魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
扉が、一枚ずつ閉じていった。
四日目。手配していた三つの船便のうち、二つが消えた。船頭が消えたのではない。航路そのものが、検問と哨戒で丁寧に潰されていた。五日目、残る一つも死んだ。潰し方には、癖があった。網の目を均等に狭めるのではなく、リョウが「選びそうな順」に、退屈な道から塞いでいく。
(……教本の締め方じゃねえ。俺の癖で、締めてきてる)
六日目の夜明け、残された道は一本になった。
旧鉱区の塩原。かつて湖だったものの、白い骨。差し渡し十一キロ、遮蔽物は数百年前の輸送車列の残骸が点々と。それを渡り切れば、廃鉱の坑道網から次の中継点へ抜けられる。
渡らなければ、詰み。渡れば——
リョウは白い地平を見渡した。雲一つない空。どこまでも通る視線。狙撃のために神様が均したような、完璧な盤だった。
「はやて。契約の確認だ」
「はなれない。いわれたら、いしになる。じゅつは、つかわない」
「よし。……行くぞ」
塩の上に、二人分の足跡が伸び始めた。
最初の一撃は、四キロ地点で来た。
空の高みから、音より先に、桜色の光条。リョウは着弾の〇・八秒前に少女を抱えて横へ跳び、塩の柱が白く吹き上がるのを背中で聞いた。
(高度六〇〇〇。……据わってやがる)
『クルス二等陸士。最終勧告です。その場に停止し、保護対象を——』
「悪ぃが、急いでる!」
二射目、三射目。偏差込みの精密射が、逃走ベクトルの先を潰しに来る。同時に、地表すれすれを金色が疾った。フェイトの光帯が、車列の残骸と残骸の間——遮蔽から遮蔽への渡り線を、一本ずつ塗り潰していく。
上から盤面を焼く砲と、地表で退路を刈る刃。一年前なら、三十秒で終わっていた布陣だった。
リョウは、右腕の出力制限を解いた。
四射目が降ってくる。躱せない角度。躱す代わりに、リョウは駆けながら右腕を突き上げ、掌から——雷を、撃った。
迎撃の白い槍が、桜色の光条と空中で喰い合い、相殺の閃光が塩原を漂白した。
(——撃ち落とせた)
撃った本人が、一番驚いていた。こないだまでの全力を十とすれば、今の一撃は三十。義手の中を流れていく力は、温かくて、深くて、底が見えなかった。借り物の井戸から、汲みたいだけ汲める。
汲んだぶんだけ——手首の黒い輪から、蔦が伸びた。
装甲の継ぎ目を這って、前腕の中ほどまで。墨の根が、育っていた。
『……本部へ、ヴァレル2。目標の迎撃出力、観測値を送ります。前回交戦時の——七倍。繰り返します、七倍です』
フェイトの声に、初めて、硬いものが混じった。
戦闘は、泥沼の綱渡りになった。
リョウは撃ち落とし、走り、車列の残骸の陰に少女を一時停止させ、単身で射線を引きつけ、また撃ち落とした。撃っていい的は決めてあった。降ってくる弾と、崩れてくる残骸と、目潰しの光。それだけだ。二つの命には、指一本、向けない。それを破ったら、俺は俺でなくなる。
握った051改の覗き窓の奥で、罅の入った結晶が、閃光のたびに鈍く光った。
《Ready.》
「ああ、分かってる。……次、来るぞ!」
六分が過ぎた。黒い蔦は肘の手前まで伸び、呼吸の底に、聞き覚えのない軋みが混じり始めていた。それでも、盤は徐々に、詰みへ向かっていた。上の砲は正確さを増し、下の刃は残り三本の渡り線を二本まで減らし、そして七分目——三つの光条が、時間差で、逃げ場の三方向を同時に押さえた。
(……解なし、か)
迎撃は二発が限度。三発目が、少女ごと影を焼く。リョウが最後の一手を探して〇・五秒を燃やした、その時。
