魔法少女リリカルなのはMissing in Ace~高難易度で行くリリカルなのは世界~   作:ちょわわ

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第8話「Howl」

 工廠の一件から、二週間が過ぎた。

 

 ゼルベロスはミッドチルダの整備ドックに入渠し、艦は久々の、まとまった休息の中にいた。損耗した装備の更新。人員の補充面接。溜まりに溜まった報告書——十一件プラス二件、全部リョウが書いた。

 

 そして、艦尾の射撃訓練区画では、この二週間で、奇妙な光景が日常になりつつあった。

 

「——だから、違うっての。障壁を張るな。張った時点で『そこにいます』って白状してんのと同じだ。いいか、回避ってのは足でやるもんじゃねえ、目でやるもんだ。相手の射線が生まれる前に、射線の外にいる。それだけ」

 

「……『射線が生まれる前』って、どうやって分かるんですか」

 

「肩だよ、肩。機械なら駆動部の予備動作、人なら肩と目線。撃つやつは撃つ前に、必ず世界に断ってから撃つ。そいつを聞き逃すな。……ほれ、もう一本」

 

 訓練用の低出力弾が飛び交い、桜色の小さな影が、ぎこちなく、しかし確かに、射線の間を縫って動く。

 

 なのは・T・ハラオウンが「回避を教えてほしい」と言い出したのは、退院——医務室からの、だが——の翌日だった。リョウは危うく、飲んでいた合成コーヒーを噴くところだった。四年間、被弾を残弾として費目計上してきた少女が、避け方を習いたいと言った。その意味を取り違えるほど、リョウは鈍くなかった。

 

 筋は、絶望的に悪かった。当然だ。彼女の戦闘の全ては「避けなくていい」前提で最適化されてきたのだから。それでも少女は通ってきた。毎日。転げて、被弾判定を食らって、髪を乱して、また立って。

 

 そして時折——低出力弾に足を掬われて尻餅をついた自分に、ふ、と息を漏らすようになった。

 

 あの、炭酸の最後の一粒みたいな音。それが今では、二日に一度は聞ける。食堂で、訓練区画で、通路のすれ違いざまに。艦の連中がその音のたびに、聞こえなかったふりの下手な芝居をすることも、リョウはもう知っていた。整備班のオーバ老は先週、芝居に失敗して工具を落とした。

 

「……リョウさん。今の、避けられてました」

 

「ん? ——お、ほんとだ。今の良かったな。ほれ、唐揚げ進呈」

 

「訓練中に唐揚げは出ません。……ふ、ふふ」

 

 呼び方が「クルス二等陸士」から「リョウさん」に変わったのが、いつだったのか。正確な日付は、リョウも思い出せない。気づいたら、そうなっていた。気づいたら、そうなっているのが、たぶん一番いいのだろうと思って、指摘はしなかった。

 

「——医療班の月次報告、見たかしら」

 

 執務室の投影板に、例の折れ線が浮かんでいた。

 

 四年分の右肩下がり。その最先端の、直近二週間分——グラフは、水平だった。

 

 下がっていない。二週間、一度も。工廠で大きく削れた一点の後、線は初めて、落ちることをやめていた。医療班の所見が添えられていた。

 

『大規模行使の抑制に加え、睡眠・食事量の改善、ストレス指標の顕著な低下を確認。回復機構の活性化の可能性について、経過観察を継続』

 

「四年間で、初めてよ。一度も下がらなかった二週間は」

 

 リンディは、湯呑みを両手で包んだまま、静かに言った。

 

「あの子ね、先週、私の部屋に来たの。何の用もなく。ただ来て、お茶を飲んで、あなたの悪口を言って帰ったわ。訓練が理不尽だとか、唐揚げの基準が不明瞭だとか。……三十分も」

 

「悪口じゃないですかそれ。あとで説教だな」

 

「ふふ。……ねえ、クルス二等陸士」

 

 リンディは顔を上げた。補修された壁ではなかった。亀裂の入ったままの、素の顔だった。

 

「あなたを迎え入れて、本当に良かった」

 

 ……素直に、頷けなかった。

 

 頷くべき場面だった。分かっていた。だがリョウの喉は、はい、の二文字を通さなかった。代わりに出てきたのは、視線を投影板へ逃がす、不細工な間だった。

 

 水平になった折れ線。その一つ手前に刻まれた、工廠の日の、大きな下げ幅の一点。

 

 あの一点は、俺が刻ませた。

 

 撃て、と言った。クリア、と言った。あの一射で削れた分は、二度と、戻らない。累積的——資料の言葉が、頭から離れない。この二週間、彼女が笑うたび、その音の下に、あの一点が透けて見える。艦の連中は英断と呼んだ。リンディは感謝を口にする。当のなのはは——一度も、あの一射を悔いる素振りを見せない。

 

 だから余計に、歯痒かった。全員が赦してくれるのに、自分の勘定だけが、いつまでも合わない。

 

「……課長殿。俺は」

 

「言わなくていいわ」

 

 リンディは、湯呑みを置いた。

 

「その顔ができる人だから、良かったと言ったのよ。……クリアを出した重さを、成功の後まで持ち続けられる人。この艦に必要だったのは、火力でも盾でもなく、その重さの持ち手なの。——ずるい大人の言い分だけれどね」

 

「……ほんと、ずるいですよ。あんたは」

 

 それだけ言うのが、精一杯だった。

 

 その夜、リョウは観測窓の前で、少女に捕まった。

 

