魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
残り時限、五十八時間。作戦『リーシュカッター』は、恐ろしいほど順調に始まった。
第一段階、分離——成功。
油色の空の下、桜色の砲火が天翼兵の編隊を面ごと薙ぎ払う。リョウのクリアは途切れなく飛び、なのはの砲撃は一射ごとに白い量産機を光に変えた。護衛を削がれた金色の指揮官機は、敵指揮系統の判定どおり、単騎で高機動目標——リョウの誘引針路に、喰いついた。
第二段階、標定——これが、地獄だった。
フェイト・テスタロッサの斬撃圏に、自分から踏み込み続ける。それは、雷雲の中に住むことに似ていた。金色の刃が空間ごと薙ぎ、雷光の砲撃が退路を先回りする。リョウは躱した。躱して、躱して、被弾覚悟の半歩で懐に潜り、離脱し、また潜った。バリアジャケットの左腕はとうに裂け、脇腹の古傷は開き、口の中は鉄の味しかしなかった。
(肩を見ろ——予備動作——違う、フェイントだ——本命は下!)
三度目の潜り込みで、ようやく、その瞬間が来た。
斬り上げの太刀筋。四年前の記録映像と寸分違わぬ、彼女の癖。読めた。読めたから、紙一枚の内側で見送れた。金色の残光が頬を灼き、そして——目の前に、無防備な首筋が、あった。
金色の髪の付け根。頸部の、装甲の薄い一点。
「——貰ったぁ!!」
ミニットマンが吠え、マーカー弾が、その一点に喰らいついた。
翡翠色の光が、フェイト・テスタロッサの首の後ろで、灯った。
『標定確認!!』オペレーターの絶叫。『ヴァレル、最終フェイズ! 射線クリア、風、修正値送ります——』
リョウは全速で離脱した。五キロ後方の狙撃点で、なのはが、セブンスウィルを構え直すのが、繋がったままの回線の呼吸で分かった。
『……収束砲、最小絞り。充填、開始』
静かな声だった。昨日の宣誓のままの、揺れない声。撃つのはフェイトちゃんじゃない。首輪だ。物だ。だから、撃てる——
充填完了の電子音が、鳴った。
その時だった。
『——待って!! 撃たないで!! 中止!! 中止です!!』
回線に、グレア三佐の絶叫が割り込んだ。
『マーカーの接触テレメトリが今、入った——内部構造が視えた——受信機構は独立系じゃない!! 生命維持系と統合されてます!! 心肺代替系も、脳幹の補助系も、全部あの中枢を経由してる——』
一拍。
世界で一番長い、一拍。
『——壊せば、死にます!! 受信が途絶した瞬間、彼女の生命維持が、全部止まる!!』
リョウは、叫んでいた。考えるより先に、腹の底から。
「ヴァレル!! 待てええぇ!!」
初めてだった。クリアを出したこの喉で、待てを叫んだのは。
五キロ先で——桜色の砲口が、跳ね上がった。
放たれる寸前まで練り上げられた収束砲が、行き場を失って天へ逸れ、油色の雲を貫いて、遥か上空で虚しく散った。狙撃点の岩棚に、砲の反動だけが残り、小さな体が、へたり込むのが、観測映像に映った。
『…………撃っ……』
回線から、途切れ途切れの、掠れた声。
『撃つところ、だった……わたし……いま、フェイトちゃんを……』
「ヴァレル——」
『引き金に、指、かけて……クリアも、出てて……最後まで、引くだけ、だった……』
その声の震えを、リョウは生涯、忘れないだろうと思った。
物だと思って撃とうとした一点が、命綱そのものだった。彼女の中で今、昨日の宣誓が——「物です、だから撃てます」の積み上げが、音を立てて崩れていく。崩れて、その瓦礫の下から、たった四文字だけが残る。
撃てない。
もう、撃てない。あの一点には、二度と。
拍手の音が、聞こえた。
天翼兵の残機が、一斉にスピーカーと化して、ゆっくりとした、芝居がかった拍手を、谷に響かせた。
『——ブラボー。実にいい観測班だ。ああ、そうとも。よく気づいた』
あの声だった。うっとりと、心底楽しそうに、歌う声。
『まさか気づかずに撃ってくれるかとも思ったが……いや、これはこれで、いい顔が見られた。ねえ、砲の君。今、どんな気分だい? 四年間探した宝物の命綱に、照準を合わせて、引き金に指をかけた気分は』
「……てめえ……最初から……」
『最初から? ああ、無論だとも。首輪と命綱を同じ線で編む——飼育の、基本だよ』
声は、囁くように続けた。
『管理局が彼女を撃てば、私は指一本汚さず最高戦力の"殉教"を手に入れる。撃たなければ、彼女は君らを殺し続ける。撃っても、撃たなくても、私が勝つ。……この盤面を作るのに三年かけた。楽しんでもらえたかな?』
マーカーの翡翠光を首に灯したまま、金色の指揮官機は、何事もなかったかのように反転し、霊峰へと帰投していく。追う脚は、二人のどちらにも、残っていなかった。
『ああ、それと——時間は、あと五十七時間だ。ゆっくり絶望したまえ』
拍手が、止んだ。
ゼルベロスの作戦室は、通夜のようだった。
残り時限、五十四時間。鹵獲作戦の権限失効まで、二十四時間。卓上の投影板には、あの男の「盤面」が、解析図として冷たく展開されていた。
「……整理します」
グレアの声は、疲労で掠れていた。
「受信機構の破壊は、不可能になりました。あれはデッドマン装置です。制御信号の受信が途絶した瞬間、生命維持系が連鎖停止する。……つまり、末端(フェイトさん)側で線を切る限り、彼女は死にます。ですが」
