その日、あらゆるメディアが『アレ』を逃さず話題にし続けていた。
突如として姿を現し……いや、復活した『アレ』は、あくまで本物ではなく、あの頃なんとなく見覚えのある『何か』によく似た、生粋の技術を持つコメディアンとして注目の的になっていた。
しかし、この状況を呑気に眺めていられないのが公安だった。
「くれぐれも今回発見された物を正確に認識せず、徹底的にぼかして『アレ』等と呼び合うように。これは日本政府並びに私個人による命令です」
マキマがそう釘を刺したこともあり、決して『アレ』の事をはっきりとさせないように作戦が進められていた。だが、その性質上、行動が進みにくい上に厄介なのは、『アレ』が正確には悪魔とは言い難い代物であるという点だった。そのため、公安の対応は難航を極めていた。
『アレ』が一体何なのかといえば、それは大昔に存在していた物であり、あってはならない物。一説では、歴史上で最初に複数の悪魔との契約に成功した人間とも言われている存在だった。
『アレ』がただのコメディアンのまま生きていくわけがない。存在しているだけで、それは災厄の種になってしまうのだ。
事実、その存在はマキマが危惧した通りに動き始めていた。特定の情勢や社会を皮肉ったり、露悪的なものに飢えている人間に都合のいいトークを行ったことで、瞬く間に支持を集めていく。
どんどん勢力を拡大し、仲間を増やしていくその手際の良さは、まるで過去に1つの国そのものを支配していたかのようだった。
それだけではない。こういった強大にして、時に批判的な側面を持つ存在を『悪』と断じて人々を煽り、反発することこそが力であり正義なのだと誤認させる力を持つ者もまた、この状況に呼応するように現れた。
『アレ』の台頭と共に、その存在に批判的な演説を始めたもの──それこそが、かつて銃の悪魔を連れ去ったとされる勇気の魔人、ウルフリーだった。
「この世に突如として現れた彼は、世界を凶荒へ導く独裁者である! 正しい物が観えている人々は、今の尊い平和を守らなくてはならない。ボクに力を!」
街頭で、テレビの画面の向こうで……ウルフリーは熱弁を振るう。勇気という曖昧な力によって、また人々は大きな勢力を持ち始めていた。
このままいけば、独裁者の影を宿す『アレ』の勢力と、彼を討たんとする『勇気』の勢力による大きな衝突は免れない。
『アレ』は世界の為に必要な悪なのか……それとも、勇気は人々を守ってくれる尊い正義なのか。
──マキマの目線から見れば、どちらも等しく滑稽であった。
なぜなら、世界に必要な悪というのは、常に国家が首輪をつけて支配しているものだからだ。コントロールできない歪な正義も、飼い慣らせない過去の遺物も、彼女の描く景色のノイズでしかなかった。
しかし問題となってくるのはどうして『アレ』が突如として現れたのか?
考えられるのは3つ。
①ウルフリーによるマッチポンプ計画。
彼は0%あり得ない事のみを100%に変換できる彼の力なら自裁できるだろうし、これまでの出来事から彼は自分の勇気を見せつけたい側面があるので、自分が正義であり勇気の力を見せつけたい、更に彼自身のカリスマを上げるためにもこれはありえなくはない。
それだったら直接ウルフリーを潰せば解決するので楽だが……彼もまたチェンソーマンの能力を求めているので、本当に厄介と思っているなら陽動しなくともいいので、あくまで彼は便乗犯に過ぎないと考えるのが自然。
②未完成の悪魔の影響によるもの。
勇気の魔人と似たような力、現実離れした内容をフィクションをリアルに変えてしまう……自分にとって気に食わない存在、アネモネと契約している謎の悪魔、非現実の悪魔。
彼ならよく分からない事こそショートして形に出来るし、契約条件は自分の作ったコンテンツを周囲に見てもらうことだし、未完成の悪魔は勇気の魔人と何らかのつながりがあることは分かる。
しかし、彼もやるとしたら少し動機としては弱い。
そしてマキマの中で最も有力な物が……。
③未完成の悪魔の力で、チェンソーの悪魔が食ってきたものが全部吐き出された。
未完成の悪魔の力によって生まれた違法ドラッグ『RFD』、ちょっと口に入っただけでデンジは強い嘔吐に見舞われてしばらく入院している。
厄介なことにこのせいでチェンソーマンの力を借りる事も出来ない、デンジは結構重体でありベッドに寝たきり。
