カビと埃の匂いが充満する、廃ビルの一室。
デンジが重い瞼を開けると、そこは薄暗く不気味な空間だった。
「んあ……なんだここ……?」
デンジが体を起こすと、すぐ隣ではパワーが豪快に鼻をほじりながら壁にもたれかかっており、その反対側では天使の悪魔が怠そうに体育座りをしていた。
周囲を見渡せば、狭い室内にひしめき合っているのは人間ではない。
角を生やした者、顔面が異形のもの、人間に似て非なる異質な気配を纏った者たち——ここに集められているのは、そのほとんどが人型の悪魔や魔人だった。
彼らが困惑と警戒を強める中、部屋の正面に設置された大型モニターがノイズと共に点灯する。
画面に映し出されたのは、不気味な笑みを固定された一体の人型マネキンだった。内部にマイクでも内蔵されているのか、合成音のような不快な声が部屋中に響き渡る。
「ようこそ悪魔諸君、これから命を懸けたゲームを始めます」
まさにデンジが漫画で読んだことのあるような、古典的かつ趣味の悪い『デスゲーム』の開幕宣言だった。
既存の玩具や子供の遊びを残虐に改変した凶悪なルール。極限状態で試される人間性、裏切り、血みどろの生き残り戦——そういった要素を詰め込んだ滑稽な劇場の始まりになるかもしれない。
(……人間の悪意というのは、時として何よりも浅はかで愛おしいね)
その光景を、遥か遠くの執務室から『支配の悪魔』たるマキマは、人知れず冷ややかな瞳で見つめていた。
悪魔だけを集めてデスゲームを施し、その尊厳を打ち砕こうとする滑稽な人間たちの試み。
チェンソーマンという存在が持つ圧倒的な破滅のシナリオに比べれば、それはあまりにも矮小で、映画の前に流れるくだらない前置きのようだった。
デンジが「なんで悪魔ばっか集められてんだ……?」と首をかしげていると、彼のポケットの中で携帯電話がけたたましく鳴り響いた。
画面を見ると、相手は暴力の魔人だ。
『あ、聞こえてる? デンジちゃん? どうやら面倒な奴らに目を付けられたらしくてさ……え? 君も参加者なの? 参ったなぁ……』
スピーカー越しに聞こえる暴力の声は、いつものようにどこか呑気だが、周囲からはバシャバシャと水(あるいは血)を跳ね返すような音が聞こえていた。
『このデスゲームを仕掛けたのは【ヒューマンエラー】って名乗る過激派の人間団体さ。「悪魔よりも悪意を持った人間の方が恐ろしい」ってのをモットーにしててね。悪魔という存在そのものを否定して虐殺するために活動してるらしい。特に公安4課は悪魔や魔人を職員として使ってるから、相当目の敵にされてたみたいでね』
「へー、人間様が考えそうなことだぜ」
『僕らは別の部屋でビームちゃんやプリンシちゃんと一緒に参加させられてるんだけど……まあ、おとなしく血まみれになって殺されてあげるつもりは無いよ。堂々とルールに従いながら、内側からぶっ壊すつもりだからさ』
暴力の魔人は手短に状況を伝えると、「それじゃ、後でね」と言って一方的に通話を切った。
デンジの周囲にいるのは、デスゲームなら真っ先にノリで騙されて死にそうなパワーと、こういう極限状態でもハングリー精神ゼロで率先して命を奪おうとしない天使の悪魔。お世辞にも「頭脳戦」に向いたメンツではない。
「でもなぁ〜デスゲームってたまに頭使うんだよな、お勉強みたいなゲームだったら俺生きていけねえよ」
頭を抱えるデンジに対し、天使の悪魔は心底どうでもよさそうに息を吐く。
「君の場合はいいじゃん、それ(胸のコード)引っ張ったらまだ生きれるんだし血を補給することも簡単だから……僕は別に人間にどうこうとか興味ないのに……」
「ワシの場合せっかくのこの体がダメになるのがネックじゃが、ウヌも含めて死んだ所で地獄行ってまた帰ってくるだけだというのに無駄なものじゃな」
パワーもまた、爪を噛みながら退屈そうに鼻を鳴らした。
悪魔にとって「死」とは絶対的な終焉ではない。中身は変わっても地獄と現世を行き来するループの輪の中にいる彼らにとって、人間がわざわざ用意した「命を懸けたゲーム」など、何の威嚇にもなっていなかった。
「話しててもしょうがねえか。とりあえず、乗っかって進むっきゃねえな」
デンジが立ち上がる。
モニターの中のマネキンは、これから始まる「第一のゲーム」のルールを恭しく説明しようと口を開きかけていた。
