「力が欲しいか?」と言いたくて!   作:桃たろす

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敗北するなのは

 

 次の瞬間、鉄槌と光の障壁が激突した。

 

 轟音が、結界に閉ざされた住宅街を揺らす。

 

 その音が外へ届くことはない。眠りについた街は何も知らず、窓の明かりも、街灯も、普段と変わらず夜の底に沈んでいる。

 

 異常が存在するのは、閉ざされた空間の内側だけだった。

 

「くっ……!」

 

 なのはの身体が、大きく後ろへ押し流された。

 

 薄桃色の障壁が軋む。

 

 その向こう側で、赤い騎士服をまとった少女が、巨大な鉄槌を両手で握り締めていた。

 

 小柄な身体。

 

 幼さを残した顔立ち。

 

 けれど、その瞳には、外見に似つかわしくないほど切迫した光が宿っていた。

 

 焦燥。

 

 苛立ち。

 

 そして、何かを成し遂げなければならないという、切迫した意志。

 

「レイジングハート!」

 

『Protection.』

 

 宝石の声に応じて、障壁が光を増す。

 

 押し込まれていたなのはの身体が止まった。

 

 少女――ヴィータが舌打ちする。

 

「ちっ!」

 

 鉄槌を引き戻す。

 

 その動きを見て、なのはもすぐに距離を取った。

 

 白いバリアジャケットの裾が、夜風にはためく。

 

 構えた杖の先端には、赤い宝石が輝いていた。

 

 なのはは息を整えながら、目の前の相手を見つめる。

 

 知っている顔ではない。

 

 時空管理局の魔導師でもない。

 

 襲われる理由にも、心当たりはなかった。

 

「待って!」

 

 杖を向けたまま、なのはは呼びかける。

 

「どうして、わたしを狙うの?」

 

 ヴィータは答えない。

 

 鉄槌――グラーフアイゼンを肩に担ぎ、なのはへ向かって一直線に飛ぶ。

 

「話してくれたら――」

 

「うるせえ!」

 

 怒鳴り声と同時に、鉄槌が振り下ろされた。

 

「アタシは急いでんだ!」

 

 なのはは障壁を斜めに展開した。

 

 正面から受ければ押し切られる。

 

 ならば、受け止めるのではなく、軌道を逸らす。

 

 グラーフアイゼンの先端が障壁の表面を滑り、空を叩く。

 

 衝撃が爆ぜた。

 

 なのははその反動を利用して高度を上げる。

 

『Divine Shooter.』

 

 桃色の光球が、なのはの周囲に生まれた。

 

 ひとつ。

 

 ふたつ。

 

 みっつ。

 

 さらに数を増やした光球が、ヴィータへ照準を合わせる。

 

「シュート!」

 

 一斉に放たれた誘導弾が、夜空へ光の軌跡を描いた。

 

 ヴィータは立ち止まらない。

 

「アイゼン!」

 

『Schwalbefliegen.』

 

 グラーフアイゼンの周囲に、赤熱した鉄球が出現する。

 

 ヴィータが鉄槌を振るうと、鉄球は弾丸のように飛び出した。

 

 桃色と赤色の光が空中で衝突する。

 

 炸裂。

 

 爆風。

 

 視界を覆う煙。

 

 その中を、ヴィータは強引に突破した。

 

「えっ――」

 

 なのはの目が見開かれる。

 

 煙の向こうから、小さな影が飛び出してくる。

 

 射撃を回避したのではない。

 

 撃ち落とせるものだけを鉄球で破壊し、残りは防御で受けた。

 

 多少の被弾を承知で、最短距離を突っ切ってきたのだ。

 

 なのはが杖を構え直すより早く、ヴィータは懐へ潜り込んでいた。

 

「遅え!」

 

 横薙ぎの一撃。

 

 なのはは咄嗟に杖で受け止めた。

 

 金属同士がぶつかる甲高い音が響く。

 

「う、あっ……!」

 

 腕が痺れる。

 

 身体ごと吹き飛ばされながら、なのはは空中で姿勢を立て直した。

 

 強い。

 

 単純な魔力の大きさだけではない。

 

 相手は、戦うことに慣れている。

 

 攻撃を受けたときの判断。

 

 敵との距離の詰め方。

 

 次の一撃へ移るまでの迷いのなさ。

 

 訓練の中で身につけた技術ではない。

 

 何度も実戦を経験し、そのたびに生き残ってきた者の動きだった。

 

 それでも、なのはは杖を下ろさなかった。

 

「あなたが何を急いでるのか、わたしには分からないよ」

 

 呼吸を整える。

 

 レイジングハートを握り直す。

 

「でも、こんなことをしなくても――」

 

「だから!」

 

 ヴィータの表情が歪んだ。

 

 脳裏に浮かんだのは、車椅子に座る少女の姿だった。

 

 いつも笑っている。

 

 自分たちを家族と呼んでくれた。

 

 身体が苦しいはずなのに、心配をかけまいと笑う少女。

 

 来年も。

 

 その次も。

 

 一緒に食卓を囲むために。

 

「話してる時間なんか、ねえんだよ!」

 

 ヴィータが加速する。

 

