魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
突入は、残り七十二時間の刻限とともに始まった。
霊峰へ続く渓谷地帯——干渉域の内側へ、二人は低空で滑り込んだ。頭上のはるか高み、成層圏の際では、管理局艦隊とフェンリル艦艇の砲火が、無音の雷のように明滅している。あの光の下は、別の戦争だ。この谷の中は、二人だけの戦争だった。
最初の遠吠えは、突入から四分後に聞こえた。
狼の声だった。ただし、生き物の喉から出る声ではなかった。金属の共鳴と獣の咆哮を混ぜて、悪意で煮詰めたような音。谷の稜線という稜線に、影が、立ち上がった。
二足で立つ、狼の形をした何かの群れ。体高二メートル半。骨格は黒曜石に似た光沢で、目の位置に赤い光が灯り、そして——胸郭は、空洞だった。心臓のあるべき場所で、牙の欠片のような結晶が、あの放送と同じ呼吸で、明滅していた。
「敵性体、視認。事前情報どおり——猟牙兵(トゥーサーズ)」
リョウはミニットマンの索敵桁を全開にし、三秒、費やした。生体反応、なし。改造母体の痕跡、なし。装甲の内側に、眠る顔は、ない。あれは正真正銘、命のない量産品——牙が瓦礫と魔力から鋳造した、ただの「物」だ。
確定。宣告するように、リョウは言った。
「——全機、物だ。生体なし、コアなし。……ヴァレル」
隣の砲が、応えた。
「はい」
「制限解除だ。三秒はもう要らねえ、俺が『待て』って言うまで——全部、撃っていい」
「——了解っ!」
その返事の鋭さを、リョウは生涯忘れないだろうと思った。
桜色が、谷を灼いた。
それは、四ヶ月前のサントレアで見た光景と、同じで、まるで違った。
火力は同じだ。一射で稜線が一本消える、あの理不尽な破壊力。だが、あの日の砲撃が方向のない氾濫だったとすれば、今日のそれは、水路を得た奔流だった。
『クリア、二時、稜線裏に第二波! 数、約六十!』
『撃ちます!』
『クリア! ——待て、十時の岩棚、退避壕がある、住民の残留を確認する——クリア、無人だ! 撃て!』
『はいっ!』
リョウが先を飛び、目と索敵で戦場を確定し続ける。なのはが半拍遅れて、確定された区画だけを、根こそぎ薙ぎ払う。呼びかけと応答。観測と砲撃。二ヶ月の任務と、一つの窮地と、毎晩の訓練区画が編み上げた、二人分の戦闘機動だった。
トゥーサーズは、強かった。一体一体が、Aランク——つまりリョウと同格の危険度を持ち、そして群れとして狩りをする。挟撃。陽動。捨て駒。命がないくせに、狼の狡知だけは鋳込まれている。リョウ一人なら、十体で詰んでいた。なのは一人なら、火力で押し潰せても、死角からの一噛みは防げなかったかもしれない。
二人だから、回った。
回って、回って——三十分で、撃破数は二百を超えた。
そして、リョウは気づき始めていた。
(……減らねえ)
谷の奥、霊峰の方角から、遠吠えは途切れなく湧き続けている。倒した端から、次の稜線に新しい影が立つ。分析班の推定が、耳の奥で蘇る。牙が瓦礫と魔力から鋳造する——つまり、材料がある限り、無限に。
(物量で磨り潰す気か? 違う。それだけじゃねえ)
嫌な汗が、背中を伝った。
この波状攻撃は、防衛線を抜くための物量じゃない。撃たせるための物量だ。無尽蔵の魔力を持つ砲に、無尽蔵の的をあてがい、延々と、延々と、撃たせ続ける。彼女の魔力は尽きない。尽きないからこそ——尽きるのは、魔力じゃない方だ。
工廠で採寸された俺たちの戦い方に合わせて、あの男は、この谷を設計してやがる。
「ヴァレル! 射撃統制を変える! 全滅は狙わねえ、突破線上の敵だけ潰す! 燃費で行くぞ、こっからは長丁場——」
言いかけた、その時だった。谷の東の空で、遠吠えが、止んだ。
正確には——東の一区画のトゥーサーズだけが、一斉に、行動を変えた。散開していた群れが、幾何学的な精度で再集結し、防御陣形を組む。狼の狡知ではない。あれは、統率だ。指揮する者のいる、軍隊の動きだ。
その陣形の上空に、新たな機影の群れが展開した。
白い、細身の、翼を持つ人型。逆光の中でも分かる、天使を模した輪郭。トゥーサーズの獣性とは対極の、冒涜的なまでに端正な——
「……天翼兵(ヴァルキリー)」
事前情報の第二の名を、リョウは口の中で転がした。数、およそ三十。展開の精度が、明らかに違う。誰かが、あの編隊を、直接率いている。
索敵桁が、編隊の中心に、ひときわ高密度の魔力反応を捉えた。
その瞬間。
金色の、雷光が。
天翼兵の陣列を陣頭から縦に裂いて、谷の空を、一直線に奔った。
速い、という感想すら間に合わなかった。稲妻はそのまま東の稜線上のトゥーサーズの残群——統率から外れた数体を、瞬きの間に両断し、刈り取り、そして陣列の頂点へ、静かに帰投した。金色の残光だけが、油色の空に、傷跡のように残った。
リョウの心臓が、氷の手で、掴まれた。
(——今の、は)
速度じゃない。精度でもない。色だ。
あの色を、俺は知っている。
前世で、何百回も見た。画面の中で、雷と呼ぶにはあまりに綺麗な、金色の。誰よりも速く、誰よりも寂しい場所を飛んでいた、あの——
索敵桁が、機械的に解析結果を刻んでいた。術式基盤、ミッドチルダ式。魔力変換資質——『電気』。データはただ、極めて希少な資質持ちだと告げている。だが、色が。色だけが、データの外で叫んでいた。
「……ヴァレル。艦に打電の準備を——」
言いかけて、リョウは気づいた。
隣から、応えるはずの気配が、消えていた。
振り返って、息を呑んだ。
なのは・T・ハラオウンが、空中で、止まっていた。セブンスウィルの銃口が、力を失ったように、ゆっくりと下がっていく。見開かれた目は、東の空に残る金色の傷跡に縫い付けられたまま、動かない。唇が、声にならない形を、何度も、何度も、作っては壊していた。
(……そうだ。そうだよな)
リョウは、自分の間抜けさを呪った。
原作知識なんて、要らなかった。この世界であの色を一番よく知っているのは、俺じゃない。画面越しに何百回見た男なんかじゃ、ない。
ジュエルシードの空で、あの雷と誰よりも近くで向き合った少女。四年間、毎晩たった一人で、虚数空間の観測データを漁り続けた少女。何を探しているのか、母親にすら言わなかった少女が——今、その探しものの色を、敵陣の、ど真ん中に。
「なのは」
コールネームではなく、名前を呼んだ。届かなかった。少女の喉から、掠れて、砕けた音が零れた。
「……うそ……だ。だって……ずっと……ずっと、さがして……観測データ、ぜんぶ見て……どこにも、いなかった、のに……」
金色の光点が、東の空で、ゆっくりと、こちらへ機首を向けた。
その動きに引かれるように、少女の唇が、四年ぶりの名前を、形にした。
「——フェイト、ちゃん……?」