「アキ君、本当にあの悪魔が言ったの? アメリカがまるでコミックのようなロボットを作り出そうとしているって」
公安の喫煙所。煙草の煙を気だるげにくゆらせながら、姫野が眉をひそめて隣の男を見た。
「本当にそんなものが出来るなら、さっさと悪魔を踏みつぶしてスーパーヒーローにでもなってもらいたいものだな」
アキは灰皿を見つめたまま、吐き捨てるように言った。
休憩中、二人は公安に隔離された『戦争の悪魔』の処遇がどうなるのかと、彼女が残していった不穏な言葉について考えていた。あの一時停止標識や高級外車を瞬時に兵器へ変えた等身大の驚異。その隔離部屋は、極めて特殊に、それでいて慎重に作られることになった。
アキが間近で見た戦争の悪魔の力は、あまりにも常軌を逸していた。触れたものを何でも自身の扱う兵器に変えるその権能。部屋に監禁される間際、そいつはあろうことか、挑発代わりに同行していた公安職員の頭を平然と引き抜いたのだ。
「谷口脊髄剣」
人間の頭部ごと引き抜かれた脊椎が、血飛沫と共に鋭利な骨の剣へと変形する。戦争の悪魔はそれを手放すこともなく、禍々しい骨剣を携えたまま、今も隔離部屋の中で静かに待機している。
アキにとって、戦争の悪魔は見過ごせない存在だった。能力的にも、思想的にも……そして、彼女の背景にある血塗られた繋がり的にも。
──『戦争の悪魔は、戦いを生み出す兵器の概念たる悪魔たちの母』
事前にマキマから知らされたその事実は、アキの心を激しく揺さぶった。
あの世界を絶望に陥れている『銃の悪魔』も、元を辿れば戦争の悪魔が作り出した子供に過ぎないという。それだけでなく、戦車の悪魔、空母の悪魔など、数々の兵器の悪魔たちが彼女を慕い、手足となって動く。
(ならば、こうして奴を隔離しておけば……銃の悪魔の方から母親を奪還するために、こちらへ迫ってくる可能性もある)
家族の仇の気配が、かつてないほど近くにある。
だが、アキは必死に昂る感情を抑え込み、冷静になろうと努めた……仮に銃の悪魔を誘い出したところで、今の自分たちに勝てる見込みは万に一つもない。独断で動くわけにはいかないのだ。
しかし、胸をざわつかせる要因はそれだけではなかった。
ここ最近の四課の面々は、この日本に、戦争の悪魔の到来と呼応するかのように……まるで『怪獣』とでも呼ぶべき巨大な災厄の概念がじわじわと迫ってきているような、言い知れぬ未知の圧迫感を覚えていた。
——
防壁に囲まれた薄暗い隔離部屋。
重厚な鉄扉の向こう側で、支配の悪魔──マキマが、静かに戦争の悪魔と対峙していた。
戦争の悪魔は退屈そうに首を傾げると、手にした骨の剣をマキマの首筋へ突き立てようとする。しかし、その刃がマキマの肌に触れる寸前、まるで見えない壁に阻まれたかのように火花を散らして弾かれた。
「マキマ脊髄剣……やはりお前には効かないか」
「私は……飢餓の悪魔を回収するように向こうには指示を送ったはずですが」
マキマは表情一つ変えず、冷徹な声で応じる。
「キガのことはいい。そんな呑気なことを言っていられるほど、今の世界に余裕があるか?」
戦争の悪魔はフッと凶悪に笑った。
彼女は自身の『戦争』という性質上、この日本という極東の島国で、間もなく歴史の天秤をひっくり返すような、とんでもない火種が蒔かれようとしていることを敏感に勘付いていた。
その血生臭い計画の全貌を、戦争の悪魔はゆっくりと、目の前の『妹』に対してのみ伝え始める。
「『マイナスワン計画』……日本を文字通り、何もかも失われた火の海に変えるような計画だ。これは我々悪魔にとっても、決して無縁じゃない内容だぞ、マキマ」
戦争の悪魔は、手にした骨剣の切っ先を弄びながら、愉悦を孕んだ声で言葉を紡ぐ。
20年ほど前、日本は人類絶滅の危機に直面していたらしい。
今を生きる人々には実感が薄い話だが、あの頃は染色体異常によって将来的に男性が産まれなくなるという、種の存続を揺るがす異常事態が起きていた。人類は存続のため、秘密裏に様々な実験を重ねていたのだ。
悪魔は時代に合わせて適応し、暗躍する。
当時の細胞実験によって目指された「女性だけの世界」の確立と、その細胞の変異によって怪人へと成り果てた一部の人間たちの戦い。
特定の地域で繰り広げられたその凄惨な歴史も、世界の裏側を知る者からすれば、まだ少し前の出来事に過ぎない。
