魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
明日から新章が始まります。
第6話『Dessert』
発端は、月次の医療報告書だった。
例の折れ線グラフの下、担当医の手書きの付記欄に、その月は、こう書いてあった。
『数値は回復傾向にあるが、本人が任務に前のめりである。処方:甘味、および楽しい外出。同伴者は本人の指定に従うこと』
処方箋である。様式に則った、正式な、医療上の指示である。
かくして休暇二日目の朝、食堂で唐揚げの在庫を検分していたリョウの前に、一枚の紙がすっと差し出された。
「処方箋です」
「……見りゃ分かる。で?」
「同伴者は本人の指定に従うこと、って書いてあります。指定します」
なのはは、にっこりと笑った。燃費の悪くない方の、上等な笑い方で。
「グラフが下がった分、つきあってもらいますから」
「誘い方が重いんだよなあ……」
リョウは天井を仰いだ。仰いだが、様式には勝てない。この艦で様式に勝てた者は、歴史上、一人もいない。
「……どこ行くんだよ」
「第68の、環状市。パフェの美味しいお店が、復興通りにできたって、メアリちゃんの新聞に書いてありました」
外出許可は、艦長決裁で、過去最速の三秒で下りた。リンディ・ハラオウンはにこにこと許可印を捺し、にこにこと二人を送り出した。後から思えば、あのにこにこには、明確な利害が含まれていた。
さて、その頃、格納庫の物陰では。
「——じゅうだいじあん、はっせい」
小さな影が、通路の角から食堂を偵察していた。ハヤテ・ヤガミ・ハラオウンである。事の起こりは前日の夜、整備班の若い衆の噂話を、彼女の地獄耳が拾ったことだった。
『——いよいよか? いよいよなのか、あの二人』
『けどよお、健全すぎんだろ。休暇で二人きりとか、一歩間違えば不純異性交遊……』
ふじゅんいせいこうゆう。
意味は分からなかった。分からなかったが、「不純」と「防がないといけない雰囲気」だけは、正確に伝わった。なのはに、不純なにかが迫っている。ならば、やることは一つである。
彼女は、まっすぐに応援を呼びに行った。
「ふぇいと。しゅつどう、です」
「……あの、ハヤテ。任務ではない、ですよね?」
「にんむです。なのはを、ふじゅんから、まもるにんむ」
フェイト・T・ハラオウンは、規則の人である。規則の人であるがゆえに、「妹分の保護要請」と「休暇中の同僚の私的行動の監視」の間で、教本にない板挟みに陥った。
「び、尾行は良くないんじゃ……」
「ふじゅんいせいこうゆうは、ふせがないと」
「ふ、不純て……」
どこでそんな言葉を、と問い詰める間もなく、小さな手に袖を掴まれた。フェイトの敗因は、三つある。一つ、妹分に袖を掴まれると弱い。二つ、「なのはに何かあったら」という仮定に弱い。三つ——実のところ、ほんのちょっとだけ、気になっていた。
変装用具は、オーバ老が貸してくれた。
「ほっほ。青春じゃのう」
老技師のロッカーから出てきたのは、色眼鏡が二つと、つば広の帽子が二つと、なぜか付け髭が一つだった。付け髭は、ハヤテが装着を強く主張した。
復興通りは、いい天気だった。
ガス灯の街の目抜き通りには、新しい店の旗が並び、蒸気トラックが荷を降ろし、人々が行き交っている。その雑踏の中を、色眼鏡と帽子の二人組の少し後ろから、つけ髭の小さな影と、変装がむしろ目立っている金髪の美人が、電柱から電柱へ移動していた。
「——おや? おやおやおや?」
三本目の電柱で、二人は早くも地元の情報網に捕捉された。売り台を引いたメアリが、つけ髭の顔をまじまじと覗き込む。
「……ハヤテちゃんだ! そのおひげ、へんだよ!」
「しーっ! めありー、しずかに。……いま、にんむちゅうなの」
「にんむ!?」
メアリの目が、輝いた。準係の人は、任務という言葉に、めっぽう弱い。事情を三行で聞き終えると、彼女は胸を叩いた。
「この街のことなら、まかせて! 案内料は——はんがくで、いいよ!」
「取るの!?」
フェイトの叫びは、雑踏に消えた。かくして尾行部隊は三名に増強され、地元の路地という路地を知り尽くした案内人を得て、追跡は完璧なものとなった。完璧に、店の斜向かいの喫茶店の窓際席を確保するに至った。
「もくひょう、にゅうてん。……まどぎわの、にんがけせき」
ハヤテがつけ髭の下で囁き、フェイトが手帳を開いた。書かないと落ち着かない性分なのである。
『一三五〇、目標二名、喫茶〈星灯り〉に入店。席は窓際。対面着席。距離、卓一つぶん。所見:健全』
「めにゅーを、みてる。……なのは、ゆびさした。おっきいの、たのむきだ」