——しかし。
「殺し合うために集まったなら少しは消した所で文句ねえだろ〜?」
ガツン、と鋭い衝撃音が部屋に響いた。
パワーが近くにいた凶悪そうな人型悪魔の頭部を、血で形成した巨大な金槌で容赦なく叩き潰したのだ。
「ぶははは! まずは準備運動じゃあ!」
「あ……おいパワー! ずるいぞ! 俺も公安の仕事として厄介そうな奴減らしとくってことでな!」
チェンソーのエンジン音が炸裂する。
ルール説明の最中、ステージ1が始まる前に、デンジとパワーは部屋の中にいた「害になりそうな悪魔たち」へ突撃し、その場で一方的な殺戮を開始した。
悲鳴と血飛沫が爆発し、廃ビルの一室は瞬く間に地獄絵図へと変貌する。
「いいのかなぁ……」
引きつった顔で呟く天使の悪魔の足元に、千切れた悪魔の腕が転がってくる。
ゲームの主催者である【ヒューマンエラー】が思い描いていたであろう「絶望と裏切りのドラマ」は、スタートラインに立つことすら許されず、力任せの暴力によって粉々に打ち砕かれた。
返り血を全身に浴び、赤黒く染まったデンジとパワーが、ドアをぶち破って奥の通路へと歩を進めていく。
「さーて! お勉強以外のゲームなら何でも来いよ手品師野郎!」
惨劇の跡に残されたモニターの中で、マネキンの顔だけが虚しく沈黙を守っていた。
(ふふ……やっぱり、君たちは期待を裏切らないね)
彼らが破滅へ向かうか、あるいは主催者ごと踏みつぶすか。
どちらに転んでも、映画としては上々の出来だ。
マキマは深く腰掛け直すと、血塗られたチェンソーマンの「日常」を、ただ静かに鑑賞し続けるのだった。
——
「それ拭いてよばっちいなぁ」
「ええ〜? お前だってなんかあったらこいつ飲めば回復するんだからちゃんと残しておく必要あるだろ」
「いや……なんか汗とか染み付いてそうな血で回復するの嫌なんだけど」
天使の悪魔がまともなツッコミをしているという異常事態、アキの事はまだ特別好ましくはないが普段からこんなイカれコンビを相手しているのだと思うと同情の気持ちも湧いてくる。
そうして門を開けると……そこにあったのは地獄絵図だった。
「うわぁ……」
そこにはボッコボコにされた人間が拘束されており、いかにも『餌』のように皿に乗せられている。
それが何個も用意されており、死んでいる者もいたが何故か直ぐ側でぶっ倒れている悪魔もいる。
「ステージ1は『我慢大会』……そこの悪魔にとっての餌に暴力を振るって死なせたものから始末していく……悪魔にそんなことが」
「つまり手を出したら負けか、まぁ俺らには関係ねえよなあ」
「別に僕ら好き好んで人を殴りたい衝動とかないからなぁ……苦しんで死んで欲しいとは思っても直接やるほどというか……アレ以外は」
この時すぐにデンジも天使も『こいつだったら絶対にやるだろうな……』という感覚でパワーを見る。
とりあえず人間より先にパワーをなんとかしたほうが早い気がするし、デンジが天使に手を伸ばす。
「ここでコイツらぶっ殺してもしょうがねえしさ、何ヶ月ちょいとかで良いからナイフ出してくれよ」
「あのさ、アレはあまり率先して使いたいような物じゃないんだけど……でもまあ後々面倒になるし……ごめんよ使わせてもらう、1年使用!」
天使の悪魔は人間の寿命を吸い取る力があり、その溜め込まれた寿命を武器に変換できる能力を持つ。
今回は最低限ギリギリまで留めてナイフを作り、縄を切って解放するのだが……パワーがじっと眺めている。
「で? 開放してこいつらどうする? コヤツらとても歩いて帰れるような大した脳みそしてるようには見えんし、こんな所で特にならない人助けはワシは御免じゃぞ」
「そこに関しては僕も少し同意かな……ただでさえコイツらみたいな奴らのせいで余計な面倒に巻き込まれてるのに」
「問題ね〜よ、ちゃんと使い道を考えているから助けたに決まってんだろ、助けてくださーい悪魔に襲われてまーすとも言えなくても生きてる以上は……」
デンジは解放した人間を持ち上げながら部屋を見る。
このゲームは誰か一人でも暴力を振るって死なせてもらい脱落させないと開かない……ということでデンジは……。
「持ってけええええ!!」
人間を力任せにぶん投げて別の悪魔の皿の方に渡すとそれを餌にする、するとどうだろう、自分達は傷つけてないのである!
