工場での戦闘を終え、俺は戦兎の後ろについて歩いていた。
「なあ、戦兎。これからどこに行くんだ?」
「俺たちのアジトだ。安心しろ、いい場所だぞ」
戦兎は振り返らずに答える。なんだか少し楽しそうな口調だ。
「アジトっていうからには、秘密基地的なやつか? 武器庫と整備場と作戦会議室があって、奥には博士の研究室みたいな――」
「まあ、着いてからのお楽しみだ」
そう言われては仕方ない。俺はおとなしく後ろを歩いた。脚部のホイールを格納モードにして、普通に歩く。街中で蒸気を吹きながら移動するわけにはいかないからな。
やがて戦兎が立ち止まったのは、小さな喫茶店の前だった。
「ここだ」
「……は?」
俺は看板を見上げ、それから店の外観を見て、もう一度看板を見た。
「nascita……これ、喫茶店だよな? コーヒーとか出すやつ」
「そうだ」
「いやいやいや、ちょっと待てよ。アジトって言ったよな、お前? 秘密基地的なやつだって」
「秘密基地だ。地下にな」
「地下!」
なるほど、そういうことか。地上はカモフラージュの喫茶店で、地下が本当のアジトってわけだ。趣味がいいじゃないか。
「なかなか粋な作りだな。表向きは普通の店、裏ではヒーローの作戦本部。俺はこういうの、嫌いじゃないぜ」
戦兎は少し得意そうに笑って、ドアを開けた。
「マスター、戻ったぞ」
俺も後に続いて店内に入る。コーヒーの香りが漂う、落ち着いた雰囲気の店内。カウンターにテーブル席、壁には小物や写真が飾ってある。思ったより本格的な喫茶店だ。
「おかえり、戦兎。そっちはどうだっ――」
カウンターの奥から出てきた男が、俺を見て固まった。
石動惣一。喫茶店のマスター。エプロン姿の中年男性で、手にはコーヒーカップを持っている。そのカップが、今にも落ちそうなほど指から滑りかけていた。
「おいおいおい」
惣一は目を丸くして、俺を頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺めた。
「戦兎、お前、またとんでもないものを見つけてきたな……」
「マスター、こいつはビリーだ。詳しい話は後でする」
戦兎は慣れた様子でそう言ったが、惣一の驚きは収まらないようだった。
「いや、詳しい話とかそういう問題じゃなくてだな。これ、明らかにガーディアンだろ? しかも普通のとは違う。このフレーム、この装甲、それに右腕の刻印……」
「ナンバヘビーインダストリーズのプロトタイプだ。よくわかったな、マスター」
俺がそう言うと、惣一は眉をピクリと動かした。
「……お前、喋れるのか?」
「失礼な! 俺はちゃんとした自我を持つ高性能AI搭載の試作型機械兵だぜ。ビリー・ザ・キッドのビリーだ。よろしくな、マスター」
惣一はカップをカウンターに置き、額に手を当てた。
「戦兎、説明を求める」
「だから、後でするって言ってるだろ。とりあえず、美空はいるか?」
「ああ、地下だ。……しかし、これはまた面倒なことになりそうだな」
惣一の視線が俺に向けられる。その目は、単なる喫茶店のマスターのものとは思えないほど鋭かった。何か事情を知っている目だ。
「なあ、マスター。あんた、ただの喫茶店のマスターじゃないだろ?」
俺がそう尋ねると、惣一はいつもの飄々とした表情に戻った。
「さあな。俺はただの喫茶店のマスターだぜ?」
「ふーん」
俺はそれ以上追及しなかった。でも、心の中ではメモしておく。この男は何かを隠している。そして、それは俺や戦兎、いや、巧にも関係することなんじゃないかってな。
「とりあえず、俺も地下に行っていいか? 戦兎」
「ああ、ついてこい。美空にも紹介しないとな」
「美空って誰だ?」
「俺たちの仲間だ。フルボトルの浄化ができる、すごい奴だぞ」
「ほほう、そりゃ楽しみだ」
俺はカウンターの横を通り過ぎながら、惣一に軽く手を振った。
「マスター、また後でな。コーヒーは飲めないけど、会話はできるぜ」
「……ああ、気をつけてな」
惣一の声には、何か含みがあるように聞こえた。気のせいかもしれないが。
戦兎が冷蔵庫を開ける。なるほど、これが地下への入り口か。なかなか凝ってるじゃないか。
俺は冷蔵庫の奥へと進みながら、これから会う仲間たちのことを考えていた。