空の砲が——盤を、降りた。
『ヴァレル1!?』
フェイトの声が裂けた。高度六〇〇〇の光点が、収束射の照準を自ら解いて、真っ直ぐに、墜ちるような角度で突っ込んでくる。三つの光条のうち一つが主を失って霧散し、詰みかけた盤面に、風穴が空いた。
『射撃位置を——なぜ、降りるんですか!』
『吸われるからだよ!』
答える声は、風切りに千切れながら降ってきた。
『遠くから撃っても、あの腕に吸われるだけ! だったら——吸えない速さで、吸えない近さで、撃つ!』
理屈の形をしていた。形だけ、していた。
桜色の弾殻が塩原に突き立ち、白い粉塵の中から、砲身を携えた少女が、歩いて出てきた。距離、十メートル。互いの顔の、汗の粒まで見える距離。一年間、隣で唐揚げを分け合った距離だった。
「……久しぶりだな、こんな近くで見んの」
「そうですね」
セブンスウィルの銃口が、上がる。
「顔、ちゃんと見て——確かめたかったので」
至近距離戦は、殴り合いに似た射撃戦になった。
なのはの点射は近いぶんだけ速く、リョウの回避は近いぶんだけ深く読めた。撃つ前の左踵。薙ぐ前の顎の角度。読み合いは互角で、互角である事自体が、異常だった。武装の桁が二つ違う相手と、殴り合いが成立している。義手が汲み上げる借り物の出力が、桁の差を無理やり埋めていた。埋めるたびに、蔦が伸びた。
「なんで!」
点射の合間に、破片が飛ぶ。
「なんで、あの子なんですか! なんで——私たちじゃ、駄目だったんですか!」
弾く。跳ぶ。答えない。答えは胸のポケットに畳んであって、ここで開けば毒になる。
「一人で決めて、一人で背負って、一人で消えて——それで守ってるつもりなら!」
銃口が、真正面に来た。
収束音。本気の一撃の、あの音。距離十メートル、外しようのない射角、そしてリョウの背後——車列の残骸の陰には、石になっている小さな影。射線の延長の、爆風の圏内に。
なのはの目が、それを視た。
視てしまった。
照準の向こうで、桜色の収束が、〇・四秒、揺れた。撃っていい物と、撃ってはいけない命を分ける、彼女の芯のスキルが——この距離では、あの子を「座標」ではなく「顔」として結像してしまう。六千メートルの上からなら点だったものが、十メートルでは、絵本を一緒に読んだ子供だった。
彼女の芯が、彼女の引き金に、拒否権を発動した。
その〇・四秒に、リョウは全部を賭けた。
右腕を天に向け、残量の全てを、光に変えて撃ち上げる。指向性のない、ただの、目も眩む白。塩原の白と閃光の白が混ざって、世界から輪郭が消えた三秒間——リョウは残骸から少女を抱え上げ、詰みかけた盤の最後の風穴を、駆け抜けた。
廃鉱の坑道の闇が、二人を呑んだ。
白が引いた塩原に、二つの光が残された。
なのはは、構えたままの銃身を、ゆっくりと降ろした。振り仰げば、雲一つない空。ほんの数分前まで自分が据わっていた、あの完璧な高度が、白々と広がっている。
「……ヴァレル1」
フェイトが隣に降り立った。報告端末を持つ手が、珍しく、所在なげだった。
「戦術検証は、私がまとめます。ですから——」
「分かってる」
なのはは、空を見たまま言った。
「全部、分かってるから。……先に言わないで」
それ以上は、二人とも喋らなかった。査察官への報告書には、その日の交戦は「地形要因および目標の出力急伸により捕捉失敗」と記される。嘘は一つもなく、真実は一行も、載らなかった。
坑道の奥、崩れかけた保線室で、リョウは膝から崩れた。
苦痛は、勝利の余韻を三十秒も待たなかった。
