支配の悪魔とマキマは瓜二つで定期的に入れ替わっている……この情報は公安4課で密かに伝わっていき、マキマを恐れているわけではないが今後の接し方も変わっていくことになるだろう。
一体いつどこでどちらに入れ替わっているのか全く判別がつかない、人間に近い見た目の悪魔は比較的友好的に相手してくれるという共通点こそあるが油断ならない存在であることを実感させられる。
冬の悪魔がもたらしたあの大吹雪は、ある日突然、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗さっぱり姿を消した。
張りつめていた絶対零度の空気は去り、凍りついていた公安本部の重厚な扉もいつの間にか溶け落ちている。時間はかかるだろうが、街は少しずつ本来の季節の感覚を取り戻しつつあった。
元に戻る——本当に、元に戻っただけなのだろうか?
「……妙だ」
アキはデスクの上で、戦争の悪魔が収容された時期に作成した「最近の異常事態に関する報告書」を読み返していた。
奇怪なのは悪魔が巻き起こす超常現象だけではない。この資料を作成した後に起きた出来事を含め、その全てに恐ろしいほどの共通点があった。
【悲劇や災厄が、唐突に『始まって』すぐに何の脈略もなく『終わり』を迎えて解決している】
まるで大型の台風が何事もなかったかのように通り過ぎていく感覚。そして安堵する間もなく、また新しい奇妙な出来事が始まる。運命の気まぐれか、あるいは何者かが舞台の幕を強引に引き下ろしているのか。
「何!? ニューヨークが倒壊!? 原因は怪獣……怪異!? 悪魔じゃないのか……!?」
遠い受話器の向こうから聞こえる報告に、アキは思わず声を荒らげていた。
今回起きた災厄の舞台は日本ではなくアメリカ・ニューヨーク。自分たち公安4課が直接関わるような距離ではない。だが、一人だけまったく他人事ではいられない奴がいた。
「おい、冗談だろ……!?」
頭を抱えたのは戦争の悪魔だ。
彼女は以前アメリカに滞在していた際、アメリカ大統領との契約により「己の死をカリフォルニア州の国民に肩代わりさせる」という保身を立てていた。つまり、アメリカという国家が致命的な打撃を受けることは、巡り巡って彼女自身の生命線を削り取られることを意味している。
しかし、原因が悪魔なのかすら判別がつかない現状では、マキマがわざわざ自分たちを渡米させる気配もない。
「アメリカの奴ら、密かにスーパーロボットとか作ろうとしてたし失敗したんじゃねえの?」
「実際の開発まではまだ10年はかかりそうか……」
呆れたように鼻を鳴らすデンジとアキ。
デンジは前回の「死の悪魔(アネモネ)に関する隠蔽」を重く見られ、デビルハンターとしては実質的な謹慎処分を下されていた。現在の仕事は、収容されている戦争の悪魔と死の悪魔の監視兼・話し相手。
言い方はマイルドになっているが、一歩間違えれば根源的恐怖や四騎士の機嫌を損ねて即死しかねない、命がけの「対話」という名の任務だ。
地下の待機室内、ガソリンの残り香が漂う中で戦争の悪魔はポツリと漏らした。
「公安4課の奴らも、このめちゃくちゃ具合が『支配の悪魔』と何か関係していることは察してきたか」
「そりゃな〜、毎日やっててそろそろ20回ぐらいとかになるだろ? 悪魔も見るけど変なのばっか起きてるからな」
「そうか、規模としては毎日だったのか……あまり他の奴らには言うな。マキマには先に言ったがあまり広められたらまた面倒になる。見ている私としては……飽きてきた」
戦争の悪魔自身は、巻き起こる奇妙な連鎖の直接的な原因ではない。
しかし、この世界の裏で『支配の悪魔』が何らかの目的——チェンソーマンの真の姿を引き出し、理想の世界を創り上げるという狂信的な目的のために、運命の盤面を動かし続けていることだけは理解していた。
だが、傍観している悪魔の立場から言わせれば、あまりにも冗長で進展がない。
5歩進んでは5歩下がり、破滅と巻き戻りを繰り返しているような不毛さ。
「支配の悪魔が途中で死んだりとかしないのか? キガ(飢餓の悪魔)だってあれから田舎で野垂れ死にしてるかもしれないし」