冷蔵庫の奥の階段を下りた瞬間、俺の光学センサーは一気に情報過多になった。
「おいおいおいおいおい!」
俺は思わず叫んでいた。階段を駆け下りる。脚部のサーボが嬉しそうに唸る。
広がっていたのは、まさしく秘密基地だった。壁一面のモニター、天井から吊るされた配線の束、作業台の上に散らばる工具と電子部品、そして中央には変身ポッド。隅にはフルボトルを保管するラックが並び、未完成の装置がいくつも転がっている。
「これだよ、これ! こういうのが見たかったんだ!」
俺は作業台に駆け寄り、置いてある機材を次々とチェックする。
「このスペクトルアナライザー、型は古いが改造してあるな。それにこっちのボトル充填装置、自作か? 精度が半端じゃないぜ。それからこの配線の引き回し、合理的だ。無駄が一つもない」
「お前、機械に詳しいんだな」
戦兎が少し驚いた声を出す。
「当たり前だろ! 俺は博士――葛城巧が作った機械兵だぜ? 科学と工学は生まれつき染みついてるんだ。というか、これを作ったのはお前か?」
「ああ、そうだ。俺は桐生戦兎。天才物理学者だ」
戦兎は胸を張って、得意げに笑った。
「すごいだろ? 最高だろ? 天才だろ? このラボは俺の頭脳の結晶なんだ」
その瞬間、俺の胸部装甲の奥で、何かがチリッと鳴った。
「……ははっ」
「何がおかしい」
「いや、悪い。でもな」
俺は戦兎を見つめた。白衣を着て、自信満々に自分の研究を語るその姿。自慢げな口調。でもその奥にある、科学への純粋な愛情と探究心。
「お前、やっぱり巧に似てるよ」
「葛城巧に?」
「ああ。博士もな、自分の発明を説明するときはいつもそうだった。『すごいだろ、最高だろ、これが僕の理論だ』ってな。お前のその顔、そっくりだ」
戦兎は一瞬、複雑そうな表情を見せた。でもすぐに、いつもの調子で笑う。
「俺は桐生戦兎だ。葛城巧じゃない」
「わかってる。でも、それとこれとは別の話だ。少なくとも、科学に対する態度は間違いなく師弟関係だぜ、お前ら」
「師弟関係か……」
戦兎は何かを考えるように顎に手を当て、それから俺に向き直った。
「まあいい。それより、お前のそのフレーム、後で詳しく調べさせてくれ。プロトトランスチームガンとバイクフルボトルの連動システム、蒸着のメカニズム、それに胸部の動力炉。実に興味深い」
「おいおい、俺を実験台にする気か?」
「当たり前だろ。こんな面白いサンプルを前にして、科学者が指をくわえて見てるわけにはいかない」
「ははは! やっぱり巧と同じだな、お前!」
俺は笑いながら、戦兎の肩をポンと叩いた。金属の手がぶつかる硬い感触。
「いいぜ、好きなだけ調べてくれ。その代わり、俺もお前のビルドシステムを見せてもらうからな」
「もちろんだ。さあ、実験を始めようか」
戦兎の目が科学者のそれになった瞬間、俺は確信した。
こいつは違う。葛城巧じゃない。顔も、名前も、記憶も、何もかも違う。
それでも、白衣の奥にある熱だけは、たしかに似ていた。
一通りの確認を終えたあと、戦兎は上の店に戻っていった。惣一に呼ばれたらしい。俺は地下基地の隅に腰を下ろし、自分の右腕を開いてメンテナンスを始めた。
封印ボルトの痕がまだ少し熱を持っている。長い眠りの間に溜まった歪みを調整しないと、次の戦闘で蒸着が安定しないかもしれない。
「ビリー、ちょっといいか?」
声をかけてきたのは惣一だった。手にはコーヒーカップ。マスターは俺の向かいの椅子に腰を下ろし、カップを一口すすった。
「なんだ、マスター。俺に何か用か?」
「いやな、ちょっと聞きたいことがあってな」
惣一はいつもの飄々とした調子で言った。でも、その目は笑っていない。この男はこういうとき、本気で何かを探っている。
「葛城巧って、どんな男だったんだ?」
俺の手が一瞬止まった。胸の冷却ファンが少しだけ早く回る。
「……博士のことか」
「ああ。俺は直接は知らないからな。戦兎からも話は聞いてるが、お前から見た葛城巧ってのを知りたくてな」
俺は背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。配管が縦横に走っている。この基地の配線と同じで、俺の記憶もどこかで途切れている。
