デンジが間一髪のところで日本へ帰国を果たせたのは、ひとえにマキマの姉を名乗る謎の少女──『アネモネ』の気まぐれによるものだった。
あの後、大海原に叩きつけられて雑に死を迎えたような夢を見たデンジだったが、気がつけば公安の医療室のベッドの上だった。
復活早々、デンジはマキマのオフィスへと呼び出されていた。
未知なる南国の島で起きたこと、勇気の魔人ことウルフリーが「銃の悪魔」を「自由の悪魔」と呼んで連れ去ったこと、そしてビームも証言した「チェンソーマンが食べた概念は世界から消える」という能力の真実。デンジは頭を掻きむしりながら、必死にマキマへ伝えた。
すべてを静かに聞き終えたマキマは、机の上で指を組み、ただ一言だけ冷ややかに告げた。
「私には姉さんなんていないよ」
その声はいつも通りの穏やかさを含んでいたが、瞳の奥にある螺旋の模様は、凍りつくような拒絶を孕んでいた。
これまで公安で仕事をしてきて、デンジはマキマのあんな顔を見たことがなかった。いつも余裕を崩さない彼女が見せた、明確な不快感。
赤の他人ではない、しかしマキマの態度は何かを隠し通したいような感じもしない。
……アネモネとは、一体何者なのだろうか。
「……まぁ、それはさておき。デンジくん、最近働き詰めだったでしょう。明日は一度お休みをあげるよ。その代わり、軽いお使いを頼まれてくれるかな」
マキマはそう言って、何枚かのレンタルDVDと、手書きのメモ、そしてそれなりの額の紙幣をデンジに差し出した。
メモには、どこか寂れた路地裏にあるレンタルショップの地図と、次に借りてくるべき映画のタイトルがいくつか並んでいた。
翌日。デンジはマキマから貰った地図を頼りに、古びたレンタルDVD店へと足を運んでいた。
カウンターで返却の手続きを済ませ、メモに書かれた通りの映画──どれも聞いたこともない古いB級映画ばかりだった──を探して棚を物色していると、背後からひょっこりと顔を覗かせる影があった。
「あ、チェンソーくん。やっぱりマキマのパシリをさせられてるんだ」
「げっ……確か名前は……アネモネちゃん、だっけ」
「そうそう、覚えててよかった」
そこにいたのは、エプロン姿でDVDを片手に持ったアネモネだった。あの気球の爆発からどうやって生き延びたのかは分からないが、彼女はここでバイトをしているらしい。
「お前、ここで何してんだよ!? っていうか、マキマさんに訊いたぜ。『姉貴なんか居ねえ』ってよ。お前ら、実際仲悪ィの?」
デンジの素直な疑問に、アネモネはクスクスと、しかしどこか寂しげに笑って肩をすくめた。
「私の目から見ても、マキマがお姉ちゃん達をよく思ってないのは分かるね。私を含めて3人のお姉ちゃんが上にいるけど、顔も見たくなさそうで、仕方なく離れ離れに過ごしているんだ」
アネモネはDVDを棚に戻しながら、淡々と家族構成を語りだした。
「三女は恋人が居るという米国(アメリカ)に住んでいてね、次女はたまに私が連絡を取っているけど、ほぼ見かけない。そして長女の私は、四女のマキマがどうしても気がかりだから……こうして彼女が映画を借りに来るレンタルショップでバイトをしながら、フリーでデビルハンターをやっているんだよ」
「ふーん……。んじゃ〜、そこまで壊滅的に仲悪ぃわけじゃないのか? 嫌いなら、借りる店なんてここじゃなくてもいいはずだしな」
「ふふ、どうかな。私がここで、特別な映画を取り寄せてるのもあるからね」
アネモネはそう言って、カウンターの奥から一本の、ラベルの剥がれかけたビデオテープを取り出した。
「特別な映画?」
「何年も、何十年も前に、この世界からは色んな物が消えすぎちゃった。でもね、チェンソーくんに食べられて消えた概念だって、復元する手段はいくらでもある事が分かったんだ」
アネモネの螺旋の瞳が、妖しくきらめいた。
「実はね、一度『核兵器』は悪魔ごとチェンソーマンに食われて消滅したんだよ。だけど、再度その概念は蘇った。……数年前、米国(アメリカ)の方で動きがあってね。人間の頭脳が、感覚的にもう一度核兵器の開発に成功したんだ。つまり、もう一度人類が同じものをゼロから作り出すことが出来たら、その概念と共に悪魔も世界に復活する仕組みらしいんだよね」
「はえ〜……。食われても、もう1回作れば出てくんのか。悪魔ってのは、しぶといんだな」
