魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
——潜入側/残り時限五〇時間・権限失効まで一八時間
狼の巣の入口は、狼の産道だった。
霊峰中腹の岩肌に開いた鋳造口——トゥーサーズの湧出源のひとつに、リョウは張り付いていた。眼下の坑内では、瓦礫と魔力が赤黒い光の中で練り上げられ、狼人型の輪郭に固まっていく。生まれたての個体が、濡れた仔獣のように鋳型から這い出し、遠吠えを一つ上げて、前線へと駆けていく。
(……ってことは、だ)
二日間の観測で立てた仮説は、三つ。生まれたての個体は敵味方識別が粗い。鋳造炉の熱と魔力残滓は、生体反応を霞ませる。そして——巣の中で、外敵を警戒する獣はいない。
リョウは呼吸を殺し、魔力灯を絞れるだけ絞り、湧出の波と波の間隙に、産道へと滑り込んだ。
鋳造炉の脇を抜ける。熱波が頬を灼く。三メートル先を、生まれたてのトゥーサーズが歩いていく。赤い眼がこちらを一度、掠めた。リョウは動かない。呼吸もしない。ただの岩、ただの瓦礫、ただの、鋳造待ちの材料——
赤い眼は、素通りした。
(《Ready.》とか言うなよ、相棒。頼むから)
ミニットマン051は、無音待機の設定を、律儀に守っていた。
——前線側/残り時限四九時間
金色の雷が、防衛線に降ってきたのは、その一時間後だった。
『指揮官機、出撃を確認! 天翼兵二個編隊を随伴——針路、防衛線中央! ヴァレル、来ます!』
「——了解っ」
なのは・T・ハラオウンは、セブンスウィルを構え——構えたまま、銃口を金色から、外した。
撃てない。あの機体は、撃てない。首の後ろには、命綱と編まれた首輪。マーカーの翡翠光は、まだあそこに灯ったままだ。撃っていいのは、随伴の白い量産機だけ。
だから、今日のなのはの仕事は、四年間やったことのない仕事だった。
撃たずに、受ける。躱して、逸らして、時間を稼ぐ。
「——っ!」
金色の斬光。肩を見る。予備動作。射線が生まれる前に、射線の外へ。転げるように障壁を最小で張り、掠らせ、流し、離脱する。美しくもなんともない、泥臭い、地を這うような回避。艦尾の訓練区画で、何十回、何百回、転がされて覚えた動き。
(避けるのは、目でやる。撃つ人は、撃つ前に、世界に断ってから撃つ——)
リョウさんの声が、体の中で鳴っている。
『ヴァレル、随伴機が回り込みます、四時!』
「クリア確認——物、確認! 撃ちますっ!」
桜色の一射が、天翼兵の小隊を薙ぐ。自分でクリアを唱えるたび、胸の奥が軋んだ。本物のクリアは、今、この空にいない。この空の彼女は、砲身であると同時に、自分の観測手で、自分の引き金で——それでも、落ちるわけにはいかなかった。
「フェイトちゃん……!」
雷光の主に、声を投げる。届かないと知っていて、投げる。
「もうすぐだから……! もうすぐ、リョウさんが、首輪の根元まで行くから……! それまで、わたし、絶対、落ちないから——!」
金色は、応えない。二百ミリ秒ごとの指令に従って、ただ、斬りかかってくる。
ゼルベロスの艦橋で、リンディは戦況図と、二つの数字を睨んでいた。残り時限。そして、権限失効までの残り。
「……急ぎなさい、リョウくん」
母親の声は、艦橋の喧騒に呑まれて、誰にも届かなかった。
——潜入側/残り時限四七時間・権限失効まで一五時間
巣の最深部は、静かだった。
鋳造炉の喧騒も、トゥーサーズの遠吠えも、分厚い岩盤の向こうに遠い。磨かれた石造りの広間——旧文明の神殿を転用したらしいその空間の中央に、それは、あった。
祭壇。黒曜石の光沢を放つ、一メートル超の巨大な牙。放送で見た通りの、呼吸のような明滅。『終末の牙』。
そして祭壇の傍らに、無骨な機器の島。幾重にも組まれた演算体と、次元位相通信の送信系。あの解析図で見た指令波の——首輪の、根元。フェイト・テスタロッサの命綱の、もう一方の端。
(見つけた——)
踏み出しかけた足が、声に、止められた。
「やあ。思ったより早かったね」
機器の島の陰から、男が、姿を現した。
拍子抜けするほど、普通の男だった。四十絡み。中肉中背。フェンリルの黒衣を着てはいるが、その下の顔は、疲れた勤め人のような、穏やかで、凡庸な顔だった。加工音声の芝居がかった歌い方から想像していた、どの姿とも違った。
「歓迎するよ、引き金の君。……ああ、動かないでくれたまえ。君は賢いから、もう分かっているだろうけど」
男は、送信系に、軽く手を置いた。