「博士はな、とにかく寝ない男だったよ」
俺は話し始めた。思い出せる限りのことを。
「『科学者に睡眠は贅沢だ』って口癖でな。4徹、5徹は当たり前。俺が『死ぬぞ』って言っても『僕は死なない』って返すんだ。無茶苦茶だろ?」
「はは、確かに無茶苦茶だな」
「でもな、本当に死にそうになると、ちゃんと仮眠は取ってた。作業台に突っ伏して10分だけ寝るんだ。で、起きたらまた実験の続き。俺が『もう休めよ』って言うと、『10分寝た』って。10分は睡眠時間に入らねぇだろ、普通」
惣一は黙って聞いている。その顔には、どこか懐かしむような色があった。
「コーヒーはブラックしか飲まなかった。『砂糖とミルクは変数が多すぎる』って。料理は……まあ、しないな。カップ麺ばっかり。しかもお湯を注ぐ前にフタを開けて、中身を分析してた。『この粉末スープの成分が』とか言いながら」
「それはまた、面倒な食い方だな」
「だろ? でも、博士は本気だったんだ。すべての現象に理由がある。すべての結果には原因がある。それを解き明かすのが科学者だって」
俺はそこまで話して、ふと言葉を止めた。
何かが足りない。記憶のピースが、ぽっかりと抜け落ちている。
「……でもな、マスター」
「ん?」
「思い出せないんだ。肝心なことが」
俺は自分の頭部装甲をコツンと叩いた。
「日常的なことは覚えてる。博士の癖とか、口癖とか、研究のスタイルとか。でも、肝心の研究内容とか、何をやっていたのかとか、そういうのがすっぽり抜けてる」
「記憶の欠落か」
「ああ。たぶん、長く眠ってたせいか、それとも博士が意図的に消したのか。最後の方は特にひどいんだ。ノイズが走って、飛び飛びで、ちゃんと思い出せない」
俺は手を握り、開いた。サーボの音だけが静かな基地に響く。
「最後に博士は、何かやらないといけないって言ってた。『一か八かの賭けに出る』って。俺をここに残して、自分は行っちまった。でも、それが何の賭けだったのか、俺にはさっぱりなんだ」
沈黙が落ちた。コーヒーの香りだけが、ゆっくりと空気を満たしていく。
惣一はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「そうか」
「……なんだよ、慰めでもしてくれるのか?」
「いや、慰めにはならねぇかもしれないが」
惣一はカップを置き、俺をまっすぐ見た。その目は、喫茶店のマスターのものじゃない。何かを見てきた男の目だった。
「忘れるってのは、つらいよな」
「マスター……」
「でもな、ビリー。大事なのは、覚えてる部分だと思うぜ」
惣一は少しだけ笑った。
「葛城巧が寝ないで研究してたこと。コーヒーはブラックしか飲まなかったこと。カップ麺の成分を分析してたこと。そして、お前のことを相棒って呼んでたこと。そういう小さなことの積み重ねが、たぶん、そいつの本質なんだろう」
「……本質」
「ああ。肝心なことは忘れちまったかもしれない。でも、お前は葛城巧のことを、ちゃんと覚えてる。それだけで、十分なんじゃねぇか?」
俺はしばらく考えた。それから、ゆっくりとうなずく。
「……そうだな。博士がどんな奴だったか、俺はちゃんと覚えてる。それだけで、まだ博士は俺の中にいるってことだ」
「そういうことだ」
惣一は立ち上がり、俺の肩をポンと叩いた。
「ま、気楽に行こうぜ。コーヒーでも飲んで落ち着け」
「俺はコーヒー飲めないんだが」
「あ、そうだったな。じゃあ、気持ちだけだ」
俺は思わず笑ってしまった。
「マスター、あんた、なかなかいい奴だな」
「さあな。俺はただの喫茶店のマスターだぜ?」
そのとき、地下基地の奥から小さなうめき声が聞こえた。
「うぅ……」
「ん? あっちにいる子は?」
俺が視線を向けると、パソコンの前に座った少女が、難しい顔で画面を睨んでいた。
「あの子か? あの子は、マイエンジェル! 俺の娘の美空だよ。まあ、いろいろとねぇ」
「ほぅ、いろいろ」
惣一はそれ以上詳しく語らず、コーヒーカップを片手に階段の方へ向かった。上で戦兎と話すことがあるらしい。
ふと見ると、美空がパソコンの前でまだ難しい顔をしている。
「うーん……」