感心するデンジの頭を、アネモネはまるで子供をあやすように優しく撫でた。
「事情は明かせないけど、私たちお姉ちゃんは、この世界から消えて欲しい物があると同時に、『無いと困るモノ』もそれなりにあると思っているの。それを私たちは、人類を導いて、世界を上手くコントロールしていきたいんだ」
「よく分かんねえけど、マキマさんと同じで、お前もすげえ真面目なこと考えてんだな」
「マキマと一緒にするとまた怒るよ、あの子はちょっと過激だから」
アネモネはウインクすると、マキマのメモにあった映画のディスクと一緒に、そのラベルのない謎のビデオテープをデンジのバッグに滑り込ませた。
「これはお姉ちゃんへの私からのプレゼント。ちゃんと、一緒に渡してね」
アネモネから手渡された映画の束を抱え、デンジはその日の夕方、マキマのマンションへと向かった。バッグの中に仕込まれたその「仕掛け」が、どのような映画(未来)を上映することになるのか、この時のデンジはまだ何も知らなかった。
マンションのインターホンを鳴らすと、出迎えてきたのはふわふわの大量の犬がデンジ達を取り囲むが、口笛が聞こえると犬達はまた部屋の中に入っていき……いつものスーツではないマキマの姿が見えた。
「あっども、これ言われた通りに手に入れてきました……ああ……それとあの、あんま見たくないなら無理にとは言わないので……」
「ふぅん……粗方知ったのかな? いいよ、ちょっとだけ話そうか」
マキマはそう言って家の中に招き……デンジはあまりの出来事に理解できなかったがもしかしなくてもめちゃくちゃ凄い事を言われたことに気づいてめちゃくちゃびっくりしてしまうが……言われた通りに中に入っていく。
マキマはトートバッグからディスクを1枚ずつ確認してテレビの近くに置いていき……すぐにアネモネが仕込んだビデオテープに気付き、説明を求めるような顔をしている。
「あ〜……そいつは……あの、例のがサプライズプレゼント〜って、でもこれなんなんですか見たことねえ形ですけど」
「DVDよりずっと昔に映像を映したものだよ、しかしそうか……これをね」
「もしかして見れないとか?」
「大丈夫だよ、まだ生きてるビデオデッキはあるはずだから……それよりもデンジ君……敢えてこう呼ぶけど『アレ』はアネモネと名乗ったんだね?」
「ええ、確かまあ」
「だったら……気をつけたほうがいいよ、特にあいつは公安にも隠して沢山の悪魔を飼っている、牙を剥くようなことがあれば……」
「その時は……悪魔なら10体でも100体でもどんとこーいの気持ちだけど」
「そっか、頼もしいね……じゃあまた職場で」
「はい」
このままマキマの部屋にたまりっぱなしなのも失礼なので軽く一礼の覚えたばかりの作法でお辞儀して去っていく。
ビデオテープを電源もついていないデッキに挿入するとひとりでに動き出してテレビにアネモネと……頭部が白黒テレビになっている大柄で侍のような体の悪魔が並んでいる。
マキマは他の映画より先に……ずっとそれを夢中に眺めていた、この悪魔は恐らくアネモネの手中にある。
「自己紹介させてもらうか……ちょっと記憶が戻ったが一旦俺はこう名乗らせて貰う」
『非現実の悪魔』
——
その日の晩御飯、デンジは一旦アキにアネモネの事だけを話して相談というか雑談になり……アキも内容が内容で公安的にも他人事ではないのでしっかり聞き入れてくれる。
「なるほど、まさか本当にマキマさんに姉がな……」
「実際なぁ……悪魔だったらいくらでも遠慮なくやっちまえるんだけどなぁ……ちょっとなんか意識して頭がこンがらっちまうってか」
「……あの人もあの人なりに個人的な問題があって、それに俺達が突っ込むのも野暮ってものだ、それを選択するのはマキマさんで俺達はそれに従う、それで充分だ」
兄弟姉妹の事となればアキも思う所は多少あるのかデンジに対して普段と違い、気遣うように諭すようにデンジにフォローを入れる。
いつか自分達はマキマの姉妹喧嘩に巻き込まれるのかもしれない、デンジに躊躇いがそこで僅かでも産まれたら……。
となると気になるのは、そのアネモネが個人でデビルハンターをしながら悪魔を複数使役しているということも、堂々とマキマの生活範囲に混ざっている事もお互いに気になる。
今はパワーも晩飯まで熟睡しているので話に割り込んでくることも無いので邪魔されずに話が出来る。
