魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
フェイトの着任から、一ヶ月が過ぎた。
その朝、ゼルベロスの食堂に、一枚の書類が着任した。
配達人は、艦長本人であった。リンディ・ハラオウンは朝食の卓に湯呑みを置き、にこにこと、二人の部下の間に、紙を一枚、滑り込ませた。
「本局の家族登録課から、照会が来ましてね」
表題には、こうあった。
『養子縁組申請書・補正依頼書(続柄欄)』
申請そのものは、順調だった。三通目まで通り、あとは家族登録課の審査を待つだけ——のはずだった。だが管理局の様式というものは、決して一枚では終わらない。姓が決まれば、続柄が要る。続柄が要るなら、順序が要る。
依頼書の下段には、事務的な一文が添えられていた。
『※補正完了までの間、当該申請の審査は停止します』
該当欄の下には、几帳面な注意書きが添えられていた。
『※空欄不可。「姉」または「妹」のいずれかを明記のこと』
食堂の時間が、〇・五秒、止まった。
それから、フェイトが箸を置いた。
「……あの。これは、どちらが記入を」
「二人でね」
リンディは、実に楽しそうに湯呑みを傾けた。
「決まったら、持ってきてちょうだい。急ぎではないのよ。……この一枚が埋まるまで、縁組の審査が止まっているだけで」
「止まっているんですか」
「止まっているわね」
リンディは、実にいい笑顔だった。
艦長が去ったあと、卓に残された二人は、書類を挟んで向かい合った。リョウは味噌汁を啜りながら、この構図に見覚えがあると思った。作戦前のブリーフィングで、投影図を挟んで両翼が睨み合う、あの陣立てである。
なのはが、口を開いた。
「フェイトちゃん」
「はい」
「——私が、姉です」
「異議が、あります」
開戦であった。
第二ブリーフィングルームが押さえられたのは、その日の一四〇〇である。
押さえたのはフェイトだった。「私的な議題での施設使用申請」という、この艦の歴史上おそらく初めての書類が、正規の手順で受理された。備考欄には『所要時間・三十分(見込み)』とある。見込みである。
黒板の前には、司会進行(自称)のリョウ。机の左右に、原告と被告——どちらがどちらかは、最後まで誰にも分からなかった——が着席していた。
「言っとくが、俺は審判じゃねえからな。俺はただ、飯を食い終わったところを捕まっただけの——」
「トリガー一尉。第一証拠の提出を」
「聞けよ」
なのはが、卓上に書類を置いた。
リョウの手が、止まった。
ホチキス留めの、十二枚である。表紙には『主張書面(一)』とあり、目次が付いていた。
「……おい」
「はい」
「お前の戦闘詳報、三行だよな」
「必要なことは、書いてます」
「必要なことしか書いてねえ奴が、なんで姉の話になると十二枚書けるんだよ」
「必要だからです」
なのはは、実に堂々としていた。この一件でゼルベロス乗員が学んだ教訓が一つあるとすれば、それは「なのは・T・ハラオウンは、書けないのではなく、書く気がなかっただけである」という、身も蓋もない事実だった。
「では、要旨を述べます。第一。実年齢。私が上です」
「異議あり」フェイトが即座に手を挙げた。「私の出生記録は、存在しません」
「……あ」
「プレシア・テスタロッサの研究記録に、日付の記載はありませんでした。管理局の推定も『十四歳から十六歳』で止まっています。——つまり」
フェイトは、書きたてのペンの先を、まっすぐに向けた。
「年齢不詳であるということは、私が年上である可能性を、等しく含みます」
「屁理屈だよ、それ!」
「規則の解釈です」
「同じ意味じゃないかな!?」
リョウは黒板に線を一本引き、その下に『不詳=年上の可能性』と書いた。書きながら、この娘に六法を渡してはいけないな、と真剣に思った。
なのはの反撃は、しかし、早かった。
「じゃあ、書類上の誕生日はどうかな」
「書類上」
「フェイトちゃんの管理局登録日は、養子縁組の受理日と同じです。つまり書類の上で、フェイトちゃんは——」
