「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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じっちゃんの名に懸けて!真実はいつも一つ!

資源の枯渇と土壌の砂漠化――。

 命が暮らす星としては、もう死にかけている惑星。

 それがあたしたちの故郷エルトリア。

 

 死にかけた星を見捨てて、

 新しい大地に逃げようとしてるひとたちが増えていく中、

 この星に残って、星の再生を目指そうとしてるひとたちもいます。

 

 それがわれら、惑星再生委員会!

 

 土地を荒廃させる汚染、『死蝕』の繁殖原因を調べたり、

 地下深く眠っている水を地上まで引き上げる工事方法の研究をしたり、

 厳しい環境でも生きていける生物や家畜の研究をしたり、

 

 たくさんのひとたちがここで働いています。

 

 ちなみにあたしは委員会の『製作物』のひとつ。

 生態型テラフォーミングユニット、型式IRS07。

 マスコットネーム『イリス』。

 

 願いはひとつ。

 みんなの故郷、この星にもう一度、命と緑を!

 そのためにみんなで頑張っています。

 

「はい! オッケー」

 

「こんな感じでいいのかなあ」

 

 台本通りに演ったものの、当のイリスに自信はなかった。

 所長のフィル=マクスウェルが太鼓判を押す。

 

「もちろん。宣伝もばっちりさ」

 

「これで、本星に留まってくれるひとが増えるかなあ……」

 

「増えるとも。きっとね」

 

 これが生態型テラフォーミングユニット『イリス』の、表向きの仕事だった。

 死に瀕した母星を救うため、惑星再生委員会はひたむきに研究を続けている。

 公開された記録では、テラフォーミングユニットも、その研究の過程で生み出されたものと説明されていた。エルトリアの過酷な環境でも生存できるように、バイオテクノロジーの粋を集めて。

 

 この段階の映像に、製造計画のすべてが残されていたわけではない。

 のちのアミティエやキリエ=フローリアンが肉体を人工的に強化し、フォーミュラを操るためのプロトタイプ。イリスにはそういった技術面の前進も期待されている。

 この生態型テラフォーミングユニットに『イリス』と名付けたのが、惑星再生委員会のリーダー、フィル=マクスウェル所長だ。

 

 所員からの信頼はあつく、イリスとも親子のように仲がよい。

 

「自分は大丈夫、なんて思っちゃいけないよ? イリス。気をつけるんだ」

 

「わかってるってば」

 

 イリスなら防護服ひとつで大抵の場所に侵入できる。

 その日もイリスはカメラを片手に、エルトリアの危険地帯に足を踏み入れていた。

 

《えー、この一帯は汚染が特に酷いですねー。汚染濃度レベル9、微生物も死滅するほどのデスゾーンです。……アンディ、ジェシカ、ちゃんと聞こえてる?》

 

《ああ、聞こえてるよ》

 

 撮影は順調。分厚い防護服を着たイリスの足取りも軽い。

 

《オッケー、調査を続けるね。……え?》

 

 その足が不意に止まった。

 イリスは目を見開いて、『それ』を報告する。

 

「うそ……」

 

《イリス? どうしたの?》

 

《あっ、ごめん。ひとがいる。子どもだよ》

 

 まさかの事態に所員たちも困惑した。

 

「ありえない」

 

「汚染濃度はレベル9よ? そんなところに人間の子どもが……」

 

 しかしイリスのカメラは今も小さな少女を捉えている。

 所長のフィルも驚きを隠せずにいた。

 

「何が起こるかわからない。イリスにそれ以上は進まないよう言ってくれ」

 

《イリス、近づいちゃだめだ。そのまま撮影だけ》

 

《大丈夫。ちょっと待って》

 

 にもかかわらず、イリスは岩盤の隙間をくぐり、真正面から近づいてしまった。

 少女は一冊の本を大切そうに抱えて、静かに眠っている。

 

「ねえ、大丈夫?」

 

 イリスが呼びかけると、わずかに反応があった。

 

「△%&……◇$▽?」

 

 しかし言葉が通じない。未知の言語らしく、コンピュータもエラーを出す。

 

「何語だろ……大丈夫? 怪我はない?」

 

 とりあえず少女に敵意は感じられなかった。

 

《イリス? よすんだ》

 

《ごめん、アンディ。あたしに任せて》

 

 イリスは防護服のヘルメットを外し、ありのままの素顔で少女に話しかける。

 

「きみはどこから来たの?」

 

 不思議な少女はきょとんとしてから、頭上を見上げた。

 岩盤の天井に穴が空いている。

 

「落ちてきたの?」

 

 生身の女の子が高高度から落下して、無事でいられるはずがない。

 少女は戸惑いながらも不思議な書を開き、一文を指でなぞる。

 

「だい……じょう、ぶ。こん……にちは」

 

 片言だが充分に聞き取れた。

 

「あいさつはこれであってますか」

 

 この一瞬のうちに言語を適応させた少女の力に、イリスは唖然とする。

 

「合ってる……きみはあれかな、天使様か何か?」

 

「てんし?」

 

「えぇと……まずは外に出ようか。ここは危ない場所だからさ」

 

 この出会いが自身の運命をも大きく変えることを、イリスはまだ知らない。

 

翌日、改めてイリスたちは彼女から話を聞くことになった。

 彼女に余計なストレスを与えないため、聴取はイリスがひとりで担当。所員の面々はモニター越しにふたりを見守る。

 

「ぱっと見たところ、普通の女の子という印象しかありませんが……」

 

「あんな場所にいたのよ? 常識じゃ考えられないわ」

 

 フィル所長はあくまで落ち着き払っていた。

 

「焦らずに行こう。まずは彼女の話を聞いてからだ」

 

 イリスは研究所の中庭に席を設け、昨日の少女――ユーリと対面する。

 

「こんな殺風景なところで、ごめんね?」

 

「いえ。お気遣いなく」

 

 庭とはいえ、花の一輪さえ咲いていなかった。

 花壇の土は枯れ果て、用水路も黒い砂で埋もれている。近々破棄される区画だ。

 

(アンディもジェシカも警戒のしすぎよ。この子を本舎に入れようともしないで……)

 

 残念ながら、所員の間にはユーリを怖れる声もあった。ユーリを受け入れようと提案したのはフィル所長くらいで、彼女の今後は本日の聴取に掛かっている。

 そういった事情もあり、むしろイリスのほうが緊張していた。

 

「じゃあインタビューを始めます」

 

 テーブルを挟んで、ユーリと向かい合わせに座る。カメラはテーブルに設置してあるため、操作する必要はない。

 

「あなたのお名前は?」

 

「ユーリ=エーベルバインです」

 

「いい名前だね。ユーリって呼んでも?」

 

「はい」

 

 実のところ、彼女と対面するのは昨日ぶりだった。ユーリのほうも緊張した面持ちで、イリスの質問に少し遅れつつも答えていく。

 

「ユーリはどこ生まれで、どこから来たの?」

 

「生まれはベルカ。ここに来る前はオルフェンにいました」

 

「それはどのへん?」

 

「この星ではないです。もっとずっと遠い世界」

 

 質問するイリス自身、俄かには信じられなかった。

 

(この星じゃない? 宇宙から来たの?)

 

 ベルカやオルフェンという名前も聞いたことがない。聴取を眺めているフィル所長や所員たちにしても同様だろう。

 テーブルの上にはユーリが持っていた、例の本がある。

 

「じゃあ、その本は?」

 

「夜天の書。魔導書です」

 

 これまた馴染みのない言葉が出てきた。

 

「……マドウ?」

 

「少し危険なところもあるんですが、とてもいい子なんです」

 

 ユーリの声がいくらか明るくなる。まるで家族の話をするように。

 

「私はこの本を、安全に管理するために生み出されました。夜天の書は旅する魔導書。主となる人物に出会うために、いろいろな場所に旅をします」

 

「……………」

 

 ユーリにマイクを寄せながら、イリスはぽかんとした。

 

「私はこの子が主に危険を及ぼさないよう、見守ったり、説明したり、そんな役目のために生み出されました」

 

 所員もユーリの話についていけず、押し黙る。

 フィル所長が問いかけた。

 

『ユーリ、ちょっといいかい? そのマドウ書というのは何ができるのかな』

 

「主が扱えば、色んなことができます」

 

 魔導書がひとりでに浮かび、テーブルの上で星のように公転する。

 

『具体的には?』

 

「できないのは、失われた命を取り戻すことと、時間に干渉すること。それ以外なら大抵のことは」

 

 ユーリの説明はさっぱりわからない。

 ただ、イリスはすでにユーリの『力』を体験済みだった。初めて会った時は言葉が通じなかったはずなのに、今日のユーリはイリスたちと同じ言語を流暢に話している。

 

「すごいね。願いが叶う魔法の指輪だ」

 

「……指輪?」

 

 聴取の様子を眺めながら、所員たちは半信半疑に首を傾げた。

 

「本当かな」

 

「『主』というのもわからないわね」

 

 しかしスタッフのひとりが興奮を露にする。

 

「途方もないエネルギー反応が見えています。単位としては天文学のレベルですよ」

 

 映像のフィルターを切り替えると、魔導書が真っ白に輝いた。それこそ恒星ひとつ分のエネルギーが、周囲にまったく影響を与えることなく存在している。

 フィル所長が前のめりになった。

 

「なるほど……。ユーリ、君自身はその本の力を扱えるのかな」

 

「ほんの少しでしたら。あとは私自身も魔法をそれなりに」

 

 イリスは瞳を輝かせる。

 

「魔法? ユーリは魔法を使えるの?」

 

 ユーリは当然のように頷いた。

 

「はい」

 

「見せて、見せて! あたしのフォーミュラも見せてあげるから」

 

 イリスは立ちあがり、エルトリアの技術の結晶『フォーミュラ』を呼び出す。

 

「いいんですか? 所長」

 

「構わないさ。僕たちばかり質問責めにしては、フェアじゃないからね」

 

 所長の許可もあっさりと降りた。

 イリスのフォーミュラはアームカバーのような形状で、先端に砲身が備わっている。

 

「あたしのフォーミュラは、体内に入れたナノマシンを通じて、物質に含まれるエレメントに干渉する力」

 

「なのましん? えれめんと?」

 

 今度はユーリのほうが不思議そうに瞳を瞬かせた。

 フォーミュラがエネルギー弾を発射し、中庭の瓦礫を砕く。

 

「それに、金属や無機物に干渉するバリアントシステムを組み合わせると……」

 

 その破片を、イリスはフォーミュラにぴったりと重ねた。

 フォーミュラが破片を吸収しつつ形を変え、鋭利なブレードになる。

 

「どう? こんな感じのことができるんだ」

 

「すごいですね!」

 

「えへへ」

 

 期待通りにユーリを驚かせることができて、少し得意になってしまった。

 続いてユーリが席を立つ。

 

「私の魔法もそのフォーミュラと似ていますね」

 

 今になってイリスは思い出した。

 

(あ、そっか。魔法を見せてくれるんだっけ)

 

 ユーリを信じていないわけではない。手品を待つ気分でユーリの挙動を眺める。

 ユーリは枯れたままの花壇へ歩み寄ると、地面に手をついた。

 

「壊すことにも使えますが、私はどちらかというと……」

 

 大木の根っこみたいなものが花壇を飲み込む。

 それはみるみる膨張し、大樹のシルエットとなった。そのシルエットが薄いガラスのように割れると、芳しい香りが溢れてくる。

 

「え……」

 

 イリスは両目をいっぱいに見開いた。

 所員たちも一様に驚愕する。

 

「こんなふうに育てることに使うのが好きです」

 

 ユーリのもとで花が咲いていた。

 ひからびた大地には似つかわしくない、たくさんの花が。

 イリスにとっては絵本でしか見たことのない『お花畑』が、乾いた風に揺れる。

 

 奇跡だった。

 心のどこかで『この星は二度と蘇らない』と、イリスも思っていたのかもしれない。そんな悔しさや歯痒さが、すべて喜びの躍動に塗り替えられる。

 

「うわあああーんっ!」

 

 イリスは夢中で駆け出し、ユーリに抱きついた。

 

「ユーリ! ユーリ! ユーリ!」

 