「そのアネモネという人が働いてるレンタルショップ、俺が行って問題なさそうか?」
「ああ……別に公安やデビルハンターがイヤとは言ってねえし、けどお前んちDVD見る機械ねェじゃん」
「あの手の店なら大体漫画も置いてあるだろ、2冊までなら許す」
「お〜……ってなんかある意味仕事だから素直に喜べねえんだけど、第一2冊だけだったら全然没入できねえし」
「世の中いくらでもあるだろ2巻で終わる漫画なんて」
グダグダ文句を言いながらもとりあえずまた、あの店に行くことに決まった2人。
とりあえず今は飯食ってその日はそれでよしと過ごすことにして、デンジはパワーを起こしてアキが晩飯の炒飯を出す。
パワーを連れて行くことになるのは確定だが、一体どれだけ面倒事になるのか……だけは今考えないことにした。
——
「レンタル〜? つまり返せというのか? 何故ワシの金で出して手に入れたものをわざわざ店に戻す必要がある、ワシが買ったものをどうしようがワシの勝手ではないか!」
「買ってないんだよ、権利は向こうにあるものを一次的に金出して譲ってもらっているだけだ」
翌日、レンタルショップの商法に文句を言うパワーをなだめながらデンジの言われた通りの店に行く。
ゆっくりと自動ドアを開けた先に居たのは……マキマだった。
「……考えることはお見通しってわけですか、すみません」
「そんなつもりじゃないよ、デンジ君に余計なことを吹き込むようなら……この店にお灸を添えに来ただけ」
そのマキマの右手には穴の開いた古いテレビのような物が握られており、カウンターの方にぽいっと投げ捨てられるが……スタッフルームからまたすぐに同じ顔の存在……『非現実の悪魔』が姿を表す。
「いらっしゃい……」
「悪魔……? ずいぶん呑気に店員気取りしているが、例のアネモネと契約しているのか?」
「まあ……多分そういうことだな、しーちゃん……お前らがアネモネと呼んでいる其奴はなるべく多く概念を復活させたい……そこで非現実の悪魔である俺が必要らしい」
非現実(フィクション)……近頃は人々の発想力も豊かになったからこそ、人は存在しないものさえも恐れるようになった。
現実が見えない事から生まれる新しい非実在の恐怖心、それが非現実の悪魔らしい。
アネモネは彼と契約した……となれば、デビルハンター達が手を組む際に何か代償があるように何かしらの制約があるはずである。
それをアキが勘ぐっていると、非現実の悪魔も素直に答える。
「存在しないものをはっきり存在しないって証明するには見てもらう必要があるだろう? あまりにもあり得ないなって判断してもらうために誰かに見てもらう必要がある」
「だから彼はこうして存在しない映画を少しずつ生み出しては借りさせて鑑賞させている、存在しないとされたモノを各地に蔓延させるためにね」
「それって雇い主のマキマのアホ姉とやらに押し付けてはいかんのか?」
「アネモネ……『しーちゃん』はダメだ、あの人はチェンソーマンが消したものをしっかり覚えてる、覚えてないからこそ他人じゃないとダメだ、例えば勇気の魔人が言ってたメロンとか……必要なものは多い」
「…………」
非現実の悪魔は言うだけ言った後にカウンター席に戻り、顎をカウンターに押し付けることでまるで一種のアンティークのような振る舞いになる。
アネモネとはどんな関係なのか、はっきりとしたことまでは聞き出せなさそうだったが……マキマがいる以上後は任せるべきだろうか、非現実の悪魔の情報集めを優先すべきか……というところでマキマがデンジを手招きする。
「デンジ君、私が許可するから非現実の悪魔をやっちゃっていいよ」
「よっし、マジでやばかったら遠慮なく俺のせいにしといてください」
「おい待てデンジ、こいつがどんな力を持っているのかも……いや、確かに人類への影響を考えれば前持って潰しておくのも」
「ハハハハーッ! マキマがワシに頭を垂れておるわ! 現実にワシが存在する以上何が来ようとなぁ!」
アキはまだ非現実の悪魔を警戒しつつも乗り気でぶっ潰そうとするパワーとデンジをアシストするように刀を構えて応戦に入ろうとする。
さっきマキマが持っていた壊れたテレビも非現実の悪魔のあの頭だ、つまり1回か2回……あるいはそれ以上、何回も始末しているだろう。
命を狙われているのにあの悪魔は怯える様子もないのがこの状況をよく表している。