「どうした、美空。悩み事か? まさか戦兎がまた無茶な実験を」
「違うし。戦兎は今、上でマスターと話してるし」
美空は気だるげに画面をスクロールしながら、ため息をついた。
「みーたんの配信、最近あんまり伸びてないんだよね。再生数もコメントも減ってるし。新しいファンを増やさないと、スマッシュの情報も集めにくくなるし……」
「ほほう」
俺は彼女の後ろに立ち、モニターを覗き込む。
みーたんの配信ページ。可愛らしいデザインのアイコンと、過去の配信アーカイブ。コメント欄には常連らしきファンの書き込みがあるが、たしかにここ数回はやや低調だった。
「ネットアイドルってやつか。俺はよくわからんが、宣伝が足りないんじゃないか?」
「宣伝って、私だっていろいろやってるし。SNSも更新してるし」
「甘いな、美空」
俺はずいっとパソコンの前に割り込んだ。美空が「え、ちょっと」と驚くのも構わず、キーボードを叩き始める。
「宣伝ってのはな、もっとこう、攻めの姿勢が大事なんだよ」
「ビリー、あんた機械だけどパソコン使えるの?」
「当たり前だろ! 俺は高性能AI搭載の試作型機械兵だぜ? ネットワーク接続くらい朝飯前だ。ちょっと待ってろ……よし、これでどうだ!」
俺は一気に作業を終え、モニターを美空の方に向けた。
「はい、今から一時間以内に、みーたんのSNSフォロワーが三割増える予定」
「はあっ!? ちょっと、何したの!?」
「安心しろ、合法的な範囲だ。検索エンジン対策の最適化、関連コミュニティへの適切な情報拡散、それと……まあ、ちょっとした小技だ」
美空が慌てて画面を確認する。通知が次々と表示され、フォロワー数がじわじわと増え始めていた。
「す、すごい……でも、なんか怖いし……」
「大丈夫だって。俺はこういうの得意なんだよ。博士の研究データの整理とか、実験結果のグラフ化とか、そういう事務作業も全部俺の担当だったからな」
俺が胸を張っていると、地下への階段から声がした。
「お前ら、何やってるんだ?」
惣一だ。手にはいつものコーヒーカップ。戦兎も一緒にいる。
「マスター、聞いてくれよ。美空のネットアイドル活動が伸び悩んでてな、俺がちょっと宣伝を手伝って――」
「ビリーがパソコンでなんかすごいことして、フォロワーがいきなり増え始めたし……」
美空が半分呆れ、半分感心したような声で言う。
惣一はモニターを覗き込み、少し驚いた顔をした。
「お前、こんなこともできるのか」
「何でもできるぜ。俺は博士の最高傑作だからな!」
「ふーん……」
惣一は顎に手を当て、何かを考え始めた。
「なあ、ビリー。お前、暇か?」
「暇ってほどでもないが、戦闘がないときはまあ、暇だな」
「じゃあ、提案なんだが」
惣一はニヤリと笑った。この笑い方は、なんか企んでるときの顔だ。
「美空のマネージャーをやってみないか?」
「マネージャー?」
「ああ。俺も普段はマネージャー役をやってるんだが、喫茶店の仕事もあるし、戦兎たちのサポートもある。手が回らなくてな。お前が手伝ってくれるなら、その時間を他のことに使える」
「マスター、本気?」
美空が驚いて惣一を見る。
「本気だ。ビリーは機械だからネット関係に強いし、戦闘もできる。美空のボディガード兼マネージャーとして、これ以上の適任はいないだろ」
「なるほどな」
俺は腕を組んで考えた。
マネージャー。ネットアイドルの裏方。戦闘以外の役割。
悪くない。むしろ、面白そうだ。
「いいぜ、引き受けた!」
「えっ、ちょっとビリー、即決すぎるし」
「なに、心配するな美空。俺がマネージャーになれば、みーたんの人気はうなぎ登りだ。ついでにスマッシュの情報収集も効率化できる。一石二鳥だろ?」
「まあ……そうだけど……」
美空はまだ納得していない様子だったが、惣一は満足げにうなずいた。
「決まりだな。ビリー、これからは美空のマネージャーとして、店にいてもいいぞ。ただし、機械だってことは隠せよ。ファンが驚くからな」
「了解! 任せとけ、マスター!」
俺は胸の装甲をトントンと叩いて見せた。
「これで俺も、戦闘だけじゃなくてネットでもヒーローだな!」
「ヒーローなのか、それ……」
美空の呆れた声を無視して、俺はさっそく次の宣伝プランを考え始めた。