「姉妹の会話じゃねぇな……。じゃあさ、マキマさんと支配の悪魔を見分ける方法とかあんのか?」
ふとデンジが投げかけた疑問に、戦争の悪魔は退屈そうに金の瞳を巡らせた。
「支配の悪魔の特徴なら……かなり他人に無関心だから、よく観察すれば分かるぞ」
「無関心……?」
「奴はな、人間の『顔』をはっきりと覚えていない。人間なんて全員同じ有象無象にしか見えていないから、他人を判別するときは『匂い』だけで識別しているんだ」
つまり——支配の悪魔に対してだけならば、匂いさえ誤魔化せれば「誰であるか」という認識そのものを欺くことが理論上は可能だということ。
人間に酷似した姿を持ちながら、その内面は徹底して人間を人間として見ていない冷酷な悪魔。
影武者たる「マキマ」と、真の姿である「支配の悪魔」。二者は寸分違わぬ容姿で入れ替わり、公安4課の日常のすぐ隣に潜んでいる。
デンジにとって、今すぐその知識を使って誰かを騙す理由など何一つない。
けれど……次に廊下の向こうから歩いてくる「彼女」は、果たしてどちらなのだろうか。
アキは書類を閉じ、冷えたお茶を一口飲んだ。
理由のわからない怪獣の襲撃、噛み合わない世界の破滅、そして目測で何度も繰り返されている死の予感。
すべてが「支配の悪魔」の描く映画のシナリオ通りに進んでいるのだとしたら——自分たちは今、何幕目の舞台の上に立たされているのだろうか。
アキは戦争の悪魔から渡された手帳拳銃を開きながらしばらくの平和のうちに資料を読む、すっかり拳銃のように形が変異してしまったがつまんだら手帳のように読むことは出来そうだ。
その中には確かに数多くの単語が書いてある……例えば死、飢餓、戦争……姉たちも容赦なくここに書き込まれている上に覚えのある名称も数多くある。
それは恐ろしい戦争や、非道な実験、とある国の名前……それを全部チェンソーマンに消してもらおうとしている。
「チェンソーにそこまで大袈裟な力ねえよ、ポチタだって木ぃ切る為にしか使ったことねーぞ」
デンジのツッコミも最もなものだったが、アキは冬の悪魔の時に考えたことがある……。
チェンソーマンは大昔と比べて弱体化している、それは概念そのものが弱回っている……解釈の変化によるものだ、ポチタというアキが見たことない存在に関しても。
「お前はポチタと名付けていたな、その時はどんな見た目をしていた?」
「えーとなんつーか……犬? っていうか口が特徴的で、4足歩行で……まあカワイイ感じの奴だな」
デンジが思い出すようにポチタの絵を描いてアキがそれを眺める、ポチタの話はデンジから頻繁に聞いていたが悪魔のようなペット、命をつなぎ合わせた元々ヤバい奴という考えだったがチェンソーマンについて認識が変わった今なら別の結論を出せるだろう。
戦争の悪魔の通信を切り、煙草を吹かすように話始める……それはアキなりに、適当ではないがあくまで雑談程度にしかならないくらいの憶測で話すというアキらしくもない出来事の前触れだ。
「いいか、まず前提だが……その『チェンソーマン』というやつが悪魔ごと概念を消すことが出来る、これでもし……チェンソーを消せたら?」
「え? 自分で自分を消すってこと? なんで?」
「知らん、あくまで『なんでチェンソーにそんな力があるのか』って四課で考えた考察だ」
つまりはチェンソーマンは自分自身を食って、一時的にチェンソーの概念を消した。
しかし戦争の悪魔は言っていた、たとえチェンソーマンに概念ごと消されても人間などがまた同じものを歴史の中で作ることが出来れば蘇ると。
そして人類がチェンソーを開発したのは……調べてみると起源はいつ頃か不明確なところはあるものの、1830年頃にドイツの整形学者が作り出したとされている……その時は医療器具で手動だが、現在のエンジンを吹かして伐採する物が作られるようになうrまでここから100年ちょっとかかるという。
チェンソーマンが今の形として残っているのは……改めて作られたチェンソーが木を伐採する道具として作られたからではないのか?