右腕が、内側から燃えていた。義手のはずの腕が、義手であることをやめたみたいに、熱と脈を持って軋んでいる。熱は肩の接合部を越えて、胸へ、背へ、心臓の周りの深いところへ、根を張るように広がった。呼吸が浅くなる。視界の端が明滅する。歯を食いしばっても、喉の奥から、声にならない音が漏れた。
「とりがー!? とりがー、とりがー……!」
少女の声が、遠くで聞こえる。近くにいるのに、遠くで聞こえる。リョウは塩の粉だらけの床に転がったまま、痙攣の波の合間に、それでも、計算をやめられなかった。やめられない性分だった。
(……あの盤は、狙撃のために組まれてた。組んだのは、あいつだ)
波が来る。歯を食いしばる。引く。
(高度六〇〇〇。視程無限。偏差は完璧。もし——もし、あいつが最後まで、あそこに据わってたら)
迎撃は七発目で撃ち負けていた。回避は地形が許さなかった。詰んでいた。三射目か、遅くとも五射目で、詰んでいた。
(俺が生きてんのは、俺の腕のおかげじゃねえ。この黒のおかげでもねえ)
背筋が、痙攣とは別の理由で、凍った。
(——あいつの、迷いのおかげだ)
あいつは、勝ちを捨てて降りてきた。理屈の形をした理屈で自分を騙して、俺の顔と、あの子の顔が見える距離まで。そして案の定、視ちまって、撃てなかった。俺は今夜、あいつの優しさを燃料にして、生き延びた。
(……次は、ねえぞ)
次に会う時、あいつが迷いを殺し終えていたら。あの高度から、二度と降りてこなかったら。
俺は、死ぬ。
「とりがー、しっかりして、とりがー——」
小さな手が、燃える右肩に触れた。触れて、止まった。
少女の目が、変わった。
痛みに揺れる子供の目の奥で、別の何かが、静かに焦点を結ぶ。少女は乱れたリョウの襟元を開き、義手の接合部——金属と皮膚の境目を、見た。
境目を、黒い糸が、越えていた。
髪ほどの細さの黒が一本、金属を離れ、鎖骨の上の、生身の皮膚に、根を下ろしていた。刺青のような、植物の根のような、一本の線。
「……とうろく、しんこう中」
少女の声は、あの、システムの側の声だった。
「同居人が……とりがーを、『つぎの主』の欄に、かこうとしてる。ちからを、かりるたび。くろが、そだつたび。……この糸が」
指先が、震えながら、鎖骨の黒をなぞる。
「むねに、とどいたら——もう、けせない」
次の瞬間、システムの声は砕けて、子供が戻ってきた。
「けして! いやだ、けして、これ、わたしの、わたしのせいだ、わたしがうでをなおしたから、わたしが——」
「——おい」
リョウは、まだ言うことを聞かない喉から、無理やり声を絞り出した。
「契約違反、すんな。……借りたのは、俺だ。お前のせいじゃねえ。俺が、自分で、汲んだ」
痙攣の波が、少しずつ、間遠になっていく。リョウは石の床に義手を突き、軋む体を、一段ずつ持ち上げた。膝。腰。壁。二分かけて、立った。立って、笑ってみせた。ひどい出来の笑顔だったが、在庫はそれしかなかった。
「……ほら。立った。契約続行だ」
少女は泣きながら、こくこくと頷いた。
リョウは帳面を開いた。鉛筆の字が、いつもより、少し乱れた。
『六日目。黒——肘、越え。皮膚に根、一本』
『出力、七倍(観測値)。代償、本日判明——胸に届いたら、終わり』
『詰みを外したのは、敵の迷い。次は無い』
三行書いて、リョウは坑道の闇の先を見た。廃鉱を抜けた向こう、次の中継点の、そのまた先。目的地は、もう贅沢を言える距離になかった。回り道の安全と引き換えにできる時間が、鎖骨の上から、消えたのだ。
「はやて。行き先、変更だ」
「……どこ?」
「第68管理外世界。——狼の巣に、里帰りする」