魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
——潜入側/残り時限四四時間・権限失効まで一二時間
「『魔法少女リリカルなのは』は……好きだったかい?」
その問いは、神殿の静寂の中で、奇妙に生々しく響いた。
同郷。転生者。もう一人の、灰の上の生き残り。目の前の疲れた中年男が、かつて自分と同じ画面を観て、同じ物語に胸を躍らせ、同じ二度の終末を浴びて——そして、正反対の岸に泳ぎ着いた。
「……答える義理はねえな」
リョウは、吐き捨てた。
「アニメの話をしに、ここまで潜ってきたんじゃねえんだ」
「つれないねえ。まあいい。……最後にもう一つだけ、同郷のよしみで提案をしよう。——こちら側へ来ないか、引き金の君」
ロキは、両手を広げた。
「考えてもみたまえ。私と君は、この宇宙でたった二人の、"外"を知る者だ。読者の視座を持つ者だ。それがどれほどの特権か、君はまだ理解していない。二人なら、この物語をもっと美しく終わらせられる」
「——断る。三秒も要らねえ」
「……そうか。残念だ。本当に、残念だよ」
ロキが、指を鳴らした。
神殿の四隅の暗がりから、白い機影が滑り出た。天翼兵——だが前線の量産機とは、纏う圧が違う。装甲は厚く、得物は長く、動きには護衛兵科の練度が刻まれている。近衛型。四機。同時に、床の石畳に幾何学紋様の光が走り、拘束力場が空間そのものを狭め始めた。
「賓客のもてなしは、これで終わりだ」
四方から、殺到が来た。
それからの時間は、針の筵の上で踊り続けるようなものだった。
近衛型の連携は、前線の比ではなかった。二機が射線を編んで退路を縫い潰し、一機が拘束場へ追い込み、一機が斬り込む。躱す。潜る。石柱の陰を盾に挟み、砕かれ、次の柱へ。リョウの反撃は——最小出力の牽制弾は——近衛型の装甲に、火花一つ残せなかった。
そして、その殺陣の外周を、絶対の障壁に包まれたロキが、悠然と歩きながら、歌うのだった。
「気づいているかい、引き金の君! 我々は選ばれたのだよ! 一度目の生で、我々はただの『受け手』だった。画面の前の、無力な、無数の、顔のない観客だった! だが今は違う! 我々は物語の『受け手』から『紡ぎ手』へと変わったのさ! そして私こそが、この物語を正しい方向に導ける!」
「チッ——よく回る舌だな!」
斬撃を紙一重で流しながら、リョウは短く吐き捨てることしか、できなかった。
言い返したいことは、腐るほどあった。紡ぎ手だと? 笑わせる。てめえのやってることは執筆じゃねえ、他人の本への落書きだ——だが言葉にする肺活量の全ては、生き延びる機動に食われていた。回避、回避、回避。左腕の裂傷が増える。拘束場が、じわじわと、踊れる床を狭めていく。
「紡ぎ手の椅子は、まだ一つ空けてあるのだがねえ! ……ああ、それとも君は、まだ『登場人物』のつもりでいるのかな? 健気なことだ! 台本も知らず、結末も選べず、ページの中で溺れる側に、わざわざ! 自分から!」
(……台本、ねえ)
柱の陰で、三秒の呼吸を盗みながら、リョウは残弾を数えた。通常弾、二。閃光弾頭、三。マーカー、一。
そして——胸の弾帯の、一番深い位置に、白い一発。
(台本なら、こっちにもあるんだよ。……てめえの採寸が終わった後に、書き足されたやつがな)
——前線側/残り時限四三時間
なのはの世界は、金色に狭窄していた。
出力制限の解けた雷は、もはや天災だった。躱す。受ける。流す。桜色の障壁が軋み、砕け、張り直される。胸の奥では、あの機構が——生成の不足を、命で埋める機構が、ずっと、開けろ開けろと囁いている。
(……少しだけ)
なのはは、囁きに、指一本分だけ、扉を開けた。
障壁の密度が跳ね上がり、直撃コースの雷光を、正面から弾き返す。代償の目眩を、奥歯で噛み殺す。少しだけ。ほんの少しだけ。リョウさんに叱られない範囲。撃つ価値の、ある範囲——
『ヴァレル、応答! 損耗率が危険域です、一度下がって——』