 なのはも杖を向けた。

 

『Divine Buster.』

 

「ディバイン――」

 

 砲撃が完成するより先に、複数の鉄球が飛来した。

 

 なのはは射撃を中断し、障壁を展開する。

 

 桃色の盾に鉄球が連続してぶつかった。

 

 一発目。

 

 二発目。

 

 三発目。

 

 衝撃が重なるたびに、障壁の表面へ波紋が広がる。

 

 なのはは歯を食いしばった。

 

 敵は砲撃の準備を見て、すぐに潰しに来た。

 

 しかも、攻撃はこれで終わりではない。

 

 鉄球の影に隠れるようにして、ヴィータ自身が迫っている。

 

 防御を展開した直後。

 

 なのはが動けない、その瞬間を狙って。

 

「アイゼン!」

 

『Raketenform.』

 

 グラーフアイゼンの片側が変形する。

 

 噴射炎が夜を赤く染めた。

 

「ぶち抜けええええっ!」

 

 回転を加えた鉄槌が、桃色の障壁へ叩きつけられた。

 

          ◇

 

 地下室に並べられた観測礼装のひとつが、けたたましい警告音を発した。

 

 画面を流れていた波形が、急激に跳ね上がる。

 

 小尾一は椅子に座ったまま、表示される数値を眺めていた。

 

 隣に立つすずかが、胸元で両手を握る。

 

「また上がった……」

 

「出力だけじゃないな」

 

 小尾一の指が、画面の一部を拡大する。

 

 急激な魔力放出。

 外部から加わった衝撃。

 その直前には、決まって同じ形の魔力反応が現れている。

 

 さらに、衝撃の大きさに比べて、なのはの身体へかかる負荷は小さい。

 同じ現象が、先ほどから何度も繰り返されていた。

 

「これは?」

 

「何かで衝撃を受け止めてる」

 

「何かって?」

 

「盾か、壁か。少なくとも、身体に届く前に外からの力を弱めてるものがある」

 

 小尾一は画面上に、二つの波形を重ねて表示した。

 

「衝撃が来る直前に、毎回同じ反応が出てる。その反応が出たときだけ、身体への負荷が小さい」

 

「じゃあ、防御の魔法?」

 

「可能性は高い。ただし、術式そのものが見えてるわけじゃない。確証まではないよ」

 

 小尾一は淡々と答える。

 

「映像も音声もない。分かるのは、高町さんの中で何が増えたか、何が減ったか。どこへ動いたか。外からどれだけの衝撃を受けたか。それくらいだよ」

 

 画面上の光点が高速で移動する。

 

 停止した直後、負荷を示す波形が鋭く跳ねた。

 

 すずかの肩が震える。

 

「戦ってるの?」

 

「そう見える」

 

「なのはちゃんが?」

 

「たぶん」

 

 波形の変化は、これまで観測した訓練時のものとは明らかに異なっていた。

 

 出力の切り替えが速い。

 

 移動の直後に魔力を放出し、その直後には外部からの衝撃を受けている。

 

 なのはが一方的に魔法を使っているだけでは説明できない。

 

「しかも、かなり強い相手と」

 

 すずかは地下室の出口へ視線を向けた。

 

 けれど、小尾一は動かない。

 

「助けに行かないの?」

 

「場所は大まかにしか分からない」

 

「でも、近くなんでしょ?」

 

「近いね」

 

「だったら――」

 

 新たな警告音が、すずかの言葉を遮った。

 

 衝撃を受け止めていた反応が、これまでにない規模で立ち上がる。

 

 外部負荷を示す数値も、同時に上昇していた。

 

 小尾一は姿勢を変えない。

 

 ただ、推移する数値を追う目だけが、僅かに鋭くなった。

 

          ◇

 

『Protection.』

 

 レイジングハートの声とともに、障壁が最大まで強化される。

 

 だが、ヴィータの鉄槌は止まらなかった。

 

 噴射炎を上げながら回転するグラーフアイゼンが、障壁の一点を削り続ける。

 

 防御は面で受けるものだ。

 

 なのははそう教わった。

 

 広く展開し、衝撃を全体へ逃がす。

 

 けれどヴィータは、その防御の性質を見抜いていた。

 

 広く支える障壁の一点へ、逃げ場のない圧力を加える。

 

 薄桃色の盾に亀裂が走った。

 

「そんな……!」

 

「硬えけど――」

 

 ヴィータが歯を食いしばる。

 

「壊れねえわけじゃねえ!」

 

 さらに噴射が強まった。

 

 障壁が砕ける。

 

 光の破片が、夜空へ散った。

 

 レイジングハートが即座に次の防御を構築する。

 

『Protection.』

 

 杖の先端に光が集まる。

 

 だが、間に合わない。

 

 グラーフアイゼンとレイジングハートが、正面から衝突した。

 

「レイジングハート!」

 

 鈍い音がした。

 

 赤い宝石へ、白い亀裂が走った。

 

『――』

 

 一瞬、レイジングハートの光が消える。

 

 なのはの表情から血の気が引いた。

 

 その隙を、ヴィータは見逃さなかった。

 

 鉄槌を引く。

 

