魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
帰投後のゼルベロスは、静かだった。
格納庫では回収艇の整備が始まり、分析班は残留魔力のデータを検分し、医療班は——リョウが降着した時にはもう——なのは・T・ハラオウンを検査室へ連れて行った後だった。連行ではない。手慣れた、当然の動線だった。作戦後の機体が整備棚に戻るのと、同じ動線だった。
夕刻の事後報告会で、リンディは命令違反について「口頭注意」を告げた。なのはは立ち上がり、正確な角度で頭を下げ、「以後、気をつけます」と言った。
それで、終わりだった。
議事は次の項目へ進んだ。損耗率。補給計画。次の哨戒任務。誰も何も言わなかった。命令を無視して単独突撃し、回収目標を消滅させた前線要員への処分が口頭注意一つで流れていくことに、誰一人、眉も動かさなかった。
(……そうかよ。そういう部隊かよ、ここは)
リョウはテーブルの下で拳を握った。
慣れているのだ、ここの全員が。彼女が無茶をすることに。彼女の無茶で作戦が成立することに。そして多分——彼女の無茶を、誰も本気で咎めないことに。
監視して、記録して、検査して、補給して。それだけだ。この艦は彼女を運用している。丁寧に、大切に、決して踏み込まずに。
報告会が散会し、リョウは席を立った。
行き先は決めてあった。九日前と同じ、艦尾の射撃訓練区画だった。あの少女がどこで独りになるのか、もう知っていた。
果たして、少女はそこにいた。
撃ってはいなかった。薄闇の中、整備台に置いたセブンスウィルの傍らに腰掛け、膝の上の端末を見つめていた。検査上がりの、まだ袖をまくったままの腕が、照明の下で薄く白かった。
「ヴァレル」
少女が顔を上げた。
「……トリガー三尉。何か」
「二等陸士だっつってんだろ。……話がある。今日の件だ」
「報告会は終わりました。処分も受けました」
「口頭注意がか? ふざけんな。あんなもん処分じゃねえ」
自分の声が思ったより低く出たことに、リョウは自分で驚いた。少女は端末を閉じ、姿勢を正した。叱責を受ける姿勢だった。慣れた、正確な、心のこもらない姿勢だった。それがまた、腹に据えかねた。
「先に言っとく。結果は正しかった。シェルターの七人は助かった。断層も起きなかった。おまえの判断力と火力は本物だ。……そこは疑ってねえ」
「……はい」
「その上でだ。——おまえ、今日、一発も避けなかったな」
少女の睫毛が、わずかに動いた。
「対空砲火のど真ん中を直線で飛んだ。全弾、障壁で受けた。回避機動はゼロ。フェイントもゼロ。……なあ、あれは何だ? 戦術か? 違うよな」
「……障壁の出力で受けきれる計算でした。回避に割く集中を、火力に回した方が制圧が早い。合理的な判断です」
「合理的、ね」リョウは一歩、踏み込んだ。
「じゃあ、お前の体は、その『合理』のどの項に入ってる? 守るべき変数か? それとも——消費していい定数か?」
少女は、答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「『責任はわたしが取ります』って言ったな、今日。あれも気に食わなかった。教えといてやるよ、二等陸士どのの数少ない人生経験からな。——死んだ奴は、責任なんか取れねえんだ。責任ってのは生きてる奴の特権なんだよ。おまえの言う『責任を取る』は、順番が逆だ。あれはただの——」
言葉を選ぶべきだった。選べなかった。
「——ただの、自分への罰だろうがっ……!」
薄闇の中で、少女の目が、初めてまっすぐにリョウを見た。
九日前、彼の上を素通りした目だった。標的との距離を測るだけだった目。その目が今、測れないものを前にしたように、揺れていた。
「………………どうして」
声は、掠れていた。
「どうして、怒るんですか」
「は?」