「これを壊せば、彼女は死ぬ。君が私を撃てば——おっと、君の火力では私の障壁は抜けないが——私が倒れて送信が乱れても、彼女は死ぬ、かもしれない。正規の停止手順を吐かせない限り、この卓は、触れない。……ほら。できないだろう? 何も」
リョウは、動けなかった。分かっていたことだった。分かっていて、目の前で言葉にされると、両手両足に鎖を巻かれたのと同じだった。
「自己紹介がまだだったね」
男は、芝居がかった一礼をした。凡庸な顔に、あの放送の、うっとりした色が滲んだ。
「ロキ、と名乗っている。狼の、父の名だ。……さて、引き金の君。せっかく来てくれたんだ。少し、話をしようじゃないか。なに、時間ならある。——君たちには、ないけれど」
男の指が、卓の上で、一つの操作を、こともなげに実行した。
「レギンレイヴ・ワン、出力制限を解除。……ふふ。前線が、賑やかになるよ」
——前線側/残り時限四六時間
金色が、変わった。
速度が一段、跳ね上がった。斬撃の重さが変わった。雷光の密度が変わった。なのはの回避が、半歩ずつ、削られていく。障壁の消費が跳ね上がり、胸の奥で、あの感覚——生成の不足分を、別の何かで埋める感覚が、頭をもたげ始める。
(だめ。まだ。まだ使わない。使ったら、長く保たない——)
『ヴァレル! 下がって、艦の支援砲火の傘に——』
「下がりませんっ!」
なのはは、叫び返した。
「わたしが下がったら、フェイトちゃんは防衛線を抜けて、退避の人たちのところに行きます! そうしたら、艦は——管理局は、フェイトちゃんを撃ちます! だから、ここで、わたしが受けます!」
雷光を、転げて躱す。掠める。バリアジャケットの肩口が裂ける。それでも、銃口は金色に向けない。向けずに、受け続ける。
艦橋の通信席に、本局からの定時通信が、無慈悲に着信した。
『——権限失効まで、残り一四時間。状況の進展を報告されたし』
リンディは、返信の文面を、一度打って、消して、打ち直した。
「……『計画は進行中』。以上で送りなさい」
——潜入側/残り時限四五時間
「単刀直入に訊く。……なんで、こんなことをする」
リョウは、時間を稼ぐ側に回ることにした。話をしよう、と男が言うのなら、話をさせておけばいい。その間に、観察する。卓の構造。守りの層。男の障壁の癖。何か——何か一つでも、この鎖を切る鍵を。
ロキは、嬉しそうに、両手を広げた。
「いい質問だ。だが順番が違うな。『なんで』の前に、『なにを』を見てもらおう」
男は、祭壇の牙を、慈しむように見上げた。
「私はね、世界の終わりを、二度見たんだよ、引き金の君。一度目は、突然だった。空が割れて、大地が虚ろに呑まれて、七割が消えた。二度目は、もっと呆気なかった。ある朝、地平線という地平線が光って——それで、全部終わりだ」
リョウの心臓が、嫌な軋み方をした。
空が割れて。七割が消えて。地平線が光って。
その順番を、その描写を、その——体感を、知っている人間が、この宇宙に、何人いる。
「……あんた……」
「私はね、必死に考えたんだ。あの灰の上で。なぜ世界は終わったのか。誰の失敗なのか。何が間違っていたのか。……そして、気づいた。ああ、簡単なことだったんだ。間違いなんて、どこにもなかった。あれこそが正しい結末で、正しい主題の、正しい回収だったんだよ」
男の凡庸な顔が、初めて、凡庸でなくなった。うっとりと、恍惚と、祭壇の牙と同じ呼吸で、明滅した。
「破滅こそが、この物語の主題(テーマ)なのだよ!」
声が、神殿に反響した。
「考えてもみたまえ。ジュエルシードも、闇の書も、アルハザードも——この世界の"設定"は、最初から、終わりの装置ばかりが、これでもかと積み込まれている! 作者の意図は明白じゃないか! なのに登場人物どもは、毎回すんでのところで回収を邪魔して、物語を、だらだらと引き延ばす。……私はね、ただの読者に戻っただけだよ。物語には、正しく主題を回収して、終わってもらう。それだけの、話なんだ」
設定。作者。登場人物。読者。
その語彙の並びに、リョウの背筋を、氷が這い上がった。まさか。まさか、まさか、まさか——
ロキは、リョウの顔色を、心底楽しそうに眺めて——それから、すっと、声の調子を変えた。
加工もされていない、芝居も抜けた、ただの、疲れた中年男の声。懐かしい、故郷の言葉の、イントネーションで。
「——なあ。久しぶりだねえ、同郷の人」
男は、笑った。
「『魔法少女リリカルなのは』は……好きだったかい?」