 僅かな迷いが、胸の奥を掠めた。

 

 倒すべき敵でしかないはずの少女は、最後まで明確な敵意を向けてこなかった。

 

 何も分からないまま、それでも言葉を交わそうとしていた。

 

 けれど、ヴィータは止まれない。

 

 はやての咳が聞こえる。

 

 震えていた指を思い出す。

 

「悪いな」

 

 低く呟き、グラーフアイゼンを振り抜いた。

 

 鉄槌が、なのはの腹部を捉える。

 

「――っ!」

 

 声にもならない息が漏れた。

 

 なのはの身体が折れ曲がる。

 

 白い少女は、光を失った星のように落ちていった。

 

          ◇

 

「消えた」

 

 すずかが呟く。

 

 外部からの衝撃に合わせて立ち上がっていた反応が、観測礼装の画面から消失していた。

 

 直後。

 

 これまで抑えられていた身体負荷が、一気に跳ね上がる。

 

 魔力放出も大きく乱れていた。

 

「……負けたかな」

 

 小尾一が言った。

 

「負けたって……」

 

「さっきまで衝撃を受け止めていたものが消えた。その直後に、負荷が直接身体へ入ってる」

 

 画面上の光点が、急激に高度を落としていく。

 

「なのはちゃん、落ちてるの?」

 

「そう見える」

 

「そんな……」

 

 すずかは地下室の出口へ駆け出しかけた。

 

「どこにいるの? 近くなんだよね?」

 

「大まかな方向しか分からない。結界か何かで、位置の精度も落ちてる」

 

「それでも探せるかもしれないでしょ!」

 

 小尾一は椅子から立たない。

 

「すずかが外へ出て、何ができる?」

 

「でも……!」

 

「飛べない。戦えない。誰が相手かも分からない。君が行けば、君まで倒れて被害者が一人増えるだけだ」

 

 冷静な言葉だった。

 

 それが正しいからこそ、すずかには耐えられなかった。

 

「じゃあ、見てるだけなの?」

 

「今の僕にできるのは、それだけだよ」

 

 画面上の光点が、地表近くで止まった。

 

 小尾一の声音は変わらない。

 

「それに、ここから先が重要だ」

 

          ◇

 

 なのはの身体が、建物の屋上へ叩きつけられた。

 

 防水加工された床がひび割れる。

 

 肺から空気が押し出され、息ができなくなる。

 

「か……はっ……」

 

 視界が何度も明滅した。

 

 空が見える。

 

 星が滲んでいる。

 

 身体を起こそうとしても、腕に力が入らない。

 

 右手には、まだレイジングハートが握られていた。

 

 しかし、赤い宝石の亀裂は深い。

 

 呼びかけても、応答はない。

 

「レイジング……ハート……」

 

 掠れた声だけが漏れた。

 

 屋上へ、赤い靴が降りる。

 

 ヴィータだった。

 

 グラーフアイゼンを手にしたまま、倒れたなのはを見下ろしている。

 

 なのはは逃げようとした。

 

 指先が、僅かに動くだけだった。

 

「まだ意識あんのか」

 

 ヴィータは苦い顔をする。

 

 これ以上傷つけたいわけではない。

 

 だが、中途半端に抵抗を残せば、蒐集の途中で何が起こるか分からない。

 

「動くな。すぐ終わる」

 

「何を……」

 

 なのはの胸元に、緑色の光が灯った。

 

 円環。

 

 幾何学模様。

 

 見たことのない魔法陣が、何の前触れもなく浮かび上がる。

 

 なのはが目を見開いた。

 

 魔法陣の中央から、白い腕が伸びてきた。

 

 身体はない。

 

 肩もない。

 

 空間の向こう側から、腕だけが現れている。

 

「な、に……これ……」

 

 逃げなければならない。

 

 そう思うのに、身体が動かない。

 

 白い指先が、なのはの胸元へ触れる。

 

 皮膚に触れたはずなのに、そこにはほとんど感触がなかった。

 

 次の瞬間。

 

 胸の奥から、何かを掴まれた。

 

「――あ」

 

 痛みではない。

 

 少なくとも、傷口を抉られるような痛みではなかった。

 

 もっと深い。

 

 もっと根本的な場所。

 

 自分を自分として動かしていた熱を、直接掴まれたような感覚だった。

 

「や……」

 

 指先が震える。

 

 息が浅くなる。

 

 身体の中心から、温かいものが引き抜かれていく。

 

「やめ……て……」

 

 魔法陣の向こう側で、何かが脈打った。

 

 なのはから奪われた光が、見えない場所へ流れ込んでいく。

 

 ヴィータは周囲を警戒しながら、グラーフアイゼンを構え直す。

 

「もう少しだ……」

 

 早く。

 

 早く終わらせなければならない。

 

 この結界に気づく者がいないとは限らない。

 

 目の前の少女を長く苦しませたいわけでもない。

 

「もう少しだから、じっとしてろ」

 

 なのはには、その言葉へ答える力もなかった。

 

          ◇

 

 観測礼装の波形が、垂直に落ちた。

 

「下がってる……!」

 

 すずかが画面へ顔を近づける。

 