あの時のマキマは、人々を、あるいは秩序を守る側の『ヒーロー』だった。
そして戦争の悪魔は、世界の均衡を脅かす『悪の怪人』だった。
それよりも前、旧時代から存在する悪魔たちは、常にこのように人類と表裏一体のようにして裏社会を生き永らえてきたのだ。
しかし、一つの物語が終わったかのように歴史が新しい方向へと進み、悪魔が本格的に活動する時代に到達した今なお、過去に存在した因果の流れが止まることはない。
細胞実験は、未だに水面下で進行している。
もはや実験の対象は人間だけに留まらず、あらゆる生命を巻き込んで繰り返され……その規模は『怪人』から、さらに巨大な『怪獣』へと変貌を遂げていた。
「巨大怪獣ゴッド・ジル……女神と名付けられたソレは兵器となり、日本をゼロに浄化し再生する。それがマイナスワン計画だ」
ビルよりも遥かに大きな怪獣が日本を破壊する、まさに映画じみた計画が進行していることを、戦争の悪魔は鋭く勘付いていた。
改造され、圧倒的な力で全てを蹂躙するために作られたそれは、もはや生物を超越した『兵器』そのもの。そこまで概念が戦争に近付き、進化を遂げれば、戦争の悪魔のレーダーに認識されるのは当然の帰結だった。
そして、ひとたびゴッド・ジルが現れ、人間が『怪獣』を現実の恐怖として心から理解すれば──今度は世界に、新たな「怪獣の悪魔」を作り出すことすら可能になる。
「ゴッド・ジルは試験運用のために、まず日本海を散歩させることになった。人間が多く移動する道が見えるようにルートを調節すれば、怪獣の悪魔は絵空事でなくなる」
言葉を区切り、戦争の悪魔は不敵に笑う。
その言葉を、マキマは琥珀色の瞳に冷徹な光を湛えたまま、静かに受け止めていた。
「……何故それを何一つ狂いなく断言できると?」
「私は人間共の思想で、浪漫だけは認めているからな。怪獣を作るなら、デカいほうがかっこいい」
戦争の悪魔は、まるで子供が玩具の性能を自慢するかのように、無邪気で、だからこそ底知れない悪意を滲ませて言った。
もし、このままマイナスワン計画が実行されれば、世界はどうなるのだろうか。
自衛隊が総力を挙げて動き、本格的な怪獣との戦争が勃発するのか。それとも、銃の悪魔のような世界を震撼させる強力な悪魔たちまでもが、その戦いの渦に巻き込まれることになるのか。
どちらにしても、戦争の悪魔の権能の範疇で起きようとしている出来事は、あまりにも規模が大きすぎる。それは、これまでのデビルハンターと悪魔の小競り合いなどという次元を、遥かに超越していた。
戦争の悪魔は、防壁の向こう側で佇むマキマを、挑発するように見つめる。
「さあどうしようかマキマ、これだけのことは公安のデビルハンターでも手がつけられなくなるぞ?」
「何を求めている?」
「チェンソーマンの力でも手が付けられないことは理解しているからな……そうだな、あれだけの規模なら私に北海道を寄越せ、北海道剣くらいならゴッド・ジルを死滅させられる」
戦争の悪魔は手を伸ばしてくるが、その手をマキマはあっさりと払い避ける。
わかっているからだ、こうして手を貸して北海道を犠牲にゴッド・ジルを倒したところで実験段階によってまた新しい怪獣を作り出し、今度は沖縄? 怪獣が作られては大陸が削ぎ落とされる。
つまり普通に相手するだけでも、諦めても無駄に終わる……普通に考えれば詰み。
そもそもマキマもわかっているのだが巨大怪獣は公共組織である公安でやるにはあまりにも規模がデカすぎる、日本総理大臣とかが軽く犠牲になっちゃいそうな感じがするので、一度別れる。
……まさかとは思うが、結託している?
(勇気の魔人ウルフリーの力を使えば可能性としてはありえる、しかし戦争の悪魔が……?)
マキマはすぐに連絡を入れる、その相手は……アネモネ及び死の悪魔に関してだった。
「もしもし、嬉しいねマキマの方からお姉ちゃんに連絡してくれることがあるなんて」
「戦争の悪魔がなんらかの計画を立てて巨大怪獣を日本に差し向けようとしていることと、米国でなんらかの巨大兵器を立てていることに心当たりは?」
「……うーん、あの子ってそんな特撮的な趣味はあったのかな、でもそれが事実なら私としてはまずい……分かった、なんとかしてみる」
アネモネからの通信が切れると、その時物々しい足音が響く。
まさか本当に来た? そうして双眼鏡代わりに動物の視界で景色を眺めていると……本当に怪獣が……?
