「力が欲しいか?」と言いたくて! 作:桃たろす
# 第34話 なのはさんとお付き合いしています
高町なのはと暮らし始めてから、数か月が経った。
最初の頃こそ、小尾は何をするにも監督者がついて回る生活を窮屈に感じていた。朝起きてから夜眠るまで所在を把握され、外へ出るなら同行者が必要で、仕事の日にはなのはの職場へ連れていかれる。休日だからといって勝手に散歩へ出ることさえ許されない。
だが、それも毎日続けば慣れてくる。
起きる時間も、食事を取る時間も、家を出る時間も自然と揃った。なのはが仕事へ向かえば小尾もついていき、帰宅する頃には一緒に家へ戻る。夕食はなのはが作ることが多く、夜になれば同じ寝室にある、それぞれのベッドで眠る。
フェイトが泊まりに来た日だけは話が別だった。
寝室にあるベッドは二つしかない。そしてフェイトが自分から床を選ぶはずも、小尾へなのはの隣のベッドを譲るはずもない。結果として、その夜だけは小尾が床へ追いやられる。
もっとも、それも最近では珍しくなくなっていた。
休日も似たようなものだった。
買い物へ行くなら一緒。誰かの家へ遊びに行くなら一緒。なのはが外出し、小尾が家に残るという選択肢は、相変わらず存在していない。
最近では、小尾自身もそれをいちいち不自由だとは考えなくなっていた。
そういう生活なのだと、身体の方が覚えたらしい。
そんなある日の夕食後、なのはが何気ない調子で言った。
「今度のお休み、地球に帰ろうと思ってるんだけど」
小尾は飲みかけの茶を置いた。
「地球?」
「うん。しばらく帰ってなかったし、お父さんたちにも顔を見せたいから」
「里帰りか」
「そうそう」
なのはは嬉しそうだった。
家族に会えるのだから当然だろう。小尾としても、それ自体に異論はない。
「じゃあ、その日は僕が留守番を――」
「小尾君も一緒だよ」
最後まで言わせてもらえなかった。
「まあ、そうなるよね」
聞くだけ無駄だった。
◇
久しぶりに見る海鳴市は、小尾が覚えている街とはずいぶん姿を変えていた。
あの事件から、およそ十年。
破壊の大きかった区域には、十年前には存在しなかった建物が並んでいる。住宅だけでなく、商業施設や道路までまとめて作り直された場所もあり、事情を知らない人間が見れば、大規模な再開発を行った新しい街だと思うかもしれない。
ただ、どこもかしこも新しくなったわけではなかった。
被害の少なかった区域へ進むほど、昔からの家や塀が残り始める。庭木だけが大きく育った家もあれば、外壁を補修した程度で十年前とほとんど変わっていない建物もある。
「こっちは、そんなに変わってないね」
隣を歩くなのはへ声をかけると、なのはも周囲を見回した。
「うちの近くは被害が少なかったからね。大きく壊れたのは、もっと向こうの方」
「なるほど」
小尾は再び街へ視線を戻した。
見覚えのある道と、知らない建物。
記憶の中の海鳴と現在の海鳴が、ところどころで重なっている。
そんな景色を眺めているうちに、不意に一人の少女の顔を思い出した。
月村すずか。
最後にまともに会話したのは、いつだっただろう。
収容されていた年月を考えれば、彼女にも当然同じだけの時間が流れている。昔は半ば強引に自分の研究へ巻き込み、助手のような立場に置いていたが、その後どうしているのか、小尾は何も知らない。
そこから連想するように、もう一つの場所が頭へ浮かんだ。
児童養護施設。
「……あそこ、どうなってるんだろ」
「え?」
なのはがこちらを見る。
「いや。昔住んでたところを思い出しただけ」
施設そのものが今も残っているかは分からない。
地下に作った工房も、置いてきた設備も、資料も、そのままとは思えなかった。
ただし、施設一帯に張っていた認識阻害の術式だけは別だった。