 なのはの内部出力を示す数値が、異常な速度で低下していた。

 

 自然な消耗ではない。

 

 大規模な魔法を使った直後とも違う。

 

 一定の速度で、魔力が外部へ流れ出している。

 

「うん」

 

「うん、じゃないよ!」

 

 すずかは小尾一の両肩を掴んだ。

 

「ねえ、どうなってるの!? なのはちゃんに何が起きてるの!」

 

 強く揺さぶられても、小尾一の視線は画面から離れない。

 

「魔力を抜かれてる」

 

「抜かれてるって……」

 

「魔力核から外へ流れてる。自然に漏れてるんじゃない。何かに引き出されてる」

 

「止められないの!?」

 

「ここからは無理だ」

 

「なのはちゃん、死んじゃわないの?」

 

「生命活動は残ってる。今すぐ死ぬ数値じゃない」

 

「今すぐじゃなかったらいいの!?」

 

 小尾一は答えなかった。

 

 すずかに肩を揺らされながらも、観測画面の奥へ意識を向ける。

 

 通常の魔力反応とは異なる、沈黙した領域。

 

 なのはの中に埋め込まれた種。

 

 まだ一度も、完全な形で芽吹いていない器。

 

 恐怖。

 

 痛み。

 

 敗北。

 

 喪失。

 

 力を奪われ、自分ではどうすることもできず、地へ伏している。

 

 これほど明確な敗北はない。

 

 小尾一の声から、僅かに平坦さが消えた。

 

「さあ」

 

 すずかの手が止まる。

 

 小尾一は画面に向かって囁いた。

 

「来るか?」

 

 波形は下がり続ける。

 

 なのはの内部出力は、危険域へ近づいていく。

 

 けれど、その奥に眠るものは動かない。

 

 微かな揺らぎすらなかった。

 

 器は沈黙したままだった。

 

「……まだ足りないか」

 

 すずかが、小尾一を見つめる。

 

 その表情には、怯えではなく、明確な怒りが浮かんでいた。

 

「なのはちゃんが苦しんでるんだよ!」

 

「見れば分かる」

 

「だったら!」

 

「だから見てるんだ」

 

 乾いた音が響いた。

 

 すずかの手が、小尾一の頬を打っていた。

 

 地下室が静まり返る。

 

 小尾一はゆっくりと、すずかへ顔を向けた。

 

 頬には赤い跡が残っている。

 

 すずか自身も、自分が何をしたのか理解したらしい。

 

 呼吸を乱し、震える手を胸元へ引き戻した。

 

 それでも謝らなかった。

 

「最低だよ」

 

「そうかもね」

 

「なのはちゃんは、実験道具じゃない」

 

「僕にとっては観測対象だ」

 

「友達なの!」

 

 すずかの叫びに、小尾一は一瞬だけ目を細めた。

 

 けれど、答えるより先に、観測礼装が新たな反応を捉えた。

 

 なのはの近くで、別の大出力が立ち上がる。

 

「増えた」

 

「え……?」

 

「誰か来た」

 

          ◇

 

 金色の光が、夜空を切り裂いた。

 

 蒐集を続ける魔法陣へ意識を向けていたヴィータが、咄嗟に顔を上げる。

 

「なっ――」

 

 金色の斬撃が、ヴィータへ迫っていた。

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを掲げる。

 

 刃と鉄槌が激突した。

 

 金と赤の火花が散る。

 

 衝撃に押され、ヴィータの身体が屋上を滑った。

 

 なのはと緑色の魔法陣の間へ、黒いマントをまとった少女が降り立つ。

 

 長い金髪が、夜風に広がった。

 

 手には、黒い柄を持つ金色の大鎌。

 

 真紅の瞳が、ヴィータを鋭く射抜く。

 

「なのはから離れて!」

 

 朦朧とする意識の中で、なのははその声を聞いた。

 

 見間違えるはずがない。

 

 何度もぶつかり合い、何度も言葉を交わして、ようやく手を取り合えた大切な友達。

 

「フェイト……ちゃん……」

 

 フェイトは振り返りそうになった。

 

 だが、なのはの胸元から伸びる異様な腕も、目の前の敵も、無視することはできなかった。

 

「なのは! 今、助けるから!」

 

「邪魔すんな!」

 

 ヴィータが地面を蹴る。

 

 グラーフアイゼンが唸りを上げた。

 

 フェイトはバルディッシュで受け止める。

 

 重い衝撃が腕へ伝わる。

 

「くっ……!」

 

 ヴィータは小柄な体格からは想像できない力で、フェイトを押し返した。

 

「あと少しなんだ! 引っ込んでろ!」

 

「そんなこと、できない!」

 

 フェイトの足元に金色の魔法陣が広がる。

 

 瞬間、姿が消えた。

 

 ヴィータの側面へ回り込み、バルディッシュを振るう。

 

 だが、刃が届く直前。

 

 紫色の光が二人の間へ割り込んだ。

 

 甲高い金属音。

 

 バルディッシュの刃を受け止めたのは、片刃の長剣だった。

 

 炎を思わせる紫の騎士服。

 

 長い桃色の髪。

 