「あーあ……どうしようかこれ」
これはもう、呆然のようなため息しか出てこなかった。
——
「なんか見えるなぁ」
その一方で呑気にしているデンジ、そろそろ周囲にも怪獣の姿が見えるのは時間の問題だった。
パワーも同じく呑気に眺めている、それが怪獣と分かるとファイティングポーズを構えるがデンジに止められる。
「あれって悪魔かぁ? それともまたマキマさんがいってた前時代的な敵って奴か?」
「あのトカゲみたいなものは有名じゃな、ティラノザウルスとかいうワシが生まれる前に自滅したザコ生物だ」
「なんとかザウルスだったら俺も図鑑で見たぜ、こういう時は隕石でも落ちてくりゃイチコロだがな」
まだこの陸地に近寄らないのだからやいのやいのと好きなように言っているが、その様子を後ろから拍手して現れたのがアネモネちゃん。
「それ面白いアイデアだね、いいかもそれでやってみよう」
「おっ、アネモネちゃんじゃん……何? マキマさんに呼び出された?」
「そういうこと、私としてもあんなのが暴れたら多くの人が死んじゃうからね、手を貸す事にしたんだ」
その言葉と共にアネモネが連れてきたのは、まるで料理人の女性のような風貌だが……首がない、あと色々とめちゃくちゃデカいし腕は何本もあり、そのうち2つが首無しの頭を支えている。
「紹介するよ、私が契約した『落下の悪魔』、この世のありとあらゆる『落ちる』という概念を司る悪魔だよ」
「この度はし……アネモネ様よりリクエストを受けて参上しました」
「じゃあもしかして……」
「うん、これからあの怪獣に向けて隕石を落としてみるよ」
かくして、落下の悪魔の力を借りた「隕石衝突作戦」の火蓋が切って落とされた。
宇宙の彼方には、星の破片だけでなくスペースデブリ──すなわち大量の人工物のゴミがあちこちを漂っている。落下の悪魔の権能をもってすれば、落とすための「素材」には事欠かないという。
あとはそれらの到達地点を正確に合わせ、遥か遠くに見える巨大怪獣の脳天に叩き込めばよし。
極めてシンプルで豪快な流れではあったが、アネモネはほんの少しだけ懸念すべき問題がある様子で、落下の悪魔に声をかけた。
「ねえ落下ちゃん。今回地獄に落とす魂は、あんな感じの大きな動物みたいなものだけど大丈夫かな?」
「いえ、お構いなく。地獄の料理人は食材を選びませんので」
落下の悪魔は多すぎる腕のうちの二本で自身の首無しの頭を支えながら、至って平然と応じる。その奇妙なやり取りを聞いていたデンジが、不思議そうに首を傾げた。
「悪魔が料理人やってんの? 店どこだよ?」
「地獄で無駄なく24時間営業をモットーにしております」
落下の悪魔はその恐るべき見た目に反して、本当に地獄でシェフを営んでいるらしい。そして職人気質ゆえか、「作った料理や食材を無駄にされること」を何よりも許せない性分であった。
つまりアネモネが気にしていたのは、落下の悪魔が怪獣を仕留めた後、その巨体をどう処理すべきかという『あとしまつ』の問題だ。料理人の悪魔が倒した以上、その肉をただの死骸として放置し、残すことは絶対に許されない流れになる。
アネモネは、デンジはともかくとして、偏食家のパワーがあの異形の怪獣をちゃんと残さず食べてくれるだろうかと心配そうに視線を向けた。だが、当のデビルハンターたちの反応は軽快そのものだった。
「あ〜〜、じゃあアイツぶっ倒れたらさ、唐揚げにしてくれよ!」
デンジが軽くよだれを垂らしそうな勢いで提案すると、落下の悪魔は恭しく一礼する。
「かしこまりました」
「おお! 唐揚げか! ならばワシが一番に食うてやるぞ!」
ひとまず後の解体作業はチェンソーの力を持つデンジが引き受けるという寸法になり、残飯処理(?)の懸念はひとまず脇に置かれた。一同は海の近くまで移動し、じわじわと迫る巨大怪獣を正面に見据える位置で準備を整える。
──しかし、いざ決行というその瞬間、誰もが予想だにしない異変が発生した。
遠方の海原を進んでいたはずの怪獣の巨体が、にわかに海面を離れ、そのままふわふわと空へ浮かび上がったのだ。
「あっ、あっ、怪獣が空を飛んでいくよぉ〜!?」
思わず素っ頓狂な声をあげるデンジ。しかし、アネモネは焦ることもなく「ああ、大丈夫だよ」と笑みを浮かべた。
