魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
出張命令が下りたのは、続柄欄の書類が艦長決裁を通った二日後だった。
「本局まで、お使いをお願いできるかしら」
リンディは、封筒を二通、卓に並べた。一通は、あの『家族関係登録附票』。もう一通は、リョウ宛の呼出状である。
『魔導義手・第四回定期調整のお知らせ』
「……三ヶ月ごとに来るんですよね、これ」
「そういう機械なんですって。……ついでに、書類も出してきてちょうだい」
「了解です」
リョウは封筒を受け取り、踵を返した。扉に手をかけたところで、艦長の声が、背中に届いた。
「クルス二等陸士」
「はい」
「——第七病床に、寄っていらっしゃい」
手が、ノブの上で止まった。
リンディは、砂糖入りの緑茶を一口飲んだ。声の調子は、いつもと同じだった。
「揉めた顛末を、報告してきてほしいの。姉と妹で六日揉めて、結局決まらなかった話。……あの子、そういう、しょうもない話が好きだったから」
「……艦長」
「命令じゃないわ。お願い」
リョウは、扉を三秒見た。
それから、封筒を胸のポケットに仕舞って、答えた。
「——了解です」
本局医療棟の義肢調整室は、拍子抜けするほど明るい部屋だった。
技師が銀色の右腕を台に載せ、接続部を開き、駆動液を入れ替え、感度を測る。リョウは椅子に座って、指が一本ずつ検査信号で勝手に動くのを、他人事のように眺めていた。
「痺れは」
「ないです」
「重さは」
「慣れました」
「上出来ですね。この型で三ヶ月目に慣れる人は、あまりいません」
技師は感心したように言った。リョウは曖昧に頷いた。慣れたのではなく、慣れる以外の予定を入れなかっただけである。
調整は四十分で終わった。書類の提出は、受付で三分だった。
用は、済んだ。
リョウは、廊下の案内板の前に立った。
『長期療養区画 → 東棟四階』
この案内板の前を通るのは、初めてではない。義手の調整は三ヶ月ごとで、今日が四回目だ。つまり彼はこの一年、三回、この案内板の前を通って、三回とも、通り過ぎている。
通り過ぎた理由は、はっきりしていた。
あそこには、名鑑に載っていた名前がある。
名鑑の中では、生きて笑っていた名前だ。
リョウは、指を三本、順番に折った。
一秒目。そこに何があるか、視る。
二秒目。それが物か、命か、決める。
三秒目——
「……そりゃ、命だよな」
彼は東棟へ向かって、歩き出した。
長期療養区画の廊下は、静かだった。
静かというのは、無音という意味ではない。空調の音がある。遠くで台車の車輪が鳴る。どこかの病室で、監視端末が規則正しく電子音を刻んでいる。ただ、そのどれもが、四年前と同じ音量で鳴り続けている音だった。
急ぐ音が、一つもない。
第七病床の扉は、開いていた。
窓際で、女性が一人、カーテンを引いているところだった。私服。化粧気はない。髪を無造作に結わえて、その手つきだけが——カーテンの端を掴んで、光の角度を測って、二センチだけ引き直す手つきだけが、異様に正確だった。
管制官の手だ、とリョウは思った。
「……失礼します」
振り向いた顔は、疲れていた。疲れていて、そして、目だけが恐ろしく速かった。入り口の制服、階級章、そして銀色の右手を、〇・五秒で読み取った目だった。
「ゼルベロスの方ね。……ああ」
彼女は、少しだけ笑った。
「クルスくん、だ」
「クルス・リョウ二等陸士であります」
「エイミィ・リミエッタ。休職中です。……堅いなあ、リンディさんの部下は」
エイミィ・リミエッタは、窓辺を離れて、寝台の脇に立った。
「毎朝の手順があるの。見てて。すぐ終わるから」