「みんな、優しいです。管理局の人も、お母さんも、艦のみんなも。わたしを心配して、検査して、記録して、守ってくれます。でも……誰も、怒らないんです。四年間、誰も」
少女は、自分の掌を見下ろした。今日、六百メートルの円を作った掌を。
「わたしの力は、危ないから。わたしが、その……特別だから。だから、みんな丁寧で。腫れ物みたいで。……あなたは、会って九日目なのに、どうして」
「どうしてって、おまえ……」
リョウは頭を掻いた。理屈は、あるにはあった。だがこの場で出てきたのは、理屈になる前の、剥き出しの本音だった。
「——腹が立ったからだ。お前が、命をあんまり安売りするもんだから」
沈黙が落ちた。
少女は目を伏せ、長いあいだ、何かを堪えるように黙っていた。やがて顔を上げた時、その表情は元の平坦さに戻っていた。戻っていたが——完全には、戻りきっていなかった。壁に、髪一筋ほどの亀裂が入っていた。
「……忠告は、受け取りました。でも、わたしの戦い方は、変わりません。変えられないんです。それが一番、被害の出ない方法だから」
少女は立ち上がり、セブンスウィルを担いだ。
「おやすみなさい、クルス二等陸士」
「——ヴァレル」
初めて、コールネームでも階級呼びでもなく、名前で呼ばれた。
それに気づいたのは、彼女がハッチの向こうに消えた後だった。
通信端末が鳴ったのは、その三十分後だ。発信元は艦長執務室だった。
「呼び立ててごめんなさいね。……お茶、飲む? 砂糖入りだけど」
「遠慮しときます。緑茶は渋い方が、その……」
「あら、もったいない」
リンディは自分の湯呑みに角砂糖を二つ落とし、ゆっくりと掻き混ぜた。執務室の照明は半分に落とされていて、彼女の目元の亀裂は、昼間より深く見えた。
「射撃区画の会話、聞いていたわ」
「……盗み聞きですか、課長殿」
「実働要員の生体反応と音声は、艦内では常時記録されるの。規則よ。——あの子のための規則。そういう部隊なの、ここは」
もう分かってるでしょう、とその目が言っていた。リョウは息を吐き、ソファに深く座り直した。
「閲覧権限をあげるわ。別紙資料01。……本当は、もう少し様子を見てからと思っていたのだけど。あなた、思ったより早く踏み込んでくれたから」
卓上の投影板に、資料が展開された。
『症例報告:リンカーコア変質事例(通称・オーバードリンカーコア)』
リョウは読んだ。読み進めるほどに、指先が冷えていった。
——セカンド・ショック時、闇の書の魔力嵐と故郷崩壊の複合ストレスに暴露。リンカーコアが不可逆的に変質。魔力生成量は事実上無尽蔵、既存の測定基準を適用不能。
——ただし、代償として以下を確認。大規模魔力行使時、生成の不足分を生命力によって補填する機構が発現。行使規模に比例して、生命力が磨耗する。
——磨耗した生命力の回復は、極めて緩慢。累積的。
資料の末尾には、グラフが一枚添付されていた。縦軸のラベルは伏せられていた。ただ、折れ線が、四年分、緩やかに、しかし一度も上向くことなく、右肩下がりに降りていた。今日の日付の点が、その最新の一点だった。
「…………今日の作戦で?」
「ええ。また少し、削れたわ」
リンディの声は、恐ろしいほど平静だった。四年かけて平静を装う訓練を積んだ声だった。
「もう一つ。あの子はもう、非殺傷設定で人を無力化できない。コアの制御には途方もない集中が要るの。乱戦の中で、殺さない加減を選び取る余裕は、今のあの子にはない。物になら、いくらでも撃てる。でも、人には——殺してはいけない相手には、引き金を引けない。だからこの部隊は、あの子に物しか撃たせない。今日みたいな、物しか」
リョウは、投影板から顔を上げられなかった。
三十分前の自分の声が、頭蓋の内側で反響していた。おまえの体は、その式のどの項に入ってる。消費していい定数か。
——冗談じゃない。
比喩のつもりだった。修辞のつもりだった。あの子は、文字通りの意味で、自分の命を弾数に数えて飛んでいたのだ。今日も。この四年間、ずっと。
