魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~   作:ちょわわ

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第29話「Crossfire」

 三日目の朝、密航船は二つ目の中継点で二人を降ろした。

 

 第66管理外世界。かつて港湾都市だったものの、骨だけが残る星。次の船まで、砂と錆の街を六キロ、自分の足で渡る必要があった。

 

 出発前に、リョウは少女の前にしゃがんだ。

 

「道中の契約を決める。一つ、俺から離れない。二つ、俺が隠れろと言ったら、石になる。三つ——」

 

 リョウは、少女の胸の真ん中を、指で軽く突いた。

 

「——何があっても、術は使うな。お前の術は、狼煙だ。空に上げりゃ、宇宙中の網が、一斉にこっちを向く」

 

「……わたしが、たすけられるときでも?」

 

「そのときでもだ。お前が助けた瞬間に、お前が獲られる。それじゃ帳尻が合わねえ」

 

 少女は長いこと、リョウの目を見た。それから、絵本を抱えた腕に力を込めて、頷いた。

 

「けいやく」

 

「契約だ」

 

 拳が二つ、朝の錆の匂いの中で、こつんと鳴った。

 

 同じ朝、追う側の帳面にも、一つの契約が書き込まれていた。

 

『ヴァレル1、独自哨戒案を提出。捜索網第七区外縁——非重点区域の単独先行を志願』

 

 査察官は書類を眺めて、根拠を問うた。なのはの答えは、算式ではなかった。

 

「リョウさんは、網の濃いところを避けます。網の薄いところも、避けます。薄すぎる場所は、罠を疑うからです。あの人が選ぶのは——濃くも薄くもない、書類の上でいちばん退屈な区域です」

 

「……予測の根拠は」

 

「五ヶ月と一年、隣で戦闘詳報を書いてました」

 

 志願は、受理された。退屈な区域の一覧の三番目に、骨だけの港湾都市の名前があった。

 

 網は、正午に閉じた。

 

 最初の兆候は、風だった。砂混じりの風の中に、一瞬、オゾンに似た匂い。リョウは足を止め、次の瞬間、少女を抱えて崩れたアーケードの陰に跳び込んでいた。

 

 三秒後、二人が立っていた交差点に、金色の光帯が、格子状に突き立った。

 

『——本部へ。ヴァレル2、目標を確認。交戦記録、収録中』

 

 鈴を転がすような声が、砂の空に響いた。頭上、廃ビルの稜線に金色。その対角、給水塔の残骸の上に——桜色。

 

 挟まれていた。

 

 リョウは少女を廃店舗の奥、崩れたカウンターの陰に押し込んだ。

 

「石になれ。契約だ」

 

「……けいやく」

 

 絵本を抱えた小さな体が、影の中で丸くなる。リョウは深呼吸を一つして、日射しの下へ、一人で歩き出た。

 

 交差点の真ん中で、三人は向かい合った。

 

 一年間、同じ食卓で唐揚げを分け合った三人だった。

 

「クルス二等陸士」

 

 なのはの声は、教本の温度だった。収録中の回線に載せるための、完璧な、手続きの声。

 

「本局の勧告を伝えます。武装を解除し、保護対象を引き渡してください。……その上で」

 

 声が、初めて、手続きから半歩はみ出した。

 

「——話を、させてください」

 

 リョウは、二人の顔を順番に見た。金色の目は、静かにこちらの答えを待っていた。桜色の後ろの目は、待っている、というより、祈っていた。

 

 説明したいことなら、胸のポケット一枚ぶん、あった。安全ピンの理屈。〇三一一の真実。同居人と、手錠と、分離の当て。だが説明は、証明とセットでなければ通貨にならない。証明はまだ、どこにもない。そして何より——ここで彼女たちが俺の話に頷けば、頷いた記録が残る。収録中の回線に。査問の卓の上に。

 

 俺の言葉は、今この瞬間、この二人にとって毒だ。

 