この状況を理解できるほどの知能は無いことは幸いだが少々めんどくさい。
更に言えばあれだけ吐き出していわゆる何かのマンガの『マックシング』じみた物になって吐き出されたなら……相手はそれだけじゃない。
かなり面倒なことに、悪魔は山ほどいるのにこれから『アレ』の対処をしなくてはならない……。
そんな時……マキマにとって更に面倒な一報が届く、マキマの元に早川からメールが届く。
「えっ」
「それ間違いないの?」
その日、しばらく入院していたデンジが……何の脈略も無く失踪した。
それと同じ頃、『アレ』は大胆な行動に出た……昨今の配信ブームに乗っかって複数の配信者とコラボを重ねてコネを作っていき……遂にはアマチュア規模だが自身が主演のドキュメンタリー映画が作られようとしている。
更に一部の人間は薄々気付いている、『アレ』が過去を模倣した不謹慎なネタを売りにしていたコメディアンではない……本物の過去に生きた恐怖の存在であることを。
「あーあ……」
こうなった以上は確定事項みたいなもの……マキマは一人で支度して、ウルフリーの所に向かう事にする。
その一方で今度はマキマのチャットに連絡を入れたはずもないのにアネモネが入って話している。
マキマは既読スルーしてやろうかとも思ったがその内容を見過ごすわけにはいかなかった。
『非現実の悪魔はやられちゃったよ』
悪は語り、勇気は嗤うこの場所……。
病室から影も形もなく消えたデンジの足取りを、マキマは正確に把握していた。
辿り着いたのは、東京の街を見下ろす巨大なビルの屋上。
吹き晒しの風が吹くその場所に、不釣り合いなほど上質な、大企業を象徴するような革張りのソファが置かれている。
そこに腰掛け、まるで最初から彼女が来るのを待ち構えていたかのようにゆっくりと座っていたのは、勇気の魔人・ウルフリーだった。
「チェンソー君を助けに来たのかな?」
ウルフリーは、底の知れない笑みを浮かべてマキマを見上げる。
「茶番を終わらせに来た、そちらも自由の悪魔も隠しているよね」
淡々と、しかし有無を言わせぬ圧を孕んだ声でマキマが切り返す。ウルフリーは小さく肩をすくめ、背もたれに深く身体を預けた。
「一応この身体は善良な派遣社員だからね、銃刀法は守らないと頑張ったせいで死んだ彼に失礼じゃない?」
ウルフリーは魔人でありながら、日本有数の名企業12件と人間らしい『契約』を結んでいた。代表取締役以上にその会社の権限を行使できる立場にある。その代償として、彼は雇用している社員の半分以上のキャリアアップを約束させていた。
だが、ウルフリーの能力の本質は「0%の出来事を100%に改変すること」だ。大企業に入り込むような元々優秀な社員たちを、彼の力で下手に動かしたところで、多少は役に立つ程度の人材は簡単に進化しない。
そこに、ちょうどよく利用できる駒が動き出した。チェンソーの悪魔が過去に呑み込んだものを、一時的にでも吐き出したがっていた『非現実の悪魔』の存在だ。
カバーストーリーとしてドラッグ中毒にしたかったがそれは失敗、しかし入院中だったデンジの身体を通してこれまで食べて消失させた悪魔の一部が吐き出された。
その中に入っていた、公安が徹底的にぼかして『アレ』と呼んでいる存在は、ウルフリーにとっても非常に都合が良かった。
「生きる上で勇気を求められる過程は『自分が正しい』という安心感で発せられるようになっているんだ」
ウルフリーは愉しげに言葉を紡ぐ。
「だから大衆が間違いと断定する者がいて、それに立ち向かえるとなれば人間は倍以上も強くなれる……頼まれた仕事をしただけだよ、公安が悪魔をブチ殺すようにね」
「なるほど、今の人間に勇気という気持ちは過ぎた力なのかなぁ。悪魔でも楽な手段で人の真似をしようとする」
マキマの冷徹な眼差しがウルフリーを射抜く。その言葉に、ウルフリーは可笑しそうに目を細めた。
「この場所だからこう呼ぶけど、君がそれを言えた口なの? 支配の悪魔。お姉さん達共々、たまたま人にそっくりな悪魔として存在してるとはいえ……」
空気の爆縮が起きそうなほどの、一触即発の緊迫感が場を満たす。ウルフリー自身に、突出した直接的な戦闘力があるわけではない。それでも彼がマキマを前にしてこれほど挑発的な態度を取れるのは、彼が持つ「勇気を成立させるための力」への絶対的な自信があるからだ。