 何度も名前を呼びながら、子どものように泣きじゃくる。

 

「イ、イリス?」

 

「ユーリは本当に天使なのかもっ!」

 

 戸惑うユーリを、イリスは力いっぱいに抱き締めた。

 

「命に触れる力、育てる力……あたしたちが一番欲しかった力なの!」

 

「そうなんですか?」

 

 ユーリにとっては何でもないことらしい。

 感動と興奮で胸が高鳴る。色鮮やかな花に囲まれているのが、夢みたいで。

 イリスはユーリの手を取り、まじまじと彼女を見詰めた。

 

「ユーリ、お願いがあるの。あたしたちに力を貸して」

 

 この気持ちをユーリに伝えたくて、両手にぐっと力を込める。

 

「ユーリの魔法があたしたちの希望なの!」

 

 一方のユーリは困惑していた。

 

「私が……ですか?」

 

「ユーリが、だよ。……だめ?」

 

 拒絶されるのかと思い、イリスは急に弱気になる。

 

「だめというか、私なんかでお役に立てることがあるとは……」

 

「ある!」

 

 それでも諦められるわけがなかった。

 異邦の土地で今、ユーリはひとりぼっちなのかもしれない。

 もしそうなら――。

 

「勝手なお願いだってのはわかってる。だけどユーリが困ってることや悩んでることがあるなら、それを私たちが手伝う。だからお願い、力を貸して!」

 

 がむしゃらだった。打算など考えていない。

 ユーリは自信なさげに打ち明ける。

 

「いつまでここにいられるかはわかりませんし、ご迷惑をお掛けすることもあるかも……それでも私の魔法が、みなさんのお役に立つのなら」

 

 イリスの抱擁に勢いがつきすぎて、ユーリを押し倒してしまった。

 お花畑の真中へ。

 

「ユーリ! ありがとう、大好き!」

 

「イリスさん?」

 

「『さん』はいらない、イリスでいいよ。所長がつけてくれたお気に入りの名前なんだ」

 

 ふたりはお花に埋もれっ放しで微笑む。

 

「じゃあ……イリス」

 

「うん! ユーリ」

 

 所員たちも奇跡の出会いに感じ入っていた。

 

「なんだかイリスが、お嫁に行っちゃうような気がするわねえ」

 

「どうですか? パパとしては」

 

 フィル所長は憮然と答える。

 

「うちの子にはまだ早い」

 

 そうふてくされるものの、すぐに表情を和らげた。

 

「まあ、まずはお友達からだ。歓迎しよう。新しい仲間と、新しい可能性を」

 

 かくして惑星再生委員会に新メンバーが加わることとなる。

 

委員会に新しい仲間ユーリが加わり、エルトリア復興の道は大きく開けた。

 生命に干渉及び操作するユーリの魔法は、大地の蘇生に貢献。たった2年で、施設の敷地内には立派な緑が帰ってくる。

 現在はユーリにしか使えない『魔法』だが、これを汎用的な形に落とし込めれば、母星の復興は劇的な進歩を見せるだろう。

 

 研究チームはその実現に全力で取り組んでいる。

 

「われわれもユーリにばかり頼ってられない。やるぞー」

 

「汚染レベルの低い場所は、何とか可能性が見えてきたわね」

 

 以前とは俄然モチベーションが違った。誰もが限界を感じ、プロジェクトの行く末に不安を抱いていたのが、まるで嘘のようだ。

 研究所の一角では試験的に耕作も始まり、上々の成果をあげつつある。

 

「どうです? 所長。エルトリアの大地で採れたニンジンですよ」

 

「こりゃあすごい。成分のほうはどうかな」

 

 当初は何かと戸惑いがちだったユーリも、随分と明るくなった。イリスと一緒にカメラの前でピースを決めることも。

 

「私の魔法がこんなに役に立つなんて、本当に驚きました」

 

「だから言ったでしょ? ユーリの力はあたしたちの希望なの」

 

 やがて研究所の一帯は、水遊びができるくらいに環境が安定した。イリスもユーリも水着のスタイルで楽しげにはしゃぐ。

 

「所長~! 所長も遊ぼうよ」

 

「遊んでくださーい!」

 

 フィル所長も『娘』たちには前よりも甘くなった。

 

「男性所員はこの区画へ立ち入らないように」

 

「何言ってるんですか、所長……」

 

 初めてユーリが魔法を使った中庭も、今や庭園と呼べる規模にまで広がっている。

 色とりどりの花で溢れそうな花壇を、ユーリが屈んで覗き込んだ。

 

「この子たちは本当に安定しましたね。私が手を掛けなくても育ってくれます」

 

「うん! ユーリと、みんなが頑張ったおかげでね」

 

 ユーリひとりの手で救うには、エルトリアは広大すぎる。

 しかし大勢の仲間が力を合わせれば、そう遠くない未来で必ず実現する。その確信がイリスの胸にあった。

 イリスは両手を広げ、花の香りを満喫する。

 

「この果樹園、世界中に広げていきたいねっ!」

 

「はい!」

 

 ただ、惑星再生のプロジェクトは別の面で暗礁に乗りあげつつもあった。

 

「でも委員会の予算がなあ……」

 

「おかね……ですか」

 

 金銭という概念からして知らないユーリは、首を傾げる。

 

「所長、いつも悩んでるもん」

 

 復興の気運は今までになく高まっていた。

 だが、それは現地の研究員たちに限った話でしかない。

 まだ惑星には住民が残っているものの、その人口はここ数年で激減している。

 

『なるべく住み心地のよいコロニーへ』

 

『急がないと、水や空気の使用を制限されるらしいぞ』

 

 根も葉もないデマも加わり、今やコロニーへの移住は生存競争となっているのだ。マスコミも惑星再生委員会の活動云々より、コロニーの宣伝に躍起になるほど。

 

「みんな、宇宙に逃げる算段ばっかりだって」

 

 それを思うと悔しかった。

 研究所のカプセルで生まれた自分でさえ、エルトリアには愛着があるのに。なぜエルトリアの大地で育ったはずのひとびとが、簡単に故郷を捨ててしまえるのか。

 

「もっといっぱいお金があって、たくさんのひとが手伝ってくれればなあ……」

 

 プロジェクトの行く末を憂うイリスに、ユーリが発破を掛ける。

 

「頑張りましょう! 復興が進めば、みんなもきっとわかってくれます」

 

「うん! だよね――」

 

そこで急に映像が乱れた。

 レヴィがデータの紙片をねめつける。

 

「お? あれれ?」

 

「途切れちゃいましたね」

 

「おかしいなあ」

 

 はやては肩の力を抜くと、一同を見渡した。

 

「色々びっくりやなあ……」

 

「ええ」

 

 シャマルを始め、守護騎士の面々の驚きは大きい。シグナムが声のトーンを落とす。

 

「夜天の書の傍らにあのような者がいたのか」

 

 狼のザフィーラも神妙な声色だった。

 

「短い間のこととはいえ、アインスは知っていたのだろうか」

 

「知ってはいたんじゃねえかなあ」

 

 と、ヴィータが相槌を打つ。

 

「あいつは主がいない時でも、時々は目を覚ましてたはずだし」

 

「だけど、ユーリちゃんがその後どうなったかまでは」

 

「知ることができなかった、か」

 

 改めてレヴィがスクリーンを見据える。

 

「やっぱりデータが破損してるみたい。再生できるところまで飛ばすね」

 

 再び映像が開いた。

 最初と同じカメラらしい。持ち主は大慌てで走っている。

 

『早く! こっちだ、こっちに……』

 

 それを銃声が遮った。

 カメラが落下し、エレベーターの前で転がる。今しがた声をあげていた所員も、瞬く間に撃ち殺されてしまった。

 

「こ、これは……」

 

 はやては蒼白になり、瞳を強張らせる。

 さらに映像が切り替わり、暗闇の中、所長の執務室がうっすらと浮かびあがった。

 イリスの慟哭が木霊する。

 

『どうしてっ? なんで、ねえ! ユーリ!』

 

『……………』

 

 彼女の眼前にはユーリの小さな影が立ち竦んでいた。

 映像は切れ、スクリーンは砂嵐に覆われる。

 

「ディアーチェ、今のは……」

 

「われにもわからぬ」

 

 シュテルやディアーチェも、予想外の結末に半ば呆然としていた。

 守護騎士やアルフ、なのはたちも絶句。それほどの衝撃だったと沈黙が物語る。

 ようやくはやてが声を絞り出した。

 

「アミタさん、惑星再生委員会っていうのは?」

 

 本局より通話中のアミティエが、顔色を一段と暗くする。

 

『40年ほど前ですが、確かに存在していました。私の祖父もそこに所属していたと』

 

 隣のキリエも口を開いた。

 

『私もパパに聞いたことがあるわ。大変な事故が起きて、関係者や職員のほとんど全員が亡くなって……』

 

『その事故のせいで、エルトリアを救おうとするひとがいなくなったんです。当時はまだ子どもだった、私たちの両親を除いて』

 

 ディアーチェが鼻を鳴らす。

 

「今のが『事故』か?」

 

 フローリアン姉妹を刺激しかねない話だ。それでもフェイトは頷く。 

 

『最後のイリスさんの様子だと、まるでユーリがやった……みたいに思えるね』

 

『フェイトちゃん? だけど……』

 

『わかってるよ、なのは。ユーリは犯人じゃない』

 

 エルトリアの惑星再生委員会は何者かの襲撃を受けた。これは間違いない。

 その惨劇の最中、イリスはユーリを犯人だと思い込んでしまったのだろう。イリスの目的はユーリへの『復讐』――辻褄は合う。

 シャマルが遠慮がちに切り出した。

 

「あのね、これは仮説というか想像なんだけど……この場面のあとに、ユーリちゃんはもう動けない状態になっちゃって、夜天の書の中のアインスも意識がなくて。だから、仕方なく夜天の書に『自分自身を収集』させたとしたら」

 

 夜天の書は旅する魔導書。

 さまざまな世界を巡り、魔法を集めることを目的とする。

 

「夜天の書はエルトリアでの収集を終えて、また旅に出る……」

 

「そいつでエルトリアを脱出したわけか」

 

 ユーリにとってはまさしく最後の手段だったはず。

 

「ユーリちゃんは夜天の書の中で眠る。主と会えなかった夜天の書は、そのままエルトリアをあとにして……」

 

「何人かの主を経て、私のところに来た」

 

 はやては胸の中で悔しさを堪えた。

 夜天の書の主でありながら、自分は何も知らない。夜天の書のことも、その足取りも。

 ヴィータが苦々しげに呟く。

 

「だからアインスは、ユーリがどうなったか知らなかった」

 

(……私にも、その先の記録はありません。申し訳ありません、主はやて)

 

 リインフォースの声が、はやての内側にだけ響いた。

 

「でもそれなら、ユーリはどうしてあんな場所に?」

 

「水族館の宝石の中だっけ」

 

 シャマルの推測はなお冴えていた。

 

「はやてちゃんの天使化で『闇の書』の闇が消えた時、ユーリちゃんも一緒に切り離されたんじゃないかしら。そうして、海の底であの結晶になって……眠ってた」

 

「それがオールストン・シーの開発で発見されて」

 

「ええ。水族館に設置されたのよ」

 

 それきり守護騎士の面々は押し黙る。

 ディアーチェがレヴィとシュテルに目配せした。

 

「我らは出ておらなんだな」

 

「そうだったねー」

 

「ですが委員会の建物やひとびとには、どこか見覚えがありました」

 

 レヴィが瞳を上へ転がす。

 

「よく考えたら……イリスのことも?」

 

「うむ」

 

 ふとザフィーラが狼の顔をあげた。

 

「解せません」

 

「ザフィーラ? 何か気になることでも?」

 

「そのイリスです。イリスの目的はユーリへの復讐……だとすれば、現時点で目的は達成しているのでは」

 

 通信の向こうでキリエが前のめりになる。

 

『じゃあ、まさかユーリは……』

 

「確かに。煮るなり焼くなり好きにできるよな」

 

 ヴィータの意見も聞きながら、シュテルとレヴィが肩越しに振り向いた。

 

「でしたら、わざわざ私たちと戦わせた意味もわかりませんね」

 