つまり因果関係が逆、チェンソーは木を切る道具なのに変な力をチェンソーマンが持っているのではなく、転生した? チェンソーという道具が伐採する力しかなかったからデンジの戦闘スタイルもチェンソーで血みどろにぶちまけるのでは? という事である。
ただしこれは絶対に憶測から抜けない、どんなに考えてもチェンソーマンが自らを消失させた理由なんて思いつかないし勝たれる余裕もない、もしもマキマか支配の悪魔に聞かれるようなことがあったら……。
「確か、お前とチェンソーの悪魔の契約は……」
「ガキの頃からポチタには俺のやりたいことや幸せなことを話してきたからな……あの時ポチタは、俺の夢を見せてくれって言ってたっけ、だから今の俺がある」
充分な飯を食って、抱きたい女を抱いて、好きなもの買って……ここに来てからデンジのやりたいことは結構あるが、幸せを共有するために、一緒に想いを繋ぐようにポチタと一緒に生きている。
それが契約だった。
「……けどな先輩よ、実はポチタのやつが最近変なことを言ってきたんだよ、夢の中で」
「聞かせてみろ、マキマさんに伝えるかはともかくチェンソーの悪魔の情報はなるべく多く、役に立つか真偽性は後で考えて残しておきたい」
……
「……で、そんだけ捲し立てたらさ。急に視界がパーッと白くなって、気付いたら元の地下待機室でアキ先輩と冷えたお茶飲んでたんだよ」
デンジは頭の後ろで手を組み、椅子をガタガタと揺らしながら呆気らかんと言い放った。
タバコの煙をゆっくりと吹き出していたアキは、その言葉の途中でぴたりと手を止め、鋭い視線をデンジに向けた。
天国のような草原。眠った感覚すらない唐突な転移。そして——悪魔に呑み込まれ、夢の生活が終わったというチェンソーの悪魔自身の告白。
「……悪魔に呑み込まれた、か」
アキは呟き、手元の手帳拳銃を静かに机へ置いた。
先ほどまで頭を悩ませていた『世界規模で起きる理不尽な災厄と、その唐突な幕引き』。それがもし、自分たちの認識できない領域でデンジ(=今のチェンソーマン)が死を迎え、世界そのものが巻き戻された結果だとしたら——すべて辻褄が適合してしまう。
(目測で20回以上……いや、26回にも及ぶ『終わり』。俺たちが気付かない間にも、こいつは何度も死んで、何事もなかったかのようにこの日常へ引き戻されているのか……?)
あまりにも突拍子もない、だが背筋が凍りつくような推測。
しかし目の前のデンジは、そんな世界の命運など知る由もなく、鼻をほじりながら話を続けていた。
「ポチタの奴さ、急に冷めたこと言い出したんだぜ」
デンジはあの場所でのやり取りを思い返すように、天井を見上げた。
「どうやら私たちは悪魔に呑み込まれたようだ」
「マジ!? やべーじゃんどうなるの!?」
「私とデンジの夢の生活はおしまいになるね」
淡々と、諦めたように死を受け入れようとしていたポチタ。
周囲を見回しても、脱出経路を探そうとすらしない。まるで「映画のスクリーンが暗転したから席を立つ」とでも言いたげな、完璧な受容。
それがデンジには、どうしても納得がいかなかった。
「え……いやいやよかねーよこんな状況! 俺……結構モテはじめたぞ!? 色んな女に会ってきたし、身分証明書も作れたからケガしても病院行けるし、なんかすげー事まで起き始めたぞ!?」
せっかく手に入れた人並みの暮らし。やりたいことは山ほどあるし、呑み込まれたなら腹の中から引きちぎってでも這い上がる準備はできていた。夢バトル2回戦のゴングはまだ鳴っていない。
けれど、ポチタは静かに首を振ったのだ。
「それでもよかったんだデンジ」
家族のような存在ができ、悪魔相手でも『友達』と呼べる関係が生まれ、将来の可能性が開けかけた。
——なのに、ポチタは気づいていた。
「デンジはどこか幸せじゃなかったよね?」
「……あいつ、そう言ったんだよ」
デンジは苦笑いを浮かべた。
普通の幸せを知らずに育ったデンジ。極限状態の中でボロ小屋の腐ったパンを噛み締め、悪魔と血みどろで殺し合っていた頃の方が、むしろ脳汁が出て「生きてる」と実感できていたのではないか。
地獄のような環境の中でしか「天国」を見出せない——最悪で、けれど最高にイカれた脳みそ。
だが、デンジはその『ポチタの気遣い』すらも蹴飛ばした。
「余計やだよ! 俺までそんなの認めちまったら、ポチタにとっても一緒に過ごしたあの糞人生まで『あれで終わって良かった』って結論になっちまうじゃねえか!」
デンジにとって、ポチタと紡いできた時間は悲劇の思い出なんかじゃない。
自分が満足して終われるほど、安い人生でもなかった。
デンジがいて、隣にポチタがいて、さらにその隣に誰かが増えていく。これから本当の「幸せ」が何なのかを確かめるためのスタートラインに、ようやく立ったばかりなのだ。
