「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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境界の崩れる夜

時同じくして、イリスは研究所へ戻っていた。

 グランツやエレノアと気分転換にドライブを楽しんでいたものの、アンディに連絡がつかない。不審に思ってアクセスしたところ、アンディのカメラ越しに惨劇を知ったのが、今より十分ほど前。

 イリスは車をひらりと降り、エレノアたちに強めに釘を刺す。

 

「みんな、ここにいて。絶対入ってきちゃだめだよ!」

 

 研究所の中は無残な有様だった。

 大切な仲間が、エルトリアの家族が、血まみれの骸に成り果てている。

 

(なんでっ? どうして!)

 

 信じられなかった。瞳が強張りすぎて涙も出ない。

 混乱してばかりのイリスの頭に、フィル所長の声が響く。

 

『イリス……聞こえるかい? 委員会はもうだめだ。ユーリが暴走した』

 

「ユ……ユーリが?」

 

 それこそ信じられなかった。あの優しいユーリが、なぜ。

 

『私ももうだめみたいだ。いいかい? イリス、逃げるんだ』

 

 真相を確かめなくては。

 

(ユーリがこんなことするわけないっ!)

 

 イリスは執務室へ直行し、開きっ放しの扉へ躍り込む。

 フィル=マクスウェルは仰向けに倒れていた。黒い幹に胸を貫かれた格好で。

 

「……なんで……どうして……いやだよ……」

 

 慄然とした表情で、イリスはフィルの亡骸を抱き起こす。

 同じ部屋にユーリもいた。イリスを見下ろし、呆然と立ち竦んでいる。

 

「なんで? ねえ、ユーリ……う、うそだよね?」

 

 喋るたびに小さな嗚咽が混じった。

 

「ユーリがこんなことするなんて……答えてよ! ユーリ!」

 

 イリスが声を荒らげて、ようやくユーリは告白する。

 

「私が……やりました。フィル所長を、私が……」

 

 どくんと心臓が跳ねた。

 まるで現実感のないこの光景が、悪夢ではないと思い知らされた。

 

「だけど聞いてください、イリス。信じてもらえるかわからないけど……」

 

「なんでだよ。なんで所長を殺した」

 

 憎悪が舌に絡みつき、言葉を乱暴にする。

 ユーリは戸惑うばかりで、イリスの質問に答えようとしない。

 

「違うんです! これは……」

 

 目の前が真っ赤になった。

 

「ウワァアアアアァァァアアアアア―――――!」

 

 逆上し、絶叫し、狂乱する。

 その激情をトリガーとして、使うはずのない『力』が解き放たれた。

 システムオルタ。IRS07はスペック以上の性能を、暴走において発揮する。

 

 イリスとユーリは研究所の屋根を突き破り、エルトリアのくすんだ空で閃光を幾重にも交えた。

 地上のグランツやエレノアには、ふたつの流星が暴れているようにしか見えない。

 泣きじゃくるイリスに、ユーリは懸命に言い聞かせる。

 

「待ってください! イリス!」

 

「ああああああッ!」

 

 やがて激闘が終わった時――イリスは黒い大木で惨たらしく磔にされていた。

 生き残ったユーリのほうも力を使い果たす。

 

「ごめんなさい、イリス……きっと、きっとここに帰ってきます」

 

 どこかでフィル=マクスウェルの意志が生きているのを、ユーリは悟った。

 ここにいては危険だ。自分がフィルの手に落ちれば、誰もイリスを救えなくなる。

 

「だから待っていてください。私は……必ず……!」

 

 血と涙を流しながら、ユーリは夜天の書を呼び出した。

 その力で、イリスの『心』を小さな石板に封印。

 そして――。

 

惨劇の40年後、エレノアはすべてを明らかにする。

 

『ユーリは旅立ち、イリスはあの場で眠って……時を経て、私の娘と出会いました』

 

 彼女と夫のグランツだけが知る真相だった。

 

『どこからがあなたの計画なのかは、わかりませんが』

 

「全部さ。と言っておくよ」

 

 フィル=マクスウェルはまるで悪意がないようにはにかむ。

 

「記憶データのひと欠片さえあれば、イリスは何度でも蘇る。私の記憶と意志もそこに託した。そして私は新天地へと辿り着いた」

 

 言葉通りに蘇ってしまった男を、アミティエは気丈に睨みあげた。

 

「記憶のバックアップを取ったからといって、心や肉体がなければ、それはただのデータです。マクスウェル、あなたはとっくの昔に『壊れてしまったデータ』なんです」

 

「私の思考は至って明晰で、快適だよ。まさしく唯一の成功例さ」

 

「なんて愚かな……」

 

「イリスが帰ってきた。地球には資材も動力もある。工廠を増やせる……まだ、数を揃えられる」

 

 アミティエは視線を巡らせた。屋上には幾列もの自律機械が整列し、離れた区画では製造装置の起動を知らせる光が瞬いている。

 

「あなたは、こんなにも大量の兵器を……いったい何のために?」

 

「兵器という呼び方は正確ではないね。時間を作るための手段だよ」

 

「時間……?」

 

 男の手元に映った小さな画面を、アミティエは見逃さなかった。無数の生産番号。その右に並ぶ、完了・起動・待機・転送という分類。待機欄の数値が減るたび、転送欄が増えていく。

 

 だが、通信回線の行き先を追うより早く、マクスウェルが画面を閉じた。

 

「何を企んでいるんです。機体をどこへ送るつもりですか」

 

「君はエレノアの娘だろう。あの夫婦なら、もう少し物分かりがよいと思っていたよ」

 

『四十年前も、そうおっしゃっていましたね』

 

 エレノアの声から、母親としての穏やかさが消えた。

 

『あなたは政府へ危険を訴えていました。それでも、私たち研究員には理由のすべてを明かそうとしませんでした』

 

「君たちに話してどうなる。計算を示したところで、政府と同じように理解できなかったはずだ」

 

『だからといって、職員を殺す理由にはなりません』

 

 その言葉にだけ、男は笑わなかった。

 

 ごく短い間、背後の機械音だけが聞こえた。

 

「私が間違っていたというのかい。彼らをあの場所に残せば、いつか別の誰かが救ってくれたと?」

 

『あなたが何を恐れていたとしても、殺された人たちは帰ってきません』

 

「そうだね。帰ってこない。だからこそ、今度こそ間に合わせるんだ」

 

 男は目を伏せた。悔恨の仕草にも見えたが、その声には、亡くなった人々に対する謝罪がひとかけらもなかった。

 

「ずっと観測してきた。誰も見ようとしなかったものを、私は四十年以上見続けた。条件は変わり、予測は更新される。残り時間だけが減っていく」

 

「……あなたは、何を知っているんですか」

 

「知らなくていい。君には、その重さがわからない」

 

 アミティエは歯を食いしばった。

 

 彼の警告に真実が含まれていたとしても、その態度が変わることはない。知っているのは自分だけ。決める権利があるのも自分だけ。そう信じているかぎり、誰の命であろうと、彼の計算の中では取り替えの利く数字でしかない。

 

「わかるように説明してください。四十年前にあなたがしなかった、そのことから始めればいい」

 

「説明している猶予などないんだよ。君の母親にしてもそうだ。説明より先に、備えなければ」

 

「だから、地球で人を襲っていいと?」

 

 アミティエの怒りを、マクスウェルは理解できないとでもいうように首を傾げた。

 

「君はあの星を救うと言う。私は、あの星に残された人々を救おうとしている。そのために必要なものを取っているだけさ」

 

『イリスを、あなたの代わりに戦わせていることもですか』

 

「もちろん。あの子はそのために作ったんだ。あの子の力が足りなければ、数を増やす。完成した順に動かす。これ以上待てないんだからね」

 

 初めて、マクスウェルは焦りをむき出しにした。

 

「四十年前、政府は私の研究を無駄だと切り捨てた。彼らにはコロニーがあればいいと思えたんだろう。今ごろは私の言ったことも忘れている。だが私は忘れていない。忘れられるはずがない!」

 

 その息は乱れていない。人工の肺に疲労など存在しないはずだった。それでも声は、ひどく切迫していた。

 

「私以外に誰がやる? 誰が人類を守ろうとしているんだ。誰もいない。だから、私がやるしかない」

 

 周囲の群体イリスは無言だった。彼が求めた答えを返す者はいなかった。

 

 アミティエはもう一度、並べられた兵士たちを見た。

 

「ユーリも、イリスも、あなたの戦力じゃありません。自分の意志で生きている人たちです」

 

「その言い分は、四十年前にも聞いたよ」

 

 マクスウェルは薄く微笑んだ。

 

「よかったら君たちも協力しないか?」

 

 しばらくの沈黙が流れた。

 

(このひとのせいで、キリエは……私たちの父さんと母さんは!)

 

 アミティエの咆哮が爆ぜる。

 

「アクセラレイター!」

 

 バイクの上から蒼い弾丸が横っ飛びに瞬発した。

 イリスのコピー隊が勘付いて斉射を浴びせるも、間に合わない。アミティエの二丁拳銃がリズミカルに火を噴く。

 アクセラレイターの猛スピードに、アミティエはさらに自らの爆走で弾みをつけた。コピー隊の銃撃を回避しつつ、アクロバティックに跳躍する。

 

(狙うべきはマクスウェル!)