「そーそー。自分でやればいいじゃん」

 

 はやては険しい顔で考え込む。

 

「やっぱり変や。事件の真相が知りたくてユーリを追ってた、言うんならわかるけど……それなら、王様たちとぶつける前に聞くはずやろ」

 

「うむ」

 

 シグナムが通信越しにキリエを問いただした。

 

「キリエ=フローリアンだったな。お前はイリスと接触していて、何か違和感を覚えたことはなかったか?」

 

『違和感……そういえば』

 

 キリエはアミティエと視線を交わす。

 

『この事件が始まる前の話になるけど。イリスは、私のパパとママには絶対に会おうとしなかったわ。ねえ? お姉ちゃん』

 

『こっちから教会を訪ねた時も、隠れられてしまいました』

 

 ヴィータがやにさがった。

 

「真相が知りたいなら、アミティエたちの親に話を聞いてみるのが一番じゃねえか。それをしなかったのは、腹に一物抱えてたからで」

 

「何にせよ、そのお母さんにイリスのことを相談できれば……」

 

 砂嵐だけのスクリーンに別の映像が割り込む。

 

『はやて、こちら捜査本部』

 

 レティ=ロウラン本部局長は応答を待たず、早口でまくし立てた。

 

『対象イリスの拠点を発見したわ』

 

「――!」

 

 一同が表情を引き締める。

 

『今、最寄りの武装局員が向かってる。全員ただちに出動準備を』

 

「了解!」

 

 作戦が始まった。

 はやてがディアーチェに提案する。

 

「共同戦線や。ユーリが出てきたら、そっちは任せる」

 

 シュテルは警戒心を露にした。

 

「信用していいんですか? 私たちのことを」

 

「目的は同じやろ? ユーリを助ける、イリスを捕らえて話を聞く」

 

 小柄なヴィータが誰よりもふんぞり返る。

 

「戦力は大いに越したことはねえ」

 

 ザフィーラとシグナムも新戦力を歓迎した。

 

「お前たちは自分たちの目的のために動けばいい」

 

「敵にまわるようなら、その時はその時だ」

 

「そういうこと」

 

 シャマルがレヴィの頭を撫でる。

 

「もちろん協力しあえるんなら、それが一番やけど。どや? 王様」

 

「フン。よかろう」

 

 おもむろにディアーチェが立ちあがった。 

 

本局のなのはたちも動き出す。

 

「行こう、なのは」

 

「うん! アミタさんも手伝ってくれますか?」

 

「もちろんです。でも、その前に……」

 

 保護観察の立場にあるキリエも、じっとなどしていられなかった。リンディ次長の正面にまわり、切実に訴える。

 

「リンディさん、お願い! 私も一緒に戦わせて!」

 

「キリエさん……」

 

 訴えながら、頭も下げた。

 

「勝手なこと言ってるのは、わかってる。だけど、あんなもの見ちゃったら、ますますイリスのこと放っておけない。だから……お願いです! 許可をください!」

 

 震えるばかりのキリエの肩に、アミティエがそっと触れる。

 

「私からもお願いします、リンディさん。イリスを説得できる可能性があるのは、キリエだけです。妹の力は必ず必要になります」

 

「そうは言ってもねえ……」

 

 リンディは困ったように眉をひそめた。

 昨日まで重要参考人(容疑者)だったキリエ=フローリアンを戦線へ投入するなど、治安のための組織にできるはずがない。それ以前にもリンディはキリエのため、ぎりぎりのところで数々の便宜を図っている。

 フェイトやなのはが不安そうに見守る中、リンディは嘆息した。

 

「東京支局長のクロノは私の息子でね? 実は昨夜、アミティエさんが飛び出していった件で始末書を書かなくちゃならないの」

 

「そ、それは……」

 

 アミティエの表情が曇る。

 

「だったら一枚書くのも、十枚書くのも、似たようなものでしょう?」

 

「……っ!」

 

 その言葉にキリエは顔をあげた。

 

「本部局長には私から話しておきます。それに……ねえ? シャーリィ」

 

 通話の映像が開き、技術部門のシャリオ=フィニーノが答える。

 

『あっ、調整のほうですか? 次長の指示通り、アミティエさんとキリエさんのフォーミュラも済ませておきました』

 

「ご苦労様。さすがね」

 

『フェイトちゃんのデバイス調整も終わってるから。なのはちゃんには、結界の配置と強度の最新データを渡すねー』

 

「はい! ありがとうございます、シャーリィさん」

 

 キリエはもう一度、深々と頭を下げた。 

 

「ありがとうございますっ!」

 

「いいのよ。あなたはアミティエさんと同様、貴重な戦力だもの。それに今ここで動かなかったら、後悔することになると思うから」

 

 かつての闇の書事件で夫を亡くしたリンディの言葉は重い。

 キリエはスカートをぎゅっと握り締める。

 

「お姉ちゃん、イリスも私たちと同じだったのよ。エルトリアで生まれて、エルトリアの復興を夢見て……あんなに頑張って。だから、だから私」

 

 アミティエはキリエの手を取ると、自嘲を含めた。

 

「聞いてください、キリエ。さっきの映像でユーリの力を見た時……思ってしまったんです。あの力さえあったら、父さんを救えると」

 

「お姉ちゃん……」

 

「あなたが永遠結晶を求めたのと同じですよ。あなたの気持ちはわかってるつもりだ、なんて言っておきながら……本当は何もわかってなかったんです」

 

 キリエもアミティエも同じことで悩み、同じところで迷っていただけ。

 姉妹で今こそ気持ちをひとつにする。

 

「今度こそ一緒に戦いましょう」

 

「うんっ!」

 

 覚悟は決まった。

 イリスを助けたい。助けなくてはならない。

 

(待ってて、イリス。私はもう折れたりしない……あなたの心を救うまで!)

 

 逸る気持ちを抑えつつ、なのはたちはシャリオの技術部へ。

 

「どうぞ。準備完了です」

 

 フェイトは相棒のバルディッシュを受け取った。なのはに用意されていたのはデバイスではなく、都内の結界配置と、支点ごとの許容出力を記した戦術情報だった。

 

「ありがとう」

 

『Ready, Sir』

 

 バルディッシュがフェイトの手の中で応える。

 なのはは空中に開いた図面を目で追った。結界を破るような力を放てば、敵だけを倒して終わりにはできない。地上に暮らすひとびとが巻き添えになる。それを知るための資料だった。

 

「シャーリィさん、このデータ、戦闘中も更新できますか?」

 

「もちろん。こちらから追跡して送るよ」

 

 なのはは頷いた。もう人間の魔導師だった頃と同じ武装は使えない。それでも、誰かを助けたいという気持ちに変わりはなかった。

 

「おふたりのフォーミュラはこちらです。キリエさんのものはほぼ無傷でしたが、システムオルタは封印してありますので、ご了承ください」

 

「うん。あれは二度と使うつもりないから」

 

 働き詰めに違いないシャリオを、フェイトが労った。

 

「シャーリィさんも少し休んでください」

 

「いえいえ。ここからが本番です」

 

 しかしシャリオは勝気な笑みを弾ませる。

 

「私のほうで必ず間に合わせますので。みなさん、頑張ってください」

 

「は、はい……」

 

「緊急ゲート、使えます!」

 

 出動を急かす声が飛んできた。

 

「じゃあシャーリィさん」

 

「行ってきます!」

 

 なのはとフェイトに続き、キリエとアミティエも駆け出す。

 

その頃――東京都内のある場所にて。

 フォーミュラで完全に武装したイリスが、無言のユーリに詰め寄る。

 

「ずっとあんたを探してた。どうしてあんなことになったのか、本当のことを聞くためでもあるけど……」

 

 ユーリは紫色の水晶体で拘束されていた。

 

「どんな理由があるにせよ、裏切ったあんたへの復讐のためでもある」

 

 うなだれるユーリの前髪を、イリスが乱暴に引っ掴む。

 

「本当にあんたがみんなを殺したんなら、絶対に許さない。嘘をついてあたしの前から消えたんなら、それも許さない」

 

 その一言ごとに憎悪が燃えあがった。

 

「あたしを殺さずに逃げたのも、みんなと一緒に眠らせてくれなかったのも!」

 

 ユーリの前髪から手を離し、不愉快そうに吐き捨てる。

 

「あたしは過去を終わらせたいの。……そうじゃなきゃ、生きることも死ぬこともできないから……」

 

 あとのことなど考えていなかった。

 時空管理局に逮捕されようと、この復讐が果たせるのなら。もはやイリスに未来を生きるつもりはない。それでも忌まわしい過去に決着だけはつける。

 不意にアラームが鳴った。時空管理局に居場所を突き止められたか。

 

「この星はうるさくて敵わないわね……始末して」

 

 開戦まで、あと一分。

 

 時空管理局の大部隊がイリスの隠れ家へ四方から忍び寄る。

 

「バイルスマッシャーを3基、狙撃位置に配備しました」

 

「周辺を包囲。突入班も配置を完了しています」

 

 数々の修羅場をくぐってきただけに、見事なまでのチームワークだった。

 結界の外では夏の陽も暮れなずむ頃だろう。結界の影響下にあるこちらの『東京』は、まったくの無人にもかかわらず、夜空の底でイルミネーションを湛えている。

 風はなかった。

 

「監視と警戒態勢を維持。いつでも突入できるように」

 

「はい」

 

 武装局員たちは頭を低くして、カウントダウンを待つ。

 ところが逆に不意打ちを食らってしまった。突然の砲撃だ。

 

「攻撃っ? どこから?」

 

「B班とC班、狙撃を受けました!」

 

 爆炎に見向きもせず、部隊長が号令を発する。

 

「突入する!」

 

 武装局員は波状攻撃のフォーメーションでイリスの隠れ家へ躍り込んだ。

 昨日のうちにキリエ=フローリアンが回収した重機は、まだ少し残っているはず。

 と思いきや、アジトはもぬけの殻だった。

 

「機動外殻も何もない……うわっ!」

 

 当惑する局員たちに目掛けて、再び砲撃が飛んでくる。

 奥のシャッターが開くとともに、二輪のライトがずらりと並んだ。

 

「アンドロイドかっ?」

 

 イリス――IRS07をベースに量産したらしいアンドロイドが全員、まったく同じ挙動で二輪のエンジンを噴かせる。

 本物のイリスはユーリを従え、悠々と戦場を見下ろした。

 

「あたしの分身も頑張るから、手分けして働こ。ユーリはあの魔女たちを……そうね、王様とも殺しあってくれたら嬉しいわ」

 

 イリスの手には夜天の書。

 

「これを返してほしかったら、生きてアタシの前へ戻ってきて。いいわね?」

 

『了解』

 

 ユーリの瞳を真っ赤なコードが走る。

 

「行くよ、みんな」

 

 イリスの命令を受け、彼女の『群体』が一斉に動き出した。

 

 遥か上空の本局は対応に追われる。

 

「包囲中の4番隊、壊滅! 映像と報告が来ました!」

 

 本部局長のレティは眼鏡越しに目を見張った。

 

「イリスが増えている……?」

 

 突如として、ターゲットのイリスと同じ識別反応が大量に出現する。拠点は今までジャミングでカバーしていたらしい。

 敵の私兵はバイザーで目元を覆っているものの、イリスと瓜二つだった。

 

「分散して結界外周部を目指しています」

 

「結界から出ようというのね」

 

 かろうじてレティは舌打ちを堪える。

 アミティエ=フローリアンからフォーミュラの委細は聞いていたにもかかわらず、敵の戦力を大きく見誤ってしまった。

 エルトリアの惑星再生委員会が手掛けていたテラフォーミングユニットは、環境に応じた自己増殖の機能を持つ。資源の少ないエルトリアですら、それを可能とした。

 

 素材もエネルギーも大量にある地球なら、爆発的に増殖できる。

 

「フォーミュラを併用した機動外殻だけじゃなかったんだわ」

 

「ですが本部長、結界の中ですよ? イリスは何を材料に使ったのでしょうか」

 

「現時点では何とも……とにかく食い止めないと」

 

 クロノ支局長やリンディ次長からも緊急の通話が開いた。

 

『次長、イリス本体の捜索は掛けられますね』

 

『反応マーカーで識別がつくわ。結界内なら逃がさない』

 

 防衛の主力となるユーノ=スクライアも、すでに配置についている。

 

『捜索はこっちに任せて!』

 

 レティは状況を注視しつつ、続けざまに指示を出した。

 

「分散した『群体イリス』を結界から出さないように叩くわ。クロノ支局長、それからはやても、すぐに出撃して」

 

『了解!』

 

『了解です!』

 

 群体イリスの動きから意図は読める。

 

「連中は結界構築の要となるポイントを狙ってるみたいね。よく調べたものだわ」

 

「この数です。強引に突破することも考えているのでは?」

 

「ええ。地下鉄まで用意してるなんて……」

 

 結界を脱する手段は、ふたつあった。

 結界を内部から支える複数の力場を破壊するか。もしくは距離を稼ぎ、力ずくで突破するか。群体イリスはその両方を同時に進めつつある。

 

「けど……妙ね」

 

 そこにレティは疑問を抱いた。

 

指揮船の甲板にて、ディアーチェも臨戦態勢に入った。シュテル、レヴィとともにバリアジャケットを装着し、海上から夜一色の東京に臨む。

 はやては自分の内側に呼びかけた。

 

(リイン、準備はええ?)