 凛とした眼差しを持つ女騎士が、フェイトの前に立ちはだかる。

 

「ヴィータ」

 

 シグナムはフェイトの刃を押し返しながら、背後へ呼びかける。

 

「ここは私が引き受ける。お前は蒐集に集中しろ」

 

「けど、シグナム!」

 

「任せろ」

 

 短い言葉だった。

 

 ヴィータは一瞬だけ迷い、すぐになのはの傍らへ戻る。

 

「……分かった!」

 

 フェイトがヴィータを追おうと踏み込む。

 

 その進路へ、レヴァンティンの切っ先が滑り込んだ。

 

 フェイトはバルディッシュを引き戻し、刃を受け止める。

 

「速い……!」

 

 シグナムの瞳に、僅かな驚きが浮かぶ。

 

 しかし、剣は揺らがない。

 

 受け止めた刃を払い、返す動作で斬撃を放つ。

 

 フェイトは辛うじて防いだ。

 

 衝撃が腕を駆け抜ける。

 

 一撃が重い。

 

 受けるたびに、両腕が痺れる。

 

「だが、軽い!」

 

「っ……!」

 

 フェイトの身体が後方へ弾かれた。

 

 シグナムは追撃しない。

 

 なのはのいる屋上とフェイトの間に立ち、剣を構える。

 

 フェイトは一目で悟った。

 

 この騎士の目的は、自分を倒すことではない。

 

 通さないことだ。

 

 なのはのもとへ向かう道を塞ぎ、ヴィータの目的が終わるまで時間を稼ぐ。

 

「退いてください」

 

「それはできん」

 

「なのはを助けなきゃいけないんです!」

 

「ならば、力ずくで通るがいい」

 

 シグナムの剣――レヴァンティンが、炎をまとう。

 

「我が剣を越えられるのならな」

 

 フェイトはバルディッシュを握り締めた。

 

『Scythe Form.』

 

 金色の魔力刃が、さらに鋭く伸びる。

 

「行くよ、バルディッシュ」

 

『Yes, sir.』

 

 金色の閃光が走った。

 

 シグナムも同時に踏み込む。

 

 金と紫の光が、夜空の中央で正面から衝突した。

 

          ◇

 

「フェイト!」

 

 別方向から、橙色の影が飛び込んでくる。

 

 アルフは結界を破るように侵入すると、倒れているなのはを見つけた。

 

「なのは!」

 

 屋上へ向かおうと高度を下げる。

 

 しかし、その進路上へ、青い巨体が立ちはだかった。

 

 筋骨隆々とした身体。

 

 鋭い眼光。

 

 両腕に備えた拘束具を構え、ザフィーラがアルフを見据える。

 

「そこを退きな!」

 

「通すわけにはいかん」

 

「だったら、ぶっ飛ばして通る!」

 

 アルフの拳へ橙色の光が集まる。

 

 ザフィーラは腰を落とし、正面から迎え撃った。

 

 二人の拳が激突する。

 

 衝撃波が空気を震わせた。

 

 アルフは力任せに押し込もうとする。

 

 ザフィーラは受け止め、流し、なのはへ向かう進路だけを正確に塞いでいく。

 

「邪魔だって言ってんだろ!」

 

「こちらにも、退けぬ理由がある」

 

「知るか!」

 

 アルフの蹴りを、ザフィーラが腕で受ける。

 

 続けざまに伸びた拘束鎖を、アルフは身を翻して回避した。

 

 使い魔同士の戦いは、地上近くへ場所を移していく。

 

 その上空では、フェイトとシグナムが何度も光の軌跡を交差させていた。

 

 フェイトが速い。

 

 直線速度だけなら、明らかに上回っている。

 

 右。

 

 左。

 

 上方。

 

 視界から消えた直後には、別方向から刃が迫る。

 

 それでも、シグナムの剣は間に合った。

 

 フェイトの動きを目で追っているのではない。

 

 踏み込み。

 

 視線。

 

 魔力の流れ。

 

 攻撃へ入る直前に生まれる僅かな兆候を読み、刃の先へ先回りしている。

 

「はあっ!」

 

 フェイトの連撃を、シグナムが受け流す。

 

 金色の刃が頬を掠め、細い傷を作った。

 

 シグナムの目が鋭くなる。

 

「見事だ」

 

「通してください!」

 

「断る!」

 

 レヴァンティンが振り下ろされる。

 

 フェイトは受けずに横へ飛んだ。

 

 刃が空を切る。

 

 その隙に、なのはのもとへ向かおうとする。

 

 だが、シグナムは剣を振り切った姿勢から、無理に軌道を変えなかった。

 

 腰を捻り、柄頭をフェイトの脇腹へ叩き込む。

 

「うっ!」

 

 フェイトの身体が折れる。

 

 そこへ肩から体当たりを加え、再び進路上から弾き出した。

 

「お前の意識は、私ではなく倒れた少女へ向いている」

 

 シグナムは剣先をフェイトへ向ける。

 

「その迷いを抱えたまま、私を抜けると思うな」

 

 フェイトは苦しげに息を吐いた。

 

 その言葉は正しい。

 

