「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

39 / 41
翼のない天使

 ホテルへ戻るなり、僕は教会でもらったメモを、床に残しておいた召喚陣の横へ置いた。

 

 記憶だけで描いたものと正解を並べてしまえば、どこを間違えたのかはあっさり分かった。外周から内側へ繋がる線が一本足りず、記号の向きも二ヶ所ほど違っている。

 

 大失敗というほどではない。

 

 かといって、召喚陣というものは八割合っていれば八割だけ英霊を呼んでくれるような親切設計でもないので、昼間に何も起こらなかった理由としては十分だった。

 

「……ここか」

 

 メモを見ながら不足していた線を書き足し、間違っていた記号を修正する。

 

 なのはは僕の後ろで黙って見ていた。

 

 油性ペンについては何も言わなかった。

 

 ありがたい。

 

 あれについては、もう教会でまで話題にされたので十分である。

 

 最後にもう一度、紙と床を見比べた。

 

 今度は違いがない。

 

「よし」

 

「大丈夫?」

 

「今度はちゃんと同じ」

 

「ならいいけど」

 

 なのはの返事には、まだ僅かに疑いが混じっていた。

 

 一度信用を落とすと回復するのは難しい。

 

 魔術も人間関係も同じらしい。

 

 僕が召喚陣の前へ移動すると、なのはも何も聞かずにその外側へ腰を下ろした。

 

 ここから先については、教会へ行く前に話してある。

 

 改めて説明する必要はない。

 

「じゃあ、お願い」

 

「うん」

 

 魔術回路を開く。

 

 青白い光が皮膚の下へ浮かび、魔力を受けた召喚陣がゆっくりと明るさを増していく。

 

 頃合いを見て頷くと、なのはも床へ手を添えた。

 

 白に近い光が重なる。

 

 テレズマ。

 

 僕の魔力とは性質の異なる力が、同じ召喚陣の中を巡っていく。

 

 昼間にはなかった反応だった。

 

 床へ描かれた線が光るだけではない。その先に、こちら側とは異なる何処かへ続く細い経路が作られていく感覚がある。

 

 正しい召喚陣。

 

 正しい詠唱。

 

 そして、触媒代わりのテレズマ。

 

 今度は条件が揃っている。

 

 僕はメモを持ち上げた。

 

「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 詠唱へ応じるように、召喚陣の光が一段強くなる。

 

 閉め切っているはずの部屋でカーテンが揺れ、テーブルの上に置いてあったホテルの案内用紙が僅かに浮いた。

 

「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 術式の向こう側にあるものが、少しずつ近づいてくる。

 

 まだ何者かを掴んだわけではない。

 

 それでも昼間とは明らかに違う。

 

 今回は動いている。

 

「――――Anfang」

 

 一度、息を吸う。

 

「――――告げる」

 

 その瞬間。

 

 意識の端へ、妙な引っ掛かりが走った。

 

 召喚陣ではない。

 

 ホテルの部屋そのもの。

 

 ここへ入った日に、なのはの許可を取って張っておいた簡単な結界が、外側から何かに触れられた時の感覚だった。

 

 誰かがいる。

 

 そう理解した直後、窓の向こうで夜景が消えた。

 

「なのは!」

 

 声を上げるのと、窓ガラスへ亀裂が走ったのはほぼ同時だった。

 

 白い筋が一瞬で全面へ広がり、次の瞬間にはカーテンごと内側へ吹き飛ぶ。砕けたガラスを押し退けて黒い人影が室内へ入り込み、召喚陣から数メートルも離れていない場所へ着地した。

 

 侵入の勢いに反して、床へ届いた音は小さい。

 

 黒衣を纏った女だった。

 

 僕がそれ以上を観察するよりも先に、相手の視線が動く。

 

 床の召喚陣。

 

 そこへ流れている光。

 

 そして、僕の右手。

 

 すでに何度も見慣れた令呪へ視線が止まった。

 

 それだけで十分だったらしい。

 

「貴様が聖杯を求める魔術師か?」

 

 声音は静かだった。

 

 ただし、質問の答えによって僕の待遇が良くなるようには聞こえない。

 

 嘘をつこうにも、足元では英霊召喚の真っ最中である。

 

「そうだね」

 

「なら死ね」

 

「話がぶっとんでるな!」

 