 

『はい。こちらはいつでも』

 

 甲板に現れたケースには、魔導書型デバイスが二冊納められていた。はやて自身が使用するものではない。夜天の魔導書と繋がりがあっても、すでに彼女の身体は従来のベルカ式魔法を扱えなかった。

 

「うん。王様にはこれ」

 

 はやてはケースを開き、片方を差し出す。

 

「管理局に特注で作ってもろうた魔導書型デバイス。王様やったら上手く使えると思う」

 

「ああ。借りておいてやる」

 

 その片方を受け取り、ディアーチェは不敵に微笑む。

 

「われわれはユーリに用がある。ほかは知らんぞ」

 

「それでええよ。じゃあ行こか」

 

「頑張るぞ~!」

 

「その意気です、レヴィ」

 

 長い夜が始まった。

 

 なのはたちも上空から戦場へ降下しつつある。

 逆風の中、アミティエが声を張りあげた。

 

「なのはさん! 言えた義理ではありませんが、どうか無茶をされませんように!」

 

「大丈夫です!」

 

 なのはの意志は固い。

 フェイトも後続のキリエにエールを送った。

 

「キリエさん、頑張りましょう」

 

「うん。ありがとう、フェイトちゃん」

 

 いつまでも昨日の件を引きずっていられない。キリエはなのは、アミティエとも視線を交わし、お互いの無事を約束する。

 

「キリエ、あなたはイリスを追ってください」

 

「わかった!」

 

 東京の上空で4つの光がばらけた。

 

 地下鉄が東京の真下を突き進む。

 この列車はイリス製の機動外殻だった。群体イリスの一個中隊が乗り込んでおり、結界の範囲外へ出ようとするチームと見て間違いない。

 その線路の先で、威風堂々と待ち構える人物がいた。列車が突っ込んでくるにもかかわらず、眉ひとつ動かさない。

 

 先頭車両のライトが彼女――剣の騎士シグナムを眩しく照らす。

 

「ハッ!」

 

 その光の真っ只中を、炎の矢が逆行した。

 レヴァンティンの炎弾が列車に命中し、爆発を起こす。後続の車両も横転し、レールに車体をうるさく擦りつけた。

 その中から部隊長らしい『個体』が出てくる。

 

「……」

 

 シグナムは淡々と警告した。

 

「聞こえているのだろう? イリス。立ち止まって、対話の卓につく気はないか」

 

「……………」

 

 応答はない。間合いを取り、前傾姿勢でシグナムを見据える。

 

「ならば――来い!」

 

 シグナムのレヴァンティンが赤々と炎をまとった。 

 

 敵は地上のほうでも活発に動く。

 アンドロイドたちはイリスの意志を共有していた。

 

『あの電波塔を封鎖領域の起点に使ってるのね』

 

 東京の新たな象徴たるスカイタワーが、青白い光を帯びている。

 

『破壊して。エクスカペータ』

 

 その命令に応じ、巨大な機動外殻エクスカペータが起きあがった。似て非なる東京の街並みを踏み潰しながら、スカイタワーへ迫っていく。

 しかしエクスカペータの前進は、同じサイズの『左手』によって遮られた。

 湖の騎士シャマルがクラールヴィントを介して、それを操る。

 

「やっと完成した東京の新名所、簡単に壊されてたまるもんですか……!」

 

 その間にザフィーラがエクスカペータに肉薄し、狼から人間の姿へ。十八番の肉弾戦で機動外殻の障壁をすり抜け、強烈なブローを叩き込む。

 

「お前たちの弱点はこちらも把握済みだ!」

 

「フォローは任せて、ザフィーラ!」

 

 攻防一体のコンビネーションがスカイタワーに敵を寄せつけない。

 

「シグナム、そっちはどう?」

 

『線路内にいた量産型は殲滅した』

 

「早いわね」

 

 すでにシグナムのほうは区切りをつけていた。

 

「今リンディさんと本部が、イリスの本体を探してくれてる。群体イリスの掃討はほかのみんなも頑張ってるわ。結界から逃がす心配はなさそうよ」

 

『ああ。だが油断はするなよ、シャマル』

 

「あなたこそ」

 

 ザフィーラの一撃がエクスカペータを撃沈させる。

 

 国立競技場のほうにも群体イリスは戦力を集中させてきた。こちらの部隊もエクスカペータを主力とし、着実に歩を進めてくる。

 時空管理局の面々は群体イリスの機械じみた連携と、エクスカペータの火力に、防戦一方へ追い込まれつつあった。

 それでも国立競技場の守備は堅い。ユーノの防御魔法があらゆる攻撃を跳ね返す。

 

「なのは!」

 

「うん! ミカエル、開いて!」

 

 ユーノの障壁に殺到していた砲撃の手前で、鍵型の〈封解主〉が空間を開いた。光はなのはが開いた入口へ吸い込まれ、敵機の側面に設けた出口から吐き出される。

 自分の砲撃を受け、エクスカペータの巨体が大きく傾いだ。

 だが、なのははそこで鍵を止めた。もっと大きく開けば敵部隊全体をまとめて押し返せる。そうすれば今度は、競技場を覆う結界の支点まで同じ衝撃を受けてしまう。

 

 結界の外へ漏らしてはならない。空間を繋ぎ替える出口も、角度も、広さも、ひとつずつ絞るしかなかった。

 

「あと少し……!」

 

 なのはは入口を狭め、次弾の到達先を機動外殻の推進部だけに合わせる。二度目の砲撃が命中し、エクスカペータは推力を失って落下した。

 その上空を頼もしい仲間が通り掛かった。

 

「その調子やで、なのはちゃん! ユーノくん!」

 

「はやてちゃん!」

 

「指示のほうは私に任せて。さあ、無駄なく行くで!」

 

 はやての背後に光の王冠が展開した。〈絶滅天使〉メタトロン。細長い羽のような端末がそこから分かれ、上空に散開する。

 

(右の支点、もうかなり危ないな)

 

『端末三基で十分です。広域飽和は必要ありません』

 

(わかっとる。あんなもん、ここで全部出したら結界ごと壊してまう)

 

 内側でリインフォースと短く交わし、はやては右手を振った。〈光剣〉の三基が各々射角を変え、結界を狙う群体イリスの推進器だけを正確に撃ち抜く。

 本来のメタトロンが放てる出力を思えば、あまりにも細い光だった。だが一発で敵機を止めるには、それさえ細心の調整が要った。

 その間もはやては作戦行動のブレーンとして立ちまわる。

 

「キリエさん、聞こえる? イリスの行き先は多分、東京タワーや!」

 

『ありがとう! あの赤い電波塔ね』

 

 最初こそ後手にまわってしまったとはいえ、徐々に盛り返してきた。

 

 キリエも管理局勢の一員としてイリスを追いかける。

 

(絶対にイリスを止める! それから、はやてちゃんの夜天の書を……)

 

 そう意気込む一方で、今夜のキリエは冷静さを持ち合わせていた。姉のアミティエに支えてもらえることで、多少は余裕が出てきたらしい。

 

『キリエさん、そっちにもイリスの部隊が展開してる! 殲滅を頼めるかな』

 

『ええ!』

 

 いずれイリス(本体)と接触できる機会はあるだろう。独断専行を避け、群体イリスとやらの掃討に参加する。

 アンドロイドの群れはキリエを発見しても、発砲してこなかった。

 抑揚のないイリスの声でキリエを迎える。

 

「なんだ……まだいたの」

 

「何しに来たの」

 

「ひとりじゃ何もできないくせに」

 

 キリエの劣等感や無力感を容赦なしに抉り出す、冷酷な歓迎――もとい拒絶だった。

 キリエは足を止め、イリスのコピーらと対面する。

 

「そうだね……私はイリスに頼りっ放しで、優しいひとに甘えて。今も色んなひとに迷惑を掛けてるのに、ワガママ言ってここにいる」

 

 イリスを思うと怖かった。

 親しいはずの友達にないがしろにされるのが恐ろしかった。

 それでもキリエは吼える。

 

「だけど私は変わりたい。変わらなきゃいけないんだっ!」

 

 フォーミュラのブレードがイリスの偽物を両断した。

 人型のフレームに人工の肌を被せたに過ぎず、血が流れることもない。一度でもそれを確認すれば、二体目以降は存分に攻撃できる。

 

「すぐに行くわ、イリス! あなたに『真実』を伝えるため!」

 

 キリエのフォーミュラが一段と輝きを増した。

 

 レヴィはディアーチェと一時的に別行動を取り、殲滅作戦へ乱入する。

 管理局勢の劣勢が見るに堪えなかっただけのこと。

 

「まったくもー。キミら、弱っちいなあ。手伝ってやるから感謝しろよー?」

 

 ハルバードに似た得物を振りまわし、イリス製のアンドロイドを手当たり次第に掻っ捌いていく。しかし考えなしに突っ込んだせいで、あっさりと囲まれてしまった。

 四方八方から銃撃が来る。

 

「あだっあたた! てゆーか、ちょっと多くない?」

 

「ここも結界の要なんだ! だから」

 

「喋ってる暇があるなら、キミらも手伝えっ」

 

 その持ち場へフェイトが駆けつけたのが、今だ。金色の雷撃が等間隔に降り注ぎ、周囲のアンドロイドを焼き尽くす。

 

「あれ? フェイト?」

 

「え……レヴィ?」

 

 フェイトはレヴィがいることに驚き、目を白黒させた。

 

「レヴィ、ユーリのところに向かったんじゃなかったの?」

 

 レヴィはばつが悪そうに口を尖らせる。

 

「通り掛かりにあいつらがピンチそうだったから、寄り道したんだよ」

 

「え?」

 

「誰かが死んじゃうのはよくないことなんでしょ? フェイトがそう言った」

 

 確かに昨日、フェイトはレヴィに諭した。

 

『今は知らないひとでも、いつかレヴィと出会うかもしれない。大切なひとになったりするかもしれないよ?』

 

 あの言葉を、レヴィは純粋な気持ちで受け取ってくれたらしい。

 

「知らないひとでも、どこかの誰かの大切なひとかもしれない。いつかボクの大切なひとになるかもしれない。そう思ったから助けたんだ……な、何かいけない?」

 

 レヴィは赤面し、悪態をつく。

 そんな彼女を抱き締めずにいられなかった。

 

「ううん! いいことだよ、レヴィ。それは本当に、すごくいいこと」

 

「フェイト? てか、まだ敵がいるから……」

 

「ああ、そうだった」

 

 フェイトはレヴィを離し、棒立ちの局員に指示を与える。

 

「迎撃は私たちが引き受けます。武装隊のみなさんは結界の防衛を」

 

「は、はい!」

 

 それからレヴィの背中を押して、

 

「ここはもう大丈夫だよ。レヴィは王様のところへ行って」

 

「でも……」

 

「平気だよ。私、強いんだから」

 

 フェイト=テスタロッサは勝気な笑みを浮かべた。

 