 

 あえて遠まわりに飛翔することで、コピー隊の斉射を充分に引きつけた。

 そこからアクセラレイターで強引に曲がり、二丁の拳銃を両刃の大剣に変えながら、マクスウェルに急襲を仕掛ける。

 

「遅い」

 

 そのはずが、マクスウェルに容易く撃ち返されてしまった。

 

「あぅうっ?」

 

 ふっと飛ばされたところへ、マクスウェルが瞬時に肉薄。強烈なまわし蹴りがアミティエの身体をくの字に曲げ、撃墜する。

 アミティエが墜落した衝撃で、地面は丸く凹んだ。

 そこへイリスのコピーどもが群がり、容赦なしに銃弾を浴びせる。

 

「くあああっ!」

 

 さしものアミティエも激痛にのたうちまわるほかなかった。

 マクスウェルは余裕綽々に勝ち誇る。

 

「こっちに来てから、ずっと戦い続けてるんだろう? ナノマシンもそう残っていない。そんな身体じゃ抵抗するだけ無駄さ。さっさと帰ればよかったのに」

 

 その銃口がアミティエを照準に捉えた。

 

「どうして関わろうとする」

 

 マクスウェルの嘲笑に屈さず、アミティエは答える。

 

「この星も……たくさんのひとの故郷です。必死に生きてるひとがいる」

 

 自分も妹のキリエと同じだった。

 遠い地球のひとびとに迷惑を掛けないように――と思いながらも、心のどこかで線を引いていたのだろう。キリエさえ連れ戻せれば、とばかり考えていた。

 けれども地球には、自分と同じ『心』を持ったひとがいる。

 

「大切なものを守ろうとするひとがいる……見知らぬどこかの誰かのために、必死になってくれるひとがいる……」

 

 今はもうエルトリアのために戦っているのではなかった。

 

「同じだからです。この星も……私たちの故郷も!」

 

 この地球のひとびとのために。アミティエは必死に頭をもたげ、雄々しく吼える。

 対するマクスウェルは冷淡だった。

 

「……そうだね。この星にも守るべき命がある。わかっているとも」

 

 マクスウェルは銃口を上げた。言葉とは裏腹に、射線上にいるアミティエを退かせようともしない。

 

「だからこそ、ここで立ち止まれない。すべてを救うための備えを失えば、私にはもう何も残らないんだ」

 

 マクスウェルのライフルがアミティエに目掛け、光弾を放つ。

 

 その軌道に、桃色の裂け目が開いた。

 

 光弾はアミティエの手前で途切れ、屋上から遠く離れた無人の道路へ現れた。爆発がアスファルトをはね上げ、夜明け前の空を赤く染める。

 

「む……?」

 

 マクスウェルが驚く間にも、金色の斬撃がコピー兵の銃口を切り落としていく。別の地点では光の端末が水平に滑り、敵機の足元を正確に薙いだ。

 

 少女の声が凛然と響き渡る。

 

「警告です。武器を捨てて投降してください」

 

 高町なのはが右手に携えているのは、巨大な鍵だった。淡い桃色の霊装をまとい、濃紺の外套の内側に星のような光を宿している。背後では六角の光輪が音もなく回っていた。

 

 フェイト=テスタロッサはユーリを庇うように純白のマントを翻す。

 

「かけがえのない命を弄ぶ真似は、絶対に許さない」

 

 上空の八神はやての背後には〈絶滅天使〉メタトロン。羽状の端末が王冠から分かれ、縦横に配置を変えながら、イリスのコピーたちを包囲していく。

 

「いよいよ黒幕のお出ましやね。アミタさんの分、キリエさんの分、そしてユーリとイリスの分も……全部、きっちりお返しするで」

 

 初代リインフォースが、はやての内側だけに声を届けた。

 

『主はやて。後続の部隊も向かっています』

 

(うん。そっちは任せる。今は目の前の子らを助けな)

 

 幼い少女の姿をした三人が、マクスウェルを囲む。

 

 にもかかわらず、男は眉ひとつ動かさなかった。自分以外のすべてを見下す冷笑を浮かべながら、肩をごきりと鳴らす。

 

 紫色のオーラが彼を包んだ。

 

 何とか起きあがったアミティエが、忌々しそうに歯噛みする。

 

「私と同じアクセラレイターを……」

 

「同じではないよ。稼働効率は君たちより遥かに上だ。それに」

 

 マクスウェルから信号を受けたらしいユーリが、俄かに魔力を増大させた。フェイトは反射的に飛び退くも、懸命に呼びかける。

 

「ユーリ!」

 

 しかしフェイトの声は届かなかった。

 

 ディアーチェたちとの激戦で『機鎧』を失ったはずのユーリが、新たにフォーミュラの装甲を実体化させていく。

 

 小さなユーリを包むように、巨大なアーマード・ベースが形成された。

 

 防壁、装甲、複数の砲門を備えたその姿は、移動する要塞そのものだった。

 

「ユーリちゃんが、また……」

 

「フォーミュラ製の装備も用意しとったわけか」

 

 なのはもはやても緊張感に息を飲んだ。

 

 マクスウェルがほくそ笑む。

 

「私は君たちと戦っても負けないが、そもそも戦う必要すらないんだ」

 

 結界内の東京のあちこちで大型の機動外殻が起きあがった。

 

「エクスカペータがあんなに……!」

 

 時空管理局の制圧が届いていないエリアだ。まだ生産拠点を隠していたのか。

 

「武器も機動兵器もいくらでも生み出せる。そして私は、手にした戦力のすべてを自由に操れる。イリスはもちろん、ユーリもね」

 

「あなたの指示で、あの子たちが戦っているんですね」

 

 なのはが鍵を構えた。

 

「四十年前も今も……どうして、そんなことをするんですか」

 

「問答している暇があるなら、その鍵をこちらへ寄越したまえ。君の力なら、私の計画を大幅に早められる」

 

 その言葉には欲望よりも、病的な切迫があった。少女の姿ではなく、鍵の向こうにある能力だけを見ている目だった。

 

 ユーリが四つの砲門を展開しつつ、なのはたちの前に立ちはだかる。

 

 その隙にマクスウェルは姿を眩ませた。

 

「さあ……君たちも、私の手駒にできるかな?」

 

 なのは、フェイト、はやてはユーリを見据えるほかない。

 

「王様には悪いけど、私らで止めるしかあらへん」

 

「うん。けど、ほかの機動外殻も何とかしなくっちゃ」

 

「やることは決まってるよ。絶対、助ける!」

 

 はやては見渡すかぎりの街を見下ろした。結界の向こうには、同じ時刻に眠り、起き、暮らしている人々がいる。

 

(リイン。関東の結界、どこまで保つ?)

 

『防護節点が落ちれば、局所的に外の地上へ被害が及びます。ですが、代替節点と予備の魔力供給は確保されています』

 

(……なら、支え切ってもらうしかないな)

 

 離れた指揮船へ、はやてが即座に通信を繋いだ。

 

「リンディさん! 関東全域の結界を維持したまま、内側の戦闘許容域を広げられますか!」

 

『できるだけのことはするわ。ただ、あなたたちの出力を全部受け止められる保証はない。節点を避けて、撃つ場所を選んで』

 

「わかっとる!」

 

 苦戦の理由は、力が足りないからではなかった。

 

 この夜、初めて彼女らは、その力の上限ではなく、戦場の側がどこまで耐えられるかを計りながら戦うことになる。

 

 最後の決戦が始まる。

 

マクスウェルのウイルスコードがイリスを苦しめる。

 

「う……あぐうっ?」

 

「イリス!」

 

 キリエが近づこうとすると、ブレードの一閃で遮られた。

 

「逃げなさいっ!」

 

 悲鳴のような警告が木霊する。

 イリスは真っ赤な瞳に大粒の涙を溜めながら、声を上擦らせた。

 

「あんたじゃ! あんたなんかじゃ、どうすることもできないんだからッ!」

 

 無造作にブレードを振りまわし、片膝をつく。

 マクスウェルの支配に抗っているのだろう。キリエを攻撃したがる右手を、左手で必死に押さえては、歯を食い縛る。

 

「これ以上あたしを、どうしようもないやつに……しないで!」

 

「イリ――」

 

 再びイリスの右手が動いた。

 ブレードが瞬時に三つ又の鞭に変わり、電流を帯びる。

 ブレードとは異なる変幻自在の奇襲が、キリエの死角にまわり込んだ。

 

「きゃあっ!」

 

 棒立ちも同然のキリエは、東京タワーの展望窓に叩きつけられる。

 鞭の電流はフォーミュラの機能を阻害するものらしい。それが三本、攻撃を受けるたびに負傷は三ヵ所、六ヵ所となる。

 

(これはイリスじゃない! マクスウェルが……!) 

 

 すでにイリスはマクスウェルの支配下にあった。涙を止め、キリエ=フローリアンを排除の対象として睨みつける。

 

「……」

 

「イリス、目を覚まして! イリスっ!」

 

 それでもキリエは反撃せず、一方的な猛攻に耐えた。

 

(だめ……どうしたらイリスを止められるの? お姉ちゃん!)

 

 キリエを散々に打ちのめし、イリスは三つ又の鞭を大型のライフルに替える。

 銃口が倒れるキリエに狙いをつけた。

 

(――!)

 

 キリエはダメージを覚悟し、痛いほどに唇を噛む。

 一発の銃声が反響した。しかしキリエの身体には当たっていない。

 

「……イリス?」

 

 顔をあげ、苦しむ『友達』の姿を目の当たりにする。

 

「早く逃げなさい……っ!」

 

 かろうじて動かせる左手で、イリスは右手のライフルを抑え込んでいた。

 ただキリエのために。

 止まっていたはずの涙をぼろぼろと流しながら、切実に訴える。

 

「同情ならいらないわよ……あたしはあんたをずっと騙してた。自分の目的に利用するために……だけど、あたしも嘘に気付かず踊らされてた」

 

 40年に及ぶ憎悪と、復讐の結果だった。

 

「これって報いなんだわ」

 

 キリエを騙して利用したイリスもまた、騙されていた。それも、父親のように慕ったマクスウェル所長の悪意によって。

 涙ながらにイリスは嘲笑を浮かべようとする。

 

「教えてあげようか? あんたが初めてあたしのところに来た時、チビだったあんたを見て、あたしはもう……『どうやって騙そうか』考えてた」

 

 これ以上キリエを巻き込むまいと、遠ざけようと、下手なりに悪党を演じる。

 エルトリアの廃教会で出会ったことは、キリエもはっきりと憶えていた。

 

「あんたがあたしを頼ってくるたびに、くだらない悩み事を打ち明けられるたびに」

 

 両親も姉も忙しく、幼いキリエに遊び相手などいない。廃教会へ足しげく通い、イリスと一緒に穏やかな時間を過ごすのが好きだった。

 

「これでまた信頼させられるって思ってた」

 

 キリエはぎゅっと拳を握り締める。

 

(違う……私は、イリスに相談がしたかったわけじゃない)

 

 幼いなりに何度も彼女を頼りにした。色んな話を聞いてもらった。

 けれども、それはイリスを利用してのことではない。

 

「あんたの面倒を見てやったのも、一緒になって笑ったのも、全部……全部、あんたを利用するためだったんだから」

 

 右手のライフルを抑えきれず、イリスは叫ぶ。

 

「だからさっさと逃げなさいよおッ!」

 

 その瞬間、キリエは自分とともにある『力』を悟った。

 父グランツに託されたフォーミュラには、まだ輝きが残っている。

 

(パパ……!)