 答えを確認してから動いたわけではなかった。

 

 僕の声が終わるより早く、女の背後で黒衣が持ち上がる。

 

 そこから現れたのは武器ではない。

 

 本来の人体には存在しない、第三の左腕。

 

 それを見た瞬間、前世で得た知識が一つの系統へ繋がった。

 

 ハサン・サッバーハ。

 

「苦悶を溢せ――『妄想心音』!」

 

 異形の腕が僕の胸へ伸びる。

 

 数メートルという距離は、サーヴァントを相手にするには近すぎた。

 

 身体は反応した。

 

 疑似聖人化で底上げした脚が床を蹴り、半歩だけ後ろへ逃げる。

 

 それでも足りない。

 

 あの腕が必要としているのは、拳で胸を砕くほどの衝撃ではない。

 

 まず触れる。

 

 接触した相手を鏡として疑似心臓を成立させ、その後に破壊する。

 

 ならば防ぐべきなのは最後ではなく、最初だった。

 

 異形の指が胸元まで迫る。

 

 もう避けられない。

 

「小尾くん!」

 

 召喚陣を巡っていた白い光が途切れた。

 

 なのはが手を離している。

 

 その代わり、彼女の手元へ大量のテレズマが集まり、人の背丈を越える鍵の形へ収束した。

 

 〈封解主〉ミカエル。

 

 なのはは僕の前へ割り込まなかった。

 

 鍵を向けた先はアサシンでも僕でもなく、異形の指先と僕の胸との間に残された、ほんの僅かな距離だった。

 

「開いて!」

 

 金色の亀裂が走った。

 

 僕と指先の間にあった空間が左右へ裂け、その向こう側にホテルの外壁と夜空が現れる。

 

 伸びてきた腕そのものは曲がっていない。

 

 狙いも変わっていない。

 

 それでも届かなかった。

 

 僕の胸へ触れるはずだった指先だけが金色の境界へ入り込み、数十メートル離れたホテルの外へ突き出している。

 

 十センチにも満たなかった距離の途中へ、まったく別の座標が割り込んだのだ。

 

 接触できない以上、その先の宝具も成立しない。

 

 アサシンの目が僅かに動いた。

 

 けれど、未知の現象を前にして止まることはなかった。

 

 異形の腕を引き戻す動作が、そのまま次の攻撃へ繋がる。

 

「夜影を巡れ――『狂想閃影』!」

 

 黒髪が一斉に広がった。

 

 長く伸びるだけではない。

 

 何十もの束へ分かれた髪が、それぞれ別の軌道を取りながら先端を刃のように尖らせ、狭い客室の中へ散る。

 

 僕。

 

 なのは。

 

 足元の召喚陣。

 

 どれか一つを狙っているわけではなく、全部まとめて逃げ場を削るつもりらしい。

 

「――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」

 

 僕は詠唱を続けた。

 

 ここで止めたところで、サーヴァントが優しく待ってくれるわけではない。

 

 それに、一度うろ覚えで失敗した儀式を、今度は途中で自己流に改造する気にもなれなかった。

 

「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 視界の端でミカエルが動く。

 

 正面から迫った黒髪が金色の裂け目へ入り、割れた窓のさらに外へ抜けた。

 

 一本。

 

 二本。

 

 続けて軌道が消える。

 

 けれど、なのは一人が守らなければならないものに対して、攻撃の数が多すぎた。

 

 一本が僕の横を抜け、ベッド脇の机を斜めに横切った。

 

 天板がずれる。

 

 黒い刃はそこで勢いを失わず、そのまま隣室との壁へ食い込んだ。

 

 壁紙の上に細い線が走ったかと思うと、その内側にある石膏ボードや金属の下地までまとめて断たれ、支えを失った一帯がこちら側へ崩れ落ちる。

 

 向こう側の客室が見えた。

 

 ベッドの上で身を起こしていた男と目が合う。

 

 男は何が起きたのか理解できないまま、突然なくなった壁の向こうを見ていた。

 

 当然だと思う。

 

 寝ていたホテルの壁が消えて、その先で巨大な鍵を持った少女と黒衣の女が殺し合っている。

 

 理解しろという方が難しい。

 

「伏せて!」

 

 なのはの声で、ようやく男が身体を縮めた。

 

 その頭上へ向かっていた別の黒髪が途中で消え、窓の外へ繋げられる。

 

