がキリエの胸を締めつける。

 

(……ママは今もエルトリアで、ひとりで……)

 

 故郷の母のことを思うと、琥珀色の紅茶に現実感がなくなってきた。カップを口に近づけはするも、躊躇ってしまう。

 

「キリエさん? ひょっとして、紅茶は苦手でした?」

 

「ううん、そうじゃないの。紅茶なんて長らく飲んでないから……ママも」

 

 アミティエもカップを降ろし、溜息をついた。

 

「『死蝕』の影響で荒れ果てたエルトリアでは、飲み水はとても貴重なんです。コップ一杯の水を蒸留するのも、やっとで……昔はそうでもなかったんですが」

 

「昔というのは?」

 

 リンディが控えめに質問を挟む。

 

「キリエはあまり憶えてないかもしれませんね。私が幼い頃は、まだ街ひとつがやっていけるくらいの土や水があって、パンを作ったりもできたんです」

 

「ごめん……思い出せない」

 

「無理もありません。キリエが物心つく前に、水源が枯れてしまったんですよ。それで住人が減り、とうとう私たちフローリアン家だけに……」

 

 フェイトがごくりと息を飲んだ。

 

「想像を絶する話ですね……」

 

「コロニーから水も送られてくるのですが、その……実はコロニーのほうでも」

 

 口ごもるアミティエに代わり、リンディが説明を加える。

 

「母星を離れて宇宙で暮らすようになると、水や空気の価値が違ってくるのよ。煙草なんかは絶対にNGだし、湖や河があるわけでもないから」

 

「仰る通りです。エルトリア政府が最後の街を放棄せざるを得なかったのも、水源を失ったことが原因でして……正直な話、かえって私たち一家だけになったことで、お金や資源の面は目処が立ったとも言えるんです」

 

 キリエは呆然と聞いていた。

 

「エルトリア政府は何が何でもパパの研究を打ち切りたかったんじゃ……」

 

「違うんですよ、キリエ。さっきも言ったように、コロニーには空気や水の死活問題があります。それが近年、民間でも大いに論じられるようになって、改めて父さんの研究が注目され始めた……そういう動きもあったんです」

 

 リンディも口を揃える。

 

「この地球にしても環境破壊は危険なラインに達しつつあるわ。あなたたちのご両親の研究が、いずれ地球を救うことになるかもしれない……何世代も経た未来で、ね」

 

「だから、私たちで繋げていくんです」

 

 父の研究を認めてくれるひとがいる。支えてくれるひとがいる。

 自慢の父グランツ=フローリアンの双肩に掛かっているものを、今ほど大きく感じたことはなかった。

 

 キリエは今度こそ紅茶を口に含む。

 

「……美味しい」

 

 芳醇な味わいとともに活力が戻ってきた。

 心配そうにフェイトがたずねる。

 

「キリエさん、ご飯のほうはちゃんと食べられましたか?」

 

「あまり食欲がなくて……ママはひもじい思いをしてるのに、とか思っちゃって」

 

 なのはが口を滑らせた。

 

「え? アミタさんは昨夜、どんぶりを十人前も平らげたって……」

 

 キリエは瞳を細め、食いしん坊をじとっと睨む。

 

「お姉ちゃん?」

 

「あっあれは! その、なんといいますか」

 

 アミティエは苦しい言い訳を始めるも、両手で顔を覆ってしまった。

 

「はい……とても美味しかったです」

 

 なのはやフェイトは苦笑い。

 

 けれどもキリエにはわかっていた。アミティエはキリエに撃たれた際、血液とともにナノマシンを流失してしまったのだろう。それを補充し、また傷を癒やすためにも、相応のエネルギーが必要だったに違いない。

 

(ごめんね、お姉ちゃん。でも十人前はないんじゃない?)

 

 年長者のリンディがお茶会を仕切りなおす。

 

「さあ、お茶が冷めないうちに」

 

「いただきまーす!」

 

 しばらくなのはの実家の話題などで盛りあがった。

 

「喫茶店……ピンと来ないわね。わざわざ外へ出かけて、お茶を飲むの?」

 

「お買い物のついでに、とか」

 

「街へ出ることがありませんからね。私たちは」

 

 なのはの話が不思議でならない。エルトリアのコロニーも同じなのだろうか。

 

「お姉ちゃん。最後の街のひとはみんな、コロニーに移ったのよね? やっぱり、そっちのほうが快適……なんて思ったりするのかしら」

 

「それはそうでしょう。何より安全です。でもキリエ、彼らも私たち一家を見捨てて、自分たちだけ助かろうとしたわけじゃないことは、わかってあげてください」

 