 

 優しい父に背中を押された気がした。

 イリスの射撃がキリエを丸ごと爆炎に包む。

 

「キリ、エ……」

 

 無抵抗のキリエを撃ってしまったことで、イリスは愕然とした。

 間もなく煙が晴れ、キリエを露にする。

 

「――逃げないよ!」

 

 そこにキリエ=フローリアンは立っていた。凛々しい顔つきで、威風堂々と。

 彼女のフォーミュラが淡いピンク色に輝く。キリエを止めなくてはならない――その想いが、渾身のアクセラレイターに力を漲らせる。

 

「イリスと一緒に過ごした時間は、嘘じゃないもの!」

 

 怒号と、決意と。

 キリエの意志に呼応し、ブレードが弓なりの、より戦闘的なフォルムに変化する。

 

「一緒に笑った、あの時間は私の宝物だから!」

 

 キリエはただ信じた。

 

「イリスがどんなふうに思ってたって、あたしにとっては大切な友達なんだもん!」

 

 目の前の彼女のことを。

 ひとりぼっちで泣いている女の子のことを。

 

「うあぁ……うあああああーーーッ!」

 

 イリスは泣きじゃくりながら、キリエに襲い掛かってくる。忌々しいウイルスコードによって強制的にそうさせられる。

 それをキリエは真っ向から受け止めた。

 鍔迫り合いの形で互いに相手を軸にしつつ、東京タワーの外へ飛び出す。

 

 もう迷いはなかった。フォーミュラが力を貸してくれる。

 彼女を止められる力が、この手にあるのだから。

 

「大好きな友達を!」

 

 東京タワーの上空で、ふたつの流星が激突しては離れ、また激突する。

 

「泣いてる友達を、放ってなんておけないよ!」

 

「あああああッ!」

 

 イリスの拒絶とキリエの情熱が、幾度となくぶつかった。

 

 ユーリを中心として、六本の機械腕が放射状に広がった。

 

 なのはが最初に見たのは、どこかで自分が救えるものではないかと考えた少女の顔だった。そこには恐怖があった。抗おうとする意志があるのに、四肢と装甲は無慈悲に別の命令へ従っている。

 

「ユーリちゃん……!」

 

 砲門が一斉に光を帯びた。

 

 なのはは〈封解主〉を前に差し出した。

 

「ミカエル、開いて!」

 

 正面の空間が四角く欠けたかと思うと、ユーリの砲撃がそこへ吸い込まれた。数百メートル上空、誰もいない位置に開いた出口から、同じ砲撃が空へ駆け上がる。

 

 爆風が結界内の高層ビルの壁面を軋ませた。

 

「なのはちゃん! 右、来るで!」

 

 はやての〈光剣〉が脇から伸びた機械腕を牽制し、そこにフェイトの金色の斬撃が重なった。

 

 左からも砲火。なのはは鍵を返し、進路だけを閉ざす。出口を開いた先では、ユーリ自身の防壁に弾が命中して火花が散った。

 

「全部返したら、ユーリちゃんまで……!」

 

「うん。止めるだけや。止めるだけでええ!」

 

 はやてが〈天翼〉を展開した。メタトロンの端末が背後に集まり、幾重にも折り重なった羽が、夜風を裂くように身体を押し上げる。翼の先から伸びる細い光線は、砲門と砲門の隙間を正確に貫いた。

 

 だが機鎧はすぐに六角形のパネルを増殖させ、傷を塞いでいく。

 

「これ、普通に壊してもあかんな」

 

『本体の保護を優先しているようです。出力を上げれば、装甲とともに本人まで貫通する危険があります』

 

(せや。せやから、まずは腕を引きつける)

 

 なおもはやては一つずつ端末を散開させた。なのはが開いた空間に光線を送り込み、反対側から現れる射線でユーリの旋回を制限する。

 

 ユーリは不規則に身を捩った。アーマード・ベースの回路が光り、砲弾の数だけが増え続ける。

 

 防壁の外で数百の光が連続して爆ぜた。建物の影が裂け、無人の道路を熱線が走り抜けた。

 

「このままじゃ、結界がもたへん!」

 

 管理局の節点を示す地図が、はやての視界の端で赤く点滅した。万全に張られた関東全域の隔離結界にも、局所的には疲労が蓄積する。

 

「数が多すぎる……」

 

「手分けしよ。私は地上の制圧にまわる。ユーリは」

 

「私に任せて。無力化は難しくても、引きつけるくらいなら」

 

 逆にフェイトは高度を下げ、あえてユーリの正面へ。

 

「ひとりで大丈夫?」

 

「うん。バルディッシュがいるから」

 

 手の中の相棒を握り直すフェイトを、なのはは見つめた。

 

 もっと簡単に、何もかも閉じてしまえるかもしれない。動作も、命令も、四肢の自由も。それを試さないのは、できないからではなく、ユーリを傷つける結果を恐れているからだった。

 

 それでも、友達を信頼することはできる。

 

「お願い、フェイトちゃん」

 

「任せて」

 

 さらに真下で、アミティエがバイクに跨った。

 

「マクスウェルはリンディさんが追尾してくれてます! 私が行きます!」

 

 はやての指示も早い。

 

「なのはちゃんは親玉を追いかけて!」

 

「うん!」

 

 なのはは鍵を横に捻る。空に細い道が開き、追跡すべき男の方向へ直結した。アミティエの機体が下を走るのに合わせ、なのはもその道を進む。

 

 ユーリが追跡しようとするのを、フェイトの鋭い稲妻が遮った。

 

「行かせないよ。あなたはこっち」

 

「……………」

 

 東京の上空で対峙は続く。

 

ゲートブリッジの麓にて、ディアーチェたちは医療班の治療を受けていた。

 ディアーチェが起きあがろうとするのを、シャマルが制止する。

 

「は……放せっ」

 

「だめよ! あなただって重症なのよ?」

 

 それでも、じっとなどしていられなかった。

 

「ユーリが泣いておる……我が、我らが行かねばならぬのだ」

 

「だめだったら! 怪我も酷いし、魔力だって残ってないんでしょう?」

 

「ええい! 放さぬか!」

 

 さしものシャマルも手を焼くほどに暴れる。

 シュテルとレヴィも隣の寝台で応急処置を受けていた。ふたりはディアーチェの意地の張りようを眺めると、互いに頷きあう。

 

「ディアーチェ。手はあります」

 

 シュテルの言葉がディアーチェの動きを止めた。

 医療班も押し黙る中、シュテルはいつもの調子で淡々と語る。

 

「悔しいですが、私たちはもう戦えそうにありません」

 

「だから決めたんだ」

 

 レヴィは仰向けのまま、夜空へ手を伸ばした。

 

「私たちの魔力を」

 

「残った力を全部、王様にあげる」

 

 ディアーチェはふらふらと歩み寄り、ふたりの『下僕』を覗き込む。

 

「馬鹿者……そんなことをしたら、今の姿を保てなくなるぞ」

 

 にもかかわらず、シュテルもレヴィも微笑んだ。

 

「もともと仮初の姿です」

 

「話ができなくなるのは残念だけど。まあ平気」

 

 残された力で弱々しくも、健気に。

 ディアーチェは叱りつけることもできず、ふたりの言葉に耳を傾ける。

 

「ボクらがずっと欲しかった力」

 

「大切なものを守るための力」

 

「言うな……それ以上は言うな、馬鹿者」

 

 ユーリを救いたい。その気持ちは三人とも同じだった。

 王として、これは自分が『命令』すべきこと。

 

「シュテル、貴様の炎を我に貸せ。我とともに戦え」

 

「仰せのままに」

 

 シュテルはディアーチェの左手を取る。

 

「レヴィ、貴様の雷を我に貸せ。我とともに飛べ」

 

「仰せのままに」

 

 レヴィはディアーチェの右手を取る。

 ふたりの身体が真っ白に輝いた。

 

「私たちの想いをすべて、あなたの翼に託します」

 

「ボクら、ただの猫に戻っちゃうけど」

 

「信じてますよ。故郷でまた、平和に暮らせることを……」

 

 次第に小さく、小さくなり、ディアーチェと繋いでいた手も消える。

 熱いものがディアーチェの中へ流れ込んできた。

 

(シュテル……レヴィ……)

 

 全身に力が漲ってくる。破損の酷かったバリアジャケットが修復されるのみならず、美しい黄金の光を放つ。

 六枚の翼にシュテルとレヴィの色が混ざった。

 髪が伸びたことにも気付かず、ディアーチェは二匹の『子猫』を抱え込む。

 

「待っておれ。必ずユーリを……いや、ユーリとイリスを連れて戻る」

 

 腕の中でシュテルもレヴィもぐっすりと眠っていた。

 ふたりは自らの意志で身を捧げたのではない。

 

あくまで王たるディアーチェが命じ、無理強いしたのだ。

 だからこそディアーチェには、ふたりの分まで使命を果たす責任がある。その責任を背負うことで、自らを奮い立たせる。

 風が吹いた。

 

「こいつらを頼む」

 

「え、ええ」

 

 ふたりをシャマルに預け、ディアーチェは東京の夜空を仰ぐ。

 一瞬にして、その姿は上空へ転移した。

 ディアーチェは両手の拳を握り締め、力の限りに叫ぶ。

 

「シュテル! レヴィ! お前たちの想い、しかと受け取ったぞ!」

 

 怒号が木霊した。

 

 はやては機動外殻とコピー兵の対応に追われる。

 

「まだ増えてる……あかん、増加速度もどんどん早くなってる」

 

 目の前でビルが崩落した。崩れた外壁が粉塵を引きずりながら大通りへ倒れこみ、結界内の街を灰色に塗り潰す。

 

 交通も、人の声もない。ここは関東全域を隔離した戦闘用の領域だ。現実の東京では、人々がこの時刻にも生きている。あちらへ一片でも被害を出せば、もはや戦いに勝ったとは言えない。

 

『主はやて。東側の敵増援、接近中』

 

「見えとる。……こっちはどうや」

 

 〈光剣〉の端末が雲より高く広がり、各々の先端から一筋ずつ光を伸ばす。降り注ぐ光線は機動外殻の四肢と推進器を裂き、次々と道路へ沈めた。

 

 それでも増援は途切れない。砕けた機体の後ろから、新しいものが立ち上がってくる。

 

「この数……どこから出してるんや」

 

 制圧班のクロノから通信が入った。

 

『わかったぞ、はやて! 永遠結晶だ!』

 

「それや!」

 

 結界の中ではフォーミュラ用の素材やエネルギーを調達できない。

 

 しかしユーリが無限に生み出せる『永遠結晶』があれば、いくらでも補充が叶う。

 

「せやから、マクスウェルはあれだけユーリに拘ったんやな」

 

 四十年前にユーリがエルトリアから決死の脱出を試みたのも、このためか。

 

『とにかく永遠結晶のプラントは抑えた。今よりやつの手駒が増えることはない』

 

「すでに大変な数なんやけど……」

 

