「動くなよ。貴重なサンプルを壊したくはないからな」
ブラッドスタークは両手を広げてそう言った。まるで俺たちが手の中で踊る人形だと言わんばかりの余裕だ。その態度がいちいちムカつくぜ。
「サンプル? お前、俺たちを実験動物みたいに言ってんのかよ!」
俺は銃口を向けたまま叫ぶ。でもブラッドスタークは全く動じていない。いや、むしろ楽しんでる? コブラのゴーグルの奥が、微妙に細められている気がする。
「戦うつもりならとっくにやってるさ。だが今日は違う。様子を見に来ただけだ」
「様子だと?」
戦兎が低い声で問い返す。その手はまだビルドドライバーにかけられたままだ。
「ああ。桐生戦兎、お前がどれほど成長したか。そして…」
ブラッドスタークの視線が、戦兎から俺へと移った。その目は、まるで顕微鏡で観察するみたいに冷たい。
「プロトタイプ君、お前のその動力炉。なかなか面白い熱量だ。だがね、まだ制御しきれていないんじゃないか?」
「なんだと?」
俺の胸部動力炉が、図星を突かれたようにドキリと脈打った。リミッター。博士が俺にかけた安全装置。こいつはそれを見抜いたってのか?
「葛城巧は本当に天才だったよ。お前のような不安定な存在に、あえてリミッターをかけたんだからな」
「博士を知っているのか!?」
俺は思わず一歩前に出た。銃口がブラッドスタークの眉間を捉える。でも奴は笑った。低く、喉の奥で鳴らすような笑い声。
「知っているもなにも。彼のことなら色々とね。例えば——彼がなぜ桐生戦兎を作ったのか」
「なに…!?」
戦兎の声が震えた。俺も識別灯を激しく点滅させる。こいつ今なんて言った? 博士が戦兎を「作った」?
「おい、どういう意味だ! 説明しろ!」
「ふふっ。説明を求めるのは科学者のすることだがね…」
ブラッドスタークはくるりと背を向けた。まるでこれ以上話す価値がないとでも言うように。
「ヒントを一つやろう。桐生戦兎、お前の正体は君自身が思っているよりもずっと複雑だ。佐藤太郎でもない。葛城巧でもない。でも——どちらでもある」
「意味がわからねぇぞ!」
万丈が叫ぶ。同感だぜ。なんだそのクイズ番組の最終問題みたいな言い方は。
「あとプロトタイプ君」
ブラッドスタークは振り返らずに手をひらひらと振った。
「お前の動力炉、最大出力で撃てば面白いかもしれないが…今はまだやめておけ。暴走したら自爆するだけだぞ」
「…っ!」
俺の動力炉が冷えた。暴走? 自爆? こいつは俺の最大の弱点を知っているのか?
「じゃあな。また会おう」
ブラッドスタークの背中から蒸気が噴き出し、その姿が闇の中に溶けていく。追おうとした俺のセンサーは、もう奴の反応を捉えられなかった。消えた。まるで最初からいなかったみたいに。
「…逃げたか」
俺は銃を下ろし、深く蒸気を吐き出した。
「ビリー、今の奴の言ってたこと…」
戦兎が俺の横に来る。その顔には困惑と、それ以上に強い決意が浮かんでいた。
「ああ。全部謎かけだぜ。戦兎の正体、俺の動力炉、博士の目的。どれもバラバラみたいで、どこかで繋がってる気がする」
俺は腕を組み、天井を見上げた。
「『佐藤太郎でもない、葛城巧でもない。でもどちらでもある』…か」
戦兎が呟く。その声には、自分の存在そのものを揺るがす問いに対する恐怖と、それを解き明かそうとする科学者の好奇心が混ざっていた。
「なあビリー。俺はやっぱり、葛城巧の軌跡を追わなきゃいけないみたいだ」
「ああ。俺もそう思うぜ」
俺は赤いスカーフを直し、ニカっと笑って見せた。
「博士が何を残したのか。なぜ俺にリミッターをかけたのか。そして戦兎、お前は一体何者なのか。全部ぶち明けてもらおうぜ」
「ああ。今度こそ、全部」
俺たちは路地裏を出た。夜風が冷たい。でも動力炉は熱い。謎が謎を呼ぶ展開だけど、だからこそワクワクするぜ。俺は道具だ。でもただの道具じゃない。博士の最高傑作で、ヒーローだ。
「さあ次の実験だ。テーマは『葛城巧の真実』!」
「ビリー、お前そういうセリフ言う時だいたいトラブルが起きるんだよ」
「うるせぇ! 今回は大丈夫だって! たぶん!」
「たぶんってなんだよ!」
俺たちの声が夜の街に響く。答えのない問いだけが、闇の中に浮かんでいた。