解析図が、切り替わった。霊峰。その中腹の、高密度魔力反応。
「線には、必ず、もう一方の端がある。——送信源です。指令波の発信元。ここを制圧し、送信を"途絶"ではなく"掌握"の形で停止できれば……つまり、機材ごと押さえて、正規の停止シークェンスを吐かせれば、生命維持系を落とさずに、制御だけを切れる」
「……送信源の位置は」
「霊峰中腹、敵本陣。『終末の牙』の設置予定地点と、同一区画です。トゥーサーズの湧出源のど真ん中。天翼兵の巣の、奥の奥。……そして十中八九、あの男の、手元です」
沈黙が、落ちた。
艦隊の総攻撃は、期限の最終局面まで動かせない。なのはを本陣攻略に投入すれば、前線の防衛線が崩れ、退避中の百二十万に牙とトゥーサーズの群れが届く——そもそも本陣にはフェイトがいる。撃てない敵の巣に、撃つことしかできない砲を送り込むのは、ただの自殺行為だ。
誰も、口にしなかった結論を、リョウが、口にした。
「——潜り込むしかねえな。一人で」
全員の目が、リョウに集まった。
「戦力で押す場所じゃねえ。守りの厚い場所ってのは、裏を返せば、撃たれる前提の場所だ。撃たれなきゃいい。当たらなきゃいい。……回避特化、空戦S+。攻撃の成績は下から数えた方が早い半端者。——なあ課長殿。あんた、言ったよな。俺の適性は『生き延びること』だって」
リンディは、答えなかった。答えないまま、目を閉じた。長い、長い沈黙だった。艦長として、この作戦の成功率を計算する沈黙で、母親として、もう一人の子供を送り出す痛みを呑み込む沈黙だった。
「……単独潜入、承認します」
目を開けたリンディは、艦長の顔をしていた。
「二十時間あげる。それまでに送信源を掌握できなければ、権限失効。以後は……排除命令に、従うことになる。それが、期限」
「上等。二十時間もありゃ、昼寝つきだ」
軽口は、いつもより、少しだけ滑った。滑ったことに、気づかないふりを、全員がした。
出撃デッキ。単独潜入用の減装備に身を固めたリョウを、なのはが、待っていた。
もう、待ち伏せには驚かない。だが、その手にあるものには、驚いた。
少女は、両手で、一発のカートリッジを捧げ持っていた。
規格はミニットマンの標準弾倉と同じ。だが色が違った。薬莢は透き通るような白で、その中で——桜色の光が、渦を巻いていた。密度が、尋常ではなかった。デッキの照明の下でも分かる。あの小さな筒の中に、砲撃一射分の、彼女の魔力が、圧縮されている。
「……おい。まさかこれ」
「昨日の夜から、医療班と整備班に手伝ってもらって、詰めました。……わたしの、一発です」
なのはは、カートリッジを、リョウの手に、押し付けるように渡した。
「リョウさんの体で撃てる限界まで、圧縮率は調整してあります。それでも、ミニットマンごと右腕が保つのは、たぶん一回だけ。……最後の、切り札にしてください」
「馬鹿、おまえ、これ詰めるのだって、削れ——」
「削れました。少しだけ」
少女は、遮った。まっすぐに、リョウの目を見て。
「でも、リョウさんが言ったんです。撃たせないことじゃなくて——撃つ価値のある一発以外、撃たせないことだって。……これは、わたしが自分で選んだ、価値のある一発です。リョウさんを、生きて帰らせるための一発なら、絶対に、損じゃないです」
ぐうの音も、出なかった。四ヶ月かけて叩き込んだ理屈で、完璧に、外堀を埋められていた。
「……あと、これも、決めてきました」
なのはは、一度、息を吸った。
「わたしはリョウさんの砲身で、リョウさんはわたしの引き金です。だから、その弾は——撃つ場所も、撃つ時も、リョウさんが決めていい。三秒も、要りません。確認も、要りません」
少女は、宣言した。四ヶ月前、薄闇の射撃区画で交わした契約の、完全な、裏返しを。
「——クリア、です。最初から、ずっと、クリアです」
リョウは、手の中の白いカートリッジを見た。渦を巻く桜色を見た。それから、目の前の、焦げ茶のサイドポニーの少女を見た。
五ヶ月前、標的との距離を測る目でしか人を見なかった少女が。誰にも叱られたことのなかった少女が。自分の命に値札を付け間違えていた少女が——今、自分の一部を正しい値段で切り分けて、生きて帰れ、と押し付けてくる。
(……ったく)
(育ったなあ、おい)
「……預かった」
リョウは、カートリッジを胸の弾帯の、一番深い位置に差した。それから、拳を突き出した。
「行ってくる。留守番——じゃねえな。前線は、頼んだ。フェイトの奴が出てきたら、無理に止めるな。時間だけ稼げ。殺させなきゃ、それで満点だ」
「はい。……こっちは、任せてください」
小さな拳が、こつん、と当てられた。契約書代わり。故郷の風習……ということになっている儀式。
「リョウさん」
射出口へ歩き出した背中に、声が追ってきた。
「生きて、帰ってきてください。……帰ってきたら、唐揚げ、十個あげます」
「はっ……基準が不明瞭なんだよ、お互いにな」
振り向かずに、片手だけ上げて、リョウは夜の射出口から、身を投げた。
眼下に、敵の谷が広がっている。トゥーサーズの遠吠えが谷を満たし、霊峰の中腹では、牙の巣が赤黒く明滅している。あの奥に、送信源がある。あの男がいる。首輪の、根元がある。
残り時限、五十二時間。権限失効まで、二十時間。
引き金は、砲身から離れて——単身、狼の巣へ、降りていった。