魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~   作:ちょわわ

35 / 36
第30話「Waver」

 扉が、一枚ずつ閉じていった。

 

 四日目。手配していた三つの船便のうち、二つが消えた。船頭が消えたのではない。航路そのものが、検問と哨戒で丁寧に潰されていた。五日目、残る一つも死んだ。潰し方には、癖があった。網の目を均等に狭めるのではなく、リョウが「選びそうな順」に、退屈な道から塞いでいく。

 

 (……教本の締め方じゃねえ。俺の癖で、締めてきてる)

 

 六日目の夜明け、残された道は一本になった。

 

 旧鉱区の塩原。かつて湖だったものの、白い骨。差し渡し十一キロ、遮蔽物は数百年前の輸送車列の残骸が点々と。それを渡り切れば、廃鉱の坑道網から次の中継点へ抜けられる。

 

 渡らなければ、詰み。渡れば——

 

 リョウは白い地平を見渡した。雲一つない空。どこまでも通る視線。狙撃のために神様が均したような、完璧な盤だった。

 

「はやて。契約の確認だ」

 

「はなれない。いわれたら、いしになる。じゅつは、つかわない」

 

「よし。……行くぞ」

 

 塩の上に、二人分の足跡が伸び始めた。

 

 最初の一撃は、四キロ地点で来た。

 

 空の高みから、音より先に、桜色の光条。リョウは着弾の〇・八秒前に少女を抱えて横へ跳び、塩の柱が白く吹き上がるのを背中で聞いた。

 

 (高度六〇〇〇。……据わってやがる)

 

『クルス二等陸士。最終勧告です。その場に停止し、保護対象を——』

 

「悪ぃが、急いでる!」

 

 二射目、三射目。偏差込みの精密射が、逃走ベクトルの先を潰しに来る。同時に、地表すれすれを金色が疾った。フェイトの光帯が、車列の残骸と残骸の間——遮蔽から遮蔽への渡り線を、一本ずつ塗り潰していく。

 

 上から盤面を焼く砲と、地表で退路を刈る刃。一年前なら、三十秒で終わっていた布陣だった。

 

 リョウは、右腕の出力制限を解いた。

 

 四射目が降ってくる。躱せない角度。躱す代わりに、リョウは駆けながら右腕を突き上げ、掌から——雷を、撃った。

 

 迎撃の白い槍が、桜色の光条と空中で喰い合い、相殺の閃光が塩原を漂白した。

 

 (——撃ち落とせた)

 

 撃った本人が、一番驚いていた。こないだまでの全力を十とすれば、今の一撃は三十。義手の中を流れていく力は、温かくて、深くて、底が見えなかった。借り物の井戸から、汲みたいだけ汲める。

 

 汲んだぶんだけ——手首の黒い輪から、蔦が伸びた。

 

 装甲の継ぎ目を這って、前腕の中ほどまで。墨の根が、育っていた。

 

『……本部へ、ヴァレル2。目標の迎撃出力、観測値を送ります。前回交戦時の——七倍。繰り返します、七倍です』

 

 フェイトの声に、初めて、硬いものが混じった。

 

 戦闘は、泥沼の綱渡りになった。

 

 リョウは撃ち落とし、走り、車列の残骸の陰に少女を一時停止させ、単身で射線を引きつけ、また撃ち落とした。撃っていい的は決めてあった。降ってくる弾と、崩れてくる残骸と、目潰しの光。それだけだ。二つの命には、指一本、向けない。それを破ったら、俺は俺でなくなる。

 

 握った051改の覗き窓の奥で、罅の入った結晶が、閃光のたびに鈍く光った。

 

《Ready.》

 

「ああ、分かってる。……次、来るぞ!」

 

 六分が過ぎた。黒い蔦は肘の手前まで伸び、呼吸の底に、聞き覚えのない軋みが混じり始めていた。それでも、盤は徐々に、詰みへ向かっていた。上の砲は正確さを増し、下の刃は残り三本の渡り線を二本まで減らし、そして七分目——三つの光条が、時間差で、逃げ場の三方向を同時に押さえた。

 

 (……解なし、か)

 

 迎撃は二発が限度。三発目が、少女ごと影を焼く。リョウが最後の一手を探して〇・五秒を燃やした、その時。

 