「……なんで、飛ばせるんですか」
声が、抑えられなかった。
「あんたは、母親なんでしょう。なんで前線に——」
「止めたわ」
リンディは湯呑みを置いた。かちり、と小さな音がした。
「何度も止めた。部隊ごと解体して、あの子を安全な世界の病室に入れることだって、権限上はできた。……でもね、クルス二等陸士。あの子から戦うことを取り上げたら、何が残ると思う?」
「…………」
「あの子は、力で家族も友達も守れなかったと思ってる。同時に、力を振るうことでしか誰も守れなかったとも思ってる。矛盾よ。分かってる。その矛盾ごと病室に閉じ込めたら、あの子は静かに、内側から消えていくわ。魔力より先に、心が磨耗して。……だからゼロイチは、あの子の檻じゃなく、あの子の居場所として作られたの。せめて、撃っていい物だけを撃たせるために。せめて、削れていく速度を、医療班が見張れるように」
それが親にできる精一杯よ、とリンディは言った。誇るでもなく、卑下するでもなく、ただの在庫報告のように。
「……あの子ね、夜中に一人で、虚数空間の観測データを漁っているの。四年間、ずっと。何を探しているのかは、訊いても答えないけれど」
リンディは目を伏せ、それ以上は言わなかった。言わないことで、何かを言っていた。
「あなたを採った理由、着任の日に言ったわね。『生き延びる適性』。……あれは戦術の話じゃないのよ。あなたは、生き延びることを恥じていない人。死なないことを、一番上の項に置ける人。この艦に一人もいなかった人種なの。あの子の隣に、一番必要な人種なの」
リンディは立ち上がり、リョウの正面に来て——司令官ではなく、一人の母親の顔で、頭を下げた。
「なのはのこと、よろしくね」
(……退路、完全封鎖と)
執務室を出た通路で、リョウは天井を仰いだ。
ずるい大人だ、と思った。あの頭の下げ方は、断れる種類のものではなかった。断る選択肢を、頭を下げるという行為そのもので焼き払っていった。四年前に世界を焼いたあの白い光より、よほど正確な焼き払い方だった。
(トリガー、ね)
支給された電子カードを、ポケットの上から握る。
引き金の仕事が、ようやく分かった。撃たせることじゃない。あの子は放っておいても撃つ。命を装填して、勝手に撃つ。だったら引き金の仕事は、逆だ。
撃たない、と決めること。撃たせない、と決めること。安全装置のない砲の、外付けの安全装置になること。
(……無茶言うよなあ、ほんと)
通路の先、観測窓の前に、小さな人影があった。
なのは・T・ハラオウンが、窓の外の星々を見ていた。気配に振り向き、リョウを認めて、少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……こんな時間に、どうしたんですか」
「課長殿に茶ぁ誘われてな。断ったけど。おまえは?」
「……眠れなくて。今日は、その」
少女は言葉を探した。探して、探して、ようやく小さな声で言った。
「……さっきは……」
少女は何かを言いかけて、首を振った。
「……おやすみなさい」
「おう。また明日な」
なのははその場を立ち去った。彼女が言いかけた言葉が何だったのかは分からないが、リョウは少女と自分の間に、まだ遠い距離を感じざるを得なかった。リョウは、少女がいた隣の窓枠に肘を置いた。
ガラスの向こうで、名前も知らない星々が瞬いていた。滅んだ星も、これから滅ぶ星も、まだ誰かが生きている星も、等しく同じ光り方で。
(生き延びてやる——って、四年前に決めたんだ、俺は)
去って行く、小さな背中を見守る。命を削って世界を守る、桜色の砲身。誰にも叱られたことのなかった、物語の主人公。
(決めたことに、一個だけ追加だ)
生き延びてやる。
——おまえも、生き延びさせてやるよ。この、どうしようもねえ世界でな。
引き金は、そう決めた。