「いいかお前ら、ただ乱雑に切ったり潰したりはもうマキマさんがやっているはずだ……少しは警戒した上で……」
が、アキが忠告しているにも関わらず話している途中でパワーが血で作った槍が刺さり、デンジはもう既にスターターロープを引っ張ってチェンソーマンに変身して綺麗に二人がかりでぶっ刺している……が、非現実の悪魔は全く動じていない。
「やめておけ雑魚ども、そんな非現実的な奴らにどうこうされたところで俺がどうにかなるわけないだろう」
「ごちゃごちゃうるせーんだよ〜、マキマさんがテメーに死ねと言ってんだ、とっとと黙らせてやっからパワ子、テレビぶっ叩いてくれ」
「ああ、この辺りの角の辺りでテレビがいい感じになることくらいワシでも知っとるぞ」
「あ〜もう〜、勇気の魔人について教えてやろうと思ったのにな〜」
何かぶつぶつと非現実の悪魔が何か言っているが……その発言をしてもマキマもアキも動じない。
何故ここで勇気の魔人の話が出てくるのか? そんなもの関係者以外に他ならない、だったら仕留めておかなくてはならない。
やはりこいつは殺るべきだ……と、そんな時だった。
顔面のテレビが砂嵐になったかと思えば……デンジの頭がぐらりぐらりと揺れて、ノイズと共に周囲が変わっていき……。
気がつけばあの頃のようなボロボロの服……いや、それだけじゃない、歯が何個か抜け落ちて目も片方無くして、生きていくこともままならない……周囲にはマキマさんのような女神のような物が手を伸ばして……。
「……あー、いやちげぇなこれ」
「多分あいつあの優男とおんなじタイプの能力だな?」
理解した途端に景色が元の空間に戻り、デンジはぺっと口の中に入ってたものを吐き出すと……まるで様々な柄のドロップのような物が出てきて、パワーがそれを手に取ろうとするがデンジは踏み潰す。
「おうデンジ独り占めする気か? ワシにもよこせ」
「やんねぇ、俺は昔っからよ〜く見てきたから見ときゃ大体分かるんだよ、飲んじゃダメなオクスリってやつだかな」
「……まさか危険ドラッグか!?」
「なんてことだ……薬が非現実ではない体験だというのか? そんな奴が世の中に……一次撤退」
非現実の悪魔はノイズと共に消失、踏み潰したドラッグをマキマが回収して息を吹きかけると……潰れたはずなのに元の形に戻るどころか、その一部がDVDのディスクになっていく。
アキはドラッグに描かれた銘柄を見て更に驚く……。
「RFD……!? こいつは少し前に広まったという奴じゃないか、まさかデンジ……したことあるのか?」
「俺はやったことねえけどコイツを各地にばら撒いてる奴なら昔っから山ほどいたな」
「どうやらあの悪魔はその人にとって現実味を帯びてる出来事だった場合は無駄になるみたいだね」
危険なドラッグを服用してしまい人生が破滅してしまうなんて出来事は、本来だったらとてもあり得ない話ではあるのだがデンジの場合はたまたまそれに覚えのある出来事だったことで能力がいい感じに作用せず終わったようだ。
念の為にマキマが水を与えてよくゆすいでもらうが……マキマはRFDを見て即座に理解し、語り始める。
「覚えてる? 一週間くらい前に謎の霧が街を埋め尽くそうとして……スーパーマーケットで怪物のような物が現れた件、悪魔とも思えない何かがこの場所に来てたこと」
「自衛隊が来るほどの事態になったとんでもない一件でしたね、もみ消しに苦労したとか……まさか?」
「うん、私がここに来たのもあの事件を出したのが霧の悪魔とかじゃなくて非現実の悪魔の可能性があると知って調べてみたら……いい感じに君達もここに来たというわけ」
勇気の悪魔と非現実の悪魔。
全く異なる概念、しかし突拍子もない出来事を現実に変えてしまう能力はわずかに一致している。
だが、まだ何か……この二人について調べなくてはならないだろう。
しかしその時だった、デンジはまだ何か気持ち悪いような感覚がして……全部逆流しそうだ、ここで全部吐き出してしまいそうな……それが止まらない。
あのドラッグのせいか? いや、それとも『死』が迫っているのか?
「うげえええええええっ」
デンジはその時、内臓が全部逆流しそうな勢いで全部吐き出いsて……そのまま薬物中毒で死んだ。
マキマは非現実の悪魔の作り出したディスクを回収しながらこの姿を見てひとり思った。
(なんだか段々雑になってきたな……)