波の揺れと、錆びたエンジンの振動。湿った潮の匂いと、オイルの焦げた匂い。
これぞ密航船ってやつか。ロマンの欠片もねぇけど、背に腹は代えられねぇってわけだ。
俺と万丈は、船底の狹い貨物室に押し込まれていた。積み荷の木箱の隙間に身を潛め、外の様子を伺う。東都のガーディアンが追ってきてないか、俺の聴覚センサーはフル稼働だ。
「ふぅ…なんとか乗り込めたな」
万丈が木箱に背を預け、大きく息を吐いた。その顔には疲労と、それ以上の決意が張り付いている。
「ああ。戦兎が時間を稼いでくれたおかげだぜ。あいつには後で美味いコーヒーをおごらねぇとな」
俺がそう言って肩の関節を鳴らしていると、貨物室の奥からカシャッという軽快な音が響いた。
「あら、意外と仲良しなんですね、あなたたち」
「!?」
俺と万丈は同時に声のした方を振り向いた。暗がりの中、見覚えのあるスーツ姿の女性がカメラを構えて立っていた。
「紗羽!? お前、なんでここにいるんだよ!」
万丈が驚いて声を荒らげる。
「決まってるじゃないですか。スクープのためですよ。脱獄犯の万丈龍我が西都へ密航する瞬間、そして謎の喋るロボット・ビリーの活躍。これを逃す手はありません」
紗羽はこともなげに言って、カメラのフィルムを交換した。いや、今どきフィルムかよ。レトロ趣味か?
「お前なぁ…危険だぞ! ファウストとかいう連中がウロウロしてるんだぞ!」
万丈が眉を寄せるが、紗羽は全く意に介さない。
「危険な場所こそ、真実があるんです。それに、私がいれば情報収集も捗るでしょ? 西都の事情に詳しいのは、ジャーナリストの私ですよ」
「くっ…言うねぇ、あんた」
俺は苦笑するしかなかった。この女、度胸だけはあるらしい。
「おい、そこの三人。さっきから話し声が聞こえてるぞ」
その時、頭上から低くて渋い声が降ってきた。見上げると、ハッチから覗き込んでいる初老の男がいた。無精髭にキャップ帽、そしてタバコの煙。いかにも「海の男」って感じの爺さんだ。
「五十嵐だ。この船の船頭をやってる。美空ちゃんから話は聞いてるぜ。西都まで行きたいってな」
五十嵐と名乗った男は、俺たちを順番に見回し、最後に俺の赤い識別灯で光る顔を見てニヤリと笑った。
「随分と奇妙な客が乗ったもんだ。脱獄犯に、ジャーナリストに、喋る機械兵か。世の中捨てたもんじゃねぇな」
「人聞きの悪い言い方すんなよ、爺さん。俺はただの試作型機械兵だぜ」
「はっ、ただの機械が喋るかよ。まあいい、金は前払いで貰ってるからな。西都まで無事に送り届けてやるよ」
五十嵐はそう言うと、ハッチを閉めた。エンジンの振動が強まり、船体がゆっくりと動き出す。
「行きましょうか。西都へ」
紗羽が呟く。万丈は無言で頷いた。
俺は木箱に寄りかかり、天井を見上げた。船底の薄い鉄板の向こうに、冷たい海が広がっているはずだ。そしてその先には、スカイウォールに隔てられた異国の地、西都。
「鍋島の家族を助ける…か。無茶な賭けだぜ、全く」
俺は自分に言い聞かせるように呟いた。でも、博士はそんな賭けに出た。戦兎もそんな選択をした。なら、俺も腹を括るしかねぇだろう。
「おいビリー、怖いのか?」
万丈が茶化すように聞いてきた。
「バカ言え。俺に恐怖センサーなんてついてねぇよ。あるのは勇気センサーだけだ!」
「わけわかんねぇよ!」
「うるせぇ! お前こそ、覚悟はできてんだろ?」
「当たり前だ。香澄のためだ。絶対に助ける」
「よしその言葉。聞いて安心したぜ」
俺は口元のサーボを動かして笑った。船は夜の海を進んでいく。スカイウォールの巨大な影が、月明かりを遮り始めていた。
西都の空は、東都とは明らかに違っていた。
分断の壁、スカイウォールの影が落ちているせいだけじゃない。街を行き交う人々の目に活気がないし、そこら中に軍服を着た兵士が立っている。まるで巨大な収容所みたいだぜ。
「さてと、ここが鍋島正弘の自宅か」
俺は位置情報と現在地を照合し、小さく呟いた。ごく普通の住宅街の一画。だが、周囲には監視カメラが不自然なほど多く、時折パトロールのガーディアンが重い足音を響かせて通り過ぎていく。
「ビリー、お前はここで待機してくれ。俺と紗羽さんがピンポンダッシュ……じゃなくて、コンタクトを取る」
万丈が宅配業者のユニフォームを着ながら、窮屈そうに首を振った。隣では紗羽が同じように制服に着替え、手にはダミーの荷物が握られている。
「おいおい、俺はどうすりゃいいんだ? 俺にもその着ぐるみ、あるのかよ」
「あるわけないでしょ。お前、肩タイヤついてるんだから」
紗羽が呆れたように言う。
「それに、喋るロボットの宅配便なんて、西都でも聞いたことないですよ。目立ちすぎます」
「チッ、差別だなぁ。じゃあ俺はどうすればいい?」
「外で見張りだ。万丈たちが中に入るまでの間、ファウストの連中やガーディアンが来ないか警戒してくれ。何かあったら合図する」
「了解だ。でもよ、もし『荷物がデカすぎて入りません』って言われても、俺は手伝えないぜ?」
「軽口叩いてる場合か! 行くぞ!」
万丈と紗羽は鍋島家のインターホンを押し、居住者を呼び出した。
俺は近くの電柱の陰に身を滑り込ませ、周囲の警戒にあたる。
(さて、見張り番か。地味だけど、ここが一番大事な仕事だぜ)
赤い識別灯の輝度を最低限まで落とし、赤外線センサーと聴覚センサーを最大感度に調整する。
『は、はい……どなたですか?』
怯えたような女性の声が聞こえた。妻の友恵だろうか。
「宅配便でーす! 鍋島様宛ての荷物です!」
万丈の声が、妙に甲高い。(おいおい、緊張しすぎだろ、万丈。怪しすぎるぜ)
「あの……主人は不在なんですけど……」
「奥様でも大丈夫ですよー! こちら、配達員の万丈と申しまーす!」
バタン。ドアが開く音。中から顔を出したのは、やつれた顔の女性と、その足元にしがみつく小さな女の子。友恵と娘の遥だ。
「あの……?」
友恵が怪訝な顔をしたその時だ。
俺の聴覚センサーに、キーンという不快なノイズが走った。
「っ!?」
路地の闇から蒸気が噴き出したかと思うと、ドスン、ドスン、と重たい足音が響いてきた。
「出やがったな、お出ましだぜ!」
俺の赤外線センサーが捉えたのは、東都の量産機とは明らかに違うシルエットだった。装甲が厚く、角張っていて、肩には大型のランチャーみたいなもんまで積んでやがる。西都仕様の強化型ガーディアンか? それともファウストのカスタム機か?
「グギャアアッ!」
機械的な咆哮と共に、奴らが飛び出してきた。数は三体。速い! 東都のガソリンスタンドのオヤジみてぇにノロマな動きじゃねぇ!
「おいおい、ウェルカムボードなんて出してねぇぞ!」
俺は二丁のプロトトランスチームガンを構え、トリガーを連続で引いた。ドンパン!ドンパン! 蒸気弾が新型ガーディアンの胸部装甲に直撃する。火花が散り、奴らの足が止まった。
「万丈! 紗羽! ちっとばかりお客さんだ! 早く車に乗せろ!」
俺が叫びながら、さらに二発、奴らのランチャーを狙って撃ち込む。バキン! 肩の武装がへし折れ、無様に弾け飛んだ。
「チッ、硬ぇな! 東都の量産機より装甲が厚いぜ!」
だが、俺の射撃のおかげで隙はできた。万丈が友恵と遥を抱え、紗羽が停めてあった軽自動車に向かって走る。
「早く早く! 乗って!」
紗羽が運転席に飛び込み、エンジンをかけた。友恵と遥が後部座席に滑り込む。万丈はというと、助手席に回り込もうとしたが——
「万丈! お前は助手席じゃねぇ! 後ろの荷台だ! 俺が前を取る!」
「はあ!? なんでだよ!」
「俺の方がカッコいいだろが!」
俺は走り込んで軽自動車の屋根に飛び乗った。金属のボディにドスンと着地し、屋根を少し凹ませちまった。まあ、戦争の傷跡ってことで勘弁してくれ!
「しっかり掴まってろよ! 紗羽、アクセル全開だ!」
「最初からそのつもりです!」
紗羽がアクセルを踏み込む。軽自動車がけたたましいエンジン音を上げて急発進した。
「うおおおっ!」
遠心力で吹き飛ばされそうになりながら、俺は屋根のルーフキャリアにしがみつく。
新型ガーディアンたちが体勢を立て直し、追撃を始めた。残りの二体が肩のランチャーからミサイルを放ってくる。
「逃がすかよ!」
ヒュルルル! という音と共に、ミサイルが迫る。俺は片手でルーフを掴み、もう片手でプロトトランスチームガンを振り向いた。
「そこだぁっ!」
ドンッ! 蒸気弾がミサイルを空中で弾き落とす。ドカーン! 頭上で爆発が起き、熱風が俺のスカーフを煽った。
「危ねぇ危ねぇ! 今のアイロンかけられたら、装甲が歪んじまうところだったぜ!」
車は狹い路地を猛スピードで駆け抜けていく。紗羽の運転、荒っぽいけど腕は確かだ。街角をドリフトで曲がり、ガーディアンとの距離を少しずつ広げていく。
「ビリー! 次、来るぞ!」
万丈が荷台から身を乗り出して叫ぶ。後ろからもう一体のガーディアンが、ビルの屋根を飛び移りながら追いかけてきていた。
「了解! 実況中継、続行だぜ!」
俺は車の上で立ち上がり、二丁の銃を後方に向けた。
「紗羽! 右だ右! 前方のクレーンの下、あそこに爺さんの船があるぜ!」
俺は揺れる車の屋根の上から、港の夜景を睨みつけながら叫んだ。俺の視覚センサーは、暗闇の中に浮かぶあの錆びついた船体をしっかりと捉えていた。
「わかってます! ブレーキなんて踏みませんよ!」
紗羽の運転は、相変わらずジェットコースター並みだった。カーブでタイヤが悲鳴を上げ、車体が大きく傾く。俺はルーフキャリアにしがみつきながら、後ろから迫る新型ガーディアンたちに視線を戻した。
「おいおい、しつこい野郎どもだぜ! 飽きないのかよ?」
後方から三体のガーディアンが、ビルの壁を蹴って跳躍しながら迫ってくる。肩のランチャーが唸りを上げ、再びミサイルが放たれた。
「しつこいって言やがれ! こっちは急いでんだよ!」
俺は二丁のプロトトランスチームガンを素早く操作し、スイッチを切り替えた。射撃モードから、蒸気噴射モードへ。
「おまけだ、くそ野郎ども! スチーム・スクリーン!」
ドォォォォッ!
俺の両腕から、圧縮された白い蒸気が爆発的に噴き出した。濃密な蒸気の壁が、俺たちとガーディアンたちの間に立ちふさがる。視界は真っ白だ。ミサイルが蒸気の中に突っ込み、爆発の熱が白い霧を急速に膨らませた。
「今だ、紗羽! 船まで飛ばせ!」
「言われなくても!」
車は蒸気の幕を突き破り、桟橋の先に停泊していた五十嵐の船へと猛スピードで滑り込んだ。
「万丈! 女性陣を連れて跳べ!」
「おう! 行くぞ! 香澄のために!」
万丈が後部座席のドアを開け、友恵と遥を抱え上げて船の甲板へと飛び移る。紗羽も車から飛び降り、運転席を放棄した軽自動車はそのまま勢いでガードレールを突き破り、海へとダイブした。ザバァン! 派手な水飛沫が上がる。
「あーあ、借りの車だったのにぃ!」
紗羽が嘆く暇もない。俺は車の屋根から甲板へと跳んだ。
「五十嵐の爺さん! 出航だぁ!」
「待ってましたぜ! 乗ったか?」
五十嵐が操舵室から怒鳴り、エンジンの出力を最大まで引き上げた。船が大きく揺れながら、桟橋を離れていく。
蒸気の幕が晴れかけたその時、ガーディアンたちが岸壁から飛び出そうとした。
「行けるかよ!」
俺は甲板の端から、二丁のガンを連射した。ドパパパパッ! 蒸気弾がガーディアンの足元を正確に撃ち抜き、奴らのバランスを崩させる。一体が足を滑らせて海へドボンだ。
「そいつ、お代わりはなしだぜ!」
船は夜の闇と蒸気の向こうへと急速に離れていく。残ったガーディアンたちは岸壁で無駄に腕を振るばかりだった。
「ふぅ…なんとかなったな」
俺は甲板に着地し、深く蒸気を吐き出した。海風が気持ちいいぜ。背後では、万丈が友恵と遥を安心させるように声をかけている。
「ビリー、ナイスだ!」
万丈が親指を立てた。
「まあな。俺の演目は、いつだって最高さ」
俺は赤いスカーフを翻し、西都の夜景に背を向けた。