「内閣総理大臣との契約で、どんなに危害を加えても君の死は日本国民に移し替えられる。だから僕は3つの新聞会社と契約した、テレビ局も2つだ。勇気と正義を以てすれば公安を殺せるよ僕は。その次には『アレ』が暗殺されて、世論は止まらなくなる」
情報と大衆の心理を握った自負が、ウルフリーの歪んだ笑みを形作る。
「ローマ皇帝を暗殺したり、幕府を作り変えた時からやることは変わってないみたいだね……」
マキマは、男がこれまで歴史の裏で紡いできた破滅の足跡を淡々と指摘する。数々のドラマチックなラストシーンの裏には、いつもこうした運命の気まぐれがあった。
「でもね」
ウルフリーが言葉を続けようとした、その瞬間──。
──轟音。
重厚なビルの天井が内側から派手にぶち破られ、コンクリートの破片が雨のように降り注ぐ。
立ち込める煙を切り裂き、この場の全ての計算を狂わせる「番狂わせ」として、そこに現れたのはデンジだった。
重体で寝たきりだったはずの身体を起こし、その両腕、そして頭部からは、狂暴に回転する無数のチェンソーの刃がぎらついている。
「彼の中に正義も勇気もない」
降り注ぐ火花と硝煙の向こう側で、マキマは静かに、しかし確信を込めて告げた。
「その上で勝つよ」
「リハビリしなきゃ体ナマっちまうからな……切られてくれよ優男ォ〜!!」
「え……あれ!? なんでチェンソーくんが!? 確か君、僕が運び出したあとにこの下の階にあるステーキハウスで悠々自適に過ごしていたはずなのに」
「デンジ君そこでステーキ食べてたの? よく入ったね」
「当ったり前でしょ、あの中古テレビ野郎のせいでポチタが貯めてた分までゲロゲロ吐いちまったんだ、倍の倍までデケェ肉食わなきゃ全然満たされねえ」
「んで食った後にはめっちゃいい準備運動! これでバッチリ健康男児だぜ」
「あ〜もう最初は上手く行ってたのになぁ……まだもう少し待ってよ! いくらでも暴れていいから!! 人間殺すのもわりとオーケーだから!」
「『アレ』が撃たれることで! 日本は大きく動き出すんだ! 僕の本番は勇気という言葉を人類が忘れて当たり前のように立ち向かってからが本番なんだ!! いやというかこれ書いてる時点でまだ4457文字なんだよ!? まだ話が盛り上げるには早いし、確かにもう後ちょっとで6回目の死を君は迎えることになるけどせいぜいあと1000文字くらいの話なんだよね! 大体君はあと2500文字作るってことの大変さがよく分かってないっていうかアレ正直めちゃくちゃめんどくさいんだからね!? 僕にだって苦労という言葉があって」
「ごっちゃごちゃうるせぇんだよ!!」
あまりにも唐突にウルフリーがごちゃごちゃと早口になったものなのでデンジは蹴っ飛ばしてガラスを突き破り何十メートルも下まで真っ逆さま。
恐らくワンチャン助かるならこのまま落下しても問題はなさそうだが、ちょっとビルから落ちたくらいで0%助からないというのはそうそう無いだろう。
それだったら悪魔の腕力でビルから這い上がった方がよほど早い。
ということで……ウルフリーが見えなくなったのでこのままデンジはマキマと一緒に帰ろうとするが、これで終わるわけでもない。
「デンジ君、何があったか説明してもらえるかな?」
「説明も何も……病院のベッドじゃやることなんて無いからメシの時間までずっと寝てたらあの優男に拉致されてステーキがいっぱいある所にぶち込まれて……まあ、そんなところかと」
「ふーん……そっか、ただの餌付けじゃないことは確かだが……」
「そ……そりゃそうだよ! 君だって『アレ』とか将来的なあの国とかまたチェンソーマンの力で消し直したいんでしょ!?」
「あっ、生きてた」
話してる途中にも関わらずエレベーターを突き破ってウルフリーが帰ってくる。
ボロボロになった痕跡もないので勇気様々である、本当にやるときはやるものだ。
しかしデンジはまだ変身したままなのでチェーンソーでこの階ごとたたっ斬るつもりでいるが……自分にはアレがある。
「おい優男、見逃してほしけりゃ心臓の悪魔持ってこい」
「ふざけるな!! そうやって君はまた自分の能力を捨てるつもりだろう!?」
「……デンジ君どういうこと?」
デンジの発言にマキマも耳を疑うかのようなリアクションでじっとこちらを見てくるが、デンジはいつものようにあっけらかんとしたノリで正直に答える。