「さすがにあの巨体を地面に置いたまま隕石を落としたら、地球そのものが危ないからね。だから落下ちゃんが先に『落とした』んだよ」
落下の悪魔は、重力を含めたあらゆる「落ちる」という概念そのものを司る悪魔だ。それは単に上から下へ物質を落とすだけに留まらない。重力のベクトルを反転させ、対象を「空に向かって落とす」ことも容易に不可能な話ではないのだ。
まずは怪獣を空へ向けて落下させ、遮るもののない上空で隕石を衝突させて一網打尽にする。それがこの作戦の本質だった。
大気圏の狭間で怪獣の巨体が完全に静止し、あとは狙い通りに宇宙のゴミや隕石を叩き落とすだけ。……となったところで、突如として天候が急変した。
「なんか、すげぇ雲行きの悪さじゃん。雨でも降りそうだけど、今から隕石が降ってくるんだよな?」
デンジが顔をしかめて頭上を見上げる。またたく間に空は禍々しい暗雲に覆われ、世界が夜のように暗転していく。
「ああ、あんなデカブツを無理やり引っ張っとるんじゃ、周囲の有象無象の概念も巻き添えを食らうわ。嫌でもどしゃ降りの大荒れになるぞ」
パワーがもっともらしく腕を組んで鼻を鳴らす。だが、その言葉の通り、迫りくる「どしゃ降り」の規模はあまりにも常軌を逸していた。雲の隙間から覗いたそれは、やけに巨大な質量を持った光の群れであり、しかも視界を埋め尽くすほどの規格外の数だった。
激しい大気の摩擦音と共に、宇宙の暗闇から引きずり降ろされた無数の星の屑とデブリが、真っ赤に燃え上がりながら空を覆い尽くす。
「ギャアアアアアアアアアア!?」
逃げ場を失い、空中に縫い留められた怪獣を代行するようにデンジが絶叫のような咆哮をあげる。
その日、日本海付近の空から降り注いだのは、恵みの雨などでは決してなかった。逃げ惑う怪獣の頭上へ、世界の終わりを告げるような超質量の隕石の群れが、文字通りの狂気的な「どしゃ降り」となって、まとめて一気に墜落したのだった。
……
——
「……何? マイナスワン計画が失敗に終わった?」
どこから電話してるのかもしらないが戦争の悪魔は現在の状況を察したらしい。
諦めたような、がっかりしたような……谷口脊椎剣も飽きたのかマキマの前で投げ捨てて、ふて寝を始めるがマキマは逃さない。
「アキくんはお前が寝ながら運転をしていて、タイムリミットといううわ言を話していたと聞いている……どういう意味?」
「どういう意味か……お前も薄々察しているんじゃないか? この結界のような、世界をやり直すようなものを何度も作り出してきたじゃないか」
戦争の悪魔とマキマは何かを察しているような形で言葉を繰り広げるが、戦争の悪魔が外を見せた途端に状況は一変する……隕石だ、すぐ近くに隕石が落ちてきている。
「なるほど死の悪魔にやらせたか……いや、今はアネモネだったか?」
「デンジ君にはまだまだ死んでもらわないと困るんだよね、私の望み通りの結果のためにも」
「……そのためには非現実の悪魔を殺し、勇気の魔人まで死んでもらうってか? まあ無理もないか、うざったいもんなあアイツ!」
黙示録四姉妹は何か……知っている。
ウルフリーの正体も、かつて非現実の悪魔が何と呼ばれていたことも。
タイムリミットを無視して殺し続ける。
そしてデンジもその度に死んで、歪んで、ちょっとやり直して再試行して……これで、13回目か。
だがこんなもの、ウルフリーのやろうとしていることに比べたらマキマの感覚では映画を観ているようなものと同じだ。
しかしひとまずは……この結果も見届けて次に行こう。
どうせ戦争の悪魔はまたここにいるし、またリメイクされて次はまた別のことが起きているかもしれない。
マキマは戦争の悪魔の横で寝転がる。
「ずいぶん余裕そうだな」
「私はもうそろそろ次のところに向かいたいだけ」
「ああなるほどそうかそうか、なら勝手にしろ」
戦争の悪魔もだらんと寝転がってマキマと添い寝しようとするが、さりげなくマキマが蹴飛ばして離れる。
……そして最後には、戦争の悪魔はうわ言のようにまたマキマに答える。
「……なあ、折り返し地点はともかくとしてまだ続けるのか」
「今更……ここで止まるわけにはいかない」
「私さ、はっきり言うぞ」
「飽きた」