 盾の守護獣ことザフィーラが、巨大な機動外殻の足を砕いた。湖の騎士シャマルもクラールヴィントを展開し、結界の支点へ向かう敵を押し返す。

 

「はやてちゃん! 前に出すぎないで!」

 

「わかっとる! みんなも助かったで!」

 

 鉄槌の騎士ヴィータと剣の騎士シグナムも参戦する。

 

「拠点の制圧は目処がついたんだ。あとのこと考えて、温存する必要はねえ」

 

「ああ。手当たり次第に片付けるぞ」

 

 はやては戦況を一望した。結界内だけで済むのであれば、もっと早く敵を片付けられる。だが彼女の最も強い攻撃は、隔離領域を内側から引き裂いてしまいかねない。

 

『主はやて。リンディ次長より通達。北東から南へ伸びる戦術区域の味方撤退、まもなく完了です』

 

「……やっとか」

 

『結界の節点は待機回線へ移しました。予備の防護層も展開済みです。ただし、十分ではありません』

 

「十分やなくても、やらんと間に合わへん」

 

 はやての背後でメタトロンが大きく開いた。

 

 一本、十本、百本。羽状の端末が、夜空を埋めるように散開する。光で作られた王冠が、対象の頭上で回転を始めた。

 

「〈日輪〉……!」

 

 無数の光弾が、散開する機動外殻の列へ降り注ぐ。面で押す広域攻撃。破壊された機体の装甲が爆散し、その破片が周囲の建造物を貫く。さらに幾本もの〈光剣〉が空を横切り、火炎と瓦礫の向こうでまだ立っている敵を貫いた。

 

 昼のような閃光が幾度となく点った。

 

 無人の街に、地震でも起きたかのような破壊が広がっていく。路面は波打ち、橋脚は折れ、吹き飛んだ車両が建物の窓を突き破って消えた。

 

 はやては攻撃を止めなかった。今の彼女が抑えているのは、もはや敵に与える損害ではない。外側の生きた世界へ、決して衝撃を通さないという最後の境界だけだった。

 

(リイン! 節点の情報!)

 

『三番が限界に近づいています。出力を一点に集中させれば、結界面が破断します!』

 

「三番を避ける。残りは通す!」

 

 王冠が傾く。何本かの端末が反転し、放ったはずの弾幕を敵勢の中央へ収束し直した。

 

 結界の内側で竜巻のような土煙が立った。巨大な鋼の骨格が次々と焼け落ち、地図の敵表示が一つ、また一つと消えていく。

 

 それでもはやては唇を噛んだ。

 

 ほんの少し計算を誤れば、力は味方の守る街へ届く。自分なら敵を消し飛ばせると知っているのに、一呼吸ごとに撃つ方向を選ばなくてはならない。

 

「私らの仕事は地上の敵の殲滅や! シグナムは北、ヴィータは東、ザフィーラは南、シャマルは西! 管理局のチームと連携して、掃討に当たるで!」

 

「「了解!」」

 

 四人の守護騎士が声を揃える。

 

 はやては翼を反転させ、再び災害の中心へ飛び込んだ。

 

首謀者のマクスウェルはステルスで逃走中。

 それをアミティエがバイクで付かず離れず追跡する。

 

「さすが時空管理局ですね」

 

 マクスウェルの位置は今もリンディ次長が正確に捕捉していた。

 なのはが〈封解主〉で空間を繋ぎ、アミティエの進路と並走する位置へ姿を現した。

 

「アミタさん! 私が犯人確保の担当になりました。一緒に捕まえましょう」

 

「本当にご迷惑をお掛けするばかりで……」

 

「こちらこそご協力いただいて……行きましょう! アミタさん」

 

「はい! なのはさん」

 

 目標は近かった。

 

 なのはとアミティエは一旦別れ、マクスウェルの行く先へまわり込む。

 

 一方のマクスウェルも追手の接近に気付いていた。高層ビルのネオンにステルスで溶け込みながら、待ち伏せする。

 

「……む?」

 

 そのつもりが、追手は無人のバイクでしかなかった。

 

 バイクを自動走行に切り替えたうえで、なのはたちのほうも潜伏。マクスウェルの背後を取り、アミティエはブレードで、なのはは鍵を突き出す。

 

「マクスウェル!」

 

「ぬうっ!」

 

 アミティエの一撃は振り向きざまに弾かれた。

 

 しかし、なのはが先回りさせていた空間の出口は、彼の防壁の内側に開いていた。

 

 腕の機構だけが、何かに固定されたように停止する。続いて左足の装甲が半歩ずれ、踵が本来ないはずの場所へ踏み込んだ。

 

「何をした?」

 

「そこから動かないでください。逮捕します!」

 

 マクスウェルは右腕の装甲を捨て、自身の駆動系を切り離した。固定されていた部分を失って、身軽になった身体が後ろへ跳ねる。

 

「いいや、まだまだ。アクセラレイター・オルタ!」

 

 空気が一瞬、へこんだ。

 

 次に彼が現れたのはアミティエの背後だった。

 

「ぐはっ!」

 

 強烈な蹴りが少女の身体を折り曲げる。反撃しようとしたブレードは、拳銃の一撃で弾かれた。

 

 さらには単身にもかかわらず、ブレードと銃撃の巧みなコンビネーションでアミティエを圧倒。空中へ跳ねあげ、フォーミュラの剥がれた腹部へ狙いをつける。

 

「さようなら。エレノアの娘」

 

(アミタさん!)

 

 彼女のもとへ飛べば間に合わない距離だった。ほんの数十メートル。それでも砲口が開くまでの時間より、人間の飛行は遅い。

 

 ただし、今のなのはにとって距離は絶対のものではない。

 

「ミカエル!」

 

 鍵を回す。なのはの目前に開いた空間と、アミティエの隣に生まれた空間が、瞬時にひとつになった。

 

 砲口から吐かれた光が、桃色の外套をなめた。

 

「危ない!」

 

 アミティエを抱き寄せ、そのまま二人の位置を別の屋上へ移す。直後、二人のいた空間から出た光が、遥か彼方のビルの外壁を吹き飛ばした。

 

「何だと?」

 

 なのはは答えなかった。

 

 危険なのは、撃ってくる相手の力だけではない。受けたものを無造作に別の場所へ捨てれば、そこにあるものを壊してしまう。守るための力が、戦う場所そのものを敵にしてしまう。

 

「アミタさんは少し下がってください」

 

「そんな、私はまだ」

 

「大丈夫なのはわかってます」

 

 なのはは笑みを浮かべた。

 

「私のほうがもっと大丈夫だ、ってだけです」

 

 マクスウェルはその少女を見上げた。

 

「素晴らしい……君は素晴らしい!」

 

「……」

 

 なのはは答えず、フィル=マクスウェルをまっすぐに見据える。

 

「欲しいね、その力。君も私の子どもにしてあげよう」

 

 これまでに彼はフォーミュラを、テラフォーミングユニットを、そしてユーリの魔導さえも手に入れた。高町なのはも同じ『道具』にできると思ったのだろう。

 

「いやです」

 

 なのはは短く言った。

 

「私の力は、あなたに誰かを傷つけさせるためのものじゃありません」

 

「世界の端で誰かが死ぬのを、黙って見ていろと?」

 

「……?」

 

 問い返す間もなかった。マクスウェルが速度を上げる。

 

 今度はなのはも、空を裂いて応じた。

 

 鍵先が宙を叩き、三つの空間が同時に開く。ひとつを踏み越えた瞬間、彼女は男の上方へ現れた。

 

 そこからまた別の場所へ。マクスウェルが速度で距離を稼ぐなら、なのはは距離というものを切り縮める。

 

「アクセラレイター・オルタ!」

 

 高町なのはとフィル=マクスウェルの一騎打ちが幕を開けた。

 

フェイトはユーリの射程すれすれの距離を維持しながら、東京の夜空を飛ぶ。

 こちらからも積極的に牽制を仕掛け、とにかくユーリを引きつけることに集中した。

 

「この調子なら」

 

 ユーリはフェイトひとりにターゲットを絞っている。

 ひとまず彼女をほかの戦線から引き離すことには成功した。機動外殻の群れも目的は結界の破壊のため、わざわざフェイトのもとまで来ることはない。

 とはいえフェイトは焦燥感に駆られていた。

 

「はやてはシグナムたちが一緒だから大丈夫だろうけど、なのはは……」

 

 マクスウェルの力は侮れない。彼のアクセラレイター・オルタとやらは、キリエのシステム・オルタを凌駕するはず。

 できることなら、すぐにでもなのはの援護に行きたい。

 しかしユーリを自由にさせては、機動外殻の掃討もままならなくなる。

 

 幸いにしてユーリの攻撃はそこまで激しくなかった。一体で多数の敵に対応する能力ゆえか、フェイトひとりを狙い撃ちにするような手段は持ち合わせていないらしい。

 さらに距離を稼ぎながら、フェイトは前方の人影に声をあげる。

 

「ディアーチェ?」

 

 一度は戦線を離脱したはずのディアーチェが、ベルカ式の魔法陣の上で仁王立ちになっていた。赤、青、黒の魔導砲を横並びで斉射し、迫るユーリを迎え撃つ。

 ユーリは慣性を利用しつつ回避するも、三色の魔弾はどこまでも追尾し、命中した。ユーリのアーマード・ベースが失速し、つんのめる。

 ディアーチェのバリアジャケットは金色に輝いていた。

 

「手間をかけたな。あとは任せろ」

 

「ひとりじゃ無理だよ。私も」

 

 フェイトはそう訴えるも、ディアーチェは微動だにしない。

 

「ひとりではない。シュテルもレヴィも我とともにある」

 

 その右手にはレヴィのデバイスが、左手にはシュテルのガントレットがあった。三位一体の力がディアーチェに今までにない気迫を漲らせる。

 

「ユーリを確保するのは、もとより我らの役目」

 

 はやてから借り受けた魔導書型のデバイスが、数多のページをばらまいた。

 ディアーチェはフェイトの本心に勘付き、あえて突き放す。

 

「助けがいるのは、なのはたちのほうだろう。行ってやれ」

 

「……うん。ディアーチェたちも気を付けて」

 

 ディアーチェの固い決意を目の当たりにしてか、フェイトは素直に飛び去った。

 

(そうだ、行くがよい。貴様は貴様の役目を果たせ。我らは……)

 

 ディアーチェはユーリと真っ向から対峙する。

 ユーリは無表情のまま、ディアーチェに目掛けて突撃した。2本のアームを振りあげ、ディアーチェに物理的な質量の威力を叩き込もうとする。

 

「させるか! レヴィ!」

 