「大したことじゃねぇっすよ、こいつらはポチタの心臓が目当てで……チェンソーマンってやつは悪魔を食っちまえばそれが概念ごと消える、そんで今ポチタは俺の心臓みたいなもん……そんな状態で心臓の悪魔を食っちまえば……」
「……ははは、君はやはり本気なんだね、もう! 自由の悪魔に『アレ』を頼んでおいたから君を蜂の巣に出来ないし……銃の悪魔は……その、今はアレだからな、仕方ない……」
ウルフリーが何かを言うまでもなく、狙った先には屋上から回収してきた大きな壺。
それをデンジめがけてぶん投げるが、当然あっさりと破壊される……もちろんこれは想定の範囲内。
切り裂いた途端に……壺が大爆発を起こしチェンソーマンの身体が業火に包まれる。
「あっちイイイ!!」
「はぁ……自由の悪魔がアメリカ生まれで良かった、『戦争の悪魔』のコレクションを簡単に密輸できるからね!」
「戦争の悪魔……あいつかぁ……」
戦争の悪魔、それは長い長い歴史の中で常に絶対的な『暴力的』な恐怖のみで人々を恐怖に震え上がらせた根源的な悪魔。
一説によればその能力はありとあらゆるものを破壊兵器に変えてしまうという勇気や非現実に匹敵するほどのめちゃくちゃ具合にしてロマン砲。
この壺もただの壺ではなく名匠ダイナマイトというわけである。
「さ──てそろそろ時間も惜しいから死んでくれないかチェンソー君! 君が悪いんだよ、君が僕のストーリー、非現実の悪魔のストーリーどっちにも従ってくれないから連続で雑に死ぬことになるんだ!」
「ああ? 俺はまだ全然健康体だっつーの! 死んだことなんてせいぜい一度くらいしかねえよ!」
「だとしても! もうちょっと独裁者が突然現代に転移するというシナリオに従ってくれないと……ああそういえば君は元々病み上がりだったね、もう少しステーキ早く食わせておけば……」
勝手にウルフリーだけ話を済ませているのでデンジもそろそろ付き合いきれなくなってきたが、ここでマキマはアネモネから聞かされた情報をウルフリーに打ち明ける。
「非現実の悪魔は死んでいる」
「え……ええ!? 今、なんて言った!? 非現実の悪魔ガまるで、もう終わったみたいに……」
「終わったみたいじゃなくて、終わらせたの……私が気付かないと思っていた? 貴方と、彼の……正体」
「うっ!! 正体って何よ、一応僕はウルフリー! そりゃ確かに前時代のお花のイケメンをパクったような見た目だけど、何者でもない勇気の悪魔! それが僕! そして非現実の悪魔は非現実の悪魔! ただのテレビが付いた変なヤツだよ!」
目に見えてウルフリーが焦っている……それだけ非現実の悪魔がやられたことに焦っている。
もちろんマキマがやったわけではないのでハッタリ利かせているのだが……おおよそ、非現実の悪魔が何者なのかについては事前にアネモネから聞いているので事実だ。
だからこそ……前もって動かれると面倒ということで完全に記憶を取り戻す前に仕留めきるつもりだったのだが、マキマより先に彼を退場させるものがいてしまった。
「自由の悪魔──!! もうカットするから!! 一発だけ弾丸を分けてくれ──っ!!」
だが考える余裕はない、ウルフリーが叫ぶとマキマの額に標準のようなマークがつけられて弾丸が一発。
同じ頃……マキマが一時的に死を迎えたのと同時刻、カバーストーリーを済ませる為に『アレ』が自由の悪魔の手によって暗殺。
マキマも支配の悪魔の力で即死を押し付けることになるのだが……。
「甘いんだよ支配の悪魔!! 僕はこういうピンポイントを確実に通せる! 数億人の人間から1人の代わりを指定となると確率的には0.000000001とかになるかもしれないけどねえ!!」
「四捨五入すればそれだって0%だ!!」
「あっ……」
「おっ……」
その日、日本を騒がせた『アレ』とデンジが同日同時刻に死亡。
デンジはこれで6度目の死亡である。
「わりィマキマさん……あの優男がタラタラしてんで油断しちまった……」
「デンジ君……大丈夫だよ、この件は私が責任を持ってなんとかするから」
マキマは事切れそうになるデンジに声をかけ、心臓に手を伸ばすが……。
「ええまぁ……俺の方もしくじらないようにするんで……後は頼みます」
それがその時の、デンジとマキマの最期の会話になった。
その言葉がマキマから離れないままだった。