 だからリョウは、一年ぶんの食卓を胸の奥に畳んで、いちばん硬い声で、言った。

 

「——話す事は、何もねえ」

 

「あなたはっ……!!」

 

 破裂した声は、文にならなかった。

 

 ならないまま、桜色が咲いた。

 

 最初の一撃は、警告ですらなかった。リョウの半歩右——回避の初動を潰す位置への、教本にない先読み射。リョウは読まれた初動を空中で捨て、二挙動目で瓦礫の陰に滑り込んだ。着弾の爆風が背中を叩く。

 

 (——速え!)

 

『ヴァレル2、右翼封鎖! 追い込みます!』

 

『——はい!』

 

 金色の光帯が、逃走経路の候補を一本ずつ、几帳面に塗り潰していく。教本通りの、美しい封鎖網。リョウは走りながら、その美しさの中の音符を読んだ。フェイトの機動は正確で、正確すぎた。自分の勘を信じていない飛び方だった。勘を封じた機動は、三手先まで読める。

 

 そして、なのは。

 

「いつも、そう!」

 

 射撃と一緒に、文の破片が飛んでくる。

 

「疑ってた時も、言わなかった!」

 

 二連。瓦礫が爆ぜる。

 

「調べてた時も! 決めた時も!」

 

 三連。速い。速いが——荒い。撃つ前に左の踵が浮く癖はそのままで、なのに撃発が半拍、早い。一・四秒を潰しに来ている撃ち方だった。記録を、自分の迷いを、撃つたびに上書きしようとする撃ち方。

 

「今度も——今度もっ!!」

 

 弾幕の十字の中を、リョウは泳いだ。

 

 拒んだ会話の続きが、火線になって降ってくる。銃撃戦の形をした、これは口論だった。答える言葉を持たないリョウは、回避で応じるしかなかった。一発躱すたびに、一年ぶんの何かが、確実に燃えて減っていった。

 

 網は、しかし、完璧ではなかった。

 

 二人の連携は、教本より速く、以前より硬い。硬いのに——時折、拍子が割れる。なのはが撃ち、フェイトが塞ぎ、その二つの手の間に、半瞬だけ、誰も撃たない空白が生まれる。

 

 誰かがクリアを出すはずの、間。

 

 誰かが「薙げ」と言うはずの、間。

 

 一年かけて練り上げた三人の手順の、三人目の席が、二人の連携の中に、空いたまま残っていた。

 

 (……悪ぃな)

 

 リョウは、その空白へ走り込んだ。

 

 自分の指定席を、通路にして。

 

 二人の射線と光帯が同時に振り向き、同時に半瞬遅れる。抜けた。廃店舗へ。カウンターの陰から丸い影を抱え上げ、裏の搬入路へ。砂塵の盆地まで、あと四百。あそこまで入れば、砂鉄まじりの塵が、あらゆる索敵の目を殺す。

 

 義手が、勝手に動いた。

 

 頭上から降ってきた瓦礫——フェイトの光帯が薙いだビルの外壁——を、リョウの意図より〇・二秒早く、銀色の右手が掴んで逸らしていた。指の駆動が、注文した覚えのない強さで軋む。掌の奥が、他人の手を握ったときのように、温かかった。

 

 (——今のは、俺じゃねえ)

 

 考えるのは後だ。走る。三百。二百。砂塵の壁が、視界の先で黄色く煙っている。背後の射撃音の間隔が開いていく。追いつけない、と数字が告げる距離まで、あと——

 

 射撃音が、止んだ。

 

 止んだことの意味を、リョウの背筋が先に理解した。

 

 振り向かずに分かった。給水塔の上で、桜色が、止まっている。撃ち急ぎの連射をやめて、息を整えて、収束を始めている。踵はもう浮いていない。呼吸が、三つ。

 

 一つ。視ている。

 

 二つ。まだ、視ている。

 