正真正銘の拠点――東京タワーにてイリスは苛立ちを募らせる。

 

「結界はまだ壊せないの? 向こうの戦力じゃ抑えきれない数のはずだけど」

 

 アンドロイドは淡々と回答した。

 

「大型起動外殻を展開した方面がすべて、広域攻撃で停止させられています。管理局の支局長による冷凍系の魔法と推測されます」

 

「解析は? さっさと無効化して」

 

「術式にノイズが混ざっており、解析を阻まれています」

 

 イリスは小さく舌打ちする。

 

「昨日の今日で、こっちのアンチマジックにこうも対応されるなんて……」

 

 『魔法』のことならユーリのもので徹底的に研究を重ねた。時空管理局の魔導にも対処できるはずだった。なのに、早くもアドバンテージを失いつつある。

 

 陽動のつもりで置いたエクスカペータの一隊も、氷漬けにされてしまった。今なお広い範囲で猛烈に吹雪いており、どんどん逃げ道が少なくなる。

 しかも、この拠点へダイレクトに通信が届いた。

 

『イリス。聞こえてるか』

 

 昨日も会った、時空管理局のクロノ=ハラオウン支局長が雄弁に語る。

 

『ユーリが伝えてくれた情報で、君の事情は多少なりとも理解している。抵抗をやめて出てきてくれ。協力できることは必ずある』

 

 イリスはあくまで強情に突っ撥ねた。

 

「興味ないわ。自分のことは自分で片付ける」

 

 感情が昂っているせいか、自然と口が動く。

 

「それにあたしはテラフォーミングユニット。望む世界を作るため、邪魔なものを排除するのも役目のうち。その力を証明してみせるのも、あたしの目的のひとつなんだから」

 

『……そうか』

 

 それきり通信は切れた。

 スクリーンの地図が複数の光を点滅させる。

 

「へえ……あの子たち」

 

 ユーリにディアーチェらが接近しているようだった。

 

「ディアーチェとシュテル、レヴィを蘇らせたのは、共鳴反応であんたを探すためでもあったけど……これは決着の前の、ちょっとした嫌がらせ」

 

 イリスは酷薄にほくそ笑む。

 

「大切な子たちと仲良く殺しあいなさい。ユーリ」

 

 イリスへの通告を切りあげ、クロノは思案に耽った。

 

「さっきのイリスの発言……」

 

 違和感ばかりが膨らむ。

 

『それにあたしはテラフォーミングユニット。望む世界を作るため、邪魔なものを排除するのも役目のうち。その力を証明してみせるのも、あたしの目的のひとつなんだから』

 

 テラフォーミングユニットとは惑星を再生させるためのものではなかったのか。

 

 『望む世界』がエルトリアの復興というのは、まだわかる。

 

 しかし『邪魔なものを排除』の部分がわからない。

 そのうえ彼女は『力を証明してみせるのも目的のひとつ』と断言した。

 地下鉄を担当中のシグナムから通信が入る。

 

『クロノ=ハラオウン、こちらは殲滅を完了した。それより気になることがある』

 

「話してくれ」

 

『敵の動きが昨日と今日で違いすぎるとは思わんか』

 

 ヴィータも通話を開いた。

 

『だよな。昨日の陽動も大したモンだったけど、どことなく素人臭さがあった。それが今日は、どうだ? これじゃ軍隊、アーミーだぜ』

 

 イリスのアンドロイド軍は意志を共有し、一糸乱れぬ統制を実現している。

 

『はっきり言やぁ、フォーミュラだってもとは軍用だろうし』

 

『ああ。だがフローリアン姉妹の使い方は、やはり個人のものだ』

 

 つまり昨日と今日で、敵の性質がまるで別物なのだ。機動外殻にしても、昨日は重機やトレーラーの形だったものが、今日は実戦的な重火器の類に変貌している。

 クロノの顔色はより神妙になった。

 

「機動外殻くらいは用意してると予想していたが、それ以上だ。戦力の運用においても素人離れしてる。さっきのイリスの言動といい、やはり……」

 

 アルフからの通信が割り込む。

 

『ちょっといいかな? クロノ支局長。シャーリィが『部隊長クラスのアンドロイドを一体生け捕りにして欲しい』って言ってるんだけど』

 

 技術部門からの注文だけに嫌な予感がした。

 

「またおかしな魔改造を考えてるんじゃないだろうな」

 

 シグナムが即答する。

 

『使い道があるかと思って、捕まえてある』

 

『さっすが! 今から取りに行くよ』

 

『わかった。局員に預けておく』

 

 とりあえず群体イリスの殲滅は目処がついた。

 

「あとは……」

 

 クロノは夜空を見上げ、固唾を飲む。

 

上空にてレヴィはディアーチェらと合流した。

 

「王様~! シュテルン~!」

 

「レヴィ」

 

 リーダーのディアーチェが肩を竦める。

 

「あちらはもういいのか」

 

「うん。ユーリは見つかった?」

 

「ええ、先ほど」

 

 シュテルは映像の地図をなぞりながら、前方の夜空を見据えた。

 

「ゆくぞ」

 

 ディアーチェが勇ましく先陣を切り、シュテルとレヴィもあとに続く。

 東京ゲートブリッジがネオンを連ねていた。

 その真上にブロンドの少女がいる。

 

「我らを待っていたか。ユーリ」

 

 ユーリは6本腕の『機鎧』を携え、夜風に晒されていた。

 結界の中では夏の陽気もない。同じ乾いた風を、ディアーチェも頬に感じる。

 シュテルが決意を込めた。

 

「私たちの『過去』と、あなたの『今』を取り戻すため」

 

 レヴィもハルバード状のデバイスを構える。

 

「ちょっとだけ我慢してね?」

 

 緊迫の対峙。ディアーチェが借り物の魔導書型デバイスを開く。

 

「イリスよ、貴様の思惑に乗ってやる。だが、そう易々と我らを弄べると思うな!」

 

 ディアーチェの両脇からレヴィとシュテルが飛び出した。

 ユーリが瞳に赤いコードを走らせる。

 

『敵勢の存在を三基、確認。排除します』

 

 6本のうち2本のアームが展開。レヴィとシュテルをホーミングの軌道で追尾する。

 そのために一瞬、正面が空いた。

 それを逃さず、ディアーチェが黒い魔力を破裂寸前まで膨張させる。

 

「アロンダイト!」

 

 漆黒の波動がユーリを直撃した。防壁の半分を粉砕し、ユーリを揺さぶる。

 

「く……!」

 

 わずかにユーリの感情が露になった。小さな声で苦悶を漏らす。

 間髪を入れず、シュテルが熱線を束で浴びせた。

 

「ディアーチェ、あなたも!」

 

「わかっておる!」

 

 ディアーチェの魔弾も殺到し、ユーリの動きを強引に封じる。

 レヴィが人差し指を天へ向けた。

 

「雷光! 招来!」

 

 蒼い稲妻がレヴィの身体と繋がり、莫大なエネルギーをたわめる。

 

「雷・神・槌ーーーッ!」

 

 怒涛の雷撃が夜空を突き破った。

 

「ああああっ!」

 

 ユーリに食らいつき、暴竜のごとく荒れ狂う。

 それをぎりぎりで制御しながら、レヴィは声を上擦らせた。

 

「ユーリ、ごめんね……痛いよね?」

 

 先ほどフェイトに言ってやった言葉が、レヴィの脳裏をよぎる。 

 

『知らないひとでも、どこかの誰かの大切なひとかもしれない。いつかボクの大切なひとになるかもしれない。そう思ったから助けたんだ』

 

 自分の大切なひとなら、なおのこと。

 

「ボクは知ってる……ユーリ、キミはボクの大切な子なんだって、知ってる!」

 

 シュテルも静かに熱くなった。

 

「ユーリを操作してるのは、フォーミュラシステムによる強制プログラム」

 

「連続攻撃で負荷を与え続ければ」

 

 シュテルとともにディアーチェも魔弾を連射する。

 

「ユーリを縛ってる糸は、焼き切れる!」

 

「あぐうっ?」

 

 不意にシュテルの背中、レヴィの脇腹で奇妙なものが膨らんだ。

 ユーリのエナジードレイン――咄嗟にディアーチェは魔導書のページをばらまき、ふたりの身体からエナジードレインを剥がす。

 

「大したデバイスだ。八神はやてめ」

 

 ただ、そのフォローのためにディアーチェの魔弾が途切れてしまった。

 ユーリは動かずとも、2本のアームが自律的な反撃に出る。

 しかし自律ゆえに単調な動きで読みやすい。片方はレヴィが斬り捨て、もう片方はシュテルが左手で受け、爆散させる。

 

「泣かないで……ユーリが泣いてると、ボクらも悲しいんだ」

 

「その通りです」

 

 ユーリもまたウイルスコードの支配に抗っていた。

 かろうじて自我を保ちながら、ディアーチェたちに切実に訴える。

 

「シュテル、レヴィ、ディアーチェ……イリスはきっと私が止めます。ですから……!」

 

 ユーリの防壁がさらに堅くなってしまった。

 

「私たちを退けるつもりですか」

 

「だめだよ! そんなの」

 

 ディアーチェが怒号を張りあげる。

 

「馬鹿者がっ! それが泣いてる子どもの言うことか!」

 

 対するユーリは涙を散らす。

 

「あなたたちまで失いたくないんですっ!」

 

 残る4本のアームが砲門を開いた。

 白い光線が無数に枝分かれして、縦横無尽にディアーチェたちへ襲い掛かる。

 回避に専念しつつも、シュテルははっきりと宣言した。

 

「待っていてください! 必ず助けますから!」

 

 高町なのはと同じ台詞で。

 ユーリは自らの砲撃を止めるべく、小さな胸に爪を立てる。

 

「あの惨劇の中で残せたのは、イリスの心と……あなたたちだけだった。いつか『故郷』に帰るため、誓った夢を叶えるため」

 

 それでもウイルスコードに抗えず、無謀な突撃を強制されてしまった。

 2本のアームが先行し、ディアーチェに肉薄する。

 それをディアーチェは一蹴するも、歯を食い縛った。

 

「ユーリ……!」

 

 戦いが辛いのではない。ユーリの打ちのめされた表情に、胸が張り裂けそうになる。

 

「あなたたちまでいなくなったら、私は……!」

 

 激突の寸前、ディアーチェはユーリの突き出す手に触れた。

 

『元気になってよかったねー』

 

『ええ』

 

 鮮明なビジョンが脳裏に流れ込む。

 

『改めて魔法ってすごいよね。あんなに弱ってたのに、ここまで復活させられるなんて』

 

『えへへ。頑張りました』

 

 イリスとユーリだった。ディアーチェの目の前で親しげに喋っている。

 

(何を言っている? 身体が動かん……それに寒い……)

 

 イリスがディアーチェの震えに気付いた。

 

『ん? 真中の子がなんか言ってる?』

 

『寒いのかもしれません』

 

『待って。タオル掛けてあげよ』

 

『大丈夫ですよ。すぐあったかくなりますからね』

 

 忘れていた記憶にシュテルもはっとする。

 寝転んで読書中のユーリが、優しい顔で振り向いた。

 

『一緒に読みますか?』

 

 レヴィもまた幸せな記憶を垣間見る。

 

『こら、チビ助! あんたら、あたしの部屋に恨みでもあんの?』

 

『ごめんなさい。みんな遊びたい盛りなんです』

 

『も~っ!』

 

 散らかった部屋の中で。どの記憶も目線がやけに低い。

 不思議そうにイリスが呟いた。

 

『こいつら、いつもくっついてるねー』

 

『真中の子がふたりの王様ですね。いつもほかのふたりの面倒を見てあげて』

 

『こうして寝てると、可愛いんだけどなー』

 

 ユーリの言葉が耳朶を打つ。

 

『夜天の書は憎しみと死の連鎖に囚われた子です。だけど私と夜天の魔導は、星や命を救う力にもなるんだって。思い出させてくれたのはイリスと、あの子たちです』

 

 隣のイリスは嬉しそうに耳を傾けていた。

 

『どうしようもない現実も、諦めなければ、いつか変えられるかもしれない。ひとりでできないことも、みんなでならできる。私はイリスにそんなことを教わったんですよ』

 