 けれど、そちらへ一手を割いた結果、今度は頭上から嫌な音が響いた。

 

 黒い刃の一本が天井へ入り込み、照明器具の片側を支えごと切断していた。傾いた照明から白い破片が降り始め、切れた天井材が召喚陣の近くへ落ちてくる。

 

 ここで戦い続ければ、いずれ誰かが巻き込まれる。

 

 それは僕にも分かった。

 

 なのはなら、もっと早く結論へ辿り着いていたらしい。

 

「ここじゃ駄目だね」

 

 声に焦りはなかった。

 

 けれど、ミカエルの構えが変わった。

 

 それまでのように僕と召喚陣の前へ留まり、飛んでくる攻撃を処理するための構えではない。

 

 自分から間合いを詰める。

 

 アサシンもその変化を見逃さなかった。

 

 なのはが踏み込んだ途端、黒髪の半数近くが彼女へ向き直る。

 

 正面から伸びてきた刃を一つだけ別空間へ逃がし、なのはは速度を落とさずミカエルを横薙ぎに振った。

 

 まともに受ければ、鍵の大きさだけでも押し飛ばされる。

 

 アサシンは受けなかった。

 

 床を蹴り、横へ跳ぶ。

 

 なのはの攻撃範囲から離れ、着地と同時に再び髪を振るえる位置へ逃げる。

 

 普通なら、それで終わっていた。

 

 なのはが見ていたのは、回避したアサシンではない。

 

 その足が次に降りる場所だった。

 

「開いて」

 

 着地寸前の床へ金色の線が走る。

 

 絨毯がなくなったわけではない。

 

 そこへ繋がっている場所だけが変わった。

 

 境界の向こう側に現れたのは、ホテルの下階でも廊下でもなく、割れた窓から見える道路の向こう――立体駐車場の屋上、その少し上にある夜空だった。

 

 すでに跳んでいる身体は止められない。

 

 アサシンは、自分で作った回避の勢いをそのまま利用される形で金色の境界へ飛び込み、ホテルの部屋から消えた。

 

 直後。

 

 数百メートル先の夜空に黒い影が現れる。

 

 長い髪が広がり、その何本かが立体駐車場の外壁へ突き刺さった。落下しながらでも体勢を整え、次の動作へ移ろうとしている。

 

「小尾くん!」

 

 なのはが一度だけ振り返った。

 

「続けて!」

 

「そっちは?」

 

「私が止めるから!」

 

 それだけ言うと、なのはも境界の向こうへ飛び込んだ。

 

 金色の裂け目が閉じる。

 

 ほんの十数秒前まで目の前にあった殺気が、一気に遠ざかった。

 

 残ったのは、割れた窓から吹き込む風と、崩れた壁の向こうで慌てて部屋から逃げていく宿泊客の足音。

 

 頭上では切られた照明が軋み続けている。

 

 僕は詠唱を止めなかった。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 そこまで読み上げてから、ようやく召喚陣の違和感に気づいた。

 

 術式は動いている。

 

 僕の魔力も流れ続けている。

 

 なのに、色が足りない。

 

 さっきまで僕の魔力へ重なっていた白い光が、もうどこにもない。

 

「……あ」

 

 当然だった。

 

 なのはは、もう召喚陣へ触れていない。

 

 最初に僕を助けた時点で手を離し、そのまま今は道路の向こうでアサシンを相手にしている。

 

 テレズマの供給は、とっくに切れていた。

 

 問題は。

 

 それでも召喚儀式が止まっていないことだった。

 

 僕自身の魔力だけで、術式はむしろ完成へ近づいている。

 

 テレズマは最初から召喚の燃料として使うつもりではなかった。

 

 その役割は触媒。

 

 無数に存在する候補の中から、天使、あるいは天使という概念へ強く結びついた何者かへ、召喚先を寄せるための道標だった。

 

 その道標だけが途中で消えている。

 

 では。

 

 今、この術式は何を基準に向こう側を探している?