 この騎士を突破するには、目の前の戦いだけに集中しなければならない。

 

 けれど、背後ではなのはの力が奪われ続けている。

 

 一秒でも早く助けたい。

 

 その焦りが、動きを僅かに乱していた。

 

「それでも……」

 

 フェイトはバルディッシュを構える。

 

「なのはを放っておくことはできない!」

 

 金色の魔力が爆発的に膨れ上がった。

 

          ◇

 

 なのはの胸元から、光が流れ続ける。

 

 緑の魔法陣の向こう側。

 

 遠く離れた場所で、シャマルは目を閉じ、術式を維持していた。

 

 傍らに浮かぶ本の頁が、淡い光を放っている。

 

 一文字。

 

 また一文字。

 

 空白だった頁へ、魔力を示す文字列が刻まれていく。

 

「もう少しです……」

 

 シャマルの額に汗が滲む。

 

 これほど大きな力を持つ相手から、安全に蒐集するのは容易ではない。

 

 対象の魔力が激しく乱れている。

 

 外では戦闘も始まった。

 

 術式を維持しながら、仲間たちの位置を把握し、撤退経路を確保しなければならない。

 

「ヴィータちゃん」

 

 通信へ声を送る。

 

『分かってる!』

 

 ヴィータはなのはの傍らで、フェイトとシグナムの戦いを見上げていた。

 

 シグナムはフェイトを抑えている。

 

 ザフィーラも、別方向から入ってきた相手を足止めしている。

 

 自分の役目は、この場を離れず、蒐集が終わるまでなのはを確保することだ。

 

「もう少しだ……!」

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを握る手に力を込めた。

 

 なのはの指が、屋上の床を弱々しく掻く。

 

 壊れたレイジングハートへ手を伸ばそうとしている。

 

「レイジング……ハート……」

 

 その声を聞き、ヴィータは唇を噛んだ。

 

 余計なことを考えるな。

 

 これは必要なことだ。

 

 はやてを助けるため。

 

 はやてと、これからも一緒に暮らすため。

 

 自分たちには、他の方法がない。

 

 闇の書を完成させる。

 

 それだけだ。

 

          ◇

 

「まだ下がるの……?」

 

 すずかの声は震えていた。

 

 なのはの内部出力は、すでに平常時とは比べものにならないほど低下している。

 

 一方で、周囲に現れた複数の大きな魔力反応も、激しい変動を続けていた。

 

「一人じゃない」

 

 小尾一が呟く。

 

「高町さんの近くで、少なくとも四つ。断続的に出力がぶつかってる」

 

「何人いるの?」

 

「正確には分からない。高町さん以外の反応は、この礼装の観測対象じゃないからね」

 

 龍脈を通して拾えるのは、周囲の大まかな魔力変動だけだ。

 

 個人の位置や状態まで詳しく追えるのは、セフィラを埋め込まれたなのはだけだった。

 

 すずかは唇を震わせる。

 

 誰が敵で、誰が味方なのか。

 なのはがどこで、どれほど傷ついているのか。

 

 ただ、画面の数値だけが、友達の危機を冷酷に示している。

 

「助けが来たんじゃないの?」

 

「可能性はある」

 

「だったら、なのはちゃんは助かる?」

 

「間に合えばね」

 

「どうして、そんなに平気でいられるの……?」

 

 小尾一は答えず、沈黙した領域を見つめていた。

 

 セフィラは起動しない。

 

 魔力を奪われること。

 

 自分が傷つくこと。

 

 戦闘に敗北すること。

 

 それだけでは、なのはの心を折るには足りなかった。

 

「これでも折れないか」

 

 その声には、僅かな落胆が混じっていた。

 

「……何を言ってるの?」

 

「ここまで一方的に負けて、力まで奪われた。それでも、あれは目を覚まさない」

 

 すずかには、小尾一が何を残念がっているのか理解できなかった。

 いや、理解したくなかった。

 

「なのはちゃんが折れなかったことが、残念なの?」

 

「そういうことになるね」

 

 すずかの声が低くなる。

 

「やめて」

 

「恐怖も、痛みも、自分自身の敗北も足りない。高町さんにとって、自分が傷つくことは決定的な喪失にならないらしい」

 

「やめてって言ってるでしょ!」

 

 すずかの叫びと同時に、観測画面の数値が底を打った。

 

 流出が止まる。

 

 小尾一の目が画面へ戻る。

 

「終わった」

 

          ◇

 

 闇の書の頁が、最後の光を吸い込んだ。

 

 白紙だった部分が文字で満たされる。

 

「蒐集、完了しました!」

 

 シャマルの声が通信に響く。

 

 なのはの胸元から、白い腕が引き抜かれた。

 

 緑の魔法陣が閉じていく。

 

「待っ……」

 

 なのはは手を伸ばそうとした。

 

 けれど、指先は何にも触れない。

 

 魔法陣は消失した。

 

 胸の奥にあった熱も、ほとんど残っていない。

 

 寒い。

 

 身体の内側が空洞になったようだった。

 

 呼吸をするだけで疲れる。

 

 立ち上がることなど、考えることもできない。

 

「なのは!」

 

