胸の真ん中からチェンソーの爆音が鳴り響き、デンジの身体は瞬く間に元通りへと再生していった。破れかけた服の隙間から覗く肌に傷一つ残っていないのを確認し、首をゴリゴリと鳴らしながら立ち上がる。目測22回目の「死」からの生還だ。
岸辺はソファーに深く腰掛けたまま、呑みかけの缶ビールを喉へ流し込んだ。
「さて……体が戻ったなら、改めて本題に入ろうか」
デンジは自分の腕の調子を確かめるようにグーパーと開閉させながら、周囲の空気を探るように見回した。早川家の部屋には、相変わらず無数のカラーテレビの「目」が画面越しに外から注がれているはずだ。
「……先生。会話はマキマさんに聞かれてるってやつ、やんないのか? あちこちのテレビで見られてるからか?」
「その心配はない。その辺で捕まえた魔法使いの技術をパクったんでな。世の中探してみれば、妙な術を使う奴はいくらでもいる」
岸辺が淡々と告げると同時に、畳の端にうっすらと描かれた異質な紋様が淡く発光した。早川家の周囲には現在、視認性や空間の認知に改変を施す魔法陣のような領域が展開されている。
相手がどれほどの支配の力を持っていようと、一時的な暗幕を張る小細工としては上等なものだった。
息をのんで成り行きを見守っていた早川アキが、耐えかねたように前へ足を踏み出す。
「……岸辺先生。いつ頃から……マキマさんは何者かに入れ替わっていたんですか?」
「最低限で言えば最初に妙なことが起きた頃ぐらいだ。あの時点で手遅れだった、という答えになるがな」
アキの脳裏に、あの日の記憶が鮮明に蘇る。
突然、街を濃い霧が覆い尽くし、これまで見たこともない異形の化け物たちが蠢き始めたあの異常事態。あの瞬間にはすでに、目の前にいた「マキマ」は本物ではなかったのだ、その正体として心当たりがあるのは……。
「メイドウィン……?」
「何千万年も前には、そんな奴が世界を支配していたそうだ。……だが、ここまで調べて俺に見えてきたのは、ただの承認欲求に狂ったクソだな」
岸辺は吐き捨てるように言った。
『メイドウィン』——近年、「目立ちたがり屋」という一種の都市伝説のように、様々な事件の渦中のすぐ傍に現れていた存在。その行動原理は至ってシンプルだ。「自分が活躍する環境を整え、ヒーローとして脚光を浴びること」。
今回、その欲望をほぼ完璧に成立させるため、悪魔の力とマキマという絶対的な立場に魔の手が伸びた。主役を陰から支える「サイドキック」のように、常に騒動の軸となる者の隣に立つのが『目立ちたがり屋』の習性だからだ。
「アキ、お前はウルフリーという魔人を覚えているか?」
「……ええ。さっき言った霧の一件の少し後に日本に上陸したという『勇気の魔人』です。あの後も何度も面倒事を引き起こして、討伐任務が出されて……」
思い当たる節があったのか、デンジがぽんと手を打つ。
「あー、途中でマキマさんがあの優男をあっさり始末したのも、そういう作戦ってことか」
「そうだ」
岸辺は冷ややかな瞳で煙草を取り出した。
「ヒーローが気持ちいい活躍をするのに必要なものは分かるか……? 殴りがいのある『敵』を自ら仕立て上げることだ」
「目立ちたがり屋」は形態を変え、名前を変え、時代を越えながら学習を重ねていた。以前に何らかの対策を講じられた反省からか、今回はデンジたちデビルハンター側にとっても明確な「撃滅すべき悪魔」を意図的に用意したのだ。そして最終的には、マキマという絶対的な存在として自らそれを討伐し、完璧なヒーロー像を演じてみせる——すべては胸糞悪い自作自演のマッチポンプだった。
「そもそも、この世に『勇気の悪魔』なんて代物は最初から存在しない。あの二人……ウルフリーと現在のマキマは同一人物だ。ウルフリーが肉体で、今のマキマが奴の思想たる魂を憑依したようなものと言えば分かりやすいか」
アキは背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。
では——本物の「マキマさん」は、一体どこへ消えたというのか。自分たちが信じ、従ってきたあの存在は。
「こいつに言われて調べてみたら、あり得ないことにそいつがビンゴだった」
岸辺の目線が、デンジへと向けられる。岸辺は事前に、デンジだけにしか分からない形で「本物の手掛かり」を密かに送っていたのだ。
岸辺が静かに立ち上がり、奥の部屋のドアを開ける。