カーテンを開ける。窓の光が、寝台の上に落ちる。
枕元の監視端末を覗き込み、波形を目で追う。上から下へ、一度だけ。何も書き留めない。書き留めないのは、五年分が全部頭に入っているからだ、とリョウは理解した。
それから、彼女は寝ている男の耳元に、少しだけ屈み込んだ。
「クロノ。おはよう」
返事は、なかった。
エイミィは、返事があった時と全く同じ速さで、身を起こした。
「今日で、千六百二十三回目」
「……回数、数えてるんですか」
「管制官だもの」
彼女は、あっさりと言った。
「回数と、時刻と、波形。それしか数えるものがないなら、それを数えるの。……いい? 席、そこ空いてるから。私、下でお茶買ってくる」
「あ、いや、俺は」
「一時間、戻らないから」
エイミィは扉の手前で振り返り、悪戯っぽく付け足した。
「リンディさんから連絡が来てたの。『しょうもない話を届けに行くから、席を外してあげて』って。……あの人、ほんとに、そういう人ね」
扉が、閉まった。
リョウは、寝台の脇の椅子に座った。
クロノ・ハラオウンは、眠っていた。
名鑑の写真より、少し痩せていた。写真より、少し歳を取っていた。それだけだ。傷はない。管も少ない。医療班の言うとおり、この体には、治すべきものが何もない。壊れているのは、この体の奥にある核だけだ。
そして枕元のサイドテーブルには、何も置かれていなかった。
花もない。写真もない。本もない。拭き上げられた天板が、一枚、光っているだけだった。
リョウは、しばらくその空の天板を見ていた。
それから、姿勢を正した。
やり方は、一つしか知らない。
「——第01ロストロギア事件課、クルス・リョウ二等陸士。定時報告を行います」
声は、思ったより普通に出た。
「本課の現況を報告します。編成、実働三名。課長兼艦長、リンディ・ハラオウン一佐。健在です。緑茶に砂糖を入れる悪癖は、悪化しています」
誰も、訂正しなかった。
「実働ヴァレル1、なのは・T・ハラオウン。魔導師ランクS。……四年間、自分の被弾を残弾として費目計上してきた奴です。医療班の折れ線は、三ヶ月前に底を打って、いまは上を向いてます。回避を覚えました。人の顔を見て撃つようになりました。報告書は、いまだに三行です」
窓の外を、輸送艇が横切っていく音がした。
「実働ヴァレル2、フェイト・T・ハラオウン。先月着任。体の六割が機械です。書類仕事は、着任一週間で上官を超えました。……あんたの、妹になりました。書類上は」
リョウは、そこで一度、息を吐いた。
「以上が、編成です。次に——本日の主題を報告します」
彼は、膝の上で手を組んだ。
「うちの部隊が、六日間、機能停止しました」
監視端末が、規則正しく鳴っている。
「原因は、書類です。家族登録の続柄欄。『姉』か『妹』か、空欄不可。それだけで、六日です。医療班が判定不能、分析班が判定不能。滅んだ星の暦の換算表を巡って分析班長が目頭を押さえ、整備班は賭博帳を開帳し、俺は勝手に調停官に任命されました。任命書まで発行されました」
真面目な顔で、彼は続けた。
「決着は、つきませんでした。理由は、二人とも姉になりたがったからです。……で、二人とも、相手に姉を譲ろうとしました。同時に。唐揚げの大きい方を、押しつけ合いながら」
言葉が、そこで、少し詰まった。
「……しょうもねえ話でしょう。艦長が、あんたはこういう話が好きだって言うんで」
返事は、なかった。
当然、なかった。
リョウは、椅子の背に体重を預けて、天井を見た。それから、様式を——畳んだ。
「……なあ」
声の調子が、変わった。
「あんた、本当は、俺の上官なんだよ」
窓の外で、輸送艇の音が遠ざかっていく。