 姉のアミティエはやるせない笑みを浮かべた。

 

「このこともあなたに話しておくべきでしたね。実は住民のみなさんから『コロニーへ移るほうがいい』と、再三お手紙をもらってたんです。父さんの容態を心配して……」

 

「そう……だったんだ」

 

 誰もが愛する故郷を捨て、安全なコロニーへ逃げたわけではない。

家族を守るため――それでも水源が枯れるぎりぎりまで本星に残り、エルトリアの再生を信じてくれた仲間もいる。

 

そんな彼らにフローリアン家が『一緒に本星で死のう』などと言えるはずがない。

 

(ほんとにだめね、私。何もわかってなかった)

 

 フェイトやなのはは真剣な表情で聞き入っていた。

 

「難しい問題ですね……」

 

「あ、ごめんなさい。せっかくのお茶会なのに、こんな話になって」

 

「気にしないでください。私たちももっと知りたいです」

 

 その後はフェイトの義兄・クロノの恥ずかしい昔話へと脱線していく。

 憩いの一時を満喫していると、リンディのもとへ報告が入った。

 

「……え? ええ……わかったわ」

 

「母さん?」

 

「ユーリから受け取った例の破損データ、そろそろ復旧が完了するそうよ。すぐに中身を確かめるから、今のうちに閲覧できる場所に移ってくれ、って」

 

 キリエはアミティエと顔を見合わせる。

 

「あの子は永遠結晶の中で眠ってたのよ。イリスは『悪魔』だって……」

 

 永遠結晶の前でイリスは語った。

 

『この永遠結晶の中には悪魔が一羽、眠ってるの。途方もない力を持った悪魔が』

 

 ユーリがそうなのだろうか。

 隣のアミティエがすっくと立ちあがる。

 

「私たちには真相を知る必要があります。イリスの目的は何なのか、あのユーリという女の子は誰なのか……リンディさん、私たちにも同席させてもらえませんか?」

 

「もちろんよ。じゃあ、場所を替えましょうか」

 

 お茶会はお開きとなった。

 

クロノ=ハラオウン支局長が復帰し、再び現地の指揮権を預かる。

 

「武装隊員の装備は回収完了。いつでも出撃できるよ」

 

「デュランダルのチェックを終え次第、僕も出る」

 

 エイミィの表情が苦くなった。

 

「怪我のほうは大丈夫?」

 

「処置は終わっている。現場に出るには支障ない」

 

 クロノは処置を終えた腕を動かした。痛みは残っているが、表情には出さない。

 

「無茶はなしだよ?」

 

「問題ない。犯人を捕まえたいだけだ」

 

 助手であり、彼の幼馴染みでもあるエイミィは嘆息するしかなかった。

 処置によって負傷は日常動作に差し支えない程度まで回復したものの、昨日からの疲労が心身ともに残っている。時空管理局の医療技術も決して万能ではない。

 

「これだから男の子は……どんどん可愛げがなくなってくよね、クロノくんは」

 

「状況によるさ」

 

 それでも『闇の書』が発端となった今回の案件、じっとしていられないのだろう。クロノはかつての闇の書事件(八神はやて以前のもの)で父親を亡くしている。

 

「イリスにどれだけ悲しいことがあったか知らないが、それを他人に押しつけて、自分の悪事を正当化する……そういう輩は、最後には生きることからも逃げていく」

 

 クロノはつかつかと歩き、頼れる『相棒』を前にした。

 

「逃がすわけにはいかない。そのための僕らだ」

 

 槍型のインテリジェンスデバイス、デュランダルが呼応する。

 

「デュランダル、出撃だ」

 

『OK, Boss!』

 

 後ろのエイミィが肩を竦めた時、通信が入った。

 ユーノ=スクライアが司書を務める、無限書庫からの連絡だ。

 

『やっほー、クロノくん。あれ? また背が伸びた?』

 

「……お前たちか」

 

 デュランダルを掴もうとしていたクロノが、ばつが悪そうに眉をひそめる。

 映像の向こうで並んでいるのは、同じ顔。無限書庫でユーノ司書をサポートする双子、リーゼアリアとリーゼロッテの姉妹だった。

 

『久しぶりに大好きなお姉さんたちの顔を見て、それだけ?』

 

『カッコつけてるのよ。でしょ? エイミィ』

 

 双子だけに二倍やかましく、年下の男子では逆らえない。クロノが自分たちを苦手としているのを承知のうえで、面白半分にからかってくる。

 正直なところエイミィも胸のすく思いがした。

 

 クロノは渋々と応答する。

 

「ユーノにおかしなこと吹き込んだりしてないだろうな」

 