 それを、ディアーチェはレヴィのデバイスで砕いた。

 

「シュテル!」

 

 もう片方のアームはシュテルの手甲で受け止め、爆散させる。

 さらにディアーチェはありったけのページを投入し、ユーリの全方位に小さな次元の穴を無数に密集させた。

 ディアーチェの魔力がその穴の数だけ分散し、ユーリに集中砲火を浴びせる。

 

 猛攻の最中、ユーリがかろうじて正気を取り戻した。

 

「あうっ、く……ディ、ディアーチェ……!」

 

「これだけではないぞ!」

 

 容赦せず、ディアーチェはユーリの小さな身体をバインドで捕らえる。

 

「聞け、ユーリ!」

 

 六枚の翼が夜空に翻った。

 ディアーチェは両手を前に張り、収束魔導砲のエネルギーを同時に3つも溜め込む。

 

「シュテルとレヴィから預かった力……そして我が魔力のすべてを、この一撃に込める」

 

 その三乗にも達する膨大、かつ暴発寸前の魔力に、ディアーチェのバリアジャケットが耐えきれない。腕の装甲から自壊していく。

 

「必ず貴様を救ってみせる! あともう少しだけ辛抱しておれ!」

 

 それでもディアーチェは止めず、捨て身の一撃に全身全霊の力を注いだ。

 ユーリはがむしゃらに拒絶する。

 

「ディアーチェ、だめです! そんなことをしたら」

 

「もとより拾った命と、仮初の姿だ」

 

 しかしディアーチェの、ディアーチェたちの覚悟はすでに決まっていた。傲岸不遜な王様らしくもない慈愛の笑みで、ユーリに言い聞かせる。

 

「お前の涙を止められるのなら、投げ捨てたとて悔いはない」

 

 ディアーチェの瞳にこそ涙が光った。

 ユーリと一緒に過ごした日々が、走馬灯のように脳裏に蘇ってくる。

 

「貴様がくれた命と心は……貴様とともに過ごせた日々は……まことに暖かく幸福であった。ゆえに! 今度は我らが!」

 

 魔導砲のエネルギーに逆らいながらも、ディアーチェは両手を突き出した。

 

「貴様の明日を切り開く!」

 

「ディアーチェ!」

 

 この一瞬のために自分たちは力を欲したのかもしれない。愛するユーリを、悪しき呪縛から解き放つ。ただそれだけのために。

 シュテルと、レヴィと、ディアーチェの声が重なった。

 

「私の!」

 

「ボクの!」

 

「我らが渾身の恩返し……う、け、と、れーーーーーッ!」

 

 三段重ねの収束魔導砲がユーリを直撃する。

 ユーリにとって牢獄のようなアーマード・ベースは、ことごとく分解した。これまでユーリを支配していたフォーミュラの回路も焼き尽くされる。

 大爆発のあと、街並みは一変した。巨大なクレーターが威力の凄まじさを物語る。

 

 その中心にいるのはユーリだけで、ディアーチェの姿はない。

 ただ、ユーリの傍には一匹の子猫が横たわっていた。

 ユーリは『彼女』を抱きあげ、涙を飲む。

 

「恩返しなんて……私のほうが、ずっとたくさんの幸せをもらったのに……」

 

 子猫はニャアと鳴いた。

 傷だらけでも、とても満足そうに。

 

東京タワーの上空で、キリエも全力を尽くす。

 

「イリス!」

 

 マクスウェルのウイルスコードはイリスにおいて百パーセントの支配力を発揮するらしい。しかし自我はあるようで、キリエに猛攻を加えながらも泣き叫ぶ。

 

「もういいっ! もういいから、逃げて!」

 

「逃げないって私、言った!」

 

 それでもキリエはイリスに呼びかけるのをやめなかった。

 アクセラレイターで応戦しつつ、イリスにありったけの言葉をぶつける。

 

「ひとりで背負い込まないで! ママだって心配してるんだから!」

 

「エ、エレノア……グランツ……!」

 

 両親の名はイリスにとっても、かけがえのないもの。

 苦しそうにイリスは告白した。

 

「所長の嘘に踊らされて、あたし、取り返しのつかないことをたくさんしたのよ? キリエ、あなたにもあんなに酷いことを……だから、あたしはもう!」

 

「イリスが私のお願いを聞いてくれたのが、始まりでしょ!」

 

 キリエは鍔迫り合い越しに言葉を被せる。

 この事件を解決しても、キリエとイリスがエルトリアへ帰還できる保証はなかった。ふたりとも時空管理局の認めるところの犯罪者だ。

 だからといって自暴自棄にはなれない。なりたくない。

 

 今だからこそ、わかる。自分は間違っていたのだと。父親を助けたい一心で、ほかの全部に目を伏せていたことを。

 

「償うのも謝るのも、一緒にやっていこ? イリス、あなたはひとりじゃない!」

 

「ひとりよ! こんなどうしようもないやつ、ひとりで充分……」

 

「私がいるって言ってるでしょ!」

 

 目を見開いて、自分が償うべき現実を直視する。

 

(あと少し……パパ、力を貸して!)

 

 おかげで、一瞬のチャンスをキリエは見逃さなかった。

 イリスが鍔迫り合いに力負けして、体勢を崩す。その瞬間に加速。

 

「アクセラレイター!」

 

 イリスのまとうフォーミュラに右から、左から急襲し、さらに下から突きあげる。

 そして上から墜落するような勢いで、

 

「これで……終わらせるっ!」

 

「きゃあああ!」

 

 イリスのブレードを砕き、彼女のフォーミュラを東京タワーに擦りつける。

 最後はキリエのほうがクッションになったものの、イリスは地面でバウンドし、痛々しく転がった。フォーミュラの装甲はほとんどが剥がれている。

 

「はあ、はあ……」

 

 マクスウェルがフォーミュラを介してイリスを操るのなら、そのフォーミュラを破壊すればよい――理屈は簡単だが、実行するには相応の覚悟を要した。

 それだけにキリエは胸を撫でおろす。

 

「はあ……そうだ。あれを」

 

 イリスは力なく失神していた。

 キリエは彼女に近づき、いつぞやのアミュレットを取り戻す。夜天の書だ。

 そこへ医療班の少年が駆けつけた。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

「あなたは確か、なのはちゃんの友達の……」

 

 彼がユーノ=スクライアとは知らないまま、キリエはイリスを預ける。

 

「イリスのことお願い。私、行かなくちゃいけないから」

 

「え? ……あっ」

 

 ユーノが返事をする間もなかった。

 

(はやてちゃんに返さないと!)

 

 まだ稼働してくれるフォーミュラを頼りに、再び激動の夜空へ。

 

亜音速にも達するマクスウェルを、なのはは距離を切り取るように追いかける。

 

 マクスウェルは俄かに焦りの色を浮かべた。

 

「なんだ……何なんだ? こいつは」

 

 空間がふたつ繋がれば、逃げるために稼いだ距離は消える。ビルの屋上を駆け抜け、交差点で転進しても、なのはは別の出口から同じ場所へ現れる。

 

「あなたの研究、ここで止めます!」

 

 巨大な鍵を横へ傾けると、マクスウェルの前に開いた空間が、背後の空間へ直結した。

 

 突進したはずの男が、自分自身の背後へ出てくる。

 

「馬鹿な!」

 

 態勢を立て直す前に、さらに進路が書き換えられた。狙いをつけたライフル弾は、なのはの輪郭をかすめることなく消え、背後に回された出口から彼自身へ跳ね返る。

 

「くっ……!」

 

 男の肩の装甲が砕けた。

 

 だがマクスウェルは、攻撃をやめなかった。半壊したビルの屋上から無人の道路へ滑り込み、そこを伝って地上の結界節点へ接近する。

 

 街の外ではない。隔離結界の中心を狙ったのだ。

 

「……っ!」

 

 なのはの手が止まる。

 

 この場所で大規模な攻撃を受ければ、敵は死ぬかもしれない。だがその衝撃で節点が破れれば、守っているつもりの現実の街へ損害が漏れる。

 

「そうか。君はここを壊せないんだね」

 

 マクスウェルは、その躊躇いを見逃さなかった。

 

 四方へ飛び散る誘導弾。ビルの窓を割りながら左右から迫る機動外殻。そのすべてが、なのはの行き先を狭めるように置かれていた。

 

 彼女は攻撃の正面を閉じる。向かってきた弾を空へ逃がし、その一部を敵機の後部へ回す。

 

 敵機の破片が小雨のように落ちた。

 

 管理局の結界面がうねった。ここまで広げられた戦場そのものが、熱と圧力を処理しきれなくなり始めている。

 

『なのは! イリスもユーリもこっちで保護したよ。あとは』

 

「わかった! 犯人の逮捕は任せて、ユーノくん!」

 

 通信を閉じると、なのはは息を吸った。

 

 救うべきユーリはもう、彼の傍にいない。今この場所にいるのは、周囲の人々を脅かしてまで自分の計画を進める男だけだった。

 

 そして、結界を守ってくれる人々がいる。

 

「リンディさん、聞こえますか!」

 

『なのはさん! 何をするつもり?』

 

「攻撃方向を限定します。結界の北側と南側の節点を、最大限まで補強してください。……それと、私の下に誰もいないことを、もう一度確認してください!」

 

 短い沈黙のあと、答えが届く。

 

『確認したわ。北と南は私たちが支える。ただし、できるのは一度きりよ!』

 

「はい!」

 

 なのはは鍵を天へ向けた。

 

 鍵先で、夜空が開いた。

 

 見えていたのは、星空ではない。地球の衛星軌道に散らばる、動力を失った人工物の一片。錆びた金属の塊。欠けたパネルと、役目を終えた機械の骨格。

 

 マクスウェルはそれを見て、ようやく表情を変えた。

 

「何を……そこは、まさか宇宙か?」

 

 なのはは答えない。

 

 軌道上から切り取られた小さなデブリが、眼下の無人区画へ現れた。だが、それをそのまま落としたのではない。

 

 地上へ向かう空間の出口を、再び同じ高さの入口へ接続する。

 

 落下した金属塊が下端へ達するたび、そのまま上方へ戻される。見えない縦穴を何度も、何度も落ちていく。

 

 落下のたびに速度が加わった。重力の中を繰り返し落ち、その運動エネルギーだけが蓄積される。

 

 無限に落ち続けられる道。なのはが終わらせないかぎり、デブリの加速を続けられる経路だった。

 

 空間の継ぎ目からは、音だけが遅れて漏れてきた。ひとつの鉄屑が、もう巨大な砲弾と何ら変わらない。

 

「止めなさい! そんなものを撃てば――!」

 