なのはは、指を折って数えた。
「生後、三十四日です」
「…………」
「はい、妹決定!」
「————」
沈黙、二・八秒。
フェイト・T・ハラオウンは、この日、着任以来最大の被弾を記録した。生後三十四日。管理局の様式が、彼女の四年間と十数年を、まとめて一ヶ月に丸めた瞬間である。
だが、この娘の再起動は速かった。
「……了解しました」
「え」
「では、姉上」
「……あ、あね、うえ」
「姉の責務として、確認事項があります」
フェイトは手帳を開き、頁を繰った。備えてある。この娘は、負けた場合の頁まで、備えてある。
「一つ。妹の書類仕事の指導は、姉の責務です。本日より、報告書の様式についてご指導をお願いします。二つ。妹の魔力運用の助言も、姉の責務です。三つ。姉は、規則上、妹の行動に対して監督責任を——」
「……あの、フェイトちゃん」
「はい、妹です」
「い、いま、ちょっとだけ、妹の方が強い気がしてきたんだけど」
「気のせいです、姉上」
リョウは天井を仰いだ。黒板には、いつのまにか対戦表のようなものが書き足されていた。誰が書いたのかは、最後まで判明しなかった。
三十分(見込み)は、当然のように超過した。
議論が専門部署を巻き込み始めたのは、二日目である。
最初に捕まったのは、医療班だった。フェイトの生体年齢の鑑定依頼が、正規の様式で提出されたためである。担当官は三時間の精密検査を行い、真面目な顔で回答した。
「生体年齢、十四歳から十五歳相当。ただし——」
「ただし?」
「体組織の約六割が機械です。残り四割の細胞年齢から逆算していますが、四年間の停止期間における生体時間の扱いに、医学的な前例がありません。よって」
担当官は、書類に判を捺した。
『判定不能』
次に捕まったのは、分析班だった。
なのはの誕生日が、滅んだ星の暦で記録されていたからである。第九十七管理外世界の太陽年は、ミッドチルダの標準年と一致しない。換算するには、換算表が要る。換算表は、あった。四年前の作成で、原本は、星と一緒に燃えていた。
「……写しが、二種類あります」
分析班長は、目頭を押さえていた。
「うるう年の扱いが違います。どちらが正本かを判定する権限は、当該世界の暦法委員会にあります。当該世界は、四年前に消滅しています。よって」
彼は、書類に判を捺した。
『判定不能。なお、誤差は十一日』
十一日。
ブリーフィングルームで、リョウはその数字を三秒見つめた。
誤差十一日というのは、要するに、なのはとフェイトの推定誕生日の幅が、綺麗に重なるということだった。
「……つまりだ。医学的にも、暦法的にも、どっちが上か、証明できねえ」
「では、どうするのですか」
「知るか! なんで俺が調停官やってんだ!」
「調停官の任命書は、三日目の朝に発行されております」
「発行するな!」
三日目の午後には、整備班が動いた。
厳密には、整備班は動かされた。オーバ老が工房の隅に置いた一冊の帳面が、若い衆の間で静かに開帳されたのである。表紙には、達筆でこうあった。
『姉は、どっちだ』
これが、後年ゼルベロスの裏の歴史を延々と記録し続けることになる、あの帳面の第一頁である。この時点ではまだ、賭けの対象は健全であった。健全でなくなるのは、もう少し先の話である。
「ほっほ。若いのう」
「オーバ老。あんた、どっちに賭けたんだ」
「儂は胴元じゃ。……ちなみに、いちばん大きい札は『決着せず』に賭かっとる」
「賭けが成立しねえだろ、それ」
「じゃから、いちばん大きいんじゃよ」
老技師は、帳面を閉じた。
その日の夕方、整備班は、もう一つの先任問題に取り組んでいた。
充電架に並んだ、二機である。
ミニットマン051改。初期登録は四年前。ただし、演算結晶には罅が入っている。
レギンレイヴⅡ。器は新造だが、移し替えられた人格中枢の初期登録は——七年前。
「……先任は、レギンレイヴじゃな」
オーバ老が、記録簿を閉じた。
所要時間、〇・三秒。異議は、出なかった。
《Ready.》
《Yes, sir.》