『やめてよ……恥ずかしいから』

 

『本当のことです。ほら、あの子たちの元気な姿がそれを証明してくれる』

 

 大きな木の下で、三匹の子猫がじゃれあっていた。

 

   『名前つけたんだよね。何だっけ?』

 

   『シュテルとレヴィ、それからディアーチェですよ』

 

 レヴィは思い出す。

 

「そうだ…… 命をくれて、育ててくれた」

 

 シュテルは思い出す。

 

「飢えとも渇きとも無縁の、温かい暮らしをくれた」

 

 そしてディアーチェは確信する。

 

「それに報いるために強くなりたい。だから欲しかったのだ……」

 

 ユーリの猛攻が恐ろしいものではなく、酷く悲しいものに思えた。それを軽やかにかわしながら、三人はユーリの残る2本のアームを粉砕する。

 

「弱々しい手足、言葉を話せない口ではなく、遊び道具にしかならない尻尾ではなく」

 

 すれ違いざま、レヴィがユーリの左手を魔法で拘束した。

 

「優しいこの子を守れるような!」

 

 シュテルは右手を拘束し、レヴィとともに魔法の鎖を力いっぱいに引っ張る。

 

「この子の願いを叶えられるような、たくさんの力を!」

 

「無限に湧いてくるような力を!」

 

 その真正面で、ディアーチェは大魔法の詠唱に入った。

 ユーリはYの字の姿勢で吊りあげられる。

 

「ディアーチェ、助けますよ。私たちの主人を」

 

「ボクらの大切な子を」

 

「おう! ユーリ、お前を苦しめる枷を今! 我らの力で打ち砕く!」

 

 ディアーチェの周囲で四つの魔法陣が開いた。

 それがユーリの四方へ転移し、膨大なエネルギーを同時に膨れあがらせる。

 その中央でユーリを巻き込みながら。

 

「ジャガーノート!」

 

 四つの魔弾が一挙に炸裂した。

 交点はまさに四乗の威力に達し、ユーリの『機鎧』をすべて吹き飛ばす。

 ユーリの小さな身体はゲートブリッジを越え、岸へ落ちた。

 

「はあ、はあ……ユーリ」

 

 ディアーチェは力を使い果たし、息を切らせる。

 レヴィは大急ぎで地上へ降り、ユーリの傍へ駆けつけた。 

 

「ユーリ! しっかり」

 

 シュテル、それからディアーチェも並んで、傷だらけのユーリを覗き込む。

 ユーリの顔は大粒の涙にまみれていた。

 

「レヴィ、シュテル、ディアーチェ……ごめんなさい、私が……」

 

 それでも記憶の中の彼女らしい、いたいけな笑みを綻ばせる。

 レヴィもシュテルも快哉をあげた。

 

「よかった……もとに戻ったんだね!」

 

「やりましたね」

 

「ああ」

 

 ディアーチェは激戦の疲れも忘れて、悠々と微笑む。

 

「みんな……ごめんなさい。ありがとう……」

 

 子猫たちのもとへユーリが帰ってきた。

 

「――最後に笑えばいいのさ」

 

 シュテルが殺気に勘付き、シールドを張る。

 

「何者です!」

 

 同時に強い衝撃が響いた。

 

「シュテルン?」

 

「お前はユーリを守れ!」

 

 レヴィは呆気に取られるも、ディアーチェが機敏に動く。

 緊迫感の中、ゲートブリッジの天辺から長身の人影がゆらゆらと降りてきた。

 

「なかなか思い通りにはいかないものだね」

 

 どこかで聞き覚えのある男性の声が、ディアーチェを戦慄させる。

 

「ユーリと猫と魔女たち。全部をイリスが相手にするんじゃ、手に余るらしい」

 

「貴様は……!」

 

 その顔立ちに既視感もあった。

 男の唇が禍々しい笑みを含める。

 

「アクセラレイター・オルタ」

 

 一瞬だった。ディアーチェが瞬きをする間もないうちに、シュテルが弾き飛ばされる。

 

「うああっ!」

 

 突然の奇襲に戸惑うばかりのレヴィも、軽く蹴り飛ばされてしまった。

 

「ひぎぃ!」

 

 ディアーチェの目でさえ追いきれない。あまりにも速すぎる。

 

「よ、よくもレヴィを!」

 

 のみならず、ディアーチェたちはユーリとの激戦ですでに満身創痍だった。

 衝撃のあとに突風が来る。相手は音速さえも超えているのか。後方のユーリも巻き込まれ、全員が滅多打ちにされる。

 

(しまった!)

 

 凶刃が迫りくるのを、ディアーチェは目の当たりにした。

 敵はあえて速度を落とし、死の恐怖を味わわせるつもりらしい。しかし疲れきった身体ではどうにも動けず、ディアーチェは歯噛みする。

 そこにシュテルが割り込んだ。

 

「ぐ……っ!」

 

 ディアーチェを庇い、脇腹を深々と貫かれる。

 

「シュテル? ば、馬鹿者!」

 

「やれやれ……人間より猫のほうが忠義にあついとは、ね」

 

 ようやく停止した男は、全身にフォーミュラの装甲をまとっていた。

 

「生きていたのか……マクスウェル!」

 

「憶えてくれてるとは光栄だ」

 

 ダメージが大きすぎて、ディアーチェは立つこともできない。

 その隙に男はユーリを抱え、夜空へ去っていく。

 

「そちらの子の忠義に免じて、君たちは見逃してあげよう。この子は連れていくけどね」

 

「ま、待て! ユーリを返せ!」

 

 すでにユーリの意識はなかった。

 ディアーチェの慟哭が夜空に木霊する。

 

「ユーリぃーーー!」

 

 風の音もない。

 

同時刻、東京タワーにて。

 イリスのコピーらが最新の情報を報告した。

 

「ユーリ、意識消失。ディアーチェたちも瀕死の重傷」

 

「私たちの誰かがユーリを確保したようですが、通信が繋がりません」

 

 イリスは一抹の不安に駆られる。

 

「何が起きてるの……?」

 

 ユーリはディアーチェらと相討ちに終わったらしい。そこまでは理解できた。

 しかしまだ『ユーリを回収しろ』とは命令していない。そのうえ、回収したらしい個体との通信が途絶えている。

 

「第三拠点、制圧された模様です」

 

「仕事の早いこと」

 

 時空管理局の包囲網は刻々と厚みを増していた。

 その管理局サイドから通信が入る。

 

『そろそろ降参したらどうです? イリス』

 

「アミティエ……あなたも妹に似て、しつこいわね」

 

 アミティエ=フローリアンはフォーミュラ製のバイクで高速道路を駆けていた。

 

『制圧は順次進行しています。時空管理局はできる限りの配慮をしてくれるでしょう。今すぐ抵抗をやめて、投降してください』

 

「あなただって密航者紛いのくせに、言ってくれるじゃないの」

 

『それは否定しません。ですが、あなたのほうでも何か想定外の出来事が起きているのではありませんか?』

 

 ぎくりとさせられたものの、イリスは平静を装う。

 

「さあね」

 

『もうひとつ。各方面での状況を聞いて、疑問が出てきました』

 

 それでもアミティエは毅然と続けた。

 

『あなたが目的とする行為は、本当にあなたが自分で決めたことですか?』

 

 イリスは馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻で笑う。

 

「ユーリがあたしの過去を暴露してくれたみたいね。ご存知の通り、あたしはあたしの意志でユーリを恨んでるの。自分の過去もろとも」

 

『本当に……それだけですか? イリス』

 

「くどいわね」

 

 アミティエの言葉は要領を得ず、苛々させられた。

 

『あなたはユーリの意志を奪って操作していました。ならば、あなた自身が誰かに、そうされているという可能性は?』

 

「……は? 何よ、それ」

 

 オペレーターのコピーが報告を追加する。

 

「北方面へ展開中のエクスカペータ3機、今しがた凍結されました」

 

『イリス! よく考えてください』

 

「うるさいっ!」

 

 イリスは激昂し、通信を切った。

 

「時間稼ぎってわけね」

 

 自らを奮い立たせるため、今一度ユーリへの憎悪に火をつける。

 

「あたしはあたしだ。エルトリアを救うために生まれて、優しいひとたちに愛されて、育って……それをユーリに全部奪われた」

 

 過去が幸せであったほど、この『今』が許せない。

 

「ほかの何を否定されてもいい。だけどあたしの思い出は、幸せだったあの時間は……誰にも否定させないっ!」

 

 イリスはフォーミュラの拳銃を呼び出し、即座に撃った。

 弾丸は壁で跳ねる。

 その陰から、馴染みの深い『どこかの誰か』が現れた。

 

 自分が散々に騙し、使い捨ててやった馬鹿――キリエ=フローリアンだ。

 

「キリエ。何しに来たの」

 

 憤怒を抑えつつ、イリスは彼女を銃口で迎える。

 

「助けに来たの」

 

「あんたが今さら誰を助けるって?」

 

 しかし今夜のキリエには、嘲笑も侮蔑も通じなかった。

 昨日までとはまるで別人の表情で、イリスをまっすぐに射竦める。

 

「あなた、自分の瞳に赤い文字が流れてるの、自覚ある?」

 

「……っ!」

 

 ほんの一瞬、前後不覚に陥った。

 キリエは何を言っているのか。

 

(あ、あたしが……?)

 

 それが本当なら、自分もユーリと同じように――。

 

「全部わかったの。イリスの過去も、ユーリのことも。故郷のママが教えてくれた」

 

「……エレノアが?」

 

「40年前の事件の生き残り。知ってるでしょ?」

 

 どくんと心臓が跳ねる。

 

「ユーリのおかげで、エルトリアにいるママと通信ができて、調べてもらったの。惑星再生委員会のことも、イリスのことも。そして……あの日に何が起きたのか」

 

 キリエが投げて寄越したのは、いつぞやの石板だった。

 40年もの間、イリスの心を宿してきた欠片。そこに新しいデータが入っている。

 

「それがあの日の記録」

 

「……」

 

 動揺を堪えながら、イリスは『真実』を再生した。

 

 イリスさえ知らない拠点の屋上にて、フォーミュラの男がユーリを降ろす。

 群体イリスの集団が一斉に敬礼した。男は傍の一体にユーリを預け、ほくそ笑む。

 

「生産ペースは良好かい?」

 

「はい。陽動部隊とは別に生産拠点を設置しています」

 

「封鎖の破壊も時間の問題かと」

 

「……時間の問題?」

 

 男はわずかに笑みを引っ込めた。

 腕の端末に製造工程の一覧を呼び出す。稼働中のライン、完成した機体の数、次の増産までに要する時間。どれも順調という報告に見合う数字だった。

 その数字の脇に、古い観測記録が開かれていた。四十年も前に記録された、エルトリアから遠い宇宙へ向けて発せられた信号。そして、その記録を基に算出し直された最新の予測値。

 

 男は表示を睨みつけた。

 数値を再計算する。計算条件を戻し、もう一度更新する。結果は変わらなかった。以前の想定より、ずっと早い。もはや製造工程の完了を待てるほどの猶予は残っていない。

 

「……そんな。もう、そこまで……」

 

「所長?」

 

 男は答えなかった。端末を握る指が強張る。

 

「足りないよ。この程度では話にならない。生産ラインを増やしなさい。休止中の設備もすべて動かすんだ」

 

「しかし、材料の供給が追いつきません」

 

「だからユーリを連れてきた。永遠結晶の供給を最優先に切り替える。完成品はすべて、起動できる状態にしなさい」

 

「検査工程はどうしますか」

 

「最低限でいい。今は数を揃えることが先だ」

 

 そこで男は、製造工程とは別の画面を開いた。表示されたのはエルトリアの座標と、複数の次元跳躍経路だった。

 

「起動を確認した機体から、順次エルトリアへ跳ばしなさい。全機の完成を待っていては間に合わない。現地に着いた部隊は、予定の配置につかせるんだ」

 

「本星へ戦力を集結させるのですか?」

 

「そうだ。あちらで時間を稼ぐ。食い止められなくても構わない。進行を少しでも遅らせなさい」

 

「こちらの封鎖への対処は?」

 