 マクスウェルが叫ぶ。

 

「ええ。わかっています」

 

 なのはもわかっていた。これを地上へ命中させれば、もとの何倍もの速度で進む質量が、衝撃をすべて街へ渡してしまう。

 

 だから標的は、男本人ではない。

 

「ミカエル、繋いで!」

 

 鍵を回す。

 

 デブリの落下経路が、水平に折れ曲がった。落下し続けていた運動の方向だけを変え、都市の中心から離れた方向へ射出する。

 

 ベクトルを転移させる。速度は失わせず、向きだけを奪う。

 

 一直線に放たれた金属塊が、男の後方に広がっていた機動外殻の列を貫いた。

 

 光ではなかった。砲撃でもなかった。ただの金属が、その速さだけで鋼の軍勢を引き裂いた。

 

 最初の一機が砕け、次に列の奥が折れ、最後尾が大地へ叩きつけられた。一拍遅れて衝撃波が空気を押し潰し、連なる高層建築の窓が遠くまで同時に砕け散った。

 

 デブリは命中地点で止まらず、なのはが用意した第二の空間へ飛び込む。

 

 出口は無人の沖合の上空に開いていた。

 

 そこで初めて余った運動量を逃がす。海上に巨大な水柱が立ち、薄い雲の底まで粉塵と水蒸気が吹き上がった。

 

 関東全域の結界が一瞬、白く明滅した。

 

『外周、衝撃を検知! 第三節点、許容値ぎりぎりです!』

 

 管理局からの通信は、悲鳴に近かった。

 

 なのはは歯を食いしばり、鍵を握り直す。

 

「……まだ、壊れてない!」

 

 これだけの威力を出しながら、結界は辛うじて生きていた。だが内部の街は違った。

 

 道路は抉れ、ビルは歪み、瓦礫の間を風圧が通り抜ける。明け方の東京に似た隔離空間は、もはや都市ではなく、広範囲に災害が続く荒地のようだった。

 

 破壊の中心からマクスウェルが飛び出す。

 

「馬鹿げている……人間の大きさをした存在が、そんなものを!」

 

 片腕は健在だった。高度を変えながら、残った機構を使って飛び上がる。アクセラレイター・オルタで距離を詰め、なのはの横へ突進する。

 

 なのはが振り向いたときには、鋭いブレードが目の前にあった。

 

 けれども刃は彼女に届かなかった。

 

 空間が一枚、薄く開いたからだ。

 

 ブレードが突き入れられた先は、少女の身体ではなく、数百メートル上空の空気だけ。

 

 なのは自身も、敵の頭上へ移動している。

 

「そこです!」

 

 重力の穴から取り出した、二つ目のデブリが軌道を変えた。

 

 今度はそのまま撃ち込まない。軌道を横へ移し、マクスウェルの逃げ道と攻撃姿勢を同時に潰すため、彼の進路をかすめる。

 

 だが男は、そこに身を潜めた偽装装甲を散らし、軌道を読ませないように跳躍した。次の瞬間、デブリが消えていく空間の脇から銃口だけを出す。

 

「所詮、君にも隙はある!」

 

 撃たれるより先に、なのはの背後の空間が別の場所と繋がった。

 

 少女は銃弾の直進する経路から消え、男の側面に姿を現す。だが散弾の一粒が、転移の寸前に右肩を貫いていた。

 

 桃色の霊装が裂け、その内側が光の粒となって散る。

 

 なのはが振り返る頃には、散った粒子がもう肩へ戻っていた。物質化したテレズマが身体の構造を織り直し、傷は瞬きひとつの間に消える。

 

 だからといって、攻撃を受け続ければいいわけではない。彼女の背後には仲間がいる。回避は自分の命を守るためだけではなく、敵の攻撃を誰にも届かせないためのものだった。

 

「あなたも、もうやめて!」

 

 しかしマクスウェルの砲口が、また別の方角を向いた。

 

 その先にいたのは、彼女を追ってきたアミティエだった。

 

「なのはさんが押している……だけど、このままでは……!」

 

 最新式のアンドロイドらしいマクスウェルと異なり、アミティエの身体はもう限界だった。それでも拳銃を握っている。

 

 なのはは攻撃する手を止め、アミティエの前へ通路を開いた。無理に引き込めば重傷の彼女を傷つけかねない。下がるように声を掛けるしかなかった。

 

「アミタさん、こっちへ!」

 

 その瞬間にできた、ほんの短い空白を男は逃さない。

 

「素晴らしかったよ。君は」

 

「……っ!」

 

 亜音速の戦いの中、マクスウェルがなのはの頭上を取った。

 

 空間の出口を作り直すより、彼が一歩踏み込む方が速い距離。

 

「させないッ!」

 

 同じく最高のタイミングで、フェイトの斬撃が割り込んだ。マクスウェルのブレードを弾き返しつつ、ひらりとなのはのカバーに入る。

 

「フェイトちゃん!」

 

「一緒にやるよ。私も」

 

 マクスウェルは余裕の笑みを浮かべた。

 

「少々驚かされてしまったが……ただの魔導士が、何の用だい?」

 

 フェイトは凛々しい顔つきで金色の剣を構える。

 

「あなたを倒します」

 

「勝つのは僕だよ。どう戦ってもね」

 

 なのはに続き、フェイトも阿吽の呼吸で動き出した。

 

 マクスウェルはなのはだけを警戒し、フェイトのほうは気にも留めない。魔導一辺倒の魔導士が相手なら、二発目以降の魔法はすべて無効化できるからだ。

 

 フェイトの魔弾が急襲を仕掛ける。

 

「それはユーリが解析してくれたよ。残念――ぐはあっ?」

 

 同じ魔弾は二発、三発とマクスウェルを直撃した。

 

「合わせて、なのは!」

 

「うんっ!」

 

 なのはが鍵を構え、フェイトの放った雷撃の出口を幾つも開いた。

 

 金色の光は正面からだけではなく、斜め後方、真下、そして頭上から同時に降り注ぐ。攻撃の構造はフェイト自身が少しずつ変えていた。さらにそこへ、攻撃が届く方向そのものまで上書きされた。

 

 マクスウェルは防壁で凌ぐも、後方のビルは打ち砕かれた。

 

「ば、ばかな! なぜ今さら魔法が……」

 

 フェイトは悠々と白いマントを波打たせる。

 

「術式の組成を少し弄っただけ。これで前と同じ魔法じゃなくなる」

 

 初めてマクスウェルが動揺した。

 

「な……そんな芸当、できるはずが」

 

「できるよ。だから、あなたのアンチマジックはもう効かない」

 

 金色の魔力の帯が男の脚を拘束した。

 

「さすがフェイトちゃん!」

 

「終わらせよう。この長い夜を」

 

 けれどもマクスウェルはまだ笑っていた。視界の隅に映る数字にだけ、目が向いている。

 

 何かの完成までの時間。何かの転送が間に合うかどうか。彼にとって、この場の少女たちの言葉は、その数字を少しでも減らすための障害でしかなかった。

 

「……間に合うんだ。私が間に合わせる!」

 

 拘束された腕が異様な角度へ捻られ、装甲を剥がして飛び出そうとする。

 

 なのはは鍵を下げた。

 

「ミカエル、閉じて」

 

 その関節の動作だけが閉ざされた。彼の身体が、力を加えた姿勢のまま止まる。

 

 男の背後の空間には、なお加速を続ける金属塊が存在していた。

 

 しかし、なのははそれを直撃させなかった。

 

 繋ぎ替えたのは別の出口。地上に叩きつけるのでなく、高空から男の足元へ衝撃を通し、逃げ場となる路面そのものを裂く。

 

「フェイトちゃん、今!」

 

「うん!」

 

 バルディッシュを構えたフェイトが、一閃で彼の推進器を断った。

 

 同時に空間の出口が四方から開く。ひとつはフェイトの雷撃。ひとつは男自身が放っていた銃火。ほかの二つは、先ほど散らされた機動外殻の残骸を、必要な速度だけ残して押し出すための経路だった。

 

 防壁を正面へ張り続けていた男の左右と背後が、ほぼ同時に破られた。

 

「これが、私たちの……!」

 

「私たちの力だよ!」

 

 フェイトの一撃が装甲を穿ち、なのはの鍵が残った駆動経路をひとつずつ閉ざす。

 

 最後に選んだのは、男を貫くのではなく、戦うための機械を停止させることだった。

 

「もう、終わりにしてください!」

 

 マクスウェルの右腕が千切れ、左腕も吹っ飛んだ。

 

 顔面は上半分が剥がれ、アンドロイドのフレームが露になる。

 

 その一部始終を、アミティエはどこか懐かしい気持ちで眺めていた。

 

「なのはさん……フェイトさん……」

 

 不思議な力は嘘でも、悲しい物語が進んでいても。

 

 自分を助けてくれる魔法使いはいるのだ、と。

 

 足元では、さきほどの衝突による粉塵が降り続いていた。巨大なビルの骨格が折れ、重機の残骸が路面に積み上がり、空には幾筋もの裂け目が残っている。

 

 関東全域を覆う結界の外側では、夏の夜が何事もなかったように流れている。

 

 その内側だけが、幾つもの災害に見舞われた後の街の姿となっていた。

 

 はやては最後まで残った機動外殻の群れを見下ろしていた。

 

 〈日輪〉で焼き払った地域の外側にも、まだ数え切れないほどの敵が動いている。山手の大通りを走る機体、橋を渡る機体、結界の支点を狙って真っ直ぐ迫ってくる機体。機械の群れは、自分たちがどれほど失われても止まらない。

 

「……よし」

 

 はやてはひとつ、息を吐いた。

 

『主はやて。最終退避区域、味方各員の離脱を確認しました』

 

「北側の支点は?」

 

『リンディ次長とユーノ司書が補強しています。ただし、出力に対して余裕はありません』

 

「そうやろな」

 

 それでも、今ここで機体を討ち漏らせば結界は内側から食い破られる。被害を恐れて攻撃を止めることが、逆に最も大きな被害を招く局面だった。

 

 はやては頭上へ〈絶滅天使〉を集めた。

 

 幾百もの端末がひとつの王冠を形成する。これまで背中の翼となっていた光も、分かれて敵を狙っていた光も、すべてが同じ位置へ戻っていく。

 

 胸の内で、リインフォースの気配が強くなった。

 

『……ここから先は、私の計算でも完全には制御できません』

 

(うん。だから、二人でやるんや)

 

 はやては両手を持ち上げた。

 

「〈砲冠〉――!」

 

 王冠の先端が一斉に開いた。

 