二機は、いつも通り鳴き交わし、いつも通り、待機演算負荷を、ほんの少しだけ下げた。
「……なあ、オーバ老」
「なんじゃ」
「あいつら、なんでそんな早く決まるんだ」
老技師は、少しだけ笑った。
「先任も後任も、あれの負荷が下がることには、関係ないからじゃろ」
リョウは、しばらく充電架を見ていた。
四日目の夜、観測ラウンジ。
なのはが、一人で窓の外を見ていた。手には、まだ空欄の書類が一枚。
「……熱心だな」
「あ、リョウさん」
なのはは、書類を膝に伏せた。それから、少しだけ、言い訳するみたいに笑った。
「変ですよね。こんな、順番だけの話で」
「変だな」
「……ですよね」
「変だから、聞いてんだよ。何の話なんだ、それ」
なのはは、しばらく黙っていた。星の海が、窓の外を、ゆっくり流れていく。
「私、末っ子だったんです」
リョウの手が、コーヒーの缶の途中で止まった。
「歌、あるじゃないですか。私が時々歌ってる、あの子守唄。あれ、お母さんが歌ってて、お姉ちゃんが歌ってて、それで、いちばん最後に、私が聞く番だったんです。……四年前まで、ずっと」
「……ああ」
「だから、一回も、無いんですよ」
なのはは、窓に額をつけた。
「歌ってあげる側に、座ったこと。大きい方の唐揚げを、渡す側に座ったこと。……一回も、無いんです」
空欄の書類が、膝の上で、少しだけ皺になった。
「フェイトちゃんが来て、初めて、あ、私、いま渡す側の席の隣にいるんだって思って。……それで、なんか、欲しくなっちゃって」
「椅子が、か」
「はい。……子供みたいですね」
「子供だろ、お前は」
リョウは缶を傾けて、言った。
「十五かそこらのガキが、姉になりたいって言ってんだ。何が変なんだよ。順番通りだ」
なのはは、目をぱちぱちさせて、それから、笑った。燃費の悪くない方の、上等な笑い方だった。
同じ夜、格納庫。
フェイトは、レギンレイヴⅡの整備台の前に立っていた。手にはやはり、空欄の書類が一枚。
「……お前もかよ」
「トリガー一尉」
「一尉じゃねえ」
リョウは工具箱に腰を下ろした。フェイトは書類を几帳面に畳んで、脇に置いた。
「一つ、伺ってもいいですか」
「おう」
「私は、なぜ、これを譲れないのでしょうか」
真剣な顔だった。この娘は、自分の感情ですら、まず定義から入る。
「私は規則の人間です。証明できない主張は、取り下げるのが正しい。医療班も分析班も、判定不能と回答しました。合理的には、私が引くべきです。……なのに、引けません。理由が、分析できないんです」
「分析すんな。飯と同じで、そういうのは手続きじゃねえ」
「……はい」
フェイトは、しばらく黙っていた。それから、いつもの平坦な声で、いつもと違うことを言った。
「私は、四年間、守られる側でした」
リョウは、何も言わなかった。
「正確ではありません。四年間、私は誰かの指で引き金を引かされる側で、そして最後は、抱き止められる側でした。空中で。……あの時のことは、よく覚えています。重い、と言われたのも」
「言ってねえだろ」
「なのはちゃんは、言っていません。でも、私は、重かったです。機械の重さで」
フェイトは、自分の右手を見た。稼働中の、あたたかい方の手を。
「もう、いいんです。守られる側は。……もう、充分もらったので」
だから、渡す側の席が欲しい。
そう言わずに、この娘は、書類を几帳面に畳み直した。
リョウは、天井の配管を見上げて、一つ、深い息を吐いた。
(……そういうことか)
姉の椅子というのは、要するに、渡す側の席である。
そして、うちの部隊には、渡す側の席に座りたがっている人間が、二人いる。
四年ぶん、勘定の合わない人間が、二人。
(そりゃあ——決着なんか、つくわけがねえ)
五日目の夕食で、事件は起きた。
厨房が唐揚げの山を着任させ、いつもの再配分が始まった。なのはが山のてっぺんの一番大きいのを箸で攫い、フェイトの小皿に載せた。
同時に。
フェイトが二番目に大きいのを攫い、なのはの小皿に載せた。
なのはが三番目を攫い、フェイトの皿に載せた。
フェイトが四番目を攫い、なのはの皿に載せた。