 

 考えた途端、嫌な答えが浮かんだ。

 

 触媒を持たない召喚。

 

 術者自身との相性。

 

「……待って」

 

 僕と相性のいい英霊。

 

 それはちょっと嫌だ。

 

 魔術師で。

 

 元代行者。

 

 人体実験を繰り返し。

 

 死んで転生しても研究を続け。

 

 最終的に人間を本物の天使へ変えてしまった。

 

 これと相性がいい相手である。

 

 英雄であってほしい。

 

 切実に。

 

 割れた窓の外から、コンクリートの塊でも落ちたような衝撃音が届いた。

 

 なのはが戦っている。

 

 今さら中断手順を考えている時間はない。

 

「汝三大の言霊を纏う七天――」

 

 召喚陣の中心へ光が集まっていく。

 

 そこで、術式の感触が明確に変わった。

 

 テレズマが流れていた時には、もっと遠い場所へ手を伸ばしていた。

 

 何かを探していた。

 

 今は違う。

 

 近い。

 

 というより。

 

 探す必要がない。

 

 こちら側から伸びた経路が、迷うことなく一つの霊基へ繋がっていく。

 

 初めて触れるはずなのに、妙に馴染む。

 

 それが何を意味しているのか、考えないようにした。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 最後の言葉と同時に、召喚陣から光が溢れた。

 

 床へ散らばっていたガラス片が震え、割れた窓から吹き込んでいた夜風まで一度、部屋の中心へ引かれる。

 

 光の中に、人影が生まれた。

 

 背が高い。

 

 男。

 

 黒い服。

 

 少なくとも翼はなかった。

 

 光輪もない。

 

 むしろ、その服装だけなら僕にとっては天使より遥かに馴染み深い。

 

 神父服。

 

 そこまでなら、まだ教会や信仰に繋がる何者かを引き当てた可能性も考えられた。

 

 光が薄れる。

 

 男の顔が見えた。

 

 そこで、僕は考えるのをやめた。

 

 知らない顔ではない。

 

 前世で代行者をしていた頃、実際に何度か同じ現場へ入ったことがある。

 

 年上で。

 

 僕より遥かに大柄で。

 

 近接戦闘に関しては、後から真似してみたくなる程度には印象に残っていた。

 

 そして。

 

 僕が知っている限り、その男は聖杯戦争で死んでいる。

 

 言峰綺礼。

 

 現界した男は、普通なら質問したくなるであろう惨状を前にしても表情を変えなかった。

 

 隣室まで開いた壁。

 

 壊れた窓。

 

 傾いた天井。

 

 まだ光っている召喚陣。

 

 それらを一度確認した後、最後に僕へ視線を止める。

 

 昔と変わらない。

 

 少なくとも。

 

 あの目だけは、僕の知っている言峰綺礼だった。

 

「私は言峰神父。グレゴリー・ラスプーチン――」

 

「言峰パイセンじゃないっすか!」

 

 思わず被せた。

 

 男の自己紹介が止まった。

 

「…………」

 

「うわ、マジでパイセンだ。英霊になったんすか?」

 

 近くで見ても変わらない。

 

 どう見ても言峰綺礼である。

 

「いやあ、死んだのは知ってましたけど。まさか召喚される側になってるとは思わなかったっすわ」

 

「随分な挨拶だな、マスター」

 

 声に怒気はない。

 

 むしろ言峰パイセンは僕の顔を改めて見ると、僅かに目を細めた。

 

「それと、パイセンか」

 

「あ」

 

 言われて思い出した。

 

 前世でも心の中や本人のいないところでは普通にそう呼んでいたけれど、本人へ面と向かって言ったことはない。

 

 僕もそこまで命知らずではなかった。

 

 過去形である。

 

「……今、初めて本人に言いました」

 

「やはりな。少なくとも、生前の私は君からそう呼ばれた覚えがない」

 

「知ってるんすか?」

 

 反射的に聞き返した。

 

 言峰パイセンは、すぐには答えなかった。

 

 僕の顔を見る。

 

 今の身体は前世とは違う。

 

 声も違う。

 

 名前すら違う。

 

 これだけ変わっている人間を、昔の仕事仲間として即座に認識できる方がおかしい。

 

「顔に覚えはない」

 

「でしょうね」

 

「声も違う」

 

「まあ、それも」

 

「だが」

 

 そこで言葉が切れた。

 

 否定を続けるつもりではないらしい。

 

「君と話していると、妙な既視感がある」

 

「僕に?」

 

「正確には、その距離の詰め方に、だな」

 

「失礼っすね」

 

「そうかね?」

 