 空の砲が——盤を、降りた。

 

『ヴァレル1!?』

 

 フェイトの声が裂けた。高度六〇〇〇の光点が、収束射の照準を自ら解いて、真っ直ぐに、墜ちるような角度で突っ込んでくる。三つの光条のうち一つが主を失って霧散し、詰みかけた盤面に、風穴が空いた。

 

『射撃位置を——なぜ、降りるんですか!』

 

『吸われるからだよ!』

 

 答える声は、風切りに千切れながら降ってきた。

 

『遠くから撃っても、あの腕に吸われるだけ! だったら——吸えない速さで、吸えない近さで、撃つ!』

 

 理屈の形をしていた。形だけ、していた。

 

 桜色の弾殻が塩原に突き立ち、白い粉塵の中から、砲身を携えた少女が、歩いて出てきた。距離、十メートル。互いの顔の、汗の粒まで見える距離。一年間、隣で唐揚げを分け合った距離だった。

 

「……久しぶりだな、こんな近くで見んの」

 

「そうですね」

 

 セブンスウィルの銃口が、上がる。

 

「顔、ちゃんと見て——確かめたかったので」

 

 至近距離戦は、殴り合いに似た射撃戦になった。

 

 なのはの点射は近いぶんだけ速く、リョウの回避は近いぶんだけ深く読めた。撃つ前の左踵。薙ぐ前の顎の角度。読み合いは互角で、互角である事自体が、異常だった。武装の桁が二つ違う相手と、殴り合いが成立している。義手が汲み上げる借り物の出力が、桁の差を無理やり埋めていた。埋めるたびに、蔦が伸びた。

 

「なんで!」

 

 点射の合間に、破片が飛ぶ。

 

「なんで、あの子なんですか! なんで——私たちじゃ、駄目だったんですか!」

 

 弾く。跳ぶ。答えない。答えは胸のポケットに畳んであって、ここで開けば毒になる。

 

「一人で決めて、一人で背負って、一人で消えて——それで守ってるつもりなら!」

 

 銃口が、真正面に来た。

 

 収束音。本気の一撃の、あの音。距離十メートル、外しようのない射角、そしてリョウの背後——車列の残骸の陰には、石になっている小さな影。射線の延長の、爆風の圏内に。

 

 なのはの目が、それを視た。

 

 視てしまった。

 

 照準の向こうで、桜色の収束が、〇・四秒、揺れた。撃っていい物と、撃ってはいけない命を分ける、彼女の芯のスキルが——この距離では、あの子を「座標」ではなく「顔」として結像してしまう。六千メートルの上からなら点だったものが、十メートルでは、絵本を一緒に読んだ子供だった。

 

 彼女の芯が、彼女の引き金に、拒否権を発動した。

 

 その〇・四秒に、リョウは全部を賭けた。

 

 右腕を天に向け、残量の全てを、光に変えて撃ち上げる。指向性のない、ただの、目も眩む白。塩原の白と閃光の白が混ざって、世界から輪郭が消えた三秒間——リョウは残骸から少女を抱え上げ、詰みかけた盤の最後の風穴を、駆け抜けた。

 

 廃鉱の坑道の闇が、二人を呑んだ。

 

 白が引いた塩原に、二つの光が残された。

 

 なのはは、構えたままの銃身を、ゆっくりと降ろした。振り仰げば、雲一つない空。ほんの数分前まで自分が据わっていた、あの完璧な高度が、白々と広がっている。

 

「……ヴァレル1」

 

 フェイトが隣に降り立った。報告端末を持つ手が、珍しく、所在なげだった。

 

「戦術検証は、私がまとめます。ですから——」

 

「分かってる」

 

 なのはは、空を見たまま言った。

 

「全部、分かってるから。……先に言わないで」

 

 それ以上は、二人とも喋らなかった。査察官への報告書には、その日の交戦は「地形要因および目標の出力急伸により捕捉失敗」と記される。嘘は一つもなく、真実は一行も、載らなかった。

 

 坑道の奥、崩れかけた保線室で、リョウは膝から崩れた。

 

 苦痛は、勝利の余韻を三十秒も待たなかった。

 