そこからトコトコと小さな足音を立てて歩き出してきたのは、見たこともない幼い少女だった。
アキはその顔を見た瞬間、激しい違和感と確信に打ち震えた。初めて会うはずなのに、なぜか直感的にその「本質」を理解してしまう。
小さな子供。だが、紛れもない悪魔。そして……あの底知れない「マキマ」の面影を強く残した顔立ち。
デンジは驚く様子もなく、その少女の頭にぽんと手を置いた。
「まさかデンジ、この子供が……」
アキの震える声に、デンジはいつになく落ち着いた、けれどどこか寂しげな眼差しで応えた。
「そうだな。こいつの名前はナユタ。正真正銘の『支配の悪魔』だよ……そんでアキも理解してるよな?」
「マキマさんが契約してるのが『支配の悪魔』ってことになってるけど、実際はマキマさん本人が悪魔ってこと」
身の毛がよだつような事実だが、一旦アキは受け入れなくてはならない。
まだこれで驚いているようでは自分は置いてかれてしまう……確信したがデンジはこの件について自分より察しているところがある。
——悪魔は死ぬと次代に移り変わり姿も変わる、マキマが万が一死んだ先がナユタ……そういうことだろう。
何故デンジがそれを知っているのか今すぐ問いただしたいが、それは後にするとばかりに目で合図を送った。
「俺のこともちゃんと話すからよ、あの野郎って結局何をしたのか説明してくれよ、俺ぁこの為に21回もマキマさんにぶっ殺されてんだからなぁ」
「21回……? さっきの22回目といい、何か覚えてるのか」
「そのあたりも含めて……まずアイツは『世界五分前仮説』の悪魔を支配した、そいつが人間には理解できないことを利用して中環地点を作る能力を細工した」
「ゲームのセーブポイントってやつだな」
あっさり言うと、マキマは特定の契約条件の元でループした……これから先7000というタイムリミットを掲げて、それが過ぎたらデンジを殺すことで直前まで時間が巻き戻り……その後に騒動を解決させる。
なんて言われ方をしてもアキには納得いかない、デンジを殺すことが事件解決の世界線となることが何も繋がっていない。
「意味はない、大事なのは結果を出すこと……事件を解決したという実績を残すことにあるんだ」
「だからってなんでデンジを殺すことを挟む必要が……」
「そういうもので……そもそも俺も疑問に思ってんだよな、どうしてマキマさんがあいつみたいになりてーっていうのか……」
「そもそもお前、そいつを知ってるのか?」
「おう、ちょっと色々あって……マキマさんがメイドウィンになるなら、前は個人的に歓迎してたけど……前?」
デンジはナユタを撫でながら……何か気付いたのか顔が青くなる、ずっと余裕してそうにしていた彼がまるで何か勘違いしていたことに気付いたというよりは、何か見落としていたような……。
「マキマさんのことだからなんかやらかすなんて思いもしなかったんだよ……なあアキ、助けてくれよ……マキマさんはとんでもねぇ勘違いしてるかもしれねえんだよ!!」
「かっ……勘違い!? どういうことなのか全部……いやそれだけじゃない!! お前もしかしなくても分かってて黙ってた情報が……」
その時だった、結界が破られるように紐が伸びていきデンジの首に巻きついて引っ張られていき外まで飛んでいく。
紐の先にはなんと、ヘリコプターで空から持ち上げているクァンシが見えた。
「よくやった方だが私の方が一枚上手だったようだな」
「まあどうせ最初に来るのはお前だと思っていたよ」
岸辺は狼狽える様子もなく手で構えを取るだけで結界が消え去っていき、軽く足踏みするだけで跳躍して屋根まで届きそのまま追いかけていく……年配の機動力と体力ではない。
アキは急いで車に乗ってそれを追いかけるので精一杯だった。
——
「ああ、ここは?」
「借りた、マキマの姉なだけはありこんな隠し部屋を持っていたとはな」
「ああー、アネモネちゃんから聞いたわけか」
連れて行かれた先は映画のスクリーン席、こんな場所で後ろにシアターが見える形で尋問を受ける形になっていたのがデンジ。
向かい合うようにクァンシ。
現在の状況を理解すると、まるでその時を待っていたかのように『映画』まで流れ始めた。
『チェンソーマン』が。
「私は男の尋問は趣味じゃないからあっさり済ませろ」
「おうよ、あっさり済ませると俺は前世の記憶っての……? いや、それこそ同じ経験を繰り返しているっつーのかな」