 フェイトが叫ぶ。

 

 金色の魔力を爆発させ、シグナムの剣を弾いた。

 

 強引に突破し、屋上へ向かおうとする。

 

 だが、シグナムは追わなかった。

 

「目的は果たした。撤退する!」

 

 通信を受け、ザフィーラもアルフから距離を取る。

 

「逃がすか!」

 

 アルフが追おうとする。

 

 その足元へ、青い魔法陣が展開した。

 

 拘束鎖が立ち上がり、一瞬だけ進路を塞ぐ。

 

 シグナムはヴィータの傍らへ降り立った。

 

「ヴィータ」

 

「ああ!」

 

 ヴィータはグラーフアイゼンを握り直す。

 

 その視線が、一瞬だけ倒れたなのはへ向いた。

 

 白い少女は動かない。

 

 破損した赤い宝石を胸元へ抱き寄せるようにして、浅い呼吸を繰り返している。

 

 自分がやった。

 

 はやてを救うために。

 

 何も知らない少女を襲い、傷つけ、力を奪った。

 

 胸の奥に、小さな棘が刺さる。

 

 けれど、ヴィータはそれを無理やり押し込めた。

 

 今さら立ち止まることはできない。

 

「悪く思うな」

 

 それが、なのはへ向けた言葉なのか。

 

 自分自身へ向けた言葉なのか。

 

 ヴィータにも分からなかった。

 

 転移魔法陣が守護騎士たちを包む。

 

「待って!」

 

 フェイトが手を伸ばす。

 

 金色の斬撃が放たれる。

 

 しかし、届くより早く、四人の姿は光の中へ消えた。

 

 結界が軋む。

 

 閉ざされていた夜空に亀裂が広がり、静かな住宅街の景色が戻ってくる。

 

「なのは!」

 

 フェイトは屋上へ降り立った。

 

 バルディッシュを待機状態へ戻し、倒れたなのはを抱き起こす。

 

「なのは、しっかりして!」

 

「フェイト……ちゃん……」

 

「喋らないで。すぐに治療するから」

 

 フェイトの声は震えていた。

 

 なのはは薄く目を開ける。

 

 泣きそうな顔をしているフェイトが見えた。

 

 助けに来てくれた。

 

 それだけで、少しだけ安心する。

 

「ごめん……ね」

 

「どうして、なのはが謝るの?」

 

「また……心配……かけちゃった……」

 

「そんなこと、どうでもいい!」

 

 フェイトはなのはの身体を強く抱き締めた。

 

 壊れたレイジングハートが、二人の間で弱い光を放つ。

 

 やがて駆けつけたアルフが、悔しそうに空を見上げた。

 

「くそ……逃げられた」

 

「アルフ、連絡を」

 

「分かってる!」

 

 フェイトはなのはを抱いたまま、何度も名前を呼び続けた。

 

 夜空には、もう敵の姿はない。

 

 戦いは終わった。

 

 けれど、誰も勝ってはいなかった。

 

          ◇

 

 観測礼装の表示が、ゆっくりと安定していく。

 

 なのはの内部出力は危険なほど低い。

 

 身体への負荷も大きい。

 

 しかし、生命活動そのものは継続している。

 

「生きてる」

 

 小尾一が言った。

 

 すずかはその場に座り込みそうになり、机へ手をついた。

 

「本当に?」

 

「少なくとも、観測上は」

 

 すずかは胸元を押さえ、何度も息を吐いた。

 

 安心したわけではない。

 

 なのはがどれほど傷ついたのか分からない。

 

 けれど、生きている。

 

 その事実だけで、張り詰めていたものが僅かに緩んだ。

 

 一方で、小尾一は画面から目を離さない。

 

「これでも駄目か」

 

「……何が?」

 

「負けても、奪われても、高町さんは折れなかった」

 

 小尾一は、セフィラの反応を記録した領域を拡大する。

 

 そこには、起動の兆候と呼べるものすら残っていない。

 

「セフィラが、少しくらいは反応すると思ったんだけどね」

 

 その言葉に、すずかの安堵が凍りつく。

 

 なのはは敗北した。

 

 力を奪われた。

 

 恐怖も、苦痛も、喪失感もあったはずだ。

 

 それでも、セフィラは目を覚まさなかった。

 

「自分が倒れるだけでは足りない」

 

 小尾一が呟く。

 

「高町さんが本当に力を求めるのは、自分のためじゃない。なら、次に必要なのは――」

 

「まだ続けるつもりなの?」

 

「もちろん」

 

「なのはちゃんが、こんな目に遭ったのに?」

 

「こんな目に遭ったから、ひとつ分かった」

 

 すずかの顔から、表情が消える。

 

「小尾くん」

 

 静かな声だった。

 

 怒鳴るよりも、平手を打つよりも、冷たい声。

 

「私、やっぱりあなたのことが嫌い」

 

「知ってる」

 

「たぶん、今までで一番嫌い」

 

「それは困ったな」

 

 口ではそう言いながら、小尾一は困った様子を見せない。

 

 新しい記録欄を開き、観測結果を入力していく。

 

 自身の敗北。

 

 自身の負傷。

 

 魔力の強制的な喪失。

 