「次元跳躍に必要な経路だけ確保する。残りは陽動部隊に任せればいい。こちらで戦力を消耗させている場合じゃないんだよ」

 

 男の声は、指示を重ねるほど早くなった。

 

「一機でも多く送り込むんだ。数が揃ったところから順次投入する。十分でも、たった一分でもいい。その時間がなければ、何もできなくなる」

 

 群体イリスたちが一斉に命令を処理し始める。男はその様子にも目を向けず、古い観測記録と更新された予測値を見比べていた。

 

「……今度こそ、間に合わせなければ」

 

 その小さな呟きに答える者はいなかった。

 そこへ猛スピードで一台のバイクが近づいてきた。

 群体イリスは銃を構えるも、男が制止する。

 

「構わない。道を空けてあげなさい」

 

 バイクは急ブレーキの跡を残しつつ、ドリフトの姿勢で停まった。

 アミティエはハンドルを握ったまま、屋上の男を睨みつける。

 

「あなただったんですね。この事件を起こしたのは」

 

「おや? 君と面識はないはずだけれど」

 

『ですが、私とはありますよね』

 

 ふたりの間でビジョンが立ちあがった。アミティエによく似た壮年の女性も、一連の事件の『黒幕』を鋭く見据える。

 フローリアン家の母、エレノアははっきりと断言した。

 

『惑星再生委員会、フィル=マクスウェル所長』

 

 事の発端は40年前のエルトリアへ遡る。

 

滅びゆくエルトリアにも、まだ大勢のひとびとが残っていた頃――。

 惑星再生委員会は彼ら『同胞』の期待を一身に受けながら、精力的な研究に取り組んでいた。エルトリア政府も設立当初には莫大な予算を当てている。

 しかしコロニー(宇宙空間の居住区)の開発がスムーズに進むにつれ、惑星再生委員会の活動は疎んじられるようになった。

 

 ひとびとは『死蝕』に脅かされることのない安寧の日々を、コロニーで取り戻す。

 名だたる企業も実益のない研究より、利潤の見込めるコロニーの事業に力を入れたい。

 かくして惑星再生委員会は、現地の研究員だけが『熱をあげる』プロジェクトとなってしまった。無論、研究員たちもその自覚はある。

 

『それでも続けるんだ。エルトリアを救うため、僕たちがやらないと』

 

『私だって諦める気はないわ。たとえコロニーの家族と離れ離れになっても』

 

 潤沢だった資金は年々減らされていき、十年も経つ頃には、我慢比べの様相さえ呈しつつあった。エルトリアの各地にあった研究所は続々と閉鎖。

 ついにはフィル=マクスウェル所長のものを残すのみとなる。

 研究員たちも不安を抱かずにいられなかった。

 

「所長、僕らの研究はどうなるんでしょうか。このままでは……」

 

「何とかするさ」

 

 プロジェクト存続のため、フィル所長は手を尽くす。

 しかし、彼が守ろうとしていたものは、惑星再生委員会の看板だけではなかった。

 

 さらに以前、フィルはエルトリアの内部から外宇宙へ向けて発せられる、奇妙な信号を発見していた。

 初めは計測器の不調を疑った。地殻の振動か、大気中の電磁的な攪乱か。別の観測装置を持ち込み、記録の条件を変え、同僚に解析を頼んだ。

 いくら検証しても、信号は消えなかった。

 

 むしろ記録を重ねるほど、その中に規則性があるとわかってきた。偶然に似た波形が繰り返されているのではない。何らかの情報が、外へ向けて送り出されている。

 発信源は惑星の内部だった。

 フィルは解析を続け、ついには信号が伝えようとしている内容まで読み解いた。そして、その観測結果をエルトリア政府へ正式に提出した。

 

 何が記されていたのか。今回復元された委員会の映像には、肝心の文面までは残っていない。ただ、提出後のフィルが、それまでとはまったく異なる顔つきで研究室に戻ってきたことだけは記録されていた。

 

『所長、政府の返答は……?』

 

『追加の検証を求められたよ。もちろん、応じるつもりだ』

 

 そのときは、まだ笑う余裕があった。

 やがて追加の観測結果が揃い、はるか遠方から届いた別の反応についても、彼は記録を取り始めた。信号と無関係な偶然なのか、それとも――。その判断に至った根拠も含め、フィルは新たな報告書を作成した。

 政府に訴えたのは、コロニーへの移住をやめさせることではない。

 

 移住しただけで人々の安全が保証されるわけではないこと。観測されている事態について調査を続け、万一に備える手段を用意しなければならないこと。そのための研究体制と予算が必要だということだった。

 しかし返事は変わらなかった。

 信号の存在そのものを完全に否定されるわけではない。だが、フィルがその先に見ている危機を、政府は現実の脅威とは認めなかった。

 

 移住政策やコロニーの維持を優先する立場からすれば、正体も所在もわからない何かへの備えに、限られた予算を割くことはできない。

 

『説明は何度でもする。データならここにある』

 

『君の解析を疑うつもりはない。だが、そこから導いた結論には飛躍がある』

 

『ならば何を観測すれば信じるんだ? 何が起これば、君たちは動く?』

 

 最初は会議の席で反論していた。次には提出文書の返事を待つ時間が長くなった。いつしか政府からの連絡は、研究予算の縮小と他部署への配置転換の話ばかりになった。

 研究所の中でも、全員が彼の切迫感を共有していたわけではない。仲間はエルトリアを救うための研究を続けている。だが、フィルが見つめ続けるのは、それだけではなくなっていた。

 所員の多くは、信号が何を意味するのか、なぜフィルがあれほど恐れているのか、知らされていなかった。解読記録や観測の全容は、一般の研究資料とは別に保管されていた。

 

 眠らずに解析結果を照合する夜が増えた。

 以前は冗談を口にしながら夕食の席についた男が、会議中にも端末を見つめ、突然話題を変えるようになった。書類の上には、却下された提言の控えが積み重なっている。

 アンディが休養を勧めても、フィルは首を振るだけだった。

 

『休んでいる間に手遅れになったら、誰が責任を取るんだい?』

 

 それは研究者としての危機感だったはずだ。けれども、誰かに反論されるたび、その危機感には別のものが混じっていった。

 自分の警告だけが正しい。

 自分の研究を止める者は、人々の未来を見捨てている。

 

 少しずつ、そう考えるようになっていた。

 

 フィルは政府の協力なしに対抗手段を確保する方法を探し始めた。

 フォーミュラの開発。テラフォーミングユニットの育成。研究所の一角では、それまでの環境再生とは毛色の異なる研究が進み始める。

 勘のよい研究員は、それらの技術が軍事利用にも耐え得ると見抜いた。しかしフィルの目的は、戦争で利益を得ることではなかった。

 

 既存の技術では対処できないかもしれない相手に備える。そのために、自ら考え、増え、環境に適応する存在を作る。

 その構想の中核にいたのが、イリスだった。

 もっとも、研究員たちに見せていたのは、あくまで惑星再生のための技術という側面である。

 

 フィル所長も熱弁を振るった。

 

「誤解しないでくれ、みんな。確かに物騒な技術に見えるだろう。でも、戦争をしたくて作っているんじゃない。私たちが生き残るために必要なんだ」

 

「所長……そんなに、何かを心配しているんですか?」

 

「心配で済めば、どんなによかったか」

 

 フィルはそこで言葉を切った。研究員たちの不安げな顔に気づくと、無理に笑みを作る。

 

「いや、すまない。正しく扱えば、きっと人々の役に立つ。星だって救えるさ」

 

 以前なら何の疑いもなく頷けた言葉だった。

 その日、アンディは返事をする前に、ほんの少しだけ間を置いた。

 カプセルの中では幼い少女が目覚めの時を待っている。

 

「バイタル安定。もうすぐですね」

 

「ああ。いい子だ、早く生まれておいで」

 

 どれほど物騒な用途へ転用できる技術であっても、新たな命の誕生は研究員たちに希望を与えたことだろう。

 間もなくテラフォーミングユニット『IRS07』は目覚め、表向きは惑星再生委員会のマスコットキャラクターとして活動することになる。

 

「所長~! ジェシカ~! 今日は洞窟の探検を頑張ったよ」

 

「ご苦労様。じゃあ、今日の夕飯はイリスの好物にしてもらおうな」

 

「うんっ!」

 

 IRS07――イリスは鮮やかな過去の日々を辿っていく。

 

(そうだ……これはあたしの、ずっと昔の記憶。ちっちゃい頃はいつもあたしの傍にフィル所長がいて、ユーリと出会って……友達になって)

 

 ユーリとの出会いは奇跡だった。

 ひからびた大地に花が咲き乱れた瞬間は、今なお網膜に焼きついている。

 

(幸せだったんだ……あたしたちは、ずっと)  

 

 だが、惑星再生委員会は極めて現実的な問題に直面した。

 毎日のようにフィル所長は険しい顔で考え込む。

 

「また予算組の話?」

 

 イリスが問いかけると、助手の面々がフィル所長の代わりに嘆いた。

 

「ええ。また予算削減ですって……」

 

「コロニーのみんなは惑星再生への熱意を忘れたみたいだ。安全な移住先がある以上、そちらの開発と改良に力を注ぐべきだってさ」

 

「そ、そんなのおかしいよ!」

 

 イリスは声を荒らげる。

 コロニーが『安全な移住先』など嘘だ。

 宇宙空間でコロニーの建造が始まった頃は、それこそ死ににいくようなもので、実際に悲惨な事故も起こっている。

 

 これから百年、二百年と時が経つにつれ、老朽化も進むだろう。

 小さな事故ひとつで取り返しのつかない大惨事になる。そういった危険性をコロニーは潜在的に抱えているのだ。

 ところが、エルトリア政府やマスコミはこれをひた隠しにして、移住計画の実現に躍起になっていた。『コロニーは安全』と喧伝しながら。

 

 そんな現状がイリスは悔しい。

 

「コロニーで暮らせるのなんて、今だけだよ? みんな、いつかはエルトリアに帰らなくちゃいけないのに……そうでしょ? アンディ」

 

「それはそうだけど」

 

「所長も、みんなも、ずっと頑張ってるのに……」

 

 アンディやジェシカも表情を曇らせる中、あえてフィル所長は陽気に言ってのけた。

 

「交渉は今後も続けるつもりさ。いくら説明しても、政府は聞いてくれないけれど……ここの技術スタッフは一流だし、ユーリという新しい希望も来てくれた。それにイリス、君がいる」

 

「……あたし?」

 

 イリスは自分の顔を指し、きょとんとする。

 フィル所長はアンディやジェシカにも目配せした。

 

「大丈夫。私についてきてくれる仲間や子どもたちに、辛い思いはさせないよ」

 

 そう言って笑う所長の目の下に、以前はなかった暗い隈が浮かんでいた。

 イリスはそれに気づいたが、フィルが自分を見て笑ったことのほうが嬉しかった。

 やはり所長は頼もしい。

 

 だが、その一週間後には結論が出てしまった。

 エルトリア政府からの高圧的な通告が、通信室に響き渡る。

 

『誠に遺憾であるが、惑星再生委員会の運営は中止が決まった。職員たちにはコロニーの緑地化や設備開発といった業務についてもらう』

 

「……そうですか」

 

 さすがのフィルも声を落とした。

 政府の高官はこの時を待ち侘びていたかのように続ける。

 

『しかしフィル=マクスウェル、君には査問が待っている。不透明な予算運用と、こちらに明らかにしていない計画。すべて明らかにしてもらうぞ。いいかね?』

 

 政府が問題視した計画には、フィルが独断で進めていた対抗技術の開発も含まれていた。彼が繰り返し提出した観測資料は、結局最後まで政策の判断を変えなかった。

 フィルの口元が小刻みに動く。何かを数え直すように一度目を閉じてから、彼は画面の向こうを見据えた。

 

「信号はあるんだ。発信源も、解析結果も提出した。あれを見て、どうして何も起きないと言い切れる?」

 

『だからといって、君の推論を事実として扱うことはできない。我々は現実的な政策を進めなければならん』

 

「現実的? そうやって人間をコロニーへ移しさえすれば、もう大丈夫だと?」

 

