魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~ 作:ちょわわ
第72管理外世界の空は、油の色をしていた。
眼下に広がるのは、峡谷の底に築かれた工廠——リバーサーズ系の一派が占拠した、旧文明の兵器工場だった。錆びた鉄骨の森。稼働を続ける溶鉱炉の赤黒い光。事前偵察の報告書は、リョウも三度読み返していた。
拠点戦力、自律無人機のみ。推定八十機。人的戦力の存在は確認されず。
「トリガー、降下点確認。手順どおりに行くぞ。俺が先行して工廠内部を確認、クリアを出したらヴァレルが外周の無人機を叩く。今日は楽な仕事だ。……おい、聞いてんのか?」
『……はい。聞いています』
並走して飛ぶ少女の返事は、いつもどおり平坦だった。ただ、その視線が手元の端末に落ちていることに、リョウは気づいていた。
「何か気になんのか」
『……生体反応です。工廠の中枢区画に、微弱ですけど、複数。……三十以上』
「あ?」
リョウは自分の端末を確認した。あった。工廠の最深部、溶鉱炉に近い区画に、ぼんやりと滲むような生体反応の群れ。信号は弱く、不安定で、艦のセンサーは「解析中」の表示を明滅させている。
『事前偵察にはなかった反応よ』リンディの声が回線に乗った。『捕虜か、拉致された住民の可能性がある。……作戦を変更します。ヴァレルは攻撃を待機。トリガー、内部の確認を最優先——』
その時だった。
端末の中の反応群が——三十あまりの弱々しい光点が——一斉に、警報の赤で明滅を始めた。生体信号の急激な劣化。艦のセンサーが自動で判定を吐き出す。
『中枢区画の生体反応、複数が急速に減衰! バイタル低下——このままでは——』
言い終わる前に、隣の気配が消えた。
「——ヴァレル!」
桜色の流星が、油色の空を裂いて工廠へ堕ちていく。リョウは叫んだ。
「三秒だ! 三秒くれ、まだ何も確認できてな——」
『——ごめんなさいっ……!』
初めて聞く、泣き出す寸前のような声だった。回線の向こうで、少女は確かに謝った。謝りながら、止まらなかった。
(……そうだよな。おまえは、そういう奴だよな……!)
リョウは舌打ちし、最大戦速で後を追った。
工廠の中枢区画に、なのはは正面から突入した。装甲隔壁ごと、桜色の砲火で吹き飛ばして。
区画の内部は、広大な組立工場だった。天井のクレーン。整列するアーム。そして、生体反応の発信源を守るように、床から次々と起動する無人機の群れ——旧文明の作業機体を武装化した、ずんぐりした人型の機械たち。
その機械の群れが、生体反応の光点に、重なっていた。
なのはのセンサーが、リョウのセンサーが、艦の解析班が、その意味を計算し終えるより早く——少女はもう、セブンスウィルを構えていた。守るべき人々に殺到する敵機。四年間、彼女の体に刻まれた条件反射。照準。充填。
「——っ、待——」
リョウの声より、艦の解析完了の警告より、彼女の引き金のほうが、早かった。
桜色の収束砲が、先頭の一機を正面から捉え——
装甲の表面を灼き、溶かし、剥がし——
剥がれた装甲の下から。
人間の顔が、現れた。
目を閉じた、痩せた、中年の男の顔だった。機械の胸郭に埋め込まれ、管に繋がれ、眠るように瞼を落とした、ただの人間の顔だった。
世界が、一瞬、止まった。
次の瞬間、なのは・T・ハラオウンは、放ちきった砲撃の奔流を——捻じ曲げた。
理屈の上では不可能な行為だった。撃ち出された収束砲は矢と同じだ。放たれた後の軌道は変えられない。変えるとすれば、砲そのものではなく、砲を構成する魔力の一粒一粒に、発射後に、直接干渉するしかない。無尽蔵の魔力と、常軌を逸した制御と、そして——制御の不足分を埋める、彼女自身の何かを、根こそぎ注ぎ込む以外に。
桜色の奔流が、悲鳴のような魔力光を散らしながら直角に折れ、男の顔を掠めて天井を貫いた。クレーンが溶け落ち、油色の空が穴から覗いた。
男は、生きていた。眠ったまま、生きていた。
そして、なのはが、墜ちた。
糸の切れた人形のように、少女の体が高度を失う。リョウは何も考えずに突っ込み、床に叩きつけられる寸前の小さな体を、両腕で受け止めた。
「ヴァレル! おい! しっかりしろ!」
腕の中の顔は、紙より白かった。目は開いていた。開いたまま、焦点が揺れていた。唇が動き、掠れた音を作った。
「……ひと、が」
「見た。俺も見た。いいから喋るな」
「……わたし……撃っ……」
「外れた! おまえが外したんだ! 生きてる、あの人は生きてる! だから——」
言い終える前に、工廠全体が、低い駆動音で唸りを上げた。
『——ゼルベロスよりトリガー! 工廠深部に次元干渉場の発生を確認! 通信が——転送も——きな……ト……ガ——』
リンディの声が、砂嵐に呑まれて途切れた。
艦との回線が、死んだ。
同時に、組立工場の床という床から、壁という壁から、無人機——否。
もう、その名では呼べない機械の群れが、一斉に、目を覚ました。
起動した機体は、五十を超えていた。