「おい、ビリー。あの野郎の言ってたこと、どう思う」
nascitaの地下基地に戻るなり、戦兎が壁に寄りかかって聞いてきた。白衣の裾が煤けてるのは、さっきの路地裏で土埃をかぶったせいだ。
「どう思うも何も、あのコブラ野郎、俺たちの内情を知りすぎてたぜ。プロトタイプの動力炉にリミッターがあるなんて、博士と俺以外に知ってるはずがねぇんだ」
俺はホルスターからプロトトランスチームガンを抜き、手入れをしながら答える。蒸気の残りが銃口から細く漏れて、空気を白く濁らせた。
「ブラッドスターク……あれは間違いなくファウストの関係者だ。でも、葛城巧のことを『天才だった』って過去形で言った。俺のことも、お前のことも、まるで最初から知ってたみたいに」
「ああ。まるで博士の研究ノートを全部読んでから来ましたって顔だったな」
俺がそう言うと、戦兎が鼻で笑った。
「お前だって、あの場では割と冷静だっただろ。もっと噛みつくかと思ってたのに」
「馬鹿言え。俺は試作機の中でも特にデリケートにできてんだよ。先輩面されたくらいでいちいち熱暴走してたら、ボディがいくつあっても足りねぇ」
「ならどうして、ずっと引き金に指をかけてたんだ」
「……あれは、まあ、保険だ。いつでも蒸気の穴くらい開けられるようにしておいただけさ」
戦兎は何も言わず、俺の隣に腰を下ろした。沈黙が、基地の機械音に混ざって流れる。こういう時の戦兎は、言葉よりも先に頭の中で何かを組み立ててる。天才の悪い癖だ。ややこしいことを全部自分の中に閉じ込めて、軽い冗談で蓋をしようとする。
「なあ、戦兎」
「なんだよ」
「お前、さっき『俺は佐藤太郎でもなければ、葛城巧でもない、でもどちらでもある』って言われて、何を考えた」
戦兎は一瞬間を置いた。それから、自分の手のひらを見つめながら答える。
「正直、怖かったよ。自分の記憶にない名前を出されて、まるで他人の人生をなぞってるみたいに感じた。でもな、それ以上に確かめたいと思った。自分が何者なのか、科学者として、ちゃんと証明したいんだ」
「ふっ、らしいぜ」
俺は手入れの終わったガンを逆手に回し、ホルスターへ収めた。
「でもな、戦兎。お前が佐藤太郎だろうと誰だろうと、俺にとっての相棒はお前だ。それは俺のセンサーが保証する」
「機械の保証なんて当てにならないだろ」
「失敬な。俺は博士の最高傑作だぜ。保証書付きだ」
「保証書の宛名が葛城巧宛だろ、それ」
「うるせぇな。なら今から宛名を塗り替えとく」
俺が冗談めかして言うと、戦兎は小さく笑った。やっと普段の調子が戻ってきたか。
「で、どうする」
俺が切り出すと、戦兎は立ち上がり、ホワイトボードの前に立つ。
「ブラッドスタークは、俺の正体とお前の動力炉、その両方にヒントを残した。ってことは、あいつは俺たちが次にどこへ向かうべきか知ってるんだろうな」
「腹立つが、うまく誘導されてる気はするな」
「それでも乗るしかない。葛城巧のことを徹底的に調べるぞ。研究所の資料、ファウストの残した痕跡、お前のメモリに残ってる断片。全部かき集めて、消されたデータを復元する」
「いいぜ。俺の記憶はノイズまみれだが、消えた部分の周りからなら辿れるかもしれねぇ」
「なら、まずはお前のメモリの修復からだな」
俺は大げさにため息をついて見せる。
「おいおい、部品の調子が悪いからって、いきなり開腹かよ。もっと丁重に扱ってくれよ」
「安心しろ。俺は天才だからな。痛くしない」
「余計不安だよ、その自信」
戦兎がドライバーを手に取り、俺の頭部のパネルに手を伸ばす。俺は観念して、首のスカーフを外した。
「もし変なボタン押したら、蒸気で吹き飛ばすからな」
「お前、自分の口で『俺はデリケートにできてる』って言ったの忘れたか」
「デリケートと無抵抗は別物だ」
「理屈がめちゃくちゃだな」
俺たちは、またいつもの調子で言い合いながら、真実に近づくための小さな一歩を始める。博士が何を残したのか。俺の動力炉に何が眠っているのか。戦兎の正体が、どこへつながっているのか。
どれもまだ、霧の向こうだ。でも、相棒と一緒なら、道に迷っても悪くない。そんな気がするぜ。