『少なくとも、君の根拠不明な危機への対処より優先すべきことがある』

 

「根拠不明……? 何年かけて検証したと思っている。私は、皆を助けようとして――」

 

『君の研究でも惑星再生は成し遂げられなかった。それが現実だ』

 

 フィルは口を閉じた。

 怒りに顔を歪めるでも、机を叩くでもない。ただ、しばらく何も映していないような目で端末を見つめていた。

 平行線は沈黙となった。

 

 これが肝要とばかりに高官が念を押す。

 

『それから……君のところの開発機材、あれだ、イリスといったか? あれは政府の備品として扱うことに決まった。技術スタッフともどもこちらに引き渡してもらう』

 

 屈辱的な通話を終えるや、助手のアンディは激昂した。

 

「わざとらしくとぼけやがって! やっぱり目的はテラフォーミングユニットか!」

 

 ジェシカも怒りで声を震わせる。

 

「イリスのことを機材だの、備品だの……」

 

 一方で、所長のフィルにはもはや悪態をつく元気さえなかった。

 

「希望はこれでなくなった。残念だよ」

 

「所長……」

 

 誰よりも真摯に委員会を支えてきたはずの自分が、査問の場で吊るしあげられる。その落胆あるいは絶望が、彼の気力を奪ってしまったのだろう。

 アンディもジェシカもそう思ったに違いない。

 だがフィルの中では、別の結論が形になりつつあった。

 

 政府は知らない。知らないまま、研究を止めろと言う。仲間たちは別の仕事へ移され、イリスは備品として奪われる。必要なものがすべて取り上げられる。

 それでも、記録された信号は消えない。自分が知ってしまった事実も消えない。

 ならば、政府が何と言おうと続けるしかない。

 

 自分以外に誰もやらないのなら、自分だけでも。

 

「なあに……大丈夫。最後に笑っていればいいのさ」

 

 笑みは穏やかだった。

 かつて仲間を安心させていたその表情が、今はひどく薄気味悪かった。

 

翌日から撤収作業が始まった。

 一週間ほど掛かる見込みで、先に研究データやサンプルを搬送、研究員はあとから撤収という段取りで進む。

 その作業も目処がつき、あとは明日を待つだけとなった。

 

「俺たちの仕事もこれで終わりか……」

 

「イリスは悲しむでしょうね。あんなに頑張ってたのに」

 

「そのイリスは?」

 

「グランツたちを連れて遊びに行ってます。帰ってきたら、所長が今回の話を」

 

 アンディやジェシカの溜息は重い。

 

「聡い子だ。とっくに気付いてるんじゃないか? イリスも」

 

「こんなふうに総出で片付けてちゃあ、ねぇ」

 

「思いやられるなあ……ん?」

 

 その時、妙な音がした。

 映画などでお馴染みの銃声だ。それも一発や二発ではない。

 研究所に武装集団が乱入してくる。

 

 装備こそ兵士のものだったが、動きは不自然なほど均一だった。防護面の奥には、どれも同じ少女の面影があった。イリスを基に増殖した、戦闘用の群体だった。

 

「うわああっ!」

 

「こっちよ! 早くこっちに!」

 

 虐殺が始まった。

 白衣を着ているだけの研究員に、抵抗できるはずもない。一方、武装集団は機械のように統制の取れた動きで、二本足の『的』に弾を当てていく。

 エレベーターを目前にしてアンディが倒れた。

 

 必死に彼を呼ぶジェシカも、水風船のごとく真っ赤な血を弾けさせた。

 その惨劇の最中、ユーリはひたすら走る。

 

(イリスはエレノアと出掛けてる! だったら、私はディアーチェたちを……)

 

 何が起こっているのか、ユーリにもまるでわからなかった。ただ、夜天の書の管理者として多少の修羅場には慣れている。

 すでに事切れたアンディやジェシカを救う手立てはない。

 

(ごめんなさい!)

 

 変わり果てた仲間たちを振りきり、ユーリは飼い猫たちのもとへ急ぐ。

 シュテル、レヴィ、ディアーチェも研究の成果として搬入される予定だったが、せめてイリスに最後のお別れを、と執務室に残されていた。

 そこへ飛び込むや、ユーリは驚愕する。

 

「あ、あなたは……!」

 

 この事態にもかかわらず、平然とお茶を飲む男がいた。

 フィル=マクスウェルはまるで名画を愛でるかのように、モニターで阿鼻叫喚の虐殺を眺めている。

 

「やあ、ユーリ。君もどうだい? この茶葉はジェシカのご実家から――」

 

「あなたがやらせてるんですね。この惨状は」

 

 もはや問い詰めるまでもなかった。ユーリはつぶらな瞳で首謀者を見据える。

 

「そういうことになるね」

 

 対するフィルは悪びれもせず、否定もしなかった。

 

「政府の意向で、惑星再生の仕事も終わりになった。成果を上げられなかった私たちは、ろくでもない閑職にまわされる。そんな未来は御免蒙りたいだろう?」

 

「みんなは……そんなこと、望んでいません!」

 

「彼らは知らないんだよ。何が待っているかも知らずに、コロニーなら安全だと信じている」

 

「だからって……どうして殺す必要があったんですか!」

 

 フィルは初めて、不思議そうな顔をした。

 

「本当にわからないのかい? あの人たちは研究を取り上げられて、そこで暮らしていくことになる。何も知らされないまま、何が起こるかもわからずにね。そんな未来が幸福だと、誰が保証してくれる?」

 

「保証なんて、誰にもできません。でも、だからって!」

 

「私は、あの人たちにそんな未来を押しつけたくなかったんだ」

 

 そう言って、フィルはモニターに目を移した。白衣の人影が、ひとつ、またひとつと床に倒れていく。

 声には後悔も躊躇もなかった。

 同僚の生死を、本人たちに尋ねることなく決めてしまった男がいた。

 

 ユーリは吐き気を覚えた。

 

「……あなたは、人を助けたいんじゃなかったんですか」

 

「助けたいとも。今でもそう思っているよ」

 

 フィルは静かに答えた。

 

「私は証拠を示した。政府へ何度も行った。彼らが理解できるよう、観測方法も変えた。それでも誰ひとりとして、あの問題を真剣に受け取らなかった」

 

 言葉が速くなる。

 

「何年もだ。何年も前から私は訴えてきた。なのに彼らは、研究をやめて、あとは安全なコロニーで暮らせと言うんだ。私が何を見つけたと思っている。私が何を知ってしまったと思っている!」

 

「フィル所長……」

 

「私しかいないんだよ」

 

 フィルはそこで声を落とした。

 

「誰もわかってくれない。誰も備えようとしない。私以外に、いったい誰が人類を救おうとしているというんだ?」

 

 ユーリには、彼が何をそこまで恐れているのか理解できなかった。

 ただ、その恐怖が今や他人の命を奪うための理屈にすり替わっていることだけは、はっきりとわかった。

 

「でも……アンディも、ジェシカも、あなたと一緒に頑張っていたじゃないですか」

 

「頑張ってくれたよ。いい仲間だった。だからこそ、私は決めたんだ」

 

 その先を聞きたくなかった。

 

「彼らにできることはもうない。けれど、私ならまだ続けられる」

 

「あなたは……」

 

「まあ聞いてくれ。私の技術やイリスに興味を示す組織がある。設備も資金もあるという。私とイリスはそこに身を寄せることにした。ユーリ、君にも来て欲しい」

 

 フィルの表情には、ようやく希望らしいものが戻った。

 しかしそれは、かつて委員会の仲間たちへ向けていた希望とは違う。

 

「軍事団体ですか」

 

「そうだね。彼らが私の警告を信じるかどうかは、もうどうでもいい。研究を続けるために必要なものさえ手に入れば、それでいいんだ」

 

「そこで、戦争のための道具を作るつもりなんですか?」

 

「違う。私は人類を救うための準備をする。そのためなら、誰の設備だろうと使うよ。もう政府の返答など待っていられない」

 

 フィルは自分の手を見つめ、ひどく穏やかな声で続けた。

 

「必要なのは、相手が何であっても対処できる力だ。壊されても立て直し、状況を学び、数を増やす。既存の兵器ではどうにもならない事態に備えるには、それしかない」

 

「それがイリスの……」

 

「ご名答。あの子には、自ら考え、適応し、増え続ける力を与えた。材料とエネルギーさえあれば、同じ構造をいくつも組み上げられる」

 

 娘のことを語る声音には、かつてと同じ誇らしさがあった。

 

「誰もが私を笑っても、イリスならきっと役に立つ。人間が生き残るためにね」

 

 ケージの中でディアーチェたちが鳴いている。

 どす黒い嫌悪感を堪えながら、ユーリはあえて答えた。

 

「イリスに、戦うための力が与えられているのは薄々気付いていました。だけど、あなたもみんなも、イリスを愛してるって」

 

「そうだね」

 

「なら、どうしてこんな」

 

 抑えようにも声のトーンは上がる。

 フィルは真顔だった。

 

「愛しているとも。あの子は私の娘だ。私が生み出した、かけがえのない存在だよ」

 

「だったら、イリスの気持ちを聞いてください! あの子はみんなと一緒に、星を元気にしたいって――」

 

「だからこそ、あの子には大切な仕事を任せるんだ。何も知らない人間にはできない。ほかの誰にも、代わりは務まらない」

 

「……イリスに、選ばせないんですか」

 

 フィルは、奇妙な質問をされたかのように首を傾けた。

 

「選ぶ? 何を? 私があの子を作った理由は、初めから決まっているじゃないか」

 

 娘を愛していると本気で言いながら、その意思をまったく顧みない。

 今のフィルには、イリスが自分とは違う願いを持っていることさえ理解できないのだ。

 そのことが、ユーリの怒りをいっそう強くした。

 

「マクスウェル! あなたはッ!」

 

 ユーリの足元から、樹木の根が膨張しつつ捲れあがった。瞬く間にフィルの四肢を雁字搦めに仕上げ、拘束する。

 それでもフィルは穏やかに笑った。

 

「もちろん君も、私にとっては愛しい子どもだよ、ユーリ。『魔法』という素晴らしい力を持っている」

 

「私はあなたの子どもじゃ……うっ?」

 

 ユーリの瞳を赤いコードが駆けあがっていく。

 同時に身体が鉛のように重たくなった。ユーリは膝をつき、ついには這い蹲る。

 

「これは……わ、私に何を」

 

「聞き分けがよくなるようにしてあげたのさ」

 

 フィルは難なく拘束を抜けると、ユーリの眼前へ歩み寄ってきた。

 

「仲良しのイリスもいる。場所を変えて、研究を続けよう。私たちだけでも、間に合わせなくちゃならないんだ」

 

 このひとは壊れてしまった――そうユーリは直感する。

 じきにイリスも帰ってくるだろう。フィル=マクスウェルをこのままにしていては、彼女まで惨劇に巻き込まれかねない。

 かといって、彼を殺せるだけの覚悟はなかった。今にも身体を乗っ取ろうとする、このウイルスコードに抗うだけで精一杯で。

 

(何とかしないと……)

 

 不意にケージの留め具が外れた。

 三匹の子猫が飛び出すや、フィルに襲い掛かる。

 

「うわっ? や、やめろ!」

 

「――!」

 

 おかげでウイルスコードの呪縛が解けた。ユーリは咄嗟に魔法を発動させる。

 

「グハ……ッ!」

 

 一瞬のうちに終わった。

 フィルは心臓の位置を串刺しにされて、目を見開いたまま絶命する。

 何かを恐れ、人々を守ろうとしていた科学者は、自分が選んだ凶行の末に死んだ。彼が恐れたものの正体も、その備えが何を防ぎ得たのかも、まだ誰にもわからない。確かなのは、彼自身が仲間たちの命を奪ったという事実だけだった。

 

 ユーリに勝利感などあるはずもなかった。

 

「はあ、はあ……」

 

 むしろ『殺してしまった』――その無念と悔恨がユーリを息切れさせる。

 ただ、ディアーチェたちが無事でいることだけが救いだった。ユーリはシュテル、レヴィもまとめて抱き寄せながら、残酷な現実を恐る恐る直視する。

 

「イリスに伝えないといけません。少しの間、隠れていてください」

 

 

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