 光は雨にはならない。最初の一瞬、幾百もの極細の線となって対象へ向かった。その一本一本に、普通の魔導砲とは比較にならない出力が流れ込む。

 

 敵の装甲が赤熱した。次いで白く光り、輪郭を失っていく。

 

 さらに線は収束した。

 

 街を横断していた機動外殻の列の、まさに中央。無数の光が重なり合って、天地を貫くような一本の柱になった。

 

 閃光が消えるより先に、衝撃が来た。

 

 大通りの表面が持ち上がり、電柱や鉄骨が根元から折れる。横転した大型兵器の残骸が一斉に吹き飛び、砕けたビルの上層部が地面へ崩落していく。

 

 光柱の周囲では空気が膨張し、音が遅れて追いついた。

 

 激しい轟音。

 

 少し離れた場所にいたヴィータでさえ、思わず腕で顔を庇った。

 

「うおっ……! はやて!」

 

『外周防護層、許容値に接近!』

 

 はやては歯を食いしばった。

 

「リイン、まだ行けるか!」

 

『主はやて、残りの一帯をこのまま撃てば危険です!』

 

「ほな、向きを変える!」

 

 〈砲冠〉の収束がほどけ、羽状の端末が大空を走った。直前まで光柱を支えていた光が、今度は分散して〈光剣〉として散開する。

 

 はやてはその軌道を一つずつ制御し、敵の残存群へ突き刺していった。無数の光が夜空を横切る様子は、降り注ぐ流星のようにも見えた。

 

 遠い空で桃色の裂け目が開いた。

 

『はやてちゃん、こっちの出口を使って!』

 

 なのはからの短い通信だった。

 

 鍵の力で繋がれた空間は、はやての端末から放たれた光を別の場所へ導いた。正面へ飛んだものが敵の後背へ。上から撃ったものが、支点を避けた低い角度から。

 

「助かる、なのはちゃん!」

 

 はやてはメタトロンを最後の一群へ向けた。

 

 敵の逃走方向を塞ぐのはなのはが開いた空間。そこから現れる光線の威力を調整するのがはやて。二人の権能が交わり、機動外殻の列が立て続けに沈黙する。

 

 それでも結界全体が細かく震え続けた。警報が途切れず、いくつもの区画では防護層の補強作業が今も進んでいる。

 

 だからこそ、最後の機体が沈んだ時、はやてはすぐに攻撃を止めた。

 

『効果範囲内の機動外殻、及び量産型の殲滅を確認!』

 

『余波が引き次第、残る量産型の捜索を』

 

 長かった夜が今、終わる――そう思ったところで、別の光が急接近した。

 

「はやてちゃん!」

 

 キリエ=フローリアンがアクセラレイター全開で急行してくる。

 

「これを!」

 

 キリエの手ではやてに届けられたのは、夜天の書――。

 

 はやては思わず両手で受け取った。奪われてからずっと取り戻したかった、大切な家族の一部だった。

 

「……おかえり」

 

 夜天の書の重みが、いつもよりはっきりと伝わった。

 

 けれども、彼女がいま手にしている力は、もう魔導書のページにはない。どれほど魔法が集められていようと、それを自分の術式として唱えることはできない。

 

(リイン、戻ってきたで)

 

『はい。……よかったですね、主はやて』

 

 声はいつものように、はやての内側だけに届いた。

 

「ありがとうな、キリエさん」

 

「ううん、私が勝手に持って行っちゃったせいだもの。ごめんね」

 

 はやては笑みを綻ばせると、夜天の書を大切に抱いた。

 

 周囲の景色だけは、穏やかな再会とはまるで似つかわしくなかった。無人の東京はあちこちが抉れ、崩れた建物の灰がまだ降っている。遠方に立った煙の柱も、しばらくは消えそうにない。

 

 それでも結界の外側には、何ひとつ届いていない。

 

 それを確かめて、はやてはようやく肩の力を抜いた。

 

夜明けが近い地上にて、なのはとアミティエが合流する。

 

「本当に無茶をします、なのはさんは……」

 

「えへへ……でもフェイトちゃんが来てくれたから、助かりました」

 

 アミティエの身体は満身創痍だった。なのはも空間を開き続けた反動で、意識の奥がひどく軋んでいる。傷がなくとも、出力を制御し続ける苦しさだけは消えなかった。

 首謀者のマクスウェルはアンドロイドの残骸と化し、地面に転がっていた。

 フェイトがそのさまを見下ろし、宣告する。

 

「フィル=マクスウェル所長。あなたを逮捕します」

 

「逮捕……ね」

 

 顔が下半分しか残っていないマクスウェルの口元が歪んだ。

 その笑みにフェイトは一抹の不安を覚える。

 

「なぜ笑うんですか」

 

「記憶を移植したと言ったろ?」

 

 不安は一呼吸のうちに黒さを増した。

 顔面のフレームまで剥き出しのマクスウェルが、余裕綽々にまくし立てる。

 

「IRS07の根幹システムも、私の意志も、バックアップがあるとは考えられないか」

 

「や、やめてください! 今ならまだ」

 

 何をやめろと言いたかったのか、フェイト自身にもわからなかった。

 ただ、これだけは確信できる。この戦いに敗れた場合を踏まえ、フィル=マクスウェルは何かしらの『保険』を掛けていたのだ、と。

 

「もう待てないんだ。空をご覧」

 

 フェイトは背中越しに明けかかった夜空を見上げる。

 はやても同じものを見つけたらしい。

 

『なんか変や……あんな明るい星、あったか?』

 

 太陽に先んじて昇ってきた、夏の早朝のシリウスだろうか。

 

「この星にも衛星技術があってよかった。イリスがここを訪れる時に、種を仕込んでおいたのさ。限られた時間で備えを完成させるための、最後の中継設備をね」

 

「あれは……!」

 

 最悪の想像にフェイトは瞳を強張らせた。

 

「衛星砲だよ」

 

 マクスウェルはさらりと白状する。

 

「今ちょうどここを狙える位置に来ている。小型のものだが、街のひとつやふたつを吹き飛ばすくらいは容易い」

 

 大気圏の外から地球を見下ろせる位置に、マクスウェルの『保険』はあった。それへ向かって、オールストン・シーの一角から小さなロケットが一直線に空を昇っていく。

 

「あの打ち上げは気にしないでくれ」

 

 昨日と今日の戦いで収集した実戦の詳細や、マクスウェルの記憶など、最新のデータのバックアップを積んでいるのだろう。結界はロケットで強引に突破する腹だ。

 

「あなたは」

 

「取引と行こう」

 

 フェイトに口舌の隙を与えず、マクスウェルは早口に要求する。

 

「ここにいる私と、イリスとユーリ、3人をここから離脱させてもらいたい。それを許さないというのなら、この一帯に向けて衛星砲を撃つ」

 

 赤いレンズの両目がちかちかと光った。

 

「そうなったら、君たちはもちろん、君の友達や家族も犠牲になるだろうね」

 

「あなたも死にますよ」

 

「死なないのさ。少なくとも私の記憶と意志はね」

 

 人間を相手に会話をしている気がしない。

 

「5分あげよう。選択の余地はないはずだよ」

 

 あまりに唐突で、現実感もなかった。

 ここでマクスウェルを問いただしても、時間稼ぎに付き合わされるだけ。そう思って口を噤むものの、フェイトは強迫めいた焦燥感に駆られる。

 

(ど、どうすれば……)

 

 もはや立ち竦むしかないところ、秘匿回線で誰かが叫んだ。

 

『みんな、ごめん! 勝手に空にあがった!』

 

(なのは? アミタさんも?)

 

 なのはとアミティエが、夜明け前の空を上昇していく。

 

 なのはの鍵が空中に差し込まれ、遥か上方の空間と現在位置が接続された。アミティエはその通路に沿って加速する。大気の薄い高さへ達するまで、何度も出口を変えながら。

 

『逆転なんてさせません。私たちが止めてきます』

 

(相手は衛星砲だよ? 危険すぎる!)

 

 フェイトは反射的に訴えるも、アミティエの決意は固い。

 

『マクスウェルに今、衛星軌道上の仲間と通信する能力はありません』

 

『結界が通信を遮断してくれてる。そうでしょ?』

 

 なのはの力強い言葉のおかげで、フェイトの思考力も戻ってきた。

 

(確かに……そのための結界だものね)

 

 ゆえにマクスウェルはこの期に及んで、豪胆な取引を持ち掛け、あわよくば結界の外へ脱出しようとしている。

 

 イリスやユーリを要求したのも、本命を誤魔化すためのブラフだろう。

 

 アミティエが確信を込める。

 

『ただちに発射命令なんて出せないんです。ですが、あの小型ロケットにはマクスウェルの記憶のバックアップが積まれている。あれが衛星砲まで……いいえ、結界を出て、衛星砲と通信できる距離まで近づいたら』

 

(それこそ彼の言う通り、選択の余地がなくなる!)

 

『だからお願い、フェイトちゃん。そのひとには悟られないように、そのまま話して!』

 

 マクスウェルのレンズはあさっての方向を見ている。

 

「さあ、どうするね」

 

 フェイトはデバイスの戦闘モードを解除した。

 

「本部と相談して検討します」

 

 時間との勝負は伸るか、反るか。

 

 最大にして最後の危機に、時空管理局の面々も浮足立つ。

 

 クロノが通信で声を荒らげた。

 

『なのは、僕が替わる! デュランダルなら高高度戦闘も……』

 

『私たちだって高く飛べるから、任せて!』

 

『協力して撃ち落としてきますよ』

 

 上昇し続ける二人に迷いはなかった。

 

「なのはさん! もうすぐ射程距離に入ります!」

 

「はいっ!」

 

 先行する小型ロケットが前方に見えてきた。

 

 なのはは通路の出口を慎重に調整した。結界の端に向かって一気に突き抜ければ、その保護に穴を開けかねない。必要なのは衛星軌道までの通路ではなく、ロケットに追いつくための、ほんの短い接続だけ。

 

 今なら撃ち落とせる。

 

「ここまで接近できたのなら、私が」

 

 マクスウェルとの激戦で、アミティエもとっくに限界を超えていた。それでも拳銃をロングレンジのモードに切り替え、ターゲットに照準を合わせる。

 

 その一発で終わった。

 

 小型ロケットは結界を脱する寸前のところで、バーニアに被弾し、コマのように回転しながら右へ。呆気ない爆発が破片を散らす。

 

 その一撃の反動で、アミティエが俄かに姿勢を崩した瞬間だった。

 

 遥か前方から熱線が飛んできて、アミティエの脇腹を貫通する。

 

「ぐっ?」

 

「アミタさん!」

 