「俺は名鑑を読んだ。あんたの経歴も、あんたが何をやる予定だった人間かも、知ってる。……知ってるっつうか、まあ、そういう趣味の人間だったんだよ、俺は。昔」
嘘ではなかった。全部でもなかった。
「執務官。二十歳前で、次元航行部隊の現場を仕切って、無茶な案件をきっちり法の形に収めて帰ってくる、そういう人だ。あんたが起きてたら、この四年、ぜんぶ違ってた。もっと安く済んだ。もっと早く終わった。ヴァレル1が四年も撃ち続けることも、たぶん、なかった」
彼は、銀色の右手を持ち上げて、指を一本ずつ折った。
「代わりに、これだ。二等陸士が、無免許で、下手くそに、あんたの持ち場に立ってる。腕一本と、演算結晶の罅一本。ずいぶん高くついた。……全部、あんたの仕事の請求書だ」
言い終わって、リョウは笑った。自嘲ですらない、事務的な笑い方だった。
「文句を言いに来たわけじゃねえよ。帳簿を読み上げに来ただけだ。俺は、そういう性分なんで」
監視端末の波形が、視界の隅で、律儀に流れている。
水平だった。
一度も上がらず、一度も下がらず、四年間、同じ高さを保ち続けている線。
リョウは、その線を、三秒視た。
一秒目。そこに、何があるか。
線がある。動かない線が。
二秒目。それは物か、命か。
答えは、出ている。命だ。
三秒目。撃つか、撃たないか——
「…………」
そこで、手順が、詰まった。
クルス・リョウの三秒には、三秒目の選択肢が、二つしかない。撃つか、撃たないか。五年かけて磨いた手順は、その二択のために作られている。
だがこの部屋には、撃つべきものも、撃たざるべきものも、ない。
あるのは、動かない線だけだ。
リョウは、しばらく黙っていた。
それから、自分の手順に、生まれて初めて、三つ目の項目を書き足した。
——待つ。
「……三秒目。待つ」
声に出すと、間の抜けた響きだった。間が抜けていて、そして、しっくりきた。
彼はもう一度、波形を見た。
見方が、変わっていた。
これは、止まった線ではない。四年間、一度も欠かさず、同じ内容を報告し続けている線だ。異状なし。生存中。以上。三行どころか一行の、恐ろしく簡潔な定時報告が、四年分、途切れずに並んでいる。
「……律儀な奴だな、あんた」
リョウは、少しだけ笑った。今度は、本物の笑い方だった。
「一日も、サボってねえのか。……ヴァレル1に見習わせてえよ」
彼は立ち上がった。
それから、右手を——銀色の方を、握った。
拳を作って、寝台の方へ、突き出しかけて。
途中で、止めた。
「……悪い。これは、まだだ」
拳を、引き戻す。
「うちの隊に、規則があってな。全員無事で帰った時に、これをやるんだ。書類も要らねえし、報告も要らねえ。……で、あんたは、まだ帰ってねえ」
リョウは、引き戻した拳を、そのまま軽く振った。
「戦死じゃねえんだよ、あんたは。帰投中だ。……四年、帰投中なだけだ」
窓の光が、寝台の上を、ゆっくり移動していた。
「歩哨ってのは、交代が来るまで持ち場を離れちゃいけねえって、教本に書いてある。俺は真面目にそれを守ってる。だから、早く来い。来て、代われ」
彼は、扉の方へ歩き、そこで一度だけ振り返った。
「——予約しといてやる。この拳」
廊下の自販機の前で、エイミィが紙コップを二つ持って待っていた。
「はい、あなたの分」
「……一時間、戻らないんじゃ」
「四十分で済むと思ってた。あなた、早いのね」
二人は、廊下の長椅子に並んで座った。合成コーヒーは、艦のものより少しだけ薄かった。
リョウは、ずっと引っかかっていたことを、聞いた。
「……枕元、何も置いてないんですね」
エイミィの手が、紙コップの上で、一瞬止まった。
「うん」
彼女は、正面の壁を見たまま、答えた。