「だから俺、叫んでやったんだよ!」
デンジは立ち上がり、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
「金が溜まったら……初めての海外旅行はニュージーランドって決めてたんだって! 牧場で育った羊のラム肉食って、日本に帰ったらさあ……卵かけご飯の専門店で醤油と卵までこだわる贅沢してえんだ!」
「そんでもって……デビルハンターしながらでも、ぬいぐるみ作る会社ぁ立ち上げて、悪魔にも効くカワイイ系のセカンドライフを送りてえって……最近になって思うようになったんだよ!」
一気に捲し立てたデンジは、「ふぅ」と息を吐いて椅子に深く座り直した。
「……で、そこまで言ったら元の世界に戻されたから、ポチタがなんて返事しようとしたかは分かんねぇままなんだ」
「そうか……」
アキは静かに煙草の火を消した。
デンジが口にしたバカバカしくも切実な「未来のやりたいことリスト」。
ニュージーランドでの旅行、こだわりの卵かけご飯、可愛いぬいぐるみの会社。
支配の悪魔や世界規模の災厄がどれほど絶望的な舞台を用意しようとも、デンジの生きる根源はいつだって極めてシンプルで、どこまでも泥臭い欲望と幸福への執着だ。
「だから俺さ、決めたんだ」
デンジは自分の胸に拳を当て、にやりと笑った。
「ポチタの言ったことが正しかったのかどうか、長生きして確かめてやる。どれが一番幸せだったのか、死ぬ間際に『勝った!』って言えるように、やりたいことを先まで考えて『幸せ』をかき集めて生きることにしたんだよ」
「……ハッ、お前がそんな先のことを考えるようになるとはな、そりゃ……支配の悪魔にも叩かれるわけだ」
アキは小さく鼻で笑ったが、その瞳にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
世界の幕が何度引き下ろされようと、運命がどれほど破滅へ導こうと。
この男が「生きて、美味いものを食って、バカな夢を見る」ことを諦めない限り、物語の本当のエンディングは誰にも横取りさせない。
「よし、じゃあまずは……その卵かけご飯の店、今度の休みに付き合ってやる」
「マジ!? やったぜアキ先輩! 一番高い卵頼んでいい!?」
「ダメだ、お前は1個100円の生卵で十分だ」
地下室に響く、いつも通りの他愛もない会話。
廊下の奥から近付いてくる誰かの足音を気に留めることもなく、デンジは未来の領収書を数えるように、爛々とした目で次の「夢」を語り続けるのだった。
——
デンジには……まだ将来がある、マイナスみたいな人生だったからこそ這い上がる気持ちが残っている。
アキは……自分にはもう無い。
あの日、銃の悪魔の手によって弟を……家族を滅ぼされてからは己の身をかけて復讐すると誓った。
幸いにも今は、戦争の悪魔がいる……銃の悪魔の大元。
ここからまた、何かいい情報を得たら……。
「そんなことしなくても、お前が一番チェンソーマンに近いんだから食ってもらえばいいだろ」
隔離室で戦争の悪魔が、本当に悪魔のような囁きをしたがアキはそれを跳ね除けた。
「苦しむところもなく悪魔をこの世から跡形もなく消し去ったら……これまでの俺の人生はどうなっちまうんだよ……」
「こだわりかねぇ……無駄だというのに」
「ほざいてろ戦争狂、お前が作り出した史上最悪の悪魔を殺すためだけに生きているデビルハンターは俺以外に山ほどいる」
「じゃあお前より先に銃の悪魔をぶっ殺した奴がいたら?」
「墓荒らししながらあの世で二度と復活できないように地の底まで沈めてやる」
「ふーん……そうか……実際私がここに隔離されているのもアイツを呼び寄せるためらしいしな、死の悪魔を解放しようとした冬の悪魔のように、黙示録の四騎士がただのエサだな」
吐き捨てるように彼女は嗤う、本当に気が立っていたならこいつは許せない存在だし……マキマや支配の悪魔がこいつまで消そうとしているなら、それよりも先に銃の悪魔を……そう考えている。
何より自分はデンジと違う、歩きながら今度は死の悪魔の方に行ってみると……。
「……なんとなく一目見た時から感じてたけど、貴方って長くないようだね」
「……死の匂いでも分かるってか?」
「この感じだと……カースの力を使ったの? 寿命をあんなにも使うのに……ああ、そういうことなんだ、この流れ……」
「……おいまさか、例の『タイムリミット』なのか……?」
「ごめんね、コレばかりは私でも避けられないから……デンジ君もすぐにそうなるよ」
「……待てお前! デンジだけは……」
「さよなら」
そうして、意識が闇の中へ消えていった。