 捕まった、というのが正確だった。通路の角から半分だけ顔を出して待ち伏せていたのだから。回避訓練の成果が、妙な方向に出ている。

 

「リョウさん。……少し、いいですか」

 

「おう。どうした、改まって」

 

 少女は窓の前に立ち、しばらく星を見て、それから、意を決したように口を開いた。

 

「四ヶ月前……ここで、言いかけて、やめたことがあります」

 

 リョウは、覚えていた。サントレアの夜。ごめんなさい、じゃなくて——と言いかけて、首を振って、おやすみなさい、と消えた小さな背中。

 

「あのとき言いたかったのは……ありがとうございました、でした。怒ってくれて。……でも、言えなかった。ありがとうって言ったら、その、認めることになる気がして。わたしが、罰のために撃ってたって認めることに。……認めるのが、怖かったんです」

 

 少女は、窓の中の自分と、その向こうの星を、順に見た。

 

「工廠の、あの一発。……あれは、初めて、罰じゃない一発でした。リョウさんが確かめてくれて、示してくれて、撃てって言ってくれて。……あの一発だけは、誰かを罰するためでも、わたしを罰するためでもなくて。ただ、助けるための一発だった。四年間で、初めて」

 

 だから、と少女は言って、リョウに向き直り、頭を下げた。正確な角度の、儀式の礼ではなかった。ぎこちない、深すぎる、不器用な礼だった。

 

「ありがとうございました。……四ヶ月、遅れましたけど」

 

 リョウは、頭を掻いた。掻く以外に、手の置き場がなかった。

 

 勘定の合わなかった帳簿の、一番深い赤字の欄に、たった今、誰かが黙って伝票を差し込んでいった。全額ではない。全額のわけがない。それでも、帳尻というものは、こういう風にしか合っていかないのかもしれなかった。生きている限り、少しずつ。

 

「……おう」

 

 と、リョウは言った。それから、付け足した。

 

「利子つけて返せよ。唐揚げ三個な」

 

「基準が、本当に不明瞭です」

 

 少女が、ふ、と笑った。

 

 ——その音を掻き消すように、艦内警報が、鳴った。

 

 艦橋は、既に凍りついていた。

 

 正面の主モニターに、映像が流れていた。管理局の公共次元通信網——本局の広報回線を乗っ取った、海賊放送だった。ミッドチルダの街頭モニターにも、各管理世界の受信局にも、同じ映像が流れているという。

 

 画面に映るのは、一本の、牙だった。

 

 黒曜石のような光沢の、長さ一メートルはあろうかという、巨大な獣の牙。祭壇めいた台座に据えられ、ゆっくりと明滅している。まるで、呼吸のように。

 

 そして、声が流れた。

 

 加工された、若いのか老いているのかも分からない、あの声が。

 

『——管理局、並びに、管理されることに慣れきった全ての世界の諸君。初めまして。我々は"フェンリル"』

 

 リョウの心臓が、一拍、跳ねた。

 

 忘れるはずがない。工廠のスピーカーで、うっとりと歌っていた声。彼らは同意したよ、と嘘を塗装した声。次は完成品で会おう、と言い残した声。

 

『諸君は誤解している。世界の終わりとは、防ぐべき事故ではない。迎えるべき満期だ。ジュエルシードが示した。闇の書が示した。第97管理外世界——諸君が"地球"と呼んだあの墓標が、証明した。世界は、終わる。終わるべくして、終わる。我々はただ、その満期を、正しく執行するだけだ』

 

 台座の牙が、ひときわ強く、明滅した。

 

『手始めに、一つ頂く。——第68管理外世界。九十六時間後、あの世界の満期を執行する。止めたければ、来るといい。管理局の総力でも、精鋭の一個部隊でも、好きにするといい』

 

 声が、笑った。加工音声の下で、確かに、笑った。

 

『特に——第01ロストロギア事件課。いい引き金と、いい砲の諸君。招待状は、これで届いたかな。……我らが牙は、目覚めている。世界の終わる場所で、待っているよ』

 

 映像が、砂嵐に変わった。

 

 艦橋の沈黙を破ったのは、通信士の震え声だった。

 

「ほ、本局より入電——全艦隊に一級警報。第68管理外世界の観測データ、転送されてきます。同世界の周辺次元に……大規模な、魔力反応。座標、多数……!」

 

 リンディが司令席で、静かに立ち上がった。母親の顔は、どこにもなかった。艦長の声が、艦橋を貫いた。

 

「入渠整備を中断。全区画、出撃準備。本局に打電——ゼルベロス、抜錨準備完了まで六時間」

 

 了解の声が飛び交う中、リョウは主モニターの砂嵐を見つめていた。

 

 名指しだった。ゼロイチを——引き金と砲を、名指しで呼んだ。工廠は前哨戦ですらなかったのだ。あれは採寸だ。俺たちの戦い方を測り、その上で、招待状を寄越した。

 

 罠か。宣戦布告か。おそらくは、両方だ。

 

 肌が、粟立っていた。四年前、空が割れた日の朝と、同じ種類の予感だった。何か途方もないものが、始まる。もう、始まっている。

 

「……リョウさん」

 

 隣に、いつの間にか、少女が立っていた。セブンスウィルを、既に肩に担いで。その横顔に、罰を待つ色はなかった。ただ、静かな、戦う者の目があった。

 

「行くんですよね。わたしたち」

 

「……おう」

 

 リョウは、ミニットマン051を握り直した。

 

「行くさ。——招待されちまったからな、二人でな」

 

《Ready.》

 

「……だな。準備万端だ」

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