あれは小尾自身の魔力だけで維持するような構造ではない。土地の龍脈から必要な力を拾い上げ、術式へ流し続けるように作ってあるため、小尾が十年近く離れていたとしても、術式そのものが壊されていなければ今も機能しているはずだった。
確かめようと思えば、場所は分かる。
少し寄り道をすればいい。
小尾はそこまで考えてから、やめた。
「……まあ、いっか」
「何が?」
「なんでもない」
今さら見に行ったところで、何かが変わるわけでもない。
そもそも施設へ寄りたいと言えば、なのはから理由を聞かれる。その先には、ほぼ確実に面倒な確認作業が待っている。
そこまでして確かめたいとも思わなかった。
昔なら、少しでも未知が残っていれば気になって仕方がなかった気もする。
自分も多少は変わったのかもしれない。
少なくとも、面倒臭さに負けて未知を放置できる程度には。
◇
やがて、なのはが一軒の家の前で足を止めた。
「着いたよ」
「ここか」
高町家は、周囲の建物と同じように年月を重ねてはいたものの、街の中心部で見た新築ばかりの区域とは違っていた。補修や改装はされているのだろうが、十年前から続いている家だと分かる。
なのはは玄関前で一度だけ家を見上げ、それから扉を開けた。
「ただいまー!」
奥からすぐに足音が返ってきた。
「なのは!」
「おかえり!」
「お母さん! お姉ちゃん!」
桃子と美由希が玄関まで出てくる。
なのはの表情が一気に緩んだ。
普段、小尾が目にするのは管理局員としてのなのはか、自分を監督しているときのなのはがほとんどである。家族を前にした顔は、それとは少し違って見えた。
久しぶりの娘を迎える母親と姉。
帰ってきたことを喜ぶなのは。
小尾は少し後ろに立ったまま、その様子を眺めた。
いい光景だと思う。
そして同時に、別のことも思った。
今なら面白い。
この数か月。
走りたくもないのに走らされ、仕事へ行くのにも連れていかれ、一人で留守番することさえ許されなかった。何か作ろうとすれば確認され、怪しいことを考えているとすぐに見つかる。
もちろん、それが必要な措置であることは理解している。
理解と恨みは別だった。
この恨み、晴らさでおくべきか。
家族との再会が一段落したところで、桃子がようやくなのはの後ろへ目を向けた。
「あら、なのは。そちらの方は?」
「あ、うん。小尾君っていってね。仕事の――」
「初めまして」
小尾はなのはの言葉へ自然に被せるように一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「なのはさんとお付き合いしている、小尾一です」
「ちょっ!?」
なのはが横で変な声を出した。
桃子は目を丸くし、美由希も一度なのはを見てから、小尾へ視線を戻す。
「……なのは?」
「違うからね!?」
聞かれるより先に、なのはが否定した。
小尾は口元が緩みそうになるのを堪えた。
「まあまあ、とりあえず上がって」
桃子に促され、四人はそのまま居間へ移った。
◇
久しぶりの帰省なのだから、最初から小尾の話ばかりになるわけではない。
桃子がお茶を用意している間、美由希はなのはの仕事のことを聞き、最近忙しくないのか、ちゃんと休めているのかと尋ねた。なのはも家族相手には普段より話が多く、ミッドチルダでの生活や教導隊であった出来事を、話せる範囲で答えていく。
小尾はその横で、大人しく茶を飲んでいた。
時折なのはがこちらを睨んでくるが、見なかったことにする。
しばらくして話題が落ち着いた頃、桃子が思い出したように小尾へ顔を向けた。
「それで、一君だったわよね?」
「はい」
「なのはとは、本当に?」
「お母さん!」
なのはが即座に反応した。
小尾は笑顔を崩さずに答える。
「付き合い始めたのは、数か月前ですね」
「だから違うってば!」
「数か月前?」
美由希が興味を持ったように聞き返した。
「はい。ちょうど一緒に暮らし始めた頃です」
そこで初めて、桃子と美由希の表情が変わった。