『おかしなことって? 具体的にはぁ?』

 

『内容によってはお姉さんたち、クロノくんにお仕置きしないといけません』

 

「こいつらは……」

 

 リーゼ姉妹と平然と一緒でいられるユーノのほうが、器は大きいのかもしれない。

 

(ユーノくんはなのはちゃん一筋だしね。報われるかどうか知らないけど)

 

 この場にいない少年を不憫に思いつつ、エイミィが尋ねた。

 

「何かわかったの?」

 

 前線に出たユーノに代わり、今はリーゼ姉妹が無限書庫で情報を集めている。

 

『それそれ。そっちから未知の回線が飛んできて……えぇと、EC4280? 問題のエルトリアと繋がってるみたいなの。そっちで確認できてる?』

 

 クロノもエイミィも目を丸くした。

 

「なんだって?」

 

「ちょっと待ってて。今、本部長に……」

 

 状況は俄かに動き出す。

 

 本部局長のレティ=ロウランも突然の出来事に驚いた。

 オペレーターが興奮気味に報告する。

 

「ま、間違いありません。地上の指揮船とリアルタイムで繋がっています」

 

「ここからエルトリアまで?」

 

「はい。信じられない話ですが……」

 

 EC4280までは途方もない距離だ。すでに本局は昨夜のうちから回線の接続を試みているものの、まだ丸一日は掛かるはず。

 ところが、地上の支局のほうが先にエルトリアと繋がってしまった。そちらは結界で遮断されているにもかかわらず。

 

 レティは断言する。

 

「夜天の書ね。あの紙片を復元したことで、自動的にオンラインになったんだわ」

 

 かろうじてユーリがはやてに託した、真実の断片。

 その復旧が思わぬ幸運をもたらしたらしい。

 

「データ類の送受信は?」

 

「今のところは確認できません。データ自体は紙片の中にあるようです」

 

「なるほど」

 

 レティは口元に笑みを含めた。

 

「ただちにその回線を追って、こちらでも確保しなさい」

 

「了解です!」

 

 指示を予想していたらしいオペレーターが、端末を叩き始める。

 

 その頃には地上の指揮船にて、復元が完了しつつあった。 

 レヴィが慎重に加減する。

 

「よーし……完成」

 

 シュテルとディアーチェが労った。

 

「お見事です」

 

「でかした」

 

「でへへ。もっと褒めてー」

 

 はやては内側でリインフォースに呼びかけた。

 

(リイン、本部に連絡。なのはちゃんやアミタさんにも見てもらお)

 

『承知しました、主はやて』

 

 誰にも聞こえない返事とともに、通信端末が本局の回線を呼び出した。

 

『こっちはもう準備できてるわ』

 

 そのタイミングで、本局のリンディから通話が開いた。

 映像の向こうになのはやフェイト、アミティエとキリエもいる。

 

『はやてちゃん! おはよう』

 

『おはようございます』

 

「うん。そっちも面子は揃てるみたいやね」

 

 今さらキリエの同席に異論を挟む者などいなかった。

 

「はやてちゃん、本部も準備万端だそうです」

 

「レヴィ、任せてもええか?」

 

「おっけー。再生するよ」

 

 全員が緊張とともに見守る中、スクリーンに映像データが映し出される。

 画面の端にエルトリアの文字で日付や時刻が記されていた。バッテリーの残量らしいアイコンもある。

 

 ヴィータやシャマルが映像に目を凝らした。

 

「ビデオで撮ったやつ……か?」

 

「研究所かしら? みんな白衣を着てるし」

 

 カメラが向きを変え、ひとりの少女にピントを合わせる。

 

《どお? 可愛く撮れてる?》

 

「――イリスっ?」

 

 思わずキリエは声を張りあげてしまった。

 椅子を蹴って立ちあがった自覚もない。呆然と映像の彼女を見詰める。

 なのはとフェイトも顔を強張らせた。

 

「どうしてイリスさんが……」

 

「わ、わからないよ。私にも何が何だか……」

 

 このデータの復元で、誰もが事件の真相に迫れるものと期待した。その期待通り、イリスという人物――首謀者の過去が明かされようとしている。

 ただ、期待以上に衝撃が大きかった。

 

 キリエを騙して散々に利用し、ユーリを連れ去った、一連の事件の黒幕。そんな人物とは思えない天真爛漫な少女の笑顔が、一同を絶句させる。

 アミティエがキリエの背中を叩いた。

 

「座りましょう、キリエ。この映像の中に答えがあるはずです」

 

「う……うん」

 

 キリエは椅子を戻し、改めて『昔のイリス』と対面する。

 

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