「——まだ、です! まだ、立てます!」
防衛線の後方には、退避しきれなかった街の灯がある。眼前には、四年間探し続けた金色がいる。下がる床は、この空のどこにもない。
「フェイトちゃん!」
斬光と交錯しながら、なのはは叫び続けた。
「わたし、決めたから! あなたを取り戻して、それで、言うんだから! 四年前に言えなかったこと、ぜんぶ! だから——それまで、絶対、死なせないし、死なないから!!」
金色は、応えない。応えないまま、次の雷を落とす。
二百ミリ秒ごとの、他人の意志で。
——潜入側/残り時限四二時間
好機は、作るものだった。
リョウは追い込まれるふりをして、神殿の東壁際——鋳造区画へ続く大扉の前まで、殺陣を引きずった。近衛型の斬撃を転がって躱し、その姿勢のまま、残った通常弾二発と閃光弾頭三発、全てを、扉の駆動部と、その向こうの鋳造炉の導管へ、叩き込んだ。
轟音。大扉が内側へ倒れ、鋳造区画の赤黒い熱気が、神殿へ雪崩れ込んだ。
そして、熱気と一緒に——生まれたてのトゥーサーズの群れが、雪崩れ込んだ。
仮説その一。生まれたての個体は、敵味方識別が粗い。
濡れた仔獣たちの赤い眼が、神殿内の「活性の高い魔力反応」を、無差別に敵と判定した。すなわち——展開中の武装を持つ近衛型と、絶対障壁を煌々と灯した、ロキ自身を。
「——なっ」
狼の顎が、主の護衛に喰らいついた。近衛型が迎撃に回る。神殿は一瞬で、同士討ちの坩堝と化した。
「馬鹿な、識別を——おのれ、静まれ! 静まりなさい!」
ロキが、初めて余裕を捨てた。片手で障壁を維持したまま、送信卓へ駆け寄り、制御盤に手を叩きつける。群体への一斉命令——それを打つには、卓に触れ、視線を落とし、意識を割かねばならない。
その、数秒。
三年がかりの盤面の、唯一の、盤外。
リョウは柱の陰で、静かに、相棒に告げた。
「ミニットマン、俺の言った通りに——出来るな?」
《Ready.》
短杖が、応と鳴いて、砕けるように展開した。
外装が割れ、駆動部が組み変わり、フレームが蛇のようにリョウの右前腕へ巻き付いて、喰い込み、固定される。もはや杖ではない。砲架だった。デバイスが、文字通り、リョウの右腕そのものと化していた。人の腕に、人の魔力に、本来通せない口径を、無理やり通すための——一度きりの、砲。
弾帯から、白いカートリッジを抜く。渦を巻く桜色。彼女の、一発。
(——撃つ場所も、撃つ時も、リョウさんが決めていい)
装填。薬室が、悲鳴のような駆動音で閉じた。
(——最初から、ずっと、クリアです)
「……ああ。頂くぜ、相棒(ヴァレル)」
リョウは柱を蹴り、同士討ちの坩堝のただ中へ、躍り出た。照準——送信卓に手をつき、こちらを振り向いたロキの、その絶対障壁のど真ん中。卓には当てない。当てるものか。あれは彼女の命綱だ。だから、狙いは障壁とその主だけ。ゼロ距離まで、あと二十メートル。十五。十。
「無駄だよ引き金の君ィ!! 君の火力では私の障壁は——」
「——てめぇの想定は」
引き金に、指をかけた。
「五ヶ月前の、俺たちだ」
撃った。
白が、爆ぜた。
桜色の奔流が、至近距離からロキの絶対障壁に激突し——三年がかりの盤面が想定しなかった口径が、幾層の障壁を、硝子のように、砕き割った。衝撃波が近衛型の残機とトゥーサーズを纏めて薙ぎ払い、神殿の石柱が二本、折れた。
同時に、リョウの右腕で、世界が白く灼けた。
骨の軋む音を、肉の限界を超える音を、彼は他人事のように聞いた。ミニットマンの砲架が、役目を果たし終えて、砕け散っていく。外装が、駆動部が、フレームが——二ヶ月間、一方通行の漫才に付き合ってくれた相棒のボディが、火花になって、剥がれ落ちていく。
右腕は、もう、上がらなかった。
それでも、足は、まだ動いた。
煙の中を、リョウは歩いた。
砕けた障壁の破片の中心で、ロキが、へたり込んでいた。黒衣は焼け焦げ、凡庸な顔は煤と鼻血に汚れ、そしてその目は——生まれて初めて台本にない頁をめくった読者の目で、よろめきながら近づいてくる隻腕の男を、見上げていた。