 右腕が、内側から燃えていた。義手のはずの腕が、義手であることをやめたみたいに、熱と脈を持って軋んでいる。熱は肩の接合部を越えて、胸へ、背へ、心臓の周りの深いところへ、根を張るように広がった。呼吸が浅くなる。視界の端が明滅する。歯を食いしばっても、喉の奥から、声にならない音が漏れた。

 

「とりがー!? とりがー、とりがー……!」

 

 少女の声が、遠くで聞こえる。近くにいるのに、遠くで聞こえる。リョウは塩の粉だらけの床に転がったまま、痙攣の波の合間に、それでも、計算をやめられなかった。やめられない性分だった。

 

 (……あの盤は、狙撃のために組まれてた。組んだのは、あいつだ)

 

 波が来る。歯を食いしばる。引く。

 

 (高度六〇〇〇。視程無限。偏差は完璧。もし——もし、あいつが最後まで、あそこに据わってたら)

 

 迎撃は七発目で撃ち負けていた。回避は地形が許さなかった。詰んでいた。三射目か、遅くとも五射目で、詰んでいた。

 

 (俺が生きてんのは、俺の腕のおかげじゃねえ。この黒のおかげでもねえ)

 

 背筋が、痙攣とは別の理由で、凍った。

 

 (——あいつの、迷いのおかげだ)

 

 あいつは、勝ちを捨てて降りてきた。理屈の形をした理屈で自分を騙して、俺の顔と、あの子の顔が見える距離まで。そして案の定、視ちまって、撃てなかった。俺は今夜、あいつの優しさを燃料にして、生き延びた。

 

 (……次は、ねえぞ)

 

 次に会う時、あいつが迷いを殺し終えていたら。あの高度から、二度と降りてこなかったら。

 

 俺は、死ぬ。

 

「とりがー、しっかりして、とりがー——」

 

 小さな手が、燃える右肩に触れた。触れて、止まった。

 

 少女の目が、変わった。

 

 痛みに揺れる子供の目の奥で、別の何かが、静かに焦点を結ぶ。少女は乱れたリョウの襟元を開き、義手の接合部——金属と皮膚の境目を、見た。

 

 境目を、黒い糸が、越えていた。

 

 髪ほどの細さの黒が一本、金属を離れ、鎖骨の上の、生身の皮膚に、根を下ろしていた。刺青のような、植物の根のような、一本の線。

 

「……とうろく、しんこう中」

 

 少女の声は、あの、システムの側の声だった。

 

「同居人が……とりがーを、『つぎの主』の欄に、かこうとしてる。ちからを、かりるたび。くろが、そだつたび。……この糸が」

 

 指先が、震えながら、鎖骨の黒をなぞる。

 

「むねに、とどいたら——もう、けせない」

 

 次の瞬間、システムの声は砕けて、子供が戻ってきた。

 

「けして! いやだ、けして、これ、わたしの、わたしのせいだ、わたしがうでをなおしたから、わたしが——」

 

「——おい」

 

 リョウは、まだ言うことを聞かない喉から、無理やり声を絞り出した。

 

「契約違反、すんな。……借りたのは、俺だ。お前のせいじゃねえ。俺が、自分で、汲んだ」

 

 痙攣の波が、少しずつ、間遠になっていく。リョウは石の床に義手を突き、軋む体を、一段ずつ持ち上げた。膝。腰。壁。二分かけて、立った。立って、笑ってみせた。ひどい出来の笑顔だったが、在庫はそれしかなかった。

 

「……ほら。立った。契約続行だ」

 

 少女は泣きながら、こくこくと頷いた。

 

 リョウは帳面を開いた。鉛筆の字が、いつもより、少し乱れた。

 

『六日目。黒——肘、越え。皮膚に根、一本』

 

『出力、七倍(観測値)。代償、本日判明——胸に届いたら、終わり』

 

『詰みを外したのは、敵の迷い。次は無い』

 

 三行書いて、リョウは坑道の闇の先を見た。廃鉱を抜けた向こう、次の中継点の、そのまた先。目的地は、もう贅沢を言える距離になかった。回り道の安全と引き換えにできる時間が、鎖骨の上から、消えたのだ。

 

「はやて。行き先、変更だ」

 

「……どこ?」

 

「第68管理外世界。——狼の巣に、里帰りする」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。