「一緒に暮らしてるの?」
「それは……」
なのはの勢いが少し落ちる。
「暮らしてるけど、そういう意味じゃないの」
「今も?」
「うん」
桃子と美由希が顔を見合わせた。
小尾はあえて何も言わず、茶を一口飲む。湯呑みを受け皿へ戻すと、小さな陶器の音がした。
かちり。
ほんのわずかな音。
小尾はそこへ、ごく薄い意味を重ねた。
強い暗示など必要ない。
人間の認識を強引に曲げれば、違和感が残る。それよりも、もともと存在する複数の解釈から一つを選びやすくした方が自然だった。
目の前には、二人で帰省してきた男女がいる。
その二人は一緒に暮らしている。
小尾がやることは、それを恋人同士だと受け取る可能性を、ほんの少しだけ高くするだけでいい。
「一緒に住んでるなら、ご飯はどうしてるの?」
桃子が聞いた。
「なのはさんが作ってくれることが多いですね」
「小尾君!」
「本当じゃん」
「本当だけど、言い方があるでしょ!」
桃子は楽しそうに笑っている。
「なのは、料理ちゃんとしてるのね」
「するよ! そこは普通に褒めて!」
「美味しいですよ」
「小尾君は黙ってて!」
今度は美由希が笑った。
話題は自然と二人の生活へ移っていく。
「仕事も一緒なの?」
「僕はなのはさんについていくことが多いですね。帰る時間も大体同じです」
「毎日?」
「ほぼ」
「休日も?」
「出かけるなら大体一緒です」
「小尾君」
なのはが低い声を出した。
「事実しか言ってないよ」
「事実の選び方がおかしいの!」
それはその通りだった。
小尾は嘘をついていない。
ただし、事情を説明せずに事実だけを選べば、どう聞こえるかは理解している。
「でも、なのは」
美由希が面白そうに二人を見比べた。
「一緒に暮らして、ご飯作って、仕事も行って、休みの日も一緒なんでしょ?」
「それは全部理由があって!」
なのはが身を乗り出す。
「これは保護観察で――」
そこまで言ったところで、小尾は少し身体を寄せた。
なのはの耳元へ顔を近づける。
「それ、機密だよ」
囁くような小さな声だった。
「…………」
なのはの口が止まった。
管理局。
小尾の収容歴。
特別保護観察。
事件の経緯。
どこまで家族へ説明してよい情報なのか。
勢いに任せて話せる内容ではない。
なのはもそれが分かっている。
「どうしたの?」
桃子が首を傾げた。
「……なんでもない」
「何話してたの?」
「何でもないから!」
なのはの返事が妙に早かった。
美由希の口元が少し緩む。
小尾は、それを見逃さなかった。
耳元で何かを囁かれたなのはが黙り込み、少し慌てた様子で内容を隠す。
事情を知らない人間が見れば、実に都合のいい光景だった。
小尾は湯呑みへ指先を触れる。
小さな音。
視線。
会話の間。
なのはの反応を見た直後に、別の解釈が自然に浮かぶよう、ほんの少しだけ意識の流れを傾けてやる。
照れているのかもしれない。
その程度で十分だった。
「あらあら」
「お母さん、その顔やめて!」
小尾は笑いそうになるのを堪えた。
かなり楽しい。
「ところで」
美由希が再び小尾へ視線を向ける。
「一緒に暮らしてるって、部屋は別なの?」
いい質問だった。
小尾は一瞬だけなのはを見る。
嫌な予感を察したらしく、なのはの眉が動いた。
「寝室は同じですよ」
「小尾君!」
「寝るときも一緒の部屋?」
「はい」
「そこまで言わなくていい!」
「事実だよ?」
「事情を言えないのをいいことに!」
なのはが小尾の腕を掴んだ。
桃子が驚いたように二人を見る。
「本当に同じ部屋なの?」
「違……」
なのははそこで止まった。
「違わないけど、違うの!」
「なのは、それ余計分からないよ」
美由希が笑う。
「ベッドは別ですよ」
小尾が補足すると、なのはは一瞬だけ安心したような顔をした。
だが、桃子が続けた。
「でも、毎晩同じ部屋で寝てるのよね?」
「そうですね」
