魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~   作:ちょわわ

15 / 38
第15話「Reach」

 ——残り時限四〇時間

 

 瓦礫の中に、それは落ちていた。

 

 親指の先ほどの、罅の入った演算結晶。ミニットマン051の——二ヶ月間、一方通行の漫才に付き合い続けた相棒の、芯。

 

 リョウが左手で拾い上げると、結晶は罅の奥で、弱々しく、しかし確かに明滅して、鳴いた。

 

《Ready.》

 

「……はっ。嘘つけ。ボディごと吹っ飛んだくせに、何が準備万端だ」

 

《Ready.》

 

「……ああ。分かったよ。まだ現役だってんだろ。……なら、最後まで付き合え」

 

 リョウは結晶を、胸の弾帯の——白いカートリッジの入っていた、一番深い位置に、収めた。

 

 神殿には、降下艇の音が近づいていた。干渉場の死んだ空を、管理局の確保部隊が続々と降りてくる。リョウは拘束したままのロキを、部隊の指揮官に引き渡した。

 

「身柄は本局預かりだ。丁重にな。……ああ、それと」

 

 祭壇の黒い牙を、顎で示す。

 

「あれには触るな。調べもするな。輸送の算段が立つまで、半径十メートルに近寄らせるな。……嫌な明滅の仕方をしてやがる」

 

 担架の上で、ロキが、微かに身じろぎした。潰れた鼻で、白目のまま、その唇だけが、笑うように、動いた気がした。

 

 気のせいだ、と思うことにして——リョウは、前線行きの輸送艇に、飛び乗った。

 

 輸送艇の中で、衛生兵が、リョウの右腕に固定具を組み上げていった。

 

「簡易処置は済ませました。ですが、このままでは……」

 

「良いんだ。今は上げ下げできりゃいい」

 

 衛生兵は何か言いかけて、リョウの目を見て、黙って固定具のベルトを締めた。上げ下げ。それだけできれば、抱えられる。今日の残りの仕事に、それ以上は要らなかった。

 

 通信席のモニターには、前線の戦況と——もう一つ、聞きたくもない回線が流れていた。本局、統合幕僚部。

 

『——繰り返す。鹵獲対象は、消滅した』

 

 あの老提督の声だった。

 

『制御が切れた時点で、"保護すべき人員"の定義は失われた。今、防衛線上にあるのは、誰の意思でもなく暴れる、リミッターのない兵器だ。第三艦隊に砲撃準備を命じる。暴走機体が防衛線に到達する前に——排除せよ』

 

『意見具申を!』リンディの声。『機体は二時間以内に自壊します、交戦を避けて距離を取れば——』

 

『その二時間で何人死ぬ、一佐。自壊を待つ猶予は、退避行のどこにもない。……貴官の私情は記録した。以後の具申は不要』

 

「……クソ提督が」

 

 リョウは吐き捨て、操縦席に怒鳴った。

 

「急いでくれ! 全速だ!」

 

 ——前線

 

 なのはの世界は、燃える金色でできていた。

 

 暴走したフェイト・テスタロッサは、強かった。二百ミリ秒の脈動が消えた今、その太刀筋には遅延も、他人の癖もない。純粋な、四年前のままの、フェイトの剣技だけがある。躱しても躱しても、記憶の中の軌道のまま、雷が追ってくる。

 

 そして、その体は、燃えていた。

 

 装甲の継ぎ目という継ぎ目から、過負荷の白い光が漏れている。機械の関節が、一合ごとに、悲鳴じみた軋みを上げる。グレアの報告が、無慈悲に減っていく数字を告げ続ける。

 

『残余駆動時間、推定五〇分——四七分——』

 

 止まって、と叫んでも、止まらない。逃げれば、防衛線の街へ向かう。受け続ければ、彼女が燃え尽きる。撃つことは——できない。

 

 胸の奥の扉を、なのはは、もう指三本分、開けていた。目眩と引き換えの障壁で雷を受け、受けて、受けて、時間を、一秒ずつ買う。何のための時間かも、まだ分からないまま。

 

 その時、艦隊回線が、最悪の音を立てた。

 

『第三艦隊、旗艦より各艦。砲撃管制、開始。目標——暴走機体。照準完了まで、六〇〇秒』

 

「……っ、だめ……!」

 

 六〇〇秒。十分。十分後に、艦隊の砲火が、この空ごとフェイトを消す。

 

 その、絶望の秒読みに——割り込んだ影があった。

 

 巨大な艦影が、ゆっくりと、第三艦隊の射線と戦場の間に、滑り込んだ。三門の主砲を持つ、次元航行戦艦。

 

『——こちらゼルベロス、艦長リンディ・ハラオウン』

 

 静かな、恐ろしく静かな声が、全艦隊の回線に乗った。

 

『本艦はこれより、当該空域の"回収作戦"を継続します。射線上に本艦がいる間、砲撃はできないものと心得なさい』

 

『ハラオウン一佐!! 貴様、正気か! 軍法会議ものだぞ!!』

 

『ええ、どうぞ。裁判は、生きてさえいれば、いくらでも受けられますので』

 

 うちの子たちの戦場に、艦砲は撃たせません——回線の最後に、そう聞こえたのは、なのはの気のせいではなかったはずだった。

 

 リョウが戦場に到達したのは、残余駆動時間三八分の時点だった。

 

 輸送艇の後部ハッチから、固定具の右腕のまま、彼は油色の空に躍り出た。眼下に、金色と桜色の航跡。上空に、盾となった母艦の腹。回線の向こうに、艦隊の砲撃管制の秒読み。

 

 全部の時計が、同時に鳴っている戦場だった。

 

「ヴァレル! 待たせた!」

 

『リョウさん……!! 腕、腕が——』

 

「上げ下げはできる! それより聞け、作戦だ。……グレア三佐、確認させろ。生命維持系は今、完全な独立系なんだな?」

 

『はい! 停止シークェンスで切り離し済みです! 機体の戦闘系——レギンレイヴと駆動骨格だけを落とせれば、命には触らずに止められます! ですが、この機動速度の相手にそんな精密射撃は——』

 

「動いてる相手にはな。——止まってりゃ、話は別だ」

 

 リョウは、燃える金色を見据えた。

 

 二度、刃を交えた。何百時間、画面の中で観た。そして今、あの体を動かしているのは、フェイト自身ですらない。バルディッシュの継承データ——記録された太刀筋の、忠実な再生。

 

 (……なあ、ロキ。てめえは、あいつを台本にした)

 

 (なら——台本なら、俺は、読み込んでるんだよ。てめえなんかより、ずっと前から。ずっと深くな)

 

 適応しない。裏をかかない。あの機体は、記録された最適を、記録されたとおりに打ち続けるだけの、上映装置だ。四年前の彼女の癖、間合い、選択の全て——原作知識という名の、四年間ゴミだった台本が、今この瞬間、この宇宙でただ一人、リョウの頭の中にだけ、完全な形で存在していた。

 

「ヴァレル。三つだけ言う」

 

 リョウは、静かに告げた。

 

「一つ。俺がこれから、あいつを止める。物理的に、この体でだ。二つ。止まったら、撃て。非殺傷、最大制御、レギンレイヴと駆動系ごと——俺とあいつを、まとめて撃ち抜け」

 

『——!? だ、だめです、そんなの、リョウさんごとなんて、わたし——』

 

「三つ目」

 

 リョウは、笑った。回線越しでも分かるように、いつもの、軽い声で。

 

「——おまえなら、できる。おまえの馬鹿げた魔力を、全部、威力じゃなくて優しさに回せ。世界で一番強い砲身の、世界で一番柔らかい一発だ。……そんなもん、おまえにしか撃てねえだろ」

 

 リョウは、飛んだ。

 

 金色が、反応する。斬り上げ——知っている。躱す。返しの横薙ぎ——知っている。潜る。雷光の面制圧——知っている。撃たれる前に、射線の生まれる場所から、いなくなる。

 

 台本どおりだった。何もかも。適応も、進化もしない。ただし一手一手が、神速で、必殺だった。読めることと、躱しきれることは、別の話だ。肩口が裂ける。腿を掠める。それでも、読める限り、致命だけは、躱せる。

 

 (次——刺突からの、追い撃ちの雷——)

 

 来た。金色の刺突。躱さない。躱さずに、半身だけ捻って——左の脇腹で、受けた。

 

 肉を裂く熱。構わない。刺さった得物は、抜くまで、動かない。

 

「——捕まえ、たぁ……!!」

 

 リョウは、残った左腕を、金色の小さな体に、蛇のように巻き付けた。両脚を絡め、固定具の右腕ごと、全体重を、預ける。空中で、二人分の質量が、一つの塊になる。機械の膂力が、拘束を引き剥がそうと暴れる。骨が軋む。長くは保たない。三秒——いや、二秒。

 

 二秒あれば、あいつには、充分だ。

 

 リョウは、肺に残った空気の全てで、吠えた。

 

「クリアだ——!! 俺ごと、撃てええええ!!」

 

 五百メートル先の空で、なのは・T・ハラオウンの世界から、音が消えた。

 

 照準の中に、二人がいる。四年間探し続けた金色と、五ヶ月間隣を飛び続けた背中が、一つに重なって、いる。

 

 引き金に、指をかける。

 

 ——撃つところだった。あの日の震えが、指先に蘇る。引くだけだった。クリアも出ていた。もしあのまま撃っていたら。もし、これを外したら。もし、制御が一瞬でも揺らいだら。わたしの一発は、二人を——

 

 (——撃てない)

 

 四文字が、喉元までせり上がって。

 

 その四文字を。

 

『——おまえなら、できる』

 

 彼の声が、正面から、撃ち抜いた。

 

 最初から、ずっと、クリアです——五ヶ月前、自分が渡した言葉が、今、そっくりそのまま、返ってきている。信じて、預けて、決めてもらう番が、今度は、わたし。

 

 なのはは、息を、深く、深く、吸った。

 

 胸の奥の扉を——四年間、恐れ続けたその扉を——自分の意志で、全開にした。

 

 無尽蔵が、溢れ出す。ただし今日、その奔流の行き先は、威力ではなかった。一滴残らず、制御に。精度に。柔らかさに。殺さないために。壊さないために。ただ、止めて、抱き留めるためだけに——世界で一番強い砲身が、その全てを、優しさに変換していく。

 

 セブンスウィルの砲口に、これまでの誰も見たことのない色の光が、灯った。桜色よりも淡い、夜明けの色。

 

 (フェイトちゃん。リョウさん)

 

 (——おかえりなさいの、一発です)

 

「収束砲——非殺傷設定、最大制御」

 

 引き金を。

 

 迷いなく。

 

「——発射(シュート)‼︎」

 

 夜明け色の奔流が、空を、渡った。

 

 それは轟音ではなく、鐘の音のように響いた。光は二人を呑み込み、貫かず、包み——レギンレイヴの駆動音が、金属の骨格の軋みが、過負荷の白い光が、その内側で、順番に、眠るように、鎮まっていった。

 

 漆黒の鎌が、主の手を離れ、ゆっくりと落ちていく。

 

 金色と、隻腕の男が、絡まり合ったまま、力を失って、落ちていく。

 

 なのはは、飛んだ。誰よりも速く。四年前よりも、速く。

 

 届いた。今度も、届いた。両腕は、二人分には足りなかったから、腕で金色を抱き、障壁の褥で背中を受け止めて——三人分の質量が、縺れ合ったまま、荒野の土の上に、転がった。

 

 静寂が、戦場に降りた。

 

『……駆動系、完全停止。自壊シークェンス、停止。……両名の生体信号、安定』

 

 グレアの声が、涙声になっているのを、誰も咎めなかった。

 

『艦隊回線へ。こちらゼルベロス——回収作戦、完了。……鹵獲、完了です』

 

 リンディの声が、鋼の平静さの下で、微かに震えていた。第三艦隊の砲撃管制が、沈黙のうちに、解除されていった。

 

 荒野の土の上で、なのはは、腕の中の二人を見た。

 

 リョウは、白目を剥いて、気持ちよさそうに気絶していた。脇腹の傷は障壁と非殺傷光の残滓で塞がりかけている。ひどい顔だった。生きている顔だった。

 

 そして、金色の少女は——

 

 睫毛が、震えた。

 

 深紅の目が、薄く、開いた。四年ぶりに、指令波でも自律データでもない、彼女自身の意志で。焦点の合わない視界が、ゆっくりと、覗き込む顔の上で、結ばれていく。

 

 乾いた唇が、掠れた、小さな、小さな音を、作った。

 

「………………なの、は……ちゃん……?」

 

「——うんっ……!!」

 

 涙で、返事は、ほとんど言葉にならなかった。

 

「うん……! そうだよ……! なのはだよ、フェイトちゃん……!!」

 

 金色の少女は、それだけで力尽きたように、目を閉じた。今度は、ただの眠りだった。呼吸は穏やかで、その寝顔は——十四歳の、ただの女の子のものだった。

 

 残り時限、三八時間。

 

 世界の終わりまでの時計は、まだ止まっていない。霊峰の祭壇では、黒い牙が、嗤うように明滅を速めていたことを——この荒野の三人は、まだ、知らない。

 

 それでも。

 

 四年ぶりに呼ばれた名前を抱きしめて、なのは・T・ハラオウンは、油色の空の下で、声を上げて、泣いた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。