魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
『名前を教えてあげよう。その子は"ファーヴニル"。宝を抱いて眠る、竜の名だ』
スピーカーの声がうっとりと歌い上げるのと、十メートルの巨躯が床を蹴ったのは、同時だった。
速い。
その一言が、思考より先に体を動かした。リョウは真横に跳んだ。一瞬前まで自分のいた空間を、巨大な腕が薙ぎ、資材コンテナの列が紙屑のように千切れ飛んだ。衝撃波だけで肺が軋む。
(でかい癖に速い! 反則だろそういうの!)
着地、即、離脱。追撃の脚が床を踏み抜き、工場の床版ごと地面が波打つ。跳ねた瓦礫の雨を潜り、リョウは距離を取りながら、残り少ないカートリッジを一発、薬室に送った。
狙いは膝関節。この二ヶ月で骨に刻んだ、機械の急所。至近まで踏み込み、最小絞りの最大出力を、装甲の継ぎ目に叩き込む。
着弾。閃光。
——無傷だった。
継ぎ目の装甲に、焦げ跡ひとつ。ファーヴニルの巨体は減速すらせず、返す腕の一撃がリョウの残像を粉砕した。
(冗談だろ……!? 関節部だぞ!? 傷どころか、塗装も剥げねえって——)
考えろ。
旋回。回避。天井のクレーンの残骸を盾に挟む。盾は三秒保たなかった。溶断された鉄骨が赤熱して落ちる。
考えろ、考えろ。
通信は死んでる。転送も死んでる。援護は来ない。干渉場の発生源は最深部——おそらくあの巨体の炉と直結だ。潰さない限り、この峡谷は世界から切り離された棺桶のままだ。
考えろ、考えろ、考えろ。
俺の火力は通らない。装甲どころか関節すら削れない。回避だけなら、まだ保つ。保つが——それだけだ。躱して、躱して、躱して、カートリッジが尽きて、集中が尽きて、脚が尽きて、それで終わりだ。援護を待っている間に、お陀仏だ。
となると、この盤面に残された手は、一つしかない。
一つしか、ない。
(——ヴァレル。なのはの、火力)
思考が、そこで凍った。
(だけど、そいつは……)
出来ない。
出来るわけが、ない。
瓦礫の陰に横たえた、紙より白い顔が脳裏に灼きついている。射線を捻じ曲げるという不可能に、根こそぎ注ぎ込まれた「何か」。医療班の端末で見た、四年分の右肩下がり。三秒の取引で、唐揚げ一個で、二ヶ月かけて、ようやく、ようやく緩めた、あの折れ線の傾き。
ここで撃たせたら、あの二ヶ月は何だったんだ。
あのグラフの意味は、何だったんだ。
(俺が生き延びるために、あいつの命を装填しろってのか? 温存させてきたのは——温存させてきたのは、何のためだ? 俺の弾倉にするためか? ふざけるな、それじゃ、それじゃこの艦の連中と——彼女を「運用」してきた連中と、何も——)
違う!