どの機体の装甲の奥にも、生体反応が灯っていた。あの弱々しい、不安定な、三十あまりの光点。捕虜だと思った信号は、機械に埋め込まれた人間たちの、細く長く引き延ばされた命の信号だった。急速な減衰は、拉致被害者のバイタル悪化などではなかった。——機体への「接続」が最終段階に入った際の、正常な工程だった。
区画のスピーカーが、割れた音声を吐き出した。
『——ようこそ、管理局の犬ども。歓迎するよ、我らが習作の展示会へ』
姿のない声だった。若いのか老いているのかも分からない、加工された声。
『命は潰えゆく世界の澱。ならば澱は、終わりの日のための薪となるべきだ。彼らは同意したよ。全員がね。この絶望した世界で、意味のある終わり方を与えてやれるのは、我々だけだったから』
「……ぺらぺらぺらぺら、うるせえんだよ」
リョウは、なのはを庇って後退しながら、吐き捨てた。頭の芯は、逆に冷えていた。冷えた頭の隅で、場違いな分析が回っていた。——この改造技術は、こんな峡谷の鉄屑どもに扱える水準じゃない。生命維持と機体接続の設計思想が、明らかに、外から来ている。誰かが図面を与えている。誰だ。
考えは、迫る駆動音に断ち切られた。
機体の群れが、包囲を狭めてくる。動きは鈍い。装甲は旧式。火器は貧弱。相手が「ただの無人機」なら、なのはの一射で終わる烏合の衆だ。
だが、あの装甲の一枚下には、眠る顔がある。
「……りょ……」
腕の中で、掠れた声がした。見下ろすと、焦点の合わない目が、必死にリョウを探していた。
「……撃て、ない……わたし、撃てな……ひとが、いるの……なかに、ひとが……」
「分かってる」
「……おいて……わたしを、置いて……あなただけなら、飛んで——」
「——ヴァレル二等空尉」
リョウは、意図して、一番冷たい声を出した。腕の中の目が、びくりと揺れた。
「寝言は療養休暇取ってから言え。誰が置いてくか、馬鹿。……いいか、よく聞け。おまえは撃つな。一発もだ。これは提案じゃねえ、トリガーとしての決定だ。——今日の戦場は、俺が担当する」
リョウは少女を、崩れた資材コンテナの陰に横たえた。立ち上がり、首を鳴らす。
ミニットマン051が、掌の中で短く駆動音を上げた。
「相棒。……派手にやるぞ。ただし、一人も殺すな」
《Ready.》
「今日ばっかりは、その返事、頼もしいぜ」
それは、なのは・T・ハラオウンが四年間見たことのなかった種類の、戦闘だった。
クルス・リョウは、撃ち落とさなかった。薙ぎ払わなかった。制圧しなかった。
彼はただ、躱した。
五十機の火線の網の中を、紙一重の連続で潜り抜けながら、すれ違いざまに一機ずつ、触れていくだけだった。関節部の駆動系に、至近からの最小出力弾。光学センサーに、閃光弾頭。姿勢制御の噴射口に、こじ入れるような一撃。どれも装甲の中の「人」には届かない、外側の、機械の急所だけを、外科手術のような精度で。
一機が膝から崩れる。一機が盲目になって同士討ちを始める。一機が制御を失って壁に突っ込む。倒せてはいない。誰一機、倒せてはいない。時間を、稼いでいるだけだ。分の悪い、出口のない、ただの時間稼ぎ。
なのに。
(……きれい)
コンテナの陰で、霞む視界のまま、なのはは思った。思ってしまった。
彼の機動には、彼女の飛び方にないものがあった。一撃ごとに、一手ごとに、骨の髄まで染み通った、たった一つの前提。
——明日も、この体を使う。
——明日も、生きている。
全ての回避が、全ての選択が、その前提から組み上がっていた。生き延びることを、恥じていない機動だった。生き延びることを、諦めていない機動だった。四年前、灰の上でたった一人、それでも死にたくないと両手を突き出した男の、機動だった。
「…………リョウ、さん」
名前が、唇から零れた。コールネームでも、階級でもなく。
その声は誰にも届かず、砲火の音に呑まれて消えた。
三分が過ぎた。
リョウの呼吸は、既に上がっていた。無力化できた機体、十一。残存、四十以上。カートリッジの残弾表示が、掌の中で赤く点滅している。
(通信、死んでる。転送、死んでる。増援、来ない。干渉場の発生源を潰さない限り——で、その発生源は工廠の最深部、この鉄屑どもの巣のど真ん中、と)
(詰んでる、って言うんだよなあ、こういうの)
肺に酸素を押し込み、リョウは笑った。笑うしかなかった。笑っていないと、腕の震えが本物になりそうだった。
その時、区画の最奥——溶鉱炉の赤黒い光の中で、ひときわ巨大な影が、身を起こした。
全高十メートル。他の機体とは明らかに設計思想の違う、重装甲の巨躯。その胸部装甲の中央には、他のどの機体より大きな観察窓があり、窓の向こうには、管に繋がれた人影が、ゆらりと透けて見えた。
スピーカーの声が、うっとりと囁いた。
『ああ、起きたか。——見せてあげよう、管理局の犬。我々の最高傑作を——』
巨躯の眼窩に、赤い光が灯る。
残弾表示が、点滅から、点灯に変わる。
(……おいおい)
リョウは、乾いた唇を舐めた。
(冗談だろ)