「小尾君!」
なのはの安心は一秒も保たなかった。
「フェイトちゃんが泊まりに来た日は、僕が床ですけど」
「フェイトちゃんが来た日だけなの?」
美由希が聞く。
「はい。普段はそれぞれベッドです」
「じゃあ、普段は二人で同じ寝室なのね」
「そうなりますね」
「お願いだからもう喋らないで!」
なのはが額を押さえた。
小尾はとうとう顔を逸らした。
このまま桃子たちを見ていたら笑ってしまう。
しばらくして、なのはが隣から小尾の袖を引いた。
「……小尾君」
「なに?」
なのはは家族の方を一度確認してから、小尾へ顔を寄せた。
「さっきから、何かしてるよね?」
声が小さい。
どうやら桃子たちに聞かせるつもりはないらしい。
小尾は少し驚きながら、同じように声を落とした。
「何かって?」
「カップを置くときとか、テーブルに触るときとか。それと、お母さんたちを見るタイミング。さっきから妙に同じことしてる」
気づくのが早い。
数か月間、ほとんど毎日一緒にいるせいだろう。
仕事中だけではない。家でも、食事中でも、休日でも、なのはは小尾を見ている。以前なら見落としていた小さな癖まで、もう覚え始めているらしい。
小尾はなのはへ少しだけ顔を近づけた。
「……軽い暗示」
「やっぱり」
なのはの眉が寄る。
「何したの?」
「大したことじゃないよ」
「小尾君」
「本当に」
桃子たちから見れば、二人が隣同士で何やらひそひそ話しているようにしか見えない。
小尾はその状況自体がおかしくなりながら、なのはにだけ聞こえる声で続けた。
「『僕となのはさんは、そういう関係なのかもしれない』って解釈を、ちょっと選びやすくしてるだけ」
「それを暗示って言うんでしょ」
「だから軽いやつだって」
「今すぐやめて」
「もうほとんど止めてるよ」
「じゃあ戻して」
「無理」
なのはの目が細くなる。
「なんで?」
「消すものがないから」
さらに声を落とす。
「偽の記憶を入れたわけじゃない。僕となのはさんが一緒に住んでることも、同じ寝室で寝てることも、食事して、仕事へ行って、休日も一緒に出かけてることも全部本当だからね」
「……それをわざとそう聞こえるように話したんでしょ」
「うん」
「うん、じゃないよ」
「僕がやったのは、二人の解釈をほんの少し傾けただけ。あとは見たものと聞いたものから、本人たちが勝手に判断してる」
なのはは何か言い返そうとして、口を閉じた。
小尾はにこりと笑う。
「つまり、もう僕にもどうしようもない」
「……小尾君」
「はい」
「帰ったら覚えててね」
その声だけは小さかった。
だが、妙に怖かった。
二人が顔を離す。
そこで初めて、向かい側から視線を感じた。
桃子と美由希が揃ってこちらを見ていた。
「……なに?」
なのはが警戒したように聞く。
「ううん」
桃子は笑って首を振った。
「ずいぶん内緒話するんだなって思って」
「違うの!」
「何が?」
「だから、その……」
説明できない。
なのはが詰まる。
美由希が楽しそうに笑った。
「やっぱり仲いいじゃん」
「違うってば!」
小尾もとうとう笑ってしまった。
「小尾君」
「はい」
「楽しい?」
なのはがこちらを見る。
笑っていた。
とても綺麗な笑顔だった。
数か月一緒に暮らした経験から、小尾には分かる。
これは良くない方の笑顔だ。
「……かなり」
「そう」
なのはの笑みが深くなる。
「帰ったら、お話ししようね」
「話し合い?」
「うん」
「走り込みは?」
「どうだろうね」
「徒手訓練とかは?」
「小尾君次第かな」
小尾は黙った。
復讐は成功した。
間違いなく成功したと思う。
ただ一つだけ。
復讐した相手と、このあと同じ家へ帰り、同じ寝室で眠らなければならないことを考えていなかった。
「本当に仲いいのねえ」
桃子が微笑ましそうに言う。
「違うってば!」
なのはの声が、高町家の居間へ響いた。