忘れてはならないのはデンジは別に正義のヒーローではないこと……目的の為、私欲のため……どういう手段でも取れてしまうような人間だからこそデスゲームには向いている人材だった。
「よっし、次!」
——
ステージ2となる部屋まで辿り着く、ほとんどデンジ達が始末したのもあるが参加していた悪魔もこの段階で殆ど減ってしまった。
次のゲームとして待ち受けていたのは2つの道だった……入り口が悪魔の口と人間の真実の口のような形の入り口になっており、人間側の方は小さい上に周囲が飾りになっているのでなかなか入ることが出来ない。
「ステージ2、生と死の綱渡り……貴方達悪魔はこの道を進みますが、人間より先にゴールしてはならない……そして一度前進したらそこより先には進めません」
「要するに接待レースか」
天使の悪魔がせっかく考えたデスゲームのルールを簡潔にまとめてしまった、デンジが人間の方にワンチャンいけるのかと頭を突っ込んでみるとそのまま侵入することができてしまった。
「どうする?」
「まあアレも人間みたいなものだしアイツをすぐゴールさせればいいじゃろ」
ということで、デンジを人間側でやらせて自分達はダラダラ歩いてゴールすればいいという事になった……天使の悪魔が飛んでいれば特に動くまでもなく過ごせばいい。
悪魔側の道は皮肉のように天国のような、綺麗な草原のようになっており散歩感覚であっさりゴール出来そうな距離だった。
しかし問題はデンジの方だった。
「おーいデンジ、さっさとゴールしろみっともないぞ」
「い、いやそれなんだけど……進みにくいっていうかさ」
デンジの方もスイスイ進めたかと思えばそうでもない、何故なら人間側の道は……まるで例えるなら平均台のように細くて不安定、周囲も真っ暗でよく見えない。
ふらふらしそうに整えて、少しずつ歩くのが精一杯の様子だ。
「ゴールできねえ〜!」
足並み揃えるどころか共倒れもありえるような大きな道……もちろん、こんな中で進めるはずもなく。
「ぎゃああああああ!!!」
そのまま落下した。
「死んだのかあいつ?」
「まあ……多分落ちたぐらいならセーフラインでしょ、この下に人食いのアレとかいなさそうだし……」
なお二人は、デンジならまぁ回収すれば蘇生できるだろとしてそのまま放置して……遂に退場したままステージ2を超えてしまった。
デンジは多分このゲーム終わるまで落ちたままなのかもしれない、なむさん。
——
ステージ3と4をどのようなノリで超えてきたのかは推して知るべしだった。不条理な罠も不快なルールも、パワーの暴虐と天使の悪魔の徹底した無関心によって力任せになぎ払われ、二人は遂にファイナルステージの扉をくぐった。
広すぎる部屋の中央にポツンと置かれていたのは、古ぼけたブラウン管テレビと、それに接続されたビデオゲーム機だった。50年は昔の代物に見え、中身も外見も骨董品レベルだ。こんな場所で今なお動いていること自体が不気味であった。
「僕ああいうの興味ないから君一人でやっていいよ」
天使の悪魔は欠伸を噛み殺しながら壁際に移動し、体育座りでゆっくりと目を閉じた。
「ぬはは! ワシの天才的なゲーム腕前を見せてやるわい!」と息巻くパワーがコントローラーを握りしめる。
画面に現れたのは、粗いドット絵で描かれた覆面の怪物
プレイヤーはその怪物を操作し、逃げ惑う人間たちを倒してスコアを稼ぎ、ステージを進めていくという単純かつ不快な内容だった。
「死ね死ねい!」
パワーが乱暴にボタンを連打する。
しかし、パワーが遊んでいくごとに画面の様子が変容し始めた。
粗かったはずのグラフィックがプレイを重ねるにつれ、徐々に鮮明で生々しい質感へと変化していく。
——パチッ。
ノイズが走る。
ほんの一瞬、液晶のノイズの合間に『マキマ』の冷ややかな顔が画面いっぱいに映り込んだ。
直後から、ゲーム内容はさらに奇妙な形へと歪んでいく。
映画館のようなステージを超えたあと、画面に映し出されたのは——特務4課にとって最近覚えのありすぎる異常現象たちだった。
ちょっと天使が覗き込んだだけても分かる。
(これ……僕らの思い出……?)