 なのはは鍵を引いた。二人の前面へ開いた空間が熱線の通り道を歪ませ、次弾だけは誰もいない真空へ逃がす。

 

 衛星砲からの狙撃だ。マクスウェルの切り札は防衛力をも備えているらしい。

 

 下からキリエがアクセラレイターのスピードで駆けつけてくる。

 

「お姉ちゃん!」

 

「キリエさん! アミタさんを」

 

「わかった!」

 

 アミティエがキリエの腕に抱かれるのを見て、なのはは安堵した。

 

「おふたりはゆっくり降りていって、地上班の救護を」

 

「なのはさん? ですが……」

 

 アミティエは悔しげに歯噛みする。

 

 今しがたの攻撃で血とともにナノマシンを流出してしまい、これ以上は飛べなかった。それでも強情なアミティエに、妹のキリエが言い聞かせる。

 

「どう見たって、お姉ちゃんよりなのはちゃんのほうが『大丈夫』よ。ね?」

 

「わ……わかりました」

 

 間もなくフローリアン姉妹は降下し始めた。

 

 苦悶するアミティエをしっかりと支えつつ、キリエがなのはを仰ぐ。

 

「なのはちゃん」

 

「任せてください。すぐに片付けちゃいますから」

 

 なのはは鍵を掲げた。

 

 眼下の地球は暗く、やがて朝日の輪郭がその縁を銀色に染め始める。軌道上の衛星砲はすでに照準を東京へ向けていた。砲身は細長く、まるで地球の地表へ杭を打つように突き出ている。

 

 イリスのコピー兵らしい一体が、その脇でスナイパーライフルを構えていた。

 

(ここまで来たんだ……)

 

 なのははふと、昔の自分のことを思い出した。

 

 レイジングハートと出会い、初めて空へ飛んだ日。魔法を使えば何でもできると思っていた頃。

 

 今はもう、同じ魔法を使うことはできない。

 

 肉体の構造さえ、あの頃のものとは変わってしまった。

 

 それでも、守りたいものまで変わったわけではない。

 

(フェイトちゃんのお母さん……それから、何も知らないまま亡くなっていった人たち……)

 

 戦っても守れなかった大切なものが、この瞬間に脳裏をよぎったとしても――。

 

 なのはの背中には今、地球がある。

 

 みんなの大切なものがある。それを守るために、

 

「私たちの力は、そのためにあるんだ!」

 

 なのはは鍵を衛星砲へ向けた。

 

 砲口が煌めく。

 

 しかし、その直線上になのはの姿はない。先ほどまで彼女がいた空間が、横へ開いた別の通路と繋がっていたからだ。

 

 放たれた熱線は空を切り裂いて、遠い虚空へ抜けていった。

 

 なのはは衛星砲の真上へ現れた。

 

「ミカエル、閉じて!」

 

 巨大な砲身と供給炉の接続が、一瞬だけ途絶えた。発射を続けようとした光は行き場を失い、砲の内部で暴走を始める。

 

 なのははさらに鍵を回した。暴走するエネルギーを受け止めるのではなく、砲身の内側から真空へ繋ぐ小さな出口を開く。

 

 溜まっていた熱が逃げた。次いで、閉ざされていた接続部そのものが折れた。

 

 最後に残った推進部へ、軌道上から別の金属片を落とした。

 

 空間を繋ぎ替え、必要な速度を与え、向きを変える。先ほど地上で用いたものよりずっと小さい、しかし砲身の中枢を破壊するには十分な質量だった。

 

 金属片が貫通した瞬間、衛星砲は内側から爆ぜた。

 

 真空の中で音はしない。ただ、巨大な輪郭が破れ、破片がばらばらの方向へ飛び散っていく。

 

 イリスのコピー兵は爆発を逃れ、半壊しながらもなおなのはへ手を伸ばしてきた。

 

『衛星砲の破壊を確――』

 

 管理局の快哉が耳朶に触れるや、なのははその場で力を抜いた。

 

「……終わった」

 

 その一瞬の隙を『敵』は見逃さなかった。

 

 突然、背後から誰かがなのはを羽交い締めにする。

 

「し、しまっ……」

 

 イリスのコピー兵が半壊しながらも残っていたのだ。なのはをがっちりと捕まえ、レンズだけの片目を赤々と光らせる。

 

 自爆――。

 

 なのはが鍵を回して空間を繋ぎ替えようとした時には、コピー兵の炉心は既に臨界を越えていた。

 

 真空に音はなかった。

 

 白熱した光が至近距離で膨れ、コピー兵の装甲を破砕する。なのはは巻き込まれた。桃色の霊装が砕け、その首から上が一瞬で吹き飛び、残された身体も閃光の中で大きく損なわれる。

 

 しかし、そこで消滅はしなかった。

 

 爆炎の縁に散った桃色の粒子が、まるで見えない中心を思い出したように引き返していく。物質化したテレズマが残存する身体へ寄り集まり、肩と首の輪郭を編み直す。失われた頭部が、光の塊から少しずつ人の形を取り戻していった。

 

 人間ならば、その一撃で終わっている。

 

 なのはは、もはや人間の肉体を持っていなかった。

 

 意識は深く沈んでいる。それでも天使としての構造は途絶えず、テレズマが自らの輪郭を復元し続けていた。

 

 地上にて、マクスウェルの残骸が不具合に陥る。

 

「ウグッ?」

 

 両目のレンズが青々と点滅した。

 

「こ、これは……」

 

「あとは僕が引き受ける」

 

 戸惑うフェイトのもとへクロノ支局長がやってくる。

 

「フェイト、君はなのはを迎えに行ってやってくれ。衛星砲は止まったが、あの子は至近距離で自爆に巻き込まれた。生命反応はある。だが、意識がまだ戻っていない」

 

「なのはが?」

 

 フェイトにとっては当然、マクスウェルよりもなのはのほうが大事だった。あっという間に飛び立ち、上空ではやてと合流する。

 それを見送ってから、クロノは『犯人』を呼び出した。

 

「君の仕業だな? シャーリィ」

 

『あれれ? もうバレちゃいましたか』

 

「君のほかに誰がいるんだ」

 

 技術部門のシャリオ=フィニーノが映像の向こうで舌を出す。

 

『目には目を、歯には歯をってやつですよ。例のウイルスコードをこっちで改変して、あっちの指揮系統に流してあげたんです。……衛星砲のそばの一体には間に合いませんでしたけど』

 

 彼女が指揮官クラスのコピー兵を所望したのも、このためだったらしい。

 

『イリスさんにも多少の影響は出るかもしれませんけど』

 

「じゃあ、結界内の敵勢力は」

 

『地球側で確認できた敵機は、結界の外にいる分もすべて制御下にあります』

 

 シャリオによって手が加えられたウイルスコードは、マクスウェルの全戦力を瞬く間に沈黙させることに成功。

 

『あと数秒早くできていれば、なのはちゃんを爆発に巻き込まずに済んだかもしれないんですけど……』

 

「まったくだ」

 

 何とも狡猾な大逆転が決まってしまったことに、クロノは呆れる。

 ただ、これは後々問題になりそうだった。

 

「敵対勢力のウイルスを解析ついでに改変したうえに、ばらまいた……シャーリィ、自分がどれだけ大それたことをしたか、わかってるのか?」

 

 にもかかわらず、シャリオはけろっと答える。

 

『始末書のほうはクロノ支局長が書いてくれるんでしょう?』

 

(これだから年上の女は……)

 

 アミティエやキリエの分も含めて、支局長のデスクに積まれる始末書の数は、もう十枚や二十枚では済まされない。

 やりきれないものを肩に重たく感じながら、クロノはマクスウェルを見下ろした。

 

「そちらの交渉カードはすべて潰した。次元法違反で逮捕する」

 

「……………」

 

 マクスウェルは何も返さない。今や自我までもがシャリオの制御下にある。

 

「フィル=マクスウェルは40年前に死んだ。こいつは自分がマクスウェルのつもりでいる、単なる人工知能だったわけか」

 

 マクスウェルには絶対の自信があったのだろう。

 しかしフェイトの機転とシャリオの解析が、彼の作りあげた指揮系統の綻びを突いた。彼が強大な戦力を動かしていたことと、勝ち目を失ったことは、別の話だった。

 あれほど焦っていた理由を、クロノたちはまだ知らない。だからといって、彼が四十年前に人を殺した事実も、今日この地球で犯した罪も、軽くなるわけではなかった。

 

 同じ研究者としてシャリオは語る。

 

『おそらく彼は委員会の中止にあたって、何としてでも研究を続けようと、記憶のデータ化を実行してしまったんです。けど、データはデータでしかなくて……』

 

「目的のために人を道具にし続けた理由までは、それで説明できないな」

 

『はい。イリスさんが正常な自我を保ったまま蘇ることができたのは、ユーリさんと夜天の書のおかげかと』

 

 結局のところ、彼が宣言通りに『何度も蘇る』ことは最初から不可能だった。

 クロノは相棒のインテリジェンスデバイスに問いかける。

 

「なあ、デュランダル。お前たちはこいつと何が違うんだろうな」

 

『Very easy』

 

 デュランダルは即答した。

 

『We have "PRIDE"』

 

「誇り、か」

 

 夜が明けていく。

 

 東京と、その周囲の関東一帯を覆っていた結界は、まだ崩れていなかった。

 

 外側には、いつもの街があった。朝の支度を始める家々も、駅へ向かう人々も、夜明けを迎えた港も。何も知らずに続く暮らしがあった。

 

 内側の景色だけが違った。

 

 砕けた高架道路。根元から倒れた建造物。熱で黒くなった地面。空を覆う粉塵の幕。そして、見渡せないほど遠くまで点々と続く機動外殻の残骸。

 

 夜のあいだに何が起きたのかを示すものが、そこにはありすぎた。

 

 もっと大きく力を振るえば、結界そのものが裂けたかもしれない。逆に、ほんの少しでも出し惜しみをすれば、群れは外へと押し寄せていただろう。

 

 勝敗が決した今になっても、はやてはそのどちらが近かったのかわからなかった。

 

 少しだけ時間を遡れば、遠く離れた軌道上で、なのはの輪郭を桃色の光が包んでいた。

 

 爆発で失われた頭部は、数秒も経たないうちにテレズマの明滅の中で輪郭を取り戻し始めていた。形を取り戻す肉体とは裏腹に、意識はまだ表へ上がってこない。

 

 皆を守れた。その事実だけは変わらない。

 

 けれど、守りきるために壊したものの大きさも、消えてはくれなかった。

 

 光の奥で、なのはは誰かの声を聞いた。

 

 朝日が射した。

 

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