(違う、違う方法を——考えろ、何かあるはずだ、干渉場だけ潰す手が、時間を稼ぐ手が、何か、何か——)
その、一瞬の。
思考に喰われた、コンマ数秒の意識の遅れを。
ファーヴニルは、見逃さなかった。
視界の端で巨腕が膨らみ、回避が、半歩、遅れた。直撃ではない。掠っただけだ。掠っただけで、世界が回った。障壁ごと弾き飛ばされ、床に一度バウンドし、瓦礫の山に叩きつけられる。肺から空気が全部出た。口の中に、鉄の味が広がった。
(——、——か、は……っ)
軋む視界の中で、リョウは顔を上げた。
そして、見た。
崩れたコンテナを背に、なのは・T・ハラオウンが、座り込んだまま——セブンスウィルを、真っ直ぐに構えていた。
紙の顔色のままだった。腕は、細かく震えていた。座り込んだ体は、もう自力で飛べる状態ではないことを、隠しようもなく晒していた。
それでも、銃口は、微塵も揺れていなかった。
照準線の先には、ファーヴニルの巨体。撃とうと思えば、撃てるはずだった。彼女の火力なら、今この瞬間にも。命を装填すれば、いつものように、独断で、一射で。
なのに、彼女は撃たなかった。
構えたまま、待っていた。
まるで、何かを待つように。
——違う。「何か」じゃない。
霞む視界の中で、リョウは理解した。理解して、胸の奥が、灼けた。
彼女は、俺の声を待っている。
あの装甲の中に人がいる。彼女は、撃つべき物と撃つべきでない物を纏めて消し去ってしまう。だから撃てない。故に、独断で飛ぶことを覚えたあの少女が——三十以上の命の前でも手順を捨てたあの少女が——今、この瀬戸際で、待っている。
二ヶ月前の夜の、たった三秒の約束を握りしめて。震える腕で構えたまま、俺が「クリア」と言うのを、ずっと。
俺が、違う方法を探して逃げ回っている間、ずっと。
(ああ——)
(ああ、畜生)
畜生。
畜生。
何が「撃たせたら二ヶ月が無駄になる」だ。何が「グラフの意味」だ。あの折れ線を守ることと、あいつを弾倉扱いしないことを、いつの間にか取り違えてた。命を温存させるってのは、撃たせないことじゃない。
——撃つ価値のある一発以外、撃たせないことだ。
そして、その判定をするのが。
クリアを出すのが。
引き金の、仕事だろうが。
「…………相棒」
リョウは、瓦礫に手を突いて、立ち上がった。膝が笑っていた。笑わせておいた。口の中の血を吐き捨て、最後のカートリッジを、薬室に送る。
「最後の一発だ。景気よく行くぞ」
《Ready.》
リョウは、飛んだ。
ファーヴニルが反応する。巨腕が唸る。だが今度のリョウの機動には、迷いの一グラムも乗っていなかった。躱す。潜る。この二ヶ月、五十機の火線の中で磨いた、明日も生きるための機動で——ただし今度だけは、逃げるためじゃなく、近づくために。
見るべきものは、飛びながら全部見た。胸部の観察窓。その奥で管に繋がれた人影を包む、卵形の保護殻。あれだけが、この機体で唯一、設計思想の違う区画だ。作った奴は、中身の「作品」を何より大事にしている。殻の耐圧構造は機体のどこより堅牢で、そして——殻と機体を繋ぐ主動力炉は、殻の直下から、明確に「切り離して」配置されている。
撃ち抜いていいのは、そこだけだ。そこなら、いい。
懐に潜り込む。巨腕が頭上を掠める。装甲の谷底、主動力炉の直上——リョウは最後のカートリッジを撃ち込んだ。
弾頭は炸裂せず、装甲表面に喰らいつき、目の醒めるような翡翠色の光を灯した。
マーカー弾。威力ゼロ。ただ、そこを指し示すためだけの一発。
リョウは離脱しながら、振り返り、声を張った。迷いも、震えも、詫びも乗せない、戦場の一番遠くまで届く、明瞭な声で。
「——撃て(クリア)!」
閃光。
奔流。
破壊。
桜色の収束砲は、一直線だった。捻じ曲げる必要のない、迷う必要のない、真っ直ぐな一射だった。翡翠の光点を正確に貫き、主動力炉を蒸発させ、十メートルの巨躯を内側から引き裂いて、工廠の壁ごと峡谷の岩盤を撃ち抜いた。
ファーヴニルは、竜の名にふさわしい断末魔の駆動音を一つ残し——膝から、崩れ落ちた。
卵形の保護殻は、崩れゆく巨躯の中で、傷ひとつなく、静かに転がり出た。
同時に、世界に音が戻った。
『——こちらゼルベロス! 応答して、トリガー! ヴァレル! 干渉場の消失を確認、応答——』
「……こちらトリガー」
リョウは、煙を上げる竜の骸を見下ろしながら、回線に応えた。
「鎮圧完了。……救助を頼む。要救助者、多数だ」