 言峰パイセンの口元が、ごく僅かに緩む。

 

「極東で何度か仕事を共にした代行者に、よく似ている」

 

 今度は僕が黙った。

 

「……それ、僕じゃないっすか?」

 

「そうなのかね?」

 

「いや、一緒に仕事したでしょ。何回か」

 

「君がそう言うなら、そうなのだろう」

 

「薄いなあ、記憶」

 

「そう簡単ではないらしい」

 

 言峰パイセンは僕の反応を観察しながら、落ち着いた声で続けた。

 

「その人物についての記憶はある。任務を共にしたことも、仕事の最中に必要以上の軽口を叩いていたこともな。ただし、今の君とその人物を同一人物として結びつける記憶は存在しない」

 

「そりゃ身体違いますからね」

 

「なるほど」

 

「あ」

 

 言ってから気づいた。

 

 また余計なことを口にした。

 

 言峰パイセンの目が、僅かに細くなる。

 

「身体が違う、か」

 

「そこ拾います?」

 

「興味深い発言だったのでね」

 

「昔からそういうとこありますよね、パイセン」

 

「それも、覚えがあるような気がするな」

 

「どっちなんすか」

 

「さて」

 

 はぐらかされた。

 

 けれど、嘘を吐いているようにも思えなかった。

 

 今の言峰綺礼が持っている記憶と、僕が知っている言峰綺礼の人生は完全には一致していない。

 

 それでも。

 

 何もないわけでもない。

 

 並行世界のどこかで積み上がったものが、英霊召喚という現象を通して、ほんの少しだけ引っ掛かっている。

 

 そんな曖昧なものなのかもしれない。

 

「で、さっきの続きですけど」

 

「何かな」

 

「パイセン、ラスプーチンなんすか?」

 

「今の私はアルターエゴとして現界している。真名について言うなら、言峰綺礼で構わん」

 

「じゃあ、やっぱり言峰パイセンじゃないっすか」

 

「好きに呼びたまえ」

 

「許可出た」

 

「今さら止めても無駄だろう」

 

 話が早い。

 

 そこだけでも相性がいい気がしてしまった。

 

 嫌だな。

 

 さっきまで僕は、天使を呼ぼうとしていたはずなのに。

 

 途中でテレズマが切れ。

 

 相性召喚になり。

 

 その結果が。

 

 言峰綺礼。

 

「…………」

 

「どうした、マスター」

 

「いや」

 

 召喚陣と、言峰パイセンを見比べる。

 

「僕とパイセン、相性いいんすね」

 

 言峰パイセンは少しだけ考えた。

 

「この召喚が相性によるものなら、そのようだな」

 

「うわあ」

 

「そこまで嫌がられるとは心外だ」

 

「自分と相性いい人がパイセンって言われて喜べる人、そんなにいないと思いますよ」

 

「君にだけは言われたくないものだ」

 

「ひどい」

 

 その時、割れた窓の向こうから重い衝撃が届いた。

 

 少し遅れて、立体駐車場の上に金色の亀裂が走る。

 

 なのは。

 

 言峰パイセンとの再会に意識を引っ張られていたが、向こうはまだ終わっていない。

 

 僕が窓へ顔を向けるのと同時に、言峰パイセンも同じ方向を見た。

 

「サーヴァント同士の戦闘か」

 

「片方はサーヴァントじゃないっすけどね」

 

「ほう」

 

「説明すると長いんで後で」

 

「構わん」

 

 言峰パイセンは、それ以上聞かなかった。

 

 まず話す。

 

 しかし、今聞くべきでないと判断すれば、無理に答えを引き出そうとはしない。

 

 そういうところも。

 

 やっぱり記憶にある男だった。

 

「パイセン」

 

「何かな、マスター」

 

「召喚された直後で悪いんすけど、手伝ってもらっていいっすか?」

 

 言峰パイセンは壊れた窓の向こうを一度確認してから、静かに頷いた。

 

「契約した以上、当然だろう」

 

「さすがっすわ」

 

「ただし」

 

 低い声が続いた。

 

「君の身体が違う、という話については、後ほど詳しく聞かせてもらおう」

 

「……忘れてくれないっすか?」

 

「残念ながら」

 

 穏やかな表情のまま。

 

「そういうことは、よく覚えている性質でね」

 

 やっぱり。

 

 言峰パイセンだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。