「最初の年は、置いてたの。写真とか、絵本とか。あの人、昔の本、まだ全部取ってあってね。……でもね、リンディさんが、全部持って帰っちゃった。二年目に」
「なんでですか」
「『置いておくと、諦めたみたいだから』って」
リョウは、コーヒーを飲む手を、止めた。
「思い出の品って、置いた時点で、思い出になっちゃうでしょ。だからあの人は、全部、家に持って帰ったの。——帰ってきたら渡すものとして」
「……ああ」
「棚に、並んでるわよ。ちゃんと。埃も払ってある」
エイミィは、コーヒーを一口飲んだ。
「あの人、五年ぶん、渡すものを溜めてるの。……ほんと、母親って、こわいよね」
しばらく、二人とも黙っていた。
やがて、リョウが、口を開いた。
「……一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「どうやって、続けてるんですか。千六百回」
自分でも、ずいぶん不躾な質問だと思った。だが、帳簿の男には、どうしても分からないことだった。返済期日のない借りを、どうやって払い続けるのか。残高が減った実感が一度もない支払いを、どうやって、四年半。
エイミィは、少し考えた。それから、こともなげに言った。
「毎朝、おはようって言うだけだから」
「……それだけ?」
「それだけ。一日ぶんなら、五秒で終わるの。五秒なら、続くのよ。五年でも、十年でも」
彼女は、紙コップの底を覗き込んで、付け足した。
「大きい荷物を持とうとするから、続かないの。五秒の荷物にしておけば、いいのよ。……これ、管制官の考え方」
リョウは、その言葉を、三秒かけて、頭の中の帳面に写した。
ゼルベロスへ帰艦したのは、その日の夜だった。
格納庫では、二人が待っていた。待っていたわけではない、と両者は主張したが、揃って格納庫にいたのは事実である。
「おかえりなさい、リョウさん! 本局、どうでした?」
「調整と、書類だ」
「他には、何かありましたか」
「他は、ねえよ」
嘘ではなかった。全部でもなかった。
リョウは義手を握ったり開いたりしてみせ、二人は感度が上がったかどうかを真剣に検分し、フェイトは何やら手帳に書き始め、なのはが「書くんだ」と言い、そこで話は終わった。
通路の角で、リンディが湯呑みを片手に立っていた。何も聞かなかった。
リョウも、何も言わなかった。
すれ違いざま、艦長は湯呑みを、ほんの少しだけ持ち上げた。それだけだった。
自室に戻り、リョウは帳面を開いた。
鉛筆を舐めて、まず一行、書いた。
『第七病床。定時報告、完了。相手からの応答なし。ただし、四年ぶんの定時報告を受領』
少し考えて、もう一行。
『拳の儀式——一件、予約。支払いは、帰投時』
最後に、頁を改めて、覚えてきた言葉を写した。
『三秒目の選択肢に、「待つ」を追加。以上、手順改訂』
その下に、小さく。
『——五秒の荷物にしておけば、続く(エイミィ・リミエッタ談)』
翌朝、本局医療棟、長期療養区画、第七病床。
エイミィ・リミエッタの日課は、いつも通りだった。カーテンを開ける。窓の光の角度を、二センチだけ直す。波形を、上から下へ、一度だけ目で追う。
千六百二十四回目の朝が、そこにあった。
「クロノ。おはよう」
返事は、なかった。彼女は、返事があった時と全く同じ速さで身を起こし、そして今朝は、少しだけ、報告を付け足した。
「昨日ね、お客さまが来たのよ。……あなたの部隊の、後任の子」
監視端末が、規則正しく鳴っている。
「腕がね、銀色なの。ちょっと生意気で、報告の仕方が、あなたの若い頃にそっくり。……起きたら、驚くと思う」
カーテンの隙間から、朝の光が伸びて、拭き上げられた空のサイドテーブルの上を、まっすぐに横切っていた。