魔導書……それは、俺が今いるこの世界において絶対的な力だ。
所謂、成人への第一歩を踏み出す日――十二歳になる日に神殿で執り行われる『魔導書の儀』によって授かる、一人一冊だけの一冊だけの魔法の書。
その姿も力も、持ち主が秘める魔力によって決まると言われている。
改めまして、俺の名前は『ショウ・ユルガ』前世では『結城翔』という、ごく普通の会社員だった男だ。
そう、所謂――転生者ってやつである。
目を覚ましたらファンタジーっぽい世界で赤ん坊になっていて、それから十二年間、農家の息子として畑を耕し、種を蒔き、収穫する毎日を送ってきた。
正直に言おう。
しんどい。
身体が、って意味じゃない。身体の方は慣れた。
毎日鍬を振るっていたら、子どもの身体とは思えないくらい筋肉も付いたし、多少の重労働じゃ息も上がらない。
問題は心だ。
前世でデスクワーク中心の生活を送っていた身からすると、朝から晩まで畑仕事なんてブラック企業も真っ青な重労働である。
だからこそ、今日という日を、俺は誰よりも待ち望んでいた。
魔導書さえ強ければ人生は変わる。
優秀な魔導師として王都へ招かれる者もいる。
貴族に仕え、裕福な暮らしを手に入れる者もいる。
平民から一代で爵位を授かる英雄だって、歴史上には存在したらしい。
つまり今日は――人生一発逆転が懸かった運命の日だ。
「それでは汝、我が主より授かる魔の導の書を、その手に――」
厳かな声が、小さな教会に響く。祭壇の上には、俺以外にも同い年の子どもたちが並んでいる。
皆、緊張した面持ちだ。
……そりゃそうだ。
この世界では、魔導書がそのまま将来を決めると言っても過言じゃない。
農民のまま一生を終えるか。
それとも魔導師として名を上げるか。
その運命が、今この瞬間に決まる。
「……ショウ・ユルガ。前へ」
神官に名を呼ばれ、俺は一歩前へ出る。
胸がうるさいくらい高鳴る。
頼む。
チートでも、伝説級でも、神話級でも何でもいい。
せっかく転生したんだ。
農業生活も悪くはないが、できればもう少し派手な人生を歩ませてくれ………!!
そんな願いを胸に祭壇へ手を伸ばした、その瞬間――
眩い光が教会中を包み込んだ。
「……なっ?」
思わず目を細める。
周囲の子どもたちの魔導書が淡い光を放つ程度だったのに対し、俺の前に現れた光は桁違いだった。
まるで一つの太陽が生まれたかのような輝きだ。教会中が静まり返る。
神官ですら言葉を失い、目を見開いていた。
やがて光が収まり、一冊の本がゆっくりと俺の手の中へ落ちてくる。
「……黒い、魔導書?」
革張りでも木製でもない。
妙に薄い素材。しかし、その表面は何度も何度も黒い塗料を厚塗りしたかのような、不自然な質感をしていた。
まるで、本来の姿を必死に隠そうとしているかのようだ。
そして表紙には、この世界の文字ではない見慣れぬ紋様が刻まれている。
――いや。
違う。
これは見慣れぬ文字なんかじゃない。
俺だけが読むことのできる、日本語だ。
『闇ノ書』
そう書かれた魔導書が、俺の手元にあった。
「…………」
嫌な汗が背中を伝う。
そして、黒く塗り潰された表紙の端。
塗料の隙間から、うっすらと別の文字が覗いていることに気付いた。
『Campus』
「…………」
まさか。
いや、そんな馬鹿な。
嘘だろ。
頼む、違うと言ってくれ。
震える指で表紙を擦る。
すると黒い塗料が少しだけ剥がれ、その下から見覚えしかない青い表紙が顔を覗かせた。
その瞬間。
「…………エ゛」
嫌な記憶が、脳内で一気に蘇る。
あれはたしか中学二年……妙にレトリックに拘り、逆張りを重ねていた厨二病全盛期の放課後。
誰にも見られないよう部屋に籠もり、必死になって設定を書き続けたあの日々……今思い出すだけでも喉を掻っ切りそうな思いでたち。
世界最強の魔法や最強の主人公。
封印された邪神に詠唱、必殺技。
人はそれを黒歴史と呼ぶ。
改めてそれを突き出された俺は……弾けた。
「エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーッ!!」
教会中に、俺の絶叫が響き渡った。
俺は我を忘れ、神より授かったばかりの大切な魔導書を全力で地面へ叩きつけた。
鈍い音が教会に響く。
「なっ!? ショ、ショウ君!?」
「何をしている!」
神官や村人たちが慌てて駆け寄り俺を押さえつける……だが、そんなことは今はどうでもいい。
(なんでだよぉぉぉぉぉっ!!)
俺は心の中で絶叫する。
(なんで今になって昔描いてた黒歴史ノートが出てくるんだよぉぉぉぉぉっ!!)
そう、誰にもバレないようにゴミ袋に包んで封印したはずだ。今ごろはとっくにゴミ処理場で灰になっているはずだ。
卒業アルバムよりも、作文よりも、何よりも人目に晒したくなかった俺の暗黒時代。
それがよりにもよって、神から授かる世界で唯一の魔導書として転生してくるとか、誰が予想できる!?
なんでお前なんだよ!!なんなら前世で買ってたペットの亀のピーくんが転生してきてくれたほうが2億倍は嬉しかったぞテメェッ!?
だが、俺が絶望に打ちひしがれる一方で、周囲の反応は真逆だった。
「何という禍々しい魔力だ……」
「見たことがない魔導書だぞ……」
「もしや神話級……いや、伝承にも残らぬ禁書では……?」
どのような魔導書なのかという期待。あんな魔導書が持ててうらやましいという羨望。あまりの不可解さに恐れる畏怖。
あらゆる感情を込めた視線が、一斉に俺へと注がれる。
目の前の神官でさえ、感動したように震えていた。
違う。
違うんです。
それ、禁書なんかじゃありません。
ただの黒歴史ノートなんです!ただの痛い中学生の妄想なんです!俺の黒歴史がびっしり詰まった一冊なんです!
頼むからそんな眼差しで俺を見ないでくれ!本格的に死にたくなってくる!!恥ずかしいとかそんなのを通り越して……なんかもう……死にたい!!
結局俺はその日、黒歴史ノートと共にあられもない醜態を晒して村人や神官に取り押さえられたという。