霧に包まれたスーパーマーケット。
タヌキの居た山。
人と一体化した無人島。
そして、暗く落ちていく異世界の穴——。
自分たちの辿ってきた足跡を走馬灯のように巡るゲーム画面。その景色は次第に画面の枠を飛び出し、あたかもこの部屋そのものに迫り渡ってくるような凄まじい圧迫感を放ち始めた。歪む空間と迫る景色に、パワーが冷や汗を流したその時だった。
ズガンッ!!!
ゲーム画面の真下から、突然何かが猛烈な勢いで突き上げ、パワーの操作していたキャラクターに激突した。キャラクターは一瞬で破砕され、消失する。
それと同時に——バリィィィン!! なんて。
二人が入ってきた真後ろの分厚い扉が内側から大きく歪み、ドアの隙間から溢れ出すほど大量の血飛沫がバシャリと勢いよく飛び出してきた。
ここに来る直前のエリアで何かが強烈に巻き込まれたようだったが、扉は完全に固着しており、こちらから開けることはできない。確かめる術は何もなかった。
直後、ぷつんとゲームの電源が落ち、部屋に静寂が戻る。
そして、ファイナルステージの終わりを示す正面の扉が、ゆっくりと音を立てて開いた。
重い腰を上げた天使の悪魔とパワーがその扉をくぐり、外へと踏み出す。
しかし——廃ビルの中に閉じ込められていたはずなのに、扉を抜けた先の後ろには、それらしきビルや建物は跡形もなく消え去っていた。
そこにあったのは、ただのどこにでもある街の風景。
あのデスゲームは一体何だったのか。
【ヒューマンエラー】という人間団体も、結局最後まで顔を見ることはなかった。自分たちの暴力に恐れをなして逃げ出したのか、それとも——存在ごと跡形もなく処理されたのか。
ふと見やると、街路樹の陰にマキマが佇んでいた。
何事もなかったかのように静かな笑みを浮かべ、二人を迎える。
天使の悪魔としては、面倒事に巻き込まれてすっかりげんなりとした気分だった。
理由がどうあれ、解放されたのならもう気にすることではない。これでどうやら終わりらしい。
だが、マキマの後ろをついて歩く帰り道は、どうにも寂しかった。
何か色々と大切なことを忘れているような、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚。
(……この街は、こんなにも寂しく感じただろうか?)
隣を歩くパワーも、珍しく静かに爪を噛んでいる。
「ああ、そうだ」
マキマは突然足を止めると、沿道にあった見知らぬ一軒家へと静かに足を運び、その扉を開けた。
そして、困惑する家主に向かって一言。
「卵を分けてくれないかな」
その言葉を聞いた瞬間、天使の悪魔の背筋に、形容しがたい恐ろしい予感が走った。
【ヒューマンエラー】の理念は、人間が悪魔より恐ろしいのだと認識させることだった。
しかし、マキマのこの何気ない一言から始まった「何か」は……自分たちが体験したどんな惨劇やデスゲームよりも、遥かに圧倒的で恐ろしい出来事を引き起こすのだと、直感が告げていた。
——デンジ?
デンジは、まだ帰ってきていない。
——
「何……? お前、デンジと一緒に帰ってきたんじゃないのか?」
パワーが早川家に戻ってもアキがこの様子なので、デンジが先に帰っていたわけでもなさそうだった。
パワーも首をかしげ、マキマも苦笑しながら答える。
「私が見つけた時は、デンジくんはまだいなかったよ、それに何なら探すつもりもなかったから……彼なりに楽しく過ごしているようだし、邪魔をする必要はないだろうと」
「……はあ? マキマ何を」
「だから言ったでしょ、パワーちゃんがいるじゃないかって、早川くん、その言葉通りになったでしょう? デンジくんがいなくなっても、きちんと機能している」
何を言っている?
アキの眉間に皺が寄る。
デンジは今大事な存在だ。血の繋がりなんて必要ない、一緒に暮らしていればおそらく互い支え合うものになる……そういうものだと思っていた。それは否定された。
——その「家族」というものは、結局ただの代替可能なものに過ぎない。
パワーがいれば、デンジがいなくても早川家のバランスは保たれてしまう。
そして、今のところ自分はその現実を受け入れてしまっている。
それは間違いなく、アキの心の中に深く刻まれた亀裂となった。
「そんなこと言ってる場合じゃあなくて……」
アキが思わず声を荒げる。
しかし——突然、室内に割って入ってきたのは、消えてしまったはずの『非現実の悪魔』の声だった。
「『あのゲーム』の真似事はもう済んだのか……? 悪いがタイムリミットだ、ここで切らせてもらう」
そうしてマキマはいつものように、アキとパワーに向けてただひとこと。
「ばんっ」