「な……何故だ……」
声が、震えていた。
「その腕……そのデバイス……切り札ごと、自分の体を……何故だ……何故、ただ一遍の世界(ものがたり)に対して、そこまで……!?」
リョウは、答えた。
煙と血の味のする口で、しかし、はっきりと。
「……てめぇ自身が、聞いただろ」
一歩。
「好きだからだよ……——この物語(せかい)が、な!」
残った左腕が、ロキの襟首を、鷲掴みにした。
男が何か言いかけた、その顔面へ——リョウは、渾身の、頭突きを叩き込んだ。
「ぉぐぉぁぁ……!!」
鈍い音がして、自称・紡ぎ手は、白目を剥いて、石畳に沈んだ。
「……執筆ってのはな」
リョウは、額の血を左腕で拭いながら、動かなくなった男を見下ろした。
「机の上でやるもんだ。……人の故郷と、人のトモダチを、原稿用紙にしてんじゃねえよ」
——残り時限四一時間・権限失効まで九時間
そこからは、時間との競争だった。
ロキを拘束具で縛り上げ、送信卓の補助系——次元干渉場の発生源を停止させる。閉ざされていた空に、回線が通った。
『——トリガー!! 応答を確認!! 生体信号——ああもう、ボロボロじゃないの……!』
「課長殿、再会の感動は後だ。グレア三佐を。……卓は無傷で押さえた。寝てるオーナーの生体認証つきでな」
そこからの三十分、リョウは分析班の遠隔誘導に従う、ただの不器用な左手となった。ロキの掌を認証盤に押し当て、権限を移し、グレアの読み上げる手順を、一つずつ、卓に打ち込んでいく。
『——最終確認。停止シークェンス、正規手順で受理されました。生命維持系、全系統独立駆動へ移行——切り離し、実行します』
卓の上で、四年間灯り続けた送信波形が——ゆっくりと、静かに、水平線になった。
「……ヴァレル、聞こえるか」
リョウは、通信に、告げた。
「終わったぞ。——首輪、切れた」
——前線側
金色の雷が、止まった。
振り上げられた漆黒の鎌が、その軌道の途中で、力を失った。レギンレイヴの魔力刃が、砂が零れるように解けて消える。深紅の目から、照準の光が落ち、瞼が、四年ぶりに、自分の重さで閉じた。
小さな体が、油色の空から、落ちる。
「——フェイトちゃん!!」
なのはは、落下点へ、何もかも置き去りにして飛び込んだ。両腕を、伸ばす。四年前、指の先すら掠らなかった、その両腕を——
届いた。
金色の髪ごと、傷だらけの小さな体を、なのはは空中で、抱き止めた。重い。機械の重さだ。それでも、腕の中で、微かな呼吸が、確かに胸を上下させていた。生きている。眠っている。ただの、十四歳の女の子の顔で。
「……つかまえた」
涙が、勝手に零れた。
「つかまえたよ、フェイトちゃん……! 今度は、離さな——」
腕の中で。
漆黒の鎌が——誰の手も触れていないのに——ひとりでに、駆動音を上げた。
フェイトの体が、跳ねた。閉じていた目が見開かれ、しかしその奥に、光は戻っていなかった。空っぽの目のまま、体だけが、なのはの腕を振り解き、宙へ躍り上がる。レギンレイヴの魔力刃が、再点火する。金色——だが、その動き方が、変わっていた。二百ミリ秒の脈動は、もうない。代わりに立ち上がったのは、もっと滑らかで、もっと懐かしい、太刀筋の——
『——各局へ、緊急!!』グレアの絶叫が、回線を裂いた。『レギンレイヴが自律起動しています! フェイルセーフです、外部制御の喪失を検知して、継承戦闘データによる自律戦闘モードが——バルディッシュの記録が、機体を勝手に動かしてる!!』
「そん、な……」
『もっと悪い報せがあります! 自律モードにはリミッターが存在しません! サイボーグ系が全力駆動を続ければ——機体は、酷使で自壊します! 推定残余駆動時間——二時間を、切っています!!』
止めなければ、彼女は戦い続けて、燃え尽きて、死ぬ。
油色の空の下、空っぽの金色と、隻腕の引き金と、涙の乾く間もない砲身だけが、残されていた。