 いずれも、起動には至らない。

 

 自分自身が傷つくだけでは、足りない。

 

 必要なのは、守るべき相手を失う恐怖か。

 近しい人間の死。

 あるいは、目の前で死に瀕するほどの負傷。

 

 小尾一の指が止まる。

 

 画面の片隅で、なのはの反応が移動を始めていた。

 

 誰かに運ばれているらしい。

 

「次は、近しい誰かが死ぬか――少なくとも、目の前で死にかけるくらいは必要かな」

 

 すずかは答えなかった。

 

 答えられなかった。

 

 地下室に響くのは、観測礼装の低い駆動音だけだった。

 

 その夜。

 

 その夜。

 

 ひとつの星は敗北した。

 ひとりの観測者は答えを得られなかった。

 ひとりの騎士は、守りたい者の願いを踏みにじった。

 

 誰も勝者になれないまま、夜だけが静かに明けていった。

 

          ◇

 

 目を覚ましたとき、なのはが最初に見たのは白い天井だった。

 

 消毒薬の匂い。

 

 身体を包む柔らかな布団。

 

 規則的に鳴る医療機器の音。

 

 ゆっくりと視線を動かす。

 

 ベッドの傍らには、フェイトが座っていた。

 

 椅子に腰掛けたまま、なのはの手を握って眠っている。

 

 反対側にはユーノがいた。

 

 こちらは眠っておらず、なのはが目を開けたことにすぐ気づいた。

 

「なのは?」

 

「ユーノ……くん……」

 

「無理に喋らないで」

 

 ユーノが立ち上がる。

 

 その声で、フェイトも目を覚ました。

 

「なのは!」

 

 身を乗り出したフェイトの目には、薄い隈ができている。

 

「よかった……」

 

「フェイトちゃん……ずっと、いてくれたの?」

 

「うん」

 

 フェイトはなのはの手を握り直した。

 

「ごめん。助けるのが遅くなって」

 

「そんなことないよ」

 

 なのはは小さく首を振る。

 

 それだけで、身体の奥に重い疲労が広がった。

 

 力が入らない。

 

 魔力を動かそうとしても、空回りするような感覚しか返ってこない。

 

「わたし……負けちゃったんだね」

 

 フェイトの表情が曇る。

 

「今は、そんなこと考えなくていいよ」

 

「ううん」

 

 なのはは天井を見つめた。

 

 負けたことが悔しくないわけではない。

 

 もっと上手く戦えたのではないか。

 

 最初の攻撃を避けられたのではないか。

 

 相手の動きを、もっと早く読めたのではないか。

 

 考えれば、いくつも後悔が浮かぶ。

 

 けれど、それ以上に胸へ残っているものがあった。

 

「何も……分からなかった」

 

「なのは?」

 

「あの子が誰なのかも。どうして急いでたのかも。どうして、わたしの力を取ったのかも」

 

 最後まで、相手のことを何ひとつ知ることができなかった。

 

 言葉を届けることもできなかった。

 

 ただ一方的に倒され、奪われた。

 

「わたし、もっと強かったら……」

 

「なのは」

 

 ユーノが静かに名前を呼ぶ。

 

「今は休まなきゃ駄目だ。魔力は時間をかければ回復する。でも、無理をすれば本当に危険なんだよ」

 

「うん……」

 

 なのはは素直に頷いた。

 

 視線を、枕元へ向ける。

 

 そこには、傷ついた赤い宝石が置かれていた。

 

 亀裂の入ったレイジングハート。

 

 修復のため、外装の一部は取り外されている。

 

 なのははゆっくりと手を伸ばした。

 

「レイジングハート……」

 

 赤い宝石が、微かに光る。

 

『Request.』

 

 弱いながらも、確かな声だった。

 

「レイジングハート?」

 

 ユーノが驚いて振り返る。

 

「まだ完全には直ってない。無理に起動しちゃ駄目だ」

 

『New system.』

 

 短い言葉。

 

 けれど、そこに込められた意思は明確だった。

 

『I must become stronger.』

 

 フェイトが息を呑む。

 

 なのはは傷ついた相棒を見つめた。

 

 レイジングハートも、同じなのだ。

 

 自分が壊されたことよりも、主を守れなかったことを悔やんでいる。

 

 次は守りたいと願っている。

 

「無茶だよ」

 

 ユーノが困ったように言う。

 

「機構を大きく変えれば、今までより扱いが難しくなる。なのはの身体への負担だって増えるかもしれない」

 

『Request.』

 

 レイジングハートは繰り返した。

 

 なのはは両手で、傷ついた赤い宝石を包み込む。

 

 敗北は消えない。

 

 奪われた力も、すぐには戻らない。

 

 敵の正体も、目的も分からない。

 

 それでも。

 

 分からないまま終わらせたくはなかった。

 

 次に会ったときは、最後まで立っていたい。

 

 あの焦った瞳の奥に何があるのか、聞き届けたい。

 

 そして、自分の大切な人たちを守れるようになりたい。

 

「うん」

 

 なのはは傷ついた赤い宝石を、両手で包んだ。

 

「一緒に、強くなろう」

 

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