 (——三秒、視てから撃て)

 

 俺が、教えた。

 

 三つ目の呼吸の終わりに、世界から音が消えて、桜色の光条が、砂塵の盆地の入り口で、リョウの背中を正確に捉えた。

 

 躱せない、とS+の全部が言った。抱えた少女を庇う姿勢のまま、リョウは半身を捻り、咄嗟に——右腕を、突き出していた。腕一本で受けて、腕一本で済ませるつもりだった。

 

 着弾は、しなかった。

 

 桜色の光条は、銀色の掌に触れた瞬間、渦を巻いた。

 

 巻いて、細く絞られ、義手の指の間へ、手首へ、吸い込まれていった。爆風も、閃光も、衝撃もなく。ただ、誰かが長い息を呑み込むような、静かな音だけを残して——なのはの全霊の一撃は、リョウの右腕の中に、消えた。

 

 沈黙が、砂の街に落ちた。

 

 給水塔の上で、なのはが、目を見開いたまま止まっていた。あの一撃を、あの吸い込まれ方を、彼女は知っていた。一ヶ月前の夜、星の綺麗な世界で、自分の精密射三連を丸呑みにした、あの——

 

「その、腕……」

 

 リョウも、自分の右腕を見ていた。

 

 手首の継ぎ目の、髪一本だった黒が——蠢いていた。墨が水に広がるように、装甲の隙間を這い、伸び、繋がり、そして着弾を受け止めた掌の付け根で、ぐるりと。

 

 手首を、一周した。

 

 細い、黒い、輪になった。

 

 枷の形をしていた。

 

 (……あ)

 

 腕の奥が、温かい。満腹の、温かさだった。

 

 (ハヤテの、何かが)

 

 砂塵の壁は、目の前だった。リョウは動かない思考を蹴り飛ばし、少女を抱え直して、黄色い塵の中へ身を投げた。索敵の死んだ砂の海が、二つの体を呑み込んで、隠した。

 

 (——俺すら、呑み込もうとしている)

 

 砂塵の外で、二つの光が、盆地の縁に降り立った。

 

 センサーは全滅。視程は五メートル。追跡は、ここで終わりだった。なのはは自分の右手を——たった今、全霊の一撃を放った右手を——見下ろして、それから、一撃が消えた場所の空白を、長いこと見ていた。

 

「……ヴァレル1。報告を、まとめます」

 

 フェイトが、静かに言った。端末に打ち込む指は、いつも通り正確だった。

 

『被疑者は右腕義肢に、吸収性の防御装備を確認。詳細は不明』

 

 防御装備。

 

 あれが装備でないことを、二人とも知っていた。あの吸い込まれ方と署名を、二人とも、報告書の別の頁で読んでいた。フェイトの指は、それでも「装備」と打ち、なのはは、それを訂正しなかった。訂正しない、という三秒が、収録の切れた回線の上を、静かに流れた。

 

「……フェイト」

 

「はい」

 

「さっきの網、私たち——穴、空いてたよね」

 

「はい。……リョウさんの、定位置に」

 

 なのはは、砂塵の壁を見た。黄色い煙の向こうの、もう追えない背中を。

 

「次は」

 

 声は、静かだった。静かなまま、温度だけが、抜けていった。

 

「——塞いで、いくから」

 

 砂塵の底で、リョウは少女を降ろし、黒い輪の巻きついた右腕を、砂の上に投げ出していた。

 

「とりがー。……うで、へん?」

 

「平気だ。……平気、だが」

 

 帳面を出す。鉛筆を握る。指は、震えを三秒で殺した。

 

『三日目。黒——手首、一周。「輪」の形』

 

『腕が、桜色を喰った。満腹の温度。俺の意図の外で、二度』

 

 書いて、リョウは眠たげな赤い目を見て、書かなかった一行を、胸の中だけで書き足した。

 

 (急げ。……手錠が増える前に)

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