『一三五五、目標1、特大メニューを指差す。目標2、頭を抱える。所見:通常運転』
当の窓際席では、攻防が行われていた。
「『復興記念・戦艦パフェ』……これですね」
「待て。高さ四十センチって書いてあるぞ。処方箋のどこに戦艦を沈めろと書いてある」
「甘味、って書いてあります。量の上限は書いてありません」
「様式の穴を突くんじゃねえよ……」
だが結局、戦艦は来た。銀の器に積み上がった果物と生クリームと焼き菓子の艦橋は、卓に着くだけで小さな歓声を周囲から集めた。なのはは目を輝かせ、スプーンを二本取って、一本をリョウに突きつけた。
「はい。共同作戦です」
「……俺は護衛だったはずなんだがな」
「護衛は、火力支援もします」
戦艦は、上甲板から順に、着実に攻略されていった。途中、生クリームの配分を巡って小競り合いが一度、いちごの所有権を巡って交渉が一度。交渉はリョウが三秒待ってから譲った。三秒待ったのは、悔しかったからである。
攻略が中層に達した頃、なのはが、ふと手を止めた。
「……こういうの」
「あん?」
「普通の街で、普通に甘いもの食べて、普通に笑うの。……五年ぶり、だなあって」
窓の外を、蒸気トラックが走っていく。新聞売りの声がして、ガス灯の点灯夫が梯子を担いで通る。守られた日常が、窓一枚向こうで、何も知らずに続いている。
リョウはスプーンを置かずに、短く言った。
「来月も処方されるといいな、それ」
「……はい!」
斜向かいの喫茶店では、観測班が静かにざわめいていた。
「い、いまの、わらいかた……」
「めもして、ふぇいと! なのは、すごくわらった!」
『一四二二、目標1、大変よく笑う。所見:————』
フェイトのペンが、所見欄の手前で止まった。健全、と書きかけて、健全という言葉では足りない気がして、かといって他の言葉は職務記録に相応しくない気がして、結局、彼女は生涯の報告書歴で初めて、所見欄を空白のまま先へ進んだ。
「ん? どうしたの、フェイトおねえちゃん、顔あかいよ?」
「な、なんでもない、です」
戦艦が轟沈し、食後の茶が運ばれてきた頃。
店員が、盆を持って、なぜか斜向かいの喫茶店へと通りを渡っていくのが見えた。盆の上には、中くらいのパフェが三つ。店員は観測班の卓の前で立ち止まり、営業用の笑顔で言った。
「お向かいのお客様から、こちらのお三方にと。——『観測ご苦労。糖分は補給しておけ。付け髭は今後の課題』とのことです」
観測班は、凍りついた。
通りの向こうの窓際で、リョウが茶を啜りながら、こちらを見もせずに片手を挙げていた。入店の時点で——否、おそらくは三本目の電柱の時点で、S+の索敵は全てを捕捉していたのである。隣でなのはが窓に張りつき、こちらを指差して、声を出して笑っていた。
「ば、ばれてた……!」
「そりゃばれます……あの人に尾行が通じるなら、管理局は苦労してません……」
メアリだけが、動じずにスプーンを構えた。
「にんむで、パフェがでた! この係、いいしごとだね!」
帰艦後、食堂の隅で、判定会議が開かれた。
議長席(牛乳)にハヤテ。書記(お茶)にフェイト。傍聴席には、なぜか妙に真剣な顔の整備班若手数名と、素知らぬ顔で茶を飲むオーバ老。
「これより、はんていを、いいわたします」
ハヤテは、フェイトの観測記録を、最後の頁まで几帳面にめくった。空白の所見欄のところで、一度だけ、なにかを察した顔をした。それから顔を上げ、厳かに宣した。
「はんてい——けんぜん」
傍聴席の一部から、安堵とも落胆ともつかない声が漏れた。
「けんぜん、です。ふじゅんいせいこうゆうの、じじつは、みとめられません。……ただし」
議長は、付記した。
「——ちょっと、じれったい、とおもいました。いじょう」
その瞬間、傍聴席の奥で、オーバ老が帳面をぱたんと閉じた。艦内に極秘裏に開帳されていた賭博帳——『あの二人はいつ』——は、この日、「今回の休暇で進展」に賭けた全員の掛け金を呑み込んで、静かに次節へ持ち越しとなった。
なお、後の艦内監査で判明したところによれば、持ち越し口座のいちばん大きな札には、達筆で『年内』と書かれ、決裁印とよく似た印影が捺されていたという。心当たりを問われた艦長は、砂糖入りの緑茶を一口飲んで、にこにこと答えた。
「あら。艦の士気に関わる重要案件ですもの」
その夜、リョウは自室で帳面を開き、本日の収支を記した。
『借り一件、返済(パフェ同伴)。ただし戦艦の代金は俺持ち。観測班への糖分補給費も俺持ち』
『——差し引き、また借りが増えた。……なんでだ?』
鉛筆の先で三秒考え、リョウは答えを出すのを、やめた。世の中には、勘定の合わない帳簿が、あっていいのである。