「ああ、ライトノベルとかでよくあるやつな……つまり、人生何週目とかか……なんでそんなものを?」
「ああ……多分アレだな、1回ポチタが自分自身を食って『チェンソーマンがいない世界』を作ったんだよ、そんで色んなことが夢オチになってなぁ……なんやかんやで思い出したんだけど、それ以来分かるようになったんだよ、あっループしてんな? って」
つまりデンジは最初から分かっていた……なんども繰り返される自分の周囲の物語のなかで、誰がどうなって何が起きるのか……問題は進めば進むほどめちゃくちゃな内容になっていったこと……メイドウィンが来たのは途中かららしい。
そうして何度も何度も奇妙な体験をして、今に至る。
クァンシも覚えがある、レゼの件で恋愛相談をした時……。
「そういえばお前、自己紹介もしていないのに私のことを知っていたな」
「まあそういうことだよ、レゼも結果的に今は死ななくてオーライかもしれないがちょっとな……」
「なんだ、覚えているならその通りにすればいい話たまろ、頭を使わなくていい」
「……いや、そうもいかねえんだよ……」
マキマが自分に何をしてきたのか、よく覚えている。
契約を断つために、幸せを与えてその上で壊す。
マキマは色々与えてくれた、そしてそれを全部壊す……間違いなく今回もそれをやる。
「俺がアキやパワーと仲良くなって、色んな思い出作って……マキマさんはやるだけやった後にぶっ殺しちまう、だからどうしたもんかとずっと悩んでいた」
「そんな気に入らないならマキマを殺せば?」
「……あのなぁ、俺でも覚えてるような事だぞ? マキマさんは支配の悪魔で、こんなすげーことを実際やってのけたんだぞ?」
「ああなるほど……知りたいことはだいたい理解した、あいつに代わるぞ」
クァンシは聞くだけ聞くと……席を立って観客席の方、映画の方に向いて岸辺と交代する。
「全部聞かせろ、絵空事で終わった方を」
「おう」
デンジは話した、クァンシ含めた海外から色んな刺客に心臓を狙われたり、色んなやつが死んだり……マキマがチェンソーマンを復活させる為にあらゆる手で仲間を死なせて……チェンソーマンに一手遅れて敗れることになり……どうにかデンジはマキマを超えて、ナユタと会った。
その後にも色々面倒が起きた、戦争の悪魔が『アサ』という女性と接触したり、まだまだ心臓を巡る争いは続いたり……。
しかしそれも最終的に飲み込まれて、チェンソーマンという……と、さっきクァンシが語った所に続く。
「なるほど……で? 連れが何度も死んだことを覚えてた気分は?」
「泣きたくなるとかそういうのは思ったよりなかったなぁ」
「そうか、それでいい」
岸辺は黙々とデンジの話を聞いて……ようやく本題に触れるかのように目を見た。
それだけでデンジも察せられたのか、素直に話始める。
「……俺さ、ずっとマキマさんをどう突破するか? って考えてたんだよ、情報戦とかそういうの俺苦手だからさぁ、同じ手が通用しない」
「どんな手を使ったのかはともかく、それを何故今更になって焦る? 時間がないわけでもねぇだろ」
「今更なんでメイドウィンなんて目指すようになったんだ? って思ったんだよ……そりゃ俺も昔なら歓迎してクラッカーでも鳴らしたんだけどなぁ」
「創造する者こそが正しい……か」
岸辺は少し話すだけで、デンジに言われるまでもなく答えを導き出したようだ。
すっと立ち上がりクァンシの後ろの席に座ろうとしたが前からポップコーンが飛んできたのでさらに右に反れる。
岸辺は去る前に一言……。
「マキマの記憶とお前の記憶は一致していない」
——
階段を上がると、アネモネのいたあのレンタルショップ……しかし、全部理解してからはビデオも何一つなくなってしまい、そこには非現実の悪魔の亡骸が未だに残り続けていた……悪魔なのに彼だけが残り続けている。
しばらく眺めていると……いつの間に公安から抜け出したのか、死の悪魔、戦争の悪魔……そして飢餓の悪魔、マキマの姉3人が揃い踏みだった。
「酷いなデンジ君、最初からマキマも私のことも知っててつるんでいたわけね」
「どっちかって言うと戦争の方だけどな、前は『ヨル』とか言ってたっけ」
「名前なんてなんでもいい……おい、マキマは何をする気なのかだけしっかり教えろ」
戦争の悪魔の聞きたいことも最もだろう……デンジはそのまま、ふざけた様子もなく淡々と答える。
「マキマさんは世界をちゃんとするために神様になる気なんだよ」
「はあ?」
何を言ってるんだとでも表すような戦争の悪魔の腑抜けた返事が飛ぶが、死の悪魔は眉一つ動かさず制止してデンジの方を見る。
「非現実の悪魔を殺したのは、デンジ君だよね」
「ああ、あいつは間違いなくあのクソ野郎だからな……すげぇ簡単に言うと、メイドウィンの宿敵」
「ライバル? なら生かしておいたほうが有利だっただろ、私が武器にでもしてやったのに」
「やだね」
デンジは三姉妹にも異世界の話をする……空っぽの異世界、それは一度『負けて滅んだ奴ら』が帰る場所。
そこでデンジも議題に参加した。
その内容は『☓☓☓☓☓☓☓』に今後も味方するかどうか。
「あの優男が『目立ちたがり屋』とか言われてるようになぁ、あいつも何度もこの時代で顔を変えて出てきてんだよ、記憶は消えてるけど……」
「じゃあ余計に味方じゃないの?」
「いや」
デンジは項垂れるように空を見て、ぽつりと呟いた。
「俺はよく知らねえやつだったからテキトーに従ったが、最終的な結論は従わないになった」
付き合いきれない、もう関わりたくないという形での決別。
そうして一同は異世界に籠もって『彼』と別れを告げたが……デンジは記憶を保持しているので悪魔の時代が始まった後にここに来てしまったらしい。
そして状況を調べていくと、例のウルフリーと非現実の悪魔の正体たる存在が何度も姿形を変えて相変わらずのことをやっていること。
ただし、二人はその世界にとって完全な部外者であるため元の世界達の空気感でも浮いた存在になりつつあることを。
そこでデンジは非現実の悪魔の方で考えた。
記憶戻っちまったら面倒だからその前にぶっ殺しとく。
「俺ぁこのやり方でいって、生きている間はずーっとこれやってく……どーせ今回の変なあれこれみたいなこと起きるしな」
「何が起きるのか……まではあくまで聞かないでおくよ、私たちに頼みたいことはある?」
デンジは考え込んだ後に3人の方を見る。
「契約すっから俺の普通の人生を見届けてくれない?」
それは……あまりにも奇妙だが、変わっている発言だ。
見方によっては悪魔への契約というより愛の告白みたい発言だが、それでもちゃんとした意味で答えている。
それに対して死の悪魔は……。
「わかった、私たちが責任持ってデンジ君の大事な物は守るから、マキマのことはよろしくね」
こうして3人とも別れる……映画のクライマックスに近づくようにようやく終わりが見えてきた。
デンジも次に動くことを考えなくてはいけない、クァンシと岸辺がメイドウィンという概念の討伐のために動いていることだろう。
だが、デンジはどうするのか……。
「これも前と似てんだよなぁ」
アネモネから聞いた話と照らし合わせる。
メイドウィンも、マキマも、共通点は『理想のハッピーエンド』を求めているということ、その為に邪魔になるものを消し去ろうとしたこと……この世にあってはならない概念と、世界を救う英雄。
「まあ、だったら仕方ねえ」
デンジは悪魔の部分で走り出す、どうしようもないときの為の力を駆使してマキマの元へ。
そして……
「よっ、マキマさん、久しぶり!」
マキマは……、あの場所でカラーテレビに囲まれながらまるで何事もなかったかのようにこちらを振り返る。
表情に驚きはない。むしろ、すべてを織り込み済みだとでも言いたげな、薄い微笑みを浮かべていた。
「やあデンジくん。ある意味では久しぶりって言うけど、私にとっては今日はまだ足りない気分だよ」
「そいつはご苦労さんだなぁ」
「でも、おかしいね。私は君との『物語』を何度も書き換えてきたつもりなのに、君は必ず私の想定を超えようと生意気になる」
デンジは鼻で笑いながら、マキマの隣を並んで歩き始める。
それはチェンソーマンがマキマと決戦を始める時……あいつがマキマに対して言い放った決別に近い言葉。
「マキマさん、アンタの作る最高に超良い世界にゃあ糞映画はあるのかい?」
その言葉を聞いて……マキマも微笑むように顔が変わる。
「やっぱりデンジ君ならそう言うんだ……」
やはりデンジの想定した通りだ、マキマもやはり……同じ歴史を繰り返している。
「私は……面白くない映画はなくなったほうがいいと思うけどね」
なら、もうここではっきりしておくしかない。
デンジは終わりを告げるように、23回目の死を拳銃で弾いて見せつけながら変身を行う。
「うーん……じゃ、やっぱ終わらせるしかねーな」