「ここか。俺が最初に目覚めた場所は」
立弥の話を聞き終えた俺たちは、街の外れにある路地裏へとやって来ていた。ゴミ箱の腐敗臭と、錆びたドラム缶から漂う油の匂い。ネオンの光も届かないこの場所は、まさに記憶の闇そのものだった。
「ああ、間違いない。この薄汚さと孤独感、俺の心の故郷みたいな場所だぜ」
戦兎が自嘲気味に呟く。彼の手には、まだ「佐藤太郎」という名前の重みが残っているんだろう。ロックスターへの道と天才物理学者への道。どっちが本物の自分なのか、その答えを探しに来たってわけだ。
「兄貱、俺もここ初めて来たぜ。佐藤太郎時代のあんたは、こんなとこ住んでたのか?」
立弥がアフロを揺らしてキョロキョロする。おいおい、そのピンクのメガネ、暗闇で光りすぎだろ。もっと目立たない格好をしてくれって言ったのに、こいつのファッションセンスは俺のセンサーでも理解不能だ。
「立弥、お前はちょっと離れててくれ。俺は少し考えたいんだ」
戦兎が額に手を当て、壁に寄りかかった。彼の脳内では、今、新しいデータと古い(はずの)データが衝突してバグり始めているんだろう。俺はというと、戦兎の背中を守るように少し後ろに立ち、周囲の警戒にあたっていた。
「佐藤太郎か…。俺はギターを弾いていた? 高収入のバイト? それが事実だとして、なんで俺はビルドドライバーを持っていて、変身できるんだ?」
戦兎の独白が路地裏に響く。俺は赤いスカーフを直しながら、少しだけ考え込んだ。
「なあ戦兎。仮にお前がロックスターだったとしても、今のお前はヒーローだろ? それに俺は、今の戦兎の方が好きだぜ。佐藤太郎って奴がどんなにクールなギタリストだったにせよ、俺の相棒は天才物理学者の桐生戦兎さ」
「…ビリー」
戦兎が振り返り、少し和んだ顔を見せる。その瞬間だ。
ビクンッ!
俺の首筋のケーブルカバーが逆立った。聴覚センサーが微かな風切り音を拾う。人間の耳には聞こえない、超高周波の振動。空気の圧が変わった。
(後ろだ!)
俺の思考は、動作より一瞬早く駆けた。言葉に出す暇なんてない。「戦兎、危ない!」なんて叫んでいる間に、攻撃は終わってるかもしれない。
だから俺は、振り返りざまに腰のホルスターからプロトトランスチームガンを抜き放ち、背後の闇に向けて躊躇なく引き金を引いた。
ドンッ!
重い射撃音。蒸気弾が闇を切り裂き、何かに弾かれる音がした。カキンッ! という硬質な金属音。
「おおっ!?」
立弥が悲鳴を上げて尻餅をつく。戦兎も瞬時に身構えた。
「何者だ!」
俺の銃口が狙った先、闇の中からゆらりと一つの影が現れた。蒸気が地面を這うように漂い、その姿を幻想的に——いや、不気味に浮かび上がらせる。
蒸気弾が弾かれた闇の奥から現れたのは、蛇だ。いや、蛇をモチーフにした何かだ。
暗いワインレッドと黒の装甲。胸部にはコブラの頭部を思わせる隆起。半透明のコブラヘッドゴーグルの奥に、鋭い眼光が覗いている。頭頂部には煙突のようなユニットが立ち、首から肩へ配管が伸びている。蒸気機関と化学実験設備を組み合わせたような、俺と似て非なる姿。
俺のデータベースが即座に照合を開始する。
『……該当データあり。トランスチームシステム。プロトトランスチームガンの発展型「トランスチームガン」を使用した変身体』
俺のプロトタイプ版をベースに開発された、完成版の「蒸血」戦士ってわけか。なるほど、装甲の密度も出力の感じ方も、俺のそれより格段に上だ。
「やぁ、プロトタイプ君。後輩として挨拶するよ」
男は飄々とした様子で、まるで道端で偶遇上した知人に声をかけるみたいに言った。
その声、低くて落ち着いてやがる。でも、どこか粘着質で、冷ややかだ。
後輩? 誰が誰の後輩だって?
俺の識別灯が、警戒色の赤と怒りのオレンジで交互に点滅する。チッ、完成版が先輩面して出しゃばってくるとはな。試作機の誇りにかけても、そう簡単には譲れねぇぞ。
「誰だ、お前は! ファウストの連中か!?」
戦兎がビルドドライバーに手を伸ばしながら叫ぶ。
「大声を出すな。客人に失礼だろう」
男はまるで窘めるように言う。その余裕が、俺の動力炉を無性に苛立たせる。
俺は銃口を男に向けたまま、油断なく構えた。
コイツ、ただの完成版じゃねぇ。
俺のセンサーが警鐘を鳴らし続けている。装甲の表面に突き刺さるような、底知れない不気味な気配。蒸気の熱さとは違う、もっと冷たくて毒々しい何かが、コブラの形をした装甲から滲み出ている。
「お前が……そのトランスチームガンを使ってるのか」
俺は低く問うた。
「ああ。俺はブラッドスターク。君の先輩であり、試作機にはわからない深淵を知る者だ」
男——ブラッドスタークは、コブラのゴーグルの奥で目を細めたように見えた。
深淵だぁ? 随分と大層な自己紹介だぜ。
だが、この感覚は無視できない。俺の計算を超えた未知の脅威。コイツは、ナイトローグなんかとは比べ物にならないくらい、ヤバい代物だ。
「プロトタイプ君、君のその蒸気、なかなか興味深いが……少し熱すぎるんじゃないか?」
ブラッドスタークがゆっくりと近づいてくる。その歩みには、隙がない。
「うるせぇ! 先輩面すんな! 俺は先輩の言うことなんか聞かねぇぞ!」
俺は軽口で返しながら、戦兎との連携プランを脳内でシミュレートした。
だが、同時に理解していた。
この男、戦兎だけじゃ倒せねぇかもしれない。俺の「蒸着」じゃ、コイツの「蒸血」には勝てねぇかもしれないってな。
それでも、やるしかねぇんだよ。
俺はビリー。道具は使い方次第でヒーローになれる。
先輩だろうがなんだろうが、俺の邪魔をするなら、叩き潰すだけだ!