……
長机の全員が、箸を止めた。
二枚の小皿の上で、唐揚げの山が、着々と再建されていた。どちらも受け取らない。どちらも渡すのをやめない。渡す側の席に、二人同時に座ろうとした結果である。
「……なあ」
リョウが、静かに言った。
「お前ら、いま何を争ってるか、分かってるか」
「「大きい方を渡す権利です」」
声が、綺麗に揃った。
揃った瞬間、二人は同時に相手を見て、同時に、自分たちが完全に同じことを言ったことに気づいた。
なのはが、先に吹き出した。
フェイトが、次に、口元を押さえた。押さえた指の隙間から、少しだけ、声が漏れた。
長机の端で、オーバ老が帳面を開き、『決着せず』の欄に、静かに丸を打った。
結局、その夜の唐揚げは、リョウの皿に不法投棄された。二人分の「渡す権利」を一身に浴びた男は、揚げ物の塔を前に、心底うんざりした顔で言った。
「……胃薬も倍になるって、言ったよな。俺は」
書類が艦長執務室に戻ったのは、六日目の朝である。
続柄欄は、空欄のままだった。
「決まらなかったのね」
「はい」
「はい」
二人は並んで、直立していた。リンディは砂糖入りの緑茶を一口飲み、それから、静かに聞いた。
「なのはさん。あなた、姉と妹、どっちがいいの?」
「姉です」
「フェイトさんは?」
「姉です」
「——じゃあ、もう一つ聞くわね」
リンディは、湯呑みを置いた。
「相手に、どっちをあげたい?」
沈黙、一秒。
「……姉、です」
「……姉を、譲りたいです」
声が、また揃った。
リンディ・ハラオウンは、二秒だけ天井を仰ぎ、それから、笑った。母の笑い方だった。
「そう。……ええ、そうよね」
彼女はペンを取り、続柄欄に、こう書き込んだ。
『姉妹』
そして備考欄に、一行を添えた。
『順位は、本人らの合意による。合意日——未定』
「本局が受理しなかったら、どうしましょう」
「するわ」
リンディは、決裁印を捺しながら、こともなげに言った。
「様式には勝てないけれど、様式に穴が無いとは、誰も言っていないもの」
この補正書が本局に届き、止まっていた審査が動き出し、そして『受理』の判が捺されるまでには、そこからさらに二ヶ月近くを要する。
管理局とは、そういう場所である。
その夜、艦長執務室。
リンディは、月次の医療報告書を開いた。
四年分の、緩やかな右肩下がり。三ヶ月の水平。そして、先端の、ささやかな上り坂。担当医の几帳面な活字の下には、今月も、手書きの一行があった。
『——今月もよく笑っている。特に、書類仕事の最中に。原因は不明。継続を推奨する』
医学用語は、今月も、どこにも見当たらなかった。
リンディはその不真面目な所見を二度読んで、砂糖入りの緑茶を飲み干した。
それから、机の抽斗を開けた。中には、破棄されなかった特進推薦が一通と、受理された辞退届が一通。その隣に、彼女は今日の書類の写しを、そっと重ねた。
空欄ではなく、『未定』と書かれた欄を。
「……ゆっくりでいいのよ。二人とも」
消灯後の廊下で、リョウは充電架の前を通りかかった。
二機は、いつも通り並んで、律儀に鳴き交わしている。先任と、後任。〇・三秒で決着した序列は、待機音の順番を、一ミリも変えていなかった。
《Ready.》
《Yes, sir.》
「……お前らは、いいよなあ」
答えはなかった。答えの代わりに、二つの待機音が、少しだけ拍を揃えて鳴った。
自室に戻り、リョウは帳面を開いた。
鉛筆を舐め、本日の収支を、一行だけ記した。
『姉の椅子の争奪戦、決着せず。理由——二人とも、座りたいのが「渡す側」だから』
少し考えて、下にもう一行、書き足した。
『——渡すもんが無くならねえように、こっちは働くか』
続柄欄の『未定』が埋まるのは、一年後のことである。
埋まり方は、当人たちの想定した、どちらでもなかった。順位が決まったのではない。銀色の髪の小さな子供が一人、この艦に上がってきて——姉の椅子が、二脚、同時に埋まったのである。
渡す側の席は、二つあった。
最